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1: 幽霊眼鏡

 あたしが旅支度と商売道具を詰め込んだ鞄類を道端に置いて、夕暮れの国道でヒッチハイクまがいの事をしてるのにはワケがある。
 昔から道に迷うのがとても「上手」だったからだ。上手って言い方はおかしくない。大げさに言えば、二十一歳になるまでのあたしの歴史を振り返って見ると、こんな単純な道の迷子に限らず、間違いを起こした人生の分岐点が、実にくっきりと「見事」なのだ。
 単純な「道の迷子」の方も、就職の面接会場に送れたりとかで結構、実害が大きかったし、、。
 あたしのパターンとして、同じ道・同じ箇所で、道を間違うことが二度三度とある。要するにうっかり間違いではなく、どうしようもなく思いこみが激しいのだ。

 今度のお仕事は、僻地からの申し込みだったけれど、条件がすこぶるつきで良かったから、ママが二つ返事でOK、そしてあたしの方は、契約の数日前に出発して自前で温泉旅行、、たまには息抜きも必要よってノリだった。
 あたしが選んだ温泉は、目的地の神室村に通じる鯖街道の途中にあるから、バスの運行を上手く使えば、効率よく遊んでいける。・・の筈だった。
 別にお金に不自由してるわけじゃないから、温泉旅館でタクシーを呼べばよかったし、バスの実態を知っている地元のヒトの言葉より、バスの運行表を信じなければならない理由も、何処にもなかった筈だ。
 だのに、あたしは自分が立てた時刻表通りのプランに拘り過ぎた為に、一日二本のバスに乗りはぐれ、携帯の圏外のマークを恨めしげに眺めながら、自分を拾ってくれる車をこうして探している。
 ・・でもどうして、あたしの側を通過する車は止まってくれないんだろう。

自分で言うのもなんだけどあたしはかなり可愛い。
 秋のペネロペを真似たお水ぽいスタイルで決めてたから、スケベな伯父さんが運転手ならば一発で止められると思っていたんだけど、、、でも、どうやらそれが裏目に出てるらしい。
 確かにこんな霧の出始めた谷間の道であたしのようなのが立ってたら、何か裏があるんじゃないかと思われても仕方がないのかも知れない。
 道に迷ってしまった旅行好きの大人しい女子大生の雰囲気なんか間違ってもあたしからは漂い出しはしない。今のあたしは、わけあってベンツから逃げ出して来たやくざの情婦がせいぜいというところだろう、、。

 そんなあたしを救ってくれたのは、一台の大型トラックだった。最近あまり見かけないボディに派手なデコレーションがあるヤツで、そこに描かれている図柄は、赤いベレーにアイマスクと黄色いマフラーの少年がチョコレートで作ったような拳銃を見せびらかしてるものだった。
 あたしが、目的地の逆方向に向かって通り過ぎて行くこのトラックに注意を払ったのは、その派手なペイントのせいに過ぎない。
 だから、暫くしてこのトラックが急停止し、Uターンしてきた時には、本当に吃驚した。


 お仕事に使う七つ道具と、「羽蘭スペシャル」に使うコスとかが、ぎっしり詰まったキャスター付きの一番大きなスーツケースは、トラックの貨物室の扉を開けて、そこに入れてもらった。
 扉が開けられた瞬間、中から冷気が流れ出て来たような気がして一瞬、吃驚した。
貨物室の中は真っ暗でよく見えない。
 スーツケースとお別れする。
 中にはプレイで使う七つ道具以外にも、最近手に入れたラバー製のキャットスーツや、金髪のポニーテールが頭頂部に取り付けてあるラバーフードマスクも入っている。
 みんなお気に入りだ。それなりのメイクとコスを身につけなければ、なんのかんの言ったって、あたしたちは只の気の強い女の子でしかないのだ。

