目次
はじめに・出版社の方へ・目次
<2013.5.7追記、お詫び>
はじめに
出版社の方へ 紙の書籍としての出版先募集してます
目次
第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由
3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像
4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間
5 天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ
第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
6 AKBの核・劇場公演とは?
7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ
9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる
10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由
11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」
第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
13 格闘技のリアリティ
14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上
15 アイドルこそは最もリアリティある世界
16 リアルとリアリティの違い
17 人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス
18 虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生
第4章 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
19 ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇
20 国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段
21 天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない
22 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
23 「人間」を観るジャンル
24 「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を
第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
25 AKBの歌のベースは 色即是空 
26 AKBの楽曲の世界
27 “AKB顔”
28 少女達の大人数集団の独特の魅力
29 共同体と個人競争の社会
30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室
32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力
33 サプライズは人間ドラマの花形
34 共同幻想
35 偏見が熱気、パワーを生んでいる
36 「商売」が嫌いなアンチ達
第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB
37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ
38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念
39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない
第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗
41 AKBの尋常じゃない汗の量
42 アイドル、プロレスラーの「実力」
43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス
44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景
45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している
46 推しメンとファンのプロレス
47 乃木坂46
48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間
第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
49 既成概念でしか物事を捉えられない人々
50 ジャンルそのものを見下す愚かさ
51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍
52 軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号
53 アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン
54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性
56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人
57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像
終わりに、参考文献、奥付
終わりに
参考文献
奥付

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12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー

 ジャンルに貴賎をつけて「スポーツ、競技>ショー」という、よく分からない価値観を持っているなあと感じる人が時々いる。

 

 自分は人間臭いもの、汗の匂いが好きだ。

 匂いフェチではない() そして、「流した汗は嘘をつかない」的な意味合いでもない。余談になるが、中高生の時に読んでた井上靖の一連の自伝的小説の中に、氏の金沢大学柔道部の先輩が話す「練習量が全てを決定する柔道」という言葉が度々出てきたが、子供ながらに「練習量が全てを決定する…?なんでそんなつまんないものに打ちこむ気になるんだろう?」と思ったものだ(※1)こういう風に思う子供は変わってるのだろうか。とにかく労力をかけた方が勝つ…そんなものより、創意工夫や頭を使うこと…そういう勝負が面白いのじゃないかと。

 

 自分は、そもそもスポーツというものより、ショーの世界の方が好きである。

 一定のルールで「フェアに」勝負を決するという人工的な世界に偽物感を感じる。

「本物の」世界はそんなものじゃない。

「実力」では下の者が出世したりいい目を見たりすることもある。

 でも決して「実力」が関係ないわけでもなく。そして、そもそも何を「実力」というのか。

「仕事が出来る」とは?

 いわゆる「仕事ができないやつ」でも職場を和ませて良い雰囲気にすることも間接的に全体の成績に貢献しているはずだし、出世を目指すなら、上司に気に入れられることも能力のうち、と考える人もいるはず。ようは、一筋縄で実力の評価ができるわけではない。

 

 そういう、リアルな・「本物の」世界を体現してるものは、スポーツであろうか?

 

 自分にとってそういう意味での「本物」を感じ、その人間模様に魅入られてしまうのは、スポーツよりもプロレスである。AKB48である。

 

 プロレスは前に述べたような「他に比類なきジャンル」(←たしか、村松友視さんの本に書いてあった言葉)だが、AKBも、独特の世界を持ったグループで、もはや1つのアイドルグループの名前というよりは、1つのジャンルであろうと思う。

各地の小さな常設劇場で、研究生からスタートし、売れてきた先輩の代役(アンダー)をこなしながら成長し、チームの一員となり、成長していくさまを、劇場や握手会で直にメンバーに感想を話したりしながら、見ていく…。ファンが選抜メンバーを決める総選挙。大人数の中で上にあがるメンバー、まだ埋もれているメンバー、その人間模様を見守り、「推し」を応援する、「リアルな」ドキュメンタリー。それがAKBというコンセプトだ。

 

 自分がプロレスのことを「エンターテイメントだ」と説明すると、多くの人が「あ、そうやって割り切って見てるんだ」というような事を言うが、その意味がよく分からない。

 何を「割り切って」見なければいけないんだろうか?

