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終章

「黄緑の城からここへ逃げてくる途中、予言者様とハイディーン兵を見つけたんだ。予言者様は、ハイディーン兵が持っていたディクレス様の剣を、取り返そうとしていて……」
 キゲイは神妙な顔つきで、頭を下げる。
「先王の剣は、アークラントの人々にとっての誇りだ。彼は剣を取り戻し、自分の夢見を自分で完結させた。それを助けたのはキゲイだよ。君がいなきゃ、アニュディはどちらを助けたらいいか分からなかったろう。ハイディーン人とそれ以外の人間の区別は、石人にはつかないから。黄緑の兵士が巻き添えを食って怪我したのは、気の毒だったけど」
 ブレイヤールは答える。キゲイはうつむいたまま、その気遣いをすこし後ろめたい気持ちで聞いた。実際に助けたのはシェドだが、彼は途中でキゲイ達と別れた。彼には彼なりの事情があって、キゲイ達と一緒に白城へ顔を出すわけにはいかなかったらしい。そこでアニュディは大げさなため息をつき、自分が姿を変えて黄緑の兵を蹴散らし、ハイディーン兵を追い払ったことにしくれたのだ。
 当のアニュディは疲れの溜まった顔でキゲイの隣に座り、ビスケットをかじりながら暖かいお茶をふうふう飲んでいる。ビスケットはグルザリオが奮発してくれたものだ。物の少ない白城で、蜂蜜入りの甘いお菓子はかなり貴重品らしい。キゲイ達がいるのは白城の食堂で、ブレイヤールもキゲイ達の向かいの席について、白湯の器を両手に包んでいた。
 キゲイは懐から、金の留め金と、その端にかろうじて残っている短い黄緑色の髪をブレイヤールに差し出す。
「それで、その、ごめんなさい。魔物をやっつけたり、変な幽霊を追い払ったりしてたら、こんなになっちゃって……」
「いいんだよ」
 ブレイヤールは微笑んだ。
「お守りは持ち主を守るためにあるんだから」
 微笑みながらもしかし、どこか虚ろな表情だ。キゲイは内心うろたえる。幸いすぐに、ブレイヤールの視線はウージュに移った。
 ウージュは暖炉のそばに座り、燃える火に黄緑色の宝石を透かし見ていた。小さな虫を封じた琥珀のおはじきだ。
「ねえ、それは君の大事なもの?」
 ブレイヤールの質問にウージュは振り返り、腕を伸ばして石を見せる。彼は黙ったまま、おはじきとウージュを交互に見つめる。アニュディが咳ばらいをした。
「話を戻して恐縮ですが、よろしいかしら、白王様」
「どうぞ」
「私を黄緑の城からさらったのは、本当にレイゼルトという名だとおっしゃるのですか」
 彼女は閉じた瞼を震わせる。ブレイヤールは、そうですと答えた。
「レイゼルトとは古都で別れたとおっしゃいましたが、その後の彼の足取りは誰も掴んでいません。石人達は、あなたの話を聞きたがるでしょう」
「失礼ですけど、私はたいした話はできません。言われるまま、あちこち引っ張り回されただけですもの。確かにあの子の周りでは色々と奇妙なことが起こりました。でも私、何が起こったかなんて見てません。それに――」
 だんだんと腹が立ってきたのか、語気が荒くなり、アニュディは腕を組んで背筋をぴんと伸ばした。
「それを見越して私を選んだのはあいつですからね。本当に周到ですよ」
 そこで彼女はまた肩を落とす。唇をとがらせて、彼女はしばらく口ごもった。白王が優れた魔法の才を持つことは聞いて知っていたが、まさか一目見ただけで見破られるとは思ってもいなかった。彼女は思い切って瞼を開ける。ブレイヤールは少し身を乗り出して、その瞳を覗き込む。瑠璃色の瞳は焦点を結ばず、小刻みに震えていた。
「その右目は、なかなか難しいですね」
「そう……なるのでしょうね。見えているらしいものも、どう解釈していいかさっぱり分かりません。眩しいところと暗いところが何となく」
「一番眩しいところが私の髪の毛に当たる部分かと。白色だから」
