目次
はじめに・出版社の方へ・目次
<2013.5.7追記、お詫び>
はじめに
出版社の方へ 紙の書籍としての出版先募集してます
目次
第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由
3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像
4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間
5 天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ
第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
6 AKBの核・劇場公演とは?
7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ
9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる
10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由
11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」
第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
13 格闘技のリアリティ
14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上
15 アイドルこそは最もリアリティある世界
16 リアルとリアリティの違い
17 人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス
18 虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生
第4章 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
19 ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇
20 国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段
21 天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない
22 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
23 「人間」を観るジャンル
24 「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を
第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
25 AKBの歌のベースは 色即是空 
26 AKBの楽曲の世界
27 “AKB顔”
28 少女達の大人数集団の独特の魅力
29 共同体と個人競争の社会
30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室
32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力
33 サプライズは人間ドラマの花形
34 共同幻想
35 偏見が熱気、パワーを生んでいる
36 「商売」が嫌いなアンチ達
第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB
37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ
38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念
39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない
第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗
41 AKBの尋常じゃない汗の量
42 アイドル、プロレスラーの「実力」
43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス
44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景
45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している
46 推しメンとファンのプロレス
47 乃木坂46
48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間
第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
49 既成概念でしか物事を捉えられない人々
50 ジャンルそのものを見下す愚かさ
51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍
52 軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号
53 アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン
54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性
56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人
57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像
終わりに、参考文献、奥付
終わりに
参考文献
奥付

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26 AKBの楽曲の世界

 前項で、AKBの歌の底に流れるのは色即是空の感覚と書いた。

 キラキラと輝く青春ははかないもので、そのはかなさを抱き締めつつ、だからこそ今を生ききろうとする、その輝きとせつなさ。

 青春を人生と書き変えても、そのまま同じメッセージになる。人生のそれが青春に凝縮されているのだ。

 

 毎年、早春に、「桜」がタイトルに入り、内容でも卒業や新しいスタートがテーマとなる曲が発表されている。(2012年は、タイトルこそ「GIVE ME FIVE!」だったが。)

 言うまでもなく、毎年同じ時期に見事な花を咲かせ、短い日数で散ってしまう桜は、日本人の無常感、“もののあはれ”を最も象徴するものである。

 無常感、もののあはれは、ここで自分が言うところの色即是空とかなり似た意味合いを持っており、AKBが毎年、その桜をテーマとした曲を出しているのも頷ける。

 10代の若者の桜の季節に訪れる別れと旅立ち、その期待感と不安、その世界を見事につくりあげていると同時に、その気持ちにセンチメンタルに浸っているだけではダメで、自分の足で一歩一歩力強く目標に向かっていかなければいけないというメッセージが込められている。

 

 自分は、AKBのシングルの中では「10年桜」が1番好きである。

 

 卒業前に「君」に恋してた日々を振り返ると同時に、これからの未来への期待で胸ふくらませる、桜咲く「今」という時間が鮮やかに描かれている。

「10年後」という、未来でもあり同時に確かに近く訪れるという感触も持てる時に、もっと成長して「君」に「また会おう!」という若者の高揚感。

 卒業シーズンのそういう気持ちをアップテンポでありながらせつないメロディにのせて表現しているこの曲を聴くと、何歳であっても、未来を見据えて「今」頑張ろうという気持ちになれる。

 

 多くの歌詞に共通していることの1つは、過去、未来の大きな時の流れやこの世界全体、こういう大きなものを想い空を見上げながらも、今ここで足元見つめて着実に1歩1歩歩こうというメッセージだ。

将棋の名人の言葉

「着眼大局、着手小局」という言葉が思い浮かぶ。

 

 

10年桜

 

つらいことあっても

うまくいかなくても

過ぎる春を数えながら

寂しくなるけれど

未来を信じれば

僕は頑張れる

 

 

桜の栞

 

喜びも悲しみも

過ぎ去った季節

新しい道

歩き始める

 

空を見上げれば

その大きさに

果てしなく続く

道の長さを知った

 

晴れの日も雨の日も

明日は来るから

微笑みながら

一歩 踏み出す

 

 

