目次
はじめに・出版社の方へ・目次
<2013.5.7追記、お詫び>
はじめに
出版社の方へ 紙の書籍としての出版先募集してます
目次
第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由
3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像
4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間
5 天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ
第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
6 AKBの核・劇場公演とは?
7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ
9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる
10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由
11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」
第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
13 格闘技のリアリティ
14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上
15 アイドルこそは最もリアリティある世界
16 リアルとリアリティの違い
17 人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス
18 虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生
第4章 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
19 ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇
20 国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段
21 天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない
22 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
23 「人間」を観るジャンル
24 「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を
第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
25 AKBの歌のベースは 色即是空 
26 AKBの楽曲の世界
27 “AKB顔”
28 少女達の大人数集団の独特の魅力
29 共同体と個人競争の社会
30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室
32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力
33 サプライズは人間ドラマの花形
34 共同幻想
35 偏見が熱気、パワーを生んでいる
36 「商売」が嫌いなアンチ達
第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB
37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ
38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念
39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない
第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗
41 AKBの尋常じゃない汗の量
42 アイドル、プロレスラーの「実力」
43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス
44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景
45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している
46 推しメンとファンのプロレス
47 乃木坂46
48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間
第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
49 既成概念でしか物事を捉えられない人々
50 ジャンルそのものを見下す愚かさ
51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍
52 軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号
53 アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン
54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性
56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人
57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像
終わりに、参考文献、奥付
終わりに
参考文献
奥付

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47 乃木坂46

 2011年は、AKB48がスタートして、6年。

 スタート時は、毎日、常設劇場で公演をし、毎日会いに行けるアイドルという新しい試みに、試行錯誤しながら今のかたちが出来上がっていったわけだが、同時に、ファンがAKBを楽しむスタイルも、運営側の試行錯誤と共に徐々に築かれていったものと思う。

 アイドルたらんと歌にダンスにトークに努力する(また、AKB卒業後の歌手や女優を目指す)、夢を追う少女たちの成長をすぐそばで目撃し、しかも握手会などで直に励ますことができ、「推しメン」を決め、メンバーからも認知されて…。

 そういう、AKBの愉しみ方、AKBというジャンル、文化が既に確立して数年たって社会現象にまでなっていた2011年に、AKBの「公式ライバル」として「乃木坂46」がスタートした。他の姉妹グループと違い劇場公演はないが、秋元康がプロデュースし、多人数(36名でスタート)で、曲ごとに選抜、センターが選ばれるというアイドルドキュメンタリーを見せてくれるという部分ではAKBのそれを踏襲している。

 すでにAKBというジャンルが確立したうえでの、そのようなグループのスタートだったので、ファンは最初から、そういう愉しみ方を踏まえて応援している。

 AKBは劇場公演でスタートし、それを基盤としながらCDデビュー、様々なファンとの交流イベントを経て、メンバーのキャラクターを、魅力を表現する場として冠番組も出来て行ったのだが、乃木坂46は劇場公演もなく、CDデビューする前に、まず冠番組「乃木坂ってどこ?」(テレビ東京 日曜深夜0時~0時半)がスタート。

 ファンを招いての最初のイベントは「お見立て会」:メンバー1人1人が3分ほどの持ち時間で自分のアピールをし、ファンはその中の1人を「暫定推しメン」としてアンケートに記入し、退場時に「暫定推しメン」と握手して帰る、というもの。来たファンにはこのイベント限定で「ファンの証」を発行。

 その後も、デビュー以前に握手会等のイベントを数回行い、東京での握手会にはデビュー前にも関わらず長蛇の列が出来た。

 曲のデビュー前から番組やらイベントなど…と憤慨するとしたら、従来のジャンルの概念にこだわる思考回路の持ち主だろう。元々は歌というジャンルから派生していったアイドルというジャンルだが、いつまでも曲ありきでなければいけない、などという決まりなどない。

