目次
はじめに・出版社の方へ・目次
<2013.5.7追記、お詫び>
はじめに
出版社の方へ 紙の書籍としての出版先募集してます
目次
第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由
3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像
4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間
5 天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ
第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
6 AKBの核・劇場公演とは?
7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ
9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる
10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由
11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」
第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
13 格闘技のリアリティ
14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上
15 アイドルこそは最もリアリティある世界
16 リアルとリアリティの違い
17 人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス
18 虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生
第4章 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
19 ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇
20 国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段
21 天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない
22 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
23 「人間」を観るジャンル
24 「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を
第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
25 AKBの歌のベースは 色即是空 
26 AKBの楽曲の世界
27 “AKB顔”
28 少女達の大人数集団の独特の魅力
29 共同体と個人競争の社会
30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室
32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力
33 サプライズは人間ドラマの花形
34 共同幻想
35 偏見が熱気、パワーを生んでいる
36 「商売」が嫌いなアンチ達
第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB
37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ
38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念
39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない
第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗
41 AKBの尋常じゃない汗の量
42 アイドル、プロレスラーの「実力」
43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス
44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景
45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している
46 推しメンとファンのプロレス
47 乃木坂46
48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間
第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
49 既成概念でしか物事を捉えられない人々
50 ジャンルそのものを見下す愚かさ
51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍
52 軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号
53 アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン
54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性
56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人
57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像
終わりに、参考文献、奥付
終わりに
参考文献
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54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される

 芸能人にプロレスをさせるなどエンターテインメント性を前面に押し出したプロレス団体「ハッスル」(第7章 40<嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗>参照)において、タレントで、当時、春風亭小朝との離婚でワイドショーをにぎわせていた泰葉のハッスル「参戦」記者会見が行われた。

 泰葉の試合に向けたストーリーを絡めたあれこれ…マイクアピール合戦などが記者会見の席で展開されたわけだが、そのやり取りの後、一般マスコミのレポーターのお姉さんがキレ気味に発した一言が、

 

「これも演出ですか!?」

 

だった。

 

「いえ、違います。」と泰葉のマネージャー氏が答えていたが、レポーターのお姉さんのその質問を聞いた自分の頭は、

 

…。

 

…。

 

なんというか、…。である。

 

「これも演出ですか!?」??

 

 泰葉…40代後半の、格闘技素人のおばさんが、安生洋二という男のプロレスラーと対戦する、という記者会見である。

 

「演出ですか!?」、とは??

 

 それにプラス、安生は、アン・ジョーというキャラクターになり、カタコトの日本語で泰葉を挑発し、それに高田延彦扮する高田モンスター軍「高田総統」も絡んで、1人の素人おばさん相手に潰すの潰されるの倒すの倒されないのとやっている、その後に

 

「演出ですか!?」、とは??

 

何が言いたいのか、全く理解できない。

 

そういう質問をするということは、このレポーターのお姉ちゃんは、これが1%でも「ガチ」だと思っているのだろうか?

しかも、なぜキレ気味!?

 

普段、大人なプロレスファン相手にしているハッスル、この質問には面食らっただろう。

 

同じくハッスルで、やはり当時ワイドショーを賑わせていた狂言師の和泉元彌が「参戦」した時。

 和泉がWWE(※1)で活躍していた日本人プロレスラー・KENZOに「空中元彌チョップ」で勝った試合が放送された翌日、

 

 女が2人、

「あれさ~、空中元彌チョップとかって絶対嘘だよね~。」と話しているのを耳にした。

 20~30代くらいのれっきとした大人の女性!である。

 

 前述のレポーターのお姉さんの発言と聞いた自分の頭は「…。」であったが、これは「!!」である。

 

 プロレスのことを全く知らない方たちだったとしても、格闘技素人のおっさんが、プロレスラーを相手に1対1で試合をする、という時点で何かこう、頭のスイッチの切り替えが行われなかったのか不思議なものであるが、既存のジャンルの概念にしかスイッチの行き先がなければこうなってしまうのであろうか。

 

 テレビで見た感想を話していたのであるから、試合を見てるはずなのだが、その試合の冒頭はこうである。

 

 当時、スケジュールの「ダブルブッキング」でイベントをヘリコプターで移動して間に合わせたことでワイドショーの話題になっていた和泉元彌。

 試合前、元彌がまだ会場に到着していないことに対し、元彌ママがインタビュアーに「大丈夫です、ダブルブッキングもキャンセルもございません!」と言い切る様子が映像で会場とお茶の間に流される。

 リング上では、先に登場した対戦相手のKENZOがしびれを切らせる中、なかなか登場しない元彌…。

 と、その時、会場の横浜アリーナ内に、ヘリコプターのプロペラの轟音が!!

 そこに、「遅刻もダブルブッキングもござらぬ~!!」ヘッドマイクを通して朗々と響き渡る狂言師の声と共に、会場の隅から空中に出現したハシゴと共に、元彌が出現!!またもやヘリコプター?移動で間に合った…。

 試合では、「みどもはここじゃ~!闘え~!」マイクで拾われた元彌の素晴らしい声が館内に響き、何度もプロレスラーの力技でピンチに陥り、「狂言の未来が危うい!」とアナウンサーが実況する中、最後は、トップロープからKENZOの肩に飛び乗って、以前から予告していた必殺技「空中元彌チョップ」を振りおろし、崩れたKENZOを元彌がフォール!

