目次
はじめに・出版社の方へ・目次
<2013.5.7追記、お詫び>
はじめに
出版社の方へ 紙の書籍としての出版先募集してます
目次
第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由
3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像
4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間
5 天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ
第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
6 AKBの核・劇場公演とは?
7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ
9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる
10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由
11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」
第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
13 格闘技のリアリティ
14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上
15 アイドルこそは最もリアリティある世界
16 リアルとリアリティの違い
17 人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス
18 虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生
第4章 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
19 ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇
20 国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段
21 天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない
22 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
23 「人間」を観るジャンル
24 「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を
第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
25 AKBの歌のベースは 色即是空 
26 AKBの楽曲の世界
27 “AKB顔”
28 少女達の大人数集団の独特の魅力
29 共同体と個人競争の社会
30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室
32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力
33 サプライズは人間ドラマの花形
34 共同幻想
35 偏見が熱気、パワーを生んでいる
36 「商売」が嫌いなアンチ達
第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB
37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ
38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念
39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない
第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗
41 AKBの尋常じゃない汗の量
42 アイドル、プロレスラーの「実力」
43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス
44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景
45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している
46 推しメンとファンのプロレス
47 乃木坂46
48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間
第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
49 既成概念でしか物事を捉えられない人々
50 ジャンルそのものを見下す愚かさ
51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍
52 軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号
53 アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン
54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性
56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人
57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像
終わりに、参考文献、奥付
終わりに
参考文献
奥付

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第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス

44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景

 AKB個別握手会。

 千円の劇場版CDに、握手会参加券が1枚。1枚は1回10秒の握手。

 1度に出せるのは3枚(30秒)まで。

 同じメンバーの列に何度も並ぶことをループと呼ぶ。

 

 この握手会の話を聞いて

「そんなの、時間と金のこと考えたら、キャバクラ行ったほうがいいじゃん」とか言う輩がいる。

 これも「AKBのメンバーよりも俺の彼女のほうが可愛い」と同様、苦笑するしかない。

 

 プロレス見て、

「なんでロープにふられて返ってくるの?」と言うのと同じレベルだ。

 

 世の中には全部「ガチ」でとらえることしかできない人間がどうしたっているようだ。

 

 もし、AKB握手会が1人のメンバーと30分、酒飲みながら話せるイベント…輩のおっしゃるキャバクラのような…だとしたら、それはもう、アイドルでもなんでもなくなるし、なんだろう…説明するのもアホらしい()

 

 たった10秒単位の短い時間だから、アイドルたりえるし、そこに共同幻想が成り立って、握手会独特の楽しさがあるのだ。

 

 握手会は、プロレスの地方興行と似ている。

 自分自身もそうだったが、地方のプロレス少年が、地方巡業の興行を見に行く楽しみは、生のプロレスを見ることももちろんながら、会場のアチコチにいるプロレスラーを生で見ること、入場のたびに、花道に殺到してレスラーを触ること、写真を撮ること。

 

 最初に興行の告知のポスターを見た瞬間から、脳内カレンダーのその日が大きい金色の文字に輝く。

 当時はコンビニで発券とかネットで注文、なんて想像もしてなかった時代。

 プレイガイドでチケット買うことにワクワクし、勉強机の棚にしまったチケットを何回も眺めながらニヤニヤ。当日まで友達とあれこれ話し、当日は朝から、今、この街のどこか、半径何キロか内にプロレスラーがいることに興奮。

 

 うそのような…というかアホのような、自分でもよく分からない話だが、当時、自分にとって、年に1、2度自分の街に巡業に来るプロレスを見に行くというのは聖なるお祭りに参加することだったから、会場に向かう前に歯をみがいてた() 身を清めるということなら風呂に入るとかの方がと、今になって思うが()

 

 会場にはもちろん、開場時間の30分前には着く。

 開場入りするプロレスラーを見るため。レスラーが見れなくとも、あわただしく出入りする関係者や機材などに、祭りが始まる前の鼓動を感じていた。

 チケット当日売り場の奥で、プロモーターらしき人…その筋とも言えないが、普通のカタギでもない匂いをその襟足長い髪と真っ白のスーツから放ってるおじさんが札束を勘定してるのを見て、“大人の色気”を感じて興奮した。

