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ベアトリーチェの亡霊

千代は、まだ「サントスの御作業」の暗唱を続けていた。
「……然れば武士どもは方々を尋ね申せども、逢ひ奉らざる故に、ある童二人を召し捕り、拷問して、その御すみかを知り、サント(聖人)のしのび居給ふ御宿所に乱れ入るものなり。サントは逃がれんと思し召さば、もつともやすきことなれども、既にデウス(神)の御定めの時節は今なりと知ろしめして、彼等が迎ひに出で給ひ、内に請じて好膳を供奉し給ひ、その間にデウスヘオラシヨを申し上げ給ふものなり。武士どもこれを見て、さてもこれほどの善人に縄をかけんことはと猛き心にもいたはり申すなり……」
「サントスの御作業」は、ヨーロッパから運び込まれた印刷機で、一五九一年に加津佐でローマ字本として印刷された。印刷機を持ち帰った天正遣欧使節の人たちや、コレジオ、セミナリオの教師等を中心に、この出版作業が続けられたのだが、その作業を手伝った学生の中に、トマスや兄のミゲルもいた。幼い千代も、コレジオによく遊びに行っては、刷り上がった紙片を教材に、トマスからローマ字の手ほどきを受けたものだ。
千代の暗唱は、そんな「サントスの御作業」の中、ポリカルボ伝にまでおよんでいた。
耳を傾けていたトマス、いや了伯から、ポツリとその後の句が漏れた。
「……そのオラシヨの終りに思し召し出ださるるほどのキリシタンのためにデウスを頼み給ひ、御回向も終りぬれば、武士どもサントを驢馬に乗せたてまつて、糺し手の前に引き奉るなり……」
千代の暗唱が止まった。
そして涙を拭おうともせず、トマスの顔を見つめ直した。
トマスは、その問いかけるような眼差しに向かって言葉を続ける。

