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 自殺台に登る。
 けして絞首台ではない。死刑ではないのだ。自ら選び取った希望の道。
 死にたいものが台に登り首を吊る。動かなくなるのを見届けると、紐が外されそのまま暗黒の底に落とされる。下は火葬場になっていて死体は燃やされ、灰は一箇所にまとめて埋められる。
 自殺台の回りにはいつも人が詰め寄せていた。自殺志願者たちではない。見物人だ。台に人が登るたびに、歓声があがる。


 国内では近年「死にたい」と喋る国民が増えていた。それにともない、「死にたいならさっさと死ね」という声も沸きあがっていた。他人が死にたいとつぶやくのを聞くのはうざったい、死にたいものを止める権利は誰にもない、むしろ殺してやったほうが人道的だ。
 圧倒的な声に押され、政府は公式に自殺台の建設を許した。死にたい者はそこへ行き自殺をする。他の方法で自殺をするより、人に迷惑がかからない。後始末も簡単だ。希望者は喜んで自殺台へと向かった。


 自殺台の周りはガラスと防音壁に囲まれ、外の様子が分からないように出来ていた。見物者のぎらつく眼や喜ぶ声を見聞きしているうちに、気持ちが変わる者が出てくるのだ。なぜこいつらのために死ななきゃならないのかと。世間的には「死の最後に自分と向き合うために」となっていたが、それは自殺者を減らさないための処置だった。
 高齢化社会になり国民がなかなか減らず、負担だけが増え財政は圧迫していた。自殺者が増え、無駄な人間が減ることは国家にとって喜ぶべき事だった。だから何かの拍子で国家的な重要な人物が自殺台へ志願すると、高い確率でそれは却下された。一時の気の迷いであるとして病院へ強制的に通わされるのだ。
 それ以外の国民は申請するとすぐに許可が下りた。申請時にわずかばかり手数料も必要なのだが、それでも連日、自殺台へと登る者は後を絶たなかった。不景気により暗い気持ちになっている国民たちは、うさ晴らしとして見物に訪れた。ギャンブル依存やアルコール中毒者が減り、国家はその統計を「正しい政策の証拠」として世界へ発信した。(それらに含まれる者の多くが自殺台へ登っていたので、減るのは当然なのだが)。


 喜ぶ観客とは別に、自殺を止める団体もしだいに増えてきた。「自殺、だめ!」と記された幕を掲げ、偽善的な政策へ猛抗議をした。その声に負けぬよう、歓声はさらに沸きあがる。中の自殺者からは、どちらの声も聞こえなかった。
 本人が希望しているのだから、との理論には誰も勝てなかった。契約書もきっちり交わされている。法律的にも人権的にも何の問題もない。むしろ彼らが死ななければ俺達が苦しむことになる。


 また今日も一人死んでいく。一人が死ねばまた一人。底へ落ち燃やされる。自然の当然の摂理。それがこの場所に集められただけだ。
 やがてただ燃やすのではもったいないとの声が上がった。献体にして医学のために役立てよう。無価値な彼らの唯一の社会貢献だ。
 献体希望者へは自殺の手数料がいらなくなった。しかし国家の目的とは裏腹に、希望者はそれほど多くなかった。死ぬ時ぐらい自分の体は自分のものでいたい、それが多数派だった。
 やがて強制的に全員が献体へ回される事になった。これに同意せねば自殺台へ登れない。自殺者はゆっくりと底まで下ろされ、担架に乗せられ大学病院まで運ばれた。


 末期癌患者など病状の重い者もよく登った。安楽死は未だ認められていないが、自殺台なら許可された。付添い人に助けられ紐へ首をくくる。その時点ですでに力尽き死んでいる者もいた。それなら病院で薬を注射されそのまま死んだほうが楽だろうが、首を吊るというパフォーマンスが国家にとって必要だった。国民を熱狂させ、不満を解消させなければならない。
 医者は患者の家族に言う。
「自殺台を検討してみては。本人もご家族も社会も救われますよ」
 首相が自殺台へ登る日が来た。失言をしてしまい、支持率が急激に下がった。与党から責任を迫られた。首相はいよいよ決断した。自殺台へ登った直後、支持率はいっきに回復した。大人たちは言った。
「あの人のような責任の取れる大人になりなさい」


この本の内容は以上です。


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