 かくして狂言の未来は守られた…。

 

 泰葉のプロレス参戦会見にキレるレポーター、空中元彌チョップって嘘だよねと話すお姉さん達、両方とも「プロレス」という概念が頭にないのはしょうがない。

 しかし、この展開を見ているどこかで、頭の中にそういうジャンルの概念が生まれなかったのか?いや、概念がどうとか難しい話ではなく、「これはこういう見方で楽しむジャンルだ」ということは分からなかったのか?

 空中元彌チョップが嘘というお姉さんは、入場時に鳴り響いたヘリコプターの爆音をどういう思いで聴いていたのか?()いや、そもそも普通の体格をした格闘技素人の狂言師がプロレスラーと闘うという話の時点で何か感じなかったのか?

 

 

 さらに言うなら、何と言うか、こう…もうちょっと物事をおおらかに見れないものだろうか?

 プロレスやAKB、アイドルの「嘘」にことさらキレたり、楽しめないタイプの人は、既存の価値観の枠でしか物事を考えられない傾向にあるので、これ即ち、世の中の本当の嘘にはとても鈍感な人のような気がする。テレビ、新聞の世論誘導であるとか、時代を支配している価値観を信じて疑うことを知らないような。

 頭の中には、いろんな、既存の概念の形にくり抜かれた木の箱があり、その形にはまるものだけがすっぽりとそこに収納され、その形にないもの(プロレス、AKBなど)は固くて冷たい木の表面にはじかれ、まとめてガラクタ収納袋に入れられる。

 そして、政府、テレビ、新聞の世論誘導というものは、人々の頭の中の既存の形にスッポリ入りやすいように形作られている。たとえば悪者に仕立て上げたい人物であれば「悪者」の形になりやすいように…いわゆるステレオタイプというもの。

 

 既存の概念というものは、物事を考える足がかりにするための道具として使う分にはいいのだが、その道具がイコール真実だと考えると大間違い。

 言葉はしょせん道具でしかなく、真実そのものではない、というのと同じこと。

 

 

 前述のお姉さん達と対照的なプロレスファンのリアクションを1つ挙げてみよう。

 かつて、闘龍門という団体で、イタリアンコネクションという、「イタリア人キャラ」のユニットがあった。メンバーはイタリアとは縁もゆかりもない日本人レスラー達なのだが、それぞれミラノコレクションA.T、コンドッティ修司、ペスカトーレ八木などというリングネームを名乗り、コスチュームその他もイタリアな感じで活躍した。

 そのイタコネが、ある日、後楽園ホールで試合後にマイクを握った。

 何を言うのか、固唾を飲んで見守る観衆…。

 そして、衝撃的カミングアウト

 

「すみません、実は僕達………日本人だったんです!」

 

 その言葉が出た次の瞬間、ホールを埋めたプロレスファン、一斉に

 

「え~~~~っ!!!!」

 

 これがプロレスファン。

 一瞬のうちに、レスラー達の仕掛けの意図を読み、自分達がそれにどう乗っかっていくか判断して、驚きの声をあげる。

 この後、順番にミラノコレクションATの出身地がミラノではなく岩手県盛岡市だったことや、誰それの実家が何県のパン屋だったことなど、「衝撃的」なカミングアウトをするたびに「驚きの声」をあげるプロレスファン達。

 

 当たり前だが、「実はこれは嘘で、こういうふうに楽しむものなんです」なんて説明を誰にされたわけでもない。

 この「カミングアウト」を伝える「週刊プロレス」にも、そんな説明は全くなく、観客の反応を含めた、ことの一部始終が書かれているのみ。

 

 自分は、プロレスの世界にどっぷりつかっていて、そういうのが大人の感覚だと思ってるから、泰葉参戦に「演出ですか!?」とキレる人の感覚というのが、どうにも理解できないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


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最終更新日 : 2012-09-01 01:10:16

55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性

 プロレスは、その試合内容が昔に比べ、格段に進化している。

 海外のプロレスもそうだが、ここでは、日本のプロレスについて。

 エンターテインメントにおいて進化とかどちらが面白いといったことは、見る人の好みや着眼点においても違うので、いちがいには言えない。

 昔のプロレスのほうが、間をしっかり取り、技を大切にし…と、よかったという見方もある。自分も今のプロレスの嫌いな点や、昔に学ぶべき点を挙げようと思えば、たくさん挙げられるが、ここではそれはおいておくとして、少なくとも、一見さんが見た場合、今のプロレスの方が面白いことは確かだろうし、いろいろあるにしても、昔から今に向けておおむね進化してきたといってよいと思う。

 プロレスを知らない人に、プロレスの進化って?と聞かれてごく簡単に答えるとしたら、試合が面白くなり、その他、煽り映像の発達や全体の進行など、興行全体の満足度があがってきているということである。

 