私自身、糺し手の前に何度か引き出されることになりました。その最初は、日本のお役人の前ではなく、ローマで、しかも、キリスト教の良心とまで言われたベラルミーノ枢機卿の前に引き出されたのです。私がフィレンツェから帰り、ベアトリーチェ・チェンチ処刑後の暴動が一段落を見せた頃でした。ベラルミーノ師は言われました。「シクストゥス聖書は見つかったのか」と。
私が何と答えてよいか分からず黙っていると、「チェンチ家の礼拝堂を探しに行ったのは分かっている』と言われ、『……何も見つけられなかったであろう」とも言われました。
「シクストゥス聖書は、異端者たちの影響を深く受けたものだ。だからこそ、教皇の死後、そのすべてを消滅させねばならなかった」。事実、ヨーロッパ中に配された優秀で仕事熱心な異端審問所の活躍によって、すべての『シクストゥス聖書』は回収され焼却された。ただの一冊といえど、ヴァチカンの作りだしたこのネットワークから逃れることはできなかったはずだ。それが、トマス、遠く東の果てから来た君たちが『シクストゥス聖書』のことを知っていた。そればかりか、底本にこの『シクストゥス聖書』を使って、日本語版の『新約聖書』をつくりたいなどと言う。
あれから、すべてが狂いだした。わしの警告にも関わらず、君たちはは『シクストゥス聖書』について嗅ぎまわりはじめた。まあ、そのおかげで異端の組織の存在が浮かび上がってきたわけだ。おそらくヴァチカン内部にも、その勢力は入り込んでいるのだろう。」
静かにうつむき加減で話すベラルミーノの顔がそっと持ち上げられ、そのするどい目がトマスに向けられた。
「だからこそ、『シクストゥス聖書』にあのような細工をすることができたのだ。
トマス、誰のことか分かるかな?」
「……シクストゥス様の秘書官のことでしょうか?」
「そればかりではない。おまえも現にその目で処刑を目撃したであろう。あのチェンチ一族にしたところで間違いなくこの組織の人間だ。彼等に口を割らせられればよかったのだが、あるところまで以上は追いかけることができぬ。部分部分は分かっても、その全貌を知る人間はいない。チェンチの娘ベアトリーチェにしたところで、自分が無実の父親殺しの罪で捕らえられたとしか思っておらぬ。」
「やはりローマの人々が言うように、ベアトリーチェは無実だったのですね。」
「奴らは何も分かっておらぬ。何も知らぬくせに『ベアトリーチェは無実だ。彼女の言い分にヴァチカンはもっと耳を傾けるべきだ』などと騒ぎ立てる。」
「……無実ではないのですか。」
「無実だ。フランチェスコ・チェンチを殺させたのは、他でもない、この私だ。チェンチ家は、代々ヴァチカンの会計係をしておったが、カタリ派の流れを汲む異端をも信奉しておったようじゃ。私はあの『シクストゥス聖書』については、あれは教皇一人でやったことではないと思っておった。確かに教皇は頑固で、ルネサンス期のユマニスト(人文主義者)たちに反発するあまり、逆にその影響を受けていたと言えなくはない。しかし、聖書の中に、あのような文言を挿入する人物ではない。そこで、私は当時のシクストゥス教皇の周辺を調べだした。そうしたら、フランチェスコの奴、何を怯えたのか、一族をあげてローマから逃げ出してしまった。おかしいと思い、残されたチェンチ宮を異端審問所に命じ徹底的に調べさせた。結果、チェンチ家の礼拝堂から、書き写された『マリアの福音書』が見つかった。イエスの身近に居たというマグダラのマリアが、イエスの言葉を書き残したものだといい、カタリ派の信者に大事にされておったものだ。もちろん偽りであり、異端の書であることに間違いはない。これがフランチェスコ一人にとどまらず、調べていくに連れ、シクストゥス教皇の秘書を含め、教皇の周囲にいる人間や枢機卿にまで異端者が及んでいることが分かってきた。
しかし、彼等以外に具体的な人物が特定できないばかりか、証拠がない。おおっぴらに騒げばヴァチカンの威信を傷つけることになるし、そこから『シクストゥス聖書』のことに及ばないとも限らない。そこでフランチェスコ・チェンチの逃亡先の城代を買収し、彼等の周辺を探らせることにしたのだが、そのことがフランチェスコにばれ、争ううちにやむなくフランチェスコ・チェンチを殺す羽目になってしまったという。」
「ではチェンチの残された一家を親殺しの罪で裁くのは……」
「一族こぞって異端を信奉しているように思われる。かといって、それを表面に出すことはできない。センセーショナルな事件をでっち上げ、目をそちらに向けさせる。
派手で悲劇的なことほど人は信じやすい。その間に、ヴァチカン内部にどれほど異端が浸食しているか、一族を徹底的に調べ上げ、そのうえで親殺しの罪で死んでもらった。」
「惨いことを……」
「今、この時期、ヴァチカンはユマニストやプロテスタントたちを相手に戦っている。ヴァチカンの威信が地に堕ちれば、この世界は、巨大な闇の支配するところとなろう。もっと惨い世の中が訪れる。」
ベラルミーノは、思った。
「教皇が私のことをあれほど嫌っていなければ、『シクストゥス聖書』のことは事前に阻止することはできたはずだ。しかし、教皇は私のことを病的なまでに毛嫌いしていた。かねてから自分の考えに何かと意見がましいことを言う私に対し、教皇は何度も怒りを爆発させ、シクストゥスが教皇職にある間、私は任務にことよせイタリアを離れるという避難措置さえとらなければならなかった。
しかし、ことここに至った上は致し方ない。今は、ヴァチカンに巣くう異端の根を一掃せねばならない」
「では、私たちはそのために……」
「そうとも、『シクストゥス聖書』のことを嗅ぎまわるおまえたちを囮にして、この際、ヴァチカン内部にまで入り込んだ異端の根を摘んでしまおうと思った。トマス、そのために君たちには重荷を背負わせることになるだろうが、それも自分の選んだ道……ただ、どうしてもアレッサンドロ枢機卿の尻尾をおさえることができなかった。まあ、それも時間の問題だろうがな。
……で、どうであった? これが君たちが知りたかったことのすべてだ。何か収穫があったのかな。キリスト教の闇の部分をその胸にドッサリと抱え込んで、おまえはそれでもキリスト教を信じていけるというのか。日本人とは、よけいな苦労を背負い込むのがとことん好きな人種のようだな。
……安心したまえ。シクストゥス聖書がないと分かった今、おまえたちを罰しようとは思っていない。それどころか君たちが望む教区司祭にも叙任されるようにしてやろう。かえって苦しみを背負うことになるだろうが、それも君たちの選んだ道だ……」

