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ペレイラの夢

トマスとミゲルが、はるばるローマへ渡ってきたのは、コレジオロマーノで学び宣教師に叙階されることも勿論だが、何よりもイエスの生涯とその教えを日本語に翻訳するため、そのテキストとなるべき聖書を持ち帰るためであった。
そして、この企画を支えたのが長崎内町の乙名衆(町年寄り)の一人であり、朱印船貿易家として名を馳せた末次興善とその子平蔵である。
末次興善、もとは平戸・松浦藩、木村家の出だと言われる。平戸の木村家と言えば、ザヴィエル以来のキリシタン信者で、この血筋からは、日本人として最初に神父に叙階されるセバスチャン木村や、アントニオ木村、マリーア木村デ村山等々、日本の殉教史に名を残す多くの人々を輩出している。
興善自身は、血のつながりから博多の豪商末次家を継ぐことになるが、彼自身も博多や秋月にあって、バリニャーノ神父やフロイス神父等の宿主をつとめるほどの熱心なキリシタンであった。彼の時代になって、「これからの貿易は南蛮貿易だ!」と、当時、長崎甚左右衛門によってイエズス会に寄進さればかりの、岬の地「長崎」へと進出した。
というのも「長崎」がイエズス会に寄進されるや、ポルトガル船は、イエズス会の肝いりで、平戸を捨て長崎へと入港するようになっており、しかもポルトガル商人に対するイエズス会の影響は大きく、イエズス会神父の斡旋なくしては、日本人商人はポルトガル船が舶載した生糸一本手に入れられないという状況だったのだ。
このため、多くの商人が長崎に集まり、多くの教会が長崎に出来、多くの商人がキリシタン信徒になった。そして、これら商人の手によって長崎の町が形作られていった。
ザヴィエル以来のキリシタンであり、博多の有力な貿易家でもあった末次興善が、町おこしの中心になったことはいうまでもない。
こうして長崎の町は、当初、教会領としてスタートし、南蛮貿易を目指す商人たちによって大きく発展してきたわけだが、この現状を朝鮮出兵のため肥前名護屋に滞陣していた豊臣秀吉が知った。日本の統一を目指す為政者にとっては、日本国内に、ローマ教皇に属する教会領が存在すること自体、由々しき問題であった。
秀吉の脳裏には、かつての主君であった織田信長と、加賀の国を拠点に宗教独立国を目指す石山本願寺との間の凄絶な争いが、まだ悪夢のようにこびりついている。
「いかん、絶対に許すことはできん! 長崎を天領(幕府直轄領)とせよ!」
というわけで、長崎は幕府直轄地として召し上げられることになった。
もちろん、ポルトガル船の寄港地として使うことは大歓迎。従ってキリスト教も黙認ということになる。下手にキリスト教を禁じて、貿易がストップされては困るのだ。
このような利害関係の輻輳する長崎において、末次興善は、その「扇の要」的存在であった。ザヴィエル以来の熱心なキリシタンとして、イエズス会、ひいてはポルトガル商人とつながり、朱印船貿易家としては、長崎奉行や西国大名の投資を引き受け、長崎内町乙名としては、長崎商人の利益を代弁する立場にあった。息子平蔵の代になると、長崎代官として、江戸幕府の命令伝達者としての立場が加わることとなる。

そんな興善のもとを、年老いたポルトガル人宣教師が訪ねてきた。名をギリエルモ・ペレイラという。日本人以上に日本語をよく話すと言われた人物で、興善ともよく気が合った。
かつて、リスボンの孤児院から、東方での布教活動に励む神父たちの下働きをするよう、たくさんの少年たちがインドへと送られてきたが、ペレイラも、そんな孤児たちの一人だった。
ペレイラは、今でもリスボンの港から、インドへと出発した日のことを、よく夢に見る。送る者、送られる者がリスボンの埠頭で、お互い二度と会えないことを分かりながら、「きっとまた会おう」と励まし合った。乗船してからも、少年たちの弾く楽器の調べが風に乗っていつまでも聞こえ続けていた。今も、あのときのもの悲しい調べがペレイラの耳に焼き付いている。
そんなペレイラが、興善のもとを訪れた理由は、興善も支援している加津佐セミナリオにおける出版事業のことだ。
かつて少年使節としてローマへ渡った中浦ジュリアンやドラードを中心に、不干斎ファビアンやペレイラといったセミナリオやコレジオの教師連中、それにトマスやミゲルら生徒たちが一つになっておこなっている日本語活字による出版活動。
その究極に目指すところが、イエスの生涯が語られている新約聖書の日本語版。
かつてジュリアンらは、ローマで、シクストゥス五世から、完全なラテン語聖書をキリスト教世界へ送り出すという教皇の夢を伝えられた。
日本語に訳すテキストとして、どうしてもシクストゥス聖書を手に入れたい。
しかし、今のイエズス会は、
「日本人は宣教師とするより、同宿として教会の下働きをさせることが向いている。彼らは野心的でキリストの教えを自らの出世のために利用する。宣教師になりたがるのもそのためであり、彼らには高尚なキリストの教えを理解できない。むしろその奥義を教えれば、野心的な彼らは、キリストの教えをゆがめ伝え、別の宗旨を創りだすことであろう」と、日本人を蔑むばかりか、警戒しており、この計画に協力してくれるどころか、かえって邪魔さえしかねない有様だ。

「セミナリオで学ぶ日本の青年を、何名かローマへ送ってはいかがでしょうか?」
興善がいきなり答えを返した。
「少年では、時々の判断が要求されるこの仕事の役に立ちますまい。かといって、あまり歳のいっている人間でもいけませんなあ。感受性が強く、しかもラテン語をよくしゃべれる青年が必要になります。」
ペレイラは、我が意を得たりとばかりに
「おります。トマス荒木という青年、彼は日本へ来ているどんな宣教師にも負けないぐらいきれいなラテン語を話します。それにミゲル後藤、彼はラテン語ではトマスに及びませんが、父の宗因から印刷術について手ほどきを受け、印刷のことに関しては、若い連中の誰にも負けないでしょう。」
「ミゲルというと、日本語を活字化した、あの後藤宗因の倅ですか?」
「そうです。あの後藤宗因です。」
「……それは都合がいい。あの男なら後藤庄三郎とも縁続きだ。」
後藤庄三郎というと、後には、金座・銀座を預かり、家康のブレーンの一人となる人間――つまり家康の経済顧問団の一人になるような人間なのだ。
「ローマへ行く費用、私どもが出しましょう。」
「ただし、ひとつ条件がある。」
途中から座に加わった興善の息子、末次平蔵が初めて口をきいた。
彼は後に、長崎代官村山当安を陥れ、自ら長崎外町代官の職を奪い取ることになる人物である。
「無事日本へ帰られたら、ローマで、またその道中で見たこと、聞いたこと、すべての情報を、まず、この末次平蔵に伝えてほしい。ローマのことばかりでなく、ポルトガルや他の国々、例えばエスパーニャ(スペイン)のこと等も出来るかぎり知りたい。条件は以上だ。」
「出来るかぎりでよろしいのです。どこまで調べてほしいということでなく、ローマで見たこと、聞いたことを、土産話にまず息子の平蔵に話してやっていただければ……、私は、その頃まで生きてはおれませんでしょうなあ。イエス様に聞くほうが早いでしょう。まあ、パライゾへ行ければの話ですが。」


消えたシクストゥス聖書

こうしてトマスとミゲルはローマへとやってきた。
日本のイエズス会は、この動きをローマのイエズス会本部へ伝えていた。
「日本人を信用なさらないように」と。
しかし、イエズス会総長アクアヴィーバはこの報告を無視した。
「日本にイエス様の生涯を伝えたい、イエス様の教えを伝えたいという日本の人たちの思いを、私は捨てておくわけには行かない。」

