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第50話。

ボールが持てない、取れない。これまでの敵のレベルとの強烈な差に、

松ノ瀬イレブンは落ち着きを取り戻せずにいた。もとい、ボールを持てば瞬時に囲まれ、守備に回れば次から次へと敵が現れパスをまわされる。落ち着こうにも落ち着く暇がなかった。
まるで壊れかけてあちこちから浸水する船をなんとか手すくいで、右へ左へ走り回って突発対応で凌ぐ、そんな守備に追われたまま時間が過ぎ、前半も半ばに達していた。

ボールを湘南学苑にキープされている時間が続く。
センターサークル手前でボールを保持した原山は前方中央で待ち受ける吉沢へパス。すぐさま須山が背中からチェックに入り、関井がそのサポートに走る。前を向かせない。が、しかしボールが取れない。二人で囲んでいるにもかかわらず、足を出せない。出しても、ボールとの間に身体を入れられうまくいなされる。足裏でボールを引き、またいでいなし、ボールを晒して足を出させられ二人の足は交互に空振りする。これがU12日本代表の力なのか。二人でかかっても止められない。
なかなか前を向けないを感じた吉沢はそのボールを原山へリターンする。関井は吉沢へ寄ったその勢いそのままに吉沢を追い越し、吉沢と原山の間に入りつつジリジリと距離をつめ原山へもプレッシャーをかける。同時に有馬も圧力をかけようとアクションを起こすが自分の前には竹井もいる。有馬もジリジリと少しずつ原山への距離をつめバランスをとった。縦へのパスコースを切られた原山は1トラップしたそのボールを自分の左に構えるダブルボランチの相方、峯田に送った。峯田には翔がプレスをかけるために斜め背後から距離を詰めるが、それより早く、峯田はボールを再び吉沢にあずける。

この中盤のトライアングルが湘南学苑の生命線であり、同時に試合を決定づける力を持ったスペシャルポイントである。テクニックと敏捷性を併せもち、それらを駆使したドリブル突破、ラストパス、得点力を驚異のレベルで発揮する天才・吉沢に、恵まれた体躯、対人守備センスと高い基礎技術から繰り出すロングパスを持つ規格外ボランチ・原山、中盤を縦横無尽に走り回るスタミナと確かな技術を有する守備的MF・峯田。この三人のパスワーク、ボール保持能力が、その周囲で輝くDF、サイドMF、FWの基板となっている。このトライアングルが中盤で優位を勝ち取ることにより、その他のポジションへボールが渡る際により優位に、たくさんの潤いが供給された状態で勝負することができるのだ。

第51話。

当たり前のように、この中盤を崩すことができれば、湘南学苑のサッカーは攻守両面においてその輝きを失うことになる。しかし、3人のうち2人の日本代表を抱えるこのトライアングルこそが最も強固で打ち勝つ事が難しい相手でもある。事実、この3人の組織と個人の融合がおりなすパスとプレスは、確実に中学生のレベルを超越している。ここを崩せないからこそ、湘南学苑はとてつもなく強い。

センターサークルを超えたあたり、少し左寄りでボールを受けに下がる吉沢。須山がその背中を追い、関井も中央から、吉沢へ向かってプレスに走りだす。

「吉沢!」

湘南学苑左ウイングバック、杉山がサイドをかけあがる。
松ノ瀬右サイドバックの和田が対応すべきところだが、杉山の挙動開始地点が低く、マークにつけていない。そこまで追ってしまっては今度は自分の裏にスペースができてしまう。杉山が吉沢の真横まで駆け上がってくる。須山、関井、和田が湘南学苑左サイド、つまり自軍の右サイドへの守備に意識を集中した。ともかく簡単には出させないこと、須山がプレスをかけ、関井は吉沢にプレスをかけつつ、パスが出たらそのまま杉山のところまで走り、和田と挟みこむ。関井が、そのためにギアをチェンジした瞬間だった。

