目次
8月のこよみ
8月の星座 こと座
曲がったキュウリ
なぜにトマトは赤いのか?
ひまわりエネルギーの活用
ファンタスティック・フォー
ご先祖さまを想い手を合わす
タイトル「身の毛もよだつ8月のお天気」
3つの一等星が「夏の大三角」
「夏の風物詩」入道雲
あなどるべからず![注意報]
太平洋高気圧とは?
エルニーニョとラニーニャ
夏バテには赤身魚
夏ばて解消!! カレーにトッピング!!
ビールのおつまみに簡単チヂミ
茶畑の北側に生えていた
スープの効用 
夏野菜の解毒スープ
ミョウガの効用
酸化から身を守る
緑豆春雨で健康維持
健康にも美容にもおすすめのルイボスティー
スパゲティーの缶詰
空腹感が収まる「懐石料理」
カレー南蛮の南蛮ってなに?
不思議なアイスティー
日本人が食べられないものと外国人が食べられないもの
試食販売に食卓を彩るヒントあり
昔の料理はおいしかった?
食品廃棄率を下げる 
九州とんこつ物語
子供が子供であることの幸せ
異様にお米を食べる日本人
江戸時代からあった1人鍋
名前が語り継がれる人は?
藤原泰衡の決断  
男の決断に対する評価
自分の好物は他人も好物!
芸で飯が食えるということの定理
黒田如水に学ぶ原則線
才能って、何なんだろう?
空飛ぶ自動車
大男だった福沢諭吉
兵と卒との違いに知る因果応報の軍人・宇垣一成の実像
小牧長久手の戦い
メールで西郷隆盛を発掘!?
実際の戦場 
小商いのススメ
たかが百均、されど百均
危険な合鍵作り
花の名前がわかれば?
盛夏に強い 女性の味方
ビール党に朗報? 
遥かなる原始時代の食文化 その2
夏バテと心に効く食べ物とは!?
夏の終わりに現れやすい五臓の虚労
中暑~大暑までの養生法
頭痛と眩暈(めまい)
癌・・・虚の養生は補益 
ホスピタリティというサービス理念
脳梗塞注意報!
血を増やす養生法
見えない鳥かご
昔の映画を楽しむ
睡眠と免疫パトロール
消毒法の確立とうがい薬
食べ過ぎと運動不足が病気を作る
もやもや病
病は気からの免疫力
『かちかち山』にみる古代日本の裁判
『古事記』の神々(その5)
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緑豆春雨で健康維持

ムシムシとしたこの季節は、湿気が飛ばず、体の中にも余分な湿がたまりがち。

・蒸し暑い=水分を摂りすぎる=胃腸が冷える=代謝が低下=老廃物の排泄が遅れる=体がだるい、むくむ、しんどい=冷や奴や冷や麦などのあっさり系しか食べられない=胃腸が冷える・・・

といった悪いサイクルにはまっていませんか???

この季節のお勧めは、解毒と利水の働きが強い、緑豆食品がお勧めです。

日本ではモヤシ原料としての緑豆以外、あまりなじみがありませんが

中国では、清熱解毒、消暑止渇、利水の働きの高い食品として、よく

料理に用いられます。緑豆春雨、緑豆もやしにも同様の効果があります。これらには、その効能どおり、体の毒素を排泄する、のぼせ、ほてり、喉の渇きを抑える、体にたまった余分な水分を解毒するなどの働きがあり、むくみ、だるさ、夏バテをとる最良の食品です。

ただし、涼性なので、冷え性の方は胡椒、ガーリックなどのスパイス

や海老、韮などの体を温める食材とともに調理することをお勧めしま

す。

ちなみに、私は、夕食を緑豆食品にして、1ヶ月で5キロほど体重が落ちました。例えば、もやしと野菜、豆腐の炒め物や、春雨のラーメン、焼きそば、サラダ等、工夫を凝らし美味しくいただいています。

★春雨には馬鈴薯デンプンで作ったものと、緑豆が原料のものがあり

ます。緑豆春雨でないと、清熱解毒利水の効果は全く得られませんのでご注意くださいね!