「まさか、本当に約束を守ってくれるなんて、思いもしませんでした。私、半分は本気だったけど、半分は無理難題のつもりだったから……」
「魔法がらみの取引は、もっと慎重にするものですよ。それにしても、難しいですね。ものを知覚するという感覚は、どう修練すれば……」
 アニュディはため息をついて、まぶたを閉じる。
「私、あんまり悲観はしていません……と、敢えて言わせていただきますわ。生まれて初めて、もう一つの姿に変身したとき、背中の翼をどう動かせばいいのか、全然分かりませんでした。でも何度か練習するうちに、動かすどころか飛べるようになりました。だからこの感覚もいつかは、自分のものにできるんじゃないかなって、思うんです」
「そうか。そうなのかもしれません。僕も難しかったです。足が六本もあるし、羽もあるし。体が大きすぎるから、下手に動けば、周りに大迷惑がかかるし。目もいっぱいあって何をどう見ていいものやら、頭が爆発しそうになったし。……見た目が気持ち悪いとも散々言われたし。変身するのは一切やめようと思ったときもありますよ」
 ブレイヤールはキゲイに視線を移す。二人の会話をぽかんと聞いていたキゲイは、口を閉じた。
「僕も変身できたらいいのにってうらやましかったけど。なんだか恐ろしく大変みたいだ」
「そう。とんでもなく大変なんだよ」
 ブレイヤールは白湯で喉を湿らす。彼はアニュディをどうするか困っていた。本来ならばレイゼルトに関係した者として、神殿へ引き渡さなければならない。しかしそれはアニュディを不利な立場に追い込んでしまうだろう。ブレイヤール自身、禁呪が封じられた銀の鏡に触れてしまったことを、隠している。アニュディだけを神殿につきだすのは筋が通らない。
「白王様、私は城の力に押し出されたんです」
 アニュディはぽつんと呟いた。
「あの晩、黄緑の城は、レイゼルトを打ち倒そうと、自ら力を動かしていたように思うのです。城の力が怖いと言ったら、お叱りになるかもしれません。けど、私はものすごく怖かったんです。それからこの前の晩のことも。あまりに底が知れない大きな力でした」
 空っぽになったお茶の器を手の中で転がし、アニュディは続ける。
「私、当分城では暮らしたくありません。レイゼルトと関わってしまった以上、城の力は私を嫌うかもしれませんもの。それに城から離れて、城の力やそれにまつわる言い伝えを、自分なりに考え直してみたいんです」
「城の力は、我々王族にとっても底が知れません。その力のためにあなたが怖い目にあったのなら、私も城に戻れとは言いづらい」
 ブレイヤールは難しい顔で腕を組む。彼は黄緑の城で気を失ったときのことを思い出した。あのとき自分の意識を奪ったのは、アニュディを恐れさせ、トエトリアの存在を隠した力と、同じものだったのかもしれない。しかし彼自身は城の力を恐れていいような立場になかった。どんなに怖くても、これからはあの力に何度も触れなくてはならない。
「キゲイとあなたは、それぞれの理由があってレイゼルトに選ばれた。僕は少なくともキゲイの件については、彼の人選を支持しています。彼は性格に問題ありですが、目利きは完璧だ。恐らくあなたが選ばれたのも、どこかの部分で正しかったと思うのです。もしかしたら、これからも正しいのかもしれません」
 二人を目の前に、ブレイヤールはテーブルの下でそっと右手を握りしめる。禁呪を触れた手だ。
「私の師が言っていました。王は光を掲げ、魔法使いは闇を見ると。光を掲げる者に、闇を見渡すことはできません。石人と人間との争いと同時に、別の何かがこの石人世界の闇の奥で起こりました。私はその闇を右手で一度掴み、それから身を引いて、明かりを灯す道を選びました。私はもう二度と、闇を見ることはできません。アニュディ、もう一度尋ねます」
