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ー 2 ー 嵐到来


水沢有希子がほとんど喧嘩腰で乗り込んできたのは、その数日後の午後だった。

仕事は休みだったが、隆太は何もする気が起きず ただボーッとしていた。


「隆太君、居るんでしょう?私よ。水沢です。開けて」
そう怒鳴るようにして、ドンドンと何度も玄関のドアを叩く。


面倒くさそうにしぶしぶドアを開けた隆太を、有希子は睨みつけた。

「…お久しぶりです」

隆太は会釈するふりをして、有希子のそんな視線を避けた。


「…何してんのよ」

低い声でそう言った有希子は今や、腕を組んで片足に重心をかけて仁王立ちだ。

「何がっすか…」

目を合わせないまま耳の後ろをポリポリ掻いたりしている隆太を、有希子は依然睨みつけたままだ。

「何がじゃないわよ。まだ瞑想に出てないそうね。ロクに顔も合わせないらしいじゃない?…フオンが心配して、私に電話してきたのよ」

そう言われて顔を上げかけると、有希子のスカートの陰に隠れてこちらを窺っていたフオンと目が合った。

怒られると思ったのか、フオンは走って逃げてしまった。

(余計な事を…)
隆太は思わず、ため息をついた。

「まだウジウジしてるわけ?いつまでそうしてるつもりなのよ」

高圧的なその口調に、さすがの隆太もカチンときた。

「…瞑想は強制じゃなかったはずですけど」


数秒の間があった。爆発の前の一瞬の静けさだ。有希子が怒りを抑えているのが伝わってくる。

「確かに、そうね。…でも、瞑想の事だけじゃない。フオンにまで心配かけるなって言ってるのよ!」


(別に、心配してくれなんて頼んだわけじゃない…)


「…俺は大丈夫ですから。放っといて下さい」
そう言いながら隆太はドアを閉めようとした。

「ちょっと!何なのよ、それ!いい加減にしなさいよ!」

有希子は大声を出し、力ずくで無理矢理ドアを開け放った。

騒ぎを聞きつけたのか、それともフオンが呼んだのか、階上からグエン夫妻が急いで降りてきた。

「ユキコ、少し落ち着きなさい。ほら、そんな怖い顔をしないで」

上へ行きましょう…そうホアに促され、有希子は憤然としながらもそれに従った。

ドアを閉めようとした隆太に、カイが静かに声をかけた。

「リュータ。私たちには、少し話し合いが必要ではありませんか?」

いえ。けっこうです。そう言ってドアを閉めてしまいたかったが、隆太には出来なかった。
頼んだわけじゃない、などと心の中でうそぶいてはみたものの、やはり心配をかけてしまっている事を申し訳なく思っていたからだ。
 

(話し合いか…)