 何も割り切って見てない。

 もう、その面白さ、レスラーの放つ人間の匂いに心からゾクゾク、ワクワク、完全に子供が大人を見上げる眼差しそのままに、憧れの眼差しでみている。

 AKB48のメンバーの成長物語にも、その一筋縄ではいかないショーの世界での、右左曲折ある中で時に挫折したり夢を実現させていったりという人間模様に心からワクワクする。

 

 逆に自分からしたら、「スポーツ」を見てる人は割り切って見てるんだろうな、と思う。

 

 完全にルールが決まっていて、そのルールの枠内で全ての評価が数字で明示される、という、本物の世界ではあり得ない人工的な世界を、とにかくそういうものだと割り切って受け入れる。

 投げたボールを棒で引っぱたいて、決められた広さよりも遠くに飛ばしたら点が入るという誰かがどこかで決めた決まり事を割り切って受け入れる。

 何故だか手を使わずに、とにかく足を使って球を網の中にたくさん入れた方が勝ちという仮定の世界を割り切って受け入れる。

 

↑悪意ある書き方をしてみましたが()、物事は同じ事象でも、悪意でも善意でも表現できる。

 スポーツをこれまで述べたのと同じ趣旨で善意で書けば、現実世界と違ってるところが素晴らしいと言えるのだろう。

 時に理不尽に思え、何をどうすればいいのか分からなくなることもある世界の中で生きる人々にとって、決められたルールがあり、努力すべきことがはっきり分かり、その中で勝負しスッキリと結果がつくという、現実世界ではあり得ない理想郷、ファンタジーの世界であるところがスポーツの素晴らしいところだ。

 

 

 

 

 

※1 後にそれが意味するところは、柔道の立ち技よりも寝技の方が、センスよりも経験や練習量で上手くなれる比重が大きい、という意味合いで使われていることが分かった。この言葉に影響されたわけでは全く関係なくのだが、大人になってから寝技中心の格闘技、ブラジリアン柔術を習っていて柔道の町道場にも少し通った経験があるので、今はこの言葉に込められた気持ちが分かる。

 

 

 

 


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最終更新日 : 2012-10-03 21:17:13

13 格闘技のリアリティ

 自分は、格闘技、ボディビル以外のスポーツに興味がない。

(ボディビルのことはここではおいておくとして)格闘技以外のスポーツにリアリティを感じない。

 

 プロレスとアイドルにはリアリティを感じ、スポーツをファンタジーと捉えていることは既に述べたが、スポーツの中でも、格闘技にはリアリティを感じる。

 もちろん、格闘技も競技であり、各格闘技にルールが設定されているが、2人の人間が向き合って闘うということは、リアルな人間の生活にあり、本能に根ざしている“喧嘩”を感じることができる。無条件に血沸き肉躍る。

格闘技が強くなることイコール喧嘩が強くなる、とは必ずしもならないことは承知しているし、実戦では凶器の使用や複数の闘いもありえることその他は百も承知。

 

 実際のケンカに近い格闘技がいいというのでもない。

 

 ルールの枠内でも2人の人間が向き合って、KOやギブアップあるいは投げを狙う、抑え込む、ダメージを与えあう闘いということに、ものすごい“人間のリアリティ”を感じる。

 

 また、格闘技の強者を目指すことにもリアリティがある。

 

 あらゆるスポーツ競技がなかった太古の昔。

 神様が現れ、汝に、投げられた球を棒で遠くに打てる能力を授けよう!と言ったとしよう。おそらく多くの人は、たいして嬉しくないだろう。

神様と対等に話すことが許されるなら、「いえ、けっこうです」と言う人も多いはずだ()

球を足で上手く扱うことができる能力も、ノーサンキュー。

 

人を投げとばす能力はほしいか?ほしい!

人と殴り合いで勝つ能力。ほしい!

人を抑え込み、屈服させる能力。ほしい!

 

 太古の時代、という設定にしたが、現代でも、少なくとも自分は同じ答えだ。

自分が今、格闘技を習っているから、大会に出て勝ちたいから、ということではない。

「強くなる」その事自体が喜びなのだ。人間くさいのだ!