トマスの話に耳を傾けていた千代の亭主・九介がたまらずに口を挟んだ。
「トマス様、シクストゥス聖書が見つからなかったというなら、そこにある聖書は一体……? トマス様はたしか……」
「チェンチ家の礼拝堂にはなかったということです。だが、シクストゥス聖書は思わぬ場所に隠されていました。私たちが暮らすコレジオ・ロマーノの図書室に堂々と置かれていたのです。」



コレジオ・ロマーノ、それはトマスらが寄宿生活を送る場所。フィレンツェへ旅立つ前、トマスは、ベラルミーノ師にこの図書室へ連れてこられ、一冊の聖書を託されたことがあった。
「シクストゥスの聖書は誤植が多すぎるため廃版になりました。次のクレメンテ教皇のとき、シクストゥス=クレメンテ聖書として改訂版が出されました。今ここに用意したものがそうです。イエス様のご生涯を日本語に訳されるには、この版をテキストに使われるとよいでしょう。」
そう言って託された聖書、妙にそのことが気になって仕方がなかった。ベラルミーノ師の言葉が、トマスの心の中で反響し、それが何か大きな不安となって、重たく自分にのしかかってくる。
その声を思わず振り払おうとして、目が覚めた。
そこはコレジオ・ロマーノのトマスらの寄宿部屋。
トマスの目覚めるのを待ちあぐねていたかのように、ドアのところに一人の少女がこちらを見つめていた。
(チェンチ……、ベアトリーチェ・チェンチ。)
恐怖心はなく、トマスは心の中で、その名を呼んでみた。
ベアトリーチェは、軽く頷くと、うながすようにドアの外へと消えていった。そして、彼女に導かれるようにして着いたのが、コレジオ・ロマーノの図書室だった。
シクストゥス=クレメンテ聖書。その聖書は、ベラルミーノ師に勧められたときのまま、閲覧台の上に置かれてあった。
トマスのもの問いたげな目に、ベアトリーチェの目が大きく頷いたかのように感じられた。


 
「実はシクストゥス聖書は、表紙だけを取り替えられたうえで、ベアトリーチェの手で持ち出され、彼女が捕らえられていたサンタンジェロ城の祭具室にある予備の聖書とすり替えられていたのです。それがどんな経緯からか、コレジオ・ロマーノの図書室に移され、それをあろうことか、シクストゥス聖書をこの世から消滅させようとしたベラルミーノ枢機卿本人の手で、私どもに手渡されていたのです。表紙を換えられてしまえば、もう何も分からない。私自身、ベアトリーチェの亡霊に導かれることがなければ、容易に見つけることは出来なかったでしょう。でも見つけてしまえば、あとは、翻訳のためのテキストとして日本に持ち帰らせてほしいと依頼するばかりでした。」
千代と九介の目が、目の前にあるシクストゥス聖書に釘付けとなった。
そんな二人にかまわず、トマスは話し続ける。
「話を戻しましょう。ベラルミーノ師は、師のもとを辞そうとする私に最後にこう言われました。」
「ブルーノの処刑は来年の二月に決まった。カンポ・デ・フィオーレで火炙りとする。そのときは、トマス、君にも立ち会ってもらう積もりだ」と。
「……分かってはいましたが、ひょっとしてアレッサンドロ枢機卿の働きでブルーノ様も助かるのでは、そんな思いもありました。しかし、その希望も絶たれてしまいました。
ブルーノ様の処刑が決まったということは、それは同時にアレッサンドロ枢機卿に代表されるカトリックの革新を目指す勢力が、ベラルミーノ師に代表される保守勢力に破れたことを意味していました。ブルーノ様の処刑を機に、反動の嵐が吹き荒れるのは目に見えていました。
しかし、アレッサンドロ様の巻き返しも激しく、クレメンテ八世猊下が一六〇五年三月に崩御されるや、メディチ家の力やフランスの力を背景にして、師は、第二三三代ローマ教皇レオ一一世として即位なされたのです。師は、フランス王妃マリー・ド・メディチの姻戚だったから、師の即位が決まるや、トスカーナ公国やフランスは喜びの渦に包まれました。トスカーナ大公も、堅物のベラルミーノより、やはりメディチ家出身の教皇のほうが扱いやすいと思ったのかも知れません。フィレンツェやフランスばかりだけではなく、ローマの市民もその寛大な性格を愛し、ローマ中、喜びでわきかえるようでした。そして我々もまた大喜びだったのです。
これですべてが変わる。そう思ったものです。ところが、その喜びの行幸の中であの事件は起こりました。乗られた馬の腹帯が切れ、教皇が落馬されたのです。
以来、教皇は寝込まれるようになり、回復に向かうどころか感冒にまでかかり、遂にはお亡くなりになってしまいました。
一六〇五年四月一日から二七日までのわずか四週間足らずのご在位でした。
今でも私は、レオ教皇様の死は企まれたものだと思っています。馬の腹帯が切れたのも計画されたものなら、その後の病状が悪化したのも、毒を盛られたものに違いない、そう思っているのです。こうして我々の夢も消えました。レオ一一世猊下の後は、保守派の代表株とも言えるパウルス五世が即位することになったのですから。」
「ブルーノ様のお最期はどのようなものだったのですか?」
千代が思わず言葉をはさんだ。いつしか頑なな表情にも、いつもの暖かさが少し戻ってきているように思えた。


