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第34話。

「勝てるよな、次も」
いつもどおりに仲間とコンビニへ向かう林原は、空を見上げながら、誰に問いかけるでもなく呟いた。彼らにとって、疲れた体を癒し、練習で熱くなったトーンを他愛もない話で冷ます、そんな憩いの場がこの時間だ。日によってメンバーが違う集いであり、今日は他に翔、有馬、関井に、珍しく須山もいた。

「原山をどう崩すか、かな」
翔の言葉に、有馬が返す。
「敵だったからわかるけど、吉沢クンが相手にいるだけで、辛いよ。守備の時間が増えるし、止まらないし」

「楢山だっているんだろ~」
呆れたような、ウンザリという顔で須山が嘆く。

「やるしかねぇんだから。やるんだよ。中盤で戦って勝つ」
関井が、ひょうきんないつもの顔とは違う、もう一つの顔を見せる。

「頼むよ、キャプテン」
翔が関井の肩を叩く。

「相手は元U12だ」
関井の発言に、周りが一瞬静まる。いまさら何を――と皆が思った矢先、関井が続ける。

「やってみなきゃわかんねぇけど、単純に一対一じゃかなわないんだろ。なら翔は原山に勝つ必要はねぇ。負けんな。そんで、有ヤンと二人でチンチンにしてやればいい」

有馬と翔がお互いに視線を向ける。

「ああ、そうさ」

翔の気迫漲る回答を確認した関井が、須山に視線向ける。

第35話。

「俺とお前は吉澤を捕まえる」

須山はだまったまま、小さくうなずく。

「俺は、中盤でファイトする。ボールは絶対取られない。何が何でも」

関井の誓いに、有馬が同調する。

「宏和が取られなきゃ、攻撃はたぶんなんとかなるね」

少しの沈黙が流れた後、須山がボソっと呟く。

「俺・・・なんとか皆にパス回すわ。チームが動くように」

珍しく自分の意思を発した須山に全員が目を向ける。いつでもニュートラルな立ち居地を保ってきた須山が、めずらしく、いや、初めて自分の意思を発したことで、決意の強さを感じとり全員の意気があがる。それを察してか、一歩前を歩く林原は全員に向けて「あとは俺のドリブルでチンチンにして点はとってやっからよ」と発しながら、コンビニへと入っていった。頼もしい後ろ姿に微笑みながら、4人は林原に続いてコンビニへ入る。明日の決戦へ向け、最後の休息を取りその体を癒すのだった。

第36話。

瀧河 和仁は、毎日仕事から21時過ぎに帰宅する。当時県内トップの進学高からK大首席卒業を経て、一部上場有名化粧品ブランド「鐘堂」で部長を勤める、いわゆるエリートである。そんな和仁であるがその地位にいることを後悔することも、そしてそれより上の世界へ昇ろうという野心も無い。同期、同世代の才能ある戦友たちは皆ヘッドハンティングを受け、外資系企業や異なる業界へ足を踏み入れより高い地位を獲得していったが、それに対する羨望も嫉妬も和仁には無い。自分には新たな場所でフロンティアスピリットを発揮し、力強く運命を切り開いていく精神力も、人間力も持ち合わせていないことなど、44年も生きていればとうに自覚しているからだ。それよりも、それまで重ねてきた経験と同じように現状を受け入れ、目の前のことを黙々とこなす、同じような日常でも同じことの繰り返しであったとしてもだまって努力を重ねることで日々を生き抜くことが重要だと考えている。

しかし、それは現在の自分の個性に寄るところであり、全ての人間に当てはまるものではない。そして、この戦場のような社会で感じる最大の後悔があるとすれば国立T大に合格できなかったこと。卒業した大学の違いだけで、この社会では全てにおいて結果が変わってくる。いくら自分には他人を押しのけ、自らをアピールする器量が無かったとはいえそれ以前の部分で行く先が決まっていたことの方がはるかに多い。自分には叶わなかったが、できることなら息子にはそういう苦労をさせたくない。自分がしてきた努力よりもう一段上の努力を課すことによって、息子の未来を明るくしたいと考える。それが、和仁にとっての愛情表現だった。