二人がローマに着いたとき、イエズス会総長アクアヴィーバは、トマスらを呼び寄せ、日本語に翻訳するためのキリスト教書籍の選択とそのテキスト収集に全面的な協力を約束してくれた。
そして、その目録作成の指導に、イエズス会の教会博士ロベルト・ベラルミーノ枢機卿を付けるという破格の待遇を準備してくれた。日本のイエズス会が、日本人を蔑視し、
「聖書の翻訳など問題にならぬ」「日本人に彼らの言葉で書かれた聖書など与えた日には、何をしでかすか分かったものではない。彼らに都合のよい解釈を与え、新しい宗派さえつくりかねない」「日本人は教会の下働きに使っておればよいのだ」……
そんな態度を取ったのとは、大きな違いがあった。
トマスらはコレジオ・ロマーノでの学習のかたわら、日本へ持ち帰るべきキリスト教文献の目録作成を進めることになった。これについてのベラルミーノ枢機卿の援助指導は徹底しており、ヴァチカン図書館の利用は言うに及ばず、利用したい図書館があれば便宜を図ってくれるばかりか、個人の蔵書でも閲覧を希望するものがあればどんどん申し出るようにという。
「そのためにはまず学ぶことです。学べば学んだだけ、あなた方が必要とする書物が見えてくるはずです。今は何が必要なのか、何を翻訳すべきなのか、まだ分からないはずです。まずは学ぶのです。まずは何事にも動じない信仰心を培うことです。」
ベラルミーノの指導は彼らの生活面にも及んだ。普通、枢機卿が、しかも教会博士と言われる人が、一介の学生の生活にまで関与すると言うことはない。それだけ「日本語版聖書」への思い入れも強かったのだろうが、それにしてもその配慮の細やかさには舌を巻くばかりだ。「最初は何かと疲れるだろう。しばらくは日本人二人だけの部屋にしてやってほしい」と言うかと思うと、後のことになるが、今度は、「コレジオの規則や生活に詳しくラテン語に精通した古参の学生と部屋を一緒にさせるように」という具合だ。
やがてトマスらがコレジオ・ロマーノでの生活にもなじんだ頃を見はからい、ベラルミーノは二人をコレジオの図書室へと連れだした。
かねて手配してあったのだろう。図書室の一番奥の机には、既に一冊の聖書が用意されていた。ベラルミーノは、二人をその席に案内しながら思った。
(実際、シクストゥス教皇はよくやった。今のこのローマで、シクストゥス教皇の息のかかっていないところなどあるだろうか。サン・ピエトロのドゥオーモは言うに及ばず、ローマの主要な場所に建てられたオベリスク、更には水道、下水道に至るまで、今、目にするローマの形すべてにシクストゥスの息がかかっている。)
しかし、この聖書だけは違った……。シクストゥスが何よりも心血を注いだのは、ウルガタ聖書(ラテン語聖書)の改訂だった。
本来なら、今ここに置かれてあるべき聖書はシクストゥス教皇が改訂したものであるはずだ。かつてシクストゥスが
「充溢せる使徒の力により、ここに宣告し、宣言する。この版は……主からわれわれに与えられた権威によって認可されたものであり、したがって真実かつ合法的なるものとして受け入れられねばならず、公共的ならびに私的な論争、説教、解釈において、疑問の余地なく拠り所とされねばならない」
そんな大勅書を発してまでカトリック世界に使用を命じた彼の聖書は、今やただの一冊も残っていない。二人の前にあるのは、シクストゥス=クレメンテ聖書として、クレメンテ教皇の代に大幅に造りかえられたものだった。
トマスにはそれが不思議でならなかった。なぜただの一冊すら残っていないのか。普段、優しく指導してくれるベラルミーノ枢機卿も、シクストゥス聖書のことを訊ねると、急に人が変わったようになってしまう。
ベラルミーノは、二人を席に座らせると、
「あの聖書は誤植が多すぎるため廃版になりしました。次のクレメンテ教皇のとき、シクストゥス=クレメンテ聖書として改訂版が出されました。今ここに用意したものがそうです。イエス様のご生涯を日本語に訳されるには、この版をテキストに使われるとよいでしょう。」
言葉は穏やかだが、そこには、冷たく聞く者をたじろがせるような威圧感が感じられた。
しかし、トマスはたじろがなかった。
「シクストゥス様の作られたものは、一冊も残っていないのでしょうか?」
「このシクストゥス=クレメンテ聖書として残っております。」
「いえ、そう言う意味でなく、シクストゥス聖書そのものが一冊も残っていないのかということなのですが……」
「ありません!」
「どうしてただの一冊さえも残っていないのでしょうか?」
「……このことについては、これ以上、話すことはありません。あなたは服従ということをもっと学ぶべきです。今、あなた方の目の前に死んでしまった聖書でなく、現にカトリック世界を動かしている生きた聖書があります。あなた方はこの生きた聖書を日本の信徒の方々に伝えるべく、このローマまではるばる来られたのではなかったのですか。トマス、あなたは言われた。たとえ聖書全体の翻訳が無理だとしても、イエスさまのご生涯だけは日本の言葉で日本の信徒の人たちに伝えたいのだと。私は、そんなあなた方の、いえ日本の信徒の方たちの思いに動かされてこの仕事を引き受けたのです。さあトマス、ミゲル、あなた方の仕事を始めなさい。二人でどこまで出来るか、イエス様のご生涯を日本語に置き換えるのです。」
こうして二人の仕事が始まった。コレジオでの学習の合間を縫うように、日本語に持ち帰るべきキリスト教書籍の目録づくり、そして新約聖書の日本語訳……。
以来、トマスはこのシクストゥス聖書について忘れようとするのだが、何かが引っかかっているようで、どうしても忘れることができない。いつの間にか、そのことに対する疑問が、心の奥底に蜘蛛の巣を張ったように居座ってしまった。
「シクストゥス聖書はどうなったのだろう。いくら誤植が多いと言っても、ヴァチカン図書館にさえ一冊も残っていないというのはどういうことだろうか……」
後藤ミゲルも同じことを考えていた。
「俺だって見てみたい。誤植が多いなら多いで、出版に携わる者として参考にしたい。シクストゥス聖書とシクストゥス=クレメンテ聖書を並べて、どこがどう変わったのか比べてみたい……と言っても、俺はおまえのようにラテン語が達者じゃないからな。」


サンタンジェロ牢獄

トマスが学ぶコレジオロマーノ(ローマ学院)の一日は、冬期では朝五時半の祈祷・ミサ聖祭に始まり、夜は、夕食後七時から八時までのラテン語の復習で終わる。その後、それぞれが良心の糾明をし、ロレトの聖母の連祷(夕べの祈り)をしてただちに就床することになる。
当初トマスは、後藤ミゲルと二人きりの部屋をあてがわれた。それはベラルミーノ枢機卿の配慮によるのだが、その二人の部屋を、就寝後、秘かに訪ねてきた男がいる。
彼の名はバルトロメオ。同じコレジオで学んでおり、アレッサンドロ枢機卿からの手紙を預かってきたという。アレッサンドロ枢機卿と言えば、中浦ジュリアンから何度も何度も聞かされた名前だ。
「何か困ったことがあれば相談に乗ってくれる人だ」と。
二人はあわててバルトロメオを部屋に招き入れるや、燭台に灯りをともした。
「なかなか渡す機会がないので、思いあまってこんな時間に訪ねてきてしまった。不躾を許してくれたまえ。」
トマスは挨拶を返すのもそこそこに、渡された手紙の封蝋を切ると、燭台の明かりにかざした。
そこには中浦ジュリアンら遣欧使節の少年たちをなつかしむ言葉と共に、一度、コレジオの休みのときにでも遊びにくるよう、それだけが書かれていた。
バルトロメオは意味ありげに
「君たちはシクストゥス聖書について知りたいんだろう。」
それだけを言い残して去っていった。
後で知ったことだが、バルトロメオは、アレッサンドロ枢機卿と同じ、フィレンツェはメディチ家の出身だという。それも二人ともが私生児であることまで同じだった。それはともあれ、彼はトマスや後藤ミゲルがローマのコレジオロマーノで学ぶようになって初めてできた友人となった。

