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(4)
 翌日も祐希は日が傾くと利根川へ向かった。
 青年の忠告を信じないわけではなかった。確かに、12歳の子供が夏休み期間内に巨大魚を仕留めるなど無理な話なのだろう。だが彼はこうも言った―――数こそ少ないが、1メートルを超えるスズキは確実にいると。いるのなら、たとえ釣れなくとも行かずにはいられない。耳に冷やかな青年の忠告も、裏には好意が隠れていると知っている。だから昨夜も寝床で真剣に検討した。だが枕元に置いたルアーを眺めているてと鳩尾のあたりが騒いで落ち着かない。たとえ飛ばなくとも、ルアーを投げずにはいられない。取り憑かれでもしたかのように。
 忠告を無視する罪悪感を振り切って、土手上の道でクロスバイクを飛ばす。ペダルを漕ぐたびにデイパックからはみ出した重く使いづらい投げ竿がカタカタ鳴る。それは多分、例によって行動の歯車が空回りする音だ。薄々気づいてはいるがどうにもならない。空回りを始めた歯車は、そう簡単に止まらない。

 走馬落しに到着すると、見覚えのある軽の四駆が停まっていた。古ぼけた赤い車体の後ろ姿。幌を外してオープンにした運転席に人影。数歩分の距離をとって祐希はクロスバイクを停めた。運転席から降りてきたのは、やはりあの青年だった。
「今日はちゃんとエサ釣りの用意をしてきたんだろうな?」
 青年の問いに、祐希が無言でかぶりを振る。
「大きなシーバスの釣れる確率が高いなら、エサ釣りよりもルアー釣りがしたい」
「無理だと言ったろう、メーターオーバーは諦めろ」
「諦めない。まだ、始めたばかりだ」
 青年の冷やかな目を正面から見返して祐希は言った。道々考えた末、文句を言われたら別の場所を探せばいいと割り切っていた。釣れる確率は極端に低いが、この広大な水域に目指す獲物は確実にいると分かった。それだけでも(/もう)けものだ。
「わざわざここで待ってたんですか・・・・・・僕が釣りすると、そんなに迷惑?」
「ああ、迷惑だね。昨日も言ったが、的外れなタックルで雑なキャストをされたら魚を警戒させるだけだ」
 祐希は他のポイントを探そうとクロスバイクを方向転換する。その背中を、さらに青年の声が追う。
「だから―――このタックルを使え」
 意味を(/はか)りきれずに振り返ると、青年は車のバックスペースから細長い透明のプラスチックケースを取り出し、突き付けた。ロッドケースだ。2本継ぎのルアーロッドが透けて見える。
「それって、シーバス用のロッド?」
「俺のスペアタックルだ。貸すよ。こっちに滞在する間は、好きに使っていい」
「どうして、僕に?」
「道太郎爺さんの孫なら、放っておくわけにもいくまい。ミンゲーの甥でもあるワケだし・・・・・・」
「ミンゲー? 僕が甥ってことは伯父さんのこと? 知り合いなの?」
「田舎は狭い社会だ。いろいろとシガラミも多い。説明すると長くなる。そんなことより、このロッド、使うのか使わないのか」
 自分の親切に照れたか、青年は面倒くさそうに言い放って詳しい事情を省いた。祐希に異存はない。予算の都合で諦めたシーバスロッドをタダで使える。専用の道具なら快適な釣りができるし、青年に文句を言われることもない。いいことずくめだ。
「ありがとうございます。遠慮なく、お借りします」
 青年が貸してくれたのはロッドだけではなかった。ロッドとバランスのとれた小型軽量のリール。魚の下顎を掴んで取り込むためのフィッシュグリップ。いくつものルアーが詰まったプラスチックケース、ハリを外すためのプライヤー、ルアーの接続するスナップなど、様々な小物が収められたヒップバッグ。そっけない態度とは裏腹に、細やかな心遣いだ。
 早速、借りたタックルを試すことにした。
 二人で河原へ下りる。ロッドにリールをセットする祐希を横目に、青年は道具の説明をした。
「ロッドの長さは8フィート。川で使うにはやや短めだが、お前の体格にはそれぐらいがちょうどいい」
 リールに巻かれているのはPEラインのようだ。釣糸は素材によってナイロン、フロロカーボン、PEの三種類に分類できる。それぞれ特徴があり、ナイロンはしなやかで伸縮性があるため扱いやすく、フロロカーボンは透明度が高く比重があり摩擦(/まさつ)に強い。ポリエチレン樹脂(/じゅし)素材のPEラインはナイロンやフロロカーボンに比べ、およそ三倍の強度を誇る。細いラインを使用できるため空気抵抗が減ってルアーの飛距離が伸びる。また、ほとんど伸びないので小さなバイト―――ルアーに対する魚のアタック―――も感じることが可能だ。反面、張りがなくルアーにからみやすい、摩擦に弱いなどの理由から、先端に1メートルほど、3倍ほどの太さのフロロカーボンラインをリーダーとして(/つな)ぐ。
 リーダーの先端にルアーを結び、投げてみる。
「うわっ、軽い!」
