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第2章 消えたシクストゥス聖書

転びバテレン了伯

1645年 長崎
九介は不思議に思った。捕らえられてもう一月になるというのに、ろくに取り調べもされない。捕らえられてすぐ絵踏みの場に引き出されたものの、絵踏みをさせられたわけでもない。
事の発端は、長崎で一人の盗賊が捕らえられたことから始まった。男は観念したものか、四年にわたって重ねてきた盗みの数々を神妙に答えはじめた。記憶は驚くほどに鮮明で、どこで何を盗んだのか、細かな明細まではっきりと覚えており、取り調べの人間が舌を巻くほどだった。そんな盗みの記憶の中に、南蛮菓子を商う店から盗み出した奇妙な書物の記憶があった。屋根裏に隠されていた包みを、何かいわく付きのお宝だと盗み出したまではよかったが、開けてみれば南蛮文字が描かれた分厚い書物。
「あれは南蛮の伴天連のもんに違いなか。どだい、あげなもんを盗んだのが間違いのはじまりじゃった。」
男は伴天連の魔法をおそれ、処分に困って諏訪大社へ捨てた経緯を事細かに語った。
この申し述べによって、詮議は、男が盗みに入った南蛮菓子屋「加津佐」におよび、店の主人九介と、その妻千代がキリシタンの疑いで捕らえられるに至ったのだ。

お白州では、ぐるぐる巻きに縛られた九介と妻の前に、一枚の銅板が置かれた。そこには、幼な子イエスを抱くマリアの姿が彫られている。その時、九介は、
「これで終わった。もう逃げ隠れしなくてもいいんだ」と腹をくくった。
「お姿を踏めない以上、どんなきびしいお取り調べを受けるか知れたものではない。自分にどこまで耐えられるか分からないが、女房と共に、頑張れるだけ頑張ってみよう……」
そう思った。
ところが不思議なことに、その日は絵踏みを強要されることもなく、そのまま牢へと移された。それも桜町の牢屋敷ではなく、立山役所の座敷牢に二人して入れられたのだ。きっと他の囚人に教えを説くのを警戒しているのだろう、それぐらいに思っていたが、あれから一月あまり、ずっとそのままなのだ。役人が取り調べに来るわけでもなく、朝夕二度の食事が運ばれてくる以外は、接触してくる者とてない。
自分でも張りつめた気持ちが次第にゆるんでくるのが分かる。もしや、捕らえられたこと自体が何かの間違いではなかったのか……。
しかし、妻は言う。
「お役人方は、こちらの気持ちのゆるむのを待っておられるのです。安心させておいて、急にきついお取り調べをされるに違いありませぬ。おまえ様、何があっても教えを捨ててはなりませぬぞ。夫婦して見事こらえきり、共にパライソへ参りましょうぞ。」
こんな話をするとき、妻の口調はいつになく厳しくなる。
九介は南蛮菓子を作らせれば、長崎でも彼の右に出る者はいない。長崎代官村山当安の家に奉公していた頃、当安から戯れにカステラづくりを教えられた。
村山当安と言えば、持ち前の機知と南蛮菓子いわゆるカステラづくりの技で、肥前名護屋滞陣中の秀吉に取り入り、長崎外町代官の地位まで手に入れた男だ。九介は、そんな当安から手ほどきを受け、持ち前の器用さも幸いして、たちまち南蛮菓子づくりに精通するようになった。以来、当安からも重宝がられ、当安の肝いりで店を構えるまでになった。
そのとき、「一家を構えるのに女房なしでは」と紹介されたのが、今の妻というわけだ。名は千代、洗礼名をカタリナという。彼女を慕う信徒衆は、「カタリナ様、カタリナ様」と、彼女のことを呼びならわしたものだ。しかし、九介にはそれが何か面はゆく、今も「千代」としか呼ばないし、自分のことも「ドミンゴ」などと呼ばれるのを嫌う。
彼女の父は後藤宗因、町年寄り後藤家の縁戚に当たる。キリシタン全盛の頃は、南蛮渡りの印刷術を習得し、長崎にキリシタン版の印刷所を開いていた。あの頃は、長崎外町の代官から内町の乙名衆まで、町中こぞってキリシタンという状態だったが、それだけにキリシタン版の印刷をしているということで、人からは一目置かれていた。それもイエズス会の宣教師たちが、その複雑さゆえにあきらめたという日本語の活字化を、日本人の手で成功させたというのだから、いきおい宗因に長崎中の熱い目が向けられたのも当然のことだった。娘の千代も、幼い頃からキリスト教に親しみ、日本語版の「ドチリナキリシタン(公教要理)」や「サントスの御作業」などは空で暗じているほどで、このため禁教令以降は、ある日本人パードレの薦めもあって殉教の道を選ばず、夫婦共々に隠れとして密かに教えを説いた。
九介は、そんな千代を嫁にしたのだ。後藤家という名家の出の上に、菓子屋の女房にしておくにはもったいないような美人だった。今でも五十を越えたというのに、何か若やいだ空気を漂わせ、生活を感じさせるところがない。家柄を笠に着ることもなく、普段は至って慎ましやかな質だが、ことキリシタンの教えのことになると人が変わったようになる。このことに関しては九介も頭が上がらなかった。
たしかに千代の言うように、井上筑後守様が宗門改め役となって以来、キリシタンに対しても、かつてのような目を覆うようなお仕置きはなくなった。パードレが捕らえられても、奉行所では拘禁するだけで好きにさせておくという。殉教を覚悟していたパードレたちも次第に気がゆるみ、「ひょっとして助かるのでは」、そんな希望さえ持つようになる。そんな折りを見計らい責められると、人というものは弱いもので、少しの拷問でもまいってしまう。
千代のいうように、二人を自由にさせているのも、そのためかも知れない。キリシタンに関しては、殉教者をつくらないこと、それこそ井上筑後守様が長崎奉行所に与えた最優先にするべき方針だった。
「心しなければ……」と、九介は思った。

そんなある日のことだ。役人が二人の着替えを持参し、「後刻、迎えにくるので着替えておくように……」という。
やがて、町着に着替えた二人は牢から出され、役人に導かれるまま、奉行所の裏門を出、近くにある西勝寺という寺へと連れてこられた。役人は若い僧に二人を託すと、あろうことか奉行所へ引き返していってしまった。その僧も、事態が飲み込めず唖然としている二人を庫裡へ案内すると、「しばらくここでお待ちなされ。後ほど、了伯殿からお話があるそうです」と、言い置き去っていった。


どちりなきりしたん

「お久しぶりです」
男は静かに二人の前に座ると、千代を見つめ深々と頭を下げた。
千代は、頭をあげようとする男の顔を覗き込むように見つめた。七十近くにもなるのだろうか、真っ白になった髪は後ろで束ねられ、ひどく老い込んではいるが、穏やかな眼差しにたしかに見覚えがある。右のこめかみに残る引きつったような傷痕は、かつて穴吊りの拷問にかけられたことを物語っている。
穴吊りとは、身体をぐるぐる巻きに縛り付け、汚物を入れた穴に頭を下に吊り下げるという拷問だ。その際、こめかみや耳の後ろに刀で切り傷を付け、血が鬱血して死なないようにする。井上筑後守がキリシタンを転ばすために考え出した責め方で、これにかけられると全身の血が頭に下がり、次第に意識が朦朧とし、やがて頭が割れるように痛みだす。意識が混濁し正常な判断が下せなくなる頃を見計らって、穴の上では鉦を叩くなど大きな音を立て、「転べ」「転べ」とがなりたてる。
「この拷問にかかって転ばなかったやつはおらんぞ。」
「おまえが転んだところで、誰も意気地なしだとは思わん。」
「身体を揺すれ、さすればここから上げてやるぞ。身体を揺さぶるだけでいい。それが転んだ合図じゃ!」
「揺すれーッ、揺すれーッ……」
「転べ、転べーッ」

「トマスさまですか……?」
その声に、おぞましい記憶がぬぐい去られ、了伯はハッと我に返った。あれ以来、昼といわず夜といわず、あの穴吊りの様子が浮かんできては了伯を苦しめる。
「はい、そう呼ばれたこともございました。……が、今では荒木了伯と呼ばれております。」
「了伯さま……?」
「如何にも、転び伴天連の荒木了伯でございます。」
三十年まえ、千代に、「死ぬことだけが教えを貫く道ではない、生きて為すことがあるはずです」と、形だけでも絵踏みをするよう勧めた日本人宣教師、それがトマス荒木であった。
あれから千代の苦しみが始まった。千代は、父やコレジオの人たちが出版したキリスト教書物の何冊かを諳んじていた。「どちりなきりしたん(公教要理)」「サントスの御作業」「ぎゃどぺかどる(罪人の導き)」「こんてむぷつすむんぢ(世のさげすみ)」……私が死ねば、これら書物と共に、この日本からキリストの教えは絶える。隠れとして生きる人たちは、私が諳んじる教えを必要としているのだ。
そのことが千代を支えていた。でも自分は、ただ命が惜しかっただけではなかったろうか。それを――生きて教えを伝える――そんな使命感でごまかしてきただけではなかったろうか。その思いにどれだけ悩まされたか知れない。捕らえられたとき、「やっと苦しみから解放される」、だから、今度こそ決して転ぶまいとかたく心に決めていた。
千代の表情が思わず厳しくなった。
「トマス様は生きて教えを伝えるよう私を諭されました。教えに殉ずる道は死ぬことだけではないと……。トマス様は一体どのような道を見つけられたのでございますか?」
「…………」
「千代、了伯殿が選ばれた道だ。私たちがそれをどうこう言うべき筋合いではない。」
九介があわてて千代をたしなめようとする。
そんな千代と九介の前に、了伯は黙って重そうな油紙の包みを置いた。千代が驚いたように了伯の顔を見る。了伯は大きくため息を付くと、静かにその包みをほどきにかかった。何重にも包まれた油紙がほどかれると、中から大きな文字で「BIBLIA SACRA」と記された一冊の書物が現れた。それは、九介の店の屋根裏から見つけだされたラテン語聖書だった。
「千代殿は憶えておいででしょうか。四十七年前、私がローマへ渡った目的の一つが、このシクストゥス聖書を日本へ持ち帰ることでした。」
天正遣欧使節の少年たちがヨーロッパから持ち帰った二台のグーテンベルグ印刷機。以来、この印刷機は、最初は加津佐のコレジオに、後には天草のコレジオに置かれ、この印刷機によって、日本語に訳されたキリストの教えが、またパードレたちの日本語の学習用にと「平家物語」や「太平記」などの日本の古典が、次々とローマ字印刷物として世の中に送り出されていった。やがてローマ字ばかりか日本の文字そのものを活字にしようという動きが、コレジオの教師や印刷に携わる日本人学生たちの中から起こった。
日本語の複雑さ故に活字化は無理だとするポルトガル人やイタリア人宣教師たちの忠告をよそに、日本人スタッフやコレジオの学生たちは必死になって、この目論見にのめり込んだ。
印刷機を持ち帰った遣欧使節の面々、なかでも原マルチノ、中浦ジュリアン、それにローマで金属活字の製造を学んだドラードが懸命に日本語で神の言葉を伝える重要性を説いた。そして西洋印刷物の美しさに魅せられ、コレジオに通い詰め、その習得に当たった千代の父、後藤宗因が中心となってその開発に心血を注いだ。彼らに従う学生の顔ぶれの中に、トマス荒木がいた。千代の兄ミゲルもいた。学生ばかりでなく、日本語と日本文学の教師である不干斎ファビアンや、ポルトガル人修道士ペレイラもいた。
ペレイラは人一倍トマスをかわいがった。トマスには、彼がまだ五十を越えたばかりだというのに、もう七十過ぎの老人のように見えた。日本人より巧みに日本語を話すと言われた人物で、子供の頃、リスボンの捨て子院から、東方布教に働くパードレの雑務を助けるためインドへ送られた孤児の一人だった。
ペレイラは、刷りあがった印刷紙片を整理しながらトマスによくそのときのことを話して聞かせた。リスボンの港に、見送る孤児たちが一列に並び、インドへ旅立っていく仲間のためにわずかな楽器を奏で、束の間の別れを惜しむ。送る者も、送られる者も、二度と会えないことは分かっていた。分かっていながら、「無事に帰ってこいよ」と、秘かに言葉を交わしあった。
ペレイラは、「今でもあの光景がありありと目に浮かぶ」と、よくトマスを相手に語った。そして、その話をするとき、いつも涙ぐんでいた。その後、急に「いかん、こんなことをしている暇はないぞトマス。ラテン語じゃ、おまえはラテン語を覚えねばならん。日本人の誰より、いや世界中の誰よりうまくラテン語を話すようにならねば……」
いつも、こうして唐突にラテン語の個人教授が始まった。活字を拾いながら、また印刷紙片を整理しながら……。トマスが仲間の誰よりラテン語に通じていたのも、このペレイラの教えがあったからだし、その結果として、日本語版のテキストを収集する目的も兼ねて、トマスがローマへ送られることとなったのだ。
彼らは日本語の活字化を模索しながら、日本語に翻訳するためのテキストとなる原本を求めていた。その第一番は、なんと言っても「聖書」である。彼らは、原マルティノや中浦ジュリアンを通じ、ローマで完全なウルガタ聖書(ラテン語聖書)の改訂が行われていることを知っている。シクストゥスの聖書だ。これを日本語に訳し、日本人の手で造った活字で出版する。
夢は膨らんでいく。
が、イエズス会自体は、このことに対し消極的と言うより否定的でさえあった。日本人の能力を評価し絶賛したザビエルやバリニャーノの時代は終わろうとしていた。むしろ日本人を油断できない野蛮人とする見方がイエズス会の主流となりつつあった。日本人は宣教師とするより、イルマン(同宿)として教会の下働きをさせることが向いている。彼らは野心的でキリストの教えを自らの出世のために利用する。宣教師になりたがるのもそのためであり、彼らには高邁なキリストの教えを理解できない。むしろその奥義を教えれば、野心的な彼らは、キリストの教えをゆがめ伝え、別の宗旨を創りだすことであろう。
これは極端な考え方であり、一方でイタリア人宣教師に見られるように日本人への好意的な態度もあるにはあるが、イエズス会日本布教区自体が日本人への厳しい風潮の中にあり、日本人会員の不満が常に存在し、ポルトガル系会員と日本人会員の間に軋轢があったことも、また事実である。
したがって彼らの夢に一役買ったのも、イエズス会ではなく裕福な日本人信徒の一人であり、長崎の朱印船貿易家でもある末次興善だった。彼は、ヨーロッパでの情報収集とその情報提供を条件に、イエズス会ではなく、末次家として、ローマへ私費留学生の派遣を申し出たのだ。

