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「研修の参加費用は出るんですか?」

「研修の参加費用は出るんですか?」
 あなたが研修に参加する目的は何ですか? 給料をもらいたいからですか? 業務命令だからですか?
 あなたは、あなたが所属する会社があなたが勉強するために使うお金を負担するのは当たり前だと思っていませんか?
 あなたが勉強することやあなたが研修に行くことは、あなたが目の前のお客様に最高の介護を提供するために必要なことだと思います。
 あなたが最高の仕事をするために、あなたが今まで以上に向上するためにかかる費用は会社が負担するべきことでしょうか? 僕はあなた自身が負担して当然だと思いますがいかがでしょうか?
 僕自身はどうだったのかというと研修があるとなると真っ先に気になるのは「日程」です。その次に「費用」でした。移動にかかるお金はどのように負担されるのか? 泊まりの時は宿泊費はどうなるのか?
 研修の内容や何を学びたいか、そんなことより僕の手出しがあるのかないのかが気になって仕方なかったのです。
 以前の職場でのことです。一泊二日の研修の一日目の夜の懇親会の費用は自腹だと僕は言われました。僕は即答しました。
「だったら僕はその懇親会に出なくて結構です」
 当時の僕にはその懇親会に参加する意味が分からなかったし、なぜ手出ししてまで参加しなければならなかったのかが納得できなかったのです。
 そんな僕は当然のように仕事のできない人間でした。
 研修に参加するに当たり、どのようなことを学び、実践につなげるのか、を考えずに手出しのことばかり気にしていたのです。
 会社が研修費用を負担するのは、あなたが勉強したことを会社の利益につなげて欲しいからです。研修費用負担はそのための先行投資に過ぎません。研修費用の負担について考えているうちは、研修で何を学ぶのか、その学びを現場にどう役立てるのか、という大切なことが欠け落ちていることが多いと思います。
 あなたがもらおうとしている会社のお金は40歳以上の介護保険被保険者が払ってくれるお金から賄われています。ありがたいことに、40歳以上のこれから死ぬまでの間、介護を受けない人からもあなたの生活費は賄われています。
 ちょっと考えてみてください。
「見ず知らずの人間の勉強費用を賄え」
 あなたは払うことができますか?
 
「自分が学びたいことに自分のお金を使ってみよう」


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「声掛けしたけどしませんでした。」

「声掛けしたけどしませんでした」
こう説明する介護職が対応するお客様というのはたいていの場合、声掛けしたくらいでは素直に行動しない人たちだと僕は思います。
 僕らのデイサービスでも同じような事例があります。
「トイレに行きましょう」
「出ない」
もしくはこう言います。
「行きたくない」
 そのときの機嫌によっては怒り出すお客様もいらっしゃいます。
 すでに声掛けを工夫しないと怒り出すという情報があるにも関わらずです
「声掛けしたがいかなかった」
「本人の希望により行かず」
現場の記録に書かれていることがあります。
 紙パンツやパットをしていて、排尿や排便でタプタプになった状態でいることを本人が希望しているんですか? 本人が希望すればトイレに行かなくてもいいし、交換しなくてもいいんですか? それって希望ですか? その希望を叶えた先にお客様の喜びは生ますか?
 僕はその希望を叶えることで、喜びが生まれる可能性は〇%だと思うし、不快感と屈辱感が残るだけだと感じます。
「声はかけたんですが……」
 声掛けをする、それは一つの行動です。僕たちが声掛けをする目的は何でしょうか? 今回の場合ですとトイレに行くことです。排泄をすることです。汚れた下着を交換することです。声掛けすることは目的を達成するための手段の一つに過ぎません。
 福祉職とは人間のことを深く追求できるプロだと僕は思っています。目の前のお客様が声掛けして行動するかどうかは、初めて利用したお客様でもない限り、情報を取得できるはずなのである程度はわかるはずです。
 それにも関わらず「声掛けしたけどしませんでした」と言われると僕はこう感じてしまいます。
 仕事をサボっているか、気付けないのか、仕事がまったくできないか……。
「声掛けしたけどしませんでした。」と言い終える前に、「どうすればトイレに行くのでしょうか?」と聴けることがこれから10年活躍できる介護職の条件だと僕は思う。
 
「問題解決するための行動には何が必要か聴いてみよう」


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「あの人、認知(認知症)だから。」

「あの人、認知(認知症)だから」
 目の前のお客様が認知症の診断を受けているとします。認知症だから記憶する力が弱いかもしれません。認知症だから僕らのような若い世代に比べ、記憶したことを引き出すことが難しいかもしれません。しかし、認知症の診断を受けたからあなたの名前を覚えられないわけではないと思います。
 僕は大学時代に特別養護老人ホームで夜勤のアルバイトをしていました。その施設にいたおばあちゃんは僕の名前を覚えることができませんでした。
 それはなぜでしょうか? アルバイトを始めて僕はそのおばあちゃんと会った時思いました。
――このおばあちゃんは認知症の診断を受けているのだから僕の名前を覚えられないだろう。だから僕の名前を教える意味がない。だって、覚えられないのだから。そのくらいの気遣いをしてあげるのが福祉で働く人間でしょ。
 僕は本気でした。それでも僕はそのおばあちゃんに自分の名前を教えたことが何度かありました。しかし、そのおばあちゃんが僕の名前を呼ぶことはありませんでした。しかし、おばあちゃんが僕の名前を覚えなかったのはおばあちゃんの認知症のせいではなかったのです。僕と一緒に夜勤のアルバイトをしていた女の子の名前は僕がアルバイトをしていた1年間はもちろん、そのおばあちゃんが亡くなるまでずっと呼んでいたのです。
「〇〇さん!!」
 職員の名前ではなくアルバイトの女の子の名前です。その女の子がアルバイトを辞めた後も呼んでいたのです。
 おばあちゃんの認知症が僕の名前を記憶させなかったわけではなかったのです。おばあちゃんへの僕自身の態度が記憶をさせなかったのです。
 