 ロッドを振った祐希が感動の声をあげる。いままで使っていた投げ竿が野球のバットだとすれば、シーバスロッドはバトミントンのラケットのように鋭いスイングが可能だ。祐希の腕力でも余裕を残して振り抜ける。ルアーの重みやロッドの反発も実感できるため、指で押さえたラインを放すタイミングも微調整できる。投げ竿に大型リール、太いラインでルアーを投げる行為がいかに的外れだったかが一瞬で理解できた。青年が専門の道具にこだわったのも当然だ。
最初の二、三投こそフライ気味になったり目の前に叩きつけたりのミスをしたが、すぐにタイミングを把握し、思い通りのキャスティングができるようになった。青年ほどではないにしても飛距離は流芯まで届き、着水音も投げ竿を使ったキャスティングに比べて明らかに静かだ。感度もいい。ルアーは青年から託されたボックスから小魚を模した水に浮くフローティングミノーをチョイスしたが、水面下を小刻みに震えて泳ぐ振動がラインを介して手元までに伝わってくる。
次のキャストに入るため、投げたルアーを鼻歌まじりに回収する祐希の動きが不意に止まった。リールが巻けない。ロッドが曲がる。水中でルアーが踏ん張って動こうとしない。
「え、どうして?」
 一瞬、嫌な予感がよぎる―――また根掛かりか―――いや、そんなはずはない。投げたのは水に浮くフローティングミノー。よほど浅い場所でない限り川底には届かない。戸惑っていると、竿先が徐々に絞り込まれる。
「ヒット!」隣で青年が声をあげる。「根掛かりじゃない。魚だ」
「え? だって、キャスティングの練習をしていただけなのに・・・・・・」
「練習だろうが本番だろうが、水中でルアーが泳いでいるのは変わらない。魚が掛かってもても不思議じゃないさ」
 魚は流れに乗ったらしい。下流へと加速度的にスピードを増し、止まる気配を見せずに走る。大きくしなったロッドを、祐希は必死で保持する。リールが巻けない。むしろ(/うな)りをあげてラインが出ていく。リールにはラインブレイク―――糸切れを防止するため、あらかじめ設定した以上の負荷がかかると糸が滑り出る「ドラグ」という機能がある。ドラグの調整は適切なようで、切られる心配はない。
「これはデカいぞ。1メートル超えてるんじゃないかな」
 隣で呟く青年の声を耳にして、ロッドを支える祐希が狼狽(/ろうばい)する。狂喜乱舞と拍子抜け―――感情が両極に分離する。青年の声に緊迫感はないが、からかっているとも思えない。なにせ魚の走りは祐希にとって想像を遥かに超えている。釣糸の先端で原付バイクが走っているかのようだ。
 魚は一気に50メートルほど走ったろうか。ようやく抵抗が断続的になった。引き出されたラインを少しずつ回収する余裕も得たが、、リールを巻いては走られるの繰り返しで一進一退だ。
 いつしか両腕の筋肉が悲鳴を上げ、時折痙攣(/けいれん)する。流れる汗が目に入って視界が滲むが、ぬぐう余裕がない。だが疲れているのは祐希だけではなかった。魚も弱っているらしい。徐々にだが寄せられている。腹を見せて川面に浮いた魚体が見えてきた。傾きかけた夏の陽を反射して、大魚が銀色に輝く。
「・・・・・・で、でかい!」思わず祐希が呻く。
 青年の言葉は決して大袈裟ではなく、確かに1メートル以上ありそうだ。魚体を目にした途端、祐希は限界に近い両腕の疲労を忘れた。狙った獲物と一本の糸で繋がっている高揚によって、ロッドを支えリールを巻く力が(/よみがえ)る。銀色の巨体は着実に寄ってくる。時折大きく暴れて子供が溺れているかのような飛沫と水音をたてるが、ヒレにはすでに水を蹴って走るだけの力は残っておらず、いたずらに水面を叩くだけだ。近付くと、長さだけでなく太さが際立つ。胴回りは祐希より太いかもしれない。圧倒されて後ずされば、はからずもトドメの寄せとなり、魚はやや下流の護岸に打ち寄せられた。その下顎を、落ち着き払った青年がフィッシュグリップで掴み、振り返る。
「ランディング成功。お疲れさん」
「やった・・・・・・これが、1メートルの・・・・・・シーバス!」
 祐希が声を震わせて魚を覗きこむと、青年は待っていたように笑い出す。
「違うよ」
「エッ?」
「これはシーバスじゃない。レンギョだ」
「レ―――レンギョ?」
 釣れたのは狙っていない魚―――俗に言う「外道(/げどう)」だ。緊張から一挙に解き放たれた祐希は、全身の力が抜けて護岸に尻もちをつく。
 レンギョは標準和名を「ハクレン」というコイ科の魚だ。中国原産で1メートル以上に成長する。卵は川面を浮遊しながら孵化(/ふか)するが、海まで流されると死んでしまうため、かなり長い川でなければ生息できない。日本で自然繁殖が確認されているのは利根川、霞ヶ浦水系だけだ。1878年に初めて持ち込まれた外来魚で、太平洋戦争勃発(/ぼっぱつ)の翌年、1942年から食糧増産の目的で本格的に移入された。