フィオーレ広場の火刑

ブルーノの処刑は一六〇〇年二月十七日と決まった。
この日、牢獄から引き出されたブルーノは、サンタンジェロ橋を渡るや、ヴィア・ディ・コーダ、つまり縄尻通りとよばれる小道を、その名前にふさわしく縛りあげられた縄尻をとられながら、カンポ・デ・フィオーレへと引き立てられていった。
現在、カンポ・デ・フィオーレ(花の広場)は、その名の示す通り、花や果物・野菜を商う露店でにぎわっているが、当時は陰惨な処刑場として恐れられ、この地で異端者の烙印を押された多くの人たちが生きながら焼かれていった。

ジョルダーノ・ブルーノは、一五四八年、ナポリ近くのノラという町に生れた。ブルーノ自身、自らのことを常に「ノラ人」と称しているように、十四の年にナポリに出て以来、ノラの町は、自らが帰るべき故郷として彼の中に定着していったようだ。
以後、ブルーノは十四歳で人文学や弁証法を習い、十七歳にはドミニコ派修道院に入る。しかしブルーノは、この修道院時代に、神学以上に記憶術や幾何学・天文学につよい興味を示し、更にはテレシオの自然学に親しみ、当時すでに焚書となっていたエラスムスの書物まで隠れて読んだりするようになった。そして、このようなひろい探究は、キリスト教教義に対する批判的態度を早くから生み出し、修道院当局からは次第に不審の眼をもって見られるようになった。そのあげく、一五七六年、キリストの神性を否定するアリウス説を支持した疑いでローマに告発された。
時に二十八歳、これよりブルーノの十六年にわたる放浪生活がはじまる。
以後、パリで、ロンドンで、著述活動・講演活動を続け、その名声は上がっていくが、最後に舞い戻ったイタリアのヴェネツイアにおいて、異端者として告発され捕らえられるに至った。
ヴェネツイアの獄では、「修道僧の身分を脱して一哲学者として生きたい」という希望を持ち続け、法王庁が彼の思想の価値をみとめて、それにふさわしい扱いをしてくれることを期待していたようだ。それは故なき希望ではなく、その背景にはメディチ家出身のアレッサンドロ枢機卿の理解と援助があり、その活動もあって、一年後、ブルーノはローマに引きわたされることとなった。しかし、ブルーノが喜んだのも束の間のことであった。
反動宗教改革の嵐の中で、ベラルミーノ枢機卿を中心とするブルーノを弾劾する声が次第に力を得、ブルーノの釈放は思うに任せず、七年におよぶ訊問と拷問のなかで、その希望も次第に萎んでいった。
この頃だ、ブルーノが日本から来たトマスという青年にあったのは。
ブルーノは、トマスにキリスト教の闇の部分を伝えながら、己の態度をも固め、ローマの牢ではもう幻想をすて、自らの哲学的態度を守り通す道を選んだ。ブルーノを告発する最後にまとめられた八ヶ条の異端には、三位一体の教義と聖餐の秘蹟とを疑ったこと、またキリストの神性を疑ったこと、人の輪廻を説き、宇宙の無限を主張したことがふくまれており、審問官はブルーノの著書の主張を前後の連関からきりはなして異端を責めたてたが、彼は「それは曲解であって、哲学というものをみとめぬことである。信仰においては自分に何の異端もない」と、教皇庁に真っ向から対立した。

