目次
はじめに・出版社の方へ・目次
<2013.5.7追記、お詫び>
はじめに
出版社の方へ 紙の書籍としての出版先募集してます
目次
第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由
3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像
4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間
5 天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ
第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
6 AKBの核・劇場公演とは?
7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ
9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる
10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由
11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」
第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
13 格闘技のリアリティ
14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上
15 アイドルこそは最もリアリティある世界
16 リアルとリアリティの違い
17 人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス
18 虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生
第4章 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
19 ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇
20 国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段
21 天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない
22 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
23 「人間」を観るジャンル
24 「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を
第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
25 AKBの歌のベースは 色即是空 
26 AKBの楽曲の世界
27 “AKB顔”
28 少女達の大人数集団の独特の魅力
29 共同体と個人競争の社会
30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室
32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力
33 サプライズは人間ドラマの花形
34 共同幻想
35 偏見が熱気、パワーを生んでいる
36 「商売」が嫌いなアンチ達
第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB
37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ
38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念
39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない
第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗
41 AKBの尋常じゃない汗の量
42 アイドル、プロレスラーの「実力」
43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス
44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景
45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している
46 推しメンとファンのプロレス
47 乃木坂46
48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間
第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
49 既成概念でしか物事を捉えられない人々
50 ジャンルそのものを見下す愚かさ
51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍
52 軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号
53 アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン
54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性
56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人
57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像
終わりに、参考文献、奥付
終わりに
参考文献
奥付

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目次

上に「目次」がありますが、目次タイトルが多くて、小見出しの全てを1度には表示できなくなっているので、ここで小見出しに通し番号をつけて、一覧できる目次を載せておきます。

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はじめに・出版社の方へ・目次

 

<はじめに>

 

<出版社の方へ>

 

<目次>

 

 

第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か

 

1<天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か>

 

2<天皇、プロレス、AKBを攻撃する人間が多いことの理由>

 

<「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像>

 

4<アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間>

 

<天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ>

 

第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ

 

AKBの核・劇場公演とは?>

 

7<アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ>

 

8<AKB総選挙批判に対して  遊びに貴賎がつけられている不可解さ>

 

9<AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる>

 

10<なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由>

 

11<根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」>

 

第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー

 

12<プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー>

 

13<格闘技のリアリティ>

 

14<リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上>

 

15<アイドルこそは最もリアリティある世界>

 

16<リアルとリアリティの違い

 

17<人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス>

 

18<虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生>

 

 

第4章 自分にない人間がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室

 

 19<ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇>

 

20<国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段>

 

21<天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない>

 

22<自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室>

 

23<「人間」を観るジャンル>

 

24<「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を>

 

第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる

 

25<AKBの歌のベースは 色即是空 >

 

26<AKBの楽曲の世界>

 

27<“AKB顔”>

 

28<少女達の大人数集団の独特の魅力>

 

29<共同体と個人競争の社会>

 

30<プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる>

 

31<物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室>

 

32<登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力>

 

33<サプライズは人間ドラマの花形>

 

34<共同幻想>

 

35〈偏見が熱気、パワーを生んでいる〉

 

36<「商売」が嫌いなアンチ達>

 

第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB

 

 

37<松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ>

 

38<ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念>

 

39<バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない>

 

第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き

 

40<嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗>

 

41<AKBの尋常じゃない汗の量>

 

42<アイドル、プロレスラーの「実力」>

 

43<フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き>

 

第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス

 

44<参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景>

 

45AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している>

 

46<推しメンとファンのプロレス>

 

47<乃木坂46>

 

48<「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間>

 

第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される

 

49<既成概念でしか物事を捉えられない人々>

 

50<ジャンルそのものを見下す愚かさ>

 

51<プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍>

 

52<軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号>

 

53<アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン>

 

54<プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される>

 

55<真正面から見る目がそのジャンルを育てる プロレス、アイドルの進化 皇室を学ぶ必要性>

 

56<皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人>

 

57<指原スキャンダルに見る、理想のファン像>

 

終わりに・参考文献・奥付

 

<終わりに>

 

<参考文献>

 

<奥付>

 

 

 