 

 会場に入る。椅子が整然と並べられていて、その向こうにリングが見える。

 鉄柱がピカピカと光り、ロープは黒くて堅そうでピンと張っている。

 リング上を覆うように組み上げられた照明セットからの反射が、その周辺数メートルまで“リング”という空間にしていた。

 

 初詣客が、まずはお参りを済ませるように、おっかなびっくり、まずはそのリングの近くまで来た少年達は、さわってはいけないリングのキャンバスを、試合前の軽い調整をする若手レスラーが動くたびにそこにきしむ波や、リングシューズでへこむわずかな曲線を見て、その固さ、質感を目で触り味わってから、会場隅の売店へ走る。

 

 グッズ、パンフレット売り場では、必ずパンフレットを買った。

 その1ページ目にスタンプで押されている「本日のカード」が、いつもは東京にあるプロレスが、今日は自分達のものになっているまぎれもない証拠だった。

 パンフレットに書かれているプロレスラーの紹介など、プロレス少年達には先刻承知のことだが、そんなことは関係ない。

 今日、この空間にいるという確かな事実を手で握って確かめるためにパンフレットを買うことは絶対に必要なことだった。

 

 売店では、グッズを買ってくれたファンへサインをサービスするためにレスラーがいた。

 パンフレットを買うくらいがお小遣いの限界だった少年達は、しかし売店からすぐには離れない。

 お金に余裕あるファンが買ったグッズにサインする、手を伸ばせば届く距離にいるレスラーの一挙手一挙動を見逃すまいと、眼の前で他人様を凝視することは少々無遠慮で失礼な行為であることも知らずに、目の前のプロレスラーを、今で言う“ガン見”する。

 しかし、責められる行為ではない。そこにいるのは“プロレスラー”なのだから。

ファンに一挙手一投足を見られることこそが、プロレスラーの(そしてアイドルの)仕事である。

 

 全日本プロレスでは、在りし日のジャイアント馬場がそこにいた。

リングアナウンサーの毎回おなじみのアナウンス

「現在、会場売店では、ジャイアント馬場選手が、お買い上げいただいたグッズに記念のサインを入れております。観戦の記念に、ご家庭へのお土産にぜひお買い求め下さい…」

そして、

「なお、会場内は禁煙となっております。おタバコをお吸いのお客様は、会場ロビー指定の喫煙所にてお願いします」

というアナウンスも流れる中を、馬場さんは葉巻をくゆらせながら、ゆったりと巨大な足を組んでそこに座り、グッズを買ってくれたファンに特に笑顔を向けるわけでもなく、スタッフから渡されたグッズを流れ作業で、手元に来た部品に何十年と手に染みついた作業を行う職人のようなたたずまいでサインを入れていた。その無愛想さがたまらなかった。

 禁煙の会場内で葉巻を吸っていても、誰も何も疑問に思わなかった。

 馬場さんは“プロレスラー”であることも超越して、“馬場さん”だった。

 

 いよいよレスラーの入場となれば、花道に走る。

 いいポジションをキープして触る、写真を撮る、プロレスラーの匂いをかぐ。

 

 入場が終われば、今度はその相手が入場してくる反対側の花道に走る。

 

 長州力をさわりに行った時に、付け人をしていた二十歳そこそこ、デビューしたての佐々木健介に「どけ、おらぁ!!」と顔をはたかれた。

 今なら訴えるのなんのという話にもつながりかねないが、当時はプロレスラーがの方が絶対に立場が上、客はそれを見せていただいている、という感覚が団体にもファンにもあったため、そんなことは考えもしなかった。

 何よりはたかれた少年が喜んでいて、こうして中年になった今でも、メジャーな存在になった健介にはたかれたことを自慢として書いている。

 

 全試合が終わったら、濡れた身体にTシャツを着て、そこから伸びる太い手で荷物を持って引き上げるプロレスラー達を遠巻きに見て、チャンスがあればサインをねだる。

 橋本は意外に優しいぞ、三沢にサインもらった!!、長州は全然ダメだ…そんなこんな戦果をその場で友達としゃべり、次の日も学校で喋る話の種にする。

 