 その進化には、エポックメーキングというべきプロレスラーの存在や新しいスタイルの登場があった。

 猪木の“ストロングスタイル”  藤波のジュニアヘビー級路線  長州率いる“維新軍団”のハイスパートレスリング  四天王プロレス  大仁田厚の明るい、ロックテイストのデスマッチとインディー団体の成功  などなど。

 

 この項で取り上げたいのは、新生UWF(※1)の登場である。

 知らない方のために説明すると、1988年に「スポーツライクなプロレス」「ショー的要素を排除した真剣勝負」という触れ込みで旗揚げされた新団体で、一時はちょっとした社会現象になるほどにブームになった。

 

 そのUWFも、多くの人が知るとおり、そして、総合格闘技の練習が各地のジムでできるようになった現在、そこに通う小中学生が見ても分かるとおり、真剣勝負ではなかった。

 だが、UWFの登場とそのブームは、思いもよらない影響を既存のスタイルのプロレス団体に及ぼした。

 UWFの「これまでのプロレスと違ってUWFは真剣勝負」という宣伝戦略と、真剣勝負の格闘技ではなかったにしろ、それまでのプロレスとはかなり違った、格闘技の技術を大きく取り入れた攻防を見せたことにより、それまで既存のプロレスを真剣勝負(あるいは曖昧なもの)と見てきたファンの多くが、少なくとも、既存のプロレスがガチンコではない、という認識を持ち始めた。

 

 それまでのプロレスはショーではあったが、見ている人の多くがガチンコという目で見ているという前提にたったショーであった。

 つまり、プロレスをエンターテインメントとして見、その満足感を求めて来ているファンを満足させて帰さねばならない今のプロレスに比べれば、ある種の甘えがあった。内容的につまらなくても、勝負なのだから仕方ない、と言えたということだ。

 不完全燃焼な試合や、スター選手どうしの対戦での、両者の価値を保つための引き分け(※2)、不透明決着(※3)は、新生UWFの登場の少し前から減って来ている傾向にはあったような気はするが、それ以降は決定的になくなった。

 真剣勝負だからそういう結果になることもある、とはいかなくなったのだ。

 ファンが既存のプロレスがガチンコではない、という認識を持ち始めた以降の既存のスタイルのプロレス団体は、「エンターテイメントならば、面白い試合、見応えあるプロレスを見せて満足させてくれよ」という当たり前の期待をまともに受けることになり、それが、試合、興行をどんどんレベルアップさせる原因の1つになった。

 

 「プロレス」を「プロレス」として真正面から認識して見る目がプロレスをレベルアップさせたのだ。

 

 アイドルの楽曲、ダンスのレベル、そしてアイドル達のトーク力やバラエティ番組での対応力も、昔からどんどんレベルアップし、特に曲やダンスのレベルはアイドルによってすごいものになっていると思う。

 

 自分はプロレスは子供の頃からずっと30年にわたって情報をチェックし会場にも足を運んでいる、1ファンではあるがプロレス村の村民という意識はある者だが、芸能界に関しては普通の平均的な日本人よりうとい。2011年にAKBによってアイドル道楽に開眼する(本当に、新たな世界が開けた気持ちだ)までは、アイドルに関しても人並み以下の知見しかなかった。

 以下に述べることは、あくまで自分の思うところのアイドル進化史だ。

 

 日本で言うところの“アイドル”が誕生した流れについては第1章 5<天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ>で触れたが、70年代に、歌が主役ではなく、異性としての、歌っている若い女(or男)が主役、という売り方をする歌手が登場してくる。

 そこでは、便宜的に“アイドル”という言葉が生まれたものの、まだ、プロデュース側にも、アイドル本人にとっても見ている側にとっても、新しく出てきた1つの“現象”に対し、手探りな状態であった…プロデュース側には、はっきりした指針なりがあったかもしれないが、受けとる側がまだ未成熟な状態であれば、この段階では“アイドル”を売っているというより、歌手を“アイドルという売り出し方”で売っているという状態にとどまっていたと言っていいだろう。

 

 それが80年代、松田聖子とそれに続くアイドルの登場で、“アイドル”というジャンルとして世間に認知され出した。

 しかし、その頃、それを受け取る世間一般の見方は、「かわいい(orかっこいい)だけの若いコを、それ目当てで見てる若者に売り出している、レベルの低い歌手」という、蔑んだ目が色濃くあったことは確かだろう。

 時は、高度経済成長を成し遂げ、バブル前夜、右肩あがりのイケイケな時代。

 1980年に小学生になり、80年代を~中学生~高校生として過ごした自分は、いわば80年代的時代背景を、その時代の独特の特徴としては捉えず、それが当たり前、という認識で育っていた。遊んでいる人間がカッコイイ、真面目は人間はダサい。その時代の気分を一言で表すなら「遊ぼうぜ!」だった。

 チャラチャラ遊ぶことがかっこよかった若者、そしてそれを戦争を体験した老人世代、真面目一筋で高度経済成長を支えてきた中年世代が苦々しく見ていた時代。

 そんな時代にアイドル豊作の年といわれた82年組を中心としたアイドル達は、あくまでチャラチャラしているのがかっこよく、それを支持しているのは圧倒的にティーンネジャーであり、中年のファンというのは少数だったように思う。というより、ほとんどの中年達が「あんな歌も上手くないのに顔だけでテレビで出ているやつらの何がいい」という目で見ていたのではないか。