隆太は暗澹たる気持ちで曖昧に頷くと、カイの後について階段を上がっていった。




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ー 3 ー 火花

3階にある、グエン一家の住まい。

そのリビングに最後に通されたのは、およそ2ヶ月前。
サラの亡くなったときの様子を聞いた時以来だ。


うなだれた隆太が座っていたそのソファに、今は有希子が座ってこちらを睨み据えている。

隆太はリビングの入り口で回れ右をして帰ってしまいたかったが、その後どうなるかを考えると 大人しく座った方が良さそうだった。


ノロノロとソファに腰掛けた隆太に、有希子はきつい口調で詰問する。

「もう一度伺いますけど。一体いつまで、そうやって逃げてれば気が済むわけ?」

「別に、逃げてなんか…」

…なんで俺がこんなことを言われなきゃいけないんだよ。
隆太は舌打ちしたい気分だったが、なんとか堪えた。

「逃げてるわよ。いい加減、悲劇のヒーロー気取りは止めたら?」


いくらなんでも、これは聞き捨てならなかった。

隆太は有希子を正面から睨みつけた。
胃がカッと熱くなる。こんなに腹が立ったのは、生まれて初めてかもしれない。


「何よ。文句があるなら言ってみなさいよ」
有希子も隆太を睨み返し、腕を組み足を組んで背もたれにふんぞり返った。

隆太は怒りのあまり歯ぎしりするような気持ちだった。
だが、出てきたのは「アンタには関係ない」という押し殺した声だけだった。

有希子が大きく息を吸った。怒鳴られる、と思ったその瞬間、絶妙のタイミングでホアがお茶を運んで来てくれた。

「ほら、ふたりとも。そんな顔しないで。肩の力を抜いて」

穏やかに微笑みながら、テーブルの上でお茶を注いでくれる。

カイもお茶菓子の鉢を持って現われた。
こちらは少し落ち着かない様子で隆太の隣、有希子の正面に座る。

「これ、昨日いただきましたよ。しろねこ亭のかりんとう。いつもタイヤキを買ってくれるお礼だって」

そう言って、自らかりんとうを食べはじめた。どうやら間が持たならしい。

その間も、ホアは落ち着いたものだ。


しばらく沈黙が続いた。

有希子は組んでいた足は解いたものの、まだ固く腕組みしたまま隆太を睨んでいる。

隆太は自分の膝を見つめ、黙って爪を弾いているばかり。
有希子への怒りが収まらず、絶対に自分から話の口火を切ったりするものか、と決意していた。

カイはホアに助けを求めるように目配せするが、ホアは悠長にお茶を飲んでいる。


とうとう、有希子が口を開いた。

「で?なんで瞑想に来ないわけ?」


「別に…仕事が忙しくなったから…」

嘘をついたわけではなかったが、完全に正直というわけでもなかった。

忙しくなったのは、隆太が自発的にシフトを増やしたからだ。
仕事に集中している間は、いくらか気が紛れる。
ゴールデンウィーク中の今は ただでさえ人手不足なので、隆太のシフト増は喜ばれた。

「ふうん…」

有希子はお見通しだとでもいうように鼻を鳴らし、隆太はまたそれにイラついた。

「じゃあ、誰ともロクに口をきかないのは、どうして?」



何もわかってないくせに……誰も、何も…


「別に…」

そう呟いたきり口を噤んでしまった隆太に、とうとう有希子も声を荒らげる。

「何よ!自分ばっかりが悲しいとでも思ってるの?皆、頑張って乗り越えようとしてるんじゃないの。なのに、何なのよ。ひとりだけいつまでもウジウジウジウジ…」

見かねてカイが口を挟む。

「有希子。人にはそれぞれのペースがあります。急がせるのは良くないよ。リュータだって…」

そう言って、リュータに視線を向ける。が、隆太はそっぽを向いて押し黙ったままだ。

「そんなこと、わかってます」

有希子が今度はカイを睨む。その勢いに、カイは続く言葉を失ってしまったようだ。

「私が怒ってるのは、隆太君がいつまでも自分を責めてるから。そして…」
と再び隆太に向き直る。

「隆太君が自分を責めるのは、サラのことを認めてないから。
 だから、腹が立つのよ」



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ー 4 ー 残酷な事実


…認めていない?俺が?サラを?

有希子の言う意味がわからなかったが、隆太はそっぽを向いたままの姿勢を崩さなかった。


だが、代わりにカイが聞いてくれた。隆太同様、有希子の真意がわからないようだ。

「認めていない?それはどういう意味だろう?」

有希子が数回、静かに深く呼吸をしたのがわかった。気持ちを鎮めているのだろう。


少し間をおいて、再び話し出した有希子の声は冷静だった。

「隆太君。サラと初めて会う直前に、あの喫茶店で話したこと、憶えてる?」

「え…」

突然の問いに、隆太は思わず視線を有希子に戻した。

少し戸惑ったが、すぐに思い出した。

「ああ。…うん」



『人の心を解放することなんて、本当に出来るんだろうか…』


フオンの前の代のサレンダーが、自分の能力に怯えていたことを知って、
「もし特殊な能力を持つことに怯えている人がいるのなら、その人の力になりたい」
そう思って隆太はブログを始めた。
そのブログに、発火能力者であることに深い苦悩を抱えたサラが接触してきた。

自分で始めたことにも関わらず、隆太は土壇場になって怖じ気づいたのだった。
そんな隆太の弱気を断ち切ったのが、有希子の言葉だった。

『解放するのは、私たちじゃない。瞑想と、彼女自身よ』



「うん。憶えてる…けど」

それだけ答えた隆太に、有希子は頷いた。

「あなたは、あのときと同じ間違いをしてる」

(間違い…?)