 …プロレス少年だった自分から見える景色を皆さんにも見てもらった。

 

 AKBの握手会も同じ。

 プロレス地方興行でのプロレス少年に返ってここに綴ったふうに、現在AKB握手会でAKBヲタクのおっさんが見ている風景を、握手券の抽選に申し込むところから綴ってもいいのだが、やめておこう()

 

 要は同じなのだ。

 握手会当日まで、短い時間内にメンバーに何を話そうかあれこれ考え、会場に向かう人波と一緒に、映像がスクリーンで流され、グッズ売り場やファンどうしの生写真の交換スペースでガヤガヤしている会場に入る。

 思い思いのメンバーのTシャツや推しメンの名前入り特攻服を着た人達を見つつ、列に並んで、握手が終われば一緒に来た友達と、それぞれメンバーとどんな話をしたか喋り、時間が来たらまた別のメンバーの列に並ぶ…。

 

 プロレスの興行も、AKBの握手会も“お祭り”である。

 縁日の屋台(握手)も楽しいけど、なんといっても、そこでワイワイやるのが楽しいのだ。
 何もないところでワイワイやってててもこんなに楽しくはない。同じことを同じように喋ってたとしても。
 屋台(握手)があって、そこに時々行きながらワイワイやるのが楽しい。
 生写真のトレードも、毎回繰り広げられる楽しい風景だ。

 

 そこへの行き帰り、そこで1つ1つ目にするもの、空気の全てを楽しみに行っているのであって、

「千円で10秒ならキャバクラでも行ったほうがいい」

などという見方がいかに的外れというか、そういう物の見方しかできない即物的な人間にはプロレスもAKBも永遠に分かるまい。

 

 さらに言うなら、当日の楽しみだけではない。

 握手券を手に入れた日から握手会当日までの数カ月もの間、メディアに出ている贔屓のメンバーを見るたびに、あと何カ月、何週間、何日後には、あの彼女を目の前にして直接喋れるんだとワクワクしながら過ごせるのだ。数か月間ワクワクして過ごせることを思えば握手券など安いものである。

 

「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり」

とはよく言ったものだが、与えられた材料で、自由に想像力で自らの楽しみを見出して遊んで、世をおもしろくすみなしているAKBファン。そして、既に確立された、世間が認知している楽しみ方でしか楽しむことができないがゆえにAKBを理解できずに批判して自らの世をつまらなくしているアンチAKB

 

 握手会に行くのは、お目当てのメンバーに会いたくてしょうがないから、千円で10秒であっても、遠方からでも行く、ということではないのだ。

…いや、ないということもなくて、もちろんそういう面もあるのだが、握手会それ自体が楽しくて行ってる。

 AKBが好きで好きで見たくて会いたくてしょうがないからそのためにヲタク活動をやってる、とばかり思われがちだが、ヲタク活動そのものが楽しくてやっている、という面も大きい。

 

 観光旅行に行く目的は、遠方の土地のあれこれを見て歩くこと、その手段として電車や飛行機に乗って行き、ホテルに泊まる。…ということなら、もしも「どこでもドア」があって、ドアを開けたら金閣寺、見終わってドアを開けたら嵐山、いろいろまわって、移動の時間がゼロなので1日で行きたい所を見終わったので宿泊する必要もありません、となればいいはずだ。しかし、こんな旅行のどこが楽しいのか?…まあしかし、前述の即物的、単純脳の持ち主はこういう旅行が最高なんでしょうなあ。べつにいいけど、人生、損してますよ。

 

 皇居で1月2日や天皇誕生日に行われる一般参賀。

 長時間並んだ後、お出ましになるのは5分ほど。

 お出ましの様子やお言葉はたいてい、その日のニュースでも流される。

 ならば、一般参賀に行くことはくだらない行為なのか?

 冬の寒空のもと、なぜに毎年たくさんの人が繰り返し皇居に集まるのか?