 現在、AKBやその他アイドル(男性アイドルにも)に中年のファンがザラにいるのとは大違いだ。

 しかし、真面目がダサく、チャラチャラヒラヒラしたものがかっこよかったティーンネイジャーにとっては、堅苦しい大人達に苦々しく苦言を呈されている、というのは、若さとかっこよさの箔付けだった。

 アイドルは歌が下手でよく、特にさしたる芸もなくてよく…それが支持される時代には、当然、売り出す側もそういうアイドルを売りだしていた。

 

 歌手のかわいさやかっこよさという売り出し方を始めた70年代、そして、80年代は、若者の買い手側が、芸が未熟でかわいい・かっこいい若者を“アイドル”として認知し、大人に眉をひそめられながらティーンネイジャーを中心とした若者がそれらを買った時代。

 

 そして、バブル崩壊でチャラチャラしたものカッコ良いという感覚は徐々に薄まり、90年代は、「本物」志向が出始める。

(偶然か、新生UWFの活動期間は1988~1991年)

 

 歌の世界も、それまでの歌謡曲がJPOPと呼ばれるようになり、アイドルは80年代に比べ、完全にその存在感を薄くした。

 90年代に売れた音楽を思いつくままあげると…

 小室ファミリーや、ミスチル、RB、ヴィジュアル系と呼ばれるバンド、後半には椎名林檎、宇多田ヒカルなど…。

 それらを「本物」の音楽と呼ぶかどうかは人それぞれだが、少なくとも、アイドルという、“歌い手”(80年代のそれは特にルックス重視で、チャラチャラした時代の気分を反映したいた若者)を買うのではなく、それぞれの音楽の嗜好のもとに、好きな“音楽”を買っていたといえるだろう。

 

 そして、バブル崩壊から全く立ち直らぬままさらなる不況へと突き進んだ00年代。

 不況が一時的なものではなく、全く先が見えないトンネルに入った中で、人々は明るさを求め始める。しかし、いかんせん不景気で、80年代のチャラチャラ遊ぼう嗜好にも戻れず…。

 そんな時代に、モーニング娘。をはじめとした、ハロプロのアイドル達が、アイドルの息を吹き返し始める。

 その特徴は、80年代に認知されていた、芸は未熟だが、かわいい・かっこいいで売っていた、同年代の若者達だけをターゲットにしたアイドルではなかった。

 明るさを求める時代背景をもとに、若くてかわいいアイドル、は前提条件としてあるが、そこに、90年代の本物志向を経て、また、長引く不況で本当に価値を認めたものにしか財布のひもを緩めない傾向で、“本物の”“アイドル”が生まれる土壌になった。

 つまり、若くてかわいい女の子の魅力を売りにしつつも、それを最大限に引き出し楽しむための楽曲、それを表現するための歌唱力、大衆を楽しませるためのダンス(80年代のアイドルのそれは、「振付け」と呼ばれるにとどまっていた)

 さらに、アイドルの売りの「若くてかわいいコの魅力」のそれは、70年代までは清楚でお人形さんのようなかわいさ、つまり基本的にはマイクの前でお行儀よくニコニコ歌っていればよかった。80年代は、イケイケの時代の中、明るく元気よく、難しいことは考えていないふうのアイドルが求められた。

 00年代は、違う。

 出口の見えない不況が続き、若者の価値観は「真面目に頑張っている人」こそかっこ良いというものになっていて、それは当然、アイドルにも求められた。

 モーニング娘。は、バラエティ番組の企画オーディションで落ちたメンバーで結成され、インディーズCDを5日間で5万枚完売すればデビューできるという条件のもと、デビューまで頑張るメンバーの姿が番組で放送された。(00年代~としてまとめて書いてるが、実際にはこれは97年)

 80年代にこれをやっても「ダサい」「暗い」で全く受けなかったろうが、頑張ることがカッコ良いという時代で…カッコ良さというよりも、そういう姿に人々が希望を感じる時代になっていたのだ。

 つまり、同じ若くてかわいいコの魅力を売るのでも、昔と違い、ひたむきに頑張る人間像が売れたのだ。

 求められる歌唱力のレベルがあがり、ダンスが激しくなったのは、本物志向もあるが、もう1つ。

 同じ「楽しむ」という感覚においても、80年代は、若くてかわいいコがかわいく歌を歌っていれば、時代自体が浮かれていたので、あとは勝手に盛り上がれたのだ。

 しかし、90年代後半以降はもはやそうはいかない。

 沈んだ世相は、しっかり盛り上がるサウンドで、激しい、面白いダンスをきっちり用意しなければ盛り上がれない。トークも然り。

 誰でも就職できた時代と違い、何かもってないとなかなか就職できない時代背景も、アイドルにも何か頑張って身につけたものを要求する原因になっているのかもしれない。

 

 要約すると、00年代以降は、アイドルならば、アイドルというジャンルをしっかり認識し、アイドルのプロを求める時代になったということだ。

(アイドルのプロとは? 第7章 42<アイドル、プロレスラーの「実力」> の項を参照)