 人間そのもののキャラクターを観る、ということがメインになったっていいのである。

 最終的に見る側になんらかの楽しみなり何かをもたらせばいいのであって、既成の概念の定義に基づいてしか物事を楽しめない人間は、それはそれでそういう流儀で物事を見ていればいいが、既成概念にとらわれずに自由に物事を見ている人間を非難する必要はない。

 

 既成概念にこだわる必要はないが、すでに確立された楽しみ方を踏まえてサービスを提供するのは悪いことではない。劇場公演がない、という大きな違いはあるものの、AKBというジャンル、楽しみ方が確立されていたからこそ、デビュー前からの乃木坂の仕掛けがあったと言える。

 特にそれは数度行われた「お見立て会」に集約されているだろう。

 まず、イベントの名称が、推しを決めるべくメンバーを見立てようという主旨がそのままズバリ。

 「推し」を決める、誰々を「推そう」、というのは「ファンになる」というのとは少しニュアンスが違う。

 「ファンになる」が受動的な感覚であるのに対して、「推す」というのは、ハッキリした意思だ。(※1)

 このメンバーを応援して一緒に夢を見る、あるいは、握手会やブログのコメントで交流を持って、そこから元気や喜びを得られるかどうか、それらを考えて見定めて、意思をもって「推そう」と決めるのだ。単純に顔がかわいいとかタイプだとかだけの問題ではない。

 従来のアイドルの概念だけで「AKBってそんなにかわいい奴いねえじゃねえか」と言う者にはそこが分かってないのだろう。(※2)ルックスや歌唱力だけでファンになるのなら、一度ファンになれば、ずっとそのメンバーのファンなのだろうが、AKBにおける「推し」はそういうことではなく、それも含みながらも各メンバーの成長や、彼女との交流という、変化していくものを楽しむものであるから、やはり変化がある恋愛において別れや出会いがあるが如く、「推し変」することはよくあることだ。(※3)

 そこを分かっているから、お見立て会の段階でアンケートに記入して握手して帰るメンバーは「暫定推しメン」だ。自分もお見立て会の時に決めた暫定推しメンから推し変してしまっている。

 

 そして、「ファンの証」の発行。

 AKBを古くから応援しているファンを「古参」、新しくハマったファンを「新規」と呼ぶ。

 特に境目が定義されているわけではないが、2011年にファンになった自分などは、少なくとも2012年の現段階では「ド新規」である。

 そういう、新規のファンが共通して思うこと。

「もっと昔から見とけばよかった…。」

 AKBは1つのジャンル、文化であり、同時に1つのドラマでもある。観客がなかなか埋まらなかった劇場公演を経験し、やがて満員になり、メンバーの卒業、加入、昇格、選抜総選挙、メンバーの人気の浮き沈み…。それらを、最初はAKB自体が全く人気がなかった状態から徐々に花咲く過程を、一緒になって夢見て応援しながら見ていたかった…という思い。

 特に、2010年以降は大ブームによって自分のような新規のファンが大量に誕生した。

「古くから見ておけばよかった…!」

 そういう思いを持つたくさんのファンの前に現れたのが乃木坂46である。これは、今となっては果たせないその思いを果たせる機会の到来である。

「乃木坂古参」になれる…!

 もちろん、成長していく様を最初から見て応援したい、というのは心の問題であるのだが、やはり「最初から見てた」という証はあった方が嬉しい。ビッグになった時に自慢したい、というやらしい気持ちも含めて()

 であるがゆえ、最初のイベント「お見立て会」参加者のみに発行される「ファンの証」が嬉しい。

 

 その後、CDデビューする数カ月前からメンバー全員がブログを開始してからも、多くのファンが推しメンのそれにコメントを書き込み、握手会も盛況だ。

 

 要は、乃木坂46の出現と、デビュー前から彼女達と交流するファンは、すでにAKBという楽しみ方、ジャンル……AKBという新しい文化が確立した証明なのだ。

 