 皇居に集まる人々は、皇居で長時間、他の、皇室を敬愛する人達と一緒に列に並ぶことや国旗を振ること、それらすべての一般参賀という体験を体験しに行っているのである。

 

 茶の間で、テレビで陛下のお言葉を様子を聞くのと、電車を乗り継ぎ東京駅からの人の波にのって皇居まで歩き、陛下のお出ましを待ってお言葉を聞き、歓声をあげて日の丸を振るのとは、全く違う行為である。

 

 テレビでプロレスを見るのと、会場でプロレスを見るのも全く違う行為。

 

 恋人とデートするのと、「アイドル」の握手会行くのも全く違う行為。

 

 言うまでもない当たり前のことなのだが、偏見という杭で脳が固定されている人間にはそれが分からない。

 

 

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-10-07 12:59:42

45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している

 AKBのメンバーが握手会で振りまく笑顔やファンへの言葉を、「営業」「嘘」と、したり顔で話す者が多い。

 

彼らは、<第1章 3「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像>で書いた「虚像を見ている人」である。

あるいは、全か無か、オールorナッシングでしか物事を見れない単純な頭の持ち主か。

彼らにとって、例えばメンバーがファンに

「会いたかったよ~」「また来てね~、待ってるよ」という言葉をかけたとすると、それが「本当」ならば、メンバーはそのファンとリアルにお友達になってもいいはずだし、それでなければ「営業用の嘘」ということになるのだろう。

あるいは、ブログで「ファンの皆さん、大好きです!」てなことを書いても、同様に思うのだ。

 

彼らにとっては「生身」の状態で「本当」のことを言っていなければ「嘘」になるのだ。

 

彼女達はアイドルとして、来てくれたファンに、ありがとう、また来てねと笑顔を向け、ブログで大好きですと書く。

 

 どこに嘘がある?

 

彼らは言うだろう。

「いや、アイドルとして…なんでしょ?だから嘘ってことじゃん」

 

彼らは

「真剣にプロレスをする」という言葉の意味も分からないだろう。

 

「それって真剣勝負のプロレスをするってこと?」

「違う。プロレスはエンターテインメントだよ。」

「????じゃあ、嘘ってことだよね?」

 

彼らのために説明しよう。

 

彼女達は、アイドルとして、ファンに元気を与えることを喜びとし、また、応援してくれるファンに感謝している。

それを言葉で、笑顔で伝えている。(※1)

 

だから、握手会という、アイドルとしてファンに対峙する場で、笑顔で対応したり、常連のファンに「また来てくれた嬉しい」と言ったりするのに嘘はない。

「アイドル」と「ファン」である限りは。

 

もし街中でファンが、彼の推しメン(※2)とバッタリ会ったとしよう。

 

その時にファンが「大好きで、応援してます!握手して下さい!」

と手を差し出して、それにアイドルが笑顔で応えるのは「アイドル」と「ファン」であるからだ。

 

そこで、ファンが「これからよかったらお茶しませんか?」

とでも言ったら、彼女は表情硬くして去っていくだろう。

それを言ったが最後、「アイドル」と「ファン」という関係を壊しているから。

 

ごく当たり前のことだが、前述した、「営業」「嘘」と見下す者からしたら、ファンのことを大好きって言ってるんならそこでお茶に付き合わなかったら「嘘」じゃん!ってことになるんだろう(苦笑)

 

 ここで書いたようなことは、これもまた人生、この社会そのものである。

 

握手会はボランティアでやっているわけではないのだから(※3)、それを営業という言い方をしたいならば営業である。

 

しかし、そう言うならば、お金がからむことは全て営業である。

 

 八百屋のおじさんが、お得いさんと笑顔で元気よく喋るのも営業。

 旅館の女将さんが、お客さんを精一杯もてなすのも営業。

 プロスポーツ選手が笑顔でファンの歓声に応えるのも営業。

 政治家が選挙で演説して握手するのも票獲得のための営業。

 

しかし、「今日も八百屋のおじさん、威勢よかったよ~」「あそこの女将さんの接客は素晴らしいね」「巨人の○×選手のヒーローインタビュー、さわやかで好感持てるなあ」「○×代議士、いい人だったよ!」

 

これらの話をしても

 

「それは営業だね」

 

とクールに返す人はあまりいないと思うが、これがアイドルの握手会の話となると、ことさらに「営業」と言いたい人が多いのだ。

 

八百屋のおじさんも、旅館の女将さんも、客の好印象を持たれることが売上アップにつながる。

(プロスポーツ選手も、人気があがって成績があがることはないが、人気があった方が団体(球団など)に商品価値があがるし、スポンサーもつく。)

 

旅館の女将は何を思って精一杯の笑顔、温かい会話で客をもてなすのか?