「大昔、日本が戦争をした歴史は授業で習ったけど、その影響をこんな形で実感できるとは思わなかった・・・・・・」ちなみに祐希の想像で、大国であるアメリカに無謀な喧嘩を売った日本人は限りなく原始人に近い。
 移入したはいいが、レンギョは日本の食卓に普及することはなかった。四方を海に囲まれた日本はもともと水産資源に恵まれており、そのうえ肉質が日本人の味覚や調理方法に合わなかったのだ。漁師や釣り人から相手にされず、幸か不幸か天敵を失って、いまでは釣りの邪魔になるほど繁殖している―――そんな事情を説明する青年は、どこか楽しげに見える。
「レンギョは主にプランクトン食性で、水面を流れるエサを探して表層に群れていることが多い。油断しているとルアーに引っ掛かってしまうことがあるんだ」
 なるほど、ルアーのフックは背びれの付け根に刺さっていた。口以外の部位に針掛かりする「スレ」という状態だ。青年は無造作にプライヤーを手にするとフックを外し、魚体を流れへと戻した。けだるそうにヒレを揺らし、巨大なレンギョが深みへ帰っていく。
「あーっ! どうして逃がしちゃうんです?」祐希はとがめるような声をあげた。「確かに狙ってたシーバスじゃないけど、あんなに大きな魚を釣ったんだから、写真ぐらい撮っておきたかったのに・・・・・・」
「そう嘆くな。またすぐに釣れるさ。シーバスは首を振ったり水面をジャンプしたり激しく暴れるが、レンギョはひたすら走るだけだ。慣れればヒットの瞬間に区別できる」
 青年の言葉に嘘はなかった。次のキャストで、またレンギョが掛かった。確かに走るだけなのですぐわかる。正体が知れた以上1匹目の興奮はなく、ありがたくない大魚との力比べは無駄に体力を消耗した。
「ゲームでいえば、ドレイン攻撃をかけてくるデカいだけのウザい雑魚キャラか・・・・・・」
 ぼやきながらも、苦労して寄せた魚からフックを外すと、祐希は念願の写真撮影も忘れてリリースし、その日の釣りを断念する。すでに両腕は筋肉疲労で震えが走り、満足なキャスティングができる状態ではなかった。
「まあ無理もない。大人でもレンギョを立て続けに釣ると疲労で心が折れ、帰りたくなる」そう青年は慰めてくれたが、やはりどこか楽しげだ。
 他人が外道を釣って困っている様子は、釣り人にとって心温まる光景らしい。
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(5)
 その夜、夕食の席で伯父夫婦に川での顛末(/てんまつ)を報告した―――青年との出会い、見事なルアーフィッシィングのテクニック、冷徹な理論家ぶり、皮肉まじりのアドバイス、頑固(/がんこ)にルアーへこだわる祐希にタックル一式を貸してくれた好意―――二人とも食事をとりながら口を挟まずに聞いていたが、青年が乗っていた車に話がおよぶと、義史がチンジャオロースの大皿へ伸ばしかけた箸を止め、遠くを眺めるように目を細めた。
「その車、ひょっとしてジムニーSJ30じゃないか? 古びて赤い、軽の四輪駆動車だ」
「間違いない、その車です。伯父さん、知ってるの?」
「教え子だよ。瓜生君(/うりゅう)だ、瓜生(/かい)。隣の集落に住んでる。彼が高校3年のとき、私が担任をしていた」
「そういえば、お祖父ちゃんのこと知ってたな。それから伯父さんのことも、確か『ミンゲー』とか何とか・・・・・・」
「ああ、ソレ、義史さんのニックネームよ」言って絹江が笑った。「学校で生徒たちからミンゲーって呼ばれてんのよね」
「ひとごとみたいに・・・・・・もとはと言えば絹江さんが玄関に郷土玩具なんて置くから妙なあだ名をつけられたんじゃないか」
 絹江の生まれ故郷、福島の伝統工芸品「赤べこ」の話である。もう何年も前、担任の家に遊びに来た生徒が、玄関の下駄箱の上で首を振る見慣れない民芸品にいたく心を奪われて、友人たちに触れ回った。以来、義史は教え子から「ミンゲー」と呼ばれ、そのあだ名は先輩から後輩に語り継がれ、現在に至るというわけだ。
「祐希君がお世話になったんなら、なにかお礼しないといけないわね。ちょうどいいわ。昨日、ネットで夏野菜を使ったスイーツのレシピを見つけたの。早速試しましょう」
「お礼はいいけど、また張りきって作りすぎないようにね」
 義史が諦めたように力なく笑う。無愛想な青年が改まった礼を喜ぶかどうかは疑問だし、ましてスイーツは似合わないと思ったが、すっかりパティシエ気分の伯母には何も言えなかった。

 夕食を済ませ、勉強部屋兼寝室として割り当てられた奥座敷―――「手形の間」に納まった後も、祐希は落ち着くどころか神経が(/たかぶ)るいっぽうだった。
 畳の上に、青年、瓜生櫂から授かったタックル一式―――ロッド、リール、ルアー等の小物を並べて、飽きることなく眺める。ロッドとリールは使い込まれて全体的にくすんで見えるが、さほど古い製品ではないらしく手入れも行き届いている。プラスチックのケースに入ったルアーはいずれも、表面に引っ掻いたような細かい傷が無数についていた。しばらく観察し、それが魚の歯形だと気付いた瞬間、祐希は自分が噛みつかれたように身をすくめ、大きく息を吐いた。