ところでローマ教皇庁は、シクストゥス五世の改革以来、検邪聖省をはじめとして十いくつかに分かれた聖省という中央行政機関を持つようになっていた。そのうち検邪聖省と教区聖省は教皇自らが長官となるが、その他の聖省の長には枢機卿が選ばれ長官となる。
これら聖省の中に礼部聖省があった。
十六世紀に至るまでは、典礼的礼拝の様式について、法王庁は独占的統一権をもっていなかった。典礼祭式の本質は、どこでも一定し昔から普遍のまま維持されてきたが、この本質の表現様式に至っては、教区によりまたは修道会により、それぞれ特徴を持って小差を生ずるようになった。この違いがあまりにはなはだしくなると弊害も少なくない。そこでトレント公会議は、聖務日課書、ミサ典書の改訂統一をはかり、この統一化をつらぬくためにと、シクストゥス五世が創設したのが礼部聖省だった。
その礼部聖省こそ、アレッサンドロ枢機卿が長官を務めるところだ。

いきなりだった。
「ジュリアンは元気ですか? マルチノは、マンショは……使節の少年たちはみんな元気ですか?」
バルトロメオに連れられ、ヴァチカンの礼部聖省を訪れたトマスとミゲルを、アレッサンドロ枢機卿は掻き抱くようにして声をかけた。
「そうですね、みんな、もう少年ではないですね。しかし驚くべきことです。日本に印刷機が入ってまだ十年ほどにしかならないと言うのに、もう日本語の印刷が始まっているという。私は日本語のことはよく知りませんが、聞けば、大変複雑な言語体系だというではないですか。それを日本の人たちは日本語の活字セットまで作り上げたという。考えられないことです。」
話の流れは、いきおい日本語版聖書作成の夢に及ぶ。話しながらトマスの脳裏に、日本の仲間たちの顔が浮かんだ。トマスにラテン語を教えたポルトガルの捨て子院出身のペレイラ修道士、日本語の鉛活字作成に命をかけた後藤宗因とドラード、シクストゥス聖書のことを熱っぽく語った中浦ジュリアン……そんなたくさんの思いに促されるように、トマスは恐る恐るシクストゥス聖書のことを口にした。
アレッサンドロの顔がくもったかに見えた。
「この典礼聖省はシクストゥス様がおつくりになられ、ミサ聖祭の執行、秘蹟の授与、列福・列聖についての仕事を行います。シクストゥス様が教皇の座にお着きになられて以来、私がこの仕事に当たってきましたが、聖書の改訂に当たって教皇を助けたのは教皇秘書官だけなのです。その秘書官もまた、シクストゥス聖書と同じく、既にこの世にはおりません。」
「…………」
「今ではこのローマで、シクストゥス聖書のことをもっともよく知っている人間……それはベラルミーノ教会博士をおいて他にはおられないでしょう。あなた方の目録作成のお手伝いをされている方です。」
ミゲルが言葉を挟んだ。
「ベラルミーノ様は、シクストゥス聖書のことを訊かれるのを嫌います。あのお優しい方が、そのことになると怒りさえ露わになさいます。」
「………………」
「あの聖書に一体何が起こったのでしょうか。あの聖書のことになると、誰もが口を閉ざしてしまう。まるで触れてはいけない秘密でもあるかのように……本当に、誰一人、知らないのでしょうか?」
トマスが問うた。
「それを知りたければ、あの男に会う以外ない………あの男に問うてみるしかないでしょう。」
まるで独り言のようにつぶやくアレッサンドロに
「そんな方が、ベラルミーノ様以外におられるのですか?」
と、トマスが畳みかけるように問う。
「……います。しかし危険が伴うことです。勇気もいります。それはあなた方の肉体にとって危険というばかりでなく、あなた方の魂にとっても大きな危険となるものです。あなた方が知りたくないと思うようなことまで知ることになるでしょう。あなた方にその勇気と覚悟がないのなら、シクストゥス聖書は忘れることです。」
トマスは、いつしか自分が抜き差しならぬ穴へはまりこんでしまっているのに気付いた。ここまで聞いて引き返せるわけがない。ここまで聞いて、自分の好奇心と折り合いを付け引き返せる人間がいたとしたら、それこそ勇気のある人間だろう。
トマスは思った。
(アレッサンドロ様は言葉とは裏腹に、俺たちに本当のことを知らせたがっている。だからこそ、こんな話し方をするに違いない。一体、この方はどこまで知っておられるのだろう……。)
彼は二人に考える猶予を与えなかった。躊躇する間もなく一人の男の名が、彼の口から飛び出していた。
「ブルーノ……、ジョルダーノ・ブルーノと言うイタリア人です。彼は今、サンタンジェロ城塞に異端者として幽閉され取り調べを受けています。」
アレッサンドロは反応を確認するかのように、じっと二人の様子を窺っていた。
……が、突然、
「トマス、ミゲル、どちらか一人、週に一度、バルトロメオと共にサンピエトロ寺院の祭具室の整理を手伝ってください。コレジオへは私の方から話を付けておきます。」
結局トマスがその役割を担うことになった。二人が危険を負うべきではないし、一人がコレジオに残ることで、何かことがあったとき、対処も容易であろう。それがアレッサンドロ枢機卿の考えだった。
しかし、アレッサンドロと言いベラルミーノと言い、シクストゥス聖書と一体どう関わっているのだろう。そのうえ同じ枢機卿でありながら、二人の間には、何か目に見えない対立関係のようなものさえ感じてしまう。

それから日ならずして、アレッサンドロ枢機卿からコレジオのほうに、
「祭具室の整理の後、トマスに、ぜひ手伝ってもらいたい仕事がある。今日は私のもとに泊まらせたいのだが……。日本の話もいろいろ聞きたいのだ……」という連絡が入った。

その夜のことである。トマスはバルトロメオに導かれ、枢機卿館に設けられた小祭具室へと降りてきた。この小祭具室には、地下の墓所からサンタンジェロに抜ける地下通路の入り口があるという。
バルトロメオは小祭具室に入るや、手燭をトマスに預け、壁に掛けられたタペストリーをめくり、その内側へと潜り込んだ。絨毯が人の形に盛り上がり、やがて、そのふくらみがモゾモゾ動いたかと思うと、まるで壁に吸い込まれたかのように消えてしまった。
「トマス、来てくれ……」
押し殺した声が、トマスにも後に続くよう促した。