その女将さんによって違うというのはもちろんとして。

まず、商売を成り立たせるために、客に好印象を持ってもらうため。この部分を称して「営業」と言えるのだが、その心情は?

人によっては

「うぜえなあ…。まあ、金、金、金のためだ!嘘の笑顔とおべんちゃらで今日も客だますか!」

という女将もいるかもしれないが()…アイドルの握手を営業と断じて見下す人間は、アイドルはみな、こういう心情で握手してる、となぜか断じているんでしょうな。

しかし、こんな女将は少数だろうし、もしいれば、その心はどこかでにじみ出てしまっているだろう。アイドルも同じだ。ファンはメンバーの握手時の対応で(その他、ステージでのMC、ブログの言葉などからも)その気持ちを忖度して、推しメン選びの参考にする。それは別に特別なことでもなんでもなく、アイドルに対してだけではなく、人は誰でも他人の表面上の言葉や表情の向こうにその本音を読み取りながら、その人間との付き合い方を考えている。

 

女将の話に戻ると、個人差はともかく、おそらく多くは

「商売繁盛させなくてはいけない。そのためには、またお客さんに来ていただけるように、精一杯のもてなしをして喜んでもらおう」

という気持ちで接客しているのではないか?繁盛してる旅館は、こういう気持ちでやっているから客は満足して、結果、繁盛するのであろう。

 

 して、このような女将の接客を表すとしたらなんだ?

「営業」か?

 もちろん、それもあるだろう。しかし、営業であると同時に、「真心」でもある。

 

そして、客が「客」という領域を超えて、美人女将にモーションをかけて、それを断ったら、それまでの真心の接客は「嘘」だったことになるのか?

アイドルの笑顔の対応も同じことだ。

 

これも、特別なことではない。

 

どんな仕事でも、仕事である以上、その対価として金を受け取る。「営業」だ。

と同時に、客へのサービスをいくらかの真心で行っている。

 

 仕事だけではない。

 

男が、心から大好きだけどまだ深い関係になってない女に優しくする時、それは

「下心」か「本心」か?

人間の気持ちなど、この時の気持ちはこれ!と単純に色分けできるものではない。

当たり前である。

 

AKBの人気メンバーの個別握手会は、1部1時間半で、それを1日6部。

その間、1枚10秒の参加券を持って次から次へと流れてくるファン。

 握手だけしていればいいわけではない。

ファン1人1人、握手しながらその日のために何を話そうか考えてきたことを話しかけてくる。それに対し笑顔で愛想よく対応しなくてはいけない。

 ほとんどのファンは、もちろんそのメンバーのファンなのだから喜ぶようなことを言うだろうが、中にはダメ出しをしてきたり、あるいはこれだけファンが増えれば少数ながら、失礼なことやひどいことを言う輩もいる。

ごくわずかでもそういうのがいれば、次から次へ流れてくるファンに対し、「次は大丈夫か」という緊張があるだろう。

もちろん、自分のファンという人間が、自分と握手するためにはるばる来て長い列つくって、大多数は「○○なとこが好きです!とか」「頑張って下さい!」等、ファンとしての言葉かけてくれるわけだから、気持ちがいいというのもある(※4)だろうが、疲れることもたしかだと思う。

それを、したり顔で見下したい人間が聞けばまた

「無理矢理愛想笑いと営業トーク続けて、大変な商売だな」

と嘲笑するのだろう。(※5)

これまた、他の仕事では疲れながらもがんばって接客している人間のことは褒めるのが普通だと思うのだが、なぜかアイドルのことになると嘲笑の類になるのである。

 

仕事でなくても、たとえば落ち込んで飲みたい友人と一緒の酒の席で、「もう疲れたから帰りたい」と思いながら付き合ってる時の気持ちは「嘘」なのか?