(今日になって、というより夕暮れの2時間ほどで、ひと足跳びに目標へ近づいた)
 そんな感覚が胸に満ちる。昨日までは的外れな道具しかなかった。その前日は、目指す魚がいるかどうかさえ定かではなかった。だが櫂青年は目の前で、たやすくシーバスを釣って見せた。その彼が選んだタックルが、今日から自由に使える。狙った魚ではないが、レンギョという大魚も釣った。
(なんか、いろんなことがサクサク進み始めた。一気にレベルが10ぐらい上がると同時に必殺の隠しアイテムをゲットした感じ。この調子なら、もしかしたらメーターオーバーのシーバスも夢じゃないかも・・・・・・)
 希望は加速度的に根拠のない自信へと変換されていく。ルアーの表面を走る歯形に暗示をかけられたかのようだ。この高揚を誰かに伝えたくてじっとしていられなくなり、祐希は半ば無意識に携帯電話を手にしていた。
(父さんと母さんか・・・・・・いや、やっぱり釣り友達の久や良司がいいかな・・・・・・)
 登録番号をスクロールする祐希の指が、不意に止まった。
 液晶画面に、「文倉真衣」の名が表示されている。
 忘れかけていたが、真衣の携帯番号とメールアドレスは登録済みだった。といっても、クラスメイト以上の親しい間柄ではない。6年生になって同じクラスになったとき、彼女は携帯電話を買ってもらったばかりで少しでも登録件数を増やしたかったらしく、ほとんどのクラスメイト相手に番号とアドレスを交換したのだ。
 嘘つき呼ばわりされ、クラスで孤立した祐希に、真衣だけは「信じている」と言ってくれた。その一言が、今回の無謀ともいえる挑戦の原動力だった。近況報告ならば真っ先に彼女へ連絡をとるのがスジというものだろう。
(でも・・・・・・)祐希の胸に一抹(/いちまつ)の不安がよぎる。(ひょっとして真衣ちゃん、言ったこと忘れてたりして・・・・・・)
 笑い飛ばそうとして、失敗した。真衣の言葉に深い意味はなく、単なる気まぐれにすぎなかったのかもしれない。もしそうなら、勝手に盛り上がって無謀ともいえる単独遠征と大魚への挑戦を決行したあげく、頼まれもしないのに状況報告する祐希を彼女はどう思うだろう―――ウザい。キモい。恩着せがましい―――釣りに対して希望的観測歩が先走った反動か、ネガティブなリアクション候補が次々と脳内に響く。
(いや、真衣ちゃんはそんふうに考える子じゃない。優しくて思いやりにあふれた少女だ。でも、だからこそ嘘つき呼ばわりされた僕に同情して気軽に元気づけた可能性も大いにあるワケで・・・・・・)
 どっちに転んでも不本意な結論。マイナス思考のパラドックスから脱出するため電話したいが、確認するのが怖い。真衣の携帯番号を呼び出して、通話ボタンに触れる。あと1ミリ、指を動かすだけで電波が繋がる。でも、押せない。わずか1ミリが、真衣と祐希を隔てる数十キロの直線距離よりも遠い。テレビのコマーシャルは言う―――携帯電話さえあれば何時でも何処でも誰とでも気持ちが繋がる―――だけど違った。繋がるのは電波だけ。音声はともかく、気持は周波数に変換できない。
「大嘘つき」
 繋げられない携帯電話を片手に夜具の上で苦悶しながらも、祐希はいつのまにか寝た。
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第3章 楽園、生き物たちの暮らし

(1)
 青年の家、瓜生家を見つけるのに少々手間取った。
 義史に地図を描いてもらったし、「隣の集落で一番大きな家だから」と教えられたのですぐ見つかると考えていたが、甘かった。生け垣と屋敷林をぬって走る曲がりくねった細い道路は、伯父の家がある集落と似ているようでまったく違う。微妙な錯覚に方向を見失わないよう注意しながら、慎重にクロスバイクを進める。肩にかけた保冷トートバッグが不規則に揺れる。中には絹代が昨夜から仕込んで冷やしておいた夏野菜のスイーツが、保冷剤とともに詰まっている。周囲の様子を地図と照らし合わせ、いつの間にか目的地を通り過ぎてしまったと気付く。引き返して表札を確認するまで、そこが瓜生家とは思わなかった。
「なんか、小さい家・・・・・・」
 そう思って通過した、古びた表札の掛かった建造物は、よく見ると“家”ではなく“門”だった。祐希は自転車を押して、やけに奥行きのあるトンネルのような門をくぐる。
 確かに大きな家だ。まず庭が広い。テニスコートが1面、余裕で入りそうだ。正面奥の母屋は、時代劇に登場する庄屋の家か代官屋敷を思わせる大きな平屋で、屋根は萱葺(/かやぶ)きだった。両側には伯父夫婦の家にもあるような板葺きの物置、「マデヤ」がある。向かって右手には田植機やコンバインなどの農機具が収納され、左手は何かの作業場になっているらしい。広く、長く張り出した庇の下には縁台やベンチ、(/すのこ)などが置かれ、作業や休憩に利用されるらしい。
