目次
はじめに・出版社の方へ・目次
<2013.5.7追記、お詫び>
はじめに
出版社の方へ 紙の書籍としての出版先募集してます
目次
第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由
3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像
4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間
5 天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ
第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
6 AKBの核・劇場公演とは?
7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ
9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる
10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由
11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」
第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
13 格闘技のリアリティ
14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上
15 アイドルこそは最もリアリティある世界
16 リアルとリアリティの違い
17 人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス
18 虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生
第4章 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
19 ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇
20 国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段
21 天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない
22 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
23 「人間」を観るジャンル
24 「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を
第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
25 AKBの歌のベースは 色即是空 
26 AKBの楽曲の世界
27 “AKB顔”
28 少女達の大人数集団の独特の魅力
29 共同体と個人競争の社会
30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室
32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力
33 サプライズは人間ドラマの花形
34 共同幻想
35 偏見が熱気、パワーを生んでいる
36 「商売」が嫌いなアンチ達
第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB
37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ
38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念
39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない
第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗
41 AKBの尋常じゃない汗の量
42 アイドル、プロレスラーの「実力」
43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス
44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景
45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している
46 推しメンとファンのプロレス
47 乃木坂46
48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間
第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
49 既成概念でしか物事を捉えられない人々
50 ジャンルそのものを見下す愚かさ
51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍
52 軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号
53 アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン
54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性
56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人
57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像
終わりに、参考文献、奥付
終わりに
参考文献
奥付

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39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない

 前項の最後のページの補足説明。

 

この世にウソは何1つない。

 

いや、あるのだが、それは人間の頭の中で観念上、存在するだけ。

 

例えば、バナナを指さして「これはリンゴです」と言ったとして、それを「ウソ」と言うのは単に人間の観念。まあ、言葉というものが観念なのだから当たり前。

しかし、事実…究極の事実は、バナナなる物体を指差して「コレハリンゴデス」と言っている人間なる生き物がいるだけだ。

 

その現象を見る人間の観念の反応の1つに「それはウソだ」と蔑む、という反応がある。

その他、何も感じないという反応、言葉のまま「それはリンゴだ」と思う反応、いろいろあるだろう。

 

プロレス、AKBのファン、さらに皇室を敬愛する国民は、それは決して「リンゴ」ではないことを知りつつ、バナナを「リンゴです」と言っている「人間」に興味を示し、見定め、愛するという反応をする。

純粋無垢でずっと笑顔でいる人間などいないことを知りつつ、そういう夢を見せようとステージで頑張って笑顔でパフォーマンスする「人間」を見て、その夢をともに追う。

勝敗は決まっていることは知りつつ、強さを表現するためにぶつかりあい、本物の痛みと汗まみれになっている「人間」を見て、尊敬の念を抱く。

神話と史実は違うことを知りながら、神話を背負ってお役目を果たされている天皇陛下を敬愛する。

 

一方、アンチは、ステージや握手会での笑顔、リングの上でぶつかりあう身体、陛下の微笑みを「嘘じゃねえか」としたり顔で見下す。

 

 

       どちらが真実を直視しているのか?

 

 

反応の違いが分かれる重要なポイントは、バナナをリンゴと呼ぶことをウソとかホント云々言う以前に、そもそもの話として「バナナ」という名前は勝手に世の中の人間が定義したものであることを認識できているかどうかであろう。

 

 

 

 


43
最終更新日 : 2012-08-26 00:11:30

40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗

 第8章 45AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している>で、

 

「落ち込んで飲みたい友人と一緒の酒の席で、『もう疲れたから帰りたい』と思ってたら、それを『本音で』正直に話すのが、『本物の』関係なのだろうか?

疲れて帰りたいけど『もっと飲もう』と『嘘』を言って付き合う気持ちが『本物』」

 

と書いた。

 これは普段の生活の中での「本物」の気持ちの表れの1つを表現したものだが、これを本著でとりあげているテーマに当てはめて考えると…。

 

 天皇陛下が、各機会にお言葉を述べられる時、手元の原稿を見みながら読み、その原稿が宮内庁の役人なりが書いたものであったとして、その言葉を聞く側は、そのことをマイナスと捉えるだろうか?

 

 東日本大震災発生の3日後、陛下はカメラを通して、国民にお見舞いの言葉を読まれた。

 手元の原稿を読みながらのお言葉だった。

 感激した人も多かったと思う。原稿がどのように実際に完成するものかは知らない。陛下御自ら起草されたものかもしれないが、もし仮にあれが役人のつくったものであったとして、それを知ってその感動が消えるという人は少ないと思う。

 原稿が誰が書いたものかは問題ではなく、天皇陛下が天皇としてのお役目を果たそうと、ああやってカメラの前で語りかけているお姿に励まされるのだ。

 原稿を書いたのが役人だったとして、それを読まれている陛下のお気持ちが「嘘」と言えるのか?それを読まれて天皇としての役割を果たし、国民を励まそうという陛下のお気持ちは「本当」ではないか。

 

 プロレスを「嘘」と表現する人。

 たしかに、勝敗を競っているのは建前であり、その意味では虚構であるといえる。

が、いい試合をして観客を満足させよう、プロレスから元気をもらおうとするファンの気持ちに応えようと身体を張っているのは「本当」である。

 嘘と思うなら、やってみればよい。テキトーな気持ちで、人を感動させるプロレスができるかどうか。

 

 いい試合をし、自分のキャラクターを磨きあげ魅力的なものにしていけば、上にあがり、メインイベンターになれる。上を目指して身体をはって必死に頑張っているのも「本当」だ。

 時々、先輩レスラーと新人のチャレンジマッチ的な試合が組まれる。新人が先輩の胸を借りてくらいついていき、最後は負けて、先輩や観客に健闘をたたえられて終わる、というのが定番。

 その試合で、ガチンコでは新人の方が強かったとしたら、リング上に見える風景は「嘘」か?