 

 他のスポーツは、そこで強くなることの喜びは、その人工的に設定されたファンタジーの世界の存在がなければ、あり得ない。

 

 松本人志のコントで、東野幸治と今田耕治が、なんだかわけの分からないスポーツで争っているのがあるが、あれはそういうスポーツという、ある意味わけのわからないジャンルそのものを皮肉っているものだと思う。

 

もし、格闘技以外のスポーツ、例えば球技にリアリティがあるとすれば…。

多くの人間がフォーメーションを組んで、指揮系統があり、作戦をたてて道具を使ってどこかに球を命中させたり防いだり…戦争のシュミレーション、ではなかろうか。

 

また、松本人志はかつて「ガキの使い」のトークの中で、水泳のことを

 

「ドボーンで飛び込んで、(相手は全然進んでないのに自分が)すぐにゴールしてウワ~って喜ぶのは分かりますよ。でも、トン(自分がゴール)、トン(相手が数秒後にゴール)くらいの差でウオ~ッって。あれが分からん」

 

とか

 

(野球に関して)「なんで3回ストライク取られたらアウトやねん。俺は4球目で打つかもしらんのに」

 

などと発言していて、もちろん、笑いをとるためのものであるが、そこには彼の本音がベースになっているのが、スポーツに関して彼と同じ感覚であろう(と勝手に思っている)自分にはよく分かる。

 


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最終更新日 : 2012-10-03 21:20:23

14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上

 前項第3章 13<格闘技のリアリティ>で、スポーツの中では格闘技にリアリティを感じると書いたが、それよりさらにリアリティある世界がプロレスである。

 そう言われて、読者は本著をこのページから読み始めたのでなければ、まさか著者が、「あらゆる格闘技の要素を持っているのが、プロレス。プロレスこそ最強の格闘技。」などと、プロレス最強論を説き始めたりしないことはお分かりだろう()

 

 なぜ、真剣勝負の格闘技より、プロレスにリアリティがあるのか。

 

 それは、まず、その興行までにいろんな遺恨やストーリーがあること。

そして、プロレスラーが大見得を切って入場し、大怪我を負わさないような暗黙の了解にのっとって、一定の流儀に沿って闘い、観客にアピールしながら闘うからだ。マイクアピールなどもある。

 

何言ってるの? そういうところがプロレスが嘘くさいとこじゃん、と思われたかな?

 

 まず、動物の同種間の闘いというものは、多くがメスを獲得するものや序列争い、餌をめぐる戦いだが、そこでは相手の命を狙うような戦いはしないのが通常である(例外はある)

 

 お互いに致命傷にならないような戦い方をするのだ。完全にその戦いが形式的になっているものもある。

 

 詳しくは、動物学の本などひもとけば、同種間の闘いが、ある一定の流儀に従って、お互いに致命傷を負わさないようにしながら、相手を殺す、倒すというよりも、自分の方が強い、ということを「誇示」つまり「見せる」ために闘っていることが分かるだろう。

 

 ここで格好の例として、ある魚がお互いに闘う際に、必ず、相手の1番ぶ厚い胸板をつつきあって、それ以外の弱いところは攻撃しない、という例がある…(それを書いてあった本があって、なんという書名の何ページ、とメモしたつもりがどこかにやってしまい、具体的に書けない…発見できたら、引用してここに書きます)

 

 このような戦いを見て、人間のやっていることに当てはめるならば…プロレスが近いだろう。

 魚の、ダメージの少ない胸板をお互いに攻撃しあうところなど、プロレスの序盤の定番、お互いの胸板へ1発ずつチョップや張り手を叩きあうシーンそのものである。

つまり、どちらが強いかを“競う”のではなく、どちらが強いかを“誇示”しあうのだ。

 

 格闘技も、お互いに致命傷を負わないようルールがあるではないかと言われそうだが、動物には明文化されたルールがあるわけではなく、本能に基づいた“暗黙の了解”として行っている。

 また、格闘技競技者がKOや一本を狙うのは“とどめをさす”気持ちと似ており、また、見る側の意識としては、“真剣勝負”であり、とどめをさす戦いのシュミレーションだ。

 

 動物の同種間の闘いのもう1つの側面は、ケースによっては、どちらが強いか、を自分の群れのオスやメスに“見せている”ことだろう。これは、プロレスのように見る者を楽しませるため、感動を与えるためではなく、自分の強さを示して優位に立つため、という違いはあるものの、「見せる」という意味合いで「ショー」である。

戦いに勝った後は、その動物の流儀で、精一杯メスにアピールしたりする。

 

 人間でもそうである。

 仲間内での喧嘩、もしくはまわりの目がある中での喧嘩は、ある種の強い「自分」を演じて、強さを誇示したい、あるいは強さに自信のない者は、弱さをさらけ出したくないためにビビりながらも虚勢をはる。