吉沢はゴールに背中を向けたまま、背中にせまる須山を感じながら、峯田から送られたグラウンダーのパスをトラップ・・・と思いきや、トラップはしない。背中を向けたまま右足の内側を使って、ヒール(かかと)ぎみのキックで、自分の背中を通して、左サイドを走る杉山へではなく、ちょうどそれとは反対方向へ並列に、そう、つまり中央へ、センターサークルとペナルティエリアの間にボールを転がした。

―ノールックダイレクトヒールパス。

トラップしてボールキープし、杉山の駆け上がる時間を稼ぐ。もしくは、ダイレクトでフリーの杉山に預け、杉山自身にボールを運ばせる。フリーの味方がサイドをかけあがっているのだから、セオリーで行けばその二択だった。実際、関井も須山も和田も、それに備えてポジションを調整し、ギアを入れていた。その三人をあざ笑うかのような、ノールックの技ありパス。ボールは無人のバイタルエリアに転がった。そこに、一人の選手が走りこむ。

湘南学苑、背番号7。
スーパーボランチ原山。

吉沢へマークが集中しすぎたために、バイタルエリアが空き、そこに強烈なキック力を持つ原山がフリーで飛び込む。ここからであれば強烈なミドル、2トップへのラストパス、両サイドをえぐるロングレンジのパスと、展開は無数にある。それは松ノ瀬中に決定的なピンチが再び訪れたことを意味する。

「まだだ!来るな!」
関井が叫ぶ。
原山へプレスをかけるために走るが、かなりの距離がある。
フリーの原山をなんとかしたいが、松ノ瀬中CBの二人、渡辺と佐藤には楢山と原田の2トップをマークするという職務がある。ここでそれを振りほどいて原山にプレスをかければ、マークを外れたFWにラストパスを出されて失点するのは火を見るより明らかである。このまま、我慢してスペースを与えず原山を焦らすしか方法はない。
それを察知した長身FW原田は、ポジションを下げ原山!と叫ぶ。
原山はドリブルで前進しながら原山にボールを送る。
原田は、その巨大な体格をいかしボールをきっちりと足元でキープ。
佐藤が身体をぶつけるがびくともしない。
原田は、距離を詰めてきた原山に再びボールを落とした。


第52話。

このままじゃやられる―。
そう悟った松ノ瀬の左サイドバック広山は自分のサイドをある程度捨てる決意をした。パスコースを塞ぎながら、CBとともにDFラインをあげてプレスをかければ、原山からの自分のいるサイドへのパスを防ぎつつプレスをかけられる。そのためには自分が中へ絞り原田を視界に捉える必要がある。そうすることで佐藤に原山へアタックさせるしか無い。広山はその身に命令を下し、バランスを取りながら徐々に中へ絞り、叫ぶ。
11番貰う!11番とは敵FWの原田を指す。広山のその声を聞いた佐藤は、原山へのアタックを開始した。

原山はプレスをかけにくる渡辺の行動など意に介さないかのように、右サイドへロングパスを出す。
絶妙のタイミングだった。
中へ絞った広山のおかげで右サイドにはスペースが生まれ、そこを埋めるように有馬が必死に走っていたが、右サイドを同じように縦に走る竹井には間に合っていない。このタイミングしか無い、というタイミングで原山は右サイド奥地へパスを出したのだ。

竹井が走りこみ、それを有馬が追う。しかし到底間に合いそうにない。
竹井はボールを受けそのままタッチライン沿いをエンドラインへ向けてドリブルで前進。
エンドラインにたどり着いた竹井は、今度はエンドライン沿いにゴールへ向かってドリブルをする。
ドンドンとゴールへと近づく竹井。
ゴール前には長身FW原田、快速ドリブラー楢山がつめる。

佐藤がラインブレイクして原山へプレスに出たおかげで、原田へのマークは緩くなっていた。抜け出た原田に対し広山が追うが、長身で体格の良い原田に対し広山はマークにつけきれていなかった。このまま竹井に高いボールで原田に合わせられたら、止められない。山井に頼るしか無いが、原田に至近距離でヘディングをされたらそう簡単に止められるものではない。

失点の可能性はドンドンと広がっていった。
それでも、佐藤は諦めず走り、広山はなんとしても食い下がろうと懸命に身体をはった。
しかし、ボールは楢山へも原田へも来ない。