 ブレイヤールは顔を上げ、念を押すようにゆっくりと問いかける。
「あなたは黄緑の城で前の生活に戻ってもよいのに、今はそれを拒むのですね」
 アニュディははっきりと頷いた。
「そうです。私、決めたんですから。彼から贈られた代償を抱えたまま、これまであったことをすっぱり忘れるなんてできません。レイゼルトを名乗る者を、紫城や黄城に運んでしまった責も感じています。そこで彼が何をしたか、私は一切知らないし知りたくもないけど、償いはしなきゃいけないと思うんです」
 アニュディはまぶたを閉じ、ウージュを呼ぶ。ウージュは黙って立ち上がり、アニュディの肩にそっと触れた。彼女は相変わらず手の中で小石をもてあそんでいる。それは宝物として大切にしているというより、手のひらでその存在を確かめ、知ろうとしている感じだ。
「できればこの子と一緒に、タバッサ辺りに住む場所を探していただけないでしょうか。あそこなら白城と近いですし、黄緑の城の家族にもすぐ会いに行けます。作る物を人間向きにすれば、調香の仕事も続けられます。何よりウージュの病気を治すには、魔力の薄い土地で暮らし、人としての姿を定着させるのが一番ですわ」
「分かりました。信用できる人をつけて、家を探させます。とにかく僕の目の届くところにいてくださるんなら、こちらとしても安心です」
 快い返事に、アニュディは内心でもほっと胸をなでおろした。これでウージュを石人世界から離せる。
 彼女はすべてをブレイヤールに話してはいなかった。守りの剣を持って姿を消した王衛のことだ。彼はレイゼルトの手紙を持って、大空白平原の町へ一足先に発っている。何か分かれば、彼はすぐウージュの所へ戻ってくるだろう。そのときのためにも、ウージュは平原にいた方がよい。守りの剣を持ち去ったとして神殿騎士に追われる彼には、石人世界へ戻るのは危険すぎた。
 ウージュを守ることと、レイゼルトから渡された手紙の謎を解くことは、トエトリア王女をいつか取り戻すことにつながるかもしれない。あの王衛は剣の意志とやらのひとつで、ウージュを守ることに徹した。大巫女様の力が宿っているとはいえ、金属の塊に従うなど、どうかしている。しかし彼が持つ黄緑の王族への忠誠心は、信じてもいいだろう。
「白王様、あなたが光を掲げながら、なおも闇が気になるとおっしゃるのでしたら、私が闇を見てまいります」
 アニュディはブレイヤールに微笑んだ。ブレイヤールはふっと悲しそうな顔つきになる。返答はその口元にのぼらない。アニュディも、白王の答えを求めることはしなかった。二人とも、それぞれがそれぞれの立場から、レイゼルトやウージュを捕える石人世界の秘密の傍にいることを感じていた。
――秘密が暴かれたら、城は終わるんじゃないだろうか。王族として、それに関わるのは許されないんじゃないだろうか。
 琥珀のおはじきがテーブルを横切って、彼の手元に滑り込んできた。ブレイヤールはおはじきをつまみあげ、黄緑の琥珀に封じられた小さな虫を見つめる。その向こうで、ウージュが大きな空色の瞳をこちらに向けていた。

 翌日、ブレイヤールは黄緑の城へと発った。新しい黄緑王の即位式が終わり、改めて招かれたのだ。新しい王の誕生とはいえ、城は喜びに湧きたってはいない。トエトリア王女の消息はいまだ分からず、長きにわたって神殿を治めていた大巫女の代替わりとで、城民は心から祝う気持ちになれないでいる。王城で開かれた晩餐の席は、暖かな喜びと穏やかな悲しみ、そして不安の苦みが混ざり合っていた。
 黄緑の王となったルイクームが王座からトエトリアを探索し、城内に見出すことができなかったことで、城民達のブレイヤールへの疑いは晴れていた。ルイクームは自ら広間の隅っこでぼんやりしていたブレイヤールのもとへ足を運び、改めてそれを告げる。ブレイヤールは彼女が立ち去るのを見届けると、再び席に腰を下ろした。彼は再び視線を床に落とす。白城と同じくらいに馴染み深かったこの城も、ずいぶん居心地が悪くなってしまった。