 たしかに、虚構ではある。

 しかし、体育系社会で先輩相手の緊張しながら、まだ試合の組み立てが下手な新人が、先輩が引っ張る試合の組み立てについていき、観客を沸かせようと頑張り、そしてそれが果たせた安堵感と、そんな彼を讃える先輩や観客の気持ちは「本当」である。

 

 プロレスの技は、かける方と受ける方の呼吸がずれたり、失敗した時には非常に危ない。

 誰が見てもよけられるのに受けることが分かる、トップロープから、また、場外への飛び技は、その「ガチではあり得なさ度」から、軽くみられがちだ。

 だが、あれはリングという空間で見てるからなんとはなしに見てしまうが、ジュニアヘビー級でも体重80、90キロあろうかという人間があの高さから、時にはアクロバットな回転などもいれながら飛んで、それを下の人間が受け止めてお互いに怪我がないようにするのは、一歩間違えれば大怪我を負う、身体を張った芸当なのだ。(実際、それで一生の障害を背負ったレスラーもいる。)しかも、それは一発の技をせーのでやって、終われば拍手でとりあえず終了、また定位置に戻って呼吸を整えて…ではない。プロレスの試合の流れの中で、それをこともなげにやっていかなくてはいけない。

 その他にも、投げ技、打撃…危険が隣り合わせの身体を張ったショーでの緊張感、そういう危険な芸当を受け止められるだけの身体、成り立たせるための受け身、技の技術、それらのための練習。そこでは、まぎれもなく人間の本物の汗が流されている。

 

 こんなこともあった。

 芸能人を多数リングに上げて(花束贈呈などの余興ではなく、プロレスをさせるため)これまで日本にはなかった大規模の派手なショーアップのしかたでブレイクした「ハッスル」という団体。

 その横浜アリーナのビッグマッチでのメイン。

 試合は、リング上の“高田総統”(高田延彦)の化身“ジ・エスペランサー”の放った“レーザービターン”(振りおろした手から放たれるビーム)を、リングから離れたステージに登場した、“妖精さん”(小池栄子=エスペランサーの対戦相手・坂田亘の妻)に盾で跳ね返され、そこに坂田亘(小池栄子の夫)が蹴りを入れてエスペランサーの身体が爆発(コスチュームに仕込んでいた火薬を破裂させる特殊効果)し、坂田のフォール勝ち、という流れ。

 ステージからリングまでの花道を爆薬がパン!パン!パン!パン!と爆発していき、最後は、とどめの蹴りで身体の爆薬が爆発し、ゆっくり前のめりに倒れるエスペランサー…。

 そういうスタイルのプロレスの後、興行の締めとなるマイクを持った坂田が、当然、メインの内容に沿ったことを喋っていた。

「仲間に支えられてやっとエスペランサーを倒せました」的な、ふつうのマイクだったが、それが途中で、「やっと倒せた」ことが、「仲間に支えられてメインのプレッシャーに負けそうになりながらも役目を果たせた」という内容にそのままスライドし、涙を流し始めた。

 “レーザービターン”を“妖精さん”が跳ね返し、とどめのキックでエスペランサーが爆発したことは子供でも分かる虚構だが、その一連の流れを、しっかり絶妙のタイミング(=間)で成功させ、興行のメインを成功させようと流した汗は、まぎれもなく本物である。(プロレスに限らず、ショーの命はタイミング=間、である)

このマイクでの涙が、予定していたものあったかどうかは分からない。

 しかし、リングスという格闘技系プロレス団体出身で、このスタイルのプロレスのキャリアがそんなに長いわけではない坂田が、大舞台のメインを任されて、当日までの長いプレッシャーから、無事メインを成功させた安堵と喜びの感情はまぎれもなくあっただろうし、自分は、そのことで流した涙であったろうと想像した。

 

 アイドルという存在の起こりについては、第1章 5<天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ>で書いているが、芸そのものではなく、異性の若さという魅力を楽しむための芸…歌、ダンスなど…を身上とする彼女達(彼等)につけられた「アイドル」という言葉は、ともすれば「実力がない」「軽薄なもの」という言葉に近い感覚で用いられる。

 第7章 42<アイドル、プロレスラーの「実力」>でアイドルの「実力」について考察するが、アイドルとしての実力、という捉え方がある。

 そのような、アイドルとしての実力、という捉え方からしても、また、それと大きく関係している芸そのものの実力という意味においても、アイドル冬の時代の90年代を経て、00年代のモーニング娘。あたりからであろうか?、現代のアイドルは、70~80年代のアイドルよりは、求められるパフォーマンスレベルが高くなっている…特にダンスはずいぶん難しく、激しくなった。

 

 特にAKBのメンバー、スタッフが1つ1つの作品やライヴにかけている手間ひまは尋常じゃない。(具体的には次項第7章 41<AKBの尋常じゃない汗の量>

なぜそうなるのか。

もちろん、なによりも見ている人に少しでも元気を届けたいという気持ちであり、それはひしひしと伝わってくる。

 そして、もう1つ。

 夢に向かって成長していくドキュメンタリーを見せてくれるのがAKBの醍醐味であり、いい作品、いいライヴをつくるために努力すると同時に、人間かいている汗、胸いっぱいの努力そのものを見せたい、という意図。ダンスの振り付けもそのために激しくしたりしているのでは…などと想像したり。

 ライヴや総選挙のリハーサルや終了後のバックステージなどには、取材陣を多数入れている。

 アイドルがスッピンで、リハーサルで同じグループのメンバーにダメだしをしているところなど、普通ならば「マイナスイメージ」ととらえて表には出さないものだが、AKBではそのようなシーンは映像として公開され、ファンはよく目にする光景だ。

 

 華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗。

 

 これがプロスポーツの世界ならば、見ている方はゲームの面白さを味わうと同時に、ダイレクトに、懸命に頑張っている姿を見て感動することができる。

 しかし、アイドルのコンサートなどの華やかなショーでは、そうはいかない。

彼女達はショーのさなかは、とびきりの笑顔で、歌って踊って人を楽しませる。

 AKBはそのコンセプトから舞台裏の汗を映画などで公開はしているが、少なくともショーの最中には、それを成り立たせるための悲壮なまでの努力は見せない。見せないようにすることにも努力している。

 

 プロレスにしても、AKB、アイドルにしても、虚構であるが、虚構で人を元気にさせたり、感動させるためにはものすごい本物の努力が必要なのだ。

 

