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明治‐大正‐昭和、弾圧下の友情

 こんにちは、鎌田慧です。

 今日は大杉栄とアナキズムの現代的な意味みたいな事をお話できればと思っています。

 その前に近藤千浪さんについて少しお話させて下さい。近藤さんは6月20日に亡くなられましたが、6月5日に現代女性文化研究所というところが主催しました大逆事件の集会に来ていただきました。これは私に講師をやってくれっていう依頼があったんですが、大逆事件は私には荷が重いので、今日見えている明治大学の山泉進先生とそれから近藤千浪さんにお願いしました。

 近藤千浪さんにお願いした理由は、山泉先生はずうっと大逆事件の研究をされておられるのですけど、近藤千浪さんは辞退されていました。でも、私はアナキストの友情関係といいますか、人間関係といいますか、それが今までの左翼運動のなかで、たとえばボルシェビキの運動が大体いつも対立になっていく、あるいは内ゲバで殺し合う。ソ連ですと粛清になるとかそういう殺人にまで進むような対立になっていきましたけれど、アナキストは徹底的に弾圧されていたこともあって、そのなかでの友情というのはとても美しいんじゃないかと思っていまして、それを近藤さんにお話しして欲しいというふうにお願いしました。

アナキストの友情といいますと、たとえば堺利彦さんが赤旗事件で獄中にいて大逆事件を免れるわけですが、大逆事件で12人が処刑されて、12人が死刑から無期懲役に減刑されます。堺さんはこれらの人たちをずうっと訪問して歩いていましたね。死刑になったその遺族であったり、獄中にある人たちを訪問して歩いていた。たとえば大杉栄も秋田刑務所にいた坂本清馬のところを訪問するとか、そういう徹底的に弾圧された時代に官憲の目をくぐって、あるいは尾行をつけたままいろんな所に行って遺族に会ってくるという、そういう麗しい関係があったんですね。その後、大杉栄が殺されまして、ギロチン社の復讐戦がありまして、和田久太郎とか古田大次郎が逮捕されて、和田久太郎は秋田の刑務所にいて、それも大逆事件の高木顕明のようにそこで首をくくって亡くなるという悲惨な状況がありましたけど、そういう弾圧され続けた中での友情、それはこれからの運動を考える時にすごく教訓になるんじゃないか。

残念ながら私たちは中核・革マルの内ゲバに対して何もしなかったし、何もできなかった。埴谷雄高さんぐらいしか、それを止めることをしなかった。それが運動の衰退をつくりだしてきた、と、そういうふうに考えています。個別に友情関係を証明するのは時間の関係でできないんですけれども、たとえば、私は比較的大杉の本を読んでいるので、大杉栄について言えば、大逆事件の被告の坂本清馬に手紙を出して、あの黒い箱馬車で裁判所まで行く時に、その檻車の隊列の光景は永井荷風の見た光景ですけど、囚人馬車で運ばれていく時に馬車の窓が目隠しされているから表が全然見えないだろう、というようなことを書いてやってますね。そういう思いですね。つまり、大杉栄は「春三月縊り残され花に舞う」と俳句に詠んでいますが、坂本清馬たちの運命を自分の運命と考えて、本を差し入れしたり、面会に行ったりなんかしています。そういうのがとてもいいなぁと思っています。もちろん堺利彦は売文社を作ってみんなの生活を考えるということをやっていました。そういう堺さんたちのことを近藤千浪さんにお話しして欲しいと思ってお招きしたのです。

 その時に私は千浪さんの隣に座っていましたが、息がたえだえで苦しそうだったんですね。あれは風邪の影響だったんでしょうか。とにかく息がつまっていて、息が止まっているみたいな感じで私が心配して。だからその亡くなったっていうのをうかがってすごいショックを受けたんです。それが6月5日ですから、亡くなられる2週間ぐらい前の話です。でも、その後もう一度講演に行かれたというのを聞いていますので、ちょっと荷が軽くなったような思いをしたんですけれど。

千浪さんは真柄さんが子どものころ、床の間に骨壺があったということを話していたっていうのを記憶されていました。骨壷っていうのは大逆事件で殺された人たちの骨壷が堺利彦、真柄さん親子のところにあったんですね。管野須賀子の真柄さんにあてた遺書が残されていますね。それで、真柄さんは近所のガキ達におまえのウチは天皇を殺そうとしたウチだっていうふうに、いじめられたっていうことを聞いていた、とおっしゃっていました。私の関心は千浪さんが子どものころいじめられなかったかどうかということにあったのですが、ご本人はそれはなかった、とおっしゃっていましたね。