「私と、あなたの兄上ミゲル殿が、ローマへの留学生として選ばれました。私はラテン語に精通しているという理由から、ミゲル殿は、お父上から印刷術を習得しているという理由からです。
中浦ジュリアン殿は私に言われました。何としてもシクストゥス教皇様の聖書を日本に持ち帰ってほしいと。」
「……ひょっとして、今まで何も分からずお預かりしておりましたが、これがその聖書でございましょうか?」
今まで黙っていた九介が口をはさんだ。
「そうです。私と、千代殿の兄上がローマへ渡った目的の一つが、このシクストゥス聖書を持ち帰ることでした。しかし、それは嫌でもキリスト教世界の現実と向き合うことを意味していたのです。」
「……トマス様、ご自分の弱さを、キリスト教世界のせいにされるおつもりですか。トマス様の信は、そのようなものに動くような浅いものだったのですか。」
千代の言葉が急に厳しいものに変わった。
やがて長い間、諳んじてきた教理入門書「どちりなきりしたん」の一説が、涙と共に彼女の口からこぼれ始めた。
「デウスパーテレの真の御子にておはします神の子、貴きビルゼンマリアの御胎内において、我らが肉体に変わらざる真の色身と、真のアニマ(魂)を受け合わせ給いて、真の人となり給うといえども、デウスにておわします御所は、変わり給うことなく、いつも同じきデウスにておわします也。このビルゼンサンタマリアより生まれ給うを名付けてゼズキリシトと申し奉る也。またこの御出世は人の業をもてのことにあらず。ただスピリツサント(聖霊)の御奇特をもて計らいたもうことなればスピリツサントより宿され給うと申し奉る也……」
「神の子」であると同時に「人の子」でもあるイエスの誕生こそ、「父」と「子」と「聖霊」の三位一体というキリスト教独自の教義の根拠であり、これを過去のこととしてでなく現在の指針として思い浮かべ自分の生活の根拠とすること、そこからキリスト教の信仰は始まる。それはキリスト降誕を紀元〇年とし、彼の殉教と復活を通して「最後の審判」に至る世界観と時間的観念を受け入れることに他ならなかった。この思想を定着させるために、「言葉によって伝えられる教義」が必要とされ、「降誕祭(クリスマス)」や「復活祭」さらには「洗礼」や「告悔」という儀式が必要とされた。

トマスいや了伯は、千代の声を聞きながら母を思った。母に連れられ行った高槻の教会を思った。そして自分にとってキリスト教とは何だったのかと思った。


有岡城の攻防

トマスは生まれたときからキリシタンだった。
父、荒木忠通は摂津を支配する荒木村重に仕えていた。同じ荒木姓と言っても血筋がつながっているわけではない。元は池田姓を名乗っていたが、祖父久左衛門のとき、荒木村重に望まれて有岡城の家老となった。その折り、荒木姓まで賜ったということだが、池田家二十一人衆の筆頭だったという実力と、その温厚実直な性格のためか古参の家臣衆の嫉妬をあおることもなかったという。
トマスの父忠通は、そんな久左衛門が、若い頃、池田の百姓の娘に生ませた子供だという。
父忠通がキリシタンとなったのは、同じ荒木家配下にある高槻城主高山右近の影響によるものだった。忠通は、同じ年輩ながら右近を自らの茶の師と仰ぎ、築城術の達人と賞賛し、その潔癖さがやや煙たくはあるものの右近の人となりにかねてより敬服していた。
その右近から、自らの婚姻の儀式に立ち会ってほしいと、忠通ばかりか妻の時子までが招待された。結婚の相手は古田織部の妹ジュスタ。織田信長の薦めを荒木村重が取り持っての話であり、いささか政略的なにおいもないではないが、それより何よりジュスタが熱心なキリシタンであることが右近の心を動かしたようだ。婚姻の秘蹟は新たに完成した高槻の天主堂で行うという。
教会といっても、当時は神社や仏寺をそのままキリスト教会に転用する場合が多く、そんな中にあって高槻天主堂は小規模ながらも、右近と飛騨守父子が心血を注いだ司祭館まで備えた本格的天主堂だった。しかし忠通は天主堂よりも、右近の修築した高槻城に興味があった。高槻城は久米路山に築かれた城だ。久米路山と言っても小さな丘のような小山で、平城にも等しく守るに難しい城である。右近は修築に際し、この欠点を濠を深く広くすることによって解決した。そればかりか内濠外壕のまわりにまだ一つの壕を巡らし、まるで湖に浮かぶ島のような城に仕上げてしまった。
人は、右近とキリシタンの関係から、それを南蛮わたりの技術であるかのように思う。が、実際は右近が堺に滞在中、上泉秀綱に教授された築城術に依っていた。
右近にはこういった誤解がつきまとう。右近と付き合っていれば、南蛮の技術や産物、いや何かの折りには南蛮の援助さえ得られるのでは……そんな思惑から右近に接近する者も多くあった。主筋にあたる荒木村重しかり、織田信長またしかりである。右近を友とも師とも思う忠通にしてからが、右近を見る目にそういう思いがないとは言い切れなかった。
忠通は、右近の説くキリシタンの教えは「たしかに道理にかなっている」とは思うのだが、自ら進んでキリシタンになる気はない。特にキリスト教の説く一夫一婦制、しかも一度娶れば離縁できないという教え……このことだけは日本にはあわないと思う。道義的な意味からばかりでなく、政治的にも子孫を残すことを、すべてに優先させなければならなかった時代なのだ。
「右近の説くキリストの教えとやらは潔癖に過ぎる。これではわしのような男は近づくこともできん。」
しかし、高槻を訪れこの思いが一変した。理屈ではなかった。思想でもなかった。今まで目や耳にしたことのない、南蛮の色彩と音に包まれ、キリスト教に魅了されてしまったというのが本当のところであろう。
一五七四年(天正二年)の暮れ、右近とジュスタの結婚の秘跡が高槻の天主堂で厳かに執り行われた。新築された天主堂の祭壇。オルガンティーノ神父の深紅のマントの鮮やかさ。純白の打ち掛けに身を包んだジュスタの清楚さ。黒いアビタ(修道服)に身を包んだ右近の凛々しさ。オルガンの響き……そこへ賛美歌がかぶさり、やがてよく通るオルガンティーノ神父のラテン語が響きわたる……忠通等夫婦ばかりでなく、列席者のすべてが体験する初めてのキリシタンの結婚式であった。ラテン語の意味は分からなくとも、その簡素さと厳粛さに列席者は感動しため息をついた。特に政略の道具として扱われてきた女たちにとって、キリスト教の示す夫婦の姿は、まさに彼女らが渇望して止まなかったものであったに違いない。
そんな雰囲気に飲まれるように、忠通夫婦はキリシタンとなった。右近の結婚から一月後のことである。そしてその半年後、忠通夫婦に待望の男児が生まれ、高槻の天主堂で洗礼が施された。
洗礼名はトマス、名付け親はジュスト高山右近、洗礼をほどこしたのは、後に安土セミナリオの校長となるイタリア人ニエッキ・オルガンティーノ神父だった。
キリスト教に改宗してからというもの、忠通にとってすべてが順調に進んだ。織田信長はキリスト教を厚く遇した。村重もまたキリスト教を厚遇し、キリシタンに改宗した忠通を重く用いた。村重の場合、それはただ単にキリスト教に利用価値を見いだしたというばかりでなく、高山右近を押さえておくというさし迫った問題を抱えていたからでもあった。このため忠通は、何かにつけ高槻の右近のもとへ使いに出された。右近を友とも師とも仰ぐ忠通にとって、それは願ってもないことであったが、その裏に隠された村重の意図に気付くことはなかった。
村重は、信長への謀反の思いを心の奥に秘めていたのだ。その思いが一五七八年(天正六年)秋、具体的な形となった。村重が突如、石山本願寺や毛利勢と通じ、信長に反旗を翻したのである。
トマスが三歳を迎えたばかりの頃であった。
「村重謀反」の報に接するや、右近は直ちに有岡城へ赴き、村重に対し、何よりこの戦いが不正であり忘恩であることを弁じ、その不利と無謀さを説いた。そのうえで信長への赦しを請うべきだと主張したのだ。右近はこのとき、二心なきことを誓うため三才になる一人息子を人質として村重に差し出した。この右近の誠意に村重は動かされた。たしかに信長自身、この時期、腹背に敵を有しており、摂津という重要な地点を敵に回すことはできない。右近の主張には説得力があり、説得は効を奏したかに見えた。しかし村重は、謝罪に安土へ赴くという土壇場になって「信長が自らへの反逆を赦すはずがない」という恐怖感にとりつかれ、強硬派中川清秀に勧められるまま、有岡城へと帰城してしまったのだ。
こうして、右近も村重と共に信長と戦う羽目に陥った。
村重謀反の報を受けるや、信長は、まず高槻に兵を進めた。しかし高槻城を一目見るなり、その堅固さに驚嘆すると共に、この城をここまでにした高山右近という人物に驚嘆した。まともに攻めれば攻める側にも莫大な損失を覚悟しなければならない。それにもまして戦いが長期化すれば、こちらの自滅にもつながりかねない。本願寺攻めにも、西国の動きを牽制するにも、摂津はその要となる重要な地点である。
信長にとって、早期の紛争解決こそが最重要課題であった。
このため信長が真っ先に手を打ったのが、右近の懐柔である。信長は右近の動きを封じるため、キリシタン宣教師を人質に取った。右近が村重に味方するようであれば、「日本のキリシタンを根絶やしにする」と脅しつけたのだ。言葉だけの男ではない。
かと言って、村重のもとには二心なきことを誓うため、自ら息子と妹を人質に出している。どちらにも動けない右近であった。思いあまったあげく、父ダリオ飛騨守は村重に味方し、右近はキリシタンとしてすべてを捨て出家するという捨て身の道を選んだ。
信長にとっては、それで十分だった。出家し中立を守ろうとする右近を却って重く用い、その仲介に当たったイエズス会宣教師をも、今まで以上に厚遇した。そうすることで荒木側に右近の寝返りを強く印象づけ、その士気を阻喪させることをねらったのである。
信長は、高槻城に次いで茨木城を守る強硬派中川清秀を懐柔するや、いよいよ有岡城への総攻撃を開始した。降伏の勧告はなく攻撃は熾烈を極めた。それだけに守り手も死に物狂いで防戦につとめ、堅固な城塞と相まって、寄せて側に多大な被害を与えた。
信長は持久戦への変更を余儀なくされた。兵糧攻めにしようという作戦だが、町屋までも城郭に包み込んだ有岡城は兵糧攻めに強く、籠城戦は長期にわたる様相を呈し始める。そんな中、高山右近も封鎖網の一翼を担わされることとなり、やがて有岡城を包囲する旗印の中に、右近のクルスの旗印が翻ることになった。
右近が寝返った……。少なくとも籠城側にはそう映ったし、結果として事実はその通りでもあった。有岡城を守る側にもかなりの数のキリシタンがいる。そして、そのほとんどが右近の勧めで教えに入った者たちだ。
右近が包囲網の一翼を担ったのは昆陽口の砦であり、有岡城からは北西の方角に当たるが、この一角に翻るクルスの旗を見たとき、忠通は何を思ったろうか。「右近だけは」と信じていた思いがぐらつきはしなかったろうか。この戦いへの疑問を大きくふくらませはしなかったろうか。この戦いは本願寺に加勢しての戦いである。キリシタンにしてみれば異教徒に加勢しての戦いであり、戦いの義が立たない。聞けば右近は、宣教師やキリシタン信徒たちを守るために信長側に寝返ったという。しかし、なぜか釈然としない……
右近は、すべての立場を捨てキリスト教に生きようとしたのではなかったのか。武士というしがらみを捨て、信長にも村重にも組みしない道を選んだのではなかったのか。その男が、なぜ、信長の一武将としてこの有岡城を包囲するのか。
俺はいったい何のために戦っているんだろう。そんな思いに責めさいなまれる日が続いた。そんな矢先、今度は、城主村重が逃走した。「夏には……」と言っていた毛利の援軍は十月に入っても来る気配はない。「かくなるうえは」と、村重自ら「毛利へ救援を求めにいく」と有岡城を脱出したのだが、その村重も尼崎城に逃げ込んだまま動こうとしない。聞けば村重の大事にしていた名物茶器がすべて有岡城からなくなっている。「青磁の花入れ」「高麗茶碗」「立桐筒」「小豆鎖」……何一つ残っていない。
村重に戻ってくる気はなかったのだ。
十月も終盤に入るや、荒木側には裏切りや逃亡が相次いだ。最前線の上臈塚砦も、中西新八郎や宮脇平四郎の裏切りのため、寄せ手の滝川一益の軍兵を戦わずして迎え入れた。
ほぼ一年にわたって頑強な抵抗を示した防衛線も、一角が崩れるや一気に崩れ始める。町に火がかけられ、各砦は本城との連絡が絶たれ混乱に陥る。降伏は赦されず、惨酷な殺戮が繰り返され、悲惨な報せだけが次々と有岡城へ押し寄せてくる。
こうして三の丸までが信長勢の手に落ちてしまった。
そんな頃、包囲軍の一翼を担う高山右近から忠通へ秘かに一通の書状が届けられた。
忠通とその家族に有岡城脱出を勧める書状であった。
それによれば、村重が尼崎城に逃れたことにより、包囲軍もその半数が尼崎城に振り向けられ、右近も信長の命により、尼崎城を望む塚口の砦へ移動したという。村重の城抜けにより、信長の怒りは並々ではなく、今降伏しなければ、信長は誰一人として生かしておく気はないだろう。こうなったからには、せめて奥方とトマスだけでも脱出させるようにというのだ。
幸い明日は、忠通の父荒木久左衛門に率いられた一隊が、尼崎にいる村重を説得し、尼崎・花隈城を開城させるとの条件で降伏勧告のため城を出ることが許されている。その間は、織田勢の攻撃もストップされるばかりか、久左衛門率いる一隊に注意が注がれ城内の味方の監視さえ手薄になるだろう。この混乱に乗じてトマスと時子を猪名川から舟で逃がすように……猪名川の警戒は右近の手の者が行っているので、舟で迎えに出るというのだ。
その夜、忠通は二人の部下を伴い、時子のもとを訪ねた。
「俺は、明日、親父殿について尼崎城へ向かう。荒木の殿を説得し、尼崎、花隈の城を明け渡して降伏し、残された者たちの命乞いをしていただくためだ。もし、かなわぬときは、荒木の殿と戦うことになるやも知れぬ。また逆に荒木の殿に合して戦うことになるやも知れぬ。そうなれば、信長殿はこの城に残された者たちを赦しはしないだろう。どんな苛酷な刑を科してくるか知れたものではない。俺はキリシタンである前に武士だ。今となっては、どのような立場におかれようと見苦しくない死だけを願っている。ただトマスやそなたには、自分に果たせなかったキリシタンとしての一生を全うしてもらいたい。」
忠通は、妻時子と三才になるトマスを部下に託した。