4
最終更新日 : 2012-10-11 23:04:06

1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か

 プロレス、アイドルというジャンルに共通する特異な点は何か。

他のショーは、あくまで表舞台は表舞台、演者はそこを降りれば1人の人間、という当たり前のことを演者側も見る側も当然の共通認識として持っている。

 

 プロレスは違う。

 勝敗を競っている、というのはショーの建前であるのだが、プロレスはショーの時間以外でも365日24時間、あくまでその建前を崩さない。

 つまり、メディアの取材にレスラーが「いや~、この前の試合のフィニッシュのとこ、ほんとはこういう流れだったんだけど、1つ技失敗してアドリブでああいう流れになりました」などど語ることはない、ということだ。(*1)

 

 リング外でレスラーが語る言葉はあくまで「この前の試合の借りは必ず返すぞ、おぼえとけテメエ!」…つまりプロレスは、リングを降りて、社会全体に対して24時間365日プロレスをやっている。

 

 これが、俳優ならばドラマの敵役に対して、インタビューで「あのヤロー…」云々と語ることはない。

 

 歌手が不倫の恋の歌を歌って、実生活でその歌手が円満夫婦生活を送っていてもそれを「嘘だ」と責める人はいない。

 

 アイドルは違う。

 表舞台で歌やダンスを見て楽しむ、だけではなく、ファンはアイドルをやっている人間そのものに幻想を抱く。

 

 他のショーでは、建前の部分(「キャラクター」)と、生身の人間の部分が、当然分けて考えられているのに、プロレスラーとアイドルは、キャラクターでもなく、生身の人間でもなく……いや、キャラクターであり生身の人間である「プロレスラー」であり、「アイドル」なのだ。

 

 プロレスを見る側はそこに展開されているものを、建前であることを分かりながら、そこにどっぷりはまる。(*2)

 プロレス会場だけではない。

 世間一般には、プロレス=ショーというものは一般常識として定着されているにも関わらず、プロレスラーが一般のテレビ番組に出演した際には、そこに関わる他のタレント達は、プロレスを建前通りに扱う。

 

 プロレスファンは、建前通りに扱うより一歩進んで、プロレスという空間を支える「観客」という役割を進んで担う。

 歓声をあげ、カウント2.9の攻防にどよめき、勝った側負けた側に、それに相ふさわしい声援を送る。

 

 アイドルフリーク達も、そこにいるのは1人の生身の人間であることを認識しながら、声援を送る。

 曲の合間に、それぞれのグループ、歌に対して決まった掛け声をあげるところなど、まさに、「アイドル」という幻想空間の中で、ファン達自身が「ファン」という役割を進んで担っている象徴である。

 

 そこで、さらにこの2つのジャンルを奥深いものにさせているのが、見せる側が建前と生身の2つが混然一体となった人間だとしたら、それを見る側も、建前には生身があるという事を認識している自分(1)と、それを分かっていながらも建前のままに楽しむ自分(2)が混然一体となっている、ということだ。

分かりやすく言うと、(1)は冷静に分析しながら見る(2)は、建前をそのまま受け取り熱狂する、その2つが一体となって見ているのがプロレスファンであり、アイドルファン…本著の主眼であるAKBファン。

 

 プロレスとアイドルにハマッたことがない人にはいまいち分かりにくいかもしれない。

 映画を見ながら、人はそれが作り話と分かりながら、映画マニアなどはいろいろ分析しながら、恋愛映画にはキュンキュンし、アクション映画で悪者がやられるシーンにスカッとし、ホラー映画で悲鳴をあげる。

 事実として「嘘」「本当」はあっても、目の前で起こっていることには脳では嘘も本当も同じなのだ。

「分かっていながら・分析しながら、興奮する」ことは、映画その他でも同じ、特別なことではないが、プロレスとアイドルを一層深くしているのが、さきに述べたように、この「建前」が、オンとオフの区別なく「人間」そのものに建てられているということ。

 

  プロレスとアイドルのこのような点を特異なものと表現したが、他のジャンルに比べれば、である。

 つまり何がいいたいかと言うと、他のジャンルに比べるから特異なのであって、これを我々の人生そのものに比べると、特異でもなんでもない。というより、人生そのものだ。

 

 皆誰も、1人の、肩書も何もない「生身の人間」であることがまず第一にありながら、「課長」「先生」「お母さん」「○○君の恋人」「店員」「客」を、その時々の相手に応じて使いわけている。

 

 そして、それを受け取る側も、課長が、課長である以前に○×という1人の男であることを知っている。

 △△先生が、偉そうなことは言っていても、エロいことも考える1人の人間であることを知っている。

 恋人関係などもそう。

 お互いがお互いの役割を演じながら、お互いの幻想を守っている。

 

 プロレスを「嘘」と表現する人は、ふだんはバカやったりしながらも、生徒の前では教育者としての威厳を持って熱心に指導する先生も、「嘘」と思うのだろうか?

