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第32話。

「この辺でサッカーに携わっている人間なら、”あのコワモテの大湊先生”といえば分かる人はわかるんです。決して、有馬や関井は僕が先生の教え子だからというだけで集まったわけではないんです。隣の小学校のクラブの監督さんも、先生の事をいたく買っていたり、卒業したOBの親御さん方からのお話もあって、彼ら松ノ瀬中一年生の親御さん達もすんなり納得したという部分もあるんです。小畑、井上、松原。名前わかるでしょう?」

湘南学苑には長年勤めていたが、大湊の記憶に定かではないがその名前は自分の教え子として指導した覚えがある。
「湘南学苑か」

「そうです。小畑さんはその隣の小学校の出身で、時折監督さんが湘南学苑の試合を観に行っていたんです。『トラップもロクにできず、サイドバックでしか使えなかったあの小畑が中盤を所狭しと走り回って、いっちょ前にパス出しをしている。おどおどしながらプレーしていたあの子が、自信を持って楽しそうにボールを追いかけ、チームメイトと供に汗を流している。とても驚いた』と、先日飲みながら僕にそんな話をしてくれました。井上さんも松原さんも、同じように親御さんから話を聞いてます。」

自分への評価が自分の知らないところで話に出ているなど夢にも思わなかった大湊は、あっけにとられ返す言葉が出てこない。そんな大湊を確認した鮫島は、今度は声のトーンをさげて大湊に嘆くように再び話し始めた。

「先生。翔、うまいでしょう?僕のあの頃に比べたら、とんでもなく上手ですよ。けれど、ウチには同じ歳に吉沢もいた。翔も放っておけば才能も手伝ってああいう スタイルの選手になってたと思います。それで勝負させても良かった。そこは指導者の分かれ道かもしれません。けれど、現段階ではどうしても吉沢の方が上 で、このままじゃ翔は表舞台には立てないままかもしれない。そう思った時、僕はスタイルを変えさせました。吉沢が常にピッチに立つことを前提として、翔に は走らせました。走って走って、その走るライン、走ることの意図、そして全てのプレーを動きながらこなすことを翔には徹底させました。翔は、初めは嫌がり ましたよ。翔だって充分うまいんですから。走らなくたってパスは来るし、良いプレーも出来るんです。でもね、翔が泣いて腐っているたびに、吉沢と同じ事を していてはいけない、それじゃいつまでたっても勝てないぞと伝えたら、翔はいつも強い心を取り戻して立ち上がる。」

川崎の冷静で飄々とした表情の裏に流れる、あの強い決意からくる燃えるような闘志は、なるほどこの男から受け継いだものなのかと、大湊は自らの教え子の指導者としての力に関心した。大湊の視線が川崎に移るのを確認した鮫島は、なおも翔の話を続ける。

「僕なんかよりずっとずっと上手い翔が、こんな所であきらめちゃいけない。こんな下手くそな僕がこんなにサッカー好きなのに、才能のあるアイツがサッカーを嫌いになっちゃいけないと思ったんです。そう思った時、先生に預けようと決めました。それは、隣の小学校のクラブだった有馬も同じです。あの世代では飛びぬけたものを持つボランチの原山相手に、苦しみながら確立したあのキープ力やロングキックはそうお目にかかれるものじゃないですよ。あちら方の監督さんにもその話をしましたし、有馬への説得を快く引き受けてくれました。」

有馬にも、苦しい過去があることは大湊も理解している。しかし、親御さんもクラブの監督も自分とは面識が無い。有馬であれば、他の有名私立でも充分に食い入る力はあったはずだが。そんな大湊の疑問を察したのか、鮫島は続ける。

「有馬は、実は僕や隣のクラブの監督さんの力じゃないんです」
苦笑をしながら鮫島は有馬の話をはじめた。

第33話。

「翔が誘ったんです。隣の小学校で翔にとって特別なつながりも無い有馬でしたが、同じU-12のライバルを抱える翔には、何か感じるものがあったのかもしれません。原山の湘南学苑進学が決まったという話を聞いてから、練習試合が終わるたびにアイツは有馬に話しかけていました。何度かお互いの家や、Jリーグ観戦にも行っていたみたいです。後で聞いたら『一緒に吉沢と原山を倒そう』と訴えていたらしいんですよ。」