翌早朝、久左衛門らが大手口に集結した。降伏勧告の使者として尼崎城へ向かうためだ。その数は三百におよんだと言う。その三百に及ぶ一隊の周囲を見送りの家族たちが取り囲んでいる。
忠通は久左衛門の隣にあって、幼い弟の自念が乳母に連れられ見送りに出ているのに気が付いた。忠通にとっては腹違いの弟に当たる。そっと父の横顔を見た。父久左衛門が幼い自念をどんなに可愛がっているかよく知っている。父はその幼い息子を残して出発しようとしているのだ。久左衛門にしても残された者の運命を考えると、できるものなら連れていきたいに違いない。しかし人質として残していく部下の家族たちのことを考えると、それだけはどうしてもできることではなかった。
そんな父の気持ちを思うと、忠通の心に、何か後ろめたいものが走った。
(時子やトマスは無事に城を抜け出したろうか。)
やがて大手門が開かれ久左衛門に率いられた一隊が、尼崎城へ向けて整然と出発していった。出発していく久左衛門と、自念の眠そうな目が合った。父久左衛門は何も言わない。苦渋に満ちた顔を背けると、まるで未練を振り切るように黙々と歩を進めていった。
外は嘘のように静まりかえっている。銃声も、雄叫びも、死を前にした男たちの叫び声もない。ただ一隊の行方を、敵と味方の眼差しだけが執拗に追っていた。
そんな有岡城を後目に、猪名川を舟で下る三つの人影があった。真ん中にはトマスを抱いた時子の姿があり、その後ろには甲冑に身を固めた老武者が刀を抱えてすわっている。そして舟の舳先では野良着に身を包んだ若い武者が棹をとっていた。

久左衛門らの一隊は、やがて尼崎の城へと到達した。しかし村重は、降伏を進める久左衛門等を前に、城の門を閉ざして出てこようとしない。そればかりか執拗に降伏を迫る一行にいきなり銃撃を開始したのだ。こうなっては逃げるしかなかった。久左衛門の一隊は、尼崎城を前に蜘蛛の子を散らすように四散していった。これを見守る織田勢も咄嗟のことで何が起こったのか分からない。見る間に久左衛門の一隊は散り散りに消えていった。
そしてこの後、ある者は淡路島に、ある者は高野山へ逃れ、一人の男を除いて有岡城へ帰った者はいなかったという。
一説には、この逃走劇は、荒木家再興のため、毛利の援軍が来るまで荒木勢の主だった者を温存しておこうという村重と久左衛門が共謀して打った大芝居だという。しかし、その見返りは大きかった。怒った信長の戦後処理は苛烈を極め、有岡城にとどまった者は、男女子供の区別なく、非戦闘員である賄いの女性に至るまでことごとく殺戮されてしまった……。

話を戻そう。
尼崎城を背景にした村重と久左衛門のやりとりに周りの目が集まっているとき、トマスを乗せた舟は、猪名川を塚口近くまで下って来ていた。……と、そのときだ。
棹を取る若者が注意を促した。あわてて筵をかぶり身を隠す二人。と、前方の薄もやの中から一隻の小舟が近づいてくる。若者は、すわ敵かと身がまえたが、こちらの様子を察したのか、いきなり一人の武将が白地に黒のクルスの旗を高々と掲げた。
「おお、右近様の迎えの方々だ!」
張りつめた気持ちが一気にゆるんでいく。
やがて二隻の舟は岸に接岸した。クルスの旗を持った男が岸に着くのを待ちきれずに舟を下り、こちらへ向かってくる。
男はクルスの旗を傍らの者に手渡し深々と頭を下げた。
見れば、それは高山右近自身であった。
時子は驚いた風もなく、右近に深々と頭を下げると、
「右近様のお導きで、私たち夫婦は短い間でしたが、真の夫婦としてよみがえることができました。夫忠通は、今朝、久左衛門様と共に尼崎へ向かいましたが、本心は有岡城へ戻るつもりでございます。トマスを右近様に託しました上は、この私も有岡の城へと戻り、夫と最後まで生死を共にし、夫への愛、ひいてはデウス様への愛を全うしとう存じます。つきましては、この子のことのみが気がかり。厚かましゅうはございますが、トマスのことくれぐれもお頼み申します。」
時子は、老武者に手を引かれて立つトマスの首に漆細工の小さな聖画入れをかけてやった。かけながら背をかがめると、
「母は、やはりそなたの父上の許へ帰ります。もし、生き長らえるようなことがあれば必ずそなたを迎えにまいります。……が、もう会えないかもしれませぬ。そのことは覚悟しておくのですよ。この中にはマリア様のお姿が描かれています。さびしくなったら、これを母と思うて生きていってくだされ。」
それは黒漆に金蒔絵で十字が描かれた楕円形の容器であり、蓋を開けると、中に小さな聖画が入っていた。そこには幼子イエスを抱くマリアの優しい姿が描かれていた。

やがて時子を乗せた小舟が有岡城へ向かい帰っていった。
トマスは、右近の手をにぎりながらその姿を見送った。
その胸に、「生きていれば必ずそなたを迎えにまいります」という母の言葉がいつまでも残った。


高山右近

信長の苛酷な戦後処理が開始された。
信長は「不憫ながら荒木摂津守や久左衛門を懲らしめるためには致しかたなし」と、生き残った者全員の成敗を命じた。右近にはその忠節を試すかのように猪名川沿いの七松において、名ある武士の妻女とその子供、更には非戦闘員である召使いや若党夫婦まで処刑することを命じた。
一度、権力者に屈すると、妥協が妥協を生んで際限がない。すべてを捨てて出家する道を選んだはずが、信長に仕えることを承知したばかりに、主筋に当たる村重を攻めるはめとなり、今度は、生き残った者たちの処刑を命じられることとなった。
これに対し右近が裏切った村重は、人質として差し出した右近の子供や妹を遂に殺しはしなかった。それがキリシタンである右近を苦しめた。キリストの教えを奉じる自分は潔癖でなくてはいけない。戦国という時代が、自分の最も望まぬ方向へ自分を運んでいく。それが結果として、自分の最も忌み嫌う「偽善者」というレッテルを自分に貼ることになる。周りの者も口には出さずとも思っている。「右近は口では立派なことを説くが、いざとなると自分は安全な場所に逃げ込む卑怯者だ」と……。
その通りだと思った。処刑の日も、右近は、塚口砦に作った仮の茶室へと逃げ込んだ。そして、何かに耐えるように、ただ処刑が終わるのを待っていた。そのそばではトマスが、外から聞こえてくる銃声や悲鳴にじっと耳を傾けている。

七松の処刑場は凄惨を極めた。
猪名川を舟で運ばれてきた囚人たちは、母は子の手を引き、まだ幼い子供たちは牛車に乗せられて整然として処刑場に向かう。
……竹矢来が組まれた刑場に入ると、そこには何十本かの杭が打たれていた。足軽たちが、到着した女や子供たちを無造作にその杭に縛っていく。まだ幼い子供は、杭に縛られた母に抱かせる。
やがて………
「撃てーッ!」というかけ声と共に一斉に銃撃が開始された。
刑場は一瞬にして、悲鳴と念仏と血しぶきに覆われた。
足軽たちが、まだ硝煙の漂う刑場を杭に駆け寄り、死体を杭からはずすと引きずるようにして、大八車へ放り込んでいく。まだ死にきれない女は足軽が槍や刀で殺していく。死体の始末が終わると、次の女や子供たちが引き出され、足下に血だまりのできた杭に縛られる。処刑場のあちらこちらで、この行為が散発的に繰り返され、最初、子供の健気な様子に涙したり、好奇の目で見ていた観衆も、やがて血のにおいに飽き、気分が悪くなって吐く者もあちこちで現れはじめる。
こうして朝から始まった処刑は昼過ぎまで続いたが、このとき処刑された女や子供は、実に百二十二名に及ぶと言われる。
『信長公記』は、このときの模様を、「この光景を見た人は、その後二十日、三十日の間はその面影が目について忘れることができなかった」と言い、あるいは「人々はすっかり肝をつぶしてしまい、目を覆い二度と見ようとする人はいなかった」とも言う。

右近は、茶室の中に聞こえてくる銃声や悲鳴にじっと耐えていた。そんな右近の手を握ってくる小さな手があった。
トマスだった。見ればトマスは、声を押し殺し、恐怖に体を震わせて泣いていた。右近は、トマスを抱きしめてやった。右近の腕の中でふるえる小さな温もりが愛おしく、右近はトマスを慰めることで、まるで自分が癒されていくようにも感じた。
が、処刑はこれで終わった訳ではない。昼からは有岡城で働く五百名に及ぶ召使いたちが四軒の農家に閉じこめられ、戸を釘付けにされたうえで焼き殺された。
またこの三日後、京都六条河原では、村重の妻だしをはじめ、荒木一族がことごとく処刑されたという。この中には、荒木久左衛門の幼い息子自念も含まれていた。
しかし、トマスの父や母の姿はどこにもなく、恐らくは有岡城最後の戦いの中で命を終えたものと思われた。


信長という恐怖

トマスは有岡城落城後、高槻の高山右近のもとでほぼ三年間を過ごしている。そして六歳になったとき、信長の城下町安土にセミナリオが造られ、ここに預けられることとなった。
セミナリオの創設は、イエズス会巡察師バリニャーノ神父の働きによるもので、まずは九州有馬に開校し、翌年、信長の許しによって安土に開校される運びとなった。
信長は荒木攻めに果たした高山右近の働きを高く評価し、キリスト教をあつく保護するとともに、セミナリオ建設のため、安土城天守ふもとの土地を与えたばかりか、大工などの手配から万事に至るまで全面的にこれを援け、安土城天守と同じ瓦の使用まで許したという。
右近もこの工事を援けた。
それは、ただ単に便宜を図る、経済的に助けるというばかりではない。毎日のように人夫に混じって材木を運ぶ姿は、まるで贖罪の苦行でも果たすかのようであった。
この時期、右近はラテン語を学ぶようになる。キリストの教えを本当に伝えるためにはヨーロッパの言葉を知らねばならないと言い出し、そして幼いトマスにもそれを勧めた。
「私は西洋の言葉を学ぶには歳を取りすぎた。トマス、おまえはパーデレ様の国の言葉を学び、イエス様の教えを、この国の言葉として伝えていってほしい。」
こうしてやがて出来た安土セミナリオに、その一期生としてトマスが預けられたのである。
校長は、トマスに洗礼を授けたイタリア人宣教師オルガンティーノ神父。生徒は、六歳のトマスが最年少で、最年長が十五歳、およそ十五、六名の生徒が集められた。多くは戦争で身寄りを亡くした戦国武将の子供たちや、熱心なキリシタン信徒の子弟たちで、なかには自ら望んで入学してきた者もいる。後のことになるが、秀吉の禁教政策に殉じ、二十六聖人の一人に列せられるパウロ三木も、この安土セミナリオの生徒として、この中にいた。
信長の異国趣味がにわかに花開いた時代であった。
巷では西洋風の衣装が取り入れられ、キリシタンでなくてもクルスをかけ、ロザリオを装身具のように扱うことが風潮となった。京都には三層の天主堂がそびえ、町の大通りには着物に首襟を着けた若者や、カルサンを袴代わりに履く人たちの姿が見られた。
安土のセミナリオでも、西洋音楽を学ぶ子供たちの声やオルガンの音が絶えることなく、信長自身、セミナリオを訪ねてはその調べに耳を傾けた。
しかし、トマスにとって、信長の来訪は恐怖以外の何ものでもなかった。信長は感情を表さず、ただ生徒たちの弾く西洋の調べにじっと耳を傾けている。その表情を盗み見るとき、七松で聞いた銃声や断末魔の悲鳴が、トマスの頭の中でよみがえってくる。
――信長様はあの銃声や悲鳴を聞くときも、あんな表情だったのだろうか――。
トマスの頭の中によみがえった銃声や悲鳴は、次第に実体を持ち、トマスの頭からあふれ、次第に辺りを七松の処刑場へと変えていく。思わずトマスの口から悲鳴が洩れそうになったとき、母の「生きていれば必ずそなたを迎えにまいります」という声がよみがえってきた。
そしてトマスは、その声にしがみつき必至に恐怖に耐えた。

やがて、トマスにとって恐怖の象徴とも言える信長が死んだ。
セミナリオの出来た翌一五八二年、いわゆる本能寺の変が起こり、信長は明智光秀によって京都本能寺に誅せられたのだ。天正遣欧使節の少年たちが旅立って間もなくのことだ。
しかし争乱は京都だけにとどまらなかった。光秀は、本能寺を襲うと同時に、信長の本拠安土をも襲わせ、このため安土セミナリオまでが、このとき、灰燼に帰してしまうことになる。
安土セミナリオの校長であったイタリア人宣教師オルガンティーノは、生徒たちを連れ安土を脱出した。まず小舟で琵琶湖の沖の島へ渡り、そこからさらに対岸の坂本へと逃げる。坂本は言わずと知れた明智の本拠地……。そこでオルガンティーノ神父らは、キリシタンを味方にしようとする明智の手で却って保護され、争乱の中、その案内で京都南蛮寺へと落ち延びることができた。