マグダラのマリア



「この一月から、俺の異端を告発すべくベラルミーノ枢機卿が異端審問委員長となった。彼は、君たちが日本へ持ち帰るべき書誌目録作りを指導しているのではなかったのかね。」
ブルーノが唐突に口を開いた。
「奴はいろんな意味で優秀だ。俺にかけられた二六〇を越える異端嫌疑項目の中から、バカげた意味のない告発内容を無視し、そのうえで、俺の著作や俺の思想のみに焦点を絞って責め立ててきた。バカげた告発内容なら、のらりくらりとかわすことも出来る。私が間違っていましたと、何度だって奴らに頭を下げてもやれる。しかし、今や俺の思想が、俺の哲学が問われている。これを否定することは、自分を否定することに他ならない。
…………にもかかわらず、俺は否定してしまった。徹夜で両腕を後ろ手に縛られ吊される拷問の中で、なんとかこの状況から逃げ出したい一心だった。『もし法王庁、ならびに諸卿がこの考えをどうしても異端であると言われるならば、そして法王もかく考えられ、神の御心もかく思し召されるのであれば、撤回する用意がございます』と……。」
「その考えとは、宇宙の無限ということを指しているのですか?」
バルトロメオが問いかけた。
「その通りだ。加えて人は輪廻するということ……、そしてイエスもまた人間だということ。このことだけは、どんなことがあっても譲れないと思っていたが、それを俺は……」
「師は言われました。言葉はどうにでもなる。いくら言葉や理論で相手を言い負かせたとしても、その人の思いを変えることは出来ない。心まで支配することは出来ないと。」
バルトロメオが無駄と知りつつ、師のブルーノを慰めようとでもするかのように言葉を挟んだ。
「肉体とは弱いものだ。肉体はその本性として、これを守ろうとする。そのために痛みがある。それでも俺は、精神が肉体を超越することができると思っていた。
日本からきたトマスよ、このことは君が探しているシクストゥス聖書とも、あながち無関係ではないのかも知れない。……君はキリストの誕生をどう考える。処女懐胎をどう考える。」
「……私の学んだ『ドチリナキリシタン』には、《人の業ではなく、ただスピリツサント(聖霊)の計らいたもうことなればスピリツサントより宿され給う》と記されてあります。」
「そんな馬鹿なことはない。肉体は肉体の法則に従わざるを得ない。キリストの神性と彼が人として生まれたことを混同してはいけない。奴らはキリストを神として祭り上げようとする。その上で、キリストを頂点とする教会のヒエラルキーを確立し、人の世界を支配しようとする。だからキリストは人であってはいけない。そこから処女懐胎というバカげた伝説を作り出した。神と、その子イエス、そして聖霊が、三つにして本質は一つだというような三位一体というまやかしを考え出した。この三位一体という思想を生み出したのも、トマスという男だ。そこにはいかにして教会の権威を守るかという思想しかない。その思想は、教会が、そしてローマ教皇が、人の世を支配するための道具でしかなかった。
しかし実際はどうだろう。イエスはヨセフとマリアの子として生まれた。人間の子として生まれたのだ。だからこそ人の苦しみをわかった。人の弱さを知っていた。イエスが人として苦しみ抜いた末に行き着いた教えだからこそ、彼の説く教えは人々の心に染みこんでいった。それが本当のところではなかったろうか。
俺は、イエスの偉大さは、厳格で許すことを知らないユダヤ教の教えの中から、許すという愛の教えを生み出したことにあると思っている。それは彼が人の子として生まれ、人の弱さ、悲しみを知り抜いていたからこそ出来たことだ。イエスの誕生は、神の受肉でも、ましてイリュージョンや方便でもなく、歴史的な事実だ。イエスは紛れもなく一個の人間として生まれた。そして、その自分こそが他ならぬ神の子であり、ひいては、すべての人が神の子だという自覚を持つに至った。それがイエスの説いた教えの中心だと思う。
その教えを書き換えた奴らがいる……。
パウロやペテロ、それにマタイやルカが著したとされる四大福音書といわれるものは、教会が人々を支配するための道具として使われてきた。また道具とするために、聖書は書き換えられてきた。そう考えてまず間違いはないだろう。
……さて、いよいよもう一人のトマスについて語るときが来たようだ。君はこの四大福音書と言われるもののほかに、『トマス福音書』や『マリア福音書』なるものが存在したことを知らなければならない。」

トマスにとっては初めて聞く話ばかりだった。初めて聞くというより、今まで聞いてきたイエスの姿とまるで違っていた。母から聞いた話とも、右近様から聞いた話とも、セミナリオのオルガンティーノ神父から聞いた話とも違っていた。それでいて反発を感じるどころか、不思議にトマスの心に染みこんでいった。
そんなトマスの心に、ブルーノは、まるで別の器に水を移し替えでもするかのように話し続けた。