 午前9時に伯父夫婦の家を出て30分以上が過ぎ、夏の陽は高い。白く焼かれた庭に家と木々が濃い影を落とし、屋敷中に蝉の声が立ち込めて人の気配を消していた。母屋もマデヤも、戸や窓が開け放たれているものの、住人が在宅か留守か分からない。田舎の人間は半日程度なら、戸締りをせず平気で外出するのだ。
 不意に、七分丈のカーゴパンツを履いたふくらはぎに柔らかく湿った何かが触れて、祐希は小さく悲鳴をあげた。
「・・・・・・イヌ?」
 足元で中型犬が祐希を見上げている。雑種犬で全体的に薄茶色だが、背中一帯がつややかに黒い。額に浮いた一対の模様は描いたような「たれ眉毛」にしか見えず、威厳の欠片も感じられない。外見通りに性格も温和なようで吠える気配もなく、口を半開きにしてゆくりと尻尾を振っている。暑さのせいか動作も緩慢だ。
「なにか用かね?」
 犬に気をとられていると、背後からかすれた声が飛ぶ。振り向けば、初老の痩せた男が立っていた。作業着姿で長靴をはき、鎌を手にしている。そのいでたちよりも祐希の眼は、彼の背後に釘づけとなった。通りからは気付かなかったが、庭から見た門の内側には窓や戸がある。開け放った引き戸越しに玄関が垣間見え、座敷へと続いていた。老人はそこから出てきたらしい。呆気にとられて祐希が間の抜けた問いを発した。
「も、門に住んでるんですか?」
「住んでちゃ悪いのかよー」声はかすれているが、老人の受け応えは子供と大差ない。「それとも知らないのか? 長屋門」
「・・・・・・ナガヤモン?」
「こんなふうに、門の両側へ部屋が作られた大きな門のことだよ。江戸時代に武家屋敷の門として始まったが、時代が下ると庄屋や地主などの農家にも造られた。両側の部屋は、門番を兼ねた使用人が寝起きするためのものだ」
「じゃあ、おじさんって、この家の使用人なんですか?」
「そのトウリ。明治の昔から先祖代々、この瓜生家に使用人として仕えている。アタシで四代目だ」
 明治時代と言われても、祐希にとっては江戸時代と大差ない。明治維新や文明開化を知識としては知っていても、脳内ではモーニング姿の紳士と着飾った花魁が葛飾北斎の富岳三十六景を背にランデブーと洒落込んでいたりする。外国人が撮影したインチキ時代劇のような空想を展開していると、右手のマデヤから声が飛んだ。
「なにが先祖代々だ。使用人だったのは先代までで、サダさんは息子夫婦と折り合いが悪くなったから、ウチヘ押し掛け居候(/いそうろう)しているだけだろう」
 開け放った引き戸の外、庇が落とす濃い影の下、櫂青年が首に下げたタオルで額の汗を拭っている。もう一方の手には細身の切り出しナイフ。何かの作業中だったらしく、Tシャツの上から身に着けたデニムの前掛けに細かい木屑がついていた。老人は櫂の声に振り向くと、手にした鎌を振り回してわめきたてる。
「居候とは人聞きが悪いですぞ。アタシがこの瓜生家の田畑を管理しているからこそ、櫂さんはそうやって道楽にうつつを抜かしていられるというもの」
 名字なのか名前なのか不明だが、「サダ」と呼ばれた老人は櫂青年の家族ではないらしい。
「お前はこんな所まで何しに来た?」
 櫂が視線を老人から転じる。祐希は弾かれたように保冷トートバッグを肩から外し、差し出す。
「あの、これどうぞ。伯母さんが作った夏野菜のスイーツです。シーバス用のロッドやリールを貸してくれた、せめてものお礼に・・・・・・」
「俺はそんなものが欲しくてタックルを貸したわけじゃない。持って帰れ」
 やはりそうきたか―――門前払いを望んだわけではないが、祐希は無意識に青年の冷ややかな反応を予測してもいた。淡々として感情を表に出さない彼に、やはり改まった謝礼など似合わない。櫂が祐希に背を向け、マデヤに戻ろうとした時、今度は母屋の方向から透明感のある華やかな声が響いた。
「スイーツ! いま誰か、スイーツって言った?」
 見れば、開け放った玄関から若い女性がサンダルをつっかけて駆け出るところだった。エプロンを身につけているが、年齢は女子高校生ほどか。細身だが健康そうだ。無造作にふたつ縛りにした真っ直ぐで柔らかな髪が、わずかな所作に反応して機敏に揺れる。調理中でもあったか、菜っ切り包丁を手にしている。
(・・・・・・なんでこの家の人々は、みんな刃物を所持しているんだ)
 祐希の的外れな疑問をよそに、庭の真ん中で平和な雑種犬が物憂(/ものう)げに尾を振っていた。
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(2)
 アイスティーを満たしたグラスの中で氷が鳴る。
 結局、祐希の手土産は縁側に並べられ、瓜生家のお茶の時間に華を添えることとなった。アイスティーは菜切り包丁を手に飛び出してきた若い女性が(/)れてくれた。彼女は名を(/ゆい)といって、櫂の妹だそうだ。