 この集会を主催した現代女性文化研究所っていうのは、東京の巣鴨に望月百合子さんのお宅が、木造の小さいウチがありまして、そこを事務所に使ってあまり立ち入った話をするとあれですけれど、望月百合子さんが残していたお金を運用していろんな文化運動をやっている団体です。望月さんはジャーナリストとして、私などの言うまでもない、石川三四郎さんの養女ってことになっているんでしょうかね。そしてずうっと100歳まで生きられていて、亡くなった時に遺言でその建物を残し、そこを事務所に集会を開いたり、機関誌を発行しています。ですから、みんな継がっているんですね。そういう人間的なつながり、石川三四郎、望月百合子、堺利彦、大杉栄、近藤憲二、近藤真柄、近藤千浪というふうに、個人的な関係がいまでもずうっとつながっているネットワークがある。共産党の運動とはずい分ちがいがあると思います。いかがでしょうか。風媒社の稲垣喜代志さんもお見えになっていて、稲垣さんは共産党の運動に詳しい方ですが。その人間関係の深さがアナキストとボルシェビキの違いとしてあるんじゃないかっていうのが、一つの私の問題意識です。


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最終更新日 : 2012-08-21 17:11:17

近藤千浪と伊藤ルイ、自由の風が吹いている

近藤千浪さんにはじめてお会いしたのは、大杉栄を書くときに写真をお借りしに行って、千浪さんと白仁成昭さんにお会いして、快く写真をいっぱい貸してもらったことがあります。先ほど司会者もお話してたように、大逆事件、アナキズム、あるいは大杉関係のカレンダーを毎年つくられて、それはとても貴重なカレンダーで、年が終わっても捨てられない、もったいなくて捨てられないカレンダー(アナキズム文献センター発行)をもらっています。それから静岡の沓谷霊園で行われる大杉栄の墓前祭でもお会いしたり、こちらの橘宗一忌でもお会いしたりしていました。伊藤ルイさんには大杉の関係で資料を借りに行ったり、亡くなる前にもお見舞いに行ったりして、比較的お付き合いさせていただいたんですけど、ものすごい感じが似てますね。両方ご存知の方はたぶん、私の意見に賛成して下さると思うんですが、感じがおんなじで、どうしてお二人はこんなに似てるんだろうって、いつも不思議に思ってました。目をよく見開いて、ルイさんは大杉ゆずりで目がでっかいんでしょうけど、お二人とも目を見開いてよくものを見てるという感じがします。それは迫害を受けて、これは私の勝手な解釈ですが、迫害を受けていた人が相手、社会を見据えているっていう、そういうまなざしっていうか、目なんじゃないかなぁっていうふうに思います。歩き方もすごく楽しそうな歩き方をするし、やっぱり自由な風が吹いているっていう、そういうお二人だったと思います。それがアナキストの運動が伝えたものじゃないかなぁ、というふうに考えたりなんかしています。

その日、その講演会の日は、千浪さんは大逆帖を持って来られて、それを会場で見せておられました。それは後から「大逆事件の真実をあきらかにする会」が復刻しましたが、500部くらい作ったでしょうか。山泉先生にうかがえばいいんでしょうけど。私も一冊古本屋で買って持っている自慢の秘蔵品なんですが、大逆事件関係者の手紙、肉筆の手紙をコピーして、幸徳秋水が堺さんにおみやげに持ってきたアメリカのアルバムに張りつけたものですね。それからもう一つ、「週刊平民新聞」の創刊号、1903年11月15日の創刊号の現物ですね。ボロボロじゃなくきれいな、きのう発行したような感じの新聞なもんですから、みんな驚いたんですけど、ああいう感じで千浪さんと白仁さんのところで、ものすごくきちんと資料を保存しているんじゃないかと思います。それがそのカレンダーになって毎年わけてもらってるという、そういうことになっています。