 青春の今という時は瞬く間に過ぎてしまう幻のようなもの。だからといって

刹那的に生きるのではなく、逆に、それを意識すればこそ、今を大切に生きられる、そう生きようというメッセージがこめられている。聴いているとそういう気持ちになれる。

 

涙サプライズ

 

広い世界の片隅で

同じ時代を生きてる

今がきっと青春かも

遠い先で いつの日か

思い出すだろう

 

Happy Happy birthday

ケーキのキャンドルを

一息で

さあ 吹き消せよ

ああ その先のしあわせに届くように…

Happy Happy birthday

まだ 夢の途中さ

目の前の

未来の道は

輝いてるよ

まず一歩

歩き出そう

 

 

 この、「今しかない!」「今を生きろ!」というメッセージは、AKBの多くの歌に共通して見られるものである。

 それは、青春のひと時を精一杯努力し生きている少女達を見せるというAKBのコンセプトと重なり合い、AKBが歌うからこそ、そのメッセージがよけいに心に入ってくる。

 「誰が歌う歌か」ということを前提に書いている、職業作詞家の秋元康のつくった素晴らしい作品群だ。

 

 

大声ダイヤモンド

 

失うものに気づいた時

いても立っても

いられなかった

今すぐ 僕にできるのは

この思い 言葉にすること

 

 

「RIVER」は、目の前の川を今、全力で渡りきれ、という力強いメッセージソング。

大ヒットした「Beginner」は、過去の経験なんか関係ない、恥も外聞も捨てて常に今という時をBeginnerとして開き直って生きろという、強烈な歌詞が胸に突き刺さる曲だ。

 

 

 「ポニテールとシュシュ」は、夏という、強烈ではかない季節と、せつない恋心がアップテンポながらもせつないメロディに込められている。

 せつないのに、この片思いの気持ちを抱き締めてこのまま永遠にしたいような気持ち。

 

ポニテールとシュシュ

 

ポニーテール(切なくなる)

片想い

瞳と瞳合えば

今はただの友達

 

束ねた長い髪

水玉のシュシュ

恋の尻尾は

捕まえられない

触れたら消えてく

 

ポニーテール(ほどかないで)

変わらずに

君は君で(僕は僕で)

走るだけ

ポニーテール(ほどかないで)

いつまでもはしゃいでいる

君は少女のままで

 

 色即是空は、今のこの華やかな光景や楽しみも、はかない幻、すぐに過ぎ去るもの、という認識だが、以下に挙げた歌詞は、それに続く空即是色=(はかないものだが、しかし、今、確かにそのはかなくも華やかな「今」を感じている。)

 

 

ヘビーローテーション

 

人は誰も

一生のうち

何回愛せるのだろう?

たった一度

忘れられない

恋ができたら満足さ

 

そんなときめきを感じて

花は綻ぶのかな

 

Everyday、カチューシャ

 

確かなものなど

何も欲しくはないよ

無邪気な君と

来年も

海に来られたら…

 

ここに挙げたのは、すべてシングルとして発売されている曲だが、AKBの楽曲のほとんどは、劇場公演で歌い踊られている「劇場公演曲」その数は膨大で、数百曲にのぼる。

 世間一般に知られているのはシングルばかりだが、実は劇場公演曲にこそ名曲が多い。

 それについても書いてたらキリがないのだが、公演ごとにCD、DVDが発売されているので、ぜひ聴いてみてほしい。劇場で生で見るのが1番なのは言うまでもないが。

 

 

 

 

 


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最終更新日 : 2012-10-05 22:49:50

27 “AKB顔”

 AKBにはかわいいコが少ない、あるいはメンバーよりかわいいコ、そのへんにいっぱいいるじゃん!AKBってたいしたことないよね…という声をよく聞く。自分もハマる前はそう思ってた。

 

 しかし、それは従来のアイドルというジャンルの尺度でAKBを見ているからこその感想であって、AKBのメンバーのルックスの平均値がそう高くない、中には全くそのへんを歩いている普通のコと同じレベルなメンバーもいることはファンなら百も承知で、秋元康自身が「クラスで2番目、3番目に可愛い子を集めた」と言っている。「クラスで10番目に~(以下同文)」というのを読んだ記憶もある。どちらが本当かは分からないが、とにかく、お人形さんみたいに可愛いコ、あるいは常人離れしたスター顔はAKBには似つかわしくないのだ。