 そして、どのジャンルでも、そのジャンルの見巧者達はその本物が見える。

 というより、素人であっても、細かいことは分からずとも、偏見という心のフィルターがない人間ならば、努力しているショーを見れば、表面の奥の一生懸命さは分かるはずである。

 

 

 

 


44
最終更新日 : 2012-10-06 19:56:57

41 AKBの尋常じゃない汗の量

 48グループのメンバー達は、常設の劇場で行う劇場公演曲(1つの公演で15曲ほど。半年~2年ほどで新しい公演になる)、シングルで発売される曲の歌、ダンスをそのたびごとに覚えていく。

 曲ごとに、大人数で複雑に位置が入れ換わるフォーメーション。位置が違うと振りも違う。

 ここまでも中々大変だが、もう1つ。

 曲によって人によってそれぞれの位置があるのだが、AKBは劇場公演や歌番組だけをやっているのではない。

 各人、バラエティやドラマ、ラジオ、グラビアなどの個人や派生ユニットの仕事があるため、全員が揃うことは少ない。

 そうなると、欠けたメンバーの位置の振りを代役を務める誰かが憶えねばならず、さらには人数も変わってくれば、フォーメーションそのものもその日用に変えなくてはならない。

 つまり、日によって新たなことを憶えてこなさなくてはならないのだ。

 

 そのような、歌、ダンスの練習、リハ、本番にとられる時間の他に、各人が派生ユニット、個人の仕事を持ってやっている。

 

 曲によってダンスの激しさも目をひく。

 映画「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る」は、2011年のAKBの活動を追ったドキュメンタリー。

なかでも圧巻だったのが、自分も見に行った、7月に行われた西武ドームでの3daysコンサートの舞台裏。
 熱中症や過呼吸でバタバタ倒れるメンバー。
 プレッシャーによる過呼吸で発作をおこす前田敦子や大島優子の姿は、これを公開していいのかというほどのあられもない姿。ふつうの、従来のアイドルならあの姿は公開NGだろう。 しかし、泥臭さ、汗臭さをそのまま見せていくのがAKBのコンセプト。

 過呼吸から一時ステージをリタイアし、再び戻ってきてもなお呼吸が定まらないあっちゃんが、「フライングゲット」のスタート、いったんメンバーの人山にうずもれてスタンバイした一瞬後、音の出だしと同時に立ち上がって笑顔をつくった瞬間にはシビれた。


 たぶん、世間一般のAKBに対するイメージは、大人の金儲けのために集められた女の子がかわいい服着せられて媚びた歌を歌って踊ってるチャラチャラした集団、というところだろう。
 まあ、自分自身、ハマる前までは遠からずそんなイメージだったが、世間一般のイメージと、しっかりと見た実際の姿がこんなに違うグループもなかなかないのではないか。

 ミュージックビデオのつくりもかなりの見応えである。

 自分がAKBにハマったきっかけは、ミュージックビデオ。

 その、それぞれの曲の世界観を実に手間暇かけてあざやかに表現している力作の数々がきっかけになったファンは多い。

 

 シングルの発売ごとに開催される握手会。
 握手会のことを「1枚たった10秒でぼろい商売」と書いてる週刊誌があったが、想像力不足も甚だしい。

 個別握手会(※1)は、1部1時間半で、ある程度以上の人気メンバーであれば、1日6部ある。その間、10~30秒ごとに次から次へとながれてくるファンと握手する。ただ握手するだけではない。笑顔で、それぞれのファンの話しかけに対応し、喜んでもらえるよう努力している。

 自分のファンが、それぞれ応援メッセージや感想を言いに来てくれるのだから(よほどイタイ1部のファン以外は)嬉しさ、楽しさもあるだろうが、それでも大変な仕事には違いない。個別握手会1回で、たいてい2~3人は体調不良で中断、中止になるメンバーがいる(※2)

 握手の対応の良しあしが総選挙の順位にもしっかり反映されている。

 

 そういう仕事の数々を、高校生、大学生、なかには中学生のメンバーは、学業とともにこなしている。

 2012年4月にSKE48のエース、15歳の松井珠理奈が過労のために入院してしまった。

 

 メンバーのみならずスタッフの苦労も相当なものである。

 

 その中から1つ、衣装のことを挙げよう。

 劇場公演では、その曲にあわせてデザインされた凝った衣装も見どころの1つだが、基本的に1人1着。世界に1着のオリジナル。楽屋でスタッフ達が必死でドライヤーで衣装を乾かしている様子がドキュメンタリーで流されていた。

 ちなみに衣装は、1つの公演で約90着、それが各チーム各公演ごとに用意される。

 シングルでは、それぞれの曲の世界観にあわせた衣装が、統一感を持たせながらも、個人個人の個性にあわせてアレンジされていたりする。普段からコミュニケーションをとってメンバーそれぞれの個性を熟知しているスタイリストがデザインしている。(「QuickJapan vol.87 AKB48永久保存版大特集」)

 2011年7月の西武ドームコンサートで用意された衣装は900着以上。

 2012年5/35/24、AKBリバイバル公演「見逃した君達へ2」で使った衣装は、2387着(終了日ののグーグルプラス(※3)でのサルオバサン(広報の西山さん)の書き込み)

 AKBの衣装さん達には頭が下がる。もちろん、他の部門のスタッフにも。

 まず、あれだけの大人数を管理する大変さ。小劇場で毎日のように行われる公演を支える仕事。グループ総出演…200人を超すメンバーの出演するアリーナ、ドームコンサートの運営。普通にこなすだけでも大変な仕事だが、いいものをつくろうという熱意が作品、イベントを通じて伝わってくる。

 

 秋元康の曲作りへの妥協のなさも有名である。

 1つのシングルの曲を選ぶのに1000曲以上を聴き、詞をつけて完成させていく過程で何度でも作曲家に修正を指示し、やりとりを重ねて行く。

 ミュージックビデオにおいても監督選びから最高のものをつくろうという熱意で突き進んでいく。

 その、妥協のない仕事っぷりは、関係書籍において、数々の作曲家、監督、劇場関係者などが語っている。<参考文献>のページを参考にして、読んでみてほしい。(※4)

 