 そう言うと、乃木坂のメンバー達は「私達はAKB人気の副産物なのか…」と気を悪くするかもしれないが、もちろん、メンバー、グループに応援する魅力がなければ「乃木坂古参」になるべくデビュー前から馳せ参じたファンも離れて行く。

 しかし、そこはAKB人気の影響はファンだけでなく、アイドルを志望する女の子達にも当然影響し、乃木坂オーディションはこれまでのどの48グループのオーディションよりも多い3万8千人超という超激戦になり、そこから選ばれた33名(※4)だけに、どのメンバーもそれぞれ個性を十分に持っており、本当に応援しがいのあるグループになっている。

 

 もちろん、今後の展開もAKBとはまた違った軌跡を描いていくに違いない。

 既成概念に縛られることなく時代を切り開いていく天才・秋元康のプロデュースのもと、これからの展開が楽しみである。

 

 

※1 お見立て会では、メンバーの顔写真、名前の横に空白のメモ欄がある用紙が配られた。まさに、メンバーをしっかり見立てて下さい!という運営側の意思の表れだ。

 

※2 作品の素晴らしさや、劇場公演の良さも分かってないだろうが。

 

※3 AKBに入る前(今も?)にアイドルヲタクだった指原莉乃は「推しは変えるものではなく、増やすもの」という名言を吐いている。番組や劇場公演をチェックし続けた結果、ルックスだけでは分からない、メンバーのそれぞれの魅力に気付いていくのである。

 

※4 36名でスタートし間もなく、辞退で33名になった。

 

 

 


51
最終更新日 : 2012-08-26 00:17:19

48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間

 握手会で推しメンに

 

「もう2年彼女がいないんだけど、どうしたらいいと思う?」

と聞いたら、

 

「それは、あれですよ!……私と出会うためですよ!(ドヤ顔)」

 

と言われたファンがいる。

 

…自分だけど(笑)

(ちなみに推しメンとは、乃木坂46の自分の推しメン、せいらりんこと永島聖羅ちゃん)

 

 こういう会話を人に話すと「それはどうなの?(^_^;)」とか「そういうの真に受けるやつもいるかもね」

的な反応をされたりするのだが、どうもその感覚が分からない。

 

 ここでも、物事を「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない人っているんだなあと感じる。

 

 そもそも!

 握手会の10~20秒で、その質問に対して真面目な解決策を考えて答えてもらおうとは思ってない…当たり前だろう(笑)

 聞かれたほうもそれは当然分かっている。質問というか、こっちがふった話の種に短い時間で、どういうインパクトのある、面白い答えが返ってくるかを楽しみに聞いているのであって、このばあいの「私と出会うためですよ!(ドヤ顔)」は100点満点の答えだろう。

 

 「ガチ」か「嘘」かしかない人には、その答え聞いてデレデレしてる自分に対してアホかと言うんだろうけど…まあ、ツッコミとしてのアホかっ!ならいいんだがそうではなく、軽蔑の眼で、「そんなの嘘に決まってるだろう」と。

 

 あのですね、では、あなた方の言うところの「嘘」でないリアルであればデレデレしてもいいんでしょうか?

 

 もし知り合いの女に「私と出会うためにあなたはこの2年彼女いなかった!」とガチで言われたら、ただデレデレしてるわけにはいかないんであって。

 そこまで熱く惚れられたら、嬉しいと同時に、この人とはうまくいくかなとか、いろんなこと考えちゃいますよ、リアルならば。

 握手会という場で好きなアイドルに…この場合、「嘘」という表現は違うだろと思うのだが彼らが「嘘」というのであれば、仮に「嘘」として…「嘘」であるからこそ、心悩ますことなく、めいいっぱいデレデレを楽しむことができる。

 

 こんなことを説明しないと分からないような野暮な人間が世の中を窮屈でつまらないものにしているのだ。

 

 

 

 