喧嘩前、あるいは喧嘩中、後の罵り合い。

 勝った方は、勝った事を相手に、または周りに誇示し、負けた方も時には口で反撃する。

 

 プロレスはこれとそっくりではないか。

それぞれのキャラクターをつくって見栄をきって入場し、にらみ合い、見ている者に   アピールしあい、闘いの前後にはマイクアピールなどもする。

 

 反則は5カウントまでオッケー、という曖昧な規定も、喧嘩と似ている。

 お互いを殺し合おうという喧嘩など、世の中全体の喧嘩の数から言えば、実際は少ない。

 これ以上はやってはいけない、という理性がどこかで働き、曖昧ながらも一線を引いている。

 

 本著を書いていて改めて感じることは、世の中で「本物」とされているものこそが如何に人工的で嘘くさいもので、「嘘」「偽物」と見られているもの(プロレス、アイドル)こそがいかに本物であるか、ということだ。

 

 

 


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最終更新日 : 2012-09-01 00:44:08

15 アイドルこそは最もリアリティある世界

 特に、女性アイドル。若い女の子が、あらゆる方法で自分を可愛く表現し、異性にアピールする。AKBでは、それを大人数で競い合う。競い合う女の子達は友達であり、ライバルでもある。まさに本当の人間の姿そのものを凝縮し表現した世界ではないか。こんなリアリティのある世界がどこにある?

 この社会では、こんなリアルな世界を「偽物」視し、なんだかよく分からないルールを設定し競い合ってるスポーツの世界の方が「本物」とされているわけですが()

 

 さらにリアルな話をしよう。

 現実世界では女の「可愛さ」は、ルックスだけでなく、その人間的魅力も相まって「可愛く見えていく」

【折にふれてのいろんな表情見て】、また、【自分とそのコが共有したいろんな記憶】、それらがあって、元々のルックスが「可愛くみえていく」

 これを具現化し、リアリティとして示しているのが様々な企画や番組の「無茶ぶり」「ガチの企画、ドキュメンタリー」(総選挙等)で彼女達のいろんな表情、それぞれの人間的個性を引き出して見せ(【折にふれてのいろんな表情見て】)「、プロデューサー秋元康が「1番大切な仕事」としている握手会を随時開催している(【自分とそのコが共有したいろんな記憶】)…そう、AKB48である。

 リアルの世界では、人間の集団(会社なりクラスなり)がいる中で、まわりのコと対比することでそれぞれの個性が見えて、その中で誰かを好きになっていく。それも大人数グループという点でAKBが「リアリティ」を持っている点だ。

 

 そして、大切なのは、ファンはそれらがあくまで「リアリティ」であって、「リアル」な恋愛に結びつかないことを分かっていること。しかし、それでいてまぎれもなく、その対象になるアイドル達は生身の人間。

 これが、建前と生身が混然一体となっている世界を愛しているAKBファンたちがタフで豊かな感情を持っているという所以である。

 

 アイドルの世界を批判する人間はとかく結局、金の世界でしょと言うが、まあ、商売で何が悪いのかという論(第5章 36<「商売」が嫌いな人達>参照)はさておいて、それを言うなら、球を棒で遠く打ったり、捕まえたりするのが上手な人間がそれこそ何十億ともらっていることこそ不思議な世界だ。

 それに引き換え、女子が異性にその可愛さをアピールして射止めて大金や地位を手にする。厭というほどリアルである。

 リアルな世界が嫌いで、ファンタジーを見て安心したい向きが、スポーツを称賛する一方でプロレスやアイドルを貶めるのは、自然の成り行きだろう。

 

 


19
最終更新日 : 2012-10-03 21:32:27

16 リアルとリアリティの違い

 プロレスにリアリティは必要だと思う。

 しかしそれは、いわゆるU系(※1)の試合を指すのではない。

「リアリティが出るように」ガチンコの格闘技のキックや関節技を主体にして、ロープワーク(※2)、トップロープからの攻撃、空中技なんてやめにして、

攻防を真剣勝負の格闘技に近づけたほうがいい…とは思わない。

 それは、「リアリティ」ではなく、「リアル」っぽく見せようとしているだけだ。

「リアリティ」と「リアル」っぽく見せることはどう違うのか。

 

 この場合の「リアル」とは、単なる真剣勝負の格闘技のことで、それっぽく見せることが「リアル」っぽく見せるということ。

 

「リアリティ」とは、プロレスという世界の中での首尾一貫性を守るという事と、「説得力」を持たせる、ということだ。

 

 お互いの協力がないと成立しない技の攻防がプロレス。

 そこでまず大切なのが1つ1つの技にリアリティがあること。

 

 技のリアリティとは何か?