 AKBが売れた原因を世間一般では、アイドルの売り出しに長けた秋元康が頭の中で戦略をちょいちょいと考え、そこに電通やらがのっかってホイホイと順調に、想定通りの展開で金儲けしてるようなイメージだろうが、実際は全く違う。

 AKBのこれまでの歩みやそこにあったエピソードを書いていけばそれだけで1冊の本になるので…実際、「AKB48ヒストリー」という本があるので、その本や、<参考文献>に挙げた本など読んでもらえば分かるが、戦略通りとか順調といった言葉からは程遠い、スタッフとメンバーの試行錯誤の連続、悪く言えば行き当たりばったり、とにかくファンの声を直に聞きダイレクトに運営に反映させ(※5)、その時々で作品、劇場公演、運営の改善に惜しみない力を注いで努力した結果が現在のブームである。

 

 もちろん、電通のバックアップその他の「大人の事情」によるものも大きかったには違いないが、それだけではフワフワしたブームは作れても、劇場の、イベントのあの熱気、AKBについてクソ真面目に語る大人(こんな文章を打っている自分も含めて)の熱をつくることは到底できなかったろう。

 

 アンチの中には、「大人の事情」「裏話」だけをネットその他で収集し、せいぜいバラエティや地上波歌番組でシングルをちょこっと聞いて、それだけでAKBの全てを知った気になっているのがいる。

 AKBの核でAKBそのものと言ってもいい劇場公演も見ず、基本的なシステムも知らず、真偽怪しげな裏情報ではない発言主が明示されている各種書籍の中のスタッフやメンバーの言葉も読まずに。

 例えるなら、野球のルールも知らず、見たこともなく、バラエティ番組に出てる選手やスポーツニュースの中で映る野球だけを見て、ネットで野球の経営にまつわる「大人の事情」やスキャンダルだけを収集して野球を批判しているのと同じだ。奇態である。

 

 先に、秋元康が頭の中でちょいちょいと考えた戦略で…は違うと書いたが、最大の戦略があったとしたら、劇場という核を持ち、メンバー、自らも含めたスタッフが手間暇かけ、汗を書いていいものを作り、ファンの声を吸い上げながら、メンバーの成長していく過程、人間ドラマをそのまま見せようという“戦略”だろう。

 その他にもいろいろな原因があったとしても、それなくしては現在のような熱をもった人気はなかったことは確かである。

 

 

 

 

※1 全国握手会と個別握手会がある。全握はミニライヴがあるが、握手の時間は1人2~3秒。どのメンバーのいるレーン(複数メンバーのいるレーンと、特に人気あるメンバーの1人レーンがある)に行くかは当日決められる。個別握手会は、事前に指定して申し込んで券をとったメンバーと1枚約10秒握手できる。3枚までまとめ出し可能。ミニライヴはなし。

 

※2 その場合は返品(返金)もしくは、後日の振り替えかを選べる。

 

    3 48グループメンバー、及び秋元康をはじめ、スタッフも何人か参加しているSNS。ファンもメンバー、スタッフの投稿に対しコメントでき、今や48グループの、メンバー・運営側とファンの主要な交流の場となっている。

 

※4 ぐぐたすで秋元康が自分のページで「業務連絡」として作曲家やレコード会社の担当者にダメ出しや、やり直しを命じたりして曲のできるやりとりの一部を公開したり、コンサートの反省点を書いたりしている。

 

※5 初期の頃は劇場ロビーで秋元Pがファンと交流し、劇場支配人がファンの溜まり場のファミレスで話を聞いてたりしていた。現在も、劇場支配人が握手会でファンの要望を直に聞く「支配人の部屋」の開催、ぐぐたすでのファンとの交流の他、ファンとダイレクトにつながろうという姿勢は変わらない。メンバーもぐぐたすや握手会で直にファンからの感想(時にはダメ出し)を聞くことができる。

 

 

 

 

 

 


45
最終更新日 : 2012-08-26 00:12:23

42 アイドル、プロレスラーの「実力」

ともすれば、実力がないもの、という意味合いでも使われる、アイドルという言葉。

アイドルとは、楽曲や、演技力といったその芸そのものの魅力を表現する手段としての人間ではない。アイドルという人間ありきで、その人間の魅力を引き出すための歌、ダンスなどのパフォーマンス。

「芸の実力」ではなく、「人間の魅力」(若い、女・男としての魅力=当然、ルックスも重要な要素)を見るジャンル。

 

別頁でも述べたとおり、00年代以降あたりから、アイドルに求められる歌唱力やダンス、MCやバラエティでのトーク力などは、昔に比べて高くなっているとは思う。

が、個々のレベルは千差万別なのはおいとくとして、総じて、歌唱力では本職の歌手には及ばず、ダンスではプロダンサーに及ばず、トークでは芸人には及ばない。

では、アイドルとは何なのか?

こう聞かれれば、少なくともアイドルに特に思い入れのない人ならばルックスがいいだけと答えるかもしれない。

たしかに、昔のアイドルにはそう言われてもむべなるかな、という人もいたかもしれない()

 

しかし、AKBはそうではない。いや、AKBだけではないかもしれないが、ここではAKBを代表にして答えてみたい。

 

なにしろ、まずこれはAKB批判者達も、特にファンでも批判者でもない人も、そしてファンの多くも認める事実として、AKBのメンバー達のルックスの平均点は決して高くない()

(ただし、ルックスが良い、というのと可愛い、というのは、無関係ではないにしろまた別の話で、そういう意味ではAKBのメンバー達はルックスは良くなくても可愛いのだ…それについては第5章 27<“AKB顔”>で)

 

では、アイドルとは何なのか?