 

AKB顔」にふさわしいのは次の3点だろう。

 

1.身近にいそう

2.個性があり、ある人が見ればかわいいと思うが、別の人がみればそうでもない、つまり好みが別れること

3.表情が豊か

 

1について。

「人間」を感じさせること。自分達が支えるという感覚をもちやすいこと。

2について。

「俺はこのコが好き」という感覚を持ち得ること。誰から見ても美人、ではそう感じえない。

「俺はあのコが好き、このコはちょっと…」ワイワイと言えることが楽しい。

3について

これも1と同じく「人間」を感じさせること。

自分が宮澤佐江ちゃんを推している理由の1つは、その表情の豊かさ。口の形の変化が最高に好きである。

 

 ここで、メンバーの一覧表を見ながら、特にAKBっぽい顔と、それっぽくない顔を直感で挙げてみた。

 

AKB顔 指原莉乃 高城亜樹 北原里英 柏木由紀 渡辺麻友

AKBっぽくない顔 篠田麻里子 梅田彩佳 板野友美 松井咲子 

 

 さしこ(指原) あきちゃ(高城) きたりえ(北原) ゆきりん(柏木)は、お分かりだろう。ルックスは常人並である。

 もしも4人がこれを読んでいたら怒りそうだが、ここから最大限に褒めるから読み進めてほしい。

 「ルックスがいい」と「かわいい」は違うのだ。

 前者は単に顔のつくりの問題。

 後者は表情や、日頃の行動を見ててその人に抱く人間像(AKBでいえば、番組や公演などで見てて抱く印象)、その人と自分のこれまでの人生における関わりで蓄積されている記憶(AKBでいえば、握手会などでの記憶)、それら全てを含めて1人の人間の心の中でできあがっていく全人的な印象の問題。

 自ら「かわいくない」と、おそらく本気で言っている指原莉乃だが、たしかにルックスは「クラスで4~5番目にかわいい女の子」(筆者独断)という感じだが、自分にはかわいくてたまらない。現在、個人的推しメンランキングでは5位くらいにつけている。

 そのメンバーの歩んできた歴史、テレビ番組や公演、握手会などでの対応、そういった全ての記憶をもって彼女を見ると、そこに「かわいい」という感情が生まれるのだ。

 これも何も特別なことではなく、我々の人生で、誰かを「かわいい」と思う過程と同じである。対象が異性である場合、もちろんルックスも大きく、その感情に影響してくるが、対象を見てきた、関わってきた記憶が相まってかわいいという感情が生まれる。

 それをある意味具現化したのがAKBの、少女達の頑張っている様子、喜怒哀楽を昇格、選抜、選挙などのドラマで真近で見せるコンセプトだ。さらに握手会では自分とそのメンバーとの直接の関わりの記憶が出来上がっていく。

 AKBファンはその楽しみ方を理解しているから、全体的にルックスが少々劣っていてもあまりたいした問題ではないのだ。むしろ、ふつうっぽい感じのコの方がいい。

 顔のつくりがいいことなど、生まれつきの問題だから、たいした自慢にはならない。

 

 ルックスが素晴らしくかわいいまゆゆ(渡辺麻友)を“AKB顔”入れたのは、AKBの拠点・秋葉原の二次元文化を具現化した顔だからで、深い意味はない。

 

 「AKBっぽくない顔」の篠田麻里子と板野友美は、誰から見てもかわいいからだ。

AKBファンではないけど、トップ5~10くらいまで何となく分かるというくらいの人に、その中では誰が好きかと聞くと、ほとんどの人が篠田麻里子と答える。

 特にそれぞれの個性などを知らずに写真を見て選ぶ感覚だと篠田麻里子が1番人気になるのだと思う(麻里子様に個性がないと言っているのではない)