52
最終更新日 : 2012-10-07 23:07:41

49 既成概念でしか物事を捉えられない人々

 第1章 5<天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ>で、アイドルの起こりについて述べた。

 歌謡という世界を母体とし、それと共にありつつも、しかしそこからの新しいジャンルとして飛び出した“アイドル”という世界。

 新しいジャンルと呼ぶか、単に、歌の世界の中でルックスだけで売っているレベルの低いものと呼ぶべきか。それは、提供する側がアイドルという世界をどこまで真剣に追求していくか、そして見る側がそれをどこまで“アイドル”というジャンルとして真正面から受け止めるかによる。

 アイドルというジャンルができていく過程の時期、またできたばかりの時は、その新しく芽生えたジャンルを受け止められない、単に「ルックスだけで売っているレベルの低い歌手」としか見れない人間がどうしたってある程度いる。

 提供側が新しい「アイドル」というジャンルの可能性に気づき、歌い手の、若さ、異性から見た魅力を引き出すための歌、衣装、演出etc.を追求して提供した作品を見て、あ、これはこれまでとは違ってこういう楽しみ方をすればいいんだな、と感じ・気づいて、これまでと違う楽しみ方を構築していく人間達は、既成のジャンルの概念にこだわらず、自由にものを見ているわけだ。

 それと逆に、既成の概念でしか物事を捉えられない人間は、新たな楽しみ方を追求しているジャンルが現れても、従来のジャンルのカテゴリでしかものを考えられないため、既成のジャンルのいづれかの物差しをかざしながら見る。そして、その別のジャンルの物差しで測った結果、それを「本物」ではないと見下す。

 

 そして、時が経って、“アイドル”というジャンルが世間一般から認知されるようになった。

 既成のジャンルのカテゴリからしか物事を捉えられない人間の中にも、“アイドル”は既成のジャンルとなったが故に、捉えられることができる。

 と、そこに現れたのがAKB48。

 せっかく、“アイドル”が誰からも分かるジャンルになったところに、その既成概念にこだわらない一群が出てきたのだ。

 そうすると、やはり既成の概念でしか物事を捉えられない人間は、AKBも既成の“アイドル”というジャンルの概念でしか見れない。

 ゆえに「アイドルなのに」ルックスがたいしたことない、「アイドルなのに」会いに行けるなんて、キャバクラか?etc…。

 劇場でたくさんの少女が毎日のように公演をしながら、夢を切磋琢磨しながら追い求めて行く様を見るというドキュメンタリー。

 いつの時代も、既成概念でしか物事を捉えられない人間は、これまでになかったものには批判するしか能がない。いや、その不自由な考え方で理解ができていないだけなので、批判とすら呼べない。

 

 プロレスを見下す人間が、それをショーと言いながら、プロレスがショー的要素を全面に出しているシーンを見てなぜか眉をひそめるのも(第1章 3<「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像>参照)、既成の概念でしか物事を捉えられない不自由な脳のせいである。「真剣勝負」か「ショー」か。「本当」か「嘘」か。既成の概念「  」のうちの何かでしか捉えられないゆえに、そういう人間にとってプロレス側がプロレスを真剣勝負という建前をとっているということは、プロレスは「真剣勝負」の「嘘」、「真剣勝負」のレベルの低いもの、としか捉えられない。

 

 プロレスとAKBの共通点は、“人間”を見ることだとか、ファンがその世界を支えながら“共犯者”になっていることだとか書いてきたが、もう1つの共通点は、それまでにあったジャンルに当てはまらないものであること。

 ゆえに、既成の概念でしか物事を見れない人間は、その魅力を理解できず、批判とすら言えぬレベルの低い批判を繰り広げる。

 

 天皇陛下をただの人間じゃねえかと批判する者も同じかもしれない。

 彼らにとっては「神様」か「ただの人間」かしかないのだ。

 神話の世界からの物語を背負っておられる人、という、それこそ他に類を見ない概念は彼らの頭にはついぞ浮かばない。

 

 

 

 


53
最終更新日 : 2012-09-01 01:05:40

50 ジャンルそのものを見下す愚かさ

 前項の<既成概念でしか物事を捉えられない人々>の続きになるが、プロレス、AKBを見下す人間は、物の見方、考え方が世間の常識におもねっている。

 まず単純に、プロレス、アイドルは見下すもの、という常識にのっている、というもの。

 そして、世間ですでにレールがしかれている枠内でしか、物事を捉えられない・考えられない・楽しめない、ということ。

 

 スポーツとは、ルールのもとで競い合うのを見て楽しむもの。

 世間でそう認知されている。これは楽しめる。オッケー!