 

若さ、というものしか持ち得ない人間の魅力を、特に異性としての魅力を、歌やダンス、その他を通じて最大に表現するもの、ではなかろうか。

(もちろん、そこに顔立ちというものは無関係ではないが、それも含めての人間としての魅力である。)

 

であるから、アイドルに「実力」がない、などということはない。

単に「歌の実力」や「ダンスの実力」がない、だけ…いや、個々で見れば本職なみにそれらが上手いコもいるから、「歌の実力」や「ダンスの実力」が単純に求められているジャンルではない、と言い直そう。

 

プロデュース側の「実力」は、そのコの魅力を最も引き出せる楽曲やパフォーマンスを決めること。それらの売り出し方のタイミングや方法を決め、ファンがその物語を共有、共感できる歴史をつくっていくこと。

アイドル本人の「実力」とは、もちろん、与えられた歌やダンスやトークのスキルを高めるということもありつつ、それらを通して自分自身の内面をいかに表現して、各人の個性によって、見る人に元気なり、癒しなり、疑似恋愛気分なり、何かを与えられる力。

 

最近は、というかAKBは特にバラエティ番組での無茶ぶりや、“ガチ”の企画で、それぞれの個性が試されることが多い。(これも、人間ドキュメンタリーを見せるという意図のもとだと思うが)

そこには、はっきりと定められる評価基準はない。

見る人によって、評価は様々であり、単純な実力の評価基準はない中で、運営側に評価されたメンバーが、オーディション通過、デビュー、シングルCDの選抜メンバー入り、テレビ出演、などの機会を与えられ、そこで人気を得たメンバーがさらに人気を伸ばしていく。

そういうはっきりした「実力」の基準がない、ということはイコール実力は関係ない、ということではない。単純な評価基準はない、というだけであり、各人の努力の余地はある。

全く人生そのものである。決められた人工的なルールの中で評価が単純明快という、スポーツのようなファンタジーの世界とは違って、どこまでも人間くさくて魅力的な世界だ。

もちろん、芸能界には、よく口さがない連中が噂するような枕営業やら、そうでなくても単に番組プロデューサーやスポンサーの好みでチャンスを得る場合もあるだろう。

そのあたりのことは分からないが、しかし、それやこれやも含めて人生の縮図。

 

 

プロレスラーの実力。

プロレス初心者の人にプロレスのことを話していて、どうも混乱してしまうのは、プロレスラーの「実力」ということについてである。

ショーということを前提に話しているのだから、「実力」というのは、その意味での実力であるのはもちろんなのだが、なぜだか実力=ガチンコ、真剣勝負の強さ、という意味でとられてしまう。

なぜそんな不思議なことになるのか、答えは簡単だ。

プロレスファン以外の人達、特にプロレスを八百長だと見下す人間ほどプロレスを真剣勝負だと思っているのだ()第1章 <「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像>

参照)

矛盾する話だが、実際そうなのだ。

だから、「プロレスは真剣勝負ではなく、ショーですよ」という前提で話しているのにも関わらず、プロレスにおける実力とは真剣勝負の強さ、としか認識できない。

ショーマンとしての実力、という概念がないわけではないのだと思うのだが。

歌手としての実力、俳優としての実力、ダンサーとしての実力…これらの言葉を聞いて意味が分からないという人はいないだろう。

なぜにプロレスの実力、と聞いてそれが理解できない、もしくは全然違う方に理解されるのか。

プロレスは真剣勝負→真剣勝負の「実力」は強さ→その真剣勝負のインチキでショーをやっている、という構図なのだ、プロレスをバカにしている人達の頭は。

だから、繰り返すが、プロレスをショーだとバカにしている人間ほど、基本認識としてはプロレスを真剣勝負だと思っているのである()

「力道山の頃は真剣勝負だった」という、プロレスを分かっている人から見たら子供のように無知で無邪気でかわいいことを言うおじさん達がよくいるが、そういうのは間違いなくその手合いである()

 

プロレスとは、お互いの協力がないと成り立たない技の連続で成り立っている。そこには、ガチンコの技術とは全く違う、プロレスの技術がある。

 

プロレスの歴史をひも解くと、単なる真剣勝負から、いろんな経緯を経てエンターテインメントとしてのプロレスになっていった歴史がある。(「リングサイド プロレスから見えるアメリカ文化の真実」(スコット・M・ビークマン 早川書房)に詳しい。)

その歴史を進化させる中で出来上がっていったエンターテインメントとしてのプロレスの基本技術、そして各人が様々に編み出したムーヴや展開がある。

それらを血のにじむような練習でしっかりと身につけたうえ、技を受け止められる強靭な肉体をつくりあげ、プロレスラー達は試合を組み立て、リングの上で素晴らしいエンターテインメントを展開するのだ。

 

そう言ってもプロレスのことを知らない人には分かりにくいだろうから、プロレスの技術の1つ、受け身を例にとってみよう。

組み技系の格闘技なら全てにおいて身につけなければいけない受け身。

柔道、合気道、レスリング…それぞれ、受け身の取り方の細かいところは違ってくるが、目的は1つ。投げられた時に頭を打たないように、ダメージを最小限に抑えることである。

しかし、プロレスで言う受け身は違う。

もちろん、頭部を守りダメージを少なくすることもあるのだが、それと同時に、相手の技をしっかり凄いものに見せるための受け身がプロレスで言う受け身である。

相手の投げ技には、派手に見栄えがするように飛んで、なおかつ頭部に致命的なダメージを受けないようにする。

投げでなくとも、例えばラリアットを受けた時に、尻もちをつくようにどすんと倒れるのではなく、しっかり身体が浮くように飛んで、受け身をとる。同じラリアットでも、受ける方の上手い下手で、すごいラリアットにもなれば、へなちょこラリアットにもなるのだ。

そういう意味での上手さが、プロレスで言う受け身の上手さである。相手の技を光らせて、自分もダメージをなるべく受けないのが理想。

 

その他、序盤のロックアップ(お互いに、相手の肘と首を押さえて4つに組んだ状態)からヘッドロックを左手で取って、ロープに送って(このロープに振られて返ってくるロープワークという動きにも、基本技術がある)返ってくる相手と左肩どうしでぶつかるムーブ。(どちらでぶつかるか約束事がなければ、怖くて全力でロープから返ってこれない。やってみれば分かる)

ヘッドロックから首投げで投げて、投げられた方がレッグシザースで相手の頭を挟んで返して、そこから2人がスクッと起きて観客の拍手がおこる、おなじみの展開。

その他、様々な技の応酬のパターンがあり、それらを観客の反応を見ながら、臨機応変に組み立てて序盤の展開をつくっていく。

 

