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「合格率が低いんです。」

「合格率が低いんです」
 社会福祉士国家試験(介護支援専門員)などを受験することを尋ねた時に、試験勉強をしたくない人や試験で何度も不合格になっている人の常套句の代表がこの言葉でしょう。
 もし合格率が〇%の試験があるとすれば、あなたが不合格になるのは仕方がありません。そうでしょう? 合格する人がいないのだから。
福祉業界では、社会福祉士国家試験、介護支援専門員実務研修受講試験、これらが合格率30%を切る難関と言われています。
 難関と呼ばれていますが、受験者の三〇%は合格しているのも事実です。それではなぜ不合格になるのでしょうか?
 試験を受けて不合格になる理由はたった2つしかありません。
1.試験に合格するに必要な点数が取れる学力がない。……つまり勉強が足りない。
2.試験当日に実力が発揮できない。……プレッシャーに負けてしまう。
 このほかにも願書を提出し忘れた人や試験当日や前日に風邪などで試験に受けられなかった場合があります。
 しかし受験をして不合格になるにはたった2つの理由しかありません。
 合格率が低いことは当てはまりますか? 当てはまらないのです。あなたが勉強していないからです。勉強したことを本番で発揮できていないからです。ただそれだけなのです。
 合格率が三〇%を切っていても、どんなに合格者が少なくても、毎年合格者がいるのがその証拠です。
 合格率の低さを前面に押し出して”己の努力の足りなさ”を棚に上げていてはいつまで経っても成果は出ません。

「『試験』なんてどうせ無理」
「『試験』なんてどうせ無理」
 前頁の言葉「合格率が低いんです」と並んで使われることが多い言葉を教えましょう。
「『試験』なんてどうせ無理」
 僕はこの言葉は最低の言葉だと思っています。
 今僕たちの目の前にいるお客様はどのような人たちでしょうか? 考えてみましょう。僕の場合ですと高齢者介護の現場になります。年を重ねて、身体も心もどっかこっかに痛みや不自由を持っています。それでも今を生きています。
 それに比べて僕たち介護職はどうでしょうか? 目の前のお客様より年齢は若いし、体力もあり、行動できます。
 目の前のお客様と比べてみれば好条件です。それにも関わらずです。試験勉強を始める前から諦めている福祉職がいるのは残念と思いませんか?
 僕自身、試験ではありませんが一つ思い出に残ることがあります。知的障害者更生施設での実習中にその施設の職員とこのような会話がありました。
「岡本君、お祭に使う絵を描いて欲しいんだけど」
「僕にはできないです」
 僕は絵が苦手です。中学校のときは美術が五段階で一でした。それくら苦手で嫌いです。上手に書く自信がなかったので行動することすら拒否しました。
 するとその職員は僕の言葉を聴いて真剣な表情で伝えました。
「岡本君。ここにいる人たち(施設利用者)はやりたくても心身の障がいがあってできない人たちなんだよ。それなのに、五体満足の岡本君がやる前から『できないです』はないでしょ」
 その当時の僕はその職員の言葉を聴いて腹を立てるだけでした。
「『上手に描けない』という意味合いだったのに……」と施設職員には言わずに心に秘めていました。福祉の仕事をしているクセに、言葉で伝えられない人たちを相手にしているのに、目の前の実習生の言葉の真意がわからないのか? とムカムカしていただけでした。
 しかし今にして思えばこの施設職員の話すことは最もだと思います。僕の知り合いの介護支援専門員(ケアマネジャー)は社会福祉士の試験を今年度も受けると話しています。
 その一方で吐き捨てるように言います。
「どうせ、受からないけど」
 どうせ受からないし努力する気がないのなら最初から受験しなければいいのです。やる気がないのにタダではない試験代を払い、試験会場に行くまでの移動費、移動時間(おそらく休日に行くでしょうから)を費やしてしまうのです。
 お金をドブに捨てるのとなんら変わりないと思いませんか?
 ましてや資格がなければ今の仕事が続けられないわけではないのです。
 僕自身3回社会福祉士の試験に落ちていた時は受験前から職場の同僚や上司に話していました。
「どうせ、無理ですよ」
「勉強してないですから」
 不合格が前提で当たり前のように話していました。
 あの当時の僕には、自分の言葉がどれだけ目の前のお客様やこれから福祉を目指す人たちに影響を与えるのか
考えたことがありませんでしたし、分かろうとすらしなかったのです。
 今にして気付いたことがあります。それは僕たちが仕事をする上で気をつけたいことは「諦めない
こと」だということです。
 あなたが、あなた自身のどうしても達成したい目標を設定する時に、あなた以外の人に頼むとします
 あなたは、自分の夢を諦めた人間にそのお願いができますか? 専門職と呼ばれるあなた自身が試験勉強”ごとき”をやる前から諦めてしまっては、目の前のお客様の目標設定し、目標実現のお手伝いができるでしょうか?
 試験を諦めた人間がどんな目標を実現させることができるのですか?
 