トマスは、年長のパウロ三木に手を引かれ山中峠を越えた。途中、何度も何度も安土の方角を振り返った。なぜかセミナリオを離れたら最後、母親も、母親の思い出も大事なものがすべて消えていってしまうような……そんな気がして仕方がなかったのだ。
母が死んだことは分かってはいるのだが、トマスは母を待つということで自分を支えてきた。いや、待つという行為の中に母を感じようとしていたのかもしれない。だから、どことも知れぬ場所へ移動することが不安でたまらない。高槻を離れ安土へ来たときも、この不安を抱えたままやってきた。今また安土を脱出するに当たって、自分の中にポッカリ空洞ができてしまったような不安定さに戸惑い、いたたまれずにいる。
トマスは自分の記憶の中に母の声を探した。
「生きていれば必ずそなたを迎えにまいります……」
その記憶の中に母の声と思いをよみがえらせることで、トマスは自分の不安を癒そうとした。
しかし母の声が思い出せない。心の中を必死になって探しまわり、やっと母の声に行き着くことが出来た。そのときだ。
「トマス、モウスグデス。モウスグ京都デス。大丈夫デスカ?」
オルガンティーノ神父の励ましの言葉が、トマスを現実の世界へと引き戻した。



「十一人のうち一人トマスといふ疑ひびとあり、ゼスス来たり給ふ折節漏れられけるに残りのヂシポロ(弟子)おん主を見奉ると申されければ、トマス御手の疵を見、釘の御痕に指をさし御右の疵に手を入れずばヒイデス(信仰)に受くべからずと申されけるなり……」
千代は目の前のトマスを拒むかのように、二人に背を向け、自分の中に今までため込んできた日本語教理書をつぶやくように吐き出していた。
イエスの十二使徒の一人トマスは、ほかの弟子たちが口にする主の復活を最後まで信じようとしなかった男だ。
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れてみなければ、私は決して信じない。」
そんなトマスの前に復活したキリストが姿をあらわし、「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
イエスはまた、トマスがカイサリア市にいたとき、再び彼の前に姿をあらわし、インド王グンドフォルスのもとへ布教に行くことを命じた。殉教の覚悟がなくてはインドへは行けない。
イエスは、ためらうトマスに「トマスよ、行きなさい。怖れてはならない。私があなたを見守っています。そして、あなたがインドの人々を改宗させたならば、殉教者の棕櫚をもって私のそばに来るのです。」
こうしてトマスはインドへ赴き、インドで最初の殉教者となった。トマスの伝説は、新約聖書外典「トマス行伝」や十二世紀に成立した「黄金伝説」にも収録され、一五九一年に日本で出版された「サントスの御作業」の中にも収録された。
今、千代の口から漏れる言葉は、その「サントスの御作業」の一節に違いない。トマスを兄とも慕った千代が、まず最初に覚えたのがこの一節だった。

……サントウメ(聖トマス)いかに御主、いづくいかなる所に遣わさるるとも、南蛮に至っては御免なされかしと辞退申さるれば、ゼスキリスト汝ともに我も行きて、力を添ゆべきなれば、恐るることなかれ。かの人々をキリシタンになして後、汝はマルチル(殉教者)の位を以て、我が所に来たるべし……

了伯は千代の声を聞きながら思った。
右近様はこの聖トマスについて知っておられたのだろうか。知っておられて、この洗礼名を私に名付けられたのだろうか。もちろんオルガンティーノ師はご存じだったろうが、しかし、キリスト教会が異端として避けた「トマス福音書」の存在についてはどれだけご存じだったろうか。聖トマスと言われながら、一方で異端として避けられた男の本当の姿を、あの方はどれだけご存じだったろうか。
私に名付けられたトマスという洗礼名にどれだけの意味があったのだろうか……。
トマスの心に、異端審問所の牢獄で聞いたジョルダーノ・ブルーノの言葉がよみがえってきた。

「トマス……不可解な名だ」
「君はいったいどのトマスになるつもりだ……」


ローマの地下水道

「ホテルには帰っていないそうです。」
電話をかけに行っていた通訳の男性が帰ってきた。
康男がを姿を消してすでに三時間がたつ。
康男の捜索のためにと、藤プロデューサーと、この通訳の男性が、ヴァチカンにとどまったが、三時間たった今も、その行方はようとして知れない。
「俺なら、みんなからはぐれちまったら、ホテルへ帰りますけどネ。今晩もあのホテルへ泊まるんだし……まだ帰っていないだけで、康男さんだってきっとホテルへ帰ってきますよ。」
そうだと思う、そうに違いないとは思うのだが、藤にはなぜか安心できない。
康男とは、今のプロダクションに入ってからの付き合いだ。といっても、まだ三年目に入ったところなのだが、ずいぶん長く付き合ってきたような気がする。
決してバリバリ仕事ができるというタイプの男ではないが、責任感だけは強い。この類の仕事では、その責任感の強さが却って仕事の邪魔をしている面もなきにしもあらず、要は手を抜くところを知らない。
「あれではいつか潰れてしまうのでは」と思うのだが、スタッフの連中は、ヤツのそんなところをを信頼している。
そんな康男が、みんなを引率していて急に消えちまうなんてことがあるだろうか。
……康男はそんな男じゃない。
藤には、康男が何かトラブルに巻き込まれたとしか考えられなかった。

藤信二――かつてはテレビ草創期に、反戦をテーマにした九十分テレビドラマを制作し、芸術祭賞を獲得した。当時としては画期的なことで、以来、仕事にはめっぽう厳しく、若いスタッフやタレント連中からは、鬼藤として恐れられ今日まで来た。が、それがなぜか長年住み慣れたテレビ畑から身を引き、CMプロダクションのプロデューサーとして再出発することになった。
しかも東京から離れて、大阪支社の勤務を希望したという。
様々な噂や伝説と共に、藤が大阪支社に姿を見せた頃、康男は一年の進行助手の期間を終え、制作進行として一本立ちすることになった。
その最初の仕事が、地方の電力会社のテレビCM、このプロデュースを担当したのが、藤信二だったというわけだ。
企画的には別段これといった目新しいものはない。が、いくつかの厄介な問題が課せられていた。一つは山間を縫うように立つ送電線の鉄塔――この空中撮影が問題となった。この地域は、二つの電力会社の送電線が入り組んでおり、他社の送電線が写らないことが絶対条件とされた。目印となるのは、送電線の鉄塔の形。鉄塔先端のアームに、鬼のように小さな二本の角が突き出ているかどうかで見分けが付くという。
二つ目の課題が、海岸部に建てられた火力発電所の撮影。運行はストップできないが、時節柄、煙突から煙が出ているのが写るのは困るという。環境破壊の原因みたいな印象を与えたくないというのだ。かといって部分撮影でごまかすことは出来ず、火力発電所の全景が必要だという。
一つ目の問題は、フィルム編集の段階で何とかなるだろう。
厄介なのは二つ目の問題だ。この頃の火力発電所の煙突というのは、煙をモクモク吐き出すなんてことはまずない。濾過されて大気を汚すこともなく、煙と言ってもほとんど肉眼では分からないぐらいなのだ。……が、フィルムに写るとやはり煙は見えてしまう。かといって操業は中止できない。
苦肉の策で、一時間ばかりギリギリまで発電量を押さえてもらうこととなった。
これならどんなに頑張って煙を見ようとしても、肉眼では見えない。カメラマンもOKを出し、ファインダーを覗いたディレクターもOKを出した。
こうして一月にわたる長期ロケも無事終了し、スタッフ一同、意気揚々と大阪に帰ってきたのだが、ラッシュフィルムを見て皆が愕然とした。
確かに煙は写っていない。しかし、煙突の上の空気は熱せられているため、その部分だけが陽炎のようにユラユラ動いて見えるのだ。
案の定、広告代理店のOKは出なかった。それから二時間近く、試写室は対策会議の場に変わった。撮り直しても、これ以上は期待できない。静止画像にしてしまうという方法もあるが、これだと違和感が付きまとう。一分のコマーシャルフィルムでは映像が命なのだ。
カメラマンやディレクターの意見が一渡り出きったところで、康男が藤プロデューサーに向かってポツンと言った。
「煙突から上、ちょん切っちゃったらどうなんでしょう」
なるほど、最も原始的で、最も効果的な案に違いない。煙突のてっぺんギリギリのところでトリミングしてしまう。これなら不自然さもないし、取り直しも、特殊処理も必要がない。一番安上がりで効果的な方法だった。
出来上がったフィルム試写では、スポンサーからも代理店からもクレームは付かなかった。
以来、藤の仕事には必ずと言っていいほど、康男が制作進行として付くことになった。
しかし、機転が利くと思ったのは、あのときが最初で最後だった。
「あいつは俺が仕込まないと、この世界じゃ食っていけない。」
それが藤の口癖となった。

康男は仕事がないとき、広告代理店の八階にもうけられたスタジオへよく行く。そこを根城にしている美術(要は大道具)の連中と雑談するのが好きだった。特にスタジオのホリゾントに背景を描いている美術の伊牟田さんは、若い頃、画家を志望したそうで、よくラファエロやボッティチェルリの作品について話してくれる。
ルネサンス美術の話をするとき伊牟田さんは人が変わったようになる。スタジオのホリゾントの壁に向かい、まるでそこに「ヴィーナスの誕生」や「キリストの変容」が飾られてでもいるかのように滔々としゃべり出す。康男にはあまりよく分からない話なのだが、伊牟田さんがそんな話をするときの熱っぽさが好きだった。
その日もフィレンツェの話を聞いているときだった。
藤さんが、ひょっこりスタジオに現れ、康男に「話がある」と言う。伊牟田さんは気を利かして美術室へ戻ってしまった。
二人になると、いきなり藤プロデューサーは用件を切り出した。
「おまえ、少しは貯えはあるのか?」
「少しは……」
こちらの懐具合でも心配してくれているのか、いつもの「生活設計」などというお説教話がはじまるのかと思っていると
「三十万ほど、用立ててくれ。必ず利息を付けて返すから」と言う。
「そんな金、ないですよ。十万が目いっぱいです!」
「十万か? まあいい、その金、俺に貸してくれ」
藤さんなら大丈夫だろう。いつも世話になっているし、よく飲みにも連れていってもらう。「いいですよ」と気安く返事を返すやいなや、照れ隠しか、難しそうな顔をして、メモを取り出し、何かを走り書きして康男に渡した。
「金を下ろしてここへ届けてほしい」
「今すぐですか?」
「ああ、急いでいる……」

何がなにか訳が分からず、ともかく言われた場所へやってくると、そこは町金融の事務所。渡した十万円は、藤プロデューサーの借金の利息として消えた。
康男は、藤プロデューサーが東京を離れた理由が分かったような気がした。いつもおごってもらっていて偉そうには言えないが、金遣いがやたら派手なのだ。連れて行ってもらうのは、いつも会員制のクラブ。
そこでバニーガールの娘たちに向かってお説教を垂れる。
「人間というのは、お天道さんが昇って働き、お天道さんが沈んだら休むもんだ。こんな仕事、人間のする仕事じゃないぞ」と始まって、最後は、自分のつくったドラマの自慢話。「○○テレビで鬼藤と言やあ、知らないヤツはいなかったんだ」という展開になる。
康男にとっては、飲みに連れていってもらうより、借金を返してくれた方がありがたいのだが、それから一年以上経つが、返してくれる気配は微塵もなかった。
その代わりでもないだろうが、仕事の上ではよく面倒を見てくれたし、また信頼もされていた。

(ヤツはどうしちまったんだ。どこへ消えちまったんだ。)



康男は道を失った。
地下水道はやがて足場がなくなり、かといって水に浸かるのもためらわれた。ここまで来るまでに枝道が二カ所ほどあった。一番近い枝道のところへ戻るしかないだろう。そう思って、枝分かれした地下道を進んできたのはいいが、今度はペンライトの電池が心配になってきた。弱々しい灯りの中に進む方向を確認したうえで、ペンライトのスイッチを切り、手探りで進む。しばらくして、またペンライトのスイッチを入れ、進む方向を確認する。
そんな繰り返しでここまで来たが、ここがどこなのか、ただ闇があるだけ……。水の音も聞こえなくなっていた。
何度か目にペンライトのスイッチを入れたときだ。
頼りない灯りが、若い女性の姿を照らし出した。
彼女は突然の灯りに驚いたかのように、康男に向かって振り返った。まぶしそうに眉を寄せたその顔は、まるで興福寺の阿修羅像を思わせるような初々しい美しさに溢れかえっていた。
彼女は、康男にかすかに微笑むと、灯りの輪の中から消えた。
髪を包み込んでいるのは飾り頭巾だろうか、ローブと同じ布が、ターバンのように顔を縁取っており、それが整った少年のような顔立ちを一層際だたせていた。
…………
あの顔にも、あの中世風の装いにも見覚えがある。
どこで見たのだろう。
あんなイタリア人女性を知っているはずもないし……
何より、一体、なぜこんなところに。
康男は、ぼんやり湧きあがってくるそんな疑問を、脇に押しやるようにして彼女を追った。地上へ戻れるかも知れない。いや、きっと帰れる。
彼女を追いかけるんだ


ベアトリーチェ・チェンチ

遅い昼食を済ませ、伊牟田がスタジオの一角を囲っただけの自室へ帰ってくると、小さなソファーに、普段は顔を見せたこともない小山田支社長が座っていた。貧弱な応接テーブルは、美術関係の本に占領されている。小山田は、その一冊を手に取り、見るでもなくページを繰っていた。
「康男がローマで行方不明だ。」
小山田は、伊牟田のほうを振り向くでもなく、画集のページに目を落としたままつぶやいた。 
「エッ、ローマで何があったんですか?」
「俺の方が知りたいよ。藤君からついさっき連絡が入ったばっかりなんだ。」
「ローマは、今、明け方六時頃ってとこですか。」
「サン・ピエトロの見物中に行方が分からなくなった。昨夜はホテルへも帰ってこなかったって言うんだ」
「…………」
「ロケ隊は、今日、ローマから帰途に着くが、藤君は残ると言ってる。事件に巻きこまれてなきゃいいんだが……ところで、君は普段から康男とは仲が良かったねぇ。何か、最近、変わったことはなかったかい。」
「特には何も気付きませんでしたが……」
「そうか、ひょっとしたらローマへ飛んでもらうかもしれんが、何か思い出したら教えてくれ。」
小山田はそう言い残すと、部屋を出ていった。
伊牟田は、小山田の見ていた画集に目をやりドキリとした。その開かれたページには、グイド・レーニ作「ベアトリーチェ・チェンチ」の肖像と言われる画が、その問いかけるような目を伊牟田の方に向けていた。