「プロレス」を「プロレス」として真正面から認識して見る目がプロレスをレベルアップさせたのと同様だ。

 

 

 ひるがえって、皇室。

 現代ほど、日本の歴史上、一般大衆に「皇室とは何か?」という問いかけが真正面から突きつけられている時代はない。

 明治維新以前まで、一般大衆が皇室をどれくらい認知し、どういう皇室観があったかは機会があれば勉強してみたいが、ともかく、その皇室観を時の権力者に表明したり公に影響を及ぼす手段は基本的になかった。

 明治維新後~第二次大戦敗戦までは、左翼も含め知識人はそれぞれの天皇観を持ち、天皇機関説論争などそれが表面に出てくることもあり、また、一般大衆もそれなりに考え、許される範囲でそれを表明もできたろうが、不敬罪もあり自由に考えを表明できるわけでもなく、基本的に、国民が皇室とは何か・どうあるべきかなどと考えさせられている状況ではなかった。

 それが戦後、国民主権のもと、「天皇制廃止」という考えまでも自由に表明できるようになった。

 また、現在の制度(側室をおけない、男系男子のみしか皇位継承できないなど)と男子が少ない皇族の現状で将来の皇位継承をどうするかという議論(女性、また女系にも皇位継承を認めるか、女性宮家創設など)も盛んになっている。

 「開かれた皇室」の名のもと、特に雅子さまのご病気のことなどがマスコミで、さかんに報道されている。

 皇室とは何か、どうあるべきか、という皇室観が一般の国民にこんなに問われている時代は日本の歴史上初めてである。

 

 プロレス、アイドルの世界は、そのジャンルを真正面から認識して見る目がレベルアップさせた。

 そこには、競争原理が働き、ファンの目の変化が即座に集客、売上となって働き、即座にそのジャンルの進化を促した。

 また、それ以上に、提供側に大衆の心理を読める天才がいれば、時代の変化を先取りして、そのジャンルの変化を引っ張っていった。

 

 皇室の変化はそのように即座に簡単に起こせるものではもちろんない。

 が、民主主義社会のもとで、今後の日本の皇室に、国民が皇室をどう捉えるかが影響を及ぼしていく。

 今こそ、国民1人1人が、皇室を真正面から捉え、認識することが大切だ。

 そのためには、ワイドショーや女性週刊誌の皇室報道を見ているだけではダメだ。

 日本の歴史、皇室の歴史、および、世界の王室と比べて皇室がどのような存在であるか、などを勉強し、まずは事実を正しく認識し、そのうえで考えてみなければならない。

 イデオロギーを決めてそこから事実を見ても、見えてくるのは勝手に気めつけた思想から見えてくる歪んだものである。

 

 「アイドルはレベルが低いもの」という偏見の耳で聴けば、どんな曲でもつまらない曲にしか聴こえない。

 「プロレスは真剣勝負か、レベルの低いショーか」というわけの分からない対比で見るから、身体能力と知性、感性が高くなければ観客を感動させられない、ハイレベルなショーだということが分からない。

 

 皇室を考える際にも、まずはイデオロギー抜きでその歴史を勉強して、真正面から!基本事実を認識して、然るのち、自分の皇室観を持ちたいものだ。

(もちろん、各歴史本も、全く客観的に事実を書くということは難しい以上、“イデオロギー抜きの事実”を勉強することは難しいところはある、ということは留意したうえで)

 

 

 

(※1)それ以前に存在したUWFと区別するため、旧UWF、新生UWFという分け方をする。

 

(※2)両者リングアウト…双方が場外(リングの外)で乱闘し、レフリーが20カウントする間にリングに戻らず引き分けという裁定。ここ20年くらいのファンは馴染みがないかもしれないが、昔は日常茶飯事だった

 

(※3)反則勝ち、無効試合など。レスラーと衝突したレフリーが倒れ、レフリー不在の間に…という流れは今のプロレスでも時々あるが、昔はそのままそれが決着(反則決着など)につながる事がよくあった。全日本プロレスのメインレフリーだった、ジョー樋口(故人)の失神姿はオールドファンの郷愁を誘う懐かしの風景である。

 

 

 

 

 

 

 

 


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最終更新日 : 2012-10-11 22:11:11

56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人

 プロレスが好きになったきっかけ。

 

 それは人それぞれだが、1つだけ共通しているのは、会場であれテレビであれプロレスを観たことがきっかけ、ということであろう。

 

 ところが、自分の場合は違う。プロレスを初めて見る前からプロレスにハマっていたのだ。

 

 幼稚園か小学1年頃の時なので、はっきりした記憶はないのだが、まず、プロレス好きの東京の従兄が持ってきたもの…雑誌等で、写真の2次元のプロレスを目にしてその存在を知った時、プロレスって凄い、という妄想が強烈に心に焼き付いた。

もうその時点で、「プロレス」=この世界に存在する超人達の世界というファンタジーが完全に出来上がっていた。

 とにかくごつい身体をした男達が、本気のケンカをしている…この世界にそういう異次元の世界がリアルにある、ということに何かこう、ワクワクした。

その頃、地元(石川県)ではプロレスを放送していなかったので、まず、いつか東京の親戚の家に行ってテレビでプロレスを観る、ということが幼心にものすごい夢となった。

 そして、小学1年の時だったか、東京に旅行に行った時、親戚の家で待望のプロレステレビ初観戦、となったのだ。

 