 黄緑王の即位で、トエトリアは貴族の地位となっていた。新たな住居となる館も決められ、そこには責任を取って辞職した王室長官や騎士長、左大臣達がトエトリアの召使いとして、彼女の帰りを待っているらしい。守りの剣を持って姿を消した王衛は、神殿騎士に追われる身となっていた。しかし、守りの剣がトエトリアを見つけ出してくれるかもしれないという淡い期待が、王女の安否を気遣う人々の中にあるのも事実だ。
 耳に、輝く水面を思わせる、静かな竪琴の音色が戻ってきた。バルコニーで神官達が奏でている。石人音楽の根幹をなすその旋律は、城の中を立ち昇る水を表現しているという。時々聞こえるポワンポワンという優しい太鼓の音は、城内の泉に沸き立つ水の波紋だ。
「ブレイヤール様。紫城の話は、すでにお聞きですか」
 灰城の大使がブレイヤールの姿を見つけて会釈する。ブレイヤールは慌てて立ち上がった。
「今晩、簡単にですが、話を聞いたところです。知らせを受けて古都の館から紫の末裔が、調べに出たとか」
「これまでにない大規模な崩壊があったそうですね。いずれ十一国の城民らに周知するにしても、あまりにショックな出来事でしょう。不滅と思われていた城の中枢が沈んだのですから」
「そのようなお話……」
 神経質になっているブレイヤールは、周りを見回した。他の石人達は近くにいない。
「今夜は誰も聞きたくないでしょう。私も、城を蘇えらせたばかりです」
「灰王は、白の王族の代表として、あなた様もご覧になるべきとお考えです」
 大使は微笑む。相手の物言いに違和感を覚え、ブレイヤールは少し考えた。
「あの、もしかして他の十国の王達は見に行くことになってるんですか。僕、仲間外れにされてます?」
「やはりお聞きになっておられませんでしたか。あなた様には、今の白城を空けるべきではないという考えもあるのです。承知いたしました。後日、白城に正式に使いを送らせていただきます」
 大使は再び会釈をして、黄緑の王のもとへ去る。
 ブレイヤールは一人眉をひそめた。紫城はかつてレイゼルトに滅ぼされたが、その城がもう一度滅びたとはどういうことか。紫城の崩壊とともに失われるものは何なのだろうか。逆にそこから得られるものもあるのだろうか。不意に胸が熱くなり、ブレイヤールはぷいと踵を返してひとけのない廊下へ出た。
 複雑に入り組んだ廊下でも迷うことはない。魔法の勉強のため、先代の黄緑王に招かれて、小さい頃からずっと黄緑の城で暮らしていたのだ。要所要所に立つ明かりを持った城の案内役も、ブレイヤールをわざわざ呼び止めたりしない。
 広間を離れるにつれて、城の静寂は濃くなる。自分の足音だけが響く暗い回廊が続き、星明りの注ぐ渡り廊下へ出る。彼は一人にはなれなかった。囁くような竪琴の音が、柱の向こうから漏れ聞こえてくる。
 回廊の床に長い影が伸びている。夜風に身を任せながら水の旋律を奏でるのは、一人の老神官だ。悲しげな旋律に心を打たれ、彼は静かに神官の下へ近づいた。老神官は白王に向いて、軽く会釈をする。
「新しい大巫女様と、黄緑王の誕生、なにより白城の復活は喜ばしいことです。しかしトエトリア様はいまだ見つからず、人間との戦闘で命を落とした者も少なからずおります」
 老神官は再び弔いの旋律へ戻る。ブレイヤールはその隣に立ち、音色に耳を傾けた。広間で聞いた旋律より、さらに単調な調べだ。目を閉じると、自身の意識が旋律とともに石壁に染み、基礎石を透過して中枢に延々とこだまするかのようなイメージがよぎる。
「この旋律は、初代大巫女様によって初めて奏でられたと伝えられます」
 竪琴をかき鳴らしながら、老神官は呟いた。ブレイヤールはまぶたを開く。
「その由来は初めて耳にします。水の旋律は、城の中枢で聞こえる音の現れだと」