康男にこの画について訊かれたのは、康男のローマ行きが決まってすぐの頃だから、もう半年近くにもなるだろうか。
伊牟田の美術室は、康男の隠れ家でもあり、何かあるとすぐにこの部屋へやってくる。あの日も、伊牟田がスタジオのホリゾントに青空のバックを描いていると、いつの間に来たのか、真っ青な顔をした康男が後ろに佇んでいた。
「だいぶ参っているようだな。まあ、コーヒーでも入れるから飲んでいけや。」
伊牟田は仕事の手を休めると、スタジオの隅にある自分の部屋へ康男を誘った。
「ローマ行きが決まってから、妙な幻覚を見るようになったんです。」
みすぼらしいソファーに座るや、康男はこんな話をした。

その日、康男は太秦の東洋現像所へ仕上がったフィルムを取りに行き、その足で広告代理店の試写室へと向かった。試写室と言っても映写技師などという便利な人間はいない。制作進行が何から何までやる。企画段階では、プロデューサーの助手としてスタッフの間を走り回り予算を算出し、撮影に入る前にはロケハンから撮影交渉と準備に奔走し、撮影に入れば演出助手兼スタッフの小間使いとなり、撮影が終われば、フィルムの運び屋から映写技師までやる。
映写室にはいると、康男は三五ミリフィルムを納めた銀色の缶を開けた。缶の中にはぎっしりと巻かれたフィルムの固まりが黒々とうずくまっている。撮影フィルムをポシに焼いただけで、編集の手も加わっていないし、まだスタッフの誰も見ていない。康男はガーゼにパラフィン油を染みこませると、その黒い固まりをそっと拭い、缶から取り出し映写機のフィルムケースへと収めた。
「準備OKです!」映写室の窓から試写室のスタッフ連中に声をかける。
「じゃあ、回してよ」と、カメラマンの声。
灯りを消し、映写機のスイッチを入れ、光源を閉ざしている仕切り板のレバーを倒す。
灰色に沈んでいたスクリーンが急に輝きだし、そこにCMのために撮影された映像が音もなくひろがっていく。
「このカット使えるよ、よく雰囲気出てるよ。」
「このあとにも予備のカット撮ってるんだけど……」
「いいネ……ああいいよ、これ」「山ちゃん、どう? これ使おうよ」
試写室の中は、急ににぎやかになったり、と思うと、また静かになったりを繰り返す。
やがて一巻目のフィルムが終わり、スクリーンが真っ白となった。いつもならカシャッという音ともに光源に蓋がされ、穏やかな闇が戻ってくるはずなのに、今日に限っていつまでも真っ白な光がスクリーンの上を踊っている。
「おーい止めてよ。次のフィルム回してよ!」
たまりかねてカメラマンが映写室に声をかけた。
反応はない。映写機は空回りを続け、スクリーンは真っ白く輝いたままだ。
「おーい康男ちゃーん、何やってんだよ! 寝てんじゃないの!」
映写室をのぞいたカメラマンは、異様な光景に思わず息をのんだ。
康男が口から泡を吹き、苦しそうに倒れている。目はひっくり返って白目をむいており、身体は硬直したように痙攣している。

「あれから、おかしくなったんです。」 
「おまえ、テンカン持ちだったのか?」と聞かれても、康男自身、あんな発作を起こしたのは初めてだった。だから、どう答えていいのか分からない。
ただ言えるのは、康男はあのとき、試写室のスクリーンに別のものを見ていた。
真っ暗な地下世界。石牢のような独房。急に広がる目眩くような白日の世界。その中で、一人の男が絶望的な目を空に向け炎に巻かれてゆく。何かモザイクがかかったようなぼやけたような映像。それでいって圧倒的な存在感を伴った映像。
それからというもの、この夢ばかり見るようになった。
夢の中では、中近東風だったり、ヨーロッパ風だったり、日本の田舎のような風景だったりする。その中を、康男は道に迷って彷徨っている。石を組んだ上に漆喰を塗り固めた粗末な建物、その間を何かを探しながら歩いている自分。そのうち、ここを行けばあの地下世界へ行くと分かっているのだが、どうしても他の道が選べず、そこへ向かっていく自分がいる。イヤだと思っているのに、行きたくはないのに……。
そこで、あの少女と出会った。少女は、あの地下牢へ自分を誘っていく。
「イヤだ、行きたくない、行きたくない!」と思いつつ、足は逆らうことができず、そちらへと向いていく。
そこで汗ビッショリになって目が覚める。
「あー夢だったのか」と、ひとまずは安心するのだが、眠りに就くと、またまた続きの夢を見たりする。
「トマスアラキです……」
「トマス、不可解な名だ……君はどのトマスになる気だ?」
声が聞こえているわけではないのに、目が覚めると、なぜか、その会話だけが、ぼんやりした少女の顔とともに自分の中に残っている。
夢ばかりか、以来、よく金縛りにあうようになった。
寝不足で、机でウトウトしだすと、たちまちそれは起こってくる。体中がしびれて動けなくなり、頭の中に荒い映像が展開していく。
地下へ降りていく長い階段。それを降りていくと、たくさんの人たちが集まっている広間へと出る。あの少女もいる。トマスという日本人青年も、ブルーノという哲学者もいる。その中の若いイタリア人が口を開いた。
「俺は拷問の末に、木槌で頭を割られて死んだ。」
その話とともに、目の前のスクリーンにその様子が映し出される。
血にまみれたその青年が、処刑台に頭を押さえつけられている。青年の目の前には幼い弟が怯えたように兄の目を見ている。彼は、そばの修道士に、弟をこの場から遠ざけてほしいと必死で懇願している。しかし、修道士は首を横に振るばかり。
絶望が青年の顔を覆う。
その途端、大槌が、その頭めがけて振り下ろされる。
飛び散った血が、スクリーンから飛び出し、康男の顔にかかった。
「ウワーッ」
叫び声が、金縛りを破った。
編集室での出来事だ。幸いエディターもディレクターも昼食に出かけ誰も彼の異変に気付いたものはいなかった。

「俺は狂うんだろうか?」

康男は、編集室を抜け出し、その足で伊牟田の部屋を訪ねたのだった。
ひとしきり喋ると、康男の顔に赤みが戻ってきた。
康男にとって伊牟田は不思議な存在だった。なぜか彼と話していると気持ちが落ち着いてくる。それは多分に彼の妻、清花の存在によるところが大きい。元はストリップダンサーだったといい、それを伊牟田が通い詰め、妻にしたという。
清花は伊牟田以上に不思議な人だ。悩み事を彼女に話しているうちに、それが大したことではなかったと思えてくる。彼女が何か言ってくれるわけでも、何かしてくれるわけでもないのに……。
康男が伊牟田と話して落ち着くというのも、伊牟田の背後に清花がおり、伊牟田を通してその清花と話をしている、そんな感じなのだ。
「このコーヒーうまいですね。」
「当たり前だ。へそくりで買ったエスプレッソ・マシンで淹れたんだからな。」
「あれ、家に置いてたんじゃなかったんですか?」
「清花に邪魔だからって、捨てられそうになった。だから、ここへ持ってきたんだ。」
「清花さんなら、本当に捨ててしまうかも知れませんね。」
先ほどの落ち込みがどこへ行ったのかと思えるほどの回復ぶりだ。
 
康男は気分が落ち着くと、散らかったテーブルに開かれた一冊の美術全集に目が行った。
そこに、あの少女の顔があった。
少年のようなキリッとした顔だち。その頭を白い頭巾が覆い、顔だちを一層引き立てている。その少女が、今、机の上に開かれた本の中から康男に微笑みかけていた。

「ベアトリーチェ・チェンチだ。」
二杯目のコーヒーを運んできた伊牟田が、美術全集に向ける康男の視線に気付いて答えた。
「ローマへ行ったら実物を拝めるかもしれんな。スペイン広場から少し行ったところにパラッツオ・バルベリーニという宮殿がある。コルトーナ描くところのだまし絵の天井フレスコ画があるので有名だが、その二階にあるのが国立絵画館だ。俺も行ったことはないが……でも想像して見ろよ、その回廊には十三世紀から十六世紀の絵画、フィリッポ・リッピ、エル・グレコ、ラファエロ、カラバッジオ等々……そんなすごい奴らの絵がズラッと並んでいるんだ。その回廊の一番奥、まるで闇の吹き溜まりのような場所に、グイド・レーニの描くこのベアトリーチェ・チェンチの肖像画が飾られている。」
康男は、今にも何かを語りかけてくるかのような、その肖像をマジマジと見つめた。
「実の父親を殺した悲劇の美少女として知られている。」
「父親を殺したんですか?」
「ひどい親父だったらしいぞ。暴力は振るう、女遊びはする。侍女に手を出すのはあたりまえ、あげくは実の娘のベアトリーチェにまで手を出す始末だ。ベアトリーチェは思いあまって、兄や義母とはかって、彼女に思いを寄せるオリンピオとかいう男に親父を殺させたという。これが発覚し、ベアトリーチェをはじめ、チェンチ家の主立ったものが裁判にかけられた。彼女はあくまで無罪を主張したが、ついにサンタンジェロ橋の広場で一族のほとんどが処刑された。その美貌と毅然とした態度に、ローマ中の人が彼女を支援し、諸外国の外交使節までが、ローマ教皇に赦免願いを出したらしい。……が、すべて無視された。貴族は拷問されないことになっているが、その特権もローマ教皇によって取り上げられたという。ひどい話だ、今なら父親の暴力に対する正当防衛という弁護の仕方もあるだろうに……」
「伊牟田さん、詳しいですね。」
「スタンダールの受け売りだよ。このセンセーショナルな事件は、芸術家や文筆家の想像力をいたく刺激したようだ。スタンダールは、この事件から『チェンチ一族』という短編を書いたし、イギリスの詩人シェリーは四幕ものの悲劇『チェンチ』を著し、絵画でもこのレニをはじめ、ポール・ドラローシュやアントワーヌ・ド・ギニが、薄幸の美少女を題材とした絵を描いている。」
「いつの時代のことなんですか?」
「彼女の処刑されたのは一五九九年九月、この四ヶ月後には、同じサンタンジェロ城に幽閉されていた哲学者ジョルダーノ・ブルーノが火炙りにされている。」
ブルーノという名前を耳にした途端、康男の全身に鳥肌が立ち、またぞろ金縛りにあうのでは……そんな恐怖心が広がった。
康男は、夢や幻想に登場してくる少女、そのぼんやりした輪郭を思い浮かべ、そのイメージを画の少女にかぶせてみた。
(彼女だ。間違いない。)
「どうした、また真っ青だぞ。」
「大丈夫です。あれは起こらないみたい。」
「なんだ、あれって?」
「いえ、なんでも……それより、伊牟田さん、そのスタンダールの『チェンチ一族』って持ってたら貸してほしいんですけど。」
「残念だけど持ってない。でも、会社の資料室にあるはずだぞ。」
その言葉を背に、康男は伊牟田の美術室を後にしたのだった。

伊牟田は思った。この話、支社長に話すべきだろうか? 半年前のことだし、あれ以来、康男は落ち着いたようだ。女房の清花とも話したようだが、彼女も「康男さん、もう大丈夫ね」って言ってたんだが……。


ジョルダーノ・ブルーノ



1599年2月、ローマ サンタンジェロ城塞

サンピエトロ寺院の東にカステル・サンタンジェロという巨大な城塞がある。もとは古代ローマのハドリアヌス帝の霊廟として造営されたものだが、中世から近世にかけては、ローマに一朝有事の際は、ローマ教皇の隠れ場所として使われていた。現に一五二七年には、クレメンテ七世はドイツ皇帝カール五世の半年に及ぶローマ略奪をこのサンタンジェロで耐え忍んだ。
さて、サンピエトロ寺院の左翼、教皇宮殿から一本の回廊がカステル・サンタンジェロへと続いている。人はこれをヴァチカン回廊と呼び、教皇は危険にさらされたとき、この回廊を渡ってサンタンジェロへと避難した。
ところで、サンタンジェロにはもう一つの顔がある。
異端審問所の牢獄としての顔である。
サンタンジェロは、大ざっぱに二つの部分からなる。一つは巨大な円形の土台部分。かつては霊廟として機能した部分だ。その円形の土台の上に、後世に造られた建造物が載っている。土台部分の内部は土と厚い石の壁に包まれ暗く陰湿で、その上に増設された建造物の部分は、少なくとも明るい陽射しの中で輝いている。「地下の迷宮」と「地上の楽園」とでも言うような感がある。そして異端審問所の牢獄は、地下迷宮とも言えるこの土台の胎内に、暗くうずくまるように存在していた。
ジョルダーノ・ブルーノは、この牢の一つに囚われていた。
ローマカトリックに対する異端の罪で捕らえられ、過酷な取り調べの中、すでに八年が過ぎようとしている。今も今とて、凄惨な「徹夜の刑」から解放され、ブルーノは牢の隅に死んだように横たわっていた。それは、後ろ手に縛られた両腕を、一昼夜にわたって綱で宙づりにされるというもの。その間、眠ることも許されず、短い中断の時でさえ、刃物のついた椅子の上に降ろされ、気を抜くことさえ許されない。拷問がおわったとき、ブルーノは気を失ったまま元の牢獄へと引きずられてきた。
どれぐらい気を失っていただろうか。ブルーノは寒さと強烈な肩の痛みで目を覚ました。どうやら左肩の関節は脱臼しているようだ。見ると、傍らにはパンと水だけの粗末な食事が置きっぱなしになっている。ブルーノは痛みをこらえ、水の入れ物ににじり寄ると貪るように水を飲みパンをかじった。冷え切った水が、体の震えに拍車をかける。

……足音が聞こえる。
ブルーノは耳をすませた。真っ暗な闇の中で、体中の感覚が異様に研ぎすまされ、男たちの様子が手に取るようにわかる。人数は二人……獄吏の足音ではない。あたりに気を配りながら、幅広の石段を、そっと足音を忍ばせながら登ってくる。恐らくサンピエトロの地下墓地から秘密の地下通路を伝って、このサンタンジェロへと忍び込んだものだろう。
……とすると、一人はバルトロメオに違いない。私生児だというが、フィレンツェのメディチ家につながる人物らしく、同じメディチ家から出たアレッサンドロ枢機卿を後ろ盾にしているようだ。
彼は、監視を買収したのか、それともアレッサンドロ枢機卿の手が回っているのか、易々とこの城塞に忍んできてブルーノに教えを乞うた。深夜のサンタンジェロ城で、この厚い牢獄の扉越しに、顔も知らない青年に「絶対的一者」や「宇宙の無限」を説く。おそらくはブルーノにとって、これが最後の授業となるだろう。
しかし、将来、枢機卿を目指そうという男が「自然魔術」や「宇宙の無限」に熱心に耳を傾けるとは……。見つかれば異端者として捕らえられかねない。下手をすれば火炙りだ。その点では確かにメディチ家の血を引いているのだろう。かつてメディチ家のロレンツォは、キリスト教という権威に対抗するかのように、フィレンツェを人文主義学問の拠点に仕上げてしまった。華麗な教会建築や美術のパトロンとしての隠れ蓑をまとってはいたが……。
そのバルトロメオが「会ってほしい人物がいる」と言ってきた。聞けば、遠く日本から来たと言い、確か、名をトマスアラキと言った。



