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●修行しなくていいの?

 クリスチャンになると、何か修行があるのではないか、などと心配しなくても大丈夫です。キリスト教、特に私が所属しているプロテスタントの教会では、修行と言うものがありません。よくお坊さんがお経を唱えたり、座禅をしたり、滝に打たれたりしていますが、そういうものはありません。

 修行のような行ないによって、救われるわけではないからです。

 私は、聖書を何度も読んでいますが、これは修行のつもりでやっているわけではありません。実際、クリスチャンでも、聖書を読み通した人は、多くはないのですから。安心してください。


●献金しなくちゃいけないの?

 初めて教会に行った時など、礼拝の最中に献金袋がまわってくるかもしれません。そんな時は、何もお金を入れずに、次の人に献金袋を渡してもよいのです。初めは献金しなくてもよいのです。

献金は、基本的に自由です。自分がささげようと思った金額をささげればいいのです。お金が無ければささげなくてもよいのです。

 ただ、クリスチャンになって、洗礼を受けた後、教会の正式なメンバーになった時は、毎月、月定献金と言うのを納めることになると思います。でも、この月定献金の金額は、自分で決めることができます。なので、無理のない範囲で、金額を決めれば良いと思います。聖書には、収入の十分の一を献金することが推奨されていますが、それに、こだわらなくても大丈夫です。無理はしてはいけません。無理のない金額をささげれば良いのです。


●神様ってどこにいるの?

 神様は、全世界のどこにでも、おられます。人間は、神様から隠れることができません。また、人間の考えていることは、全て神様に知られています。なので、教会に行かないと神様に会えないとか、そういうわけではないのです。自分のいる部屋の中にもいるのです。なので、何か神様に伝えたいことがあれば、自分の部屋で、神様に祈るといいと思います。声に出さなくても、心の中で祈ってみてください。すぐに祈りの応答がないかもしれませんが、これから先の人生の中で祈りに答えてくださるかもしれません。

 祈りは神様との会話です。ちょうど子どもがお父さんやお母さんとお話するのに似ています。お願いや感謝、気になることや不安な気持ちなど何でもお話すればいいのです。神様はいつでも聞いていてくださいます。


●キリスト教の信仰とは?

 ルカの福音書(23章39節から43節)に出てくるイエス・キリストと共に十字架に掛けられた、囚人は、死の間際にイエス・キリストを信じました。
この囚人は、おそらく洗礼も受けてないでしょう。
良い行いも何もしてないかもしれません。

 でも、死の間際にイエス・キリストを信じたのです。
ただ、それだけで、救われたのです。
それが、全てなのです。

 キリスト教の信仰とは、そういうものなのです。
修行や献金が必要というわけではないのです。

 もちろん、時間とお金のある人は、献金に励むのも良いかもしれません。
また、修行と言いますか、キリスト教の勉強に励むのも良いかもしれません。

 でも、それらのものは、二次的なものです。

 あなたが、イエス・キリストを神として信じるかどうかが、全てなのです。


~ おわりに ~

 この本を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。この本では、それほど多くのことを説明していません。キリスト教についてもっと知りたい方は、引き続きキリスト教関係の本を読むか、教会に行って、牧師さんに教えてもらうと良いと思います。

 キリスト教は、非常に奥の深い宗教です。聖書だけでも、2000ページぐらいありますし、神学を勉強しだしたらきりがないほどの広がりがあります。

そのキリスト教を、多くの人が楽しんで学べることを願っています。

 

 最後に、この本を読んでくださった方々に、神様からの満ちあふれるほどの祝福がありますように。



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