イエスが処刑された後、キリストの教えは、ユダヤ教の一派として存続していた。キリストの弟子たちは、イエスが立ち向かった宗教的権威……その象徴ともいえるエルサレムの神殿で祈りを捧げていたのだ。なぜなら、多くの弟子たちが、そうすることこそ唯一キリスト教が生き残れる道だと知っていたからだ。
「仕方がないことだ……」と。
しかしこのことに異を唱え、ユダヤ教会に牙をむいた男がいた。イエスの死後、弟子となったギリシャ系ユダヤ人ステファノだ。
彼は、「イエスはこんなことをしろとは説かなかった!」と仲間を批判し、ユダヤ教の神官たちを非難した。
「イエスの教えは、一部のユダヤ人だけのものではない。イエスの教えはユダヤ教の律法に縛り付けられてはいけない。割礼を受けた者にも、割礼を受けない異邦人にもあまねく知らしめられるべきだ。それこそイエスの望まれたことだ」と。
ユダヤ教には、ユダヤ人こそ神に選ばれた民だという選民意識がある。そして神に選ばれたユダヤ人である印に、ユダヤ人男子は割礼を受けねばならない。それが神との契約であり、割礼を受けない異邦人にユダヤ教を伝えることは律法が厳しく禁じていた。キリスト教がユダヤ教の一部である限り、世界の人々に神の愛を伝えることは出来ない。ステファノはまた言う。
「ユダヤ教の神殿に神などいない!」と……。
ステファノは、その過激さゆえに、やがてユダヤ人の手によって告発され、神殿前の刑場に引かれていき石打ちの刑によって殺された。
見せかけの平安は終わり、再びユダヤ教徒によるキリスト教徒の迫害が開始された。ステファノを殺した民衆は、醒めやらぬ殺戮の興奮と怒りに支配されたかのように、イエスの弟子たちの隠れ家を襲った。そんなユダヤ人迫害者の中にパウロもいた。パウロは信徒たちを誰彼かまわず捕らえては牢へ放りこんでいく。それでも飽きたらずローマへと逃げる信徒たちを追ってダマスコ近くまで来た。そのときパウロは、突然、光に打たれて目が見えなくなった。
このときだ、パウロが神の声を聞いたというのは。そして己の過ちに気づき、ユダヤ教を捨てキリスト教に改宗したという。『パウロの回心』として知られている事柄だが、パウロはこの後、ステファノの意志を受け継いだかのように、ユダヤ人以外の異邦人たちにキリスト教を伝えて回る。この伝道の旅は、ユダヤ教の迫害をはじめ、伝えた先々での様々な現地宗教からの迫害を伴った。
パウロは言う。
「私は投獄され、鞭打たれ、死に面してきた。私たちは極度に耐えられないほど圧迫されて生きる望みすら失ってしまい、心の内で死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死者を蘇らせる神を頼みにするに至った」と。
そしてローマに赴き、ここで皇帝ネロのキリスト教徒迫害により殉教することになる。狂ったネロは、己の気に入った世界を創造すべく古いローマの街に火を放った。そして、その罪をキリスト教徒に着せローマ市民の不満を血なまぐさい処刑騒ぎで有耶無耶にしようとしたのだ。ローマの競技場は、キリスト教徒たちの処刑場となった。彼らは生きながら獅子に食われ、生きながら照明代わりに油を塗られ燃やされていった。そんな迫害の中、ローマに布教に来ていたペテロさえ逆さ磔となって殉教した。
こうして誕生したばかりのキリスト教は、革新的なパウロと穏健派のペテロという二つの支柱を同時に奪われたわけだが、ネロ以後もキリスト教徒の迫害は止むときがなく、ローマのキリスト教徒たちは数々の迫害を耐え抜き、やがてコンスタンティヌス大帝に至って、やっとその庇護を勝ち取ることができた。
コンスタンティヌスが、そのライバルであるマクセンティウスと戦うに当たって、いまやローマ中に広がったキリスト教を、ローマの民心を一つにするために利用しようとしたのだ。
西暦三一二年のある日、戦いに赴こうとするコンスタンティヌスは、空中に十字架が浮かぶのを見たという。彼は、これをキリストの加護とし、クルスの旗を押し立てて戦いに挑んだ。これまで隠れてキリストを奉じてきたローマの民心は奮い立った。
おかげでコンスタンティヌスは、マクセンティウスをミルウィウス橋の戦いで撃ち破ることが出来、その翌年、古代ローマ帝国内でのキリスト教信仰を認めたミラノ勅令が発せられた。
これによって、キリスト教はローマの国教とされ、それにふさわしい形が整えられ世界宗教としてスタートすることになる。
数々の犠牲の上に、漸くステファノやパウロの希望が叶えられるに至ったわけだ。
……が、恐らくこのとき、聖書が書き換えられたのだと思う。
まず、イエスだが、彼は神の一人子として神と同等の位置に置かれることになった。皇帝を神と祭ってきたローマでは、イエスの神格化は必要な措置と思われたのだろう。また安息日がユダヤ教の土曜日から日曜日へと変えられた。ローマ人の太陽神崇拝への迎合からだろう。そしてもっとも大きな改竄にあたる、「人は輪廻する」という思想が教えからそぎ取られた。国王やローマ教皇の過去世が羊飼いや乞食ではまずいというわけだ。またキリスト以後、神の声を聞く者はサタンとされた。ローマ教会以外に、神の声を代弁する者が現れては教会の権威が失墜するというわけだ。
「これが君の国へ伝えられたカトリックの起こりという訳だ。だがトマスよ、キリスト教はローマに伝えられた以外に、エジプトに逃れたグループとエルサレムに残ったグループがあったことを忘れてはならない。」
イエスの死後エルサレムに残ったグループは、ユダヤ教との様々な軋轢を経てその一部となり、やがてユダヤ王国がローマとの戦いで滅びると共に自然消滅した。しかしエジプトに逃れたグループは、恐らくマグダラのマリアを中心にイエスが語った言葉を伝え、やがてグノーシス主義という神秘思想と結びつき、あるいはゾロアスターに影響を与えマニ教を生み出し、逆にこれがキリスト教に影響を与えたりと、様々な変容を伴いながらも、次第にローマンカトリックを脅かす存在となっていった。
この流れの中から、やがてキリスト教最大の異端と言われたカタリ派も生まれてくることとなる。
「マグダラのマリアと言われるのは、イエスに救われた娼婦ではなかったのですか?」
「ローマの奴らが言っているだけだ。マグダラのマリアが娼婦だったとはどこにも書いていない。むしろイエスの一番近くにあって、彼の身の回りから、教壇と言えるかどうか、ともかくも彼女はイエスのグループの経済をも支えた人間だ。恐らく裕福な家庭の娘だったのだろうが、彼女の存在はそればかりでなく、イエスの妻という立場にあった人だったとも考えられる。」
「イエスに妻がいたなんて信じられません。」
「なぜ信じられない。彼が神の一人子だからか。彼は普通の男性ではなく、処女から生まれた透明で純粋な幻のような存在で、女に何の関心も寄せなかったとでも言うのか。」
「そうではありませんが……」
「イエスは偶像を拝むことを否定した。それをカトリックの奴らはイエスを偶像化し祭り上げてしまった。」
「…………」
「トマス、聞け。ユダヤ教では妻を娶らないことは罪なのだ。妻を娶らず男としての役割を果たさないことは異常なことだ。もし、イエスが妻を娶らなかったとしたら、そのことはイエスを語る上で必ず記されねばならないことだとは思わないか。イエスについてすべての記録が、そのことについて沈黙を守っている以上、イエスは普通に妻を娶っていたと考えて間違いはないだろう。それだけではない。イエスが十字架にかけられたとき、ペテロを始め十二使徒といわれる男たちは、イエスを否定し逃げ回っていた。イエスを最後まで見取ったのは、マグダラのマリアを中心とする女性たちだった。そして、どの聖書が伝えるところも、イエスが復活したとき、天使がイエスの復活を伝えた相手は十二使徒たちではなくマグダラのマリアに対してであったし、復活したイエスが最初に姿を現したのもマグダラのマリアに対してであった……そうだな、トマス?」
「はい、天使の声を聞いたマグダラのマリアが、イエスの遺体を安置した洞窟へ行ってみると、洞窟を蓋していた巨大な石が動かされ、中にイエスの遺体はなくなっていました……」
「その通りだ。では、このことはいったい何を意味すると思う?」
「…………」
「聖書を編纂した者たちも、マグダラのマリアの存在――彼女の働きや彼女の立場――を無視することは出来なかった。マリアがイエスにとって何であったか知っている者が、当時はまだ多数いたからに違いない。このように彼女はイエスのもっとも身近にいた人間に違いないし、ペテロたちにとってもっとも頭の上がらない存在だったようだ。
さて、イエスの死後、弟子たちは、イエスがどんなことを話したのかを語り合った。イエスの教えを言葉として定着させようとしたのだ。それが新訳聖書のはじまりと言える。そこには、君たちの知らない、イエスの生々しい声を伝えた『マリアの福音書』さえも存在したようだ。もちろん、そこに語られているのは、イエスの母マリアの言葉ではなく、イエスの妻マリアが語ったイエスの言葉の数々だ。
残念なことだが、イエスの教えを巡って対立が生じた。
ペテロを中心とするグループと、マグダラのマリアを中心とするグループの葛藤だ。キリスト教という組織を温存させようとするとき、イエスの生々しい声は理想に走りすぎ、すぐに実現できないものもあったはずだし、伏せて通りたいものもあったはずだ。
ペテロたちが何か言おうとするとき、『逃げ回っていた人間が何を偉そうなことを! イエスの最期を見とったのは誰だと思っているの』そんな言葉が返ってきはしなかっただろうか。
ローマンカトリックが、ことさら女性の存在を低く見、差別的にとらえ、何かあれば魔女の烙印を押そうとするのも、彼ら男性弟子たちの後ろめたさから来ているのかも知れない。
ステファノやトマスは、どうやらマグダラのマリアに共鳴していたように思える。生前のイエスを知らないステファノが、イエスの生の声を伝えるマリアに傾倒していったことは十分に考えられるし、生前のイエスを知る弟子たちの中にもイエスの教えを身近に聞いた者たちは、マリアこそがイエスの生前の言葉を忠実に伝えていると考えたことだろう。ペテロやヤコブは、キリスト教の生き残りを考慮するあまり、イエスの教えにある箇所で目をつぶっていると。
迫害によりエジプトに逃れたものの、こう考えたトマスは、『マリアの福音書』をもとにイエスの教えを伝えていったのではなかったろうか。それが神秘主義者たちに影響を与え『トマスの福音書』が生まれたのでなかったか。」
ブルーノは一気にここまでをしゃべった。トマスばかりか、バルトロメオにしてもはじめて耳にする内容だった。
バルトロメオは興奮のせいだろうか、体のふるえが止まらないようだ。ブルーノへ問いかけようとする声が喉の奥に張り付いてしまったかのようにかすれている。
「……あんまりです。たとえ本当だとしても、知らずに済ませたらと思います。特に日本の友人の前では……」
「メディチの人間らしくないことを……それに我らが日本の友人はシクストゥスの聖書について知ろうとしている。目を伏せては通れないぞ。」
「このことが、シクストゥス聖書とどう関係しているというのでしょうか。師は、シクストゥス聖書のことを知りたがっている日本人がいると私が話したとき、『おまえの母こそが知っているのでは』、確か、そう言われました。それはどういうことでしょうか……」
「……もう夜明けが近いのではないかな。」
言われてみると、トマスとバルトロメオの座る地下の石段に、上の方からわずかな朝の光が忍び込み始めている。
ブルーノの閉じこめられた地下牢にも、その上にある小さな換気口を通して、ささやかな光が届けられているに違いない。ブルーノは、そこから朝の訪れを感じているのだろう。
ブルーノは言葉を続けた。
「夜の闇の中では隠せても、朝の光はすべてをあらわにせずにはおかない。見張りの者の口を金で黙らせておけるのも、闇の中だから出来ることではないのか。
…………もうおまえたちはいかねばならない。
バルトロメオ、まずはフィレンツェへ行け。シクストゥス聖書をについて知りたいという日本の友人の心が変わらないようなら、何とかおまえの母に会わせるのだ。アレッサンドロ枢機卿の口添えがあれば難しいことではないだろう。その後でもう一度会おう。
まだ俺が生きていればの話だが……」