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最終更新日 : 2012-08-21 17:11:17

大逆事件100年、名誉回復は天皇制の呪縛からの解放

 大逆事件については、私はまったく不勉強なんですけど、最近、名誉回復の運動がずうっと広がってきまして、「名誉市民」にするということがありました。名誉市民はナンセンスだという意見もあったりしたようですが、それはやっぱり歴史に対する考え方が浅いと思います。たんに普通の市民を名誉市民にするということではなかったわけで、一つは天皇を殺すという、具体的な準備もすすんでいない、でっち上げ事件によって12人も殺されている。その名誉を回復できるということは、天皇制がいま民衆を支配していないっていうことの証明だと思います。天皇制が強力にある間は天皇制に反対して殺された人に対しての同情は湧かない。同情心は持たれないわけですが、今、天皇制の名のもとに殺された人たちの名誉を回復するっていう運動が起きてきて、それが地方議会で成立するってことは、天皇制の桎梏から、呪縛から解放されてきている。完全に解放されているわけではないですけど、解放される契機ですから、それはやはり名誉市民として打ち出していくっていうのは、最も重要なことだと思います。

 もう一つ、名誉市民にするってことは、死刑にされたことは100メートルの海底に沈められていたものと同じなわけですから、大逆事件という、天皇を殺すという形で処刑されたり、無期懲役になったり、獄死したり、自殺したりした人たちにとって、その海底から少しづつ浮上してきたわけで、ようやく水平線上に顔を出す、出せるようになった、ということでもあるわけです。ですから旧中村市、四万十市のこれは労働組合の方たちが中心だったでしょうけど、そこで名誉回復して墓前祭が始まっています。それは中村市ご出身の山泉先生にお話をうかがえば一番いいんですが、新宮でもそういうふうになってきていて、ようやく100年を迎える時になって、あの大弾圧が天皇の名のもとにおける無政府運動、あるいは反体制運動、あるいは反戦運動に対する弾圧であった、というのが市民的レベルで理解されるようになった。100年もかかったということですね。


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最終更新日 : 2012-08-21 17:11:17

仲間たち、「同志」より自由な関係性の響き

 そのあとがこの大杉栄の事件になるわけです。ですから、私のテーマは、大杉栄の思想っていうのはどういうのであるのか。もう一つは軍隊が虐殺したっていう意味ですね。もう一つはやっぱりアナキズムの可能性というもの。今の運動、これからの運動にとってアナキズムの運動はどういう可能性を持っているのかということを考えていくことだろうと思います。千浪さんのお父さんの、近藤憲二さんの『一無政府主義者の回想』はとてもいい本でして、さっきのポスターが「大杉栄と仲間たち」というポスターだったのですけど、あの「仲間たち」と言うのはなかなか意味深いと思っています。ロシア語で言うとドゥルークとか、フランス語ではアミでしょうけど、同志(タバリシチ)よりも仲間っていうほうが自由な関係であって、開けている関係みたいな気がしますよね。

そういう自由な風、同志っていう仲間についてこの近藤憲二さんの本にはよく書かれていまして、たとえば私が好きなのが、大杉栄のうちにいたユキちゃんという、ここでは「女中さん」と書いてますけど、お手伝いさんについて書いているところです。ユキちゃんという女中さんが、「お友達の娘さんを自分の部屋に連れてきて、幾日か面倒を見ていた。女中さんに居候がくるのだから、居候には都合のいい奥さんに違いない」奥さんというのは野枝のことです。それから「銭が茶ダンスの引き出しに入れてあって、皆が自由に遣った」というふうに書いてます。女中さんという人がいるわけですけど、女中さんの友達がどんどん居候に来ている。ほかの居候もしよっちゅう来るわけですけど、女中さんの居候も来る。お金は茶箪笥にあった。それを和田久太郎が書いていたか、ちょっと覚えていませんが、とにかくその茶箪笥の引き出しに、お金があって、それを皆で自由に引き出して使ったっていう、そういう人間関係が描かれていて、そこから仲間たちの関係性が見えてくるような気がします。