 ショー。たとえば、映画、テレビドラマ。コンサート。舞台。

 あらかじめ決められた台本にそって、演者がやっているのを客席で見て楽しめばいい。オッケー!

 

 プロレス?

 はて、スポーツ…ではないようだ。

 ショー?うん、ショーみたいだけど、本人達は勝負だって言ってるし、実際すごい身体しているし、ファン達もスポーツ見てる時のノリで歓声送ってる。

 

 みんなショーだって言ってて、結果が普通の新聞やテレビで報道されることもない。だけど、深夜とはいえテレビで放送されてて、そこではスポーツの感じで実況してる。

 

 世間的な地位は低いけど、プロレスラーの何人かはテレビ出たりして有名で、そこでも、プロレスは勝負という前提で扱われている。

 

???。

 

 「スポーツ」で楽しめばいいの?

 「ショー」で楽しめばいいの?

 わかんな~い。

 

 アイドル。

 …って何??

 歌を楽しむの?

 それなら、「本物」の歌手の歌聴いたほうがいいじゃん。

 

 ダンスを楽しむの?

 それなら、「本物」のダンス見て楽しんだほうがいいじゃん。

 

 ドラマ?舞台?

 「本物の実力」ある役者使えよ。

 

 会いにいけるのがいいの?

 千円のCDで10秒握手だったら、キャバクラでも行ったほうがコスト的にいいじゃん。

 

 疑似恋愛?

 だったら、「ホント」の恋愛したほうがいいじゃん。

 

 ……これらはいったい全体、何を言ってるのか?

 

 全て、世間で認知されていて、それがゆえに楽しみ方の分かるジャンルを持ちだして、そのジャンルの楽しみ方で比較し、だったらプロレスよりこっちの方が、アイドルよりあっちの方が…と言ってるわけだ。

 

 まったく、ナンセンスとはこのこと。

 

 「アイドル」というジャンルが、まだちゃんと世間で認められていないがために、○○というジャンルはこれこれこういうもの、という世間の定義でしか物事をを考えられない人間、言いかえれば、物事に「自分の見方」「自分の楽しみ方」を見出すことができない人間には、アイドルを楽しむ、プロレスを楽しむ、ということはできない。

 

 楽しみ方の提示はされていないけど、見下し方の提示はたくさんされてるから、既成概念「  」が大切で、「自分」がない人間にとっては見下したほうがそりゃ楽ちんである。

 

そもそも!

「ジャンルに貴賎なし。されど、そのジャンルの中のは超一流から五流まである。」という言葉は、村松友視さんの本で知ったが、自分も、ジャンルそのものを見下す奴は阿呆だと思う。

 プロレスならプロレスというジャンルの自分なりの楽しみ方を見つけたうえで、この団体は好きじゃない、このレスラーはしょっぱいな(※1)、今日の興行はつまんなかった、と批判するのはありだが、ジャンルそのものを見下す、というのは、その人間がそのジャンルを理解できていない、というだけの話だ。(※2)

 

 そして、世間の常識、枠におもねった考え方、見方しかできない人間には、しっかり規定されていない、認められていない(=彼らには楽しむことができない)ジャンルが盛り上がっている、ということは不気味であり、理解できないがゆえに嫌悪し、見下す。

 

 AKBがアイドルの中でも特に攻撃されるのもそう。

 もはやAKBはそのコンセプト、システムからアイドルでありながら、従来のそれからは新しい世界を築いた1つのジャンルである。

 「本物」よりレベルの低い「アイドル」という、世間的地位の低いジャンルの中で、さらになんだかよく分からないシステムで、「アイドルなのに」ルックスもたいしたことない…そして独特のシステム、世界を持っている。