「お客様の目標設定をするためにあなた自身が試験合格という目標達成をしよう」


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「研修の参加費用は出るんですか?」

「研修の参加費用は出るんですか?」
 あなたが研修に参加する目的は何ですか? 給料をもらいたいからですか? 業務命令だからですか?
 あなたは、あなたが所属する会社があなたが勉強するために使うお金を負担するのは当たり前だと思っていませんか?
 あなたが勉強することやあなたが研修に行くことは、あなたが目の前のお客様に最高の介護を提供するために必要なことだと思います。
 あなたが最高の仕事をするために、あなたが今まで以上に向上するためにかかる費用は会社が負担するべきことでしょうか? 僕はあなた自身が負担して当然だと思いますがいかがでしょうか?
 僕自身はどうだったのかというと研修があるとなると真っ先に気になるのは「日程」です。その次に「費用」でした。移動にかかるお金はどのように負担されるのか? 泊まりの時は宿泊費はどうなるのか?
 研修の内容や何を学びたいか、そんなことより僕の手出しがあるのかないのかが気になって仕方なかったのです。
 以前の職場でのことです。一泊二日の研修の一日目の夜の懇親会の費用は自腹だと僕は言われました。僕は即答しました。
「だったら僕はその懇親会に出なくて結構です」
 当時の僕にはその懇親会に参加する意味が分からなかったし、なぜ手出ししてまで参加しなければならなかったのかが納得できなかったのです。
 そんな僕は当然のように仕事のできない人間でした。
 研修に参加するに当たり、どのようなことを学び、実践につなげるのか、を考えずに手出しのことばかり気にしていたのです。
 会社が研修費用を負担するのは、あなたが勉強したことを会社の利益につなげて欲しいからです。研修費用負担はそのための先行投資に過ぎません。研修費用の負担について考えているうちは、研修で何を学ぶのか、その学びを現場にどう役立てるのか、という大切なことが欠け落ちていることが多いと思います。
 あなたがもらおうとしている会社のお金は40歳以上の介護保険被保険者が払ってくれるお金から賄われています。ありがたいことに、40歳以上のこれから死ぬまでの間、介護を受けない人からもあなたの生活費は賄われています。
 ちょっと考えてみてください。
「見ず知らずの人間の勉強費用を賄え」
 あなたは払うことができますか?
 