「あなたは、サラのことを一人前の大人だと認めていない。自分が守ってやるべきだった弱い者、自分がどうにかしてやらなければいけなかった弱い人間とみなしてる」

有希子が静かな声のまま放った言葉は、今までの人生で隆太が受けたなかで最も残酷なものだった。

「あなたはね…サラを見下している」


隆太は言葉を失った。熱いナイフで心臓を抉られたかのようなショックだった。

(そんな…俺が、どうして……)

反論の言葉は頭の中を渦巻いているが、あまりの衝撃に言葉が出て来ない。


「だから、サラを巻き込んだのは、救えなかったのは、自分のせいだなんて思うのよ」

(違う。なんでだよ。どこがだよ。見下してなんか…)

反論出来ずにいる隆太に構わず、有希子は冷酷にも続ける。

「もちろん、私達自身に責任が無いなんて思ってない。でもね。
 サラは、自分の意思で私たちに接触して、自分の努力で成長して、自分の判断で火災に飛び込んだ。自分の力の使い方を、自分で選んだ。だから私は、それを尊重する」


言葉はまだ、隆太の口に戻って来ない。


「自力で脱出出来ずに、隆太君と長老を危険な目に合わせたけど。そのうえ…」
有希子は言葉を切った。何かを飲み込むようにして、再び口を開く。

「そのうえ、自分の命を落としたけど」

隆太はまだショックの最中に居たが、有希子の言葉にひっかかるものがあった。

「…莫迦なことをしたって言うんですか?サラは余計なことをした、って言いたいんですか?」

「違います」有希子が冷静に否定した。


「私は、どんな結果に終わったとしても、サラの選んだことを尊重するって言ってるの。同じく、隆太君のしたことも」

「……俺の?」

「そうよ。あの時、もし自分に何かあったら、って…少しでも考えた?もし自分が死んだら…って、残されるフオンたちのこと、考えた?」

「……」

隆太はまたも言葉に詰まってしまった。
自分が死ぬなんてことは、あのとき、いや、たった今言われるまで、全く頭に浮かばなかったのだ。

「だって俺…フオンの水が護ってくれるような気がしてたし…」


そう。口に出して初めて気付いた。

隆太は単に「炎に飛び込む前に身体を濡らす」というだけでなく、サレンダーであるフオンが創り出す水に何かしらの護りの効果を期待していたのだ。無意識のうちに。

「フオンがあの時どんな思いで水を創り出したか、大量の水を飛ばしたか、考えた?あんな小さな子供が、失神するほど集中したのよ」


(ああ……)


先ほどからの有希子の言葉への怒りも、ショックも、全て消えてしまった。



今更ながら自分の身勝手さ、軽率さを思い知らされていた。

カイとホアがエネルギーを加勢していたとはいえ、いきなりあんな大きな力を、なかば無理矢理引き出したのだ。サレンダーの力を失うどころか、下手をすれば身体に害があったかもしれないのだ。

それに…

全てが終わった後、俺はフオンの働きに心から感謝した。だが、その気持ちにまで配慮しただろうか…


考えるにつれ、自分がひどい人間のように思えてくる。


「俺…オレ、だって…」

隆太は自分の口調が まるで子供のそれのようになっているのに気付いたが、止めることが出来なかった。



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ー 5 ー 有希子の選択

「オレ、助けなきゃって…それしか考えてなくて……携帯、サラの着信に気付かなくて…だから…」

自分の声がうわずりはじめ、呼吸が浅くなっている。息苦しい。
心臓がビクビクと怯えているように、震える。つられるように、その両手も震えていた。


「そうよ。私は責めてるんじゃないの。隆太君がサラからの着信に気付かなかったのは、消火活動に必死だったから。そして、あの時隆太君が助けに行かなければ、あの親子も亡くなっていた」

すかさずカイが続けた。

「そうだね、ユキコ。リュータがブログを始めたのも、瞑想を広めるためと、悩んでいる人を助ける気持ちだった。私たちがサラの心の解放を助けようとしたのも、同じでしたね。フオンだって、リュータ達を助けることしか考えなかった。自分の限界など、考えなかった」