 アイドルが、握手会に来てくれたファンに対して笑顔で応じるのを「営業スマイル」という人にとっては、旅館の女将が心から客をもてなす態度もやはり「営業スマイル」であると考えるのだろうか?

 

  日本人にとって天皇陛下は天皇陛下である。

 昭和天皇とか、大正天皇という尊称は御隠れあそばした後につけられたもので、今上の天皇陛下には、現在で言えば明仁という御名があるが、通常、国民が陛下のことを言う場合、「天皇陛下」である。

 他国ではその地位にあらせられる時から「エリザベス女王」であり、「○○国王」だろう。

 つまり、もう一度書くが、日本人にとって「天皇陛下」は「天皇陛下」である。

ある特定の個人ではなく、「天皇陛下」をおしいただき、敬愛しているのだ。

 しかし、さりながら・同時に、まぎれもなく、天皇は1人の人間として存在し、国民も「天皇陛下」と言う場合、今上の陛下のご尊顔を頭に浮かべている。

先に、プロレスラーとアイドルの、他に比類なき特性についての説明を読んだ読者はもうお気づきだろう。

 

「建前」と「生身」が渾身一体となって、見る人に勇気や元気を与える存在。

 

 天皇陛下とプロレスラー、アイドルを一緒にするとは何事か、と怒る人もいるかもしれないが、もちろん、一緒なわけではない。

 

 天皇陛下をおしいただき、敬愛している日本人のメンタリティの素晴らしさが、プロレスが他に比類なきジャンルとしてここまで根付き、AKB48という新しいコンセプトのアイドルを「国民的アイドル」と言われるまでに成長させた、という1つの見方を提供したいのだ。

 

 天皇陛下を敬愛する日本人の心はどういうものなのだろうか。

 人間ではない神様、という敬愛のしかたではないと思う。(そういう人もいるだろうけど)

 この国を支配している人間=王様、ではもちろんない。

 どこまでも血の通われた1人の人間でありながら、いや、であるからこそ、そして、国民の幸せをなんでも叶えてくれる万能の神、超能力者ではなく、大自然の前で、宇宙の下では自分達と同じ無力で弱い1人の人間が、常に我々の安寧と幸せを祈っている生身の御姿に敬愛の念を抱くのだ。

 天皇陛下という役割を担っていただいていることに感謝し、推し戴いている。

 

昔、「私、プロレスの味方です」の著者・村松具視氏が

 

「タイガーマスク=誰々(1人の人間)」と認識しながら、しかし、タイガーマスクとして声援を送る少年ファン達は一種の天才ではないだろうか」

 

というような事を書いていた。(※3)

 

 天皇陛下をおしいただき、敬愛するメンタリティは、これに通じるものがあると思う。

 

 アイドルも同様。

 

キーワードは「生身の人間であり、同時に○○」

「自分達がその存在を支えている、推し戴いている」

 

 

    1 最近のプロレスは例外も出ている。顕著な例は、世界最大のプロレス団体「WWE」が、試合の打ち合わせ映像も含むドキュメンタリー映画を公表していたり、団体名も、以前の「ワールドレスリングフェデレーション」から「ワールドレスリングエンターテイメント」にし、ジャンルそのものも以前の「プロフェッショナルレスリング」から「スポーツエンターテイメント」にしたりしている。日本でも、建前は崩さないながらも興行のことを「大会」ではなく「ショー」と呼んだり、DDTのようにエンターテイメント色を前面に押し出している団体もある。

  レスラー全体としてはあくまで建前は守っているが、昔に比べると、本音に近いところを語るようになっているレスラーは多い。

 