 だからコスにはそれなりに思い入れがある。もしもの事があったらっと思ったけれど、こんなでっかいケースがトラックの助手席に入るとは思えなかった。
 貴重品と着替えの類が入ったセカンドとバッグをもって、助手席に乗ろうとして吃驚した。高いところにある助手席へ移動するのは、まるでアスレチックの遊具に登る感じだったからだ。
 高けーっ、助手席に座ると普段と視点が全然違う。地を這うゴキブリみたいな形のスポーツカーの助手席には、何度か乗った事もあるし、そのサイドブレーキやシフトノブの味も知ってるけど、この高さは、なんか凄く気持ちがいい。

 走り出したトラックの中で、初めてのトラック体験で高まったテンションが下がらない内にと、あたしはこの親切な伯父さんに喋りかけた。
「ねえ伯父さん。このトラックのペインティングの名前なんて言うの。」
「まぼろし探偵。いいだろ。」
 皮ジャンを羽織った骨張った肩の上にある角刈りの頭は小さく、厳つい顔に不釣り合いな優しい目を細めている。今は皺が深いので判らないのだが若い頃はいわゆる美男子だったのかも知れない。
「どうしてのっけてくれたの、、方向が逆みたいだし。」
 男に下心があるなら、どの程度のものか掴んでおきたかった。それは職業柄の習性とも言えたし、いざという時、相手に逆上されない為の必要な予防措置とも言えた。
 旅先だとか、ふとした弾みで始まる「男女」の出会いには充分注意をする必要がある。本物の女の子であればレイプという可能性があるし、、あたしらのようなタイプは、正体を知ってキれた男に手ひどい暴力を受ける場合だってあるのだ。
「暇だからな、今の所、次の仕事は入っていない。」
「ふーん、今は不景気なのに随分実入りのイイ仕事なんだね。」
 時々あたしが「出張」に出かけさせて貰っている運送会社の社長さんのリクエストが面白い。
 プレイの最初は、その会社の女子事務員の格好をさせられるのだ。その時、言わされる台詞がリアルというかなんというか、、、とにかく世の中不景気で、無理矢理仕事をとってきて馬車馬のように働けるウチがまだ「花」、従業員の労務規定を不自然に守りだしらもうお終いなのだというお家事情が、よく判るやりとりなのだ。

 哀愁ロールSMプレイ、、。
 あたしの職業は風俗の中でもマイナーな方だから、顧客のパイは少ないけど流動性はない。もっと明け透けに言っちゃうと「変態」は死んでも治らない。我慢も出来ない。でもそんな世界にも不景気の波はおしよせる。