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最終更新日 : 2012-08-21 17:11:17

日雇い労働者叛逆の先駆け、「鎔鉱炉の火は消えたり」

近藤憲二さんは、今日お墓参りに行った、私が言うまでもない事ですが、橘宗一さんのお母さんのあやめさんと事件のあと結婚された方ですね。そこにも、アナキストの関係性がよく現われていると思います。近藤憲二と大杉栄が北九州へ浅原健三に会いに行ってますね。浅原健三は言うまでもなく、『鎔鉱炉の火は消えたり』、八幡大争議の主人公です。あの本は黒表紙で、煙突がデザインされて、月が掛っているって図柄かな。その『鎔鉱炉の火は消えたり』は浅原健三の著述です。大杉が北九州の小倉から、小倉を過ぎて、戸畑を過ぎてそれから八幡の駅にむかう途中に、右側は全部八幡製鉄所の長い塀ですね。望楼がついている長い塀があって、いまは鎔鉱炉がなくなってしまって、いま一基だけ残されているんですが、とにかく博多にむかう線路の右側がずーっと八幡製鉄所になってます。東田高炉工場って鎔鉱炉が6基あったんですけどね。その煙を見ながら大杉は「僕は10年前に当地を通過した時、車窓から幾尺となく突っ立った巨大な煙突を見て、友人と共にこの煙突は一日でも止められたら死んでもいいと話したことがある。一昨年、僕が獄中で寒さに苦しんでいた時、突然八幡の煙が止まった。同盟罷業が勃発したとの報知だった。5年前まで労働運動があまり重大視されず、暖簾に腕押しの状態にあった。しかるに今日ではこの煙が止まったくらいで死んでもいいといえば諸君は笑うであろう。それほどまでに運動は進んだ」というふうに書いてますけど、あの鎔鉱炉の火を止めてみたいというのは左翼の願望でして、浅原健三はそれを止めたんですね。

これは彼の『鎔鉱炉の火は消えたり』に書かれてますけど、本工労働者だけのストライキではないんですね。本工だけじゃなくて職夫とか現業職夫とか、つまり日雇い労働者が一致して止めたわけですよね。だから、半分以上が職夫、日雇い労働者が入っていたわけで、彼らは、車馬通用門という下請工専用の門から出入りしていたんですね。浅原健三は東京に来て、大杉栄たち、和田久太郎とかそういう人たちと交流していて、それでこの鎔鉱炉の火は消えたり―の大争議をやったわけで、これはアナキストの運動であったし、正社員だけでない差別されていた日雇い労働者たちの運動でもあったわけです。浅原健三も本工をクビになった西田健太郎も日雇い職夫として、蓑をきてわらじ履きで中に入っていた。だからちょうど今の状態にものすごく似ているわけです。いまも派遣労働者がどんどん工場の中に入っていて、半分ぐらいの下請け・日雇い労働者がいるわけで、鎔鉱炉の火は消えたり―をやろうと思ったらできるんですよね。ただアジテーターがいないだけで残念なわけですけど。そういう下層労働者がどんどん増えることによって、そこから叛逆が起こった、それを組織していた運動があったということを、大杉栄や近藤憲二の本が描いています。

私は実は大学を終えてから「鉄鋼新聞」というのに入りました。その頃、製鉄業が基幹産業なので、それを知りたくて入ったわけです。そのあと、この東田高炉で働いた事があります。労働下宿という暴力団が経営している飯場が東田高炉のすぐ目の前にありまして、そこへ行けばすぐに採用してくれます。芦屋の競艇場とか、小倉の勝山公園でウロウロしている連中をみんな捕まえてくる。ええ仕事があるよとか、金稼げるよとか言って、ポンビキっていうかタコつりをやってどんどん下宿に連れてくる。飯場を暴力団が管理して逃げられないようにしている。そこに行ってその東田高炉っていうところで働いた事があります。鉱炉の上にどんどんどんどん登って行って、スコップを持って登って行って、鉄鉱石を海岸からずうっと鎔鉱炉まで運んでくるんですが。ベルトコンベアーというのは振動が激しいから、鉄鉱石が下にどんどんどんどん落ちて、積もっちゃうとコンベアーが動かなくなるから、日雇い人夫がその下を掘って、ベルトに返してやる仕事。それが「ベルト下」っていう仕事なんですけど、その「ベルト下」の仕事をやったことがあるんです。韓国の浦項製鉄っていうところに見学に行ったことがあったのですが、そこでも下請工が同じ仕事をやっていて、すごく懐かしい気持ちになったんですけれども。そういう労働者たち、今の派遣労働と同じような労働者たちが反乱を起こしたことがあったわけです。

 ダイレクト・アクション、直接行動というのはなにも暴力行為じゃなくて、そういうストライキとかゼネストとかデモ行進とかいうのを含んでるわけですけど、なんとなく「アナキスト=一人一殺」みたいに極端なイメージにされたのは、やっぱり権力側の宣伝だ、と思います。


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最終更新日 : 2012-08-21 17:11:17


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