広場の中ほどに、今まさに火を放たれようとする薪が堆く円形状に積まれている。その中央には、ポンペイ劇場を背にして高く立てられた一本の十字架があった。
罪状を読み上げる聖職者に、ブルーノは言った。「私に宣告を下しているあなたがたのほうが、宣告をうける私よりも、もっと怖れているのではないか」と。
そんな暴言が二度と吐けないよう、ブルーノは舌伽をかまされ、裸にされたうえで、その十字架に縛り付けられた。
そのブルーノの目の前に長い棒にくくりつけた十字架が差し出された。
ブルーノは、十字架をかかげ自分を見上げるその若い修道僧の顔を見て驚いた。
目深にかぶった修道着のフードの奥に、涙に濡れた懐かしいトマスの顔があった。
トマスは、まるでブルーノからの答えを待っているようにじっと動くことがなかった。
(トマスよ、自分をキリスト教に縛っているかぎり本当のものは見つけられない。)
トマスの心の中にはっきりとブルーノの声が響いた。ブルーノはその思いがトマスに届いたことを感じたのか、軽く首を振ると十字架から顔を背けた。
(十字架は、何の解決にもならない……)
呆然と立ちつくしているトマスを、役人が邪険に押しやると、積み上げられた薪に火が放たれた。たちまち炎は毒蛇の舌のように薪を嘗め廻り、やがて紅蓮の焔となって十字架を呑みつくし、ブルーノの肉体を取り巻くや、渦巻く煙を噴きあげながら広場の空へと登っていった。
時に一六〇〇年二月十七日、多くの識者は、このブルーノの処刑をもってルネサンスが終わったと捉えている。

 


キリシタン転び証文

西勝寺の門前を立ち去ろうとしている、男女二つの影があった。
男は九介、寺の門の中に向かって盛んに頭を下げている。女は千代、ただ呆然と立ちつくすのみ。そんな千代をかばうように、九介は、彼女の肩を抱えるようにしてその場から立ち去っていった。門の中に、奉行所の役人が残された。彼もまた今受け取ったばかりの「キリシタン転び証文」を懐にねじ込むと、西勝寺を離れ、西役所へと足を向けた。
振り向けば、西勝寺の庭先あたりから焚き火でもしているのか、一本の細い煙が青空に向かって吸い込まれていく。

その西勝寺の中庭では、トマス、いや荒木了伯が焚き火に向かって、何かを投げ込んでいる。
「シクストゥス聖書」を焼いているのだ。
ページをちぎりとっては、火の中へとくべていく。
その炎の中に、了伯は、ブルーノの声を聞いていた。
「キリスト教に縛られているかぎり、本当のものを見つけることは出来ない……」
キリスト教に関わらず、仏教でも、およそ宗教という形にとらわれるかぎり、人間は本当のものを見つけることは出来ない。そのことを了伯は、イヤと言うほど思い知らされた。しかし、そのことを盾にして、死が怖くて逃げ回っている自分がいることも否定できないのでは……。
ブルーノばかりでなく、日本でもたくさんの人が、あの炎の中に命を捨てていった。
今、千代や九介をキリスト教から転宗させたが、自分は本当に正しいことをしたと言えるのだろうか。ベラルミーノ枢機卿の言うように、何も知らなければ、自分も西坂刑場で多くのキリシタンたちと共に死ねたのかも知れない。
「シクストゥス聖書を探して見つけたものは、地獄でしかなかった。この地獄を抱えて生きていくしかないのだろうか……」
了伯の心はいつまでも晴れることがなかった。