「自分が学びたいことに自分のお金を使ってみよう」


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「声掛けしたけどしませんでした。」

「声掛けしたけどしませんでした」
こう説明する介護職が対応するお客様というのはたいていの場合、声掛けしたくらいでは素直に行動しない人たちだと僕は思います。
 僕らのデイサービスでも同じような事例があります。
「トイレに行きましょう」
「出ない」
もしくはこう言います。
「行きたくない」
 そのときの機嫌によっては怒り出すお客様もいらっしゃいます。
 すでに声掛けを工夫しないと怒り出すという情報があるにも関わらずです
「声掛けしたがいかなかった」
「本人の希望により行かず」
現場の記録に書かれていることがあります。
 紙パンツやパットをしていて、排尿や排便でタプタプになった状態でいることを本人が希望しているんですか? 本人が希望すればトイレに行かなくてもいいし、交換しなくてもいいんですか? それって希望ですか? その希望を叶えた先にお客様の喜びは生ますか?
 僕はその希望を叶えることで、喜びが生まれる可能性は〇%だと思うし、不快感と屈辱感が残るだけだと感じます。
「声はかけたんですが……」
 声掛けをする、それは一つの行動です。僕たちが声掛けをする目的は何でしょうか? 今回の場合ですとトイレに行くことです。排泄をすることです。汚れた下着を交換することです。声掛けすることは目的を達成するための手段の一つに過ぎません。
 福祉職とは人間のことを深く追求できるプロだと僕は思っています。目の前のお客様が声掛けして行動するかどうかは、初めて利用したお客様でもない限り、情報を取得できるはずなのである程度はわかるはずです。
 それにも関わらず「声掛けしたけどしませんでした」と言われると僕はこう感じてしまいます。
 仕事をサボっているか、気付けないのか、仕事がまったくできないか……。
「声掛けしたけどしませんでした。」と言い終える前に、「どうすればトイレに行くのでしょうか?」と聴けることがこれから10年活躍できる介護職の条件だと僕は思う。
 
「問題解決するための行動には何が必要か聴いてみよう」


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「あの人、認知(認知症)だから。」

「あの人、認知(認知症)だから」
 目の前のお客様が認知症の診断を受けているとします。認知症だから記憶する力が弱いかもしれません。認知症だから僕らのような若い世代に比べ、記憶したことを引き出すことが難しいかもしれません。しかし、認知症の診断を受けたからあなたの名前を覚えられないわけではないと思います。
 僕は大学時代に特別養護老人ホームで夜勤のアルバイトをしていました。その施設にいたおばあちゃんは僕の名前を覚えることができませんでした。
 それはなぜでしょうか? アルバイトを始めて僕はそのおばあちゃんと会った時思いました。
――このおばあちゃんは認知症の診断を受けているのだから僕の名前を覚えられないだろう。だから僕の名前を教える意味がない。だって、覚えられないのだから。そのくらいの気遣いをしてあげるのが福祉で働く人間でしょ。
 僕は本気でした。それでも僕はそのおばあちゃんに自分の名前を教えたことが何度かありました。しかし、そのおばあちゃんが僕の名前を呼ぶことはありませんでした。しかし、おばあちゃんが僕の名前を覚えなかったのはおばあちゃんの認知症のせいではなかったのです。僕と一緒に夜勤のアルバイトをしていた女の子の名前は僕がアルバイトをしていた1年間はもちろん、そのおばあちゃんが亡くなるまでずっと呼んでいたのです。
「〇〇さん!!」
 職員の名前ではなくアルバイトの女の子の名前です。その女の子がアルバイトを辞めた後も呼んでいたのです。
 おばあちゃんの認知症が僕の名前を記憶させなかったわけではなかったのです。おばあちゃんへの僕自身の態度が記憶をさせなかったのです。
 
「まずは名前を伝える。それが人間と人間のコミュニケーションの基本だと振り返ろう」

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「前のところでは〇〇だったのに・・・」

・「前のところでは〇〇だったのに……」
・「以前の施設では〇〇のような取り組みをしていました」
 この二つの言葉は似ていますが決定的な違いがあります。
一つ目の言葉には「前の施設ではこれくらいやっていたのに……」、「こうしてくれたのに……」という愚痴と不満が入っています。これらの言葉を聴いている方は最初こそ興味を示して聴いてくれるとしても、次第に「だから何?」と思ってしまいます。そして「あなたはどうしてほしいの?」と感じてしまいます。
 同じ職場に勤め続ける人が少ない現代ではいろいろな施設で働く人が増えていると思います。様々なところで働いて、たくさんの経験を持つ職員が今までの経験を教えてくれることは、今いる施設の繁栄にきっと役立つと思います。目の前のお客様への介護に役立つと思います。
 そんなときに「前のところでは〇〇だったのに……」と文句だけでは聴いている仲間も幻滅してしまいます。
 ちょっとした工夫でいいのです。
「前の職場でやっていたこの活動をやってみませんか?」
 こう問いかけるだけです。
「〇〇のような成果が出ていましたよ」
前向きに言葉を変えるだけで仲間達が新しいことをやってみようとその気になる可能性が高くなります。
 
「前の職場でどのような成果が上がっていたかを教えよう」


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