 ここで大事なのは、あくまでこれはリアルなガチの世界である、という建前をとっていたからこそ、異次元の夢の世界、ファンタジーとして幼児の頭に焼きついたのだ。

 ウルトラマンや仮面ライダーも、その頃は見ている間は作りごとなのか本当のことなのか曖昧だったかもしれないが、改めてあれは本当のことかと問えば、作りごとだと答えるだけの認識はもっていただろう。

 つくりごと、ファンタジーの世界という前提をとっているものは、「これは作りごと」という現実認識を持たせてしまう時点でファンタジーではない。

 「これはガチだ」という建前をとりながら、実際のガチではあり得ないような華麗な技の応酬や、因縁のストーリーが展開されるからこそ真のファンタジーとなる。

 

 アイドルの場合もそう。

 アイドル(AKB)にハマったのは37歳。

 当然、プロレスと出会った幼稚園の頃とは違い、ガチでファンタジーを構築できる年齢ではなかったわけだが、プロレスと共に成長してきたことで、意識的にファンタジーの世界で遊べる大人になっていた。

 「プロレス」を構築させている自分の中に「アイドル」というファンタジーも意識的に追加させた。

 

 この場合重要なのは、テレビ、グラビア、またブログなども含めていいと思うが、メディアを通して見る存在であるということ。

 メディアを通してその存在を認識していることが、手の届かない場所にいるあのコというファンタジーを成り立たせ、握手会にワクワクするのは、「ふだんメディアで見てるあのコ」がレーンで目の前に立っていて握手できる、言葉を交わる、ということ。

 ファンタジーであると同時に生身の人間であるからこその愉しみ。

 

 アイドルを愉しむことを「楽しむ」と書かずに「愉」の字を使っている。

 国語辞典では2つを区別して書いてないが、自分の中のイメージとして、「楽しむ」よりも、意識的・自覚的に深い関わり方…文化的といってもいい…を「愉しむ」と表現している。

 アイドル道楽、という言葉も自分はよく使う。

 アイドルを愉しむのは、プロレスと同様、奥が深く、一生の道楽と成りえるものなのだ。

 

 プロレスの場合、たとえガチだと思ってみているファンであっても、世間でプロレスはショーだと言われていることは当然知っている。また、たとえ格闘技が分からない人であっても、トップロープからの攻撃を下で寝て待っている等、疑問に感じるところは多々あるに違いない。

 それらに対して、自分はそれをどう捉えてプロレスと対峙し楽しむのか、無意識的にであれ自分の態度を決めている。

(プロレスをガチと思って観ている人をバカにする気は全くないが、子供ならともかく、大人で1度も何の疑問も感じたことがないという人がいるとしたら、ちょっといかがなものかとは思う。)

 

 アイドルも、アイドルと同世代かそれより若い世代がハマる分にはともかく、自分のようにいい年した大人がハマる場合、世間がそういう人間を蔑視する目に対しての理論武装なり、ハマっちゃってる自分の分析なども大抵はしているであろう。

 

 皇室に対し敬愛の念を持つ人達も、それぞれの皇室観があり、意識的・自覚的に皇室と精神的な関わりをしていると思う。

 何も考えず「みんなが偉い人って言ってるから敬う」では、単なる権威主義者である。

 

 つまり、本著のテーマである、建前と生身が混然一体となっているジャンル・人間と関わり、それを肯定的に捉える場合、その特殊性ゆえ、否応なく自分がそれとどう関わりどう捉えるか、何がしかのスタンスを取らざるを得ない。

 その特殊性を理解しない「世間」の偏見があるからなおさらである。

 

 その捉え方は、意識的であるがゆえ、関わっていく年月とともに深みを増し、プロレス、アイドルにおいては見巧者となり、皇室においては深い敬愛となっていくのだ。

 

 

 


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最終更新日 : 2012-08-26 00:23:10

57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像

 2012年6月、昔からどういうわけか明らかにAKBを目のかたきにして「アンチAKB商法」で小銭を稼いでいる某週刊誌が、「さしこ」こと指原莉乃…自分の推しメンランキング5位(2012年7月現在)…の、過去の男性関係を暴露?する記事を掲載、その週の金曜のラジオ「AKB48のオールナイトニッポン」生放送にて秋元康からさしこに「HKT48(※1)への移籍」という訓令が言い渡された。

 さしこは記事の内容については、嘘は多いがその元彼なる人物とお友達だったことは本当で、誤解を受けることをした、と謝罪した。まあ、その記事の内容がどこまで本当だったかはここでは関係ない。(ちなみに第5章 34<共同幻想>で書いているように、自分は自分の推しメンに過去であれ現在であれ彼氏がいても全然オッケーである。こういう人は多い)

 

 ここで述べたいのは、そのどうでもいい記事のことではなく、それに対する処分への自分の反応のこと。

 

 ラジオ生放送にて、まずはさしこが泣きながらファンに謝罪した。

 それから、秋元氏との会話になったわけだが、まずは、今回の件に対する氏の考えなどをひととおり述べたあと、誰も予想してなかった通告をした。

 