「あれ?・・・監督!」

休憩に入った一年生達がぞろぞろと部室前に歩き出す中、翔は鮫島を確認し走り寄る。その後を柳橋や山井、市選抜トリオの二人、有馬と関井が追う。

「おー、翔。ちゃんと練習してるか?」

息子や弟に接するような、柔らかい笑顔で鮫島は元教え子とその新しい仲間を迎えた。

「うん。監督に言われた通り、先生の言うこと聞いて毎日練習してるよ」

意気込むでもなく、ふざけるでもなく、まるで宿題を与えられた子供のように、翔はたんたんと答えた。

自分の教えを信じ、そして自分の信じる師に、愛弟子が師事している。それが嬉しく、そしてまたおかしくもあった鮫島は、にやけながら翔を囲む仲間達全員に向けて返事をする。

「そうか。大湊さん怖いからな。そこに今いるだけでちゃんとやってるってわかるよ」

クスクスと笑いながら言葉を漏らした鮫島を、大湊は睨み付ける。横目にそれを確認した鮫島は、依然緩んだ口元をたださず大湊の視線をヒラリと交わすように次の台詞を発した。

「よう、有馬」

「こんちわっす」

「翔とはどうだ?ウマが合いそうか?」

有馬は、翔の方を見る。
翔も、それに合わせて視線を向けた。
ちょうど、二人が一瞬見つめあう形となり、一秒と待たずに目をそらした有馬は、再び鮫島に視線を向ける。

「翔、うまいです。よく走るから、パスも出しやすいし、今なら原山だって止めるのは難しいと思います」

「そうか。なかなか、良いコンビが出来たみたいだなぁ」

ニコニコと、愛好を崩さす、いやより一層の笑顔で鮫島は答えた。

「ちょっと待てって、鮫ちゃん!俺も入れてトリオで中盤だぜ!」

関井が割って入ってきた。

「おう、わりぃわりぃ。っていうかお前、相変わらずうるさいな」

笑いながら、鮫島は関井に返事をした。

「いいから、戻れ」

相変わらずの無表情、いや、敢えて厳しい声なのか、大湊は強い声で指示を出した。

「先生、日曜の試合観に行きます。どちらも自分の教え子ですからね」

「片側の教え子を贔屓することのないように」

かつての教え子に、まるで時間が戻ったかのように違和感無く大湊は言葉を与える。
応援困っちゃうな、と頭をポリポリと掻いている鮫島を見て大湊は、自分と同じイズムを持ちながらも、自分にはない力を持ち合わせた指導者になったようだと感じた。もしかしたら、いずれ自分を追い越していくのかもしれない。願わくば、自分のような一介の指導者ではなく、名を轟かせるような人物になって欲しい。そのためにも、預かった子供達をまた次の指導者へしっかりと繋ぎたい。そんな想いを馳せながら、部室に戻る一年生を眺めていると「あ、そうだ」と鮫島が独り言を発する。何かを思い出したらしい鮫島は、大湊に問いかけけるが、その質問に大湊は答えられない。

確かに、記憶にはなかったのだ。
その名前は―――――

第34話。

「勝てるよな、次も」
いつもどおりに仲間とコンビニへ向かう林原は、空を見上げながら、誰に問いかけるでもなく呟いた。彼らにとって、疲れた体を癒し、練習で熱くなったトーンを他愛もない話で冷ます、そんな憩いの場がこの時間だ。日によってメンバーが違う集いであり、今日は他に翔、有馬、関井に、珍しく須山もいた。