(薬剤師、薬食同源アドバイザー   高田理恵/絵:吉田たつちか)2008-08


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健康にも美容にもおすすめのルイボスティー

 

 

 ルイボスティーは、「伝説の健康茶」や「不老長寿の お茶」とも言われている、きれいな赤紫色でドクダミのような独特の香りがある お茶です。

 ルイボスは、アフリカの最南端にあるセダルバーグ山脈の高原に自生する小さな黄色の花つける高さ2mほどの枝の細い低木で

す。「ルイボス」とは“赤い低木”と言う意味で、その名はお茶を作るときの発酵過程であらわれる赤い色に由来しているそうです。ルイボスティーには、カルシウム、ナトリウム、カリウム、

マグネシウム、マンガン、鉄、亜鉛、銅などのミネラルやビタミンCを中心に多くの栄養が豊富に含まれています。

 口内炎、糖尿病、高血圧のなどの改善に効果があると言われており、ぜんそくや花粉症、牛乳などの食べ物のアレルギーなどのアレルギー症状の改善などにも効果があるようです。

 ルイボスティーは抗酸化作用があるので、皮膚へも作用し、肌荒れを改善し、肌をスベスベにして、シミを消したり、薄くしてくれたりもするようです。アトピー性皮膚炎の改善にも効果があると言われています。

 また、便通効果があるので、便秘気味で、ぽっこりしたお腹に悩む方におすすめで、ダイエット効果も期待出来ます。また、下痢や軽い胃の不調の改善にも効果があると言われています。

 ノンカフェインなので、カフェインに弱い方や子どもでも安心して飲めます。また、脳の興奮作用を抑制するようなので、眠る前に飲むのもおすすめです。ホットでもアイスでもおいしく、牛乳やレモンを加えてもおいしく飲めます。

 最近では、老化を防止し、体を若返らせる効果などが、不妊の対策に効果があるという研究結果もあるようです。男性ももちろんですが、特に女性におすすめのお茶です。

(文:お笑い作家の卵 成宮わたる/絵:吉田たつちか)2010-08


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スパゲティーの缶詰

ニュージーランドのおもしろフードをご紹介 したいと思います。

世界中には様々な珍しい食べ物が あり、またそれらを食してみるのも旅先での楽しみか と思います。

しかし中には考えられない品もあります よね(笑)

私がスーパーマーケットに立ち寄るたび に、ゾッとする缶詰をご紹介します。

それは、スパゲティーの缶詰なのですが、甘口のトマ トソースで既に味付けされており、パスタはという とイタリアンの基本中の基本、アルデンテとは程遠 い、グニャグニャのスパゲティに茹で上がっており、 巨大なソーセージ一本丸ごとスパゲティーの 中に埋もれている缶詰もあります。

お味はというと、 お世辞にも美味しいと言える代物ではなく、勇気を出 して味見をするたびに、日本の喫茶店でおなじみのナ ポリタンが恋しくなります。

一体誰がこんな缶詰を買うのかと常々思っていたら、 実は旦那の大好物でした(汗)

毎日私の作る食事を、 本当に美味しいと平らげてくれますが、あのスパゲテ ィーが口に合う味音痴な旦那に褒められるのも複雑な 心境になってきました。

さあ今夜の夕食は何にしよう かな!

 

 

(文:ニュージーランド在住、Reeoko/絵:吉田たつちか)2007-08



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空腹感が収まる「懐石料理」

 『鬼平犯科帳』や『仕掛人藤枝梅安』の著者である池波正太郎。彼は昭和の文豪でも特に抜きん出た食通だった。証拠は数々の著作。どこそこの料亭のなんと言う料理で、どんな食べ物でどんな味わいだったかなんて、素人では書けない芸当である。

入院時も病院食を採らず、もっぱら料亭に頼んで作ってもらっていたという。最期の食事も、神田にある料亭だった。(『知識人99人の死に方』より引用)

京都の料亭を中心によく見かける「懐石料理」。語源は「茶道」と「禅宗」だった。もともとは空腹に耐えるための禅僧の裏技だった。暖めた石を懐に入れると、空腹感が収まるというものである。千利休もそれに倣おうとしたが、大名、それも織田信長などのVIPを相手にする身分ゆえに、下手なことはできない。