「個人で運送してたらトラックの維持費だけでも大変でしょう。」
「おいおい。これは随分と苦労人のお嬢さんをのっけちまったなぁ。」
 伯父さんはごま塩の入った角刈りの頭を掻きながら言った。仕草に愛嬌がある、それだけ見てると悪い人ではないようだ。
「儂が運ぶ荷は、みなワケ有りでね。数は少ないが見返りが大きい。それに儂の仕事は景気には関係がないんだよ。」
 今度は瞬間的に、お客さんのやくざ幹部のにやついた顔を思い出した。この伯父さん、密輸品の類を専門にしてる?だったらもうこの話題は終わりにしよう。やぶ蛇だ。
「ある人間には意味があるけれど他の者にすれば全然意味のないものってあるだろう、、例えば、それはどんなものか考えてみてよ。」
 叔父さんはクイズ番組のアナウンスのイントネをまねて言う。
「甲子園の土とか、、。」
 我ながら平凡な答えだと思ったが、積み荷の話題からずれていく為には絶好じゃないかと思った。トラックの運転手なら高校野球の放送なんかはいやという程、ラジオで聞いている筈だった。来年の優勝校候補はなんて話になれば、、、。
「いかにも健康的だな。残念ながら儂の運んでいるものは、その正反対の代物だよ。まあメインは呪物かな。」
「ジュブツ?」
「ほら良くTVなんかであるだろう、髪の毛の伸び続けるフランス人形だとか、、あれの本物。結界込みで運ぶ場合が多いんだがね。大体、ああいうものは、それがある磁場自体に問題があるわけだから、いくら結界込みでも呪物だけを移動させたって意味がないんだが、、、世の中にはいろいろなケースがあってね。例え一時だけでもとか、、移動させたという見せかけとか、色んなニーズがあるわけだ。所がこれも又、誰でも請け負えるってわけじゃないんだな。それで儂のような専門家が出てくる。」
「専門家、、、。」
「さっきの嬢ちゃんをのっけた理由なんだが、説明不足だったかな。勿論、暇は暇なんだ。嘘じゃない。言いにくかった、肝心の所がね。、、感じたんだよ。嬢ちゃんに良くない事が起こるってな、」
「、、、、、。」
「またまた。伯父さんたら冗談がうまいんだから。」
 あたしは伯父さんの肩をしなだれた感じで軽く叩く。
 伯父さんはまんざらでもなさそうに嬉しそうに笑う。
「嬢ちゃんは霊感が鈍そうだから心配でさ。霊感の強い人間ならその席に座っているだけで、後ろの荷室に残った霊気を感じてぶるってしまうんだが。」
 まだ引っ張るか、、しつこいんじゃないのこの親父。あたしは少し腹が立ってきた。それに「鈍い」ってなんなのよ。
「あたしに何が見えたの。」
「難しいな。儂は霊的なものに耐性があるちゅうかタフっていうだけで、未来結果を予見するような霊能力者や超能力者じゃないからな、、ただ漠然と感じるだけなんだ。、、嬢ちゃん自体に問題はないよ。これから行くところで嬢ちゃんを待ってるものに問題があるんだろうな。」
 神室村に行きたいという旨は既に伝えてある。あたしを脅すだけ脅して峠にポツンとあるようなホテルに誘い込むつもりなんだろうか。
「だとしてあたしどうすればいいの、、これから行く所はお仕事なの。行かないってワケには、、。」
「つきあってやるよ。見届けてやる。何かの役に立つかもしれんしな。」
 こんな場面では、有り難うと言うべきなのかも知れないけれど、どう言ったらいいのかわからなかった。
 だってこれはTVや週刊誌の占いの世界なんだから、、。今日のあなたの運勢は最悪です。だから私が守って上げましょうと言われてるのと同じだ。しかも見返りもなしに、唐突に。
 それに人の運命、いくら明日を覗き見る事が出来ようが、悪いときは悪いものなのだ。それは避けられない。
 結構、あたしの世界の子達は、占いが好きだけど、あたしは占いぐらい人を馬鹿にしたものはないと思っている。
「気を使わないでくれよ。これは趣味と実益を兼ねているんだ。まあ言ってみれば顧客の開拓と宣伝活動だな。儂だって最初からこんな積み荷専門でやってきたわけじゃない。最初の積み荷は全くの偶然だったんだ。そのウチ、噂話が儂に仕事を運んでくれるようになった。そんな厄介なものならザンバジンに任せろってな。」
「ザンバジン?」
「儂の名前だよ。漢字で書くと馬を斬るで斬馬。ジンは仁徳天皇の仁だ。」
 天皇の名前の方の漢字は頭に思い浮かんでこなかったけど、ザンバなんて結構インパクトのある名前だと思った。
「あたしは羽蘭。」
 漢字でどう書くかは省略した。気には入ってるが源氏名にこだわって見ても仕方がない。聞く方がそう思いたければウランでもURANでもかまわない。
「ウランって鉄腕アトムのかい。」
「ええ。」
「いいねぇー。儂、嬢ちゃんの名、気に入ったよ。ウラン&ザンバジン。面白いねー。」
 あたしはこの時この伯父さんそーとー変わっていると思った。普通なら「それって本名」とか聞く筈なんだけど、、、。
「ねっ伯父さん、さっきあたしの事、待ってる悪いものって言ったよね、それってどんなの。」
「黒くて大きな屋敷がある。そこによからぬモノが巣くっていてそれが嬢ちゃんの来るのを待ってる、、そんなイメージだな。」
 今度のお客さんは神室村随一の旧家の若主だそうだ。それに相当の資産家だとか。ジン伯父さんの描いたイメージにはピッタリだけど、それじゃまるで横溝正史の世界だ。
 それに第一、この辺に詳しい人間ならあたしの行き先を聞いたら、こんな話ぐらいすぐにでっち上げられるのではないだろうか。
 、、でもなんの為に。あたしの身体がどうしても欲しいのなら、どこかのそれ道で山奥に入れば済むことだろうし。
「ダッシュボードの中を見てご覧。そこに年代物の眼鏡がケースに入ってるだろ。両方とも鼈甲仕立てだから直ぐにわかる。」
 あたしは言われるままにそれを車検証やらなんやらの中から取り出して手に取った。