「そう。みんな、その時最善だと思うことをした。だから、私は誰のことも責めない。自分のことも」

有希子の声が力を帯びてきた。
隆太を励ますというよりは、自分に言い聞かせるかのように。


「天空橋の人たちのことも、責めない。最初から翼を使っていれば、空からの消火活動も早くに出来たし、放置自転車をどかして もっと早く消防車を通すことも出来た。
 でも、それを今言ってもしょうがない。だから、責めない」

天空人たちは、自分たちの苦い歴史を遠ざけるかのように、長い間翼を使うのを避けてきた。
故に、あの火災のときも 隆太と長老が空に飛び立つまで、誰も飛ぼうとしなかったのだ。


「自転車を放置していた人達のことも、今さら責めない。もっと言うなら…」

言葉を継ぐ有希子の声が、微かに震えた。

「サラの猫をひき逃げした犯人のことも。そして…」

有希子が唾を飲み込む音……


「サラのご両親のことも、責めない」

続けた有希子の声は、もう震えていなかった。

「無理矢理にでも、サラの悩みを聞き出してあげてれば…そもそもサラがあんなに悩むこともなかったかもしれない。でも…でも、誰も思ってなかった。…あんなことになるなんて」


沈黙が流れた。


「わかったでしょう?誰かを責めるなんて、時間の無駄なのよ」

そう言って、有希子はふたたび強い視線を隆太に向けた。


隆太の心も頭の中も、今にも壊れそうなほどに張りつめていた。
それにつられるように、部屋の空気も張りつめていた。

ほんの数分のあいだに隆太の中でわき起こった、怒り、ショック、後悔……様々なものが渦巻き、耳鳴りが聞こえ、目の前がチカチカしはじめた。



数秒の沈黙の後、カップを静かにテーブルに置く音と共に ホアが話し始めたとき、何故か皆、少しほっとしたようにソファに沈み込んだ。

ホアの声は、やはり深く穏やかだ。
深刻な内容の話だというのに、まるで世間話でもしているかのように、いつもと変わらずに優しく響く。


「ユキコ。あなたは、あの後何度もサラの家に通っているのよね?」

「え?…ええ。サラの居たアパートと、ご実家のほうに。」

急に話の流れが変わって、有希子は少し驚いたようだった。

「それは、どうして?」

「あの…アパートを引き払うお手伝いと、それから…サラの…」

有希子は言葉を選びながら続けた。
「その…元気だった頃の様子を、ご両親にお話したり…」

「ご両親は、喜んでくれる?」

「…ええ。どんな小さなことでもいいからって、いろいろ訊ねられて…お話しするたびに泣き笑いをされて……いつも、『ありがとう、ありがとう』って…」

切れ切れにそう言った有希子の声は、最後の方には呟きのように小さくなり、有希子も俯いたまま黙ってしまった。


「ユキコ、辛かったわね。サラと一番親しくしていたのは、あなただものね」

ホアは独り言の様にそう言って、いつの間にかギュッと組み合わせていた有希子の両手の上に、自分の小さな手を重ねた。

「サラのご両親のためとはいえ、楽しかったときのことを思い出すのは、まだ辛かったでしょう」

有希子は何も答えなかった。俯いたまま、息をつめているようだった。

泣きたくないのだ。
息をつめて、涙をこらえている。隆太には、それがわかった。
わかったから、隆太も顔を上げることが出来なかった。


そう。ホアの言うとおり、サラとの信頼関係を最も強く築いたのは、有希子だった。
重く凝り固まっていたサラのエネルギーを開いたのは、有希子だった。
しかも、ほんの1ヶ月程の間に。

どれだけ心を砕いたのだろう。親身になったのだろう。

隆太はあのとき 有希子を賞賛したものだったが、有希子のその努力についてはほとんど無関心だったことに、今更ながら気付いた。

自分のことばかりで頭が一杯になってしまっていたことが、いたたまれないほど恥ずかしかった。


「誰も責めないって、とても辛いことかもしれないわね…」

ポツリとそう呟くホアの声が、隆太の心の奥に染み込むように響く。


きっと有希子は、「責めない。責めない…」と頭の中で唱えながら、サラの両親と会っていたのだろう。
そう思うと隆太は、自分の不甲斐なさに頭を掻きむしりたいような心持ちだった。