ちょうど角を曲がった所から、足の裏に伝わってくるものが、土から固い石の感触へと変わった。 その途端、康男は先ほどからひっかかっていた凝りがスーッと解けていくのを感じた。
間違いない、あの少女はベアトリーチェ……ベアトリーチェ・チェンチだ。心のどこかで薄々そうだとわかっていたが、「まさか」という思いで打ち消してきた。今、それが一瞬の閃きとともにストンと心に落ちてきた。
と、同時に康男は康男でなくなっていた。自然に、あまりにも自然に「トマス荒木」という人格に移行していた。移行したということすら意識にのぼることはなかった。康男、いやトマスは、自分の前を行く一人の男(バルトロメオ)の後を追っていた。

見れば、バルトロメオの差し出す手燭に、ゆるい勾配の石段が照らし出されている。その石段を数段上がったところで、バルトロメオは立ち止まった。そして、後に続くトマスの方を振り返ると、左手の壁の上方へと目を向けた。その目線を追うように手燭が持ち上げられると、そこに鉄格子の填められた小さな窓が照らし出されている。
その窓は、手を伸ばしても届かないような高さにあり、中を覗ける訳でもなく、かと言って、こんな地の底で明かり取りであろうはずもない。恐らくこの小さな窓が、牢内の澱んだ空気を入れ換える唯一の換気口なのかも知れない。
バルトロメオの視線が再びトマスをとらえ、彼の注意を今度は前方へと導いていく。燭台の明かりが壁を這い、その明かりの行き着いたところに鉄金具で補強された黒い木製の扉が浮かび上がった。
これがブルーノの幽閉されている牢獄の入り口だ。
トマスはバルトロメオに促され、扉の前へと進んだ。扉には黒い鉄の閂がかけられ、頑丈な錠が下ろされている。バルトロメオは、燭台を足下に置くと扉をそっと叩いた。
「バルトロメオです」
「………………」重苦しい沈黙が流れた。
ややあって
「待っていた……日本からの客も一緒か」
苦しそうな声が、扉の下の方から聞こえてくる。
おそらくは扉に凭れかかるようにして屈み込んでいるのだろう。扉越しに体の位置を整えようとする様子が伝わってくる。その途端、「ウーッ!」と押し殺したような苦痛の叫びが上がった。
「すまない。一日中、吊されていた。どうやら左肩の関節が脱臼してしまったようだ」
「師よ、大丈夫ですか……」
「大丈夫だ。話しているほうが気が紛れる。まずは日本からの客人の声を聞かせてほしい。」
「……トマス、トマス荒木と言います。」
「トマスか……不可解な名だ。イエスの弟子の中で、インドで殉教したと伝えられ『黄金伝説』にも名をとどめているが、実はヴァチカンが異端と退けた最初の男、それがトマスだ。もっともヴァチカンは『トマス福音書』の存在を隠し続けており、隠蔽が続く間は、トマスもまたヴァチカンにとって聖人であり続けるわけだが……。逆に三位一体というカトリックの中心的な考え方を定着させた男、彼もまたトマスと言った。俺が若いころ尊敬したトマス・アキナスだ。かと思えばカトリックに背を向けるトマス・モアのような人文主義者もいる。君は一体どのトマスになるつもりなのか?」
押し殺したような声と共に、扉の内側からは、時折、苦しそうなうめき声が漏れる。
「…………」
「まあいい。まずは、君がなぜ日本から来たのか話してくれ。今の俺にとって、好奇心こそ最良の気付け薬なのだから。」


ペレイラの夢

トマスとミゲルが、はるばるローマへ渡ってきたのは、コレジオロマーノで学び宣教師に叙階されることも勿論だが、何よりもイエスの生涯とその教えを日本語に翻訳するため、そのテキストとなるべき聖書を持ち帰るためであった。
そして、この企画を支えたのが長崎内町の乙名衆(町年寄り)の一人であり、朱印船貿易家として名を馳せた末次興善とその子平蔵である。
末次興善、もとは平戸・松浦藩、木村家の出だと言われる。平戸の木村家と言えば、ザヴィエル以来のキリシタン信者で、この血筋からは、日本人として最初に神父に叙階されるセバスチャン木村や、アントニオ木村、マリーア木村デ村山等々、日本の殉教史に名を残す多くの人々を輩出している。
興善自身は、血のつながりから博多の豪商末次家を継ぐことになるが、彼自身も博多や秋月にあって、バリニャーノ神父やフロイス神父等の宿主をつとめるほどの熱心なキリシタンであった。彼の時代になって、「これからの貿易は南蛮貿易だ!」と、当時、長崎甚左右衛門によってイエズス会に寄進さればかりの、岬の地「長崎」へと進出した。
というのも「長崎」がイエズス会に寄進されるや、ポルトガル船は、イエズス会の肝いりで、平戸を捨て長崎へと入港するようになっており、しかもポルトガル商人に対するイエズス会の影響は大きく、イエズス会神父の斡旋なくしては、日本人商人はポルトガル船が舶載した生糸一本手に入れられないという状況だったのだ。
このため、多くの商人が長崎に集まり、多くの教会が長崎に出来、多くの商人がキリシタン信徒になった。そして、これら商人の手によって長崎の町が形作られていった。
ザヴィエル以来のキリシタンであり、博多の有力な貿易家でもあった末次興善が、町おこしの中心になったことはいうまでもない。
こうして長崎の町は、当初、教会領としてスタートし、南蛮貿易を目指す商人たちによって大きく発展してきたわけだが、この現状を朝鮮出兵のため肥前名護屋に滞陣していた豊臣秀吉が知った。日本の統一を目指す為政者にとっては、日本国内に、ローマ教皇に属する教会領が存在すること自体、由々しき問題であった。
秀吉の脳裏には、かつての主君であった織田信長と、加賀の国を拠点に宗教独立国を目指す石山本願寺との間の凄絶な争いが、まだ悪夢のようにこびりついている。
「いかん、絶対に許すことはできん! 長崎を天領(幕府直轄領)とせよ!」
というわけで、長崎は幕府直轄地として召し上げられることになった。
もちろん、ポルトガル船の寄港地として使うことは大歓迎。従ってキリスト教も黙認ということになる。下手にキリスト教を禁じて、貿易がストップされては困るのだ。
このような利害関係の輻輳する長崎において、末次興善は、その「扇の要」的存在であった。ザヴィエル以来の熱心なキリシタンとして、イエズス会、ひいてはポルトガル商人とつながり、朱印船貿易家としては、長崎奉行や西国大名の投資を引き受け、長崎内町乙名としては、長崎商人の利益を代弁する立場にあった。息子平蔵の代になると、長崎代官として、江戸幕府の命令伝達者としての立場が加わることとなる。

そんな興善のもとを、年老いたポルトガル人宣教師が訪ねてきた。名をギリエルモ・ペレイラという。日本人以上に日本語をよく話すと言われた人物で、興善ともよく気が合った。
かつて、リスボンの孤児院から、東方での布教活動に励む神父たちの下働きをするよう、たくさんの少年たちがインドへと送られてきたが、ペレイラも、そんな孤児たちの一人だった。
ペレイラは、今でもリスボンの港から、インドへと出発した日のことを、よく夢に見る。送る者、送られる者がリスボンの埠頭で、お互い二度と会えないことを分かりながら、「きっとまた会おう」と励まし合った。乗船してからも、少年たちの弾く楽器の調べが風に乗っていつまでも聞こえ続けていた。今も、あのときのもの悲しい調べがペレイラの耳に焼き付いている。
そんなペレイラが、興善のもとを訪れた理由は、興善も支援している加津佐セミナリオにおける出版事業のことだ。
かつて少年使節としてローマへ渡った中浦ジュリアンやドラードを中心に、不干斎ファビアンやペレイラといったセミナリオやコレジオの教師連中、それにトマスやミゲルら生徒たちが一つになっておこなっている日本語活字による出版活動。
その究極に目指すところが、イエスの生涯が語られている新約聖書の日本語版。
かつてジュリアンらは、ローマで、シクストゥス五世から、完全なラテン語聖書をキリスト教世界へ送り出すという教皇の夢を伝えられた。
日本語に訳すテキストとして、どうしてもシクストゥス聖書を手に入れたい。
しかし、今のイエズス会は、
「日本人は宣教師とするより、同宿として教会の下働きをさせることが向いている。彼らは野心的でキリストの教えを自らの出世のために利用する。宣教師になりたがるのもそのためであり、彼らには高尚なキリストの教えを理解できない。むしろその奥義を教えれば、野心的な彼らは、キリストの教えをゆがめ伝え、別の宗旨を創りだすことであろう」と、日本人を蔑むばかりか、警戒しており、この計画に協力してくれるどころか、かえって邪魔さえしかねない有様だ。

「セミナリオで学ぶ日本の青年を、何名かローマへ送ってはいかがでしょうか?」
興善がいきなり答えを返した。
「少年では、時々の判断が要求されるこの仕事の役に立ちますまい。かといって、あまり歳のいっている人間でもいけませんなあ。感受性が強く、しかもラテン語をよくしゃべれる青年が必要になります。」
ペレイラは、我が意を得たりとばかりに
「おります。トマス荒木という青年、彼は日本へ来ているどんな宣教師にも負けないぐらいきれいなラテン語を話します。それにミゲル後藤、彼はラテン語ではトマスに及びませんが、父の宗因から印刷術について手ほどきを受け、印刷のことに関しては、若い連中の誰にも負けないでしょう。」
「ミゲルというと、日本語を活字化した、あの後藤宗因の倅ですか?」
「そうです。あの後藤宗因です。」
「……それは都合がいい。あの男なら後藤庄三郎とも縁続きだ。」
後藤庄三郎というと、後には、金座・銀座を預かり、家康のブレーンの一人となる人間――つまり家康の経済顧問団の一人になるような人間なのだ。
「ローマへ行く費用、私どもが出しましょう。」
「ただし、ひとつ条件がある。」
途中から座に加わった興善の息子、末次平蔵が初めて口をきいた。
彼は後に、長崎代官村山当安を陥れ、自ら長崎外町代官の職を奪い取ることになる人物である。
「無事日本へ帰られたら、ローマで、またその道中で見たこと、聞いたこと、すべての情報を、まず、この末次平蔵に伝えてほしい。ローマのことばかりでなく、ポルトガルや他の国々、例えばエスパーニャ(スペイン)のこと等も出来るかぎり知りたい。条件は以上だ。」
「出来るかぎりでよろしいのです。どこまで調べてほしいということでなく、ローマで見たこと、聞いたことを、土産話にまず息子の平蔵に話してやっていただければ……、私は、その頃まで生きてはおれませんでしょうなあ。イエス様に聞くほうが早いでしょう。まあ、パライゾへ行ければの話ですが。」


消えたシクストゥス聖書

こうしてトマスとミゲルはローマへとやってきた。
日本のイエズス会は、この動きをローマのイエズス会本部へ伝えていた。
「日本人を信用なさらないように」と。
しかし、イエズス会総長アクアヴィーバはこの報告を無視した。
「日本にイエス様の生涯を伝えたい、イエス様の教えを伝えたいという日本の人たちの思いを、私は捨てておくわけには行かない。」