ケースを開いて眼鏡を取り出す、ロイド眼鏡というものだろう。
 レンズ自体は内側へも外側へも湾曲していないので伊達眼鏡のようだった。
 京都の東寺さんの骨董市にだしたらそこそこで売れるかも知れない。あたしの好みだ。いいファッションアイテムにもなる。あたしは眼鏡の蔓を開いてそれをかけて見ようと思った。
「駄目だ!今かけるのは。」
 あたしは助手席で飛び上がるほど吃驚した。ジン伯父さんの声はやさしくしわがれているのに、この時は凄く迫力があったからだ。
「それは幽霊眼鏡だ。普通の人間には見えないものが見える。あるものを運んだ時に代金代わりに貰った。強烈だよ。儂、それをかけて震えあがっちまった。儂には見えすぎるんだろうな。、、だが霊能の弱い人間がかけると丁度ぐらいのようだ。一度、荷を運び終え支払いの段になって、代金について横やりを入れてきた相手がいたんだが、あんまりむかつくんで、そいつにそれをかけさせてやった。そいつは暫く、運んだモノや空っぽになった儂のトラックを見ていたが、急に震えだして以後だんまりとおした。それからだな、、時々、、そういう説得が必要な時に使うようにしてる、、。」
 少しあたしの顔が赤らむ。この伯父さんはあたしが頭から彼の話を信用していない事を判っているのだ。
 判っていながら、怒りもせず軽い調子であたしに話を合わせてくれていたわけだ。この伯父さんの話が全て本当ならあたしは今、相当失礼な事をしていることになる。
「もう少し行ったら山ん中にドライブインみたいな食堂があるんだ。晩飯、まだだろう。そこで飯をくいながら、その眼鏡試してみるといい。あそこなら、かけた途端に腰を抜かすって事もないだろうしな。」