そのため、本来では出さないちょっとした料理を出したのである。これが、「懐を暖める石の役割の料理」、懐石料理の始まりである。

(文:HERMIT/絵:吉田たつちか)2006-08


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不思議なアイスティー

アイスティーを作ってみたけど、濁ってしまったという話をよく聞きます。でも、ほんのひと手間かけるだけで濁らないアイスティーを作ることができるんですよ。今回は、濁らないアイスティーと、それを使って作る、二層に分かれるセパレートティーをご紹介します。

 

<アイスティー>

茶葉・・・ティースプーン2杯

水・・・350cc

氷・・・適宜

①温めたティーポットに茶葉を入れ、熱湯を勢いよく注ぎ15分ほど蒸らす。

②①を口の広い容器(鍋、コーヒーメーカーのサーバーなど)に、茶こしを使って注ぐ。

③グラスに氷を8分目くらいまで入れ、②を注ぐ。

<セパレートティー>

1.②の段階で、砂糖でしっかりと甘みを付ける。

2.③が終わったらさらに氷を少し加えて混ぜ、十分に冷たくする。グラスに氷が浮かんでる状態で、オレンジジュースかグレープフルーツジュースをミルクピッチャーなどを使って、ゆっくりと注ぐ。すると、ジュースは上に留まりしっかりと二層に分かれるセパレートティーができる。

*冷やし方が足りないとジュースは下に沈み、上下逆の層になります。これも悪くはないのですが、層の境目があまりはっきりしません。オレンジやグレープフルーツを一切れグラスに掛け、ミントの葉を飾ってお客様にお出しすると、とても喜ばれます。

 

(文:紅茶コーディネーター 吉野留美/絵:吉田たつちか)2004-08



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試食販売に食卓を彩るヒントあり

スーパーマケットや百貨店の食料品売り場を訪れると、必ずあるのが、試食販売だ。買い物の楽しみの一つでもある。けれど、その場で食べたら美味しかったけれど、自宅で調理をしたらそうでもなかったという経験は、誰でも一回は経験はあるだろう。

これは、普段と違った場所で食べるので、気分が変わって美味しく感じるという、心理的作用が働いている。また、一口で食べられるので、これも、美味しく感じるようになっている。パーティなどの前菜が、一口で食べられるようになっているのも、食欲を増す為に効果的なのだ。お子さんの偏食も、小さな食器に少しずつ盛り付けると、改善されることも多い。納豆やもずくなどを、試食なら口にすることが出来るというお子さんもいる。

味見だけに試食販売を使うのは、もったいない。普段の食卓を彩るヒントも隠されている。まず、限られたスペースで調理をしているので、時間や手間のかかるものは、ほとんど無い。ちょっと手抜きをしたい時に、試食を参考にしたい。思ってもみなかった裏技を使っていることもある。

また、一口で食べられるように作ってあるので、ホームパーティの料理のアイデアにもなる。スプーン料理が流行しているが、高級なレストランのものを参考にするには、財布が心配だ。それだったら、試食販売の盛り付けなどを見ればお手軽だ。爪楊枝に刺してあったり、小さなお皿に盛り付けてあるものが多い。試食はこの一口に勝負をかけているので、おいしいレシピを販売員は持っている。

お子さんも楽しみにしている試食販売は、おやつ代わりにもなるし、偏食改善にも役に立つ。遊び感覚で口にすることが出来るので、ついつい沢山食べたくなってしまう。けれど、あくまでも「お試し」ということを、お忘れなく。

(文:講談師 旭堂花鱗/絵:吉田たつちか)2005-08


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藤原泰衡の決断  

歴史上、さまざまな場面でさまざかに決断を迫られた人々・・・、成功すれば英雄となり、失敗すれば愚物となる。

第二次大戦中、ドイツ軍の作戦指導にことごとく容喙したヒトラーの弊害を批判する声がありますが、しかし、戦局が悪化した後はともかく、当初はむしろ、目前の作戦指導のみしか見ようとしない軍人たちに対しヒトラーは、「彼らは、まったく、戦時経済というものがわかっていない」と嘆息したとか。

つまり、戦争を遂行するためには戦闘だけではなく、資源や食料の確保といった戦争全体を考えなければならず、その意味では、ヒトラーのそれは必ずしも的外れでもなかったわけで、そのことは、同時期に大陸の反対側で攻勢をかけていた日本軍の極端な補給軽視姿勢を見れば納得できるものがあるでしょうか。