聾唖者トマス

1229年 パリ
トマスらがフィレンツェを訪れたのが一五九九年だから、一二二九年というと更に三七〇年も遡ることになる。その年の四月二日のこと、場所もパリのノートルダム寺院。といっても聖堂はまだ完成しておらず、竣工まではまだ六年を待たなければならず、ようよう全貌を現したその外壁も作業のための足場で覆われていた。
セーヌ川を見下ろすこの教会の正門前に、公開処刑のための木組みの舞台が組まれている。上には上半身を裸にされた男が、ローマから派遣された教皇特使の前に跪いている。
その裸の背中に鞭がうなった。痛みからというより、屈辱と怒りのため、男の顔が赤く染まった。教皇特使は、そんな男に、ローマ教皇への服従を誓わせる。その間も、鞭は手加減なく男の背中に振り下ろされ、特使は、まるで男の憎悪と屈辱感を味わうかのようにその顔をのぞき込んでいた。
男の名は、トゥールーズ伯レイモン七世。西はピレネー山脈の麓から東は地中海沿岸のコート・ダジュールに及ぶ南フランス一帯を支配下に治める大領主である。支配地域の広さもさることながら、この地は、地中海貿易の交易品を北欧につなぐ重要な位置を占めており、その経済的な繁栄が、トゥールーズ伯に、フランス国王に対抗させるだけの力を持たせていたと言えよう。
つまりは、北フランスにあるフランス国王にとって、この地域を制圧しないかぎり、フランスの統一はあり得ないと言うことだ。しかも、「北」と「南」では文化もまるで違い、とても一つの国という感じはない。たとえば言葉の問題一つとっても、フランス語で「諾」にあたる言葉は「ウイ」であるが、南フランスでは「オック」となる。このため、南フランス一帯は「オック語を話す地域」の意味でラングドック(ラング・ド・オック)と古くから呼ばれ、北フランスとは一線を画していた。
それはさておき、ではなぜ、南フランス一帯を支配下に治めるレイモン伯が、屈辱的な鞭打ちのもと、ローマ教皇への服従を宣誓させられていたのだろうか。
この地域は古くからカタリ派キリスト教徒の活動の拠点であった。というのも、この地が地中海交易の物産を北欧へつなぐ中継地点だったため、回教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒などが行き来し、あるいは定住し、宗教的に寛容な地盤が形成されていた。しかも、カトリックの堕落した僧侶を見慣れている目には、カタリ派の人たちの清貧に徹した生活ぶりは新鮮であった。他に対してその教えを強要することは絶対になく、気づいた者だけが行えばよいのであって、気づかない者は、まだその時期が来ていないと考える。
だから、カトリックのように「金を稼いではいけない」「金を稼ぐことは罪だ」などとは言わない。この態度に、商業を基盤とするこの地の多くの貴族や商人が心を開き急速にカタリ派の教えは広まっていった。
この頃のヨーロッパは、異端運動(ヴァチカンから見ての話だ)が全盛となった時期である。各地に相次いで出現した異端運動のなかでも、カタリ派は組織立った、息の長い活動によって群を抜いている。独自の司教、典礼、教義をそなえてカトリック教会の攻撃と迫害に耐え、一二世紀の後半までに、ヴァチカンからみて「もっとも邪悪で、もっとも強力、もっとも危険な」異端といわれるほどの成長をとげていた。
このため、ヴァチカンはカタリ派を目の敵にした。これを許せば、ヴァチカンによる支配体制が根本から崩れてしまう。そして、その最大の拠点とされ、その排除が最も困難とされた地域が、この南フランス一帯なのだ。カタリ派を支持する領主たちは、ヴァチカンの要請であろうと、これをむやみに迫害する愚を犯さず、むしろ正統と異端とのあいだで、討論集会のような催しをしばしば開催した。領主の主催によるこの種の集まりは、数人の審判者を立てて公開で実施され、たいての場合は妨害もなく整然と進行したという。
つまりは、領主たちは、どちらか一方に荷担するのでなく、討論によって何が真実かを導き出そうとしたのだ。そして多くの場合、カタリ派が優勢となった。しかも、着飾ったカトリックの僧侶が、質素な衣を身にまとう女性の完徳者に歯が立たないというケースが頻出し、民衆はますますカトリックから心を離していくことになる。
そんな領主の中で、最も大きな力を持っていたのが、トゥールーズ伯レイモン六世、つまり、今、ノートルダム寺院前で鞭打ち刑を受けるレイモン七世の父親であった。
一二〇八年一月、ヴァチカンはレイモン伯を糾弾すべく教皇特使ピエール・ド・カステルノーを彼のもとに派遣した。それがあろうことか、ローヌ河畔のサン・ジルで暗殺されてしまった。確たる証拠があったわけではないが、犯人はレイモン伯の家臣とされた。これ以前、ランスの公会議で、異端は「大逆罪」であり、「異端の幇助者はその領地を没収されるべき」ことが決められていた。
ローマ教皇は、フランス国王に対し、ラングドックへ十字軍の派遣を要請した。フランス国王にとっても、これを機に南フランスを制圧することができる。ヴァチカンはヴァチカンで、カトリックに対する最大の驚異を取り除くことができる。こうして両者の利害が一致し、一二〇九年七月、イスラム教徒に対してでなく同じキリスト教徒に対する初めての十字軍が、リヨンからトゥールズを目指し南下を開始したのだ。
所謂、第一次アルビジョア十字軍と呼ばれるものだが、戦いは二十年におよび、国土は疲弊し、民衆の困窮も限度となった。戦いの当事者も、レイモン六世からレイモン七世へと移り、フランス国王もフィリップ・オーギュストが死亡し、幼いルイ九世がこれに代わった。ことここに至り、遂にルイ九世の母ブランシュ・ド・カスティーユと教会側の提案を受けて、レイモン七世が和平交渉に踏み切った。国土が荒らされたとはいえ、南部は勝利しないまでも全面的に敗北したわけではない。北部の方でも、南部の武力制圧には多大の犠牲が必要なことを思い知らされたのである。
にもかかわらず、和平交渉のためモーへ赴いたレイモン七世を、フランス側は監禁し、随行者を人質とした上で、「モーの協約」を押し付け署名させてしまった。本文はレイモン伯の誓約として一人称で書かれ、伯だけが署名する形であったという。
この協約によって、レイモン伯の領土は半分以下に減らされ、さまざまの名目で莫大な賠償金も支払わねばならず、三一箇所の城あるいは城砦都市が解体され、それ以外の九箇所には十年間、フランス国王の部隊が駐屯することになった。異端の撲滅がきびしく命じられたのはもちろんとして、レイモン伯の負担のもと、カトリックの教育のためトゥールーズ大学の設置が定められた。
しかし、協約の眼目は、当時どちらも九歳であったレイモン七世の娘ジャンヌと、王ルイ九世の弟アルフォンス・ド・ポワティエとをめあわせ、ジャンヌを伯の唯一の相続人とすることであった。伯領はいわば嫁資として王家に差し出されたのであって、言い換えれば、事実上フランス領に併合されたということであった。この屈辱的な協約に署名し、王と教会に死にいたるまで忠実であることを誓わせられたあと、レイモン七世はパリ、ノートルダム寺院前庭での鞭打ちの儀式に引き出されたのである。
「あれだけの人間たちと、あれだけの国々を相手に、こんなにも長期間抵抗してきた男が、シャツと股引のまま、足もあらわに祭壇に引き出されるのは、見るも哀れであった」と、年代記は語っている。