「音楽にはあまりお詳しくないようだ。いずれにしても、石人の歴史は古くなってしまいました。城を建てた最初の王達の記憶ですら、城においては薄れ、いまや神殿の奥深くにしか残されておりません。最も古い旋律をお聞かせしましょう。石人達が自らの名を求め、この地を放浪していた頃、ともにあった音を」
 曲調はさらに単調なものへ変わっていく。一音の長短に過ぎない旋律は、旋律と言えるのだろうか。中枢にこだまする音色のイメージは、水が水に溶けるように消え失せた。ブレイヤールは太古の大地に思いを馳せる。ふと脳裏に訪れたのは、いつか見た夢の光景だった。予言者が見た平原はすでに人影ひとつなく、光の霧が漂っている。それは石人世界の大気だ。魔力と交われば命を持った幻影が生まれる。幻影の胎内で血液の代わりに流れるのは霧。幻影が死ねば、霧は露を結んで大地に還る。形は違えど、この地に満ちる生命の、営みの音《ね》は変わらない。
 旋律が失せても、ブレイヤールはすぐには気が付かなかった。それくらい音色は微かで、世界に溶け込んでいた。老神官は微笑む。神殿では決して許されない表情がある。
「あなたはもしかして」
 ブレイヤールは息を殺して尋ねる。
「九竜神官のお一人ではございませんか」
 老神官は弦を弾く。白王の問いかけは弾き返された。
「あなたが王となられる日を、お待ち申し上げます。あなたの城には、光を求め闇に向かって進む者達と、闇の中、光に助けられた者達が同居している。彼らを送り出すための、あるいは導くための時間は、すでに動きはじめております。時を無駄にされないよう」
 神官は背を向けて、楽の音に集中する。ブレイヤールは数歩後ずさり、静かにその場を離れた。
「神殿とは、まこと侵しがたいもの」
 大分歩いた後に、彼は暗闇の廊下で呟いた。神殿は石人達を治めるだけでなく、初代大巫女から続く気の遠くなるような時間と、その中で生まれた多くの秘密もまた、含み抱える存在なのかもしれない。書物に記されることなく忘れ去られた記憶すら、神殿を満たす空気や慣習や旋律として、人知れず遺されている。うわさされる大巫女と九竜神官の確執や城を建てた初代十二王と神殿の争いなど、その存在に飲まれてしまえば些細な記憶の一つ二つだ。白王として即位すれば、彼もまたその中に飲まれてしまうのだろう。
 ブレイヤールはきつく拳を握る。瞬間、胸を絞る畏敬と焦燥が駆け抜け、後には冷たい決意だけが残った。神殿を離れ城を建てると決めた十二王達も、似たような思いに駆られていたのかもしれない。王であると同時に魔法使いでもある者は、神殿が沈む古き時代の深みから飛翔し、今一度、この世界の姿と石人達の営みの様式を、見極め直さねばならないのかもしれない。

「白王様、お願いがあります。助けてください」
 ブレイヤールが白城の大門に帰りついてすぐ、ルガデルロとグルザリオがアークラントの王女を連れて迎えに現れた。王女は今にも泣き出しそうな顔をして、おまけに真っ青になっている。
「予言者様は確かに父の剣を取り戻して帰ってくださいました。それで皆は、私の夫として彼がふさわしいと考えているのです」
 そんな考えには死んでも従いたくない、認めない。口にした言葉以上に、王女の本音がはっきり聞こえてくるようだ。城に帰りついてほっとするつもりでいたブレイヤールは、自室で疲れを癒す前に、この厄介な問題を片づけなければならなくなってしまう。
「こんなものですよ。一国一城の主ともなると」
 グルザリオは同情しながらも、ブレイヤールを王女の方へ押し出した。
 少なくともアークラントでは、国を動かすのはあくまで男でないとだめらしい。王族が王女一人なら、その夫となる人物がそれに当たる。そうでなくとも、元来大人しい性格の上に、王の娘として従順を第一とする教育を施されてきた王女は、人を率いるには物足りないと考えられているのかもしれない。