「ノルマはできたか」
耀太にとって、この時間が一番嫌いな時間だった。和仁が帰宅した直後から夕食までの「ノルマは」を挟んだ時間。耀太には、小学生時分から帰宅後の15時から和仁の帰宅する21時までドリルを解くという”ノルマ”が課せられている。耀太にとって勉強というものは遊ぶ時間を奪う苦痛以外の何者でもなく、無論和仁が愛情故に課しているなどということを理解できる人間的成熟さも無い。ともかく、辛い時間だった。仏頂面で愛想が悪く、真面目に野球中継を見ているだけでもまるで怒っているように見える父の存在は、耀太にとって閻魔大王より恐ろしいものであり、父が自宅にいる平日の夜や休日というのは耀太の言葉でいうならば"地獄の牢屋"だった。

しかし毎週木曜日だけ、今日この日だけはノルマだけでなく"娯楽"のある、耀太にとって幸せな日のひとつである。和仁は毎週水曜日に欠かさず「週刊サッカーマガジン」を購入している。学生時代から部活動に励むことも無く勉強に明け暮れてきた和仁は、お世辞にも運動神経が良い方だとはいえない。スポーツ経験も皆無に等しい。本人は自覚していないが、コミュニケーション能力の乏しさ、人間的明るさや開放性の乏しさは持って生まれた人間性のみならず、多分にその生い立ちも影響しているのだろう。しかし、運動こそ積極的にしてこなかったが和仁だがスポーツに興味が無いわけではない。何事においても分析、問題解決のプロセスに興味を抱く和仁は、世間の中年親父と同様かむしろそれ以上に頻繁にスポーツ観戦、そして分析に興ずる。

第37話。

息子が小学生時代にサッカーを始めたことをきっかけに、和仁はサッカーというものに興味を持ち、野球に傾倒していた観戦スタイルからサッカーへ方針転換をすることとなる。横浜スタジアムから三ツ沢球技場、等々力競技場に行き先を切り替え、選手の動きや戦術を自らの目で分析する。その頃、文章や活字方面からの情報収集をと思い購読しだしたのが他ならぬ「週刊サッカーマガジン」である。息子のプレーや応援のためという理由が全くないと言えば嘘になるが、和仁にとっては愛する息子の応援を「楽しむため」という側面が強い。ともかく、物事をじっくりと観察し知見を増やし、自分なりの回答を導き出すことが和仁にとって興味をそそがれることなのだ。

毎週水曜購読のサッカーマガジンは、現在に至るまで尽きることなく習慣として続いており、耀太がサッカーを辞めた今も買い続けている。水曜に購入し、必ず木曜の帰宅までに大筋を読み終えることも現在まで変わらない。一部上場企業の戦士として働く和仁は残業も厭わない姿勢も手伝って日々忙しい男である。そんな中でも、和仁は必ず木曜の帰宅までにはサッカーマガジンを読み終え、帰宅後にはこれもまた"必ず"寝室のベッドの上に放り投げる。木曜の夜になるとコソコソと親の寝室に侵入し、ベッドの上から雑誌を持ち出す息子のことを確認しているが、わざわざ手渡すことはしない。いや、それを面と向かってできないのが和仁という男であり、親の姿なのだ。

耀太は学校や受験のための勉強が大嫌いというのにも関わらず、活字を読むのは好きだった。恐ろしい物言いで、自分の遊ぶ時間を奪い取り強制させられる"父"と"勉強"という存在は受け入れられないが、根本では物事を知り、分析をするのは好きなのである。そう、結局のところ血は争えないのだ。なのだが、それを父子ともに自覚がないのだから、妻であり母である文子は両者を見て「似たもの同士ね」と、耀太の妹、香と笑いながら二人を眺めている。