 さらに、2人とも、大人の匂いがして、完成されている感じがする。

 どこか頼りなげで、自分達が推して応援せねば!と感じさせるのがAKBっぽいところ。そういう意味ではさしこ(指原莉乃)などはルックスが常人並であることに加えて、まさしくAKBの申し子のようなコである。

 麻里子様やともちん(板野友美)などは他のメンバーと同じく頑張っているのだろうが、余裕でやっていそうに見えるのは損でもある。(と同時に、それが個性でもあるからいいのだが)

 そして、梅田彩佳、松井咲子を含めた「っぽくない顔」4人に共通するのは、都会っぽさである。洗練された都会の女の子という感じ。

 かわいいか美人かで言うと美人だ。

 

 都会よりはちょっと田舎くさいほうがAKBっぽい。田舎の高校の女子運動部のひたむきさというか。ひたむきに頑張っているのは都会も田舎も関係ないわけだが、イメージが違う。

 部活で汗を流したあとは、オシャレな私服に着替えて電車乗って友達とカラオケ行って、休日は男友達や彼氏と渋谷で買い物…という都会の運動部と、部活後はジャージで自転車で家に帰って、休日はやはりジャージで自転車乗ってジャスコのフードコーナーで部活の女友達5人でだべる…。(イメージですよ、イメージ!)練習時間は同じでも、田舎の方が全てを部活に賭けているという感じがするだろう()

 AKBは、やはりAKBにいる間はAKBに全てをかけて頑張ってほしい気がする。(もちろん、麻里子様達もさしこ達も両方とも頑張ってると思いますよ。ここで言ってるのは、単に顔のイメージでの話です!)

 

 「少女たちよ」というAKBの歌があり、秋元康がメンバー達に頑張れというメッセージを送っているような歌詞なのだが、そのサビに、

 

少女たちよ

何もあきらめるな

悲しいことなんか すべて捨てて

全力で

全力で

 

というところがある。

 自分はしばらく、「悲しいことなんか すべて捨てて」というところを「楽しいことなんか すべて捨てて」と聴き間違えていた。

 それで疑問に思ってなかった。

 遊びも恋もすべて捨ててこれに打ちこめ、というメッセージと解釈し、とても印象に残っていた。

 AKB以外が歌っていたら「楽しいことなんか すべて捨てて」って??と疑問に思って、すぐ歌詞を読み直していたかもしれない。

 

 田舎くさいほうがいい…に話を戻すと、ベストなのは、田園風景広がる地方の出身ではなく、東京近郊のベッドタウンで、特に都会でもなければ、田んぼが広がっているわけでもない住宅地出身。「普通感」「どこにでもいそうな感」を感じるから。

 前田敦子の千葉県市川出身、大島優子の栃木県出身などは最高である。さすがツートップ()

 

 

 


31
最終更新日 : 2012-10-05 23:46:25

28 少女達の大人数集団の独特の魅力

 ずっとAKBグループを見ていると、それ以外のアイドルを見ていて何か物足りないものを感じることがある。

 魅力的なコがいないわけではない。楽曲が良くないわけではない。例えば、ももいろクローバーZの楽曲の面白さ、ライヴパフォーマンスの激しさ、楽しさは異常なまでにすごい。大好きである。

 では、AKB以外のアイドルを見て感じる物足りなさとは何か。

総選挙や正規チームへの昇格システムなどの人間ドラマか。あるいは劇場公演という核があることか。それも大きい。

 

 しかし、もう1つ、大きなもの。

 少女達が大人数で1つの集団になった時の魅力。

 

 少女達が集団になった時のあのワイワイした楽しい感じ、そして結束の強さ。

 そもそも、動物学的に、人類のメスはオスと違って、同性どうしの結束が固いようである。

 人類というより、霊長類じたいが、種にもよるが、そういった傾向がある種見られるようだ(※1)

 そして、我々オスは、メスは単独で浮遊した存在のメスではなく、そのような結束あるメスの集団を見て、その中から特定のメスを見定めて選ぶという本能があるのはないか。

 こられの本能に関する考察は自分の想像だが、本能としてどうかはさておき、集団性の魅力は人生そのものであろう。

 学校のクラスの女子達、職場のOL達、その他、男よりもまとまりのいい女子集団の中で他の女子達との関係性の中で1人1人の個性が浮き彫りになり、その中から誰かを好きになっていく…。