 たとえば打撃なら。

 ガチ格闘技のように、KOできるアゴやテンプル(こめかみ)にパンチや蹴りを入れる、もしくはそれっぽく見せることがリアリティか?

 それはリアルっぽく見せる、ということであってリアリティではない。

それは、リアル(ガチ格闘技)の真似ごと。

 

 では、リアリティあるプロレスの打撃とは?

 

 プロレスの定番、胸板へ場内に響き渡るような音の出るチョップ、キックを叩きこむ攻撃。

 胸板とはチョップやキックを叩きこんでも、怪我のないところ(※3)

 そして、胸板は、叩き方によって音が最も派手に出るところでもある。

 相手の胸板をバシーン!と叩き場内を沸かせ、「来てみろおらあ!」と自分の胸を出し、今度は相手のチョップを受ける。その繰り返しが序盤での1つの定番の展開なのだが、もちろんこれはリアル(真剣勝負)な格闘技とは全く外れた攻防だ。

 しかし、そこに気持ちを込めてド迫力でやりあうことで、「リアルな闘い」ではないが、「闘いのリアリティ」が出てくる。

 

 技の様式美もリアリティの鍵だ。

 プロレスの芸術品と言われるジャーマンスープレックス。

 ガチンコではそう簡単には決まらない技で、決まったとして、ブリッジしてホールドしても相手が肩をあげられなくなるほど抑え込めるわけではない。

 つまり、「リアル」ではそれがそう簡単には決まらない、決まっても返せるということ…しかし、それが分かっていたとしても、決まった一瞬のうちに、観客の頭に、「後方に投げられて頭部にダメージを与えて同時に投げたブリッジでホールドする」というストーリーが出来上がる様式美で、一瞬のうちに観客の頭に技の「意味」を共有させることが「リアリティ」

 

「意味」を共有させること…プロレスという世界の中で意味が成り立っていて、首尾一貫性があること。

 

「リアル」な格闘技の真似はしなくていい。

ただ、プロレスという世界での首尾一貫性=リアリティを守ってほしい。

 

 例えば、トップロープから、倒れている相手への攻撃。

 トップロープにあがる時間、あがってから下で倒れている相手にダイブして技をかけるまで、ゆっくり時間かけてやるのは自分は嫌いである。

「その間に逃げられるやん」

「そんなに起きれないなら、攻撃しなくてもその間にフォールできるやん」

ということになる。

 もちろん、「リアル」な話をすれば、トップロープに上がっている時間は、どんなに速くしても数秒はかかるのだから、どんなに速くトップロープに上がろうが逃げられるのは同じである。

 しかし、そこに少しでも「リアリティ」を持たせるならば、トップロープにあがって攻撃するまではなるべく速くしたほうがいいし、下で攻撃を受けるほうは、どこに相手がいるか分からず、起き上がろうとしてところに相手がトップロープから降ってきた、ということをちょっとした動作、表情で表現したほうがいい。

 

 細かいとこを例にあげていくつか述べたが、要は、プロレスとは「闘い」の「表現」なんだ、ということを忘れずに、それにあった動き、表情をすればいい。

さらに言うなら、そういう気持ち、パッションを込めてやっていれば、自然と「リアリティ」が出て、見る側の気持ちを熱くさせるプロレスになる。

 

  プロレスもアイドルも、それを誹謗する者達は、つまるところそれらが「嘘」だといいたいのだろう。

自分は「嘘」という表現には非常に違和感があるのだが、まあ、とりあえずここでは彼等の言葉とそのまま使って「嘘」だとして話をすると、その「嘘」で表現しようとしている世界はこれ以上ないほど人間の匂いのする「リアル」なもの、さらに言えば「自然なもの」(=本能)だ。

 

 「嘘」で表現しようとしている世界とは?

プロレスならば、「闘い」の本能。

「相手を殺す」ではなく、自分の強さを相手に、そして、まわりの人間たちに誇示したいという本能。

 アイドルならば、若い女の子が自分の可愛さを精一杯アピールしたい、という本能。

 AKBの場合は、さらにそこに「人間」の喜怒哀楽、そして、成長を見守り応援したい、直接交流したいという見る側の願望もあわさっている。

 

  じゃあ、闘いを表現したいなら(orそれを見たいなら)真剣勝負の格闘技でいいではないか?