    2 プロレスファンには、建前を分かってみているファンとそうでないファンがいる。その割合は分からないが、1つだけ確実に言えることは、昔に比べれば分かってみているファンは急増していることである。何のデータもないが、著者の感触では、今は半分以上のファンは分かって見ている。コアなファンほど分かって見ている割合は高い。

 

※3 正確な文章は忘れた。こういう場合、人の言葉を引用するからには調べたうえ   で正確に再現すべきだろうが、少年時代、四半世紀ほど前に氏の言葉を読んで結果的にこういう言葉になって自分の頭に残った、ということが重要であり、その言葉を書かせてもらう。これもまたプロレス的である。

 

 


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最終更新日 : 2012-08-25 22:34:50

2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由

 天皇、プロレス、AKBに共通する特徴を挙げたが、同時にプロレス、AKBには、これを異様に嫌う、攻撃する人間が多いという共通点があり、天皇についても、(おおむね支持者の方が多いとはいえ)一定の反対論者がいる。

 

 1つの理由としては、他にこのようなジャンルがない、なにがしかのジャンルに属さず、よく分からないものであること。

 天皇について言えば、他の国にも王室はあるが、そのなかでも日本の皇室が特異な存在であることに変わりはない。

 3者とも、生身の人間そのものに、それを支持する者がなんらかの意味を投影し、思い入れをもっている。

 天皇について言えば、反対派も含め、その歴史や現在の在り方も分かっているとは思うが、プロレスとAKBについて言えば、ファン以外には、そのもの自体がなんだかよく分からない。

 

 プロレスとは?

 ショーなのかスポーツなのかよく分からない。という人も多いだろう。

 また、ショーだから、という理由でバカにしている人達。

 これは、全く分かっていないか、さもなくば、ショーというものそのものをバカにしているかだが、他のショーは特に蔑視せず、プロレスだけ蔑視しているのであれば、ショーというものそのものを見下しているわけではないわけだ。となれば、ショーではなく「八百長」と思っているからなのだろうが、八百長というのは、そもそも競技でなければ成立しない。

 プロレスは、相手の協力がなければ成立しない技の応酬で成り立っており、そのことは少し格闘技をやっている人間には誰でも分かるものだ。いや、ロープワークやトップロープからの攻撃、空中技などは、格闘技をやっていなくてもそうだと分かる。

 つまり、ショーなのだ。ショーに「八百長」という言葉は成立しない。

 つまり、ショーだ、あるいは八百長だという理由でプロレスを蔑視している人間は、プロレスのことは全く分かっちゃいないのである。

 

 AKBについては言わずもがな。

 ファンでなければ、AKBの世界はなんだかよく分からないだろう。

(いや、AKBをバカにする人間の中には、なぜかかなりAKBについて詳しい者もいるようだが(・。・) 新しい情報も含めて。好きなことの情報収集をやるのは分かるが、なぜ嫌いなもののことを知りたがり語りたがるのか()

 プロデューサーの秋元康は、常識にこだわらず新しいものを生みだす思考の持ち主だ。(「秋元康の仕事学」」(NHK出版)など参照)

 ジョーシキ外の大人数グループ(1つのグループというより、AKBというシステムであり、AKBというジャンルなのだが)そして、チーム編成、連日の劇場公演、よく出てくるワード「選抜」「総選挙」、あるいは握手会のシステム、また、ヲタク用語の数々……これら全てがファン以外にはなんだかよく分からない。

(ファンにとっては、いろんなシステムが分かってくると逆に愛着がわいて好きになるのだが。)

 

 これまでの常識に沿ったものの考え方しかできない者、既存のジャンルの楽しみ方…これはこういうジャンルで、こう楽しむんですよ~という既に定まったものでしか物事を捉えられない、楽しめないという者にはプロレスもAKBも絶対楽しめないだろう。

 プロレス?…スポーツにしてはおかしなとこあるし、ショー?う~ん、でも本人達は真剣勝負って言ってるし、身体的にすごいことはやってる……。で、社会で定められている概念に落とし込めずに消化不良をおこす。

プロレスはプロレスとして楽しめばいいのだが、ジョーシキに沿ってしか物事を考えられない者にとっては何か既存のジャンルの枠にはまってないとどうも気持ちが悪い。

 

 AKB?…歌が上手いわけでない、ダンスもダンサーほどじゃない、アイドル?…のわりにはルックスもたいしたことないのが多いし、選抜とか総選挙とか研究生って何なの?