 つまり、一般の人々からはほんとなんだかよく分からない。

 そういう分からないものは、その分からなさなりの、マニアックで少人数で楽しんでるぶんには許せるが、それが国民的アイドルと言われるまでに多くの人間が夢中になってることは許せない、のだ。出る杭を打ちたい、という日本人の短所もそこには作用している。

 おまけに、アイドルヲタクなど、世間一般には阿呆とイメージされている。

 

 そしてそこに、流行を批判する人間は頭よさげであるってことも加わると…

 も~う、たまらん!批判した~~い!! と、ネットの真ん中でバカは叫ぶ。

 

 皇室の場合は、言うまでもなく世間で認知されている。

 本著では、天皇、プロレス、AKB、に共通している点と、それに対する偏見、攻撃のアホさ加減を浮き彫りにする事を主題としているが、プロレス、AKBが一般に見下されているのに対し、皇室は一定の反対論者はいるものの、一般に認められている。

 それにはいろいろ理由があるだろう。

 国民の多くが日本、天皇の歴史を知り、その存在の尊さを理解しているから…ならば喜ばしいが、実際はどうであろうか。

 もちろんそういう国民も多いことはたしかとは思うが、一方、日本史は学校で習ったのみ、世界の王室と比べての天皇の希少性も理解せず、単に、「世間で認められているから」という理由で、支持か不支持かと聞かれればなんとなく「支持する」にしている人も多いかもしれない。

 日本の歴史もよくは知らず、世界の王室との比較での希少性云々は知らずとも、ともかく、自分の感覚で、しっかり自分の考えとして支持を出しているならまだいいと思うし、全く無知であっても、ともかく、被災地を見舞われる陛下とそれに感謝の頭を垂れる被災者の姿を見ていると涙が出てくる…という人のことも否定はしない。

 しかし、日本人の、既存の価値感の枠でしか物事を見れない、権威に弱い傾向を見ていると…本著の主題で言えばプロレスへの偏見や、AKBへのバッシングをしている人間の類は、皇室への支持も、世間の常識におもねっているがゆえ、単に今は皇室が大きな権威で、世間が認めているからなんとなく自分も支持いている…という程度ではないか。

 こういう人間は、この先もしも敗戦級の体制転換があり、その時に外圧等で天皇制廃止の方向で「世間のジョーシキ」が動きはじめたら、あっという間にそれに賛成する可能性が高いだろう。

 

 自由に・物事の本質を見る目を持ちたいものである。

 

 

    1 ダメ、という意味のプロレス業界用語。プロレスの業界用語の多くが、力道山が相撲界から持ち込んだ相撲用語と、アメリカプロレス界から来たものと思われるが、これは相撲から。ちなみに、AKBの握手会でメンバーの良くない対応を「塩対応」といったり「今日の○○は塩でした」などと表現するのは、おそらくここから来ていると思われる。

 

    2 そういうお前は本著の中で、スポーツというジャンルを見下してるじゃないかという声が聞こえてくるが、べつにスポーツそのものを見下しているのではなく、スポーツ=とりあえず押さえておくもの、として、ショーを見下している、プロレス的、アイドル的なものを見下しているジョーシキがむかつくだけ。その意味、気持ちを説明する文脈で、スポーツそのものを見下していると誤解されるような文はたしかにあるが、そこのところを誤解なきようおっかなびっくりの表現で書いても、言いたいことが伝わりにくく、読んでても面白くない。ただ一言、ここでスポーツそのものを見下しているわけではないことを断っておく。

 


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最終更新日 : 2012-10-10 22:30:55

51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍

 自分は、プロレスやAKBを見下す類の人間が嫌いである。

 自分がプロレス、AKBのファンだから、それを見下すのがむかつくということももちろんあるが、それ以上に、「プロレスやAKBを見下す類の人間」そのものが嫌い。

どういうことか?