サンタンジェロの新たな伝説

その頃、通訳の青年を伴った藤プロデューサーが、サンタンジェロ城の事務室で係の人間と押し問答をしていた。藤は、大阪の伊牟田と清花から「康男はサンタンジェロ城で見つかるはずだ」との連絡を受け、押っ取り刀で駆けつけてみたものの、半日、探し回っても見つけることができない。そのうち閉館時間も近づき、思いあまって事務室へ駆け込んだ。しかし、なかなか話がかみ合わず、「そんな日本人はここにはいない」「サンピエトロで行方不明になった人間が、なぜここにいると思われたのですか?」と逆に質問され、あげくに「ここへこられるより警察へ行くべきです」と反撃される始末。
その間にも閉館時間が迫ってくる。
サンタンジェロ城は、冬期は午後四時で閉まってしまうが、四月を迎えると夜の七時まで延長される。
この日、六時にチケットの販売は終了されたが、最後の見学者は、ドイツから来ているボーイスカウトの一団だった。少年たちは、入り口で注意事項を聞くや、大急ぎで薄暗いサンタンジェロの穴蔵の中へと消えていった。
大人の観光客と違い、少年たちは照明を浴びた美術品には興味がない。城壁に並べられた大砲や、中庭に据え付けられた投石機が人気の的だ。
……が、それにも増して、牢獄として機能していた巨大な迷路状の穴蔵に心を奪われた。三人組の少年たちも、ペンライトを武器に、光の届かない闇の世界に果敢に挑戦していた。
彼らは、地上へ向かう地下通路の左手に頑丈そうな扉を見つけて驚喜した。
その壁面には、左手三メートルぐらいの高さのところに鉄格子に覆われた二十センチ程度の窓状の穴が穿たれている。
「ここじゃないだろうか?」
「間違いないよ、ここに違いないよ」
かつてサンタンジェロの地下牢独房から人骨や頭髪が数多く発見されたという。
少年たちは思った。こここそ悪名高いサンタンジェロの地下牢独房に違いない。少年たちは、怖いモノ見たさの誘惑に抗しきれず、扉の下の隙間にペンライトを突っ込み、その中に何があるか覗き込もうとした。
しかし、扉が厚すぎるためほとんど何も見えない。少年たちは交互に地面に顔をこすりつけ、いろいろと角度を変えてやってみるのだが、どうしても何も見えない。
一人の少年が扉の下の隙間に手を突っ込んでみた。
「床は乾いた土みたいだ……」
そんなとき、後ろの少年の一人は、唐突にサンタンジェロに伝わる美貌の幽霊の話を思い出していた。サンタンジェロ城のテヴェレ川に面した入り口には、サンタンジェロ橋が架けられているが、この橋のたもとにベアトリーチェという、ローマで最も美しいという幽霊が現れるという。彼女は父親殺しの罪で、このサンタンジェロ城に幽閉され、厳しい取り調べの末、兄弟たちと共にサンタンジェロ広場で処刑された。
時にベアトリーチェは二十二歳の若さであり、その美貌とその毅然とした最期に、ローマっ子たちは同情を禁じ得ず、サンピエトロに運び込まれた遺骸にすがって夜中まで泣きくれたという。
人々は、無罪を訴えるベアトリーチェを死へ追いやったローマ教皇クレメンテ八世を罵り、後には、クレメンテ八世がチンチェ家の財産横領をねらった陰謀説まで登場した。
以来、このサンタンジェロにはベアトリーチェ・チンチェの幽霊が現れるといい、その話は現代に至っても、未だに後を絶たない。
「ウワーッ!」
背後の少年の叫び声に、手を突っ込んでいた少年がパニックを起こした。手が引っかかって抜けない。「ウワーッ!」この少年も叫びだした。
少年は、痛みも忘れて、手を無理やり引っこ抜き、怒ったように、振り返った。
後ろで少年が怯えたように、背後の闇を指さした。

地下の通路が緩い下りの階段になって、大きく右に曲がり下っていっている。
少年たちは、この道を上ってきた訳だが、そのちょうど曲がり角のところに壁に背をもたせかけるようにして一人の男が気を失っていた。
子供たちの叫び声に、閉館の準備をしていた守衛が駆けつけ、こうして康男の蒸発事件は終止符を打つこととなった。
サンピエトロで康男が姿を消してから三十時間あまりが経過していた。