「これまでとは何か違うことをやっている」「自分達のこれまでのジョーシキの枠外のことをやっている」…そういうものは決して楽しめないし、それが人気が出てくるとなると叩きたくなるのがジョーシキ大好き人間達。

 

 

2番目は

「インチキじゃねえか」「ただの人間じゃねえか」というもの。

彼らは、「建前」が「生身の人間」と違う=インチキ、としかとれないのである。

映画、ドラマその他のショーであれば、映画で役者が演じていることと、その役者の素顔が違うことは受容できる。分かりやすい。

 しかし、オンオフの区別なく幻想を守っているものについては、彼らはガマンできない。

 彼らの考えでは、プロレスやAKBのファンは(また、人によっては天皇を敬愛している国民も)、建前をそのまま受け取っている=騙されている、という見方なのだろう。

 

 全く逆である。

 

 バカにしている人間こそ、建前と生身の区別があることをしっかり認識せず、なんでも「ガチ」で受け取ることしかできない、貧しい感性の持ち主だから、建前の世界に生身の姿が見えた瞬間に「インチキだインチキだ」とはしゃぐのだ。

 自分から見たら、いい歳こいて「サンタさんの正体はお父さんなんだぞ!」とドヤ顔で吹聴する困った人達である。

 

 プロレスを見て、ロープから振られて返ってくる、トップロープからの攻撃を寝て待っている、相手の協力がなければかからない技の応酬etc…を見て、「だからプロレスって“やらせ”でしょ」と言う人。

 

 ネットや週刊誌の暴露話で見たアイドルの整形疑惑や恋愛疑惑を自慢気に話したり、金にまつわる裏話を披露し、俺は芸能界、アイドルの実態を知ってるよとばかりに、ドヤ顔で話す人。

 

 それはそれで構わないが、どちらも、自分は表面的なものでない深いところ見てるんだよという顔で話すのが、見ていて気恥ずかしい()

 

 それって、誰もが見てる・思ってる、浅いも浅い、1番表面の話だと思うのだが。

 

 プロレス見て、「格闘技やってる俺の友達の○○ほうが強い」「俺のほうが強い」

 AKBの誰かを見て「俺の彼女のほうがかわいいよ」

 

 

 なんの気ない雑談で言ってる分にはなんてことない会話だが、それをもって、プロレスorAKBを見下す感じで言ってる人には、ただただ苦笑するしかない。

自分達がジャンルの本質に全く関係ない、極めてどうでもいい話をしていること、ひいては、プロレスのこともAKBのことも全く分かってないことを露呈している。

 

 

 「んなこと、みんな知ってて楽しんでるんだよ(^_^;)

 

 

 知ってて楽しむ、と聞くと彼ら困った人達は、そうか、「生身の人間」が建前とは違うことに目をつぶって楽しむんだな、「割り切って」楽しんでるのか、と捉えるだろう。

 つまり、彼らにとっては、どこまでも建前と「生身の人間」が違うことはマイナスとしてしかとらえられない、言い方を変えれば、建前と生身の人間が混然一体となっているタフで豊かなジャンルは理解できないのだ。

 

 彼らには理解できないと思うが、建前と生身の人間の姿が違うことはマイナスでもなんでもないのである。

 皇室を敬愛する人、プロレスファン達、アイドルファン達はそれに目をつぶっているわけでもなんでもない。

 

「天皇なんてただの人間じゃねえか」

 そうです。

 天皇陛下、ご皇族は常人とかけ離れた神様でなく、我々と同じ、自然の前では弱き人間だからこそ、その祈る姿に感動するのです。

 

「だから皇室は大切なのです」(篠沢秀夫 草思社)より要約して引用↓

 

「(陸軍の雨中の閲兵式で、檀上の足跡。昭和天皇の左右の2人は足跡は細かくギザギザで板はほとんど濡れていたのに対し、陛下の足跡はくっきり残り、その形の内側の板は全然濡れていなかった話、そのことを戦前、著者が少年時代に大人が話していたのを聞いた記憶)『偉いもんだよねえ、普通の人じゃないよ、やっぱり』と感心しているオヤジさんに、もう1人のオヤジさんが『だけど、神様じゃねえよ、神様だったら足跡つかねえもんな』と付け加え、皆で大笑い。」