「原山をどう崩すか、かな」
翔の言葉に、有馬が返す。
「敵だったからわかるけど、吉沢クンが相手にいるだけで、辛いよ。守備の時間が増えるし、止まらないし」

「楢山だっているんだろ~」
呆れたような、ウンザリという顔で須山が嘆く。

「やるしかねぇんだから。やるんだよ。中盤で戦って勝つ」
関井が、ひょうきんないつもの顔とは違う、もう一つの顔を見せる。

「頼むよ、キャプテン」
翔が関井の肩を叩く。

「相手は元U12だ」
関井の発言に、周りが一瞬静まる。いまさら何を――と皆が思った矢先、関井が続ける。

「やってみなきゃわかんねぇけど、単純に一対一じゃかなわないんだろ。なら翔は原山に勝つ必要はねぇ。負けんな。そんで、有ヤンと二人でチンチンにしてやればいい」

有馬と翔がお互いに視線を向ける。

「ああ、そうさ」

翔の気迫漲る回答を確認した関井が、須山に視線向ける。

第35話。

「俺とお前は吉澤を捕まえる」

須山はだまったまま、小さくうなずく。

「俺は、中盤でファイトする。ボールは絶対取られない。何が何でも」

関井の誓いに、有馬が同調する。

「宏和が取られなきゃ、攻撃はたぶんなんとかなるね」

少しの沈黙が流れた後、須山がボソっと呟く。

「俺・・・なんとか皆にパス回すわ。チームが動くように」

珍しく自分の意思を発した須山に全員が目を向ける。いつでもニュートラルな立ち居地を保ってきた須山が、めずらしく、いや、初めて自分の意思を発したことで、決意の強さを感じとり全員の意気があがる。それを察してか、一歩前を歩く林原は全員に向けて「あとは俺のドリブルでチンチンにして点はとってやっからよ」と発しながら、コンビニへと入っていった。頼もしい後ろ姿に微笑みながら、4人は林原に続いてコンビニへ入る。明日の決戦へ向け、最後の休息を取りその体を癒すのだった。

第36話。

瀧河 和仁は、毎日仕事から21時過ぎに帰宅する。当時県内トップの進学高からK大首席卒業を経て、一部上場有名化粧品ブランド「鐘堂」で部長を勤める、いわゆるエリートである。そんな和仁であるがその地位にいることを後悔することも、そしてそれより上の世界へ昇ろうという野心も無い。同期、同世代の才能ある戦友たちは皆ヘッドハンティングを受け、外資系企業や異なる業界へ足を踏み入れより高い地位を獲得していったが、それに対する羨望も嫉妬も和仁には無い。自分には新たな場所でフロンティアスピリットを発揮し、力強く運命を切り開いていく精神力も、人間力も持ち合わせていないことなど、44年も生きていればとうに自覚しているからだ。それよりも、それまで重ねてきた経験と同じように現状を受け入れ、目の前のことを黙々とこなす、同じような日常でも同じことの繰り返しであったとしてもだまって努力を重ねることで日々を生き抜くことが重要だと考えている。

しかし、それは現在の自分の個性に寄るところであり、全ての人間に当てはまるものではない。そして、この戦場のような社会で感じる最大の後悔があるとすれば国立T大に合格できなかったこと。卒業した大学の違いだけで、この社会では全てにおいて結果が変わってくる。いくら自分には他人を押しのけ、自らをアピールする器量が無かったとはいえそれ以前の部分で行く先が決まっていたことの方がはるかに多い。自分には叶わなかったが、できることなら息子にはそういう苦労をさせたくない。自分がしてきた努力よりもう一段上の努力を課すことによって、息子の未来を明るくしたいと考える。それが、和仁にとっての愛情表現だった。

「ノルマはできたか」
耀太にとって、この時間が一番嫌いな時間だった。和仁が帰宅した直後から夕食までの「ノルマは」を挟んだ時間。耀太には、小学生時分から帰宅後の15時から和仁の帰宅する21時までドリルを解くという”ノルマ”が課せられている。耀太にとって勉強というものは遊ぶ時間を奪う苦痛以外の何者でもなく、無論和仁が愛情故に課しているなどということを理解できる人間的成熟さも無い。ともかく、辛い時間だった。仏頂面で愛想が悪く、真面目に野球中継を見ているだけでもまるで怒っているように見える父の存在は、耀太にとって閻魔大王より恐ろしいものであり、父が自宅にいる平日の夜や休日というのは耀太の言葉でいうならば"地獄の牢屋"だった。

しかし毎週木曜日だけ、今日この日だけはノルマだけでなく"娯楽"のある、耀太にとって幸せな日のひとつである。和仁は毎週水曜日に欠かさず「週刊サッカーマガジン」を購入している。学生時代から部活動に励むことも無く勉強に明け暮れてきた和仁は、お世辞にも運動神経が良い方だとはいえない。スポーツ経験も皆無に等しい。本人は自覚していないが、コミュニケーション能力の乏しさ、人間的明るさや開放性の乏しさは持って生まれた人間性のみならず、多分にその生い立ちも影響しているのだろう。しかし、運動こそ積極的にしてこなかったが和仁だがスポーツに興味が無いわけではない。何事においても分析、問題解決のプロセスに興味を抱く和仁は、世間の中年親父と同様かむしろそれ以上に頻繁にスポーツ観戦、そして分析に興ずる。

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