 そう、AKBグループの1つの大きな魅力は、まるでクラスの女子達を見ているような楽しさを味あわせてくれること。

 ただ集団でいればいいというものではない。

 本当の身近にいる集団なら、いやでもその関係性の中から全員の個性が見えてくるであろうが、舞台の上での歌やダンスを見ているだけではそれらは見えづらい。

 それらをファンの前に見せる、様々なツールが用意されている。

 メンバー達に任されている、舞台のMCでのかけあい。

 研究生からの昇格や総選挙といった仕掛け、バックステージの積極的な公開、インタビューなどで見えてくる集団のドラマ。冠番組での無茶ぶり企画への集団での挑戦。お笑い的なコーナーでのメンバーどうしの楽屋ネタ織り交ぜたかけあいやぶっちゃけトーク。

 また、2011年12月にメンバー全員の参加が発表されたグーグルプラス、通称ぐぐたすでは、メンバーどうし、お互いが発信したつぶやきにコメントしあう様子が毎日見られている。

 そういう集団としての魅力を見せて行く時に大切なのは、メンバーそれぞれが違う個性の魅力を持っていることであり、前項、第5章 27<“AKB顔”>で書いたように、誰が見ても美人、というお人形のようなルックスの良さよりも、好き嫌いが分かれる、個性美を持った顔のほうが良い。もちろん、顔だけでなく、様々な活動を通して見えてくる人間性も。集団であるからこそ、まわりのメンバーとの比較で、それぞれの個性がよけいに光るのだ。

 

 また、少女達の関係性そのものも魅力である。

 若い女子の仲間どうしは、男のそれと違い、お互いを褒め合い、また互いへの友情を照れることなく前面に出す。

 一緒に遊びに行ったメンバーとくっついているツーショットをブログにアップしたり、「○△ちゃん、可愛い!」「○×ちゃん、お誕生日おめでとう!大好きだよ(*^_^*)

といったことを書いたり…。男が同じことはできないし、やったら気持ち悪い()

 

 AKBの場合は特に、厳しいレッスン、連日の劇場公演、世間からの偏見など、大変なことを共に乗り越えてきたという絆があるゆえだろうが、メンバーどうしの結束が強い。

 一方、仲間であると同時に昇格、選抜、総選挙、個別握手会券の枚数等で常に競争にさらされているライバルという面もあり、仲間と同時にライバルという人間関係の機微にも惹きつけられる。

 現在、AKB以外にも大人数女性アイドルグループが複数活動しているが、そういった、集団の中でのドラマを見せる仕掛の多さでAKBは少女の集団性の魅力を最も見ることができる。

 

 AKB以前の、おにゃんこクラブ、モーニング娘。の大ブーム、また、現在のAKB以外の大人数アイドルの隆盛も、少女達が集団になった時の魅力がその成功の大きな原因の一つだろう。

 

 

(※1)ボノボという、チンパンジーの近種など。

 

 

 


32
最終更新日 : 2012-10-06 12:11:55

29 共同体と個人競争の社会

 前項(第5章 28<少女達の大人数集団の独特の魅力>)で、「仲間と同時にライバルという人間関係の機微にも惹きつけられる。」と書いたが、AKBは全体がAKBという共同体で仲間であると同時に、その中でお互いに競わされるシステムになっている。

 チームごとに劇場公演を行うため、チームどうし比較され、さらにチームの中でも競争意識が働くという多重構造だ。

 そこで少女達の見せるふとした表情、視線の落とし方1つに、そこに湧いているであろういろんな感情を読み取るのが、青春のドキュメンタリーたるAKBを見る愉しみ。

 それが最も凝縮され、味わうことができるのが選抜総選挙だ。

2009~2011年まで3年連続で1位と2位を交互にとっている前田敦子と大島優子の、バックステージでの抱擁シーン。1位のほうが大泣きし、2位がそれを慰めている…この時のそれぞれの胸中はいかなるものか。