「へー、きみが桐丘先生のところに遊びに来てる甥っ子さんかあ。ちょうどいま、お茶にしようと思ってたの。一緒に食べましょ」
 妹は上機嫌だった。多くの女子と同様、甘いものには目がないらしく、祐希と手土産は無条件の歓迎を受けた。兄は甘いものを口にする習慣はないようだが妹には甘いようで、祐希の来訪を無言で認め、サダ老人とともに縁側に腰を下ろす。祐希の土産には目もくれない櫂だが喉は乾いていたらしく、冷たい紅茶をうまそうに飲んだ。その足元で洗面器の水を飲む雑種犬。瓜生家の人々は彼を「カステラ」と呼んでいた。なるほど、薄茶色色の体に黒の背中は、カステラの色合いそのままである。
 絹江お手製の夏野菜スイーツは、トマト、グリーンアスパラ、パプリカなどを蒸して裏ごしし、味を調えたゼリーだ。一人分ずつ透明プラスチックのカップに流して固めてあり、見た目も鮮やかで涼しげだった。程よい甘味がストレートティーに合う。祐希は紅茶葉の銘柄など分からないが、微かにミントの香りを感じた。見渡せば庭の一角に様々なハーブが茂っている。濃い緑の葉が、かすかな風に揺らめく。軒下では江戸風鈴が軽やかな音を奏でる。犬のリズミカルな息遣い。庭に満ちた蝉の声。
 暑さが本領を発揮する前の穏やかな時間。
 くつろぎに満ちたのどかな空気を、不意にクラクションが引き裂いた。長く尾を引く甲高い響きは、珍走団(/ちんそうだん)の好む改造車を思わせる。間もなく、長屋門をくぐって黒塗りのセダンが現れた。サイドミラーをたたんだ車体は門の幅ぎりぎりだったが、わずかに徐行しただけで躊躇(/ちゅうちょ)なく通り抜け、遠慮なく庭の中央で停車する。スモークフィルムを貼ったフロントガラス越し、ステアリングを握っていたのは髪を逆立てたサングラスの若い男だ。先日、走馬落しの堤防で櫂にからんでいたガラの悪い男。縁側に腰かけた祐希が、思わず口走る。
「櫂さん、この前のヤクザみたいな人だよ。隠れたほうが・・・・・・」
「誰がヤクザじゃ、ゴルァ!」
 ガラの悪い男は車を降りながら凄んだ。櫂が珍しく笑顔を見せる。
「間違いじゃないだろ。地元の顔役『西山組』の跡取りなんだからな」
「ヤクザやってたのは爺様までだ。親父の代で組の看板は下ろした。いまは『有限会社・西山総合企画』だって。同じこと何度も言わせんな」
「土地転がしに賭博に高利貸し―――業務内容は変わってないだろ」
「人聞きの悪い表現はやめろ。不動産業にパチンコ店に消費者金融と言え」ぶっきらぼうに言い放つと男は助手席から小箱を手に取り、打って変わった猫なで声で妹に掲げて見せた。「唯ちゃん、お茶の時間だろ。『源内(/げんない)』のレアチーズケーキ、買ってきたぜ」
「いつもありがとう西山さん。後でいただくね。いま祐希君が夏野菜のスイーツ、差し入れてくれたの」
 唯がケーキの箱を受け取り、ガラの悪い男「西山さん」へ、アイスティーと夏野菜スイーツのカップを手渡した。自分の手土産を後回しにされた西山はひどく自尊心を気づ付けられたらしいが、唯の無邪気な受け応えはに何も言えず、引きつった笑みを浮かべている。ちなみに「源内」とは商店街で一番の―――というか唯一の―――洋菓子店で、ここのレアチーズケーキは「気合の入った土産物」の象徴でもあった。祐希に「余計なことしやがって」と言いたげな一瞥 (/いちべつ)をくれると西山は櫂の隣へ腰を下ろした。
「このガキかい? お前が面倒みてる、ミンゲーの甥っ子ってのはよ」
「べつに面倒を見てるワケじゃないさ。使っていないタックルを貸してやっただけだ」
「気まぐれとはいえ、世捨て人のお前らしくねー親切だな、おい」
「世捨て人でも人は人。自然現象の構成要素にしてフラクタルな存在。森羅万象に揺らぎがあるのなら、どんな人の行動にも揺らぎがあって当然だ」
 二人の会話は言いがかりと禅問答のようで傍目(/はため)には噛み合って見えないが、唯やサダ老人の気にも留めない様子からして、いつものことなのだろう。西山の口調は普段からぞんざいで、べつに怒っているわけではないらしい。櫂が(/おど)されているように見えたのも祐希の思いすごしのようだ。雑談の内容から察するに、彼らは高校時代の同級生で、現在も西山は釣り友達として、あるいは唯のご機嫌伺いに、瓜生家へ足を運んでいるといったところらしい。
「さてと・・・・・・約束通り今月の分、出来てんだろうな?」
 アイスティーを飲み干し、西山が縁側に音を立ててグラスをおく。櫂が溜息を漏らして腰をあげた。
「釣り場まで押しかけて催促(/さいそく)されちゃ、嫌でも仕事がはかどるよ」
 祐希は内心首を傾げた。そういえば、櫂がどんな仕事に就いているか知らなかった。学生には見えない。サダ老人も、「田畑をヒトに任せて道楽をしている」などと言っていたため農業でもないようだ。祐希も冷たい紅茶を飲み干し、彼らのあとを追った。とがめられるかと思ったが、何も言われなかった。