いろいろ細かいところを書いたが、何が言いたいかというと、プロレスとは「真剣勝負のインチキ」ではなく、全ての展開がお互いの協力がなければ成り立たない技の応酬で、それらには基本技術がある、つまりエンターテイメントとして成熟しているジャンルなのだ。

 

「プロレスの実力」とは、それらの技術の上手さ、試合の組み立ての巧拙、自分のキャラクターの確立、表現力、さらには、見るだけで金を払う価値があると思わせる肉体を持っているか、試合に向けてのあおりのインタビューでの表現力、などなど。

さらに言えば、コスチュームの選び方なども実力のうちだろう。

 

また、基本技術がものすごく下手でも、間の取り方や表情、オーラ、観客の予想を裏切る仕掛け…それらの突き抜けた表現力で超一流と言われるアントニオ猪木のようなレスラーもいる。俳優で言うなら、滑舌その他基本的なことが全然ダメでも、その存在感、オーラで一流と言われる俳優(演技のことはよく分からないが、勝新太郎などがそれにあたる?)。

そういうレスラーを実力があるかと聞かれた場合、人によって評価が違ってくるだろう。

そういう意味で、プロレスも、スポーツという簡単に実力が評価できる世界ではなく、どこまでも奥深く、一生見続けて飽きないジャンルである。

「実力」が一筋縄では評価ができないところ、かといって、「実力」は確実にある世界、というところは人生そのもの。逆に実力の評価が明瞭に示されるスポーツの世界はファンタジーの世界である。

 

歌手や役者の実力と「アイドルの実力」について書いていて、似たものに、寄席や舞台での芸人の実力と、テレビのバラエティ番組での芸人の実力の違いに似ていると思った。

 

これも、ともすれば、寄席の芸人は「本物」、バラエティの芸人は「にせもの」的なことを言う人間がいる。

これも、寄席がジャンルとして確固たる地位があるのに比べ、「バラエティ」というものの社会的地位があやふやなため、世間のジョーシキに沿った考え方しかできない人間は、偏見で目が曇っていて見えない。

 

では、寄席一筋の芸人がバラエティに出て、そこで求められる流れに沿いながら笑いがしっかりとれるのか?

 

時々、「○○ってお笑い芸人面白くないよな~。あいつよりは俺のほうが面白いこと言えるよ」とか言う勘違い人間がいる。バラエティが軽い気持ちで楽しむものだから、つくるのも簡単にできるものだという、なんだかアイドルを見下す人間と同じ傾向を感じるが、お気楽に見るものだから、つくる方もお気楽につくれているわけではない。お友達たちとの飲みの席などで笑いをとるのとバラエティで笑いをつくるのとを同じに考えているのかもしれないが。

 

テレビには番組の台本があり、その流れに沿いながら、話さねばならない。

好き勝手に時間を気にせず話せばいいというものではない。

全体のチームプレーであり、自分一人が暴れ過ぎてもいけない。

仲間うちなら、長年ずっと一緒にいるなかでお互いのキャラも分かっていて、その認識を土台に笑いをとれるが、テレビでは、あくまで番組の中の自分が与えられた限られた時間で、自分のキャラというものを表現して視聴者に分からせなければいけない。

仲間うちでの飲み会や職場の休み時間などのリラックスした雰囲気ではなく、カメラや照明が一斉に自分に向かってるスタジオで、「笑いをとらなけらばいけない」「視聴率をとらなけらばいけない」という状況で、決まられた流れの中で、時間や全体のバランスを考えながら発言し、リアクションをとらなくてはいけないのだ。そう簡単なものではないでしょう。

 

 

寄席、舞台は金を払って見に来て、集中して見ている観客を笑わさなければいけない。

テレビ、特にバラエティは、無料でお気楽に見ているという違いがある。

だからと言って、寄席が難しく、バラエティは簡単、ということにはならない。

与えられている条件が違うだけ。

金を払って見に来た客を満足させて帰す大変さ。

いつでもチャンネルを変える、テレビを切ることのできる視聴者を引き付けて、視聴率という結果を出さなければいけないテレビの大変さ。

どちらが難しい、どちらが大変という比較はできない。

もし、絶対的に寄席のほうが難しい、と言えるものならば、寄席の名人達が集まってバラエティ番組つくれば面白いものができなければおかしいが、そう言えるか?

 

ジャンルが違うものを比較してもどうしようもないのだ。

 

よって、自分からしたら

    高尚な、アーティスティックなお歌ではなくアイドルの歌を聞いて楽しんでいる人、

    真剣勝負の格闘技ではなく、プロレスを見て楽しんでいる人、

    高座の笑いではなく、テレビの笑いを見て楽しんでいる人、

Etc

 

を見て、「本物の○○を分かってない」と見下す手合いこそ、分かってないなあ、としみじみ思うのである。

 

 

 

 

 


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最終更新日 : 2012-09-01 00:40:36

43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き

 人生を38年送ってきて、未だに自分というものが分かってこなくても、自分の好きなもの、嫌いなものは何なのかということが徐々に分かってくる。

自分の場合、好きなものは「人間の匂いのするもの」で、嫌いなものはその逆、人間の匂いがしない「フワフワしたもの」だ。

 

例をあげていくと…。

 

 好きな漫画は「ゴルゴ13」を筆頭に、劇画。

 嫌いな…嫌いというより、本当に読み進められないのが少女漫画の絵。内容はおもしろいものはたくさんあると思う。が、あの絵がもう、嫌いとかいうことじゃなく、目がチカチカしてくるような感覚で読めない。

 あと、これは食わず嫌いなのかもしれないが、いわゆるヲタクっぽい、カラフルなセーラー服着た女のコが主人公のような感じのアニメも好きではない。

 ちゃんと見てないから単にイメージで言ってるだけなのだが、人間の匂いがしない感じがする。

 まあ、37歳にして(それまで興味なく、どちらかと言うとバカにしていた)「アイドル」というジャンルにハマったのだから、これからの人生でアニメにハマったり、少女漫画も読めるようになる可能性はあると思うが。

 

 プロレスラーでなんといっても「たまらん」のは、花道を去っていくベテランレスラーの背中であり、天龍、長州のような男気ムンムンのレスラーは、目の前で見てその男気にあてられるだけでも金を払う価値がある。