その意味で、判断としては、決して、間違っていなかった・・・、私もその立場にいたら同様の判断を下した・・・と思えるもので、かつ、それが、最悪の結果に終わってしまったという例がひとつだけあります。

それが平泉中尊寺の金色堂で知られる奥州藤原氏最後の当主藤原泰衡の決断です。

まず、藤原氏は、泰衡の父、三代秀衡の晩年に、平氏討伐に目覚ましい活躍を見せた源 義経を保護し、その異母兄、源 頼朝と対決姿勢をとっています。

ところがまもなく、秀衡が死に、泰衡が家督を継ぐと泰衡は頼朝の圧力に屈し、義経を殺害したばかりか、義経擁護派であった二人の弟も殺し、頼朝に対し恭順の意を示すも、頼朝はそのまま奥州に攻め込んで、泰衡は逃亡中、家臣に殺され藤原氏は滅亡する。

初代清衡以来三代に渡って栄華を誇った藤原氏を、秀衡の死藤原泰衡の決断後、わずか2年で滅ぼしてしまったことで、史家の泰衡を見る目は冷たいものがあります。

しかし、私には泰衡の決断は必ずしも間違っていたようには思えないのです。

すなわち、藤原氏は義経を擁していたとしても、果たして戦って勝てたのか・・・という点で。

 

まず、藤原軍は、源平争乱を戦い抜いてきた源氏の精鋭と違い、約五十年にわたって戦争を知らず、おそらく戦争経験がある将兵は皆無だったでしょう。

そして何より、藤原氏は、奥州17万騎と号したものの、おそらく、実態は相当に水増しされた数字であって、兵力という点で、まともに戦えるレベルにはなく、その為、藤原氏は初代清衡以来、中央政府に対し、徹底して、追従外交に終始して、決して、全面戦争の口実を与えていません。

秀衡が死に臨んで、息子たちに「今後は義経を主君として仕えよ」と遺言したことも、あくまで、源氏同士の内輪もめという形にして、決して、中央政府対藤原氏という形にしてはならないという認識があったからだと思います。

さらに、義経の軍才と藤原氏の兵力が結びついたことで頼朝も迂闊に手が出せない・・・といっても、この微妙なバランスがいつまでも保てたかという点も疑問で、それを国是とするのは大変、危険なことだったでしょう。

それらを勘案すれば、藤原氏は、徹底して頼朝に討伐の口実を与えるべきではなかったのでしょうが、奥州に近い鎌倉に政権が成立した以上、かつてのような遠交近攻外交が通じない時代が来たということであり、いずれにしても難しいところだったでしょう。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2090-08

 


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男の決断に対する評価

河井継之助という人物がいました。

言うまでもなく、幕末、長岡藩を率いて激越な北越戦争を戦った人で、司馬遼太郎氏の小説で採り上げられて以来、一躍、脚光を浴びるようになった人物ですが、実は私あまり評価しておりません。

その理由は、まず彼がやったことは、「多くの人を殺して、国を小さくして次代に申し送っただけ」という、ナポレオン同様の結果論もながら、何より、開戦に当たって、どうしても確たる勝算があったようには思えないからです。

つまり、「戦って勝てたのか?」と・・・。

長岡藩は、如何せん、わずか7万石の小藩であり、いくら、実収14万石と言っても・・・、また、最新兵器で武装したと言っても、日本の半分を引き受けて戦うには、あまりにも地力不足ではなかったかと思えるのです。

ただ、元々、河井が託されていたのは、藩の財政再建であり、時代が「泰平の世」で終わっておけば、彼は「財政を見事に立て直した名宰相」で終わったでしょうが、この点は如何せん運が悪かったと思います。

しかし、大政奉還後の混乱に在って、江戸藩邸などを処分した金で当時、日本に3門しかなかったガトリング砲2門や、フランス製新式銃2千挺などを購入したのは極めて不適切な処置だったと思います。