夕食後、耀太は自宅の庭に出てボール蹴りをする。瀧河家の自宅は祖母が住んでいた土地の上に家を新築し玄関を別にする半二世帯住宅である。土地費用が一切かからないことと、和仁の高収入によって庭付き一戸建てという豪邸とは言えないがそれなりに裕福な住まいを建てることができた。庭には大型のゴールデンレトリーバー"ライラ"がいる。庭付き一戸建てにゴールデンというと金持ちの王道のようだが、ライラの風貌は全くそれに似つかわしいものではなく、元気で人懐っこいが毛並みは全く手入れされていない、まるで野生のようである。和仁自身に風貌や容姿に関する意識が乏しいことが、ライラにも表現されてしまっているのだ。ベンツやシャネルのようにまるで金持ちのアピールのためにライラを飼っているわけではなく、もともと友人宅で人に触れることのできない環境にいたライラを不憫に思い和仁が引き取ったという経緯があり、それがゴールデンだったのは単なる偶然である。華美に着飾ることや、他人に存在をアピールすることに無頓着な和仁らしいといえばらしい。

第38話。

耀太が自宅の庭で太い幹を持つ木にボールをぶつけて遊んでいると、必ずライラが走って合流してくる。

「わっ!このやろ!」

容姿こそ野生のまま育ったかのような姿だが、ライラは父にアメリカグランプリ、母に州グランプリを持つ血統書付の超良血犬である。文子に「お祖母ちゃんのお庭なんだから白い柵から反対側へ入っちゃだめ」と躾をされるとライラは絶対にその柵を越えることは無い。越えている時があるとしたらそれは確信犯である。優秀な頭脳を持つライラは耀太との遊び方も理解している。耀太がボールで遊んでいるときは、ボールを待つのではなく奪い取る。鼻先や身体を駆使してボールを弾き飛ばし囲い込む。そうすれば、今度は耀太が自分に向かってボールを奪いに来ることを、そしてそれを耀太が楽しんでいることをライラは理解している。今日は、背後からゆっくりと近づき、一気に加速して耀太の股の下から抜け出して耀太の前に出た。ボール奪取成功の瞬間だ。

「よーしライラ。今日はここから勝負だ!」



「耀太は明日出かけるのか」

ビール片手に文子お手製のポテトフライをほうばりながら文子に聞いた。文子の料理はどれも絶品であり、酒好きの和仁にとって女房の創った料理をつまみに酒を飲めるのは至極の贅沢だった。

「ええ、なんでも中学のサッカー部の試合を応援に行くそうよ」

文子は和仁の顔が少し曇ったのを確認して、なだめるように次の言葉を発した。

「大丈夫よ、勉強はちゃんと終わらせていくって言ってたから」

「いや、そうじゃない。アイツはサッカーを辞めたんじゃなかったのか」

だから"応援"なんじゃない、と言葉にするのを控え文子は和仁を諭す。

「いいことなんじゃない?友達を応援するっていうこと自体は」

「まあ、そうだが、勉強を妨げてまで興味を向けるのも良くないだろう。」

文子が少し悲しそうな顔をしているのを見て、和仁は我に帰る。

「まあ、応援ぐらいは問題ないが・・・」

かけている眼鏡を右手で直すいつもの癖をしながら、和仁は釈明した。
和仁は中学にあがってから耀太に課する勉強の量を増やした。進級したからということもあるが、それ以上にサッカーを辞めたのだから時間があるはずだという根拠の方が大きい。高校受験もあるこの時期は、将来においてとても重要なのだ。少なくとも、学歴社会を生き抜いてきた和仁にとっては。そのため、耀太は勉学に励むべきだと考えているし、他のものに現を抜かしているのは無駄でしかないと思っている。必要最低限以外の娯楽以外は。

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