同じ頃、パリの修道院にトマスという名の少年が預けられた。
トマスは、レイモンの長男である。ジャンヌの二卵性の双子の弟として生まれた。生まれついての聾唖であったため、彼が三歳になったとき、乳母の実家に預け育てさせることにした。「農家の子として幸せに人生を全うしてくれれば」とのせめてもの親心であったが、フランス側は、わずかでも伯領を継承する可能性のあるトマスを、パリのシトー派修道院に預けさせることをも要求してきたのだ。
レイモンはこの屈辱を忘れなかった。
そして、カトリック側も過酷な迫害と、陰険な密告制度を導入したにも関わらず、南フランスからカタリ派を払拭することはできなかった。やがて、第一次アルビジョア十字軍の終結から十四年後、モンセギュールに籠城したカタリ派と第二次アルビジョア十字軍との間に、凄絶な死闘が再開されることになる。

レイモン七世の不遇の息子トマスは、十六歳になるまで、パリの北方に位置するシャーリ修道院に預けられた。このシャーリ修道院は、一一三六年にルイ六世肥満王が創建したシトー派修道院で、後に聖王とあだ名されるルイ九世も頻繁に訪れたという。
というのも、第一次アルビジョア十字軍に勝利したものの、フランス南部は、密告制度と異端審問所の厳しい摘発にも関わらず、依然、カタリ派の勢力を払拭することができない。また、そのカタリ派の脅威を背景に、モーの協約を不当とするレイモン七世が再び大規模な反乱を起こし、この反乱をイギリスが後押しするという始末。今回は何とか鎮圧できたものの、フランス南部という火種を抱えているかぎり、フランスを虎視眈々と窺っているイギリスや、アンチクリストの異名を持つ神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世が、いつ牙をむいてくるとも限らない。
何としてもフランス南部を制圧しなければ、そして、そのためにはカタリ派を一掃しなければならなかった。カタリ派の一掃は、目的でもあり、フランス南部を制圧するための大義名分でもあった。このため、ルイはカタリ派に対抗させるため、ヴァチカンと一緒になってシトー派に肩入れするようになったのである。
しかし、ヴァチカンがカタリ派に対抗させたシトー派やフランシスコ会、それにドミニコ会にしたところで、最初からヴァチカンの尖兵だったのではない。最初は、カトリックの僧侶や教会の堕落を攻撃することを看板に掲げ歴史の舞台に登場してきたのだ。
たとえばシトー派は、奢侈に流れた既存の修道院に反発して、一一世紀初頭にブルグンドのシトー(ブルゴーニュ地方)に設立されたのが始まりだという。その後シトー派は、やはり僧侶の堕落に嫌気のさしていた北ヨーロッパの人たちの支持を得、大きな政治力を発揮するまでに成長していった。同じ頃、やはり僧侶や教会の奢侈に反対し、フランシスコ会やドミニコ会が誕生した。教会の華美・荘厳を批判し、豪華な衣に身を包み、美食におぼれるカトリック僧侶に非難の声をあげる修道会は、ややもすればカタリ派と同じ異端視されてもおかしくはない。が、ヴァチカンはこれらの修道会を弾圧するのでなく、かえってカトリックの正式な認可修道会に指定し、その修道会士を異端審問官として使うことで、ヨーロッパ南部を覆った異端カタリ派に対抗する勢力として利用しようとした。既存のカトリック修道会には、カタリ派に対抗できるだけの力も、人気もなかったのである。
「毒は、毒をもって制す」ということだろうか。
この策は功を奏し、これら修道院では、異端とは何か、正統とは何か、異端を見極めるにはどうすればよいのか、異端者を改宗させるにはどうすればよいのか……それらの学問や研究が盛んとなり、やがてこれら修道会は理論武装した、カトリックの尖兵となってカタリ派をはじめとする異端の撲滅と摘発に大活躍することとなる。
そんなシトー派修道院、それもルイ九世の庇護するシャーリ修道院で、トマスは一番多感な時期を過ごした。トマスにとって幸いしたのは、修道院院長の存在だった。
院長は宗教家というよりも、どちらかというと学者肌の人間だった。トマスの肉体的ハンディに対しても冷淡ではなく、むしろ同情的であった。トマスの「聞こえない」「しゃべれない」というハンディを、口の形を覚えさせることで、ともかくもしゃべれるようにした。
ただ、アクセントを無視し大声でしゃべる様子は、何か異様に不自然であり、時に痴呆のようにさえ見られた。しかし、そんな外面に反比例して、トマスの頭の中は、「神学」「哲学」「歴史学」「修辞学」等々、ありとあらゆる知識の宝庫となっていた。
院長は、聞こえないというトマスのハンディを「読む」ということ、「書く」ということで補わせようとした。トマスは口の形からしゃべることを覚えさせられると、写字生としての教育を院長直々に受けることになった。院長は、字の形を音にしてしゃべるよう、トマスに教えた。文字を見て、次に院長の口の形を見て、その音を真似る。それが出来ると文字を書き写した。その繰り返しが毎日続けられ、こうしてトマスはいつしか写字生となった。最初の頃、図書室からはトマスの異様な言葉が流れ続けた。仲間の修道僧たちは辛抱強く耐え、やがてトマスも文字を口にすることなく写せるようになった。
そんなトマスの平和が崩れるときが来た。
トマスが十六歳になったとき、院長が亡くなった。
新しく来た院長は、トマスのすることなすこと、そのことごとくを嫌った。新院長は美しいものを好んだ。神は、自分の姿に似せて人間をつくった。だから美しい人間は、神に最も近いという理屈だ。醜い者や五体が不満足な者は、それだけで神から呪われた存在である。いつも人の口元を覗き込むようにしているトマスの所作は美しくない。見苦しくさえあった。その話し方は美しいどころか、聞き苦しく、新院長には、それはサタンに心を奪われた者の所作としか捉えることが出来なかった。
院長は、トマスのことを
「自分の中からサタンを追い出せば、聾唖は自然と癒されるはずだ。いつまでもそのままである者は、自分がサタンを引き寄せている、いや、サタンを離そうとしない罪深い人間である。おまえの父親が、教会に対し、ルイ国王陛下に何をしているか。まさにサタンの所行ではないか。その償いをおまえが果たすのだ。」
院長は、そう言ってことあるごとにトマスを鞭打った。またトマス自らにも、朝夕に鞭打ちの苦行を課した。
「自らを鞭打ちながら、神に許しを乞え。おまえとおまえの父親のしていることを神に懺悔するのだ。痛みと血が、いつかその罪を浄化してくれるであろう。」