二人がローマに着いたとき、イエズス会総長アクアヴィーバは、トマスらを呼び寄せ、日本語に翻訳するためのキリスト教書籍の選択とそのテキスト収集に全面的な協力を約束してくれた。
そして、その目録作成の指導に、イエズス会の教会博士ロベルト・ベラルミーノ枢機卿を付けるという破格の待遇を準備してくれた。日本のイエズス会が、日本人を蔑視し、
「聖書の翻訳など問題にならぬ」「日本人に彼らの言葉で書かれた聖書など与えた日には、何をしでかすか分かったものではない。彼らに都合のよい解釈を与え、新しい宗派さえつくりかねない」「日本人は教会の下働きに使っておればよいのだ」……
そんな態度を取ったのとは、大きな違いがあった。
トマスらはコレジオ・ロマーノでの学習のかたわら、日本へ持ち帰るべきキリスト教文献の目録作成を進めることになった。これについてのベラルミーノ枢機卿の援助指導は徹底しており、ヴァチカン図書館の利用は言うに及ばず、利用したい図書館があれば便宜を図ってくれるばかりか、個人の蔵書でも閲覧を希望するものがあればどんどん申し出るようにという。
「そのためにはまず学ぶことです。学べば学んだだけ、あなた方が必要とする書物が見えてくるはずです。今は何が必要なのか、何を翻訳すべきなのか、まだ分からないはずです。まずは学ぶのです。まずは何事にも動じない信仰心を培うことです。」
ベラルミーノの指導は彼らの生活面にも及んだ。普通、枢機卿が、しかも教会博士と言われる人が、一介の学生の生活にまで関与すると言うことはない。それだけ「日本語版聖書」への思い入れも強かったのだろうが、それにしてもその配慮の細やかさには舌を巻くばかりだ。「最初は何かと疲れるだろう。しばらくは日本人二人だけの部屋にしてやってほしい」と言うかと思うと、後のことになるが、今度は、「コレジオの規則や生活に詳しくラテン語に精通した古参の学生と部屋を一緒にさせるように」という具合だ。
やがてトマスらがコレジオ・ロマーノでの生活にもなじんだ頃を見はからい、ベラルミーノは二人をコレジオの図書室へと連れだした。
かねて手配してあったのだろう。図書室の一番奥の机には、既に一冊の聖書が用意されていた。ベラルミーノは、二人をその席に案内しながら思った。
(実際、シクストゥス教皇はよくやった。今のこのローマで、シクストゥス教皇の息のかかっていないところなどあるだろうか。サン・ピエトロのドゥオーモは言うに及ばず、ローマの主要な場所に建てられたオベリスク、更には水道、下水道に至るまで、今、目にするローマの形すべてにシクストゥスの息がかかっている。)
しかし、この聖書だけは違った……。シクストゥスが何よりも心血を注いだのは、ウルガタ聖書(ラテン語聖書)の改訂だった。
本来なら、今ここに置かれてあるべき聖書はシクストゥス教皇が改訂したものであるはずだ。かつてシクストゥスが
「充溢せる使徒の力により、ここに宣告し、宣言する。この版は……主からわれわれに与えられた権威によって認可されたものであり、したがって真実かつ合法的なるものとして受け入れられねばならず、公共的ならびに私的な論争、説教、解釈において、疑問の余地なく拠り所とされねばならない」
そんな大勅書を発してまでカトリック世界に使用を命じた彼の聖書は、今やただの一冊も残っていない。二人の前にあるのは、シクストゥス=クレメンテ聖書として、クレメンテ教皇の代に大幅に造りかえられたものだった。
トマスにはそれが不思議でならなかった。なぜただの一冊すら残っていないのか。普段、優しく指導してくれるベラルミーノ枢機卿も、シクストゥス聖書のことを訊ねると、急に人が変わったようになってしまう。
ベラルミーノは、二人を席に座らせると、
「あの聖書は誤植が多すぎるため廃版になりしました。次のクレメンテ教皇のとき、シクストゥス=クレメンテ聖書として改訂版が出されました。今ここに用意したものがそうです。イエス様のご生涯を日本語に訳されるには、この版をテキストに使われるとよいでしょう。」
言葉は穏やかだが、そこには、冷たく聞く者をたじろがせるような威圧感が感じられた。
しかし、トマスはたじろがなかった。
「シクストゥス様の作られたものは、一冊も残っていないのでしょうか?」
「このシクストゥス=クレメンテ聖書として残っております。」
「いえ、そう言う意味でなく、シクストゥス聖書そのものが一冊も残っていないのかということなのですが……」
「ありません!」
「どうしてただの一冊さえも残っていないのでしょうか?」
「……このことについては、これ以上、話すことはありません。あなたは服従ということをもっと学ぶべきです。今、あなた方の目の前に死んでしまった聖書でなく、現にカトリック世界を動かしている生きた聖書があります。あなた方はこの生きた聖書を日本の信徒の方々に伝えるべく、このローマまではるばる来られたのではなかったのですか。トマス、あなたは言われた。たとえ聖書全体の翻訳が無理だとしても、イエスさまのご生涯だけは日本の言葉で日本の信徒の人たちに伝えたいのだと。私は、そんなあなた方の、いえ日本の信徒の方たちの思いに動かされてこの仕事を引き受けたのです。さあトマス、ミゲル、あなた方の仕事を始めなさい。二人でどこまで出来るか、イエス様のご生涯を日本語に置き換えるのです。」
こうして二人の仕事が始まった。コレジオでの学習の合間を縫うように、日本語に持ち帰るべきキリスト教書籍の目録づくり、そして新約聖書の日本語訳……。
以来、トマスはこのシクストゥス聖書について忘れようとするのだが、何かが引っかかっているようで、どうしても忘れることができない。いつの間にか、そのことに対する疑問が、心の奥底に蜘蛛の巣を張ったように居座ってしまった。
「シクストゥス聖書はどうなったのだろう。いくら誤植が多いと言っても、ヴァチカン図書館にさえ一冊も残っていないというのはどういうことだろうか……」
後藤ミゲルも同じことを考えていた。
「俺だって見てみたい。誤植が多いなら多いで、出版に携わる者として参考にしたい。シクストゥス聖書とシクストゥス=クレメンテ聖書を並べて、どこがどう変わったのか比べてみたい……と言っても、俺はおまえのようにラテン語が達者じゃないからな。」


サンタンジェロ牢獄

トマスが学ぶコレジオロマーノ(ローマ学院)の一日は、冬期では朝五時半の祈祷・ミサ聖祭に始まり、夜は、夕食後七時から八時までのラテン語の復習で終わる。その後、それぞれが良心の糾明をし、ロレトの聖母の連祷(夕べの祈り)をしてただちに就床することになる。
当初トマスは、後藤ミゲルと二人きりの部屋をあてがわれた。それはベラルミーノ枢機卿の配慮によるのだが、その二人の部屋を、就寝後、秘かに訪ねてきた男がいる。
彼の名はバルトロメオ。同じコレジオで学んでおり、アレッサンドロ枢機卿からの手紙を預かってきたという。アレッサンドロ枢機卿と言えば、中浦ジュリアンから何度も何度も聞かされた名前だ。
「何か困ったことがあれば相談に乗ってくれる人だ」と。
二人はあわててバルトロメオを部屋に招き入れるや、燭台に灯りをともした。
「なかなか渡す機会がないので、思いあまってこんな時間に訪ねてきてしまった。不躾を許してくれたまえ。」
トマスは挨拶を返すのもそこそこに、渡された手紙の封蝋を切ると、燭台の明かりにかざした。
そこには中浦ジュリアンら遣欧使節の少年たちをなつかしむ言葉と共に、一度、コレジオの休みのときにでも遊びにくるよう、それだけが書かれていた。
バルトロメオは意味ありげに
「君たちはシクストゥス聖書について知りたいんだろう。」
それだけを言い残して去っていった。
後で知ったことだが、バルトロメオは、アレッサンドロ枢機卿と同じ、フィレンツェはメディチ家の出身だという。それも二人ともが私生児であることまで同じだった。それはともあれ、彼はトマスや後藤ミゲルがローマのコレジオロマーノで学ぶようになって初めてできた友人となった。

ところでローマ教皇庁は、シクストゥス五世の改革以来、検邪聖省をはじめとして十いくつかに分かれた聖省という中央行政機関を持つようになっていた。そのうち検邪聖省と教区聖省は教皇自らが長官となるが、その他の聖省の長には枢機卿が選ばれ長官となる。
これら聖省の中に礼部聖省があった。
十六世紀に至るまでは、典礼的礼拝の様式について、法王庁は独占的統一権をもっていなかった。典礼祭式の本質は、どこでも一定し昔から普遍のまま維持されてきたが、この本質の表現様式に至っては、教区によりまたは修道会により、それぞれ特徴を持って小差を生ずるようになった。この違いがあまりにはなはだしくなると弊害も少なくない。そこでトレント公会議は、聖務日課書、ミサ典書の改訂統一をはかり、この統一化をつらぬくためにと、シクストゥス五世が創設したのが礼部聖省だった。
その礼部聖省こそ、アレッサンドロ枢機卿が長官を務めるところだ。

いきなりだった。
「ジュリアンは元気ですか? マルチノは、マンショは……使節の少年たちはみんな元気ですか?」
バルトロメオに連れられ、ヴァチカンの礼部聖省を訪れたトマスとミゲルを、アレッサンドロ枢機卿は掻き抱くようにして声をかけた。
「そうですね、みんな、もう少年ではないですね。しかし驚くべきことです。日本に印刷機が入ってまだ十年ほどにしかならないと言うのに、もう日本語の印刷が始まっているという。私は日本語のことはよく知りませんが、聞けば、大変複雑な言語体系だというではないですか。それを日本の人たちは日本語の活字セットまで作り上げたという。考えられないことです。」
話の流れは、いきおい日本語版聖書作成の夢に及ぶ。話しながらトマスの脳裏に、日本の仲間たちの顔が浮かんだ。トマスにラテン語を教えたポルトガルの捨て子院出身のペレイラ修道士、日本語の鉛活字作成に命をかけた後藤宗因とドラード、シクストゥス聖書のことを熱っぽく語った中浦ジュリアン……そんなたくさんの思いに促されるように、トマスは恐る恐るシクストゥス聖書のことを口にした。
アレッサンドロの顔がくもったかに見えた。
「この典礼聖省はシクストゥス様がおつくりになられ、ミサ聖祭の執行、秘蹟の授与、列福・列聖についての仕事を行います。シクストゥス様が教皇の座にお着きになられて以来、私がこの仕事に当たってきましたが、聖書の改訂に当たって教皇を助けたのは教皇秘書官だけなのです。その秘書官もまた、シクストゥス聖書と同じく、既にこの世にはおりません。」
「…………」
「今ではこのローマで、シクストゥス聖書のことをもっともよく知っている人間……それはベラルミーノ教会博士をおいて他にはおられないでしょう。あなた方の目録作成のお手伝いをされている方です。」
ミゲルが言葉を挟んだ。
「ベラルミーノ様は、シクストゥス聖書のことを訊かれるのを嫌います。あのお優しい方が、そのことになると怒りさえ露わになさいます。」
「………………」
「あの聖書に一体何が起こったのでしょうか。あの聖書のことになると、誰もが口を閉ざしてしまう。まるで触れてはいけない秘密でもあるかのように……本当に、誰一人、知らないのでしょうか?」
トマスが問うた。
「それを知りたければ、あの男に会う以外ない………あの男に問うてみるしかないでしょう。」
まるで独り言のようにつぶやくアレッサンドロに
「そんな方が、ベラルミーノ様以外におられるのですか?」
と、トマスが畳みかけるように問う。
「……います。しかし危険が伴うことです。勇気もいります。それはあなた方の肉体にとって危険というばかりでなく、あなた方の魂にとっても大きな危険となるものです。あなた方が知りたくないと思うようなことまで知ることになるでしょう。あなた方にその勇気と覚悟がないのなら、シクストゥス聖書は忘れることです。」
トマスは、いつしか自分が抜き差しならぬ穴へはまりこんでしまっているのに気付いた。ここまで聞いて引き返せるわけがない。ここまで聞いて、自分の好奇心と折り合いを付け引き返せる人間がいたとしたら、それこそ勇気のある人間だろう。
トマスは思った。
(アレッサンドロ様は言葉とは裏腹に、俺たちに本当のことを知らせたがっている。だからこそ、こんな話し方をするに違いない。一体、この方はどこまで知っておられるのだろう……。)
彼は二人に考える猶予を与えなかった。躊躇する間もなく一人の男の名が、彼の口から飛び出していた。
「ブルーノ……、ジョルダーノ・ブルーノと言うイタリア人です。彼は今、サンタンジェロ城塞に異端者として幽閉され取り調べを受けています。」
アレッサンドロは反応を確認するかのように、じっと二人の様子を窺っていた。
……が、突然、
「トマス、ミゲル、どちらか一人、週に一度、バルトロメオと共にサンピエトロ寺院の祭具室の整理を手伝ってください。コレジオへは私の方から話を付けておきます。」
結局トマスがその役割を担うことになった。二人が危険を負うべきではないし、一人がコレジオに残ることで、何かことがあったとき、対処も容易であろう。それがアレッサンドロ枢機卿の考えだった。
しかし、アレッサンドロと言いベラルミーノと言い、シクストゥス聖書と一体どう関わっているのだろう。そのうえ同じ枢機卿でありながら、二人の間には、何か目に見えない対立関係のようなものさえ感じてしまう。

それから日ならずして、アレッサンドロ枢機卿からコレジオのほうに、
「祭具室の整理の後、トマスに、ぜひ手伝ってもらいたい仕事がある。今日は私のもとに泊まらせたいのだが……。日本の話もいろいろ聞きたいのだ……」という連絡が入った。

その夜のことである。トマスはバルトロメオに導かれ、枢機卿館に設けられた小祭具室へと降りてきた。この小祭具室には、地下の墓所からサンタンジェロに抜ける地下通路の入り口があるという。
バルトロメオは小祭具室に入るや、手燭をトマスに預け、壁に掛けられたタペストリーをめくり、その内側へと潜り込んだ。絨毯が人の形に盛り上がり、やがて、そのふくらみがモゾモゾ動いたかと思うと、まるで壁に吸い込まれたかのように消えてしまった。
「トマス、来てくれ……」
押し殺した声が、トマスにも後に続くよう促した。


マグダラのマリア



「この一月から、俺の異端を告発すべくベラルミーノ枢機卿が異端審問委員長となった。彼は、君たちが日本へ持ち帰るべき書誌目録作りを指導しているのではなかったのかね。」
ブルーノが唐突に口を開いた。
「奴はいろんな意味で優秀だ。俺にかけられた二六〇を越える異端嫌疑項目の中から、バカげた意味のない告発内容を無視し、そのうえで、俺の著作や俺の思想のみに焦点を絞って責め立ててきた。バカげた告発内容なら、のらりくらりとかわすことも出来る。私が間違っていましたと、何度だって奴らに頭を下げてもやれる。しかし、今や俺の思想が、俺の哲学が問われている。これを否定することは、自分を否定することに他ならない。
…………にもかかわらず、俺は否定してしまった。徹夜で両腕を後ろ手に縛られ吊される拷問の中で、なんとかこの状況から逃げ出したい一心だった。『もし法王庁、ならびに諸卿がこの考えをどうしても異端であると言われるならば、そして法王もかく考えられ、神の御心もかく思し召されるのであれば、撤回する用意がございます』と……。」
「その考えとは、宇宙の無限ということを指しているのですか?」
バルトロメオが問いかけた。
「その通りだ。加えて人は輪廻するということ……、そしてイエスもまた人間だということ。このことだけは、どんなことがあっても譲れないと思っていたが、それを俺は……」
「師は言われました。言葉はどうにでもなる。いくら言葉や理論で相手を言い負かせたとしても、その人の思いを変えることは出来ない。心まで支配することは出来ないと。」
バルトロメオが無駄と知りつつ、師のブルーノを慰めようとでもするかのように言葉を挟んだ。
「肉体とは弱いものだ。肉体はその本性として、これを守ろうとする。そのために痛みがある。それでも俺は、精神が肉体を超越することができると思っていた。
日本からきたトマスよ、このことは君が探しているシクストゥス聖書とも、あながち無関係ではないのかも知れない。……君はキリストの誕生をどう考える。処女懐胎をどう考える。」
「……私の学んだ『ドチリナキリシタン』には、《人の業ではなく、ただスピリツサント(聖霊)の計らいたもうことなればスピリツサントより宿され給う》と記されてあります。」
「そんな馬鹿なことはない。肉体は肉体の法則に従わざるを得ない。キリストの神性と彼が人として生まれたことを混同してはいけない。奴らはキリストを神として祭り上げようとする。その上で、キリストを頂点とする教会のヒエラルキーを確立し、人の世界を支配しようとする。だからキリストは人であってはいけない。そこから処女懐胎というバカげた伝説を作り出した。神と、その子イエス、そして聖霊が、三つにして本質は一つだというような三位一体というまやかしを考え出した。この三位一体という思想を生み出したのも、トマスという男だ。そこにはいかにして教会の権威を守るかという思想しかない。その思想は、教会が、そしてローマ教皇が、人の世を支配するための道具でしかなかった。
しかし実際はどうだろう。イエスはヨセフとマリアの子として生まれた。人間の子として生まれたのだ。だからこそ人の苦しみをわかった。人の弱さを知っていた。イエスが人として苦しみ抜いた末に行き着いた教えだからこそ、彼の説く教えは人々の心に染みこんでいった。それが本当のところではなかったろうか。
俺は、イエスの偉大さは、厳格で許すことを知らないユダヤ教の教えの中から、許すという愛の教えを生み出したことにあると思っている。それは彼が人の子として生まれ、人の弱さ、悲しみを知り抜いていたからこそ出来たことだ。イエスの誕生は、神の受肉でも、ましてイリュージョンや方便でもなく、歴史的な事実だ。イエスは紛れもなく一個の人間として生まれた。そして、その自分こそが他ならぬ神の子であり、ひいては、すべての人が神の子だという自覚を持つに至った。それがイエスの説いた教えの中心だと思う。
その教えを書き換えた奴らがいる……。
パウロやペテロ、それにマタイやルカが著したとされる四大福音書といわれるものは、教会が人々を支配するための道具として使われてきた。また道具とするために、聖書は書き換えられてきた。そう考えてまず間違いはないだろう。
……さて、いよいよもう一人のトマスについて語るときが来たようだ。君はこの四大福音書と言われるもののほかに、『トマス福音書』や『マリア福音書』なるものが存在したことを知らなければならない。」