「『現人神』という言い方を、戦後のマスコミでは、まるで、『戦前の日本の狂信的状態』、または『戦中の日本の強制的思想管理』の典型のように言うのが『報道人の基本常識』みたいに引き継がれて今日に至っているが、現実はこのオヤジさんたちの姿である。
『現人神』は天皇を崇めるための敬語である。『偉い人だ』という意味にすぎない。
戦後最初の元旦の、通称『人間宣言』には、六年生だったが、『陛下カワイソー、進駐軍に『人間です』って言わされてる。でも進駐軍ってバカみたい』と感じたものだ。
陛下が人間なのは誰にとっても当たり前だったのだから。そう、陛下もそう思っておられた。キリスト教的神と誤解した進駐軍がゴチャゴチャ言っているのを耳にした陛下は、御自分から進んであの勅語を出された。」

 

↑引用以上

 

 プロレス、AKB、アイドルをバカにする人間の愚かさは、天皇に「人間宣言」をさせたGHQのバカさ加減に通じるものがある。

 彼らにとっては、例えば映画の中はフィクションですよ、舞台の上はお芝居で、それを降りたら素の人間ですよ、あるいは、スポーツのように、これはこういうルールで勝ち負けを競ってますよ、という、と~っても分かりやすい世界でないと安心して見てられない。

 そうではない、オンとオフの境目が曖昧藻子とした世界に、自分から幻想にのっかったり、自分なりの愉しみ方を見つけたりすることができないのだ。心のキャパが狭いのである。

 

 アイドルと自分の間に、疑似恋愛的幻想を、幻想と認識しながら楽しむ、という道楽を知らない。みんな幻想と分かっているのだ。アイドルのファンの中に、CDを買ってれば、握手会に行っていれば、そのアイドルといつか付き合えるようになると思っているファンがいるか?()(まあ、そういうのもいるかもしれないが、少数のおかしな者のことまで言うなら、どのジャンルにもおかしなのはいる。)

 ところが、全部を「ガチ」でしかとらえられない哀れな人間は、いつか付き合えるわけでもないのになんで1回10秒、千円の握手会に行くのか理解できない。それならキャバクラ行ったほうがわりがいい、となる()

 世間一般のイメージではアイドルの握手会に行く人間が弱冠危ないということになるのかもしれないが、それをバカにしているタイプの人間こそ、たとえ恋人や配偶者どうしでもお互い幻想を演じているということが分かっていない危ない人間じゃないだろうか。

 

 プロレスファンとAKBファンの共通点=そのジャンルと自らすすんで「共犯関係」になること。

 この世で1番強い絆は共犯関係。

 そして、共犯関係とは、いったんその関係になったらなったら抜けられないものなんですよぉぉぉぉおおおお!

 

(「共犯関係」という言葉の使い方、ならびに最後の絶叫は、週刊プロレスの往年の名物編集長・ターザン山本氏のそれを真似させていただきました)

 

 

 

 


6
最終更新日 : 2012-09-30 23:19:15

3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像

 前項で、「全く逆である」ということを書いたが、このことは、もっと深く考えると、さらに興味深い問題だ。

 

 AKBおよびそのファンをバカにする感覚の持ち主からすると、AKBを見てる人間は、アイドルという虚像を見てる、ホントの生身の姿を見てないバカ、ということになり、俺達は虚像を見ずに、ホントの生身の姿見てるんだよ、ということになるのだろう。

 

 繰り返すが、全く逆である。

 

 彼らは、アイドルとは、お金のこと考えない、純真無垢、名誉欲も性欲もない…その他いろいろ、「アイドル」のあるべき姿=彼らにとっての「ホントのアイドル」という虚像を見ようとしている。「ホントのアイドル」ならば、純真無垢そのものであって然るべき、という前提に立つ。

 そして、それとは違う生身の姿が見えたり、週刊誌に書かれてたりするのを見た瞬間に、それらの姿は彼らが勝手に妄想している「ホントのアイドル」とは違う=「嘘」となる。

 そして、「ファンの奴らよ、ほら見ろ、○○ちゃんは男いるんだよ、引退した××はAVデビューしたよ、△△事務所はこれこれでいくら儲けてるんだよ」とアイドルが「嘘」であることをご教示して下さるというわけだ。