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(3)
 天井の蛍光灯も卓上ランプも消えていた。光に満ちた庭から一歩入ると、マデヤの内部は闇に等しい。それでも目はすぐに慣れて、作業台の上にいくつもの箱が確認できる。収納用のコンテナだ。青いプラスチックの箱には、いずれも木片が詰まっている。コンテナごとに木片の形は微妙に違う。十数センチの細長い直方体、それを流線型に削ったもの、さらにヤスリがけして滑らかにしたもの、細い溝を掘って加工した針金とウエイトを仕込んだもの。作業台には、光り輝くホログラムシールや、ウロコ模様を書き込んだアルミシートを貼ったものが加工途中で放置されていた。
「ひょっとして、これ・・・・・・ルアー?」
 興奮した祐希が声をあげると、西山が笑って軽口をたたいた。
「喜べ櫂。子供の目にも、ちゃんとルアーに見えるってよ」
「目当ての完成品は乾燥室の中だ。とっとと持って帰れ」
 櫂が指差すマデヤの隅には、四畳半ほどの屋内用物置が設置されている。歩み寄った西山が扉を開くと、内部には空調が設置されているらしく微かなコンプレッサーの音が漏れた。
「スゴイ! 櫂さんの仕事って、ルアー作り職人?」
「職人ってなんだ・・・・・・『ルアービルダー』と言え」櫂はバツが悪そうに祐希から眼を逸らす。「仕事と言っても、元々は趣味で作っていただけさ。それを西山が勝手にネットで売り始めたんだ」
「で、売れる?」
「売れるなんてもんじゃねえ」西山が両手に洗濯ハンガーを下げて乾燥室から出てきた。「いまのところ300件以上のバックオーダー抱えてる。今日仕上がったルアーだって、半年以上前に受けた注文だぜ」
 洗濯ハンガーには完成したルアーが鈴生(/すずな)りに光沢を放っている。エアブラシで様々なカラーに着色され、透明な樹脂でコーティングされていた。まだフックは付いていない。ハンガーに吊られたルアーを外し、作業台に並べながら西山がぼやいた。
「なのによ、コイツときたら趣味の延長でいまだにひとり、家内制手工業してやがる。会社起こして設備そろえて人を雇って、量産体制を整えればビジネスとして成立する。効率的に稼げる。なあ櫂、いまからでも遅くねえ。考え直して俺の話に乗れ。設備投資の資金なら全額俺が貸してやるって」
生憎(/あいにく)だったな。18世紀後半にイギリスで起きた産業革命の波が、まだこの家には押し寄せていないんだ」
 二人が噛み合わない会話を交わしている間、祐希の眼は作業台のルアーに釘づけだった。西山が手にする完成品よりはむしろ、それぞれのコンテナに納まった未完成品が心をとらえる。思いがけず熱心に見入ってしまったらしい。西山が呆れて声をかけた。
「そんなに珍しいか?」
「あ、はい。製造途中のルアーって見たことがなかったし。色を塗る前の木目がむき出しのルアーって、とても小魚には見えない。これをシーバスがエサと間違えて食いつくんだから不思議だと思って」
 祐希の言葉に、櫂と西山は顔を見合わせて苦笑する。
「なんか僕、おかしなこと言いました?」
「シーバスをはじめとする大型の肉食魚は、そこまで馬鹿じゃねえさ。普段食べている小魚とルアーが違うことぐらい区別がつくよ」
「そう。生身の小魚と木やプラスチックのルアーは、動きも違えば波動も違う。また、ルアーには自然界に存在しないような派手なカラーリングもある。匂いだって違う」
「じゃあ、ルアーで魚が釣れるのはなぜ? シーバスはルアーをエサではないと知ってて食いつくの? 意味わかんない」
「話は少し専門的になるが」そう前置きして、櫂は疑問だらけの祐希に解説を始めた。「シーバスのような生態系の上位に位置する生物を捕食(/ほしょく)者―――プレデターと表現する。彼らは様々な小動物を捕食するが、必ずしも手当たり次第に食べてるわけじゃない。ほとんどの個体(/こたい)は短期的に、そのポイントで最も最適化(/さいてきか)に成功した生物を―――つまり一番数が多い種類のエサを捕食する。数が多ければ遭遇(/そうぐう)する確率も高いから捕食コストを最小限にできるんだ。これを生態学では『最適捕食(/さいてきほしょく)理論』という。この戦略は単一種の爆発的な増殖にブレーキをかけ、結果的に生態系の多様性を保全している」
「へー・・・・・・シーバスって生態系のことまで考えて餌を食べてるんだ」
「んなわきゃねーだろ。野生の本能ってやつだよ」
 祐希の無邪気な疑問に西山がすかさずツッコミを入れた。櫂も珍しく笑みを浮かべて補足(/ほそく)する。
「プレデターはエサとなる生物の種類が多いほうが選択肢の幅が広く生き残りに有利だ。よって最適捕食という戦略を本能的にとる遺伝子が自然選択(/しぜんせんたく)的に残ったと考えればいい―――ここまではいいか?」
「・・・・・・なんとか」