「剣を取り戻したからって英雄に祭り上げられては、予言者殿も迷惑するだろうに」
 疲れて頭の動かないブレイヤールは、思ったことをそのまま漏らす。王女はそれに勇気づけられ、大きく何度もうなずいた。
「予言者殿は自室にこもられたきり、なんの音沙汰もないそうで。水は飲んでいるので、生きてはおるんでしょう」
 ルガデルロも困惑気味だ。石人達の指揮だけでも大変なのに人間達にまで手を焼こうとは、彼も予想していなかったようだ。アークラントの人々は、それくらいの熱狂的興奮状態にある。王女が助けを求めてわざわざ石人のところまで来たということは、彼女の言葉に耳を貸す人間がいないということだ。これはかなり可哀そうなのかもしれない。予言者の方も周りがそんな状態では、下手に姿を見せられないだろう。
「アークラントは、次に進むべき道を早く示さないといけないな……」
「えっ! それでしたら、すでに」
 ブレイヤールの呟きに、王女はすぐさま答える。驚いて彼女を見返すと、相手は下を向いておずおずと胸の前で手を合わせた。
「地読みの者達に、エイナ峡谷以外の道を探すようお願いしてきました。峡谷は、石人の皆様が封じておしまいになったのでしょう。だったら、別の道を探さねば、私達は故郷に帰れません」
「そのことを皆に知らせてあげましたか?」
「その、魔術師のザーサ翁が、見つかるまでは伏せておいたほうがよいのではと」
「私は話しほうがいいような気がします。でないとトゥリーバ殿は部屋から出てこられないし、あなたも落ち着かないでしょう」
「は、はい。申し訳ありません。もう一度ザーサと相談してみます」
 王女は胸に手を当てて律儀にお辞儀をする。そして小走りに去った。見送ったグルザリオは腕を組み、ルガデルロはじっとブレイヤールを見つめる。
「何?」
 ブレイヤールは二人の視線に怯む。グルザリオが答えた。
「もう少し、話し方を考えましょう、ってことです。萎縮させてどうするんですか。耳まで真っ赤になってたじゃないですか。可哀そうに」
「そんなに怖がらせたかな」
「人間達のことに石人が口出しするのもまずいですな。口出しするにしても、言い方を工夫したがよろしいかと」
「そんなにまずい言い方だったかな……」
 どうにもアークラントとの付き合い方は難しい。落ち着かなくなってその場から逃げようとしたブレイヤールは、別の声に呼び止められた。
「王様! お帰りなさい!」
 見上げると、門の上からキゲイが身を乗り出している。ブレイヤールは、王女が地読みの民に道を探すよう頼んだことを思い出す。彼は口うるさい家臣二人を残して、階段を駆け上がった。
「僕、明日、里の皆と平原に帰るんだ。王女様が峡谷と違う帰り道を見つけて欲しいって」
 息を切らせて階段に倒れこんだブレイヤールに、キゲイは屈みこんでそう告げる。
「聞いた。さっき聞いた……」
 ブレイヤールは立ち上がり、手すりにぐったりともたれる。息が続かないようなので、キゲイもそれ以上は何も言わず、のんびりと日向ぼっこを続けた。思えば最初に白城へ来てから、二か月近くになる。目の前の荒野は、今では一面の草原に変わっていた。
「君は、ずいぶん色んな人を案内してくれたんじゃないかな」
 ようやく口をきけるようになったブレイヤールの最初の言葉は、唐突だった。それはキゲイにもちゃんと通じて、彼は不満げに口をとがらす。
「東の長にお使いを頼まれて、歩いていただけだったんです。最初は。そうしたら、いろんな人や物が勝手に近づいてきただけなんだ。時々、変なものにも追いかけられたし」
「それでもまたここに戻ってこれたってことは、石人世界と相性いいのかもね」
「……似たようなことを、前にも誰かに言われた気がする。それより、こっちの幽霊が触った腕。魔法の火傷をしてから、普通の人には見えないものが見えるようになったんですけど。邪妖精だっけ。兄ちゃんや姉ちゃんは何にも見えないって、変人扱いされた……」