 「明日から指原莉乃は、HKT48に移籍します」

 

 一瞬間があいた後、さしこが、音声にギリギリ拾われるくらいのあっけにとられた声で

 

「……え?……」

 

 これを聴いた瞬間、自分は一人自室で、腹を抱えて大爆笑してしまったのである。

おそらく、自分の人生を振り返った時に、5本の指には入るであろう、実に心からの大爆笑。

 

 ふざけんな!と思われる方も思う。

 しかし、念のため言っておくと、自分も、あいも変わらずAKBをおとしめることに執心する某週刊誌に対しての怒り、それによって傷ついたファン、さしこ本人、関係者の悲しみも十分身にしみている。

 懸命に謝罪の言葉を語るさしこの涙声を、目はうるませながら聴いていたのだ。

しかし、それでもHKTへの移籍通告への、さしこの、本当にあっけにとられた「…え?…」には爆笑した。

 

 この放送を聴いたのは、生放送の数日後。

 つまり、放送を聴く前にHKTへの移籍を知ったのだが、その時にも、「これは面白い展開だな」とニヤリとしてしまった。

 つまり、総選挙4位になってこれからさらに昇り調子でいくかと思われた矢先での左遷(※2)

 さしこのヘタレ、いじられキャラと相まって、「ああ~、やっちまったな、さしこ~」と、失敗してもヘタレでも憎めない彼女を苦笑しながら頭をなでてあげたいような…ここでこういう物語展開になったか、という面白さ。

 

 処分について語った後、

「しかしまさかさ、指原にスキャンダルが出るとは思わなかったね。こりゃ驚いたね~。指原と芦田愛菜ちゃんだけは俺、スキャンダル起きないと思ってたけどね」

と、泣いているさしこも思わず笑わせた秋元氏の、こういう場面でユーモアを放つ感覚も大好きだ。

 何が楽しいのか、好きでもないはずのAKBのスキャンダル情報をせっせと収集し、必死に鬼の首でもとったかのようにネットであれこれ書いているアンチ達とは対照的である。

 

 くどいようだが、今回の件で起きているさしこをはじめ、たくさんの人の大変さ、悲しみを感じたうえで、である。

 いや、悲しみを感じているからこそ、面白いのだ。

 

 これもまた「プロレス」だ。

 エンターテインメントをノンフィクションという建前で提供しているプロレス。

 このさしこの件は、悲しみというノンフィクションを、HKT移籍というドラマ、エンターテインメントに転換させてしまった。見事である。

 

 プロレスが、生身の身体の痛みを伴ってこそ極上のエンターテインメントとなっているのと同じように、この件は、そこに本物の悲しみ、痛みがあるからこそ、本物の人間ドラマ=エンターテインメントになっている。

 

 つまり、本物の痛み(生身の感情)もあり、エンターテインメント(建前、表面)もあり…いや、両者が共に重なり合ってプロレス、AKBは成り立っていて、どちらかが欠ければ、それはもはやプロレス、AKBではない。

 

 そして、それを観る側は、重なり合っている生身と建前を自由自在にカメラのフォーカスを変えて見ることができてこそ、この極上のジャンルを楽しむことができるのだ。

 そのフォーカスをなめらかに操るには、ジョーシキに縛られずに、物事を自由におおらかに見る余裕が必要。

 アンチのように「嘘か本当か」という、リアルな人間社会にはない、人工的で不自由な2つのカメラしか持たず、したがってプロレスもAKBも楽しめない人間と違い、自由自在にフォーカスを変え、建前も楽しみ、その建前の中にある生身の人間の感情も観察し、感動することができるカメラを持っている。

 

 この件に関して言えば、(あくまで自分の尺度での)理想のファンは、さしこの涙の謝罪に目をうるませ、しかし、いや、それだからこそ、さしこの「…え?…」に大爆笑してしまう人。

 そう、自分自身の尺度で見る限り、(当たり前だが)自分は理想のプロレス、AKBファンである。

 表舞台で理想の強さ、若さ、可愛さを見せてくれながら、それを表現するためにめいいっぱい生きている生身の人間達のドラマを楽しんでいる。

 

 

 

※1 HKT48…博多に劇場を持つ、2011年10月に初お披露目された、つまり、この件の時点で1年足らずの新しい、AKBの姉妹グループ。初お披露目された時点での平均年齢が13.8歳(HKTホームページより)であり、2012年7月現在、グループ最年少。

 

 

 

※2 左遷といってはHKTに失礼、この処分はそういう意味ではないと秋元氏は言っていたし、それに異を唱えるものではないが、AKBHKTとどっちが上ということではなく、これまで慣れ親しんできた劇場から遠く離れた、年齢の離れた新人達の劇場への突然の移動命令は本人にとっては大変な環境変化であり、そういう試練という意味では左遷といってしまっても差し支えはないと思う。HKTをバカにしてるのではないので誤解なきよう。

 

 