 AKBは、そういったことに想像力をかき立てられ、気持ちを考えさせられる機会、材料の宝庫である。“人間”を見せるのが1番のコンセプト。

 

 プロレスは、リングで向かい合う者どうしが協力して1つの“試合”をつくっていくチームプレーだ。しかし、最近のプロレスで毎試合のように見られる、当たりの強いエルボーやチョップの応酬などでは、どちらがそれを押し切るか…どちらが強さをアピールできるか、そういったところはお互いの1つの意地の勝負である。

 1つ1つの試合がつながり1の興行になり、そこでどう盛り上げ、観客を満足させられるか。その1つ1つの興行がつながり、年間を通したストーリーをどう盛り上げていくか、団体がパッケージとしてプロレスというエンターテインメントを提供していく。

 さらに大きく見るならば、1つ1つの団体の盛り上がりがプロレスという業界全体のパイを広げることにもなり、1つの運命共同体を為している。

そういう意味ではプロレスは団体競技。

 一方、プロレスラー個人個人はいかに自分のキャラクターを確立し、魅力あるものにし、商品価値を高めていけるかという、個人としての勝負もある。

 現在は、昔より団体の垣根が低くなり、他団体への参戦や移籍が頻繁になり、フリーのレスラーも多くなり、インディーでは道場やレスラーそのものをあまり抱えず、興行のたびにフリーや他団体の選手を集める団体も多くなっているので、よけいに、レスラーは自分自身のインパクト、商品価値を高める必要に駆られている。

 

 そういう意味で、プロレスも、AKBと同じく多層な次元でのチーププレーと、それと重なって個人の競争も同時に存在する世界。

 

 これもまた、この社会そのもの。

 企業は、1つの目的を追求する共同体であり、多くの部署、個人が協同しながらも、同時に企業内での出世競争もしている。

 学校、部活、はたまた国家……同じように共同体と、その中の個人競争という多重構造がある。

 

 スポーツもそうじゃないかと言われそうだが、自分から見たら、プロレスやAKBのそれと比べるとあまりに単純化されていて面白くない。

 スポーツがスポ根漫画なら、プロレスやAKBは文学だろう。

 それについては次項で。

 

 

 

 


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最終更新日 : 2012-10-06 12:24:33

30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる

 スポーツがスポ根漫画なら、プロレス、AKBは文学…。

 

 自分は30年来プロレスを見続け、2011年にAKBにハマったのだが、AKBのステージを見ていて、理屈よりも感覚で「これはプロレスだなあ」ということを強く感じていた。

 そう感じさせるものは一体なんなのか?

 1つには、建前と生身が混然一体となっている、プロレスラーとアイドルという存在の在り方だが、それに連なるもう1つの理由。

 色気、だ。

 人間の色気である。

 

 色気とは何か?

 隠しているもの、秘めているものがチラリと見える、または透けて見える快感である。

 

 建前の世界の中に“素”の人間が見て取れる瞬間。それが人間の“色気”だ。

色気とは、完全に丸裸ではなく、チラリと肌(=素の人間)が見られる瞬間。

 

 映画、ドラマのように建前は建前で完結している世界は、建前という服を着ている世界。

 

 逆にスポーツは、分かりやすく勝ち負けを競う、勝ちに向かって頑張ってます!という姿をそのまんま見せる、丸裸の世界。

 

 生身の人間をそのまま見る世界でもなく、建前でありながら建前とは認めず、リングの外でのリアルな人間関係(縦社会での上下関係やら友人関係やら)とは違う対立関係を、身体と身体をぶつけあって、アドリブで、本物の痛みを伴いながら表現しているプロレスという舞台こそ、建前の中に素の人間が垣間見える、また観る側の想像力の中で素の人間力を観賞できる、この世で最も人間の色気が漂っている場所。

 

 あるレスラーがリング上で敵対し罵倒している相手が、かつて鬼軍曹として道場で新弟子だった彼をしごきあげていたレスラーで、罵倒しながらも腰が引けているのが分かる瞬間。

 先に売れた後輩への攻撃が当たりが強くてきついのが見てとれた時。

 先輩への攻撃の今一歩の踏み込みが足りず、気の弱さが感じられるヒール(悪役)。

 そういったものが見える瞬間。

 また、そういった想像。

 