竹井が選択したのは、グラウンダーのマイナス方向へのセンタリングだった。
原田と楢山が走りこみ、松ノ瀬DF陣はそれに対応したためその後ろには、松ノ瀬DFと湘南学苑FWの裏にはスペースができており、竹井はそこへボールを転がした。

走りこんできたのは、吉沢だった。
ノールックヒールを出した後、そのまま立ち止まらずに走りこんでいたのだ。ペナルティエリア内中央、ボールに対してニアサイド寄りで、フリーの吉沢がボールを受ける。シュートコースもある。

もはや、絶望的な状況だった―。


第53話。

(ちっ、相変わらずたくさん働かせてくれるヤロウだ)
GKの山井は吉沢を、ペナルティエリアに侵入してくる前から視界に捉えていた。FC(小学生)時代からよく知るその男の才能は、一番身近で、日々の練習相手として対峙してきたゆえに誰よりもわかる。この男は、一つのプレーで満足する男ではない。必ず走りこんでくる。得点機に顔を出してくる。そして、その通り空いたスペースに走りこんできた吉沢を確認すると、竹井がグラウンダーのボールを出すか出さないかというその一瞬の間にはすでに走りだしていた。山井には単純なゴールキーピングやコーチングなどのGKテクニックだけでなく、最も必要とされる動物的なカンがある。

一気に距離をつめられた吉沢には、トラップしてボールを持ち出しシュートするだけのスペースと時間は無かった。
(―相変わらずコイツは反応がはやいな)
しかし、そう思えるだけの余裕があることが、吉沢の強みだった。トラップしたボールを右足で振り抜く素振りを見せた後、自身の左に切り返す。ボールは左足の足元に移動するが、その時すでに山井は身体を寝かせながら投げ出していた。吉沢のフェイントなどわかりきっていたかのように、身体全体でシュートコースを消す。並の選手ならジ・エンド。山井の動物的なカンと冷静な身のこなしによるスーパーセーブとなるところだが、吉沢はその一歩上を行く。利き足ではない左足の膝から下を驚異的なスピードでふり、足の甲をボールの下にすべらせる。

チップキックだ。
ボールは、体ごと横にして迫り来る山井とはまるで違う時間が流れているかのようにゆっくりと浮き、山井の身体の少し上を通って、ゴールに向かってバウンドしていった。もう、誰もゴールの前にはいない。あるのは、そこに向かってまるでスキップをするかのようにルンルンと弾んでいくボールだけだ。吉沢はキックの後、なんとか少しジャンプをしたが山井の突進を避けきれずに足がひっかかりその場で転んだ。シュートを打った後に敵に倒されるというのはゴールシーンではよくある光景だ。吉沢はその例に漏れず、自分もそのシーンの最後に加わっていることを喜びながら地面にダイブした。さあ、得点の喜びを―。

湘南学苑に追加点が入った。
前半半ばで0-2は、正直かなり深刻な状況だ。これまで圧倒されているにも関わらず、ここから2点以上を取らなければいけない。しかし、これ以上失点もできない。前がかりになりながら守備に奔走し、不用意なミスは絶対に避けなければいけないという、デリケートなリスクマネジメントが求められる。誰もが、その現実に絶望する、覚悟をしてしまうそんな時だった。突進した山井、地面に倒れた吉沢。しかしその向こうから、まるで発射しそうな電車を捕まえるために駅の雑踏を走り抜けるような姿で、ゴール前に走りこんでくる男がいた。そう、まだ、ボールはゴールラインを割っていない。

「だぁぁっしゃー!!!!」
誰もがスキップのように弾みながらゴールへ近づくボールを眺めていた。時間にしてほんの1~2秒だったかもしれない。いや、それより短い時間だっただろう。すでに誰もいないエリアを優雅に弾むボールは勢い十分で、確実にゴールの中へたどり着くと誰もが思っていた。ゆえに、楢山、原田の湘南学苑両FWもそのボールの行く先を見つめていた。しかし、どんなに自陣が崩されようが、吉沢にフリーでボールが渡ろうが、山井の裏にボールが転がってしまおうが、それらの出来事に一切ひるまず、一心不乱に自陣ゴール前を目指していた男が、このピッチの中でただ一人だけ存在した。