真剣勝負の格闘技もたしかに1つの表現ではあると思う。

 が、真剣ならば、素人が見て、何をやっているのか分からない攻防も多い。

 特に寝技の攻防など、今どちらが優勢なのかすら分からないだろう。

 自分は、まがりなりにも柔術をやっているので寝技の攻防は非常に面白く見れる。

しかし、それは技術の攻防がまるでゲームのように面白いのであって、闘いの「表現」としてはプロレスのそれに敵うものではない。

 

 また、真剣なれば、あっという間に勝負がつくこともしばしば。

 ふりまわしたパンチがたまたまアゴにクリーンヒットした「ラッキーパンチ」

 そういうKOならまだしも、怪我によるドクターストップなどの不完全燃焼によるあっけない幕切れもある。

 逆に、膠着した展開が延々と続いた末の時間切れドローもある。

 

 そういう、見る側にとって面白くない試合もあり得る。勝負を競う「競技」である以上は。

 そういった試合の場合、またそうでなくても、格闘技の試合は「競技」を見る満足感はあるが、必ずしも「闘い」を見れる満足感は約束されていない。

 

 それは「表現」を第一の目的としていない以上、やむを得ないことだ。

「リアル」に闘っていることを見せるのだから、必ずしも「闘い」を感じさせることはできない。

 

 さらに言うなら、プロレスを「嘘」と誹謗するなら、では、究極の理想「リアル」は路上の喧嘩、あるいは戦争での殺し合いだろう。

では、それを見て、魂が震えるような感動の「闘い」を感じることができるか?

「リアル」とは対極の「プロレス」こそが、人間の、感動を伴う「闘い」のリアリティを最も感じさせることができるのだ。

 

 プロレスを「嘘」と誹謗し、「リアル」を求める論で言えば、アイドルも、若い女の子の持つ可愛さや、あるいは本著で言っているAKBの「人間くささ」の魅力云々というならば、そのコの全部を見せればいいではないか、となるのだろう。

  しかし、言うのもアホらしいが、いくらAKBの魅力がアイドル・人間ドキュメンタリーだと言って、そのコの部屋にカメラでも設置して24時間流したら、見たくもない姿も見ねばならない(笑)

 

まあ、アイドルやAKBの、建前とは違う生身の姿の情報をあれこれ知って税に入る要は、アイドルの「嘘」を指摘してはしゃぐ類の人間は、そこまでやれば「本当」だと納得するんでしょうなあ。

 限りなく変態ですな。

 

 つまり、プロレスやアイドルも、その表現したい「リアル」を表現するためには「嘘」が必要なのだ。

「嘘」があるからこそ「リアリティ」

「嘘」があって初めてリアルに感動できる。

 

 まあしかし、ここではアンチの言う「嘘」という表現を使っているが、自分はそれを「嘘」とは思わない。

 

 相手の攻撃をよけず、鍛え上げた筋肉の鎧、生身の胸板を大声をあげながら思い切り叩き合う、2人の人間。そこに込められた痛みと気持ち。それのどこに嘘があるのだろう。

 

 仲間達とハードなレッスンに励み、時に競争にさらされながら、限られた人間しか立てない華々しいステージで精一杯の笑顔、歌、ダンスでファンに応える若い女の子達。その短い青春の一時の、どこに嘘があるのだろう。

 

 そして、プロレスもアイドルも、表現の舞台が、リングやステージにとどまらず、メディアを含めたこの社会すべてが舞台なのだ。

「本当」も「嘘」もない。彼らにとっては、生身の自分とキャラクターとしての自分が混然一体となった「表現」なのだ。

 

 

 

     1 「真剣勝負」を標榜して、キックや関節技を主体とし、場外乱闘や空中技などを廃したプロレスを行っていたUWF、及びそこから派生してUWFのスタイルを継承した団体が行っていた「格闘技系」のプロレスのスタイル

 

    2 ロープの反動を使った攻防

 

※3 もちろん、プロレスラーが鍛えていない素人にやったりすれば怪我するだろうし、プロレスラーどうしであってもやり方によってどうにでもなるだろう。

 

 

 


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最終更新日 : 2012-10-03 21:45:44


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