 ドライブをしてると、観光地でもない山の中にぽつんとラブホや食堂が現れる時があって、あたしはそれが不思議で仕方がなかった。一体だれがどんなタイミングでそれらを利用するのかが判らなかったからだ。
 ラブホの方はあたしがこの商売をするようになってから、その存在理由を体験的に理解したけどレストランや食堂は未だに理解できないでいた。
 ジン伯父さんのトラックは、既にどっぷりと暮れてしまった峠道の抉れ込みに這い蹲るようにしてある一軒の平屋建ての食堂に突っ込んでいった。
 窓から煌々ともれる光や、店先で揺れている赤い提灯がかえって嘘臭い。広いのかも狭いのかも判らぬような手入れのない駐車場には先客のトラックが見事なくらい数台きちんと隙間なく並んでいた。
 ジン伯父さんも何気なく空いたスペースに自分のトラックをすぱっと納めてしまう。
「眼鏡を忘れないように。」
 トラックを降りる直前、あたしにそう念押しをしたジン伯父さんは、何故だか楽しそうだった。
 トラックから降りてみて判ったのだが、ジン叔父さんは結構背が高かった。小顔だから背が低いように思っていたのだ。二人で並んだ時少しだけドキッっとした、、。
「すこし残ってるな、、さあ肩慣らしだ。ここから眼鏡をかけてごらん。」
 トラックから食堂の入り口まで10メートルもなかったけれど、どうやらジン伯父さんの「肝試し」はここから始まるらしい。
 あたしはジン伯父さんの言葉通り、眼鏡をかけてみた。
 何も変わらなかった。駐車場の地面に食道の窓の明かりが落ちている。どこかで虫の声が聞こえた。夕食時の秋の夜。ただしあたしは、見知らぬ伯父さんと山の中のドライブインの前にいる。
 と突然、あたしと食堂との間の空間を、何か半透明のものが走り抜けた。思わずあたしは隣のジン伯父さんの手を握る。走り抜ける?半透明なのにどうして走っているって判るのよ、、。
 息を凝らして見ていると、再びそいつが私の目のまえを駆け抜けていく。ビデオの繰り返し再生みたいだ。それにそいつは半透明というよりも空気がゆがんで見えるモノと言った方が近いかも知れない。
 今度は、形が確定できないのにそれが人間である事が、何故か判った。この眼鏡で「音」が聞こえない事に感謝した。その半透明が酷く苦しげに何かを叫びながら走っているのが感じられたからだ。そんな声が聞こえたら、たまらない。
「さあいこう。」
「でも、、。目の前にいるよ、あんなのとぶつかったら大変だよ。」
「心配することはない。儂ら人間は、普通に生きてるだけでも、ああいう存在には何度もぶつかっているんだよ。みんな気が付かないだけの話だ。害はない。残留思念の慣性法則みたいなものだ。アレ自体にはなんの意志もない。むしろここの問題は、力場の座標軸がずれてる所だろうな。」
 ジン伯父さんが歩き出したのであたしも進まざるを得なかった。こんな場面でジン伯父さんの手を離すつもりはない。
「座標軸ってなんなの。」
 あたしは身体をジン伯父さんに擦り寄せる。そうすれば守って貰える、「女の子」の特権だ。
「さっき、嬢ちゃんが見たのはトラックへ飛び込み自殺した奴の姿だ。衝動的にやったらしい。飛び込まれた方は良い迷惑だ。生活が駄目になって最後には首吊りに追いやられた。いや、こういうのは自殺とはいえんな、他殺だよ。怨んで化けてでたいのは運転手の方だろう。ところが相手は死んでる。因果な話だ。そっちの方でトラック仲間には有名な話なんだ。だが現場はここから少し離れている。化けて出る場所が違う。それが問題なんだよ。奴は、この食堂に吸い寄せられているんだ。」
 物事を悪い方に考えると物事はその方向で進むみたいだ。飛び込み幽霊が、ループ映像みたいに、闇の淀んだ林から再びわき出して駐車場を横切ってくる。このままでは、あたし達と完全にクロスする。
 あたしは、、その瞬間、ジン伯父さんの手をぎゅっと握りしめ目を瞑った。