 彼らの見てるものは「ホントのアイドル」にしろ、それとは違う生身の姿=彼らにとっての「嘘」にしろ、両方とも虚像である。「ホントのアイドル」はあり得ない虚像。そして、生身の姿を彼らの妄想している「ホントのアイドル」とは違う「嘘」というおかしな目で見ている時点で、彼らにとっての「生身」も虚像。

 

 AKBのファンは何を見ているか。

「アイドルであろうとする」「生身」の少女達の姿を見ている。

 つまり、全く虚像は見ていない。彼らと違って。

 虚像を見ていないから、生身の姿は「嘘」ではなく、人間らしいリアルな姿であり、本当の汗の匂いを感じ、魅力あり応援したくなる対象となる。

 舞台やステージは虚の世界であることを分かりながら、生身の人間が虚を演じている姿、その歌やダンスを楽しみ、いろいろ悩みや葛藤を抱えながら頑張っている少女達の物語を見ている。

 

 彼ら(バカにする人間)は、「アイドルであろうとする」の「あろうとする」を見ず、あり得ない「アイドルそのもの」という虚像を前提にする目の曇りから、そこから外れる姿=「生身の姿」が「嘘」に見える。

 AKBファンに「現実を見ろよ」と見下す彼らこそが、虚像を見ているがゆえに、現実=ありのままの彼女達=アイドルであろうと頑張っている生身の姿という現実が見れなくなっているのだ。

 

 AKBのファンは勝手に頭でつくりあげた虚像…まさしく虚像…でものを見てないから、舞台、ステージという「リアルな虚像」をありのままに楽しむことができるのだ。

 握手会なども「リアルな虚像」と言えるかもしれない。

 

 この項のここまでの「AKB」は「アイドル」に変えてもいいのだが、夢見る少女達の成長物語を見せるというコンセプトのAKBで説明した方が、より明瞭だ。

 

 実は、ここに説明したことを考えたのは、プロレスに関してだった。

 現在はなくなってしまった「ハッスル」という団体(※1)

レーザーラモンHGやインリンオブジョイトイほか、多数の芸能人をレスラーとしてリングにあげ、おおがかりな演出で、誰の目にもエンターテインメントと分かる路線のプロレスを展開した。

 ある人が、その興行を実家のテレビで見ていたら、親がどうもこれは見てられない、苦手だと難色を示したとのこと。理由として、そこで展開されるマイクアピール(※2)が「見てられない」そうな。

 その親は、ハッスルに限らず、プロレスはショーと認識している、とのこと。それなのにマイクアピールを「見てられない」とはどういうことなのだろう?(・。・)

 かつて自分もそれと同じ経験をした。

 自分がWWF(アメリカの、今や世界一の規模のプロレス団体WWEの昔の団体名。ハッスルもおおいに参考にしたと思われる、大規模にショーアップされたプロレス)のビデオを見てた時のこと。

 ちょうど画面は、テーマ曲が流れる中、リングでハルク・ホーガンが試合後の恒例の、ボディビルばりの筋肉ポーズを四方に披露しているところだったのだが、ある人がそれを見て、苦虫を踏みつぶしたような顔で、不思議でしょうがないというように「何してんの?」と聞いてきた。

 自分は普通に「観客にポーズでアピールしている」とありのまま答えたのだが、それでも「何してんの?」という苦虫顔は治らなかった。

 その人も、普段からプロレスはショーだとさんざん言っている人である、自分と違い、「ショー」を見下す意味で使っていたが。

 これらは一体、どういうことなのだろうかと考えてみた。

 プロレスはショーだと認識しているくせ、マイクアピールやポージングなどの様子を不思議がり、見てられないと言う。

 それこそが不思議だ。

 それを考えていくと、結局、彼らは、プロレスをショーとは認識していないのである。

「ガチンコ」と認識しているからこそ、思い切り観客に向かってポーズをとっているところや、観客に分かるようにマイクアピールしているところを見ると顔をしかめたり、「見てられない」ということになる。

「ガチンコ」という虚像を勝手に見ようとして、それとは違うところは「嘘」と認識して見る。だから「見てられない」ことになる。

「ガチンコ」も「嘘」も、彼らが勝手に自分の色めがねをかけて見た結果の虚像である。

 