「変人というより、普通になったというべきだ。今まで見えてなかったものが、見えるようになったんだ。それだけさ」
「……石人に相談した僕がバカでした。後で長に話して、人間の魔法使いに見てもらいます……」
 うなだれるキゲイの隣で、ブレイヤールは空を見上げる。来月には神殿で、即位の儀を行う予定になっていた。それは彼自身、自分が生きている間に叶うかどうかと当てもなく夢見ていたことだ。この二か月は、彼の人生において最も貴重なものとなるだろう。そしてこれからは、それぞれがそれぞれの道を歩むことになる。
「そうだ。王様、これ返します」
 キゲイは懐から地図を取出し、ブレイヤールに手渡す。裏には銀の鏡の文様が残る、キゲイが少しずつ書き加えていったアークラントの地図だ。
「空から見たよ。ここの丘も、村も。首都は、ここだったのか」
 ブレイヤールは感慨深げに地図を指でたどる。その指が、首都の文字の上で止まった。
「これキゲイの字じゃないみたいだけど……」
「古都でレイゼルトに見せたら、首都はもう少し東だって、勝手に直された」
「こだわりがあるんだな」
「あいつ、アークラント人よりアークラントに詳しいと思います。きっと」
 レイゼルトは古都で別れた後、どこへ姿を消したのだろう。キゲイには、レイゼルトの石人に対する思いは分からない。しかし彼がアークラントを守ろうとしていた気持ちは、本物だと知っている。それは悲しいくらいに真摯な願いだった。恐らくとても大切な思い出だったであろう、彼とトルナクの関係を、アークラント人でさえない自分に話してくれたのはなぜだろう。キゲイは何かしら、その思いに報いたかった。ならばできることは一つだ。なんとしてでも、アークラントが帰る道を探し出さねばならない。
旅立ち 翌日、キゲイは決意も新たに、地読み士達とともに森の境界石を超える。そのとき、彼はふと思い至って、近くの木によじ登りはじめた。姉や兄の叱りつける声が聞こえたが、そんなのはお構いなしだ。あの巨大な白城が、タバッサから全く見えなかったのを思い出したのだ。出来うる限り高くまで登ったキゲイは、枝葉の隙間から南を望む。
 何もない。城があるはずの方向は、空だけだ。そして雲が流れているだけだ。下を見渡せば、境界石の頭が白く点々と、森に線を引いている。境界石の列は、ただの石の柱の列ではない。綺麗に人間の世界と石人の世界を切り分けていたのだ。
 キゲイはその事実に大いなる納得と一抹の寂しさを感じ、ひとしきり南の空を眺める。そして木から降りたところで、待ち受けていた東の長にたっぷりと叱られた。
 地読み士達は黙々と境界の森を抜ける。その先には広大な平原が広がっていた。彼方の地平には、オロ山脈の峰が青くうっすらと横たわっている。

 アークラントの物語はここで終わる。そして次の王国が、歴史に刻まれる瞬間を待っていた。新たなる国の民は、新たなる王とともに人間世界の果てを越えて帰ってくるだろう。
――東の蛇は己の毒に倒れ、西の稲妻は光に消える。英雄の地に光あり。それは人の世のものにあらず。世の外より黄昏に死に、暁に蘇る。
 夢見の下に伏せられていた予言の言葉は再び継ぎ直され、人々を導くだろう。
 石人達の物語は、いまだ終わりを迎えない。いつ始まったか定かでないこの物語は、全ての石人が属す物語と、闇に囚われた者達の明けない物語が、決して交わることなく続いていくのだ。


奥付



Stone Kingdom ~石人の物語~


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著者 : いま
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