 逆に、前述したドラゴンゲートという団体は、すごく洗練されていて「世界最先端のプロレス」を称しているだけあって、試合はすごく面白いが、一方で「人間臭さ」がもう少し感じられないのが残念。

 

 その流れで言うと、「AKB(アイドル)って、フワフワしてるんじゃないの?」と思われるかもしれない。

 違うのだ。

 真逆で、AKBは、人間の匂いプンプンのアイドルなのである。

 もうちょっとかっこよく言えば、「汗の匂いのするアイドル」といったところか。

まず、ホームグランドが小劇場の公演。たいした装飾もない小さな舞台で(※1)、セットリストごとに何曲も難しいダンスを覚え、そしてMCも全てまかされる。

 昔のアイドルのように、司会者の仕切りのもと、万事用意のととのったテレビのスポットライトに押し出されるように出て、素人同然(以下?)の歌唱力、身体を少しゆらすくらいの簡単な振りを披露し、お疲れ様、というのとはワケが違う。(昔の、と言ってもいろんなアイドルがいたし、全てがそうというわけではない。また、そういう感じのアイドルにしても、実際はいろんな苦労があったろう。ここでは、自分の言いたいことを説明するために、自分の目に映った昔のアイドルの感じをオーバーに再現したまで。)

 研究生からスタートし、魅力的な素材になってきたら、正規メンバーにされる。

そして、ここが重要だが、その苦労の様子を、日々、ファンに見せている、ということである。

 総選挙、というこれまで考えられなかった、人気を順位づけして公開するというイベントでの泣き笑い。

 かなりキツイこともやらされる冠番組(※2)で見せる人間性。

 公演で、メンバーもファンと一緒に突然次の企画や、メンバーの脱退などを知らされる“サプライズ”

 これら全ては、これらによって、メンバーの感情をファンに前に表出させるために置かれた、ドキュメンタリーを成り立たせるための仕掛けとして機能している。

 

 テレビや映画、雑誌の取材などにも、積極的にバックステージを見せている。

 もちろん、見せられないところは見せていないだろうが、ダメだしをされているところ、へばっている様子などもバンバン流されている。運営側が意図的にそうしているのだろう。メンバー達の成長する様子、あるいは途中で挫折するところも含めて人間のドキュメンタリーを見せる、というAKBのコンセプトのもとに。

 

 この「人間の匂い」が好き、ということの説明補足する意味で、自分的に「好きなかっこつけ方」「嫌いなかっこつけ方」があるので、それを挙げる。

 

ファッション編

「嫌いなかっこつけ方」雑誌でチェックした卒なく無難に流行りのものを着こなす。

「好きなかっこつけ方」流行など無視。自分が思うかっこよさを追求したスタイル。

 

 

アーティスト編

「嫌いな~」無難なファッションで登場し、自分の歌うさわやかなラヴソングの主人公そのままに、ボソボソとアーティストっぽい喋り方をする人。下ネタなど決して言わない。

「好きな~」スケベ心も隠そうとせず、自分の思うところをみっともないくらいに熱く語り、身体をビルドアップして以降は上半身を露出させたファッションがとたんに増えた長渕剛。

 

スポーツ選手

「嫌いな~」流行のヘアにオシャレな装い、鍛えた身体はさりげなく見せるっぽく見せたいJリーガー。

「好きな~」タンクトップにテカテカ黒肌、さりげなさなど微塵もなく身体を見せつけるボディビルダー。

 

 ようは、むきだしで生きてる人が好きで、そうでない、なんだか「フワフワしたもの」が嫌いなのだ。

 かっこつけてる事を重々認識しつつ、「かっこつけてる自分」も同時にさらけだしているのは好き。

 自分で「かっこつけてる」事を自己認識してない、あるいは認識してても「かっこつけてる自分」は隠し、さりげなくかっこつけようとしてるのは嫌いである。

 

 AKBのメンバー達の、それぞれの夢へ向かって奮闘している姿は、前述したような様々な方法でファンの前に露呈されている。

 また、AKBファン達は、それぞれのメンバーが、どのような夢を持って、どういう苦労をしてAKBに入ってきたか、入ってからの苦労などの物語をだいたい知っている。

 篠田麻里子が劇場隣接のカフェからメンバー入りしたこと、横山由依が京都から長距離バスで週末ごとに上京しレッスンに励んでいたこと、梅田彩佳のケガによる長期欠場、などなど。

 そして、それぞれが少しでも多くのスポットライトの当たる場所に立ちたいという欲望を隠していない。

 「アイドルになりたい」という願望は、「見る人を元気にしたい」というような思いももちろんあるが、悪く言えば、ある意味なかなかかっこ悪い部分もある。

 自分の容姿にそれなりの自信があり、男の視線、声援を浴びながらスポットライトのあたるところで歌ったり踊ったりしたい、という願望。

 

 だからであろう、よくアイドルで「家族が勝手に履歴書送っちゃって…」という入ったいきさつ?を話す人がいる。

 それが本当であれ嘘であれ、普通のアイドルならばその発言はありだろうが、AKBではあり得ない。

 「AKBは夢のプラットホーム」と秋元康が言っているように、芸能界に入って、AKBに入って、叶えたい夢がある、それを堂々と口に出し、その夢に向かって成長していく様子を見るドキュメンタリー、それがAKBであるからだ。

 そういう彼女達自身のもがく姿が浮き彫りになって現れるのを見て、何かを感じるのだ。

 アイドル、というもの自体は「人間」の匂いのしない、自分の言うところの「フワフワしたもの」かもしれないが、アイドルになりたい、また、アイドルを通過して女優、歌手などになりたい、という願望とそこへ向かう姿が浮き彫りになることで、とたんにこれ以上ないほど人間の匂いがしてくる。そう、AKBとは、汗の匂いがするアイドルである。

 AKBに限らず、アイドルはフワフワしてるものかもしれないが、そこに夢を持って汗水たらす少女達は人間臭い。AKBは、それを見せているグループだ。いや、グループというよりそういうシステムであり、ジャンルなのだ。

 

 だから、AKBには、AKB自身のことを歌った歌が多数ある。

 抽象的にもあるが、具体的なものも多い。AKB用語を用いていている歌も多数ある。

 

「チームB推し」「黄金センター」、その他にも多くの曲で、「AKB」「センター」「選抜」などの言葉、メンバーの名前を歌詞に散りばめた、AKBそのものを歌っている。

 

Overtake

 

選抜メンバー もれて嘆くより

今 君にできることへ 努力しかないんだ

 

 

秋元康からメンバー達へのメッセージ(それはひいては人生そのものへの応援歌にもなっている)ともとれる歌詞も多数。

 

「少女たちよ」

 

ステージの片隅で

もがき続ける

悔しさや空しさも

青春の時

 

少女たちよ

もうすぐ夜明けが来る

夢の未来はこれから始まる WOWWOW

少女たちよ

何もあきらめるな

悲しいことなんか すべて捨てて

全力で

全力で

走るんだ!