小藩が中途半端に、こういう物を持つのは弊害の方が大きくなるからです。もっとも、河井は何も最初から、「戦争ありき」でもなかったとも事実でしょう。

この点では、開戦前、河井は、新政府軍本陣に乗り込み、「自軍の充実ぶりを背景に長岡藩が東西両軍を調停する」という構想を披瀝しようとしたものの、新政府軍軍監として交渉の場に出てきたのが、土佐の岩村精一郎という見識低い「若輩者」であったことが、河井の不運のように言われていますが、私はこの点では、岩村の判断を支持します。まず何より、新政府は別に長岡藩の仲介など必要としていないわけで、河井には河井なりの理想があったようですが、その意味では、理想の押し売りに過ぎないとも言えるでしょう。

勝算というならば、長岡藩が粘っているうちに、心ならずも新政府に従っている反対勢力が立ち上がってくれるということを期待していた・・・とも考えられますが、もし、そうであるならば、それはあまりにも無責任にすぎる勝算と言えたでしょう。こういう場合の付和雷同は世の常、大坂の陣において、豊臣恩顧の武将たちが誰も立ち上がらなかったことが良い例で、無論、楠木正成の千早城のような例もありますが、このケースは、正成に勇気づけられて我も我もと決起したわけではなく、足利尊氏という大勢力を保有する人の野心の結果という面が大きく、言い換えれば、単に付和雷同すべき対象が変わったというに過ぎないともいえるわけです。その意味では、「立ち上がってくれるかもしれない」というそれは、あくまで希望的観測に過ぎないと。

総括するならば、まず、河井が構想として描いていたと言われる「両軍の調停」自体、夜郎自大の観は拭えず、それが不調に終わって、あれほどの大戦争の戦端を開いた・・・、特に戦争終結の見通しを持たずに開戦したことは、あまりにも軽率な行動だったと責められても仕方がないと思います。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2008-08



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自分の好物は他人も好物!

昭和29年、広岡達郎が、早稲田大学から巨人に入団したとき当時、巨人には、主力選手として「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治がいました。

広岡と川上の確執は、改めて言うまでもなく野球ファンにはかなり有名な話ですが、特にその昭和29年という年はさしもの「神様」川上も衰えが見え始めた年で、実際、川上はこの4年後に引退し、対照的に広岡はこの年、新人王を取っています。

この年、不調に苦しんでいた川上が遠征先の旅館で、素振りを繰り返していたところへ広岡が軽い気持ちで顔を出し、「カワさんも、苦しんどるんじゃけのー。」と一言・・・。

川上は青ざめた形相で広岡を睨み付けたと言います。

なぜ、広岡はこんなことを言ったのか?

広岡曰く、「自分の兄と川上が同じ年だったから、兄貴のような気分で接してしまった」のだそうです。

が、「神様」川上にしてみれば、当然、アカの他人のイチ新人としか見てないわけですから、「生意気なやつ!」という印象を持っていたところへ、この事件です。

さらに当時、選手としては晩年だった川上は若い広岡の矢のような送球を捕れなかったそうで、ある時、広岡のショートバウンドの送球を川上がはじき、それで広岡にエラーが付いたところ、広岡は、以来、すべて、同じコースへ送球し、そのたびに、川上はポロポロとはじきまくり、川上は満場の失笑を買ったと言います。当然、川上が監督になると、広岡に対する露骨ないじめが始まり、広岡は引退に追い込まれます。

その後、評論家としてスタートした広岡が巨人のアメリカ・キャンプを取材に訪れたところ、川上は広岡に対して選手らに箝口令を布き一切の取材に応じさせなかったそうで、この仕打ちに、広岡はあまりの悔しさに独り、ホテルのベッドで男泣きに泣いたと言います。

その後、川上は巨人の監督として、9年連続日本一という前人未踏の遺業を成し遂げ、それと入れ替わるように、広岡は監督としてヤクルトを初優勝に導き、その後、西武を常勝チームへと導きます。これほどの二人でありながら、その確執の原因となったのが、広岡の「友達」のような勘違いだったのですから、まったく笑えない話です。

でも、これは、有り得ない話のようで、結構、ありがちな話なのです。

広岡という人間は、大先輩に対して平気でショートバウンドのボールを投げるような人間ですし、一方の川上もチームの打撃練習の時間を一人で使いきったとか、ゴルフで後の組がどれほど詰まっていようと、平気で自分のボールが見つかるまで探した・・・などという逸話がある人物で、言うならば、似たもの同士だったのでしょうが、そういう普通の尺度で測れる人間同士じゃなかったのですから、さもありなんと・・・。