ところで叫び声を発した少年は、康男を見つけた訳でなく、若い女性の幽霊を見たのだと言ってきかなかった。康男は康男で、若い女性に導かれるようにしてここまで来たといい、サンタンジェロの幽霊話に新しいエピソードを残すこととなった。


了伯(トマス)は、異臭漂う穴蔵の中に逆さに吊られながら、いつしか割れるような頭の痛みが遠のいているのに気づいた。自分は、いったい今どこにいるのだろう。
そうだ、自分は、九介と千代の二人を転ばせたあと、自分自身は逆にキリシタンであることを再び名乗り出たのだった。かといって、またぞろキリスト教を信じるようになったわけではない。むしろ、どんな宗教にも、どんな道徳にも、もう自分を縛りたくないと思っていた。ただ自分の言葉を信じ、殉教していった人のことを考えると苦しくてならなかった。自分が間違ったことを教えたために、たくさんの人が、救いのない地獄を選んでいった。みんな、苦しみの向こうにパライゾ(天国)があると、むなしい幻想を抱いて死んでいった。そこには呪いしかなかった。恨みしかなかった。
同じことなら、自分もあの苦しみの中に落ちていこう。そうすることが自分に出来る唯一の償いのように思えたのだ。
了伯は今、そんな自分を見ていた。ぐるぐる巻きにされ、鬱血死しないよう、こめかみに刀傷を付けられ、汚物を流し込んだ穴の中へ逆さ吊りにされている自分。そんな自分を、自分が見ている。さきほどまでの割れるような頭の痛みもなく、それ以上に、あの押しつぶされそうな心の苦しみもない。
そんな心に、湧きあがってくる一つの思い。
「トマス、神は自分の外にあるのではありません。天上にあるのでもありません。神は、自分の心の中にあるのですよ。自分の中に本当の自分があります。それを自分が隠してしまっているのです。肉体を自分と思う心が、本当の自分を隠してしまって見えなくしているのですよ。」
あれは母親だろうか。何かとてもあたたかくて、自分のすべてを包み込んでくれている。気が付くと、すべての形が消え、言葉も消え、ただ、あたたかい思いだけが残った。

穴の外では「転べ、転べ。この綱を揺すればよいのじゃ」と、がなりたてている役人たちがいる。穴の中に向かって、鍋をたたいたり、怒鳴ったり、その騒音が、穴の中に反響している。すでに一刻半も過ぎ、さすがに疲れたものか、役人たちもその場で休み、静けさが戻ってきた頃だ。一人が叫んだ。
「綱が揺れているぞ!」
「転んだ、転んだ。了伯が転んだぞ! 早くあげろ、早くあげてやれ。あの歳じゃ早くせんと死んでしまうぞ。」

この後、了伯は意識を取り戻すことなく、牢屋敷へと移された。
その枕元には、ローマで行を共にし、帰国後、共に背教者となったミゲル――今では了順と名乗っている――が付き添っていた。
了伯が、一時意識を取り戻したときのことだ。たまたま了順は奉行所に呼ばれていたのだが、その席へ役人が駆け込んできた。
「了伯殿に意識が戻りました。しきりに何かを訴えております。」
「了伯は何と申しておるのか?」奉行が言う。
「ハッ、それが…………」
「何と申しておるのだ!」
「ハッ、しきりに神は心の中にあった、神は心の中にあった。ミゲルにもこのことを伝えねば………と、そればかりを、」
「……狂ったのであろう。あらためての吟味は無用。そのままにすておけ。」
そう言うと、了順に向き直り「早く行ってやれ」と声をかけた。