 難解な単語もあったが、不思議とニュアンスは把握できた。うなずく祐希を確認するが早いか、櫂は説明を続ける。
「以上の理由から、プレデターの多くは、その場所で最も数の多い生物を選択的に捕食する。このように一種類のエサを専門的に食べる個体を『スペシャリスト』と呼ぶ。一方で、群れの二割から三割を占める個体は目に付いた餌の種類を問わず、手当たり次第に捕食する。これを『ゼネラリスト』という」
「魚にも変わり者がいるってことですか」
「変わり者も必要なのさ。確かに一番数の多いエサを集中的に食べるほうが効率はいい。だが群れを構成する個体全てがスペシャリストだったら、環境の変化などで食べていた餌が姿を消してしまった場合、捕食対象の切り替えに手間取ると、下手をすれば飢えて群れが全滅してしまう。だが二割程度でも何でも食べるゼネラリストがいれば、彼らの捕食行動にスペシャリストが追従(/ついじゅう)することで、次に数の多いエサを発見することができる」
「へー・・・・・・。自然ってうまくできてるねー・・・・・・」当たり(/さわ)りのない反応をする祐希の脳裏で、不意にパズルのピースがはまる感覚が立ち上がった。「ひょっとして、ルアーで釣れるシーバスって・・・・・・その群れの二割の、手当たり次第に何でも食べるゼネラリスト?」
「正解っ」目当てのルアーを手にして上機嫌の西山が指を差す。「シーバスはルアーを、普段食べているエサとは明らかに異質と感じながらも、『食えればラッキー、食えなきゃ吐きだせばいいや』ぐらいのノリで食いつく。当然、食えはしないが、吐き出そうにもルアーには鋭い針がついている・・・・・・って感じで、ルアーフィッシィングが成立するワケさ」
 西山の説明にうなずきながらも、櫂が慎重に補足する。
「もっとも、ゼネラリストだからって必ずルアーに食いつくとは限らない。振動や匂いから“エサではない”と判断していれば当然、警戒心が働く。その警戒心を凌駕(/りょうが)する捕食本能を引き出すのがルアーの品質であり、アングラーのテクニックなのさ」
「ルアーフィッシィングに専門的で計算された理論が隠されていたなんて・・・・・・釣り入門やルアー雑誌にはそんなこと一言も書いていなかった」
「いまの説明には個人的な見解も含まれている。それに、魚類に意識調査をしたわけじゃないから断言はできないし、科学的に証明されたわけでもない。ただ、俺はかなり有力な仮説だと考えている。もちろん反対意見もお多いだろう。それらを否定するつもりは毛頭ない。いろいろな考えがあっていい。要するに、自分なりの理論を構築するのも釣りの楽しみってことだ」
「なるほど・・・・・・それにしても意外だな。シーバスも小魚のように群れを作るんですね」
「ああ、ただしサイズの小さな個体ほど大量な数で群れ、体が成長するに従って群れを構成する個体数は減少する傾向がある。メーターオーバーの超大物になると、ほとんど単独行動と考えていい」
「それじゃあ、さっきの話と矛盾しませんか? 単独ではスペシャリストとゼネラリストに分かれることはできない」
「そう。超大物に関しては例外だ。なにせ長い年月を生き延びただけに捕食の経験値が豊富だから、そもそもスペシャリストとゼネラリストの役割分担を必要としない。餌が豊富で安定している場所を知っているし、体が大きければ縄張(/なわば)り争いでも優位に立てる。バイキングに特等席の優先席を確保されているようなもんさ」
「餌の豊富な場所を知ってるって、記憶力があるってことですか?」
 その質問には櫂がうなずくより早く西山が答えた。
「あるなんてもんじゃない。シーバスの記憶力は相当優れているぜ。釣られたルアーを何年も覚えてるって話だ。大物になればなるほど記憶の蓄積も増え、警戒心も高くなる。1メートルを超えるような超大物がルアーに口を使うことはほとんどない。そんなリスクを侵す必要がないんだからな」
「エッ? でも図書館で読んだルアーフィッシィングの本に、エサよりもルアーのほうが大物が釣れるって・・・・・・」
「だから、それは平均サイズの中で比較的大型って意味さ。この場合も、超大物は例外だ」
 話が違う。だったら餌釣りのほうが有利なのか―――そんな祐希の迷いを悟ったように櫂が忠告する。
「エサ釣りに変更しようと考えてるなら無駄だぞ。捕食経験が豊富な超大物は、針と糸が仕掛けられたエサも難なく見分ける。ルアーだろうがエサ釣りだろうが、超大物に口を使わせるには、経験値や警戒心を忘れるほどの空腹な状況が必要ってことさ」
 櫂は木片を削りはじめた。西山は完成したルアーをケースに詰めて車へ運ぶ。祐希は薄暗いマデヤで途方に暮れる。昨夜、「レベルが上がった」と感じたのは間違だったのか。いや、レベルは上がったのだろう。だが攻略の難易度も上がってしまったのだ。すべてが、振り出しに戻った。

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