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●イエス・キリストってどんな人?

 イエス・キリストは、2000年ほど前に、マリヤによって生まれました。聖霊によって神の子イエス・キリストを宿したと聖書に書いてあります。これが処女降誕です。

マリヤの夫・ヨセフは大工でした。

なので、イエス・キリストも30歳ぐらいまでは、大工の仕事をしていたのかもしれません。

 ただ、イエス・キリストが30歳になるまでの出来事は、聖書にあまり記述がなく、詳しいことは分かりません。

 イエス・キリストが亡くなったのは、33歳ごろだと考えられています。そのうち、実際に宣教活動をしたのは、たった3年間なのです。しかし、世界にこれほど大きな影響を与えた人物はいません。現在、世界人口の3分の1がキリスト教徒であるとのこと。このことは、普通の人間にはできないことだと思います。やはり、こうなったのは、神様の超自然的な働きがあったからではないでしょうか。

 

 イエス・キリストは、数々の奇跡を行いましたが、その奇跡について私が考えたことを書きます。

 カラスは黒い。このことは、一般的な常識です。でも、中には白いカラスがいるのです。アルビノと呼ばれる白い特殊なカラスがいるのです。自分の経験で黒いカラスしか見たことがなくても、白いカラスがいるのは事実です。これは、奇跡についても言えるのではないでしょうか。自分の経験で奇跡の体験がないからと言って、奇跡は起きないと思いこんでないでしょうか。人間一人の経験なんてちっぽけなものです。その自分だけの経験で物事を決めつけてはいけません。

 歴史上一回しか起こらない奇跡などのできごとは、科学で証明できません。科学が証明できることは、繰り返し同じ反応をすることだけです。この世界には、科学で証明できないことがたくさんあるのではないでしょうか。

 

 ちなみに私は、東京の日比谷公園で白いカラスを目撃したことがあります。


●クリスチャンって、みんないい人?

 「自分は善人じゃないので、とてもクリスチャンにはなれない。」と言う人がたくさんいます。

 でも、本当にそうなのでしょうか。

 

 イエス・キリストは、罪人のためにこの世に来られたのです。医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。同じように、イエス・キリストを必要とするのは、罪人なのです。

 人は誰でも罪人なのです。例え法律に触れることをしなくても、悪口を言ったり、人をねたましく思ったりすることは、誰にでもあるのではないでしょうか。もし、罪があるからクリスチャンになれないと言うのなら、誰もクリスチャンになれなくなります。

 

 そこで、僕が尊敬している牧師さんが語った、“泥水”のたとえ話を紹介しましょう。

 

 泥水を入れたコップに水道の水を注ぐと、最初のうちは汚いままですが、だんだん綺麗になって行くと思います。一度に綺麗にならなくても、少しずつ綺麗になって行くでしょう。

 

 そのように多くのクリスチャンは、少しずつ変えられて行くのです。

なので、はじめから善人である必要はないのです。


●どこの教会に行けばいいの?

 教会に行って礼拝に出席してみて、自分に合うかどうか判断してみるといいと思います。静かな礼拝を行っている教会が良いとか、元気いっぱいに賛美しているにぎやかな教会が良いかなど、自分が居心地良く感じる教会を選ぶといいと思います。

 

 私は、ある教会の礼拝に参加した時、ものすごく感動して泣いてしまったこともあります。

この経験は良い想い出になっています。

 

 また、最初、礼拝に行った時、具合が悪くなる場合もあるかもしれません。私は、30歳の時に10数年ぶりに教会に行きました。その教会は、初めて行く教会だったのですが、礼拝中に体調が悪くなりました。

 でも、それに懲りずに教会に通っていたら、だんだん楽しくなりました。

 

 ただ、教会に通うのは、無理しないことです。体調が悪い人は、心と体と相談しながら、教会に通ってみてください。


●修行しなくていいの?

 クリスチャンになると、何か修行があるのではないか、などと心配しなくても大丈夫です。キリスト教、特に私が所属しているプロテスタントの教会では、修行と言うものがありません。よくお坊さんがお経を唱えたり、座禅をしたり、滝に打たれたりしていますが、そういうものはありません。

 修行のような行ないによって、救われるわけではないからです。

 私は、聖書を何度も読んでいますが、これは修行のつもりでやっているわけではありません。実際、クリスチャンでも、聖書を読み通した人は、多くはないのですから。安心してください。


●献金しなくちゃいけないの?

 初めて教会に行った時など、礼拝の最中に献金袋がまわってくるかもしれません。そんな時は、何もお金を入れずに、次の人に献金袋を渡してもよいのです。初めは献金しなくてもよいのです。

献金は、基本的に自由です。自分がささげようと思った金額をささげればいいのです。お金が無ければささげなくてもよいのです。

 ただ、クリスチャンになって、洗礼を受けた後、教会の正式なメンバーになった時は、毎月、月定献金と言うのを納めることになると思います。でも、この月定献金の金額は、自分で決めることができます。なので、無理のない範囲で、金額を決めれば良いと思います。聖書には、収入の十分の一を献金することが推奨されていますが、それに、こだわらなくても大丈夫です。無理はしてはいけません。無理のない金額をささげれば良いのです。



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