「まずは名前を伝える。それが人間と人間のコミュニケーションの基本だと振り返ろう」

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「前のところでは〇〇だったのに・・・」

・「前のところでは〇〇だったのに……」
・「以前の施設では〇〇のような取り組みをしていました」
 この二つの言葉は似ていますが決定的な違いがあります。
一つ目の言葉には「前の施設ではこれくらいやっていたのに……」、「こうしてくれたのに……」という愚痴と不満が入っています。これらの言葉を聴いている方は最初こそ興味を示して聴いてくれるとしても、次第に「だから何?」と思ってしまいます。そして「あなたはどうしてほしいの?」と感じてしまいます。
 同じ職場に勤め続ける人が少ない現代ではいろいろな施設で働く人が増えていると思います。様々なところで働いて、たくさんの経験を持つ職員が今までの経験を教えてくれることは、今いる施設の繁栄にきっと役立つと思います。目の前のお客様への介護に役立つと思います。
 そんなときに「前のところでは〇〇だったのに……」と文句だけでは聴いている仲間も幻滅してしまいます。
 ちょっとした工夫でいいのです。
「前の職場でやっていたこの活動をやってみませんか?」
 こう問いかけるだけです。
「〇〇のような成果が出ていましたよ」
前向きに言葉を変えるだけで仲間達が新しいことをやってみようとその気になる可能性が高くなります。
 
「前の職場でどのような成果が上がっていたかを教えよう」

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「観察の時間がありません。」

 
「観察の時間がありません。」
  僕たち介護職は目の前にいるお客様を常に観察できます。
  ただ、その観察とは小学校のときの植物の観察とは若干違います。小学校の観察は、観察時間を与えられてその間ずっと見ていられます。
  しかし、僕たち介護現場での観察は常に同じお客様の同じ部分を見続けるわけにはいきません。
  そのとき、そのときのお客様の動き・表情・言葉……細かく言えば、視線・眼力・唇の色、肩の動きなど注意深く見ていくことが観察につながります。
  それにプラスしてそのときの時間帯やこれからどのような行動をするのかを予測していくことが質のある介護につながると僕は思います。
「観察の時間がありません」
  職員の多くは時間がないことを言い訳にしています。
  そんな職員に限って時間があるときは目の前のお客様のことを何も見ていないことが多いのです。お客様の目線やひとつ一つのジェスチャー、表情などを見ても、それらの動作から伝わるメッセージに何一つ気付いていないことが多いのです。
  ”観察する時間”がないのではありません。
  ”観察する力”がないだけです。
 観察する時間を言い訳する前に、どこを観察するのか、この時間は何を意するのか、煮詰めていくことが先でしょう。
 
「どこを観察しなければいけないのか事前に確認しよう」

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「僕も(私も)そう思ってました。」

「僕も(私も)そう思ってました。」
  会議で誰かが提案した時や会議が終わって上司がいなくなった後に、人の後にくっついて意見をする人、同調する人はこう言います。
「その程度の考えを今更言うの?」という顔で、あたかも当たり前の意見として同調してきます。
  以前の職場で、誰もが改善したほうがいいと思うことを会議の場で言ってくれた先輩がいました。
  その先輩が発言するや、周りにいた先輩達や上司が言いました。
「前からそう思っていたよ」
「そんなのこうすればいいじゃない。」          会議に出席した仲間が輪をかけて賛同していました。みんな思っていたのに実際に会議で最初に発言したのはあの先輩だけだったと僕は思い返しました。
  結局、その先輩の発言のおかげで先輩達や上司はもちろん、僕のような下っ端が働きやすい環境になりました。
  そのとき僕は思ったのです。誰も発言したがらなかった会議で最初に発言した先輩は素晴らしいと。
  そして最初に発言しなかった僕自身を、今振り返ると情けないと感じます。    
  僕は自ら成功の道を踏み外していると思い返しました。
  人が喋った意見について「そう思ってました」というのは思考停止していても言える言葉だと僕は思います。
  思っていたのなら、なぜ先に言わないのでしょうか
……結局、それはみんなの前で喋る勇気がないだけです。
  僕が読書を続ける中で、名経営者と呼ばれる人たちや成功者の体験談を何冊も読みました。
  そして、成功する人に共通することがありました。それは自分の意見・考えを持ち、主張してきたことです。
「俺もそう思ってたけどね」
会議の後に、勝ち誇ったように喋る職員がいたら、いちいちイライラする必要はありません。心の中で笑ってあげればいいのです。
  その人が成功する日は来ないのです。
あなたがこれから成長したいのならば、「そう思っていました」ではなく、「僕は(私は)こう考えています」と主張することから始めましょう。
 
「まずは会議で発言してみよう」


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