閉じる


<<最初から読む

6 / 14ページ

●クリスチャンって、みんないい人?

 「自分は善人じゃないので、とてもクリスチャンにはなれない。」と言う人がたくさんいます。

 でも、本当にそうなのでしょうか。

 

 イエス・キリストは、罪人のためにこの世に来られたのです。医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。同じように、イエス・キリストを必要とするのは、罪人なのです。

 人は誰でも罪人なのです。例え法律に触れることをしなくても、悪口を言ったり、人をねたましく思ったりすることは、誰にでもあるのではないでしょうか。もし、罪があるからクリスチャンになれないと言うのなら、誰もクリスチャンになれなくなります。

 

 そこで、僕が尊敬している牧師さんが語った、“泥水”のたとえ話を紹介しましょう。

 

 泥水を入れたコップに水道の水を注ぐと、最初のうちは汚いままですが、だんだん綺麗になって行くと思います。一度に綺麗にならなくても、少しずつ綺麗になって行くでしょう。

 

 そのように多くのクリスチャンは、少しずつ変えられて行くのです。

なので、はじめから善人である必要はないのです。


●どこの教会に行けばいいの?

 教会に行って礼拝に出席してみて、自分に合うかどうか判断してみるといいと思います。静かな礼拝を行っている教会が良いとか、元気いっぱいに賛美しているにぎやかな教会が良いかなど、自分が居心地良く感じる教会を選ぶといいと思います。

 

 私は、ある教会の礼拝に参加した時、ものすごく感動して泣いてしまったこともあります。

この経験は良い想い出になっています。

 

 また、最初、礼拝に行った時、具合が悪くなる場合もあるかもしれません。私は、30歳の時に10数年ぶりに教会に行きました。その教会は、初めて行く教会だったのですが、礼拝中に体調が悪くなりました。

 でも、それに懲りずに教会に通っていたら、だんだん楽しくなりました。

 

 ただ、教会に通うのは、無理しないことです。体調が悪い人は、心と体と相談しながら、教会に通ってみてください。


●修行しなくていいの?

 クリスチャンになると、何か修行があるのではないか、などと心配しなくても大丈夫です。キリスト教、特に私が所属しているプロテスタントの教会では、修行と言うものがありません。よくお坊さんがお経を唱えたり、座禅をしたり、滝に打たれたりしていますが、そういうものはありません。

 修行のような行ないによって、救われるわけではないからです。

 私は、聖書を何度も読んでいますが、これは修行のつもりでやっているわけではありません。実際、クリスチャンでも、聖書を読み通した人は、多くはないのですから。安心してください。


●献金しなくちゃいけないの?

 初めて教会に行った時など、礼拝の最中に献金袋がまわってくるかもしれません。そんな時は、何もお金を入れずに、次の人に献金袋を渡してもよいのです。初めは献金しなくてもよいのです。

献金は、基本的に自由です。自分がささげようと思った金額をささげればいいのです。お金が無ければささげなくてもよいのです。

 ただ、クリスチャンになって、洗礼を受けた後、教会の正式なメンバーになった時は、毎月、月定献金と言うのを納めることになると思います。でも、この月定献金の金額は、自分で決めることができます。なので、無理のない範囲で、金額を決めれば良いと思います。聖書には、収入の十分の一を献金することが推奨されていますが、それに、こだわらなくても大丈夫です。無理はしてはいけません。無理のない金額をささげれば良いのです。


●神様ってどこにいるの?

 神様は、全世界のどこにでも、おられます。人間は、神様から隠れることができません。また、人間の考えていることは、全て神様に知られています。なので、教会に行かないと神様に会えないとか、そういうわけではないのです。自分のいる部屋の中にもいるのです。なので、何か神様に伝えたいことがあれば、自分の部屋で、神様に祈るといいと思います。声に出さなくても、心の中で祈ってみてください。すぐに祈りの応答がないかもしれませんが、これから先の人生の中で祈りに答えてくださるかもしれません。

 祈りは神様との会話です。ちょうど子どもがお父さんやお母さんとお話するのに似ています。お願いや感謝、気になることや不安な気持ちなど何でもお話すればいいのです。神様はいつでも聞いていてくださいます。



読者登録

fukagorouさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について