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最終更新日 : 2012-09-01 01:15:28

終わりに

まず、タイトルについて。

読んでいただいてわかるとおり、AKBとプロレスについては自分なりの論を書いてきたが、ご皇室については、プロレス、アイドルとリンクする部分について述べただけで、「皇室論」と呼べるようなものは書いてない。当初は「AKB=プロレス論 皇室を戴く日本人の心性がAKB、日本のプロレスを~」というようなタイトルを考えていたが、長すぎる。よって、「AKB=プロレス=皇室論」にした。この「=」は一緒、という意味ではもちろんない。3者に共通するものを軸にした論、という意味で付けた。

ご皇室についての考察、著作は右から左まで山ほど出ているので、そちらを読んでいただければと思う。

 

 本著では、プロレスがエンターテインメントであることを前提に筆を進めた。

 第3章 18<虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生>の文末の注釈で、「自分が言う『プロレスはショー』という言葉の意味には、そこに誇りこそあれ、プロレスを見下している意味は全く含まれていない。」「ショーと呼んでいることでプロレスをなめているように感じるとしたら、それはそう感じる人が『ショー』をなめているのである。」と書いた。

 それはその通りなのだが、一方、プロレスをショーと呼ぶことへの抵抗、というか何か引っかかりも同時に感じる自分もいる。

(「いや、やっぱり真剣勝負かな?」という意味では全然ない)

 

 1つは、伝説の力道山VS木村政彦など、プロレスには暗黙の了解が壊れる試合、完全に壊れるまではいかずとも、プロレスの途中で気に食わない相手に「仕掛けたり」といった、ショーの綻びが時にある、ということ。

 

 そして、それより大きいのが、そのような綻びがない、いわゆる普通のプロレスでも、プロレスラーはリングの上で闘っている、ということだ。

 よくプロレスを形容する時に使われる言葉、「観客との闘い」ってこと?

 それが間違いとは言わないが、ここで自分が言っているのはそういうことではない。

 

 もし、プロレスをただのガチンコだと思っているファンが大好きなプロレスラーに、「お願い!今度の試合勝ってね!」と、綺麗な瞳をまっすぐぶつけて訴えきたとする。

 ファンの言葉に、プロレスラーは

「分かった。全力出して勝つよ。」と約束したとする。

 

 試合の結果は決まっている。

 しかし、この場合、このプロレスラーは嘘をついていないと自分は考える。

 

 もしこの試合の結果が勝ちならば、興行後、ファンに言うべきである。

 「君の応援のおかげで勝てたよ。」

 この言葉にも嘘はない。

 

 もし、最初のお願いの前にファンが

「プロレスって勝敗が決まってるって言われてるけど、違うよね?真剣勝負だよね?」

と聞いてきたとする。

 もし自分がプロレスラーなら、そのファンの瞳をまっすぐに見て、堂々と答えられる。

 全プロレスラーもそうだろう。

 「もちろんだ。真剣勝負だよ。」

 なぜ堂々とそう言えるのか?

 そこに嘘はないからだ。

 

 全く非論理的な話だが。

 しかし、このプロレスラーは嘘をついていない。

 そして、絶対にそう答えるべきであると思う。

  プロレスファンなら分かってくれる人もいるかと思うが、プロレスを全く知らなかった人が、本著を読んでその意味が、というよりその心が、少しでも分かっていただけたら幸いである。

 が、無理だろう。

 表面の部分でなんとなくその「意味」が分かる…という方はいても、プロレスを心から好きになったことがない人には、本著を読んだだけでその心は理解できないと思う。本著をきっかけにプロレスを見始め、10年後、20年後にその心が分かるようになっていただければ嬉しいのだが。

 

 プロレスがショーであるという表層の事実を分かっていて(※1)なおかつプロレスは闘いだということの意味、心が分かる人は、AKBファンになる素質を持っている。

 

 人間誰しも、ファンタジー(各所、各場面で装っている自分)とリアル(素の自分)が重なった存在。

 その人間の在り様を凝縮して見せているプロレス、AKB、アイドルについて、仕事をする傍ら、原稿を書きだしてからなんだかんだと1年近く…長々と、地味にカチャカチャ書いてきた。

 

 

 この本はAKB、プロレスについて自分の思うところを述べたものだが、感情的な動機としては、AKB、プロレスに限らず、ジョーシキの枠からはみ出したものへの世間の偏見への怒りである。まだ書きたいテーマは多々ある。

 

 自分は、物心ついてから、社会に、世間に、「ジョーシキ」にずっとイライラしている…何をイライラしているのか、それをAKB、プロレスについて述べることで吐き出した、それが本著かもしれない。

 

 そんなわけで、お見苦しいところも多々あったとは思うが、ご容赦願いたい。

 

 

2012年8月27日 前田敦子AKB卒業公演のあった日の夜、自宅にて。

                             高橋 慶介

 

 

 

 

(※1)念の為書いておくが、「プロレスはショーだ」と言っている世の中のほとんどの人間、特にプロレスファンではない人間のほとんどは「ショーだ」と言ってはいるものの、何も分かってないまま言っているだけで、この場合の「分かって」いる人間には含まない。



【2013年10月21日追記】

本著を星海社新人賞に応募しました!
新人賞サイトで紹介されていますhttp://ji-sedai.jp/school/application/post_147.html

 

 

 

 


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最終更新日 : 2013-10-21 23:23:17


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