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●聖書には、いろんな訳があるの?

 聖書のどの日本語訳を読むと良いかについて少し触れたいと思います。

 日本語訳の聖書でおすすめなのは、『リビングバイブル<旧新約>』と言う本です。これは、とても読みやすいです。なぜなら、キリスト教の専門用語を使わずに聖書を翻訳しているからです。初めて読むなら、この『リビングバイブル<旧新約>』が良いと思います。

 

 『リビングバイブル<旧新約>』の情報を載せます。

価格 4200円 +税

出版社いのちのことば社

発売日:2016/05/15

ISBN:978-4-264-03321-9


●イエス・キリストってどんな人?

 イエス・キリストは、2000年ほど前に、マリヤによって生まれました。聖霊によって神の子イエス・キリストを宿したと聖書に書いてあります。これが処女降誕です。

マリヤの夫・ヨセフは大工でした。

なので、イエス・キリストも30歳ぐらいまでは、大工の仕事をしていたのかもしれません。

 ただ、イエス・キリストが30歳になるまでの出来事は、聖書にあまり記述がなく、詳しいことは分かりません。

 イエス・キリストが亡くなったのは、33歳ごろだと考えられています。そのうち、実際に宣教活動をしたのは、たった3年間なのです。しかし、世界にこれほど大きな影響を与えた人物はいません。現在、世界人口の3分の1がキリスト教徒であるとのこと。このことは、普通の人間にはできないことだと思います。やはり、こうなったのは、神様の超自然的な働きがあったからではないでしょうか。

 

 イエス・キリストは、数々の奇跡を行いましたが、その奇跡について私が考えたことを書きます。

 カラスは黒い。このことは、一般的な常識です。でも、中には白いカラスがいるのです。アルビノと呼ばれる白い特殊なカラスがいるのです。自分の経験で黒いカラスしか見たことがなくても、白いカラスがいるのは事実です。これは、奇跡についても言えるのではないでしょうか。自分の経験で奇跡の体験がないからと言って、奇跡は起きないと思いこんでないでしょうか。人間一人の経験なんてちっぽけなものです。その自分だけの経験で物事を決めつけてはいけません。

 歴史上一回しか起こらない奇跡などのできごとは、科学で証明できません。科学が証明できることは、繰り返し同じ反応をすることだけです。この世界には、科学で証明できないことがたくさんあるのではないでしょうか。

 

 ちなみに私は、東京の日比谷公園で白いカラスを目撃したことがあります。


●クリスチャンって、みんないい人?

 「自分は善人じゃないので、とてもクリスチャンにはなれない。」と言う人がたくさんいます。

 でも、本当にそうなのでしょうか。

 

 イエス・キリストは、罪人のためにこの世に来られたのです。医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。同じように、イエス・キリストを必要とするのは、罪人なのです。

 人は誰でも罪人なのです。例え法律に触れることをしなくても、悪口を言ったり、人をねたましく思ったりすることは、誰にでもあるのではないでしょうか。もし、罪があるからクリスチャンになれないと言うのなら、誰もクリスチャンになれなくなります。

 

 そこで、僕が尊敬している牧師さんが語った、“泥水”のたとえ話を紹介しましょう。

 

 泥水を入れたコップに水道の水を注ぐと、最初のうちは汚いままですが、だんだん綺麗になって行くと思います。一度に綺麗にならなくても、少しずつ綺麗になって行くでしょう。

 

 そのように多くのクリスチャンは、少しずつ変えられて行くのです。

なので、はじめから善人である必要はないのです。


●どこの教会に行けばいいの?

 教会に行って礼拝に出席してみて、自分に合うかどうか判断してみるといいと思います。静かな礼拝を行っている教会が良いとか、元気いっぱいに賛美しているにぎやかな教会が良いかなど、自分が居心地良く感じる教会を選ぶといいと思います。

 

 私は、ある教会の礼拝に参加した時、ものすごく感動して泣いてしまったこともあります。

この経験は良い想い出になっています。

 

 また、最初、礼拝に行った時、具合が悪くなる場合もあるかもしれません。私は、30歳の時に10数年ぶりに教会に行きました。その教会は、初めて行く教会だったのですが、礼拝中に体調が悪くなりました。

 でも、それに懲りずに教会に通っていたら、だんだん楽しくなりました。

 

 ただ、教会に通うのは、無理しないことです。体調が悪い人は、心と体と相談しながら、教会に通ってみてください。


●修行しなくていいの?

 クリスチャンになると、何か修行があるのではないか、などと心配しなくても大丈夫です。キリスト教、特に私が所属しているプロテスタントの教会では、修行と言うものがありません。よくお坊さんがお経を唱えたり、座禅をしたり、滝に打たれたりしていますが、そういうものはありません。

 修行のような行ないによって、救われるわけではないからです。

 私は、聖書を何度も読んでいますが、これは修行のつもりでやっているわけではありません。実際、クリスチャンでも、聖書を読み通した人は、多くはないのですから。安心してください。



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