男は、全力疾走からのスライディングで足を投げ出し、ゴール左ネットに入りそうな浮き球のボールを間一髪のところでかき出した。ボールはゴールを超えて裏側へ飛ぶ。あぶねー!と、砂埃を立てながら起き上がったその男の背中には背番号7、左腕には黄色の腕章が巻かれていた。この1年生チームの主将、関井だった。
関井は、自陣の左サイドから崩されかけた時点で危険を感じていた。そして、その視界には自分をノールックヒールパスであざむいた吉沢が走りこもうとしているのが映っていた。全力疾走で自陣PAへ戻ろうと走るが、吉沢のスピードには追いつきそうもないし、シュートを防ぐこともできそうにない。それでも、何があるかわからない。ともかく、迷わず自陣に戻ることを選んだ。すると、やはり吉沢にボールが渡る。しかも、フリーだ。ただ、山井が反応している。さすがは山井だ。簡単にはシュートを打たせないに違いない。今まで見てきた山井の才能は、それを信じさせるだけの器だった。だから、関井はためらいもなく走り続けた。予想通り、山井はシュートコースを消して、吉沢はチップキックを選択した。自分の番だ!そう思うと、もっと早くなれる気がした。左腕の腕章が、何よりも力を与えてくれる気がした。追いつく。絶対に追いつく。そして、丁寧にボールを上へそらせる。できる、できる、できる。


第54話。

「宏和!」

チームメイトが肩を叩く。キャプテンのまわりに松ノ瀬イレブンが集まる。

「よっしゃー!」

「ナイスディフェンス!」

山井がパチンと関井の手を叩いて、関井に一言発した。

「サンキュ。見えてたよ、お前のこと」

「ああ、わかってるよ」

視線を合わせずにコーナーフラッグの方を見たまま関井は答えた。

「まだコーナーだ!集中だぞ!」

関井の掛け声にイレブンがそれぞれ、おう!やOK!と返事をした。

 

CKを山井の勇敢な飛び出しによるキャッチで防いだ松ノ瀬中だが、依然として苦しい状況に変わりはなかった。吉沢、原山、峯田のトライアングルを中心とした中盤の制圧力は圧倒的で、ボールを奪えず守備の時間が自ずと長くなる。なんとかマイボールにしたところで、このトライアングルに両サイドを加えた5人のプレッシングは凄まじく、ボールを持っても出しどころがないままプレスにさらされ、中盤でボールをまわせない。

「有馬」

左サイドでなんとかキープはするものの、パスが繋がらず苦しい表情を浮かべる有馬に話しかけたのは、小学生時代に同じクラブで戦ったボランチ原山だった。

「苦しんでるな。でもウチ相手によく持ってる方だと思うぜ」

「まだ0-1だよ。負けたわけじゃないのに余裕持ち過ぎだよ」

「ウチは負けねぇよ。吉沢の才能は半端じゃない。組織力もあるウチには勝てない。10番のレベルが違うしな」

「翔は、富士見FCで吉沢くんの横にいた頃とは違うよ。ずっと強くなった」

「おいおい、ウチの10番をなめないでくれ。日本代表だぞ?」

「だったら、ウチの10番もなめないほうがいいよ。もう原山の知ってる川崎翔じゃない」

 

「アリヤン!」

 

関井の声に有馬が我に返る。ゴロのパスが来ていた。左サイドでなんとかそれをトラップすると、さっきまで話していた原山と竹井の二人に囲まれる。考える余裕を与えずに原山がプレスに来る。ボールをまたぐフェイントで少しいなすも、気休めにしかならなかった。強い足腰とそれを生かした身体を巧みに使うディフェンスで原山は有馬からボールを奪おうとする。有馬とて簡単には渡さないが、やはり小学生時代同様長くはキープできなかった。しかし、そのまま前進させてはなるまいと有馬はスライディングで足を出し、有馬とボールを竸った。



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