目次
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10

閉じる


1

 考えること、感じること、すべてが嘘だと認められない俺たちには

何一つ頼れるものなど無い。  

 俺たちが考えること感じることは、すべて嘘だから

俺たちが考えられないこと、感じられないことだけが真実だ。

 『南無阿弥陀仏』だけが真実。

 『南無阿弥陀仏』だけが心の拠所。

 

 アイツの言葉、百聞いた内の一、そんな僅かでも書き残す。

 

 

 


2

 アイツは地元の人間じゃない。

それどころか罪人として、元住んでいた場所には居られなくなって彷徨い、縁あってここに辿り着いた。

  何をやらかしたかと言えば、ただ念仏の教えを説いていただけだと言う。

 だが、それが気に入らない人間がいて、そいつらに嵌められたらしい。

  アイツの説いていた念仏は、そいつらにとって都合が悪かった。

そいつらが偉そうに踏ん反り返っている理由がすべて吹き飛んじまうからだ。

  アイツはその念仏について、よくこう話していた。

 

◇「阿弥陀は自分の名を呼べば、誰でも必ず浄土に連れて行くって誓い、仏に成った。

だから浄土に行きたいと願う心を、阿弥陀は決して見放すことはない。

  阿弥陀の願いはすべての生命を分け隔てなく浄土に連れて行くこと。

俺たちは、唯それに任せるしかない。

  阿弥陀は底抜けに愚かで、永遠に自分も他の命も傷つけてしまう俺たちを助けるためには

阿弥陀は俺たちには期待できないと知って仏に成った。

  だから阿弥陀を信じるのに、自分の力は必要ないし

愚かで残忍な自分が浄土に行けるはずがないと絶望することもない。

  浄土に行きたいと願う心が、何にも邪魔されないように阿弥陀は仏に成ったのだから」。

 

 

 


3

 アイツと俺たちは、永いこと一緒に暮らしていたが、いい加減アイツも年をとった時期、若いころ暮らしていた場所で余生を過ごしたくなったのか、俺たちのもとから離れていった。それから残された俺らは、念仏について、言い争うことが多くなっていった。

 結局、俺たちはアイツが言っていたことを何一つ分かっていなかった。言い争いが激しくなると、アイツに会いに行って、白黒つけようなんて話になった。

 そんな事情で、俺たちはアイツに久しぶりに会った。 俺たちを出迎えてからのアイツの言葉は、今でも目を閉じれば鮮やかに蘇る。

 

◇「お前達が野垂れ死に覚悟で、こんな遠くに来たのは、ただ極楽浄土へ行く方法を聞きたいからだ。

  だけど俺が、『南無阿弥陀仏』と称える以外に浄土へ行く方法を知っていて、また経典等も勉強していて、俺の方がお前達より浄土に近いと羨ましく思うのは、大間違いだ。

  そう思うなら、興福寺や比叡山に、頭のいい奴が沢山いるから、そいつ等に聞きに行け。 俺は、ただ『阿弥陀の名を呼べば、阿弥陀が浄土に連れてってくれる』って、俺に念仏を教えてくれた人の言葉を真に受けているだけで、他に何も理由なんて無い。

 それで本当に浄土に行けるか、または地獄に堕ちるか。いくら考えても俺には分からない。 それでも俺は、その人に騙されて『南無阿弥陀仏』と称えたことで、地獄に堕ちても、後悔はしない。

  何故なら、俺が修業して仏に成る身で、『南無阿弥陀仏』と称えて地獄に堕ちたら、やられたって思うけどさ、何やっても俺ダメだから、自分では絶対この地獄からは抜け出せやしない。

  いいか、阿弥陀、釈迦、善導導師、法然上人、そして俺、時代や場所で伝える方法は違っていても伝えたいことは同じ、何も変わっちゃいない。 だから俺は、四の五の言わずに信じて『南無阿弥陀仏』にすべて任せるだけだ。

  信じるか、信じないかは、あんた達の勝手にしな」。

 

 

 


4

 それから、俺は地元に帰るまで、寝る間を惜しんでアイツの話を聞いた。

それはこの時になって、『アイツの言葉を忘れたくない』、『アイツの心を大切にしていきたい』って心からそう思ったからだ。

 地元にいた時だって、アイツは惜しみなく俺たちに教えてくれていたのに、以前の俺はどこかで、その言葉を正面から信じることができず、心に言葉が浸み込んでいなかった。聞いていたのに分かろうとせず、自分の考えに執着して、疑ってばかりだった。

 俺の頭では、憶えていられることは僅かだが、俺が死んで、この偽りだけの世界から希望が消えてしまう前に、アイツの言葉を残したい、そう強く思った。だから、幾つかアイツの言葉を、書き残す。

 ただ、これは言葉だということを忘れないでくれ。何故なら、本当に大事なことは、言葉では伝えられないからだ。俺が本当に残したいことは、アイツの心であり、息吹であり、理屈じゃない『信じる』という姿なのだ。

 

※アイツの言葉と俺の言葉を分けるために、アイツの言葉の始まりには◇を付けることにする。

 

◇「『いい子だって浄土に行ける、ダメな奴はいうまでもない』。 何て聞くと、だいたい皆は勘違いする、『ダメ人間だって救われるなら、いい子にしていりゃ問題ないさ』って。

 お前達、阿弥陀の願いが何にも分かってない。

いいか、自分はいいことをしているいい奴だからとか、こんなに頑張っていいことをしているから、だから必ず浄土に行ける、なんて思っている奴は、自分が嘘つきで酷い人間って認めたくないだけだ。

 そんな奴は、ダメ人間でも浄土に連れてってくれる阿弥陀に任せきれていないし、それは阿弥陀が望んでいることじゃない。

 だから、いい子にしてなきゃ助けてもらえないなんて思わず、ありのままで開き直って、『阿弥陀さんお願いします』って、頼めば必ず浄土に行ける。

 何をやっても嘘の世界から抜け出せない俺たちが、何をしても結局は永遠に愚かなことを見越して、阿弥陀を頼む以外、方法がないダメな奴こそ浄土に生まれ変わらせたいって願いが叶い、阿弥陀は仏に成った。

 だから『いい子だって浄土に行ける、ダメな奴はいうまでもない』って訳だ。

いい奴とか、ダメな奴とか、問題じゃない。 阿弥陀に任せて、開き直ることだ」。

 

 

 


5

 何時も、俺たちは自分を認められない、嘘でできた、残酷で醜い自分を。

そして、そのことから目を背けるために、どんな酷いことでも、正しいことと疑うことなく、命を傷つけていく。他の命も自分の命も隔てなく傷つけていく。

 結局俺たちは、世界には自分だけしか居ないかの様に振舞う、ろくでなしだ。

 そして阿弥陀は、すべてのろくでなしを見放さない。

 

◇「自分を最大限犠牲にして他の命を助けたいと願っても、結局、人間の限界は超えられない。中途半端な助けは自分も相手も傷つけるだけだ。

 だが、阿弥陀の力で浄土に生まれ変わり、自分が仏に成って、すべての命を助けたいと願うなら、そこに限界はないし、しょせん不可能なことだという欺瞞もない。

 そう、『南無阿弥陀仏』と称えているのは、この世界のお前じゃなくて、阿弥陀の力で仏に成った浄土のお前だ。

 『南無阿弥陀仏』だけが、永遠の拠所になる」。

 

 

 



読者登録

龍寛さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について