トマスは、修道院からの脱走を決意した。城でも、牢獄でもないのだから、別に難しいことではない。晩課が終わり、みんなが寝静まるのを待って抜け出せばよいことだ。
物乞いしながらでも南を目指せばよい。父のもとへ帰れば迷惑になるだろうか。父のレイモンは、モーの協約を不満として反乱を起こしたが、結果は惨敗だった。加勢したイギリス国王ヘンリー三世はボルドーに逃げ、父レイモンはモーの協約を忠実に実行することをあらためて誓約させられ、一命をとりとめた。一二四二年十月、いわゆるロリスの和平といわれているものだ。そこへ人質となっている息子が逃げ込んだとなれば……
父のもとへは帰れない。かといって、このまま我慢することも出来ない。もうここに居るのはいやだ。もう、一日でも居たくなかった。父には悪いと思いながら、食堂で盗んだわずかの残り物を頬張りながら、トマスは修道院を抜け出した。
しかし抜け出した途端、騎馬の一団に遭遇し、あっという間に捕らえられた。
「修道士がこの夜更けに、村へ女でも漁りにいく魂胆か!」
「あ・や・し・い・も・の・で・は……」
「なんだ、その話し方は? 怪しくないわけがなかろう。……殿、いかがいたしましょう。いっそ殺してしまいましょうか。」
「坊主の首を刎ねても自慢にはなるまい。それに俺たちがここへ来た目的は、まさにこの男に会うためだ。この男、レイモンの息子トマスに違いない。坊主殿、いかがでござるかな……?」
トマスは、闇の中で、必死に騎士たちの口元に目を凝らした。
確か「トマス」と言ったようだ。俺の名前を知っているのだろうか。
「ト・マ・ス、トマスです!」
「大声を出すな、みんな起きてしまうぞ。せっかく忍んで来たというに。」
男の名はルイ九世、新院長となってからは初めての訪問だったが、それにしても修道士たちが寝静まった頃を見計らって、わずかの供回りだけを引き連れての来駕とあっては、参詣というわけでもなさそうだ。
「殺してはならん。この男には、これから働いてもらわねばならん。今宵、この修道院を訪ねたのも、この男が目当て。それがいきなりの出会いとは……」

ルイは、トマスをモンセギュールへ送り込むことを考えていた。
モンセギュールは、カタリ派の人々にとって信仰生活の中心である。
モーの協約以後、密告制度が導入され、異端の罪は家族にまで及び、たとえ死後であっても異端者とわかると墓が暴かれ、死体は見せしめのため町を引き回され焼き捨てられた。このようにカタリ派への弾圧は熾烈を極めたが、にもかかわらず、ヴァチカンもフランスも、カタリ派をラングドックから一掃することができなかった。
それは領主であるレイモン七世がカタリ派の弾圧に力を入れなかったこと、また外部から来た異端審問官たちの峻厳さが、かえって人々の愛郷心と自専心を煽り立て、その結果、現地のカトリック修道会さえ「異端撲滅」というスローガンにそっぽを向いてしまったことがあげられる。ヴァチカンは、現地の修道会の頭越しに、主にドミニコ会士を異端審問官としてラングドッグへと派遣したのだ。
これに反しカタリ派の結束は堅く、人々は、助け合い、かばい合いながら迫害の嵐をやり過ごそうとしたのだが、日々に激しさを加える異端審問の前に、モンセギュールを信仰の最後の砦として集結するに至った。
モンセギュールは、もとは、フォワ伯の封臣レイモン・ド・ベレイユの所領であった。
それが今から三十年ばかり前、カタリ派側の申し入れによって、それまで廃墟に近かったこの城が信者の利用に供されるようになった。城の改築はカタリ派の経費負担で進み、その設計には彼らの考えが織りこまれたといわれる。
高くそびえ立つ断崖に四方を囲まれた天然の要害ともいうべき地理的条件が幸いして、第一次アルビジョア十字軍の間でさえ、モンセギュールは安全な信仰の場所であり続けることができた。
カタリ派信者たちは、苛烈な異端審問体制のもと信仰の火を絶やさずにいるため、このモンセギュールを、信者の力が集中する最後の砦として設定したのである。
一二三二年のある日、カタリ派の主だったメンバーが、領主のもとを訪ねた。モンセギュールを決定的にカタリ派の本拠地とすべく、ひたすら懇願を重ねるためであった。
承諾することは、フランス国王に対する反逆と見なされても仕方がない。領主は長くためらった末、ようやく承諾の回答を与えたという。
これ以降、異端審問から逃れた人々や騎士たち、それにカタリ派聖職者たちのモンセギュール定住が開始され、城の改築に加え、人事・組織においてもカタリ派運動の再整備が進められ、モンセギュールは、カタリ派の教えが厳密に保持される場所として、また最後の砦として名実ともに信仰の中枢となっていった。
ラングドック各地から危険を冒してここを訪れた信者の数は、この時期総計千人を超えたといわれ、死に瀕した身体ではるばる運び込まれて来た人も少なくない。ここで高名な完督者の手でしかるべき臨終の救慰礼にあずかること、すなわち「モンセギュールで死ぬ」ことが、帰依者にとって最高の喜びとなっており、切り立った岩の上にそびえるモンセギュールの城砦はそのまま、荒波のなかでの「箱舟」、南部の人々のまなざしが吸い寄せられる霊的中心となっていたのである。

ルイは、このモンセギュールへトマスを送り込もうというのである。
トマスが、レイモン伯の隠された子供であるということが、この計画を容易いものにするであろう。何もトマスをスパイに仕立てようと言うのではない。ルイがトマスに望むことはただ一つ、生きて帰ってくること、それだけである。
ルイは、ローマとも協議の上、既に第二次アルビジョア十字軍の派遣を決定している。
この戦いに負けるつもりはない。時間はかかるだろうが、決して負けることはないだろう。ルイの懸念するのは、むしろ戦いの後のことだ。何としてもフランス南部を支配体制に組み込まなければならない。それなくしてフランスの統一はない。
そのためにはカタリ派を知らなければならない。フランス南部の人間が、フランス南部の領主が、騎士が、何に心を動かされたのかを知る必要があった。
聾唖ゆえにレイモン伯の本当の息子と認められなかった男が、パリのシャーリ修道院に預けられている。ルイが、このことを知ったとき、彼はこの計画を思いついた。
ルイは、トマスに向かって言った。
「汝は、この修道院から逃げたいのか?」
トマスは黙って頷いた。
「どこへ逃れる気か?」
「…………」
「どこへ逃げるかも考えておらぬのか。では汝に命ずる。モンセギュールへ逃げよ。そこでカタリ派の者と暮らせ。そして、しっかりと学んでこい。ただし死ぬことは禁ずる。間もなく我々はモンセギュールを攻める。激しい戦いとなるだろうが、おまえは、何がなんでも死んではならぬ。生きて私の前に戻ってくるのだ。
……そう言えば、たしか私の弟に嫁いでいるジャンヌは、おまえの双子の姉ではなかったのかな。もしおまえが死ねば、姉のジャンヌもどうなるか分からぬぞ。よく言うではないか。双子は一心同体だと……」
トマスの顔に、一瞬、小さな憎悪の影が走った。力のある者の前で、憎しみや怒りを現すのは利口なことではない。トマスはあわてて自分の心を押し隠した。
ルイは、そんなトマスの前に小袋を投げ出した。
「当座の費用だ。トマス! 私の言うこと、分かったのだな。何をせずともよい、ただモンセギュールへ逃げ、カタリ派の者たちと共に暮らし、話を聞き、感じ、生きて私の下へ帰ってくること、それが、これからのおまえの役割と心得よ!」
トマスは恐る恐る頭を下げ、小袋を拾うと、しばらく後ずさりしたあと、逃げるようにその場から走り去っていった。
「殿、あの者、本当にあれで分かっているのでしょうか?」
「ヤツは、おまえの思っているようなバカではない。
……ところで、トマスと会ってしまえば、もう修道院に用とてないわけだが、せっかくここまで来たのだ。一休みしてまいろう。そろそろ朝課の時刻、トマスのおらぬことに気づいて騒がれるのも厄介だ。気づかれる前に院長には話しておかねばなるまい。」
「あの男では、むしろ厄介払いができたと喜ばれるでしょうな。」



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