 要は、ジョーシキや既成概念に沿った考え方しかできない人間が嫌いなのだ。

 そういう人間が、いいことや偉そうなことを話してても、物事の本質を捉えたうえでの見解、その人間なりの考えでものを言っているのではなく、本人は自分の頭で考えていると思いつつも、世間のジョーシキ、既成概念に沿い、それを足がかりにしてしか物を考えられない、感じられない人間だろうと思うのだ。

 

 自分が仕事で出入りしていた大企業のビルで、掃除のスタッフとして知的障害がある人達が働いていた。

 その人達はみな礼儀正しく挨拶をよくしてくれたのだが、中でも、エレベーターに乗ってくる人に必ず「こんにちは」と明るく挨拶してくれる、10代後半くらいの男の子がいた。

 かわいらしい顔立ちのコで、毎回こちらも「こんにちは」と返して気持ちよくエレベーターに乗っていたのだが、このエレベーターに乗ってくる、この大企業の、年齢的にも見た感じ的にもいわゆる偉いさんとおぼしきおじさんで、彼からの「こんにちは」をいつも思い切り無視してるのが何人かいたのだ。

 いわゆる立派な企業人である。

 なぜ無視するのか分からないが…まあ、1日に何度もされて面倒なのかもしれないが、「こんにちは」と言うくらいたいした手間ではあるまいし…おそらく大企業で長年働いて出世してきた彼等はふだん挨拶くらいはできるだろうし、ふだんのオフィスで新入社員が挨拶をしないでおれば、「挨拶くらいできないのか、最近の若者は!」ともっともらしい顔して説教をたれると思うし、自分の子供たちにも挨拶はきちんとしなさという教育はしているだろう。

 しかし、知的障害の男の子の挨拶は無視する、無視してもいいと思っている人間の「挨拶しなさい」という考えはなんだろうと思うのだ。

 同じ場所で働く人間どうしが、最低限のお互いの人間愛のようなものを確認し、

人間どうしが気持ちよく接するため…という挨拶の本質(あくまで自分なりに考えたところのものだが)など関係なく、ただ、「立派な大人に見せるには挨拶するものだ」というジョーシキに沿っているだけではないのか。

 だから、立派な大人に見られずともビジネスその他に差しさわりのない者の挨拶は無視すると。

 

 こういう人間は、さらに言うなら「人殺しはいけない」も、人間愛に基づいたものではなく、この社会のジョーシキでやってはいけないことになっている、やれば「立派な大人」から脱落するからやってはいけない、程度の認識しかないのではないかと思ってしまう。

 つまり、侍が町人や農民を斬ってもいい時代、それが「ジョーシキ」だった時代に侍として生まれていれば、しょうもない理由で平気で人を殺しているのではないかと。(※1)

 

 そういう「立派な大人」は、自分の想像では、自分がそれを見て楽しめているのか、あるいはその人間なりに何かを感じているかは関係なく、とりあえず世間の人がおさえていること・認めているものはとにかく知っておかねばならぬと、メジャースポーツはチェックする類の人間…村松友視氏が「私、プロレスの味方です」で書いていたように、ボクシングというスポーツそのものには全く興味がないのに、メディアが大きくとりあげる世界タイトルマッチだけは注目する類の人間だ。

 

自分の中では、

 

知的障害者の挨拶は無視する「立派な大人」、

政治社会は見事に新聞・テレビの世論誘導にのる類の人間、

「ジョーシキ」は疑うことなく信じる人間、

たいして好きでなくともメジャースポーツはひととおりチェックしながら、プロレス、AKBは見下す人間

 

 …これらはだぶって見えるのだ。

 

 

※1 「切り捨て御免」という言葉がよく知られる江戸時代は、実際には武士であっても、罪もない民を斬れば、詮議されてお咎めがあった、そういう記録が残っているという話を読んだことがある。そういう事実はおいといて、ここではあくまで自分の感覚を説明するための例え話としてあげた。

 


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最終更新日 : 2012-08-26 00:19:53


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