 

 昔、その当時バリバリのトップアイドル・小泉今日子が歌う「なんてったってアイドル」という歌があった。

 当時としては、なかなかぶっ飛んでる歌詞でインパクトが強かった。(※3)作詞は秋元康である。

 この歌は時代を反映してバブルの匂いがしているのに引き換え、大不況時代に生まれ育ち、人間としてしっかりしている現代の若者から出ているAKBをはじめとした現代のアイドルに与えられた歌の歌詞からは、自分がチヤホヤされたいというよりも見る人を元気にしたいという気持ちの方を強く感じる。が、「なんてったって~」にしろ現代のアイドルにしろ、アイドルでいることの嬉しさをみっともないまでに「さらけ出している」ところは好きだ。

 バブルの時代に「さらけ出そう」としたら、「なんてったってアイドル」の方向になるのだろう。

 

 そして、時代は平成大不況。

 頑張る人間がかっこいいという時代意識のもとに誕生したAKBが、いかに人間臭く汗まみれのアイドルであるかについては、映画「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る」を見てほしい。

 前年公開の前作「DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう? 」はインタビュー中心のドキュメンタリーだったが、今作品は、被災地訪問のトラックの荷台でのステージや、各イベントの舞台裏を、夢を追う少女達の成長をそのまま見せるというAKBのコンセプトのまま常にカメラで記録していたものを、1つの映画にしたもの。

 こういう舞台裏を映したものを見る以前に、その作品の素晴らしさと、そこにAKBのスタッフとメンバーがかけている手間ひま、汗の量はハンパではないと分かっていたが、表から見てて分かっていたその事を、この映画では舞台裏の視点から改めて見た。
 AKBに少しでも興味ある人ならもちろん、そうでない人も感動や、静かに沸き上がってくる元気をもらえる映画だ。

 

 

 日本という国において、その象徴となっているのは言うまでもなく天皇陛下。

神話そのものでもなく、何千年前にこの世を去って神格化された人間でもなく、現在、我々がその肉声を聞き、見ることのできる人間。

 

 そして、その源流となっている神話、記紀の神話の神々の何と人間くさいことか。

 神々のドロドロした愛憎うずまく話、そしてそれにとどまらず性の話やら糞便やら、これでもかと人間の匂い充満の話。神からつながる天皇の正当性を、権威をつけるためには、もっと神々しく綺麗なものを描いてよさそうなものだが、この、どこまでも人間くさい神々。

 

 プロレスラーは、裸の神様であり、プロレスは裸の強き神々のお祭りだ。

 まるで記紀の神々を彷彿とさせる。リングで躍動する肉体。飛び散る汗、血。

 

 実際は基準がはっきりしているジャンルではないが、建前上は勝敗、タイトルの有無などによってはっきりした差がつけられる特殊な世界ゆえに起こる嫉妬、様々な人間くさい思惑。そして、それらを抱えながらリング上で裸の肌をあわせる者どうし。それを見つめる観客の目。

 

 プロレスほど人間くさいジャンルを他に知らない。

 AKBほど人間くさい芸能集団を他に知らない。

 

※1 AKB劇場・戸賀崎支配人が劇場スタートに向けて準備をしていた頃を思い出して語った話「何もないところに、というのはポイントで、当時の照明さんとかは、LEDの基盤を床と壁に入れれば、いろんな映像が出せるしいろんな演出ができますよって提案してくれたんですけど、秋元さんは『いや、ステージは木だ』と。で、『後ろも真っ黒でいい』。『何もないところで、生身の人間達が世界観を作りだしていくのがいいんだ、テクノロジーに頼るものは飽きられちゃうぞ』っていうことで、今のような木張りのステージになった。」(Quick Japan vol.87 AKB48永久保存版大特集 83ページ)

 

※2 冠番組の1つで、そのキツイ企画の数々が伝説となっているCS「ファミリー劇場」の「AKB48ネ申テレビ」プロデューサーの佐藤正之氏はこう語っている「彼女達はアイドルですが、彼女達の普段の様子を掘り下げようと思いました。でも、カメラを向けた状態で『いつも通りのあなたでいてください』と言ってもなるわけがないんです。そこで生まれた工夫が『むちゃぶり』です。『ちょっと怖いな』と思うようなことをしてもらうと、素の声が出るんですよ。我々が1番観てほしいのはそこです。家族と接している時の、そ彼女達を観てほしいけれど、家族と一緒のところを映すわけにはいかないから、家族のかわりにむちゃがあるんです()。」(QuickJapan vol.87 AKB48永久保存版大特集」より)

 

    3 なんてたってアイドル 1番歌詞

 

なんてったってアイドル

なんてったってアイドル

 

赤いコンバーチブルから

ドアをあけずに飛びおりて

ミニのスカートひらりで

男の子達の

視線を釘付け

黒いサングラスかけても

プライバシーをかくしても

ちょっとくらいは誰かに

そうよ私だと

気づかなくちゃ イヤ・イヤ

恋をするにはするけれど

スキャンダルなら ノーサンキュー

イメージが大切よ

清く 正しく 美しく

 

なんてったってアイドル

私はアイドル

You are an idol

なんてったってアイドル

ステキなアイドル

You are an idol

アイドルはやめられない

Yeah! Yeah! Yeah!

なんてったってアイドル

なんてったってアイドル

なんてったってアイドル

 

 

 

 


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最終更新日 : 2012-10-06 22:15:25


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