「リュータも、頑張ったね。ご両親にあの時のことを話しに行ったよね」
カイが励ますように言ったが、その言葉は慰めになるどころか、さらに隆太を落ち込ませるものでしかなかった。

自分がサラの両親に会いに行ったのは、退院した翌日、あの1度きり。
しかも、サラの気配を感じるのが辛くて、早くあの家から離れたいとばかり思っていたのだ。

隆太には、俯いたまま力なく首を振ることしか出来なかった。

俺は、なんて情けない男だ。未熟なガキだ。水沢さんが怒るのも、無理はない…


「リュータはあの火事の現場に飛び込んだ。炎の中のサラを助けた」

続くホアの言葉に、隆太は思わず顔を上げた。

「大変なことだったわね。とても怖かったでしょうね」



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ー 6 ー 隠された恐怖


「大変なことだったわね。とても怖かったでしょうね」



…怖かった?

思いがけない言葉だった。ほとんど愕然としたと言ってもいいほどだ。


「俺は…」

驚きのあまり、隆太は自分でも知らぬうちに呟いていた。


「そうか、俺は…怖かったんだ…」

炎の中で親子を抱えきつく目を閉じているサラの姿が、頻繁に浮かんでくるのも。
そのくせ、サラのことやあの火事のことを考えようとすると、心が麻痺したように止まってしまうのも。
夜中に何事か叫びながら目覚め、それなのに夢の内容を全く憶えていないのも。


あの時は無我夢中だった。
今までに飛んだことのない距離を飛ぶことに対する怖れは無かったし、炎の熱ささえほとんど感じていなかった。

でも、俺は。本当は……そう、とても怖かったんだ……


ホアに言われるまで、隆太はそのことに全く気付いていなかった。
そして、自分の怯えを発見した途端、緊張していた身体中の筋肉がほどけていく気がした。


突然、頭の中にイメージが現われた。

”サレンダーのお守り”のチョーカーが切れ、足元に落ちる。
視点が切り替わり、隆太自身の後ろ姿が見えると、背中の翼がポロリと落ちた。

頭の中に浮かんだイメージは 一瞬でかき消えた。

最後に隆太が見たのは、守人でもない、天空人でもない。
若干心許なげな、ただの隆太だった。



「ちょっと…『そうか』って、隆太君。まさか、自分でわかってなかったの?
 火事の中に飛び込んだのよ?…そんなの、誰だって怖いに決まってるじゃない!」

有希子の声には、驚きと混乱が混じっていた。涙はなんとか飲み込んだらしい。


「いや、ワタシにはわかるような気がするよ。……1度恐怖を押さえ込むと、再びそれに向き合うには時間がかかる。無理矢理押さえ込んだ恐怖は、消えてなくなるわけじゃない。少しの間見えなくなるだけ。
 でも、ちゃんとそこにあって、私たちをずっと苦しめる」

カイの口調は慰めるようなものだったが、口先だけで言っているのではなく、確信をもって話しているのがわかった。


「そうね。だからね、ユキコ」

ホアは、再び有希子に向き直った。

「リュータに、もう少し時間を頂戴ね。急ぐ必要は無いの」


有希子が何か答える前に、隆太は思わず立ち上がった。

様々な感情やショックに、続けざまにぶん殴られもみくちゃにされ、満足に呼吸も出来ない。頭の中がグワングワンと音をたてている。

今は、ここを離れたい。少しだけ…


「すみません。俺、ちょっと……ちょっと、外の風に当たってきます…」

誰も、何も言わなかった。

だが、俯いたままの隆太にも、彼らが頷いた 柔らかな気配を感じられた。


リビングの扉を開けると、フオンが自分の部屋に駆け込むのが見えた。
こっそり隆太達の様子を窺っていたのだろう。


隆太は声をかける事をせず、玄関を出て階段を下りはじめた。

途中、自分の部屋に続く短い廊下を意識し、そのまま部屋に戻ってベッドにもぐりこみたい誘惑に駆られたが、歯を食いしばるようにして それを無視した。

…このまま また閉じこもってしまえば、俺は本当の馬鹿だ。



薄暗い階段を下りきると、隆太は明るい日差しのもとへ踏み出した。




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