このときの「神様」川上の心中は察するに余りあるものがあったのではないでしょうか。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2007-08



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黒田如水に学ぶ原則線

豊臣秀吉の懐刀で名参謀と呼ばれていた人に黒田如水という人がいます。この人は、秀吉の天下獲りに大きな功績があった人でありながら、同時に、秀吉とは徹底的に反りが合わなかった人物でもあります。為に、それほどの功績がありながらも、逆に秀吉にその才を警戒されて、生涯、冷遇され続けました。

あるとき、秀吉が石田三成ら側近を集めた内輪の席で、「俺が死んだら、誰が天下を獲ると思う?」と問うたところ、皆徳川家康、蒲生氏郷、伊達政宗らの名前を挙げる中、秀吉だけは、黒田如水の名をあげたそうです。これに対し、皆が、口々に、「まさか・・・。あんな、小さな大名が・・・。」と言い募ったとき、秀吉は急に真顔になって、「おまえたちは、あの男の恐ろしさが何もわかってはおらぬな。」と言ったといいます。

そして、秀吉亡き後、実際にこの秀吉の言葉を裏付けるかのような事態が起こります。家康と三成の抗争、いわゆる、関ヶ原の戦いです。このとき、九州は豊前国(大分県)の小領主だった黒田家の隠居、如水は、即座に行動を起こします。まず、注目すべきは、この混沌とした段階で、「どちらにしても勝つのは家康」という判断をもち、それを踏み外すことはなかったことです。その判断の下、まず、当主である息子長政は、黒田軍の主力を率いて、東軍に参戦。(その功績により、戦後、筑前国52万石を与えられます。これが、いわゆる、筑前福岡藩です。)

さらに、如水という人物の「秀吉が畏れた」真価が発揮されるのはここからで、如水は、息子を東軍として送り出した後東西両軍が激突する間隙を縫っての天下獲りを狙います。九州の西軍勢力の多くは、こちらも黒田家同様、主力は殆どが関ヶ原に行ってるわけですから、如水はこれを好機とばかり、九州の西軍勢力を片っ端から撃破。瞬く間に、九州を平らげてしまう勢いであったその矢先・・・、如水の期待虚しく、関ヶ原の戦いは、わずか一日で決着が付いてしまい、これにて、千載一遇の好機は去り、如水はあっさりと撤兵し、また、元の隠居に戻ったと言います。

一見すると、うまいことだらけのように見えるこの話ですが実はそれほど楽な話ではありませんで、まず、肝心の黒田軍の主力は息子が率いて東上しているわけですから、如水の手許にある兵力は皆無に等しい・・・。

どうするか?何と、如水は、兵士を金で買ったのです。

それまで、節約して、蓄えておいた金を城の大広間に出し、募兵したところ、召しに応じて失業兵士たちが続々と集まってきたとか・・・。数百の浪人が、姓名、素性を名乗る中、如水はそれらに対し一々、言葉を掛け、無造作に金銀を一掴みずつ与えたと言います。

ところが、その中に、一度もらったのに、また列の後ろに回って、もう一度、貰いにくる者がいたことから、それを家臣がめざとく見つけ、「この者は二重取りです。」と密かに如水に耳打ちしたところ、加水はただ頷いただけで素知らぬ顔で再び金銀を与えたとか・・・。

皆が去った後で、如水は家臣に対し、「あの者たちはこの度の合戦に当たり、みな命がけで働くために駆けつけた者だ。さもしい私欲だけで軍資金の二重取りするとは思えぬ。永の浪々で貧乏し、刀槍、鎧兜も手放したため、それを求める資金が要るので恥を忍んで二重取りしたのだろう。一概にずるい奴と解したのでは武人に対し失礼であろうぞ。」と言ったとか・・・。

まあ、如水にしてみれば、大事の前の小事ですから、こういうときは、気前よく、大盤振舞するのが決まり・・・とは言え、承知の上でだまされる如水の心あればこそ人は働く。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2006-08



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