 何ともなかった。呆気ない程だ。確かにこれで「見えない」のなら何の問題もない。あたしたちはこんな風に、毎日どこかで幽霊たちとぶつかっているのかも知れない。

 店内に入った。しかしジン伯父さんが言ったような亡霊を吸い寄せるような魔物はどこにもいなかった。
 新聞を眺めながら丼物をかき込んでいる人や、まだ運転があるだろうにビールを上手そうに飲んでいる人。まったく普通だ。
「どうするかな。ここは何故か、鴨なんばんが旨いんだよな。」
 ジン伯父さんの手が、あたしの手の中からさりげなく抜ける。嫌という感情も、無関心という感情も残さず手のひらの暖かさを残したまま、、。この人、ひょっとして昔はオンナでかなり遊んだ人かもと、一瞬思う。
「だったら、あたしもそれでいい。」
 トラックを降りる前は凄くお腹が減っていたけど、あんなものを見てしまった後じゃ、あまりたくさん食べる気はしない。
 伯父さんは慣れた様子でカウンターの奥の調理場に向かってなにやら言うと、すたすたと、、親子づれの座っている席に歩いていく。
 いかにもトラックの運ちゃんって感じの客が多い中で、その母一人・子一人のペアは珍しくて最初から気になっていた。
 若い母親は化粧い感じの人で、カレーライスを半分以上残したまま煙草をくゆらしている。坊やのほうはハンバーグ定食を一心不乱に食べ続けている。
「あ”っ。」あたしは声にならない声を上げた。なぜってジン伯父さんがその坊やの上に重なるように、どしんと座ってしまったからだ。
 母親の方がもの凄い目で伯父さんを睨む。
 何か文句を言っているのだが例によって音は聞こえない。代わりに母親の口からメラメラと炎が吹き出すのが見えた。
 伯父さんが危ない、、、あたしが母親を突き飛ばそうと駆け出した途端に、二人の身体は一瞬にして消えてしまった。 
 あたしは変な感じで、あの母親が座っていた席にストンと腰を下ろしてしまう結果になった。
「もう眼鏡を外していいよ。儂を助けてくれようとしたみたいだな。礼を言うよ。嬢ちゃんは勇気がある。並の女の子なら泣き出しているだろうに。」
 あたしは並の女の子ではないから泣き出したりはしないが、眼鏡を外しそれをケースに戻す手は微かに震えていた。
 そうこうしている内に店の人が、鴨なんばんを盆に乗せて持ってきてくれる。暫くあたし達は何も言わずにそれを食べた。
 鴨なんばんは伯父さんが言うように美味しかった。蕎麦は普通だったけれど鴨とネギが新鮮で、出汁が思い切り上出来だった。あんな事があっても食べられる事自体が不思議だったけれど、、。
 私は器のなかに数筋だけ沈んでいる蕎麦を見つめながら伯父さんに尋ねてみた。
「さっきいた人たちは、駐車場のと違ってはっきり姿がみえたんだよ。それに伯父さんがした事に怒ってたみたい。」
 先に食べ終えたので楊枝を口にくわえて遊んでいた伯父さんは、それを灰皿に捨てるとおもむろに言った。
「儂はあれをいっぺんしか使った事がない。理由はさっき言ったね。見えすぎるからだ。さっきだって儂には嬢ちゃんが言った親子連れのことは見えていた。ああいうのがあれ以上はっきり見え始めると困った事になるんだ。今まで見た連中は、存在の在りようとして儂らに干渉する事が出来ない。いくらリアルに撮られた映画でもスクリーンの向こうから手を伸ばしてこちらに触れてくるなんて事がないのと同じだ。だがそれを見ている人間が気持ちを取り込まれると、奴らは影響力を持ち始める。さっき儂に奴らが怒ってたと言ったね。」
「うん。子どもを伯父さんに下敷きにされて母親の口から火がでた。」
「、、、それは嬢ちゃんの心の動きだよ。」
「えっ、、。」
「奴らはそんな事が出来る存在じゃない、、だが、、結果は奴らがそうした事になるんだがな、、。これが世の中で起こっている怪異現象の三割がたの説明になる。」
 そう言って伯父さんは、手のひらを上にむけてテーブルの上に突き出してくる。
「蕎麦代ならあたしが二人分払うよ。トラックにのっけてもらってるし、、」
 伯父さんは、にこにこ笑って返事をしない。
 あたしはポーチの中にしまったあの幽霊眼鏡を思い出して、それを伯父さんの手のひらの上に戻した。
「必要がある時には、又、貸してあげるよ。」
 あたしたちはそんなふうにして店を出た。ふと見上げた夜空は先程まで天空を覆っていた雲がきれて煌々と光る満月が出ていた。
「ねぇ、あんな親子を吸い込む何が、この食堂にあるの。」
「一杯のかけそば的心かな、、いや、つまらん冗談だよ。そいつは知らない方がいい、でも一つはっきりしてるのは、この食堂が解体される事があるとするなら、その廃材はこの儂があのトラックで運ぶ事になるだろうな。」
 ジン伯父さんのまぼろし号は月光の下でくっきりとその姿を浮かび上がらせていた。

 


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最終更新日 : 2010-08-09 12:28:35

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