 芸の世界ゆえにはっきりした評価基準はないが、建前では勝ち負け、タイトルの有無ではっきりした白黒があるため、ジェラシーや様々な思惑が見え隠れする。

 

 AKBもまた、少女達の素の人間としての色気が充満している。

 秋元康の言葉に「K-POPは大リーグ、AKBは高校野球」というものがある。

K-POPは完成されたショー、AKBは一生懸命さ、人間の魅力、という言葉の主旨は分かるので、それに異を唱えるのではないが、あえて言うなら、高校野球は(それに限らずスポーツ全般は)一生懸命さがモロ出しの世界。そこに色気の介在する余地はない。

 AKBは、一生懸命さを見せているが、一生懸命さそのままスポーツのように歯を食いしばって苦悶の表情を浮かべてステージで踊っているわけではない。

 舞台では可愛い衣装を着て笑顔で歌って踊る。

 モロ出しではないのだ。

 しかし、笑顔には汗がしたたり落ち、可愛い衣装は汗でびっしょり…。

 一見華やかでフワフワしたものでありながら、そこに一生懸命さがシ-スルーを通した肌のように見えるのが、愛おしい色気となっている。

 ならば他のアイドルだってそうではないかと言われるかもしれないが、やはりAKBに最も人間の色気を感じる…というか、他にはプロレスに匹敵するような色気は感じたことはない。

 単純に、とりわけ努力の量が半端ではないということ。

 そして、ある種、正規チームへの昇格や選抜、選抜総選挙、個別握手会の券の売れ行きなど、競争がスポーツ的にシステム化されているところがあること。

 スポーツのように一定のルールでの単純な評価基準では色気は感じられないのだが、芸という評価基準がはっきりしない世界に、昇格や順位といった目標を設定した競争のシステムを持ちこんだことが色気を生んだ。

 大人数の中でのはっきりと差がつけられる競争システムがありながらも、芸という評価基準が必ずしもハッキリしない世界で、目標に向かって何をどう頑張ればいいのか、そこから考え、もがき、悩み、頑張る姿が人間社会そのものを映し出していて、色気になるのだ。

 

 プロレスは、格闘技が分かる者が観れば、格闘技ではないことは明白である。

見え見えだ。虚構の世界である。

 しかし、虚構の世界を通して、まぎれもない生身の鍛えられた男の裸身のぶつかりあい、まぎれもない本物の痛みがそのまま見える。まぎれもなく、芸の世界でありながら建前は競技という異質な世界ゆえに、様々な思惑を抱きながらもがいている生身の人間が見える。だから、尋常ではない人間臭さ、色気が充満しているのだ。

 

「プロレスは底が丸見えの底無し沼」(今はなき「週刊ファイト」の故・井上義啓編集長の言葉)…名言中の名言である。

 

 色気という言葉を人間臭さの意味合いで使ってきたが、鍛えられた裸身がぶつかりあい組みあい、スピーディーに躍動するという、セクシャリティという意味での色気もそこにはある。

 

 AKB…アイドルにしても、もちろん、歌い踊る女の、女性としての可愛さ、躍動感を訴えるいう、セクシャリティとしての色気がある。

 

 プロレスは、男の強さ、アイドルは、少女の可愛さをめいいっぱいアピールしている。

 セクシャリティのアピールは、人間がふだん意識的にも無意識的にも常に行っていること…特別なことでなくとも、出かける前の服装、髪型セットや立ち振る舞いなど…であり、それを凝縮しているプロレス、アイドルの世界は、これ以上ないほど人間臭い世界であり、それがまた人間としての色気にもつながっている。

 

 ただ!

 プロレスラーの色気にしても、AKBの色気にしても、モロ出しでないだけに観る側にいくらかの想像力が必要だ。

 昔、プロレスファンには読書家が多いということを言っていた人がいたが、頷ける話だ。

 であるから、プロレスもAKBも、想像力がなく上っ面しか見れない人間によって批判される運命にあり、それがアンチが多い理由の1つである。

 


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最終更新日 : 2012-08-26 00:06:37


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