トマスにとっては初めて聞く話ばかりだった。初めて聞くというより、今まで聞いてきたイエスの姿とまるで違っていた。母から聞いた話とも、右近様から聞いた話とも、セミナリオのオルガンティーノ神父から聞いた話とも違っていた。それでいて反発を感じるどころか、不思議にトマスの心に染みこんでいった。
そんなトマスの心に、ブルーノは、まるで別の器に水を移し替えでもするかのように話し続けた。

イエスが処刑された後、キリストの教えは、ユダヤ教の一派として存続していた。キリストの弟子たちは、イエスが立ち向かった宗教的権威……その象徴ともいえるエルサレムの神殿で祈りを捧げていたのだ。なぜなら、多くの弟子たちが、そうすることこそ唯一キリスト教が生き残れる道だと知っていたからだ。
「仕方がないことだ……」と。
しかしこのことに異を唱え、ユダヤ教会に牙をむいた男がいた。イエスの死後、弟子となったギリシャ系ユダヤ人ステファノだ。
彼は、「イエスはこんなことをしろとは説かなかった!」と仲間を批判し、ユダヤ教の神官たちを非難した。
「イエスの教えは、一部のユダヤ人だけのものではない。イエスの教えはユダヤ教の律法に縛り付けられてはいけない。割礼を受けた者にも、割礼を受けない異邦人にもあまねく知らしめられるべきだ。それこそイエスの望まれたことだ」と。
ユダヤ教には、ユダヤ人こそ神に選ばれた民だという選民意識がある。そして神に選ばれたユダヤ人である印に、ユダヤ人男子は割礼を受けねばならない。それが神との契約であり、割礼を受けない異邦人にユダヤ教を伝えることは律法が厳しく禁じていた。キリスト教がユダヤ教の一部である限り、世界の人々に神の愛を伝えることは出来ない。ステファノはまた言う。
「ユダヤ教の神殿に神などいない!」と……。
ステファノは、その過激さゆえに、やがてユダヤ人の手によって告発され、神殿前の刑場に引かれていき石打ちの刑によって殺された。
見せかけの平安は終わり、再びユダヤ教徒によるキリスト教徒の迫害が開始された。ステファノを殺した民衆は、醒めやらぬ殺戮の興奮と怒りに支配されたかのように、イエスの弟子たちの隠れ家を襲った。そんなユダヤ人迫害者の中にパウロもいた。パウロは信徒たちを誰彼かまわず捕らえては牢へ放りこんでいく。それでも飽きたらずローマへと逃げる信徒たちを追ってダマスコ近くまで来た。そのときパウロは、突然、光に打たれて目が見えなくなった。
このときだ、パウロが神の声を聞いたというのは。そして己の過ちに気づき、ユダヤ教を捨てキリスト教に改宗したという。『パウロの回心』として知られている事柄だが、パウロはこの後、ステファノの意志を受け継いだかのように、ユダヤ人以外の異邦人たちにキリスト教を伝えて回る。この伝道の旅は、ユダヤ教の迫害をはじめ、伝えた先々での様々な現地宗教からの迫害を伴った。
パウロは言う。
「私は投獄され、鞭打たれ、死に面してきた。私たちは極度に耐えられないほど圧迫されて生きる望みすら失ってしまい、心の内で死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死者を蘇らせる神を頼みにするに至った」と。
そしてローマに赴き、ここで皇帝ネロのキリスト教徒迫害により殉教することになる。狂ったネロは、己の気に入った世界を創造すべく古いローマの街に火を放った。そして、その罪をキリスト教徒に着せローマ市民の不満を血なまぐさい処刑騒ぎで有耶無耶にしようとしたのだ。ローマの競技場は、キリスト教徒たちの処刑場となった。彼らは生きながら獅子に食われ、生きながら照明代わりに油を塗られ燃やされていった。そんな迫害の中、ローマに布教に来ていたペテロさえ逆さ磔となって殉教した。
こうして誕生したばかりのキリスト教は、革新的なパウロと穏健派のペテロという二つの支柱を同時に奪われたわけだが、ネロ以後もキリスト教徒の迫害は止むときがなく、ローマのキリスト教徒たちは数々の迫害を耐え抜き、やがてコンスタンティヌス大帝に至って、やっとその庇護を勝ち取ることができた。
コンスタンティヌスが、そのライバルであるマクセンティウスと戦うに当たって、いまやローマ中に広がったキリスト教を、ローマの民心を一つにするために利用しようとしたのだ。
西暦三一二年のある日、戦いに赴こうとするコンスタンティヌスは、空中に十字架が浮かぶのを見たという。彼は、これをキリストの加護とし、クルスの旗を押し立てて戦いに挑んだ。これまで隠れてキリストを奉じてきたローマの民心は奮い立った。
おかげでコンスタンティヌスは、マクセンティウスをミルウィウス橋の戦いで撃ち破ることが出来、その翌年、古代ローマ帝国内でのキリスト教信仰を認めたミラノ勅令が発せられた。
これによって、キリスト教はローマの国教とされ、それにふさわしい形が整えられ世界宗教としてスタートすることになる。
数々の犠牲の上に、漸くステファノやパウロの希望が叶えられるに至ったわけだ。
……が、恐らくこのとき、聖書が書き換えられたのだと思う。
まず、イエスだが、彼は神の一人子として神と同等の位置に置かれることになった。皇帝を神と祭ってきたローマでは、イエスの神格化は必要な措置と思われたのだろう。また安息日がユダヤ教の土曜日から日曜日へと変えられた。ローマ人の太陽神崇拝への迎合からだろう。そしてもっとも大きな改竄にあたる、「人は輪廻する」という思想が教えからそぎ取られた。国王やローマ教皇の過去世が羊飼いや乞食ではまずいというわけだ。またキリスト以後、神の声を聞く者はサタンとされた。ローマ教会以外に、神の声を代弁する者が現れては教会の権威が失墜するというわけだ。
「これが君の国へ伝えられたカトリックの起こりという訳だ。だがトマスよ、キリスト教はローマに伝えられた以外に、エジプトに逃れたグループとエルサレムに残ったグループがあったことを忘れてはならない。」
イエスの死後エルサレムに残ったグループは、ユダヤ教との様々な軋轢を経てその一部となり、やがてユダヤ王国がローマとの戦いで滅びると共に自然消滅した。しかしエジプトに逃れたグループは、恐らくマグダラのマリアを中心にイエスが語った言葉を伝え、やがてグノーシス主義という神秘思想と結びつき、あるいはゾロアスターに影響を与えマニ教を生み出し、逆にこれがキリスト教に影響を与えたりと、様々な変容を伴いながらも、次第にローマンカトリックを脅かす存在となっていった。
この流れの中から、やがてキリスト教最大の異端と言われたカタリ派も生まれてくることとなる。
「マグダラのマリアと言われるのは、イエスに救われた娼婦ではなかったのですか?」
「ローマの奴らが言っているだけだ。マグダラのマリアが娼婦だったとはどこにも書いていない。むしろイエスの一番近くにあって、彼の身の回りから、教壇と言えるかどうか、ともかくも彼女はイエスのグループの経済をも支えた人間だ。恐らく裕福な家庭の娘だったのだろうが、彼女の存在はそればかりでなく、イエスの妻という立場にあった人だったとも考えられる。」
「イエスに妻がいたなんて信じられません。」
「なぜ信じられない。彼が神の一人子だからか。彼は普通の男性ではなく、処女から生まれた透明で純粋な幻のような存在で、女に何の関心も寄せなかったとでも言うのか。」
「そうではありませんが……」
「イエスは偶像を拝むことを否定した。それをカトリックの奴らはイエスを偶像化し祭り上げてしまった。」
「…………」
「トマス、聞け。ユダヤ教では妻を娶らないことは罪なのだ。妻を娶らず男としての役割を果たさないことは異常なことだ。もし、イエスが妻を娶らなかったとしたら、そのことはイエスを語る上で必ず記されねばならないことだとは思わないか。イエスについてすべての記録が、そのことについて沈黙を守っている以上、イエスは普通に妻を娶っていたと考えて間違いはないだろう。それだけではない。イエスが十字架にかけられたとき、ペテロを始め十二使徒といわれる男たちは、イエスを否定し逃げ回っていた。イエスを最後まで見取ったのは、マグダラのマリアを中心とする女性たちだった。そして、どの聖書が伝えるところも、イエスが復活したとき、天使がイエスの復活を伝えた相手は十二使徒たちではなくマグダラのマリアに対してであったし、復活したイエスが最初に姿を現したのもマグダラのマリアに対してであった……そうだな、トマス?」
「はい、天使の声を聞いたマグダラのマリアが、イエスの遺体を安置した洞窟へ行ってみると、洞窟を蓋していた巨大な石が動かされ、中にイエスの遺体はなくなっていました……」
「その通りだ。では、このことはいったい何を意味すると思う?」
「…………」
「聖書を編纂した者たちも、マグダラのマリアの存在――彼女の働きや彼女の立場――を無視することは出来なかった。マリアがイエスにとって何であったか知っている者が、当時はまだ多数いたからに違いない。このように彼女はイエスのもっとも身近にいた人間に違いないし、ペテロたちにとってもっとも頭の上がらない存在だったようだ。
さて、イエスの死後、弟子たちは、イエスがどんなことを話したのかを語り合った。イエスの教えを言葉として定着させようとしたのだ。それが新訳聖書のはじまりと言える。そこには、君たちの知らない、イエスの生々しい声を伝えた『マリアの福音書』さえも存在したようだ。もちろん、そこに語られているのは、イエスの母マリアの言葉ではなく、イエスの妻マリアが語ったイエスの言葉の数々だ。
残念なことだが、イエスの教えを巡って対立が生じた。
ペテロを中心とするグループと、マグダラのマリアを中心とするグループの葛藤だ。キリスト教という組織を温存させようとするとき、イエスの生々しい声は理想に走りすぎ、すぐに実現できないものもあったはずだし、伏せて通りたいものもあったはずだ。
ペテロたちが何か言おうとするとき、『逃げ回っていた人間が何を偉そうなことを! イエスの最期を見とったのは誰だと思っているの』そんな言葉が返ってきはしなかっただろうか。
ローマンカトリックが、ことさら女性の存在を低く見、差別的にとらえ、何かあれば魔女の烙印を押そうとするのも、彼ら男性弟子たちの後ろめたさから来ているのかも知れない。
ステファノやトマスは、どうやらマグダラのマリアに共鳴していたように思える。生前のイエスを知らないステファノが、イエスの生の声を伝えるマリアに傾倒していったことは十分に考えられるし、生前のイエスを知る弟子たちの中にもイエスの教えを身近に聞いた者たちは、マリアこそがイエスの生前の言葉を忠実に伝えていると考えたことだろう。ペテロやヤコブは、キリスト教の生き残りを考慮するあまり、イエスの教えにある箇所で目をつぶっていると。
迫害によりエジプトに逃れたものの、こう考えたトマスは、『マリアの福音書』をもとにイエスの教えを伝えていったのではなかったろうか。それが神秘主義者たちに影響を与え『トマスの福音書』が生まれたのでなかったか。」
ブルーノは一気にここまでをしゃべった。トマスばかりか、バルトロメオにしてもはじめて耳にする内容だった。
バルトロメオは興奮のせいだろうか、体のふるえが止まらないようだ。ブルーノへ問いかけようとする声が喉の奥に張り付いてしまったかのようにかすれている。
「……あんまりです。たとえ本当だとしても、知らずに済ませたらと思います。特に日本の友人の前では……」
「メディチの人間らしくないことを……それに我らが日本の友人はシクストゥスの聖書について知ろうとしている。目を伏せては通れないぞ。」
「このことが、シクストゥス聖書とどう関係しているというのでしょうか。師は、シクストゥス聖書のことを知りたがっている日本人がいると私が話したとき、『おまえの母こそが知っているのでは』、確か、そう言われました。それはどういうことでしょうか……」
「……もう夜明けが近いのではないかな。」
言われてみると、トマスとバルトロメオの座る地下の石段に、上の方からわずかな朝の光が忍び込み始めている。
ブルーノの閉じこめられた地下牢にも、その上にある小さな換気口を通して、ささやかな光が届けられているに違いない。ブルーノは、そこから朝の訪れを感じているのだろう。
ブルーノは言葉を続けた。
「夜の闇の中では隠せても、朝の光はすべてをあらわにせずにはおかない。見張りの者の口を金で黙らせておけるのも、闇の中だから出来ることではないのか。
…………もうおまえたちはいかねばならない。
バルトロメオ、まずはフィレンツェへ行け。シクストゥス聖書をについて知りたいという日本の友人の心が変わらないようなら、何とかおまえの母に会わせるのだ。アレッサンドロ枢機卿の口添えがあれば難しいことではないだろう。その後でもう一度会おう。
まだ俺が生きていればの話だが……」