 プロレスファンは違う。

 虚像などみていない。

 ありのまま、身体を張って「プロレス」をしているところを見ている。

彼ら(=プロレスを見下す人達)が色メガネをかけて虚像を見ているがゆえに見えない、「プロレス」の技術(=格闘術ではなく、「プロレス」の技術。ロックアップや、アームホイップなど序盤のお決まりのムーブなど…プロレスを知らない人に分かりやすい例を挙げると、世間が「嘘」と見下す、ロープにふられて跳ね返ってくる動き1つとっても技術がある)、とその奥深さ、身体を張って「真剣にプロレスをしている」プロレスラーの「本気」、感動がそのまま見える。

お金を儲ける興行だから「嘘」という、商売嫌いの人達の不思議な色メガネもかけていないので、彼らが見えない、仕事を終えて花道を引き上げていく大きな背中に漂う大人の色気もそのまま感じられる。仕事、興行だから漂う大人の匂いである。

 

 

「天皇陛下なんて、ふつうの人間じゃねえか」

「神話なんて嘘だろうが」etc…。

神話という物語を背負い、天皇というお役目を担っていただいているのが天皇陛下。生まれた時から否応なくそのお役目を背負われ、ご公務や、肉体的負担の大きい祭祀を日々行われている御方である。

勝手に「神話」がガチだとか、天皇は神様そのものという虚像を設定したうえで、それが「嘘」だからと批判するのは、プロレス、アイドル批判の構造そのものである。

 

 

※1 その流れを汲むハッスルMAN'Sワールドという団体が小規模ながら存在している。

 

※2 プロレスの試合前、試合後にマイクを持って、相手への挑発や観客へのアピールをすること。アメリカンプロレスでは昔から喋りも重視されていて、マイクアピールの上手い下手もレスラーの実力の1つとして重要視されていたが、現在は日本でも、マイクアピールのない興行など皆無といっていいほど、プロレスの重要な小道具となっている。

大仁田厚は、マイクアピールの上手さもあって、弱小団体からメジャーな存在になった。

余談だが、かつて、女お笑い芸人のまちゃまちゃがお笑いネタ番組「エンタの神様」で「摩邪コング」というキャラクターで、プロレスラーのマイクアピールをモチーフとしたネタでブレークした。ウィキペディアによると、彼女は女子プロレスラーのさくらえみと小学校の同級生だそうである。

 


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最終更新日 : 2012-09-30 23:20:23

4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間

 アイドルにハマっている、握手会で言葉を交わして喜ぶ、プロレスが好き、こういう人間は、世間一般ではそれらの「嘘」に騙されている、という見方をする者が多い。

 そんなものの「嘘」を「本当」だと思っているおめでたい人間だと。

 

 全く逆ではないか。

 おめでたいのは彼らのほうである。

 

 例えば、アイドルの握手会での笑顔の対応をことさらに「営業」「嘘」という者は、裏を返せば、ふだん自分達が日常で交わしている言葉は「本当」だと思っているのであろう。

 

 アイドルの笑顔が「嘘」なら、あなたが恋人に言われる「愛してる」は、「本当」なのか?

 プロレスが「嘘」なら、新聞・テレビ(=記者クラブマスコミ)の報道によって映し出しされている我々の社会の姿は「本当」なのか?

 

 彼らは、それらが「本当」だと思っているから、本当と嘘が重ね合わさっている、つまり我々の社会、人間関係そのものを凝縮して見せているようなアイドルとかプロレスの世界をことさらに「嘘」と攻撃したくなるのだ。

 

 それに引き換え、この社会、人間関係のホントとウソの姿を十分認識している者は、その雛型のようなアイドルやプロレスの「嘘」(自分はそれを「嘘」と言うのは違うと思うのだが、アンチプロレス・AKBの言葉を借りて表現した)も呑み込んで楽しむことができる。

「『嘘』と割り切って楽しむ」とかいうことではない。それは誰だってできる。だから、最初から「嘘」が前提のテレビドラマ、映画は誰だって楽しむことができる。

「割り切る」のではなく、むしろ、「嘘」があるからこそ、豊かで、人間くさく色気があり、熱狂できるのだ。

 


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最終更新日 : 2012-08-25 22:43:07


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