了順が駆けつけたとき、了伯はすでに息絶えていた。
時に一六四六年(正保三年)、六十七年の生涯だったという。



1969年3月
テレビスタジオのホリゾントに絵筆をふるう伊牟田のもとを、藤プロデューサーが訪れた。
「おい、康男からだ。」
藤が、一通のエアメールを伊牟田に差し出す。
泥絵の具で汚れた手を腰の手ぬぐいで拭い、受け取ってみると、消印はローマからになっている。
「あいつ…………」
伊牟田が、分厚く折り畳まれた便せんを取り出そうとしたとき、一枚の写真がすべり落ちた。
藤がその写真を拾い上げうれしそうに伊牟田に手渡した。
康男が、サンタンジェロ橋の上で笑っている。
「なんてヤツだ、人に心配かけておいて……いい気なもんだ。」



あれから、僕は、藤さんにも伊牟田さんにも、お世話になった清花さんにさえ、何の相談もなくプロダクションを辞めてしまいました。本当に申し訳ありません。また清花さんの「一度、古野先生に会ってみたら」というおすすめにもまだ応えられずにいます。清花さんのいうように、過去世にこだわるのでなく、今の自分の苦しみを見つめていく、それが自分の引きずっているたくさんの過去の苦しみを癒していくことになるのだということ、本当によく分かります。
自分自身のなかで、トマスのこと、またトマスに誘ってくれたベアトリーチェの亡霊のこと、そしてブルーノのこと、もう少し考えてみたかったのです。調べることが意味のないことだとは分かっているのですが、今の僕にとっては、調べることが、その人たちと語り合うことだと思えたのです。
ところで、ローマに向かう前、長崎県立図書館で一通の転び証文を見つけました。元本は西勝寺にあり、その写しだということですが、正保二年酉の日付のあと、「右 菓子屋九介 女房」の名前があげられ、最後に「南蛮転び伴天連中庵、日本転び伴天連了順、日本転び伴天連了伯」の名が保証人として掲げられていました。
僕が、どんなにびっくりしたか分かっていただけるでしょうか。みんな、妄想でも幻覚でもなかったのです。藤さんには「まだ、そんなことを言ってるのか」って怒られそうですが、一緒にコピーを同封しておきます。
それともう一つ、長崎県立図書館で見つけた「オランダ商館長日記」、ここにもトマスの最期のことが掲げられていたので、書き写しておきました。

ウイルレム・フエルステーヘンの日記
1646年11月の条
十七日 正午頃通詞が来て、我らの輸入品の仕入れ地を尋ねたので、支那とオランダとが大部分の供給地であると答えた。これは支那人の来航が絶えても、支障はないか調べたのである。
予は日本に来た時から背教パーデレたちの事を知ろうと努めたが、トーマという日本人は長くローマに滞在し、法王の侍従を勤めたこともあり、前に数回キリシタンであることを自訴したが、奉行は、彼が老年のために精神錯乱したのであると考えて放置し、その後一昼夜足で吊された後、教をすてたが、心中には信仰を失わず死亡した。今は二人のみ生存しているが、一人は忠庵というポルトガル人で元当地の耶蘇会の長であったが、その心は黒い。他の一人は前の乙名後藤庄三郎殿(町年寄後藤庄左街門貞朝か)の兄弟で、少しもオランダ人の不利を計ることはない。

最後に「シクストゥス聖書」についても面白い資料を見つけました。オックスフォードのボードリアン図書館にも、「シクストゥス聖書」が一部紛れ込んでおり、初代司書のトーマス・ジェームズ博士がこれを見つけたというものです。一六一一年、ジェームズ博士は「シクストゥス版聖書」と「シクストゥス=クレメンテ版聖書」を比較対照する書を著しました。博士は、「二人の教皇の間に食い違いがあることは粉いようもなく、それも章句の番号だけでなく、テキストの本体、そして序言と大勅書そのものまでもが異なっていること」を発見したというのです。そればかりか、ジェームズ博士はとくに注目に値する問題として、この二人の教皇は明らかに、見解の対立から闘っていると主張し、「ここにいるのは対立する二人の教皇である。シクストゥスがクレメンテと対立し、クレメンテはシクストゥスと対立している。ヒエロニムスの聖書をめぐって論争し、文書を記し、闘っている」と記しています。

以上です。
またローマから帰ったらご連絡します。
なお、同封の写真を撮ってくれた女の子(通りすがりで、何の関係もない人なのですが、念のため)、名前をベアトリーチェというそうです。ビックリですね。
本当に、ありがとうございました。
(完)



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