それを「本音で」正直に話すのが、「本物の」関係なのだろうか?

疲れて帰りたいけど「もっと飲もう」と「嘘」を言って付き合う気持ちが「本物」であると思うのだが。

 

アイドルがファンと握手して言葉を交わしている気持ち、それはそのアイドルそれぞれだろうが、いろんな感情が混然一体となっているだろう、普通の人間の営みがそうであるように。

混然一体…「これは仕事だ」「自分の仕事はファンを獲得すること」「そのためには来てくれた人に満足して帰ってもらうこと」「疲れてるけどがんばろう」

「仕事のため」「ファンのため」2つが同時に重なって存在していて何の矛盾もない。

 

 その笑顔の対応にはいろんな想いがあろう。

 ファンを増やしたい。

 それによって売れたい。

 来てくれた人にちょっとでも良い思い出にしてもらいたい。

 

売れたいという想いを不純とするか純粋とみるか。

ここにも「嘘」か「本当」か、という2択の単純な思考では割り切れない思いがある。

 

売れることで、大きいステージで歌って踊りたい、表現したいという想いもあるだろう。

売れることで、文字通りお金がほしいという想いもあるかもしれない(※6)

 

単細胞的考えでは割り切れぬいろいろな思いがあるのは誰しも同じ、人生そのもの。

 

アイドルが来てくれたファンに精一杯の笑顔や言葉で応えるのが、「営業」としか思えない人間は、その当人自身が金がからむことに関しては損得勘定でしか動かない人間だからそうとしか思えないのか、あるいは、アイドルとそのファンを偏見で見ているだけである。

 

あるいは、アイドルを純粋無垢でお金のことなど関係ない、という虚像で見ているがゆえに、そこに金がからんでいるのが許せないのか。(第1章 3「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と、見下す者が虚像を見ている。ファンが見ているのは実像>の項参照)

 

アイドルは、「人間」を観るジャンルなのだから、清濁あわせもった人間のいろいろな想いをそのコから見てとって想像したり、そういう「人間」を応援するのが愉しいのだ。

アイドルの笑顔を「営業」と見下すしか能のない人間は、つまるところは人間そのものを見下しているのと同じであるから、「人間」を観るアイドルというジャンルを好きになれないのは当然である。

 

 

 

※1 もちろん、心の中で何を思っているかはメンバーそれぞれによって違うだろうし、中には心の中で舌を出しながらやっているメンバーもいるかもしれない。中には痛いファンもいるので、その時その時、目の前にいるファンによっても変わるだろう。

しかしながら、すべてを「営業」「嘘」と断じる理由はどこにもない。

 

 

※2 「推しているメンバー」の略。AKB用語なのか、それ以前のアイドルグループから使われていたかは知らないが、AKBによって一般にも浸透した言葉だろう。

 

 

※3 最近は「地下アイドル」という、それで生活しているのではない、言わばアマチュアのアイドルも増えている。ライヴは有料でも、人によっては赤字かもしれない。赤字ではなくとも、時給に換算したら普通のバイトのほうがいい場合もあるだろう。そうなると、完全に、お金のためではなく、アイドルという活動が好きでやっているのだ。

 

    4 「AKBの仕事のの中で握手会が1番好き」というのは指原莉乃。彼女は元々アイドルヲタクで、九州で行われるアイドルの握手会等のイベントでは名物的存在だった。そのため、アイドルファンの気持ちがよく分かるのだ。また、握手会は元気の源、とブログに書くメンバーもいる。

 

    5 逆に、「たった10秒の握手で、楽でぼろい商売」と書いてる週刊誌もあった。要は批判するためなら何でもいいのだろうが、あれを「楽」と言えるような想像力のない批判記事を書いて売っている方が楽でぼろい商売だろう。

 

※6 ただし、アイドルの給料はびっくりするほど低いという話をよく聞く。

テレビ番組の中で秋元才加(AKB48、チームKキャプテン)は月給20万未満(みみたこ~職業別よく聞かれる質問バラエティ~』(フジテレビ系)2011年929日放送)と発言。元モーニング娘。の市井紗耶香、元おにゃんこクラブの新田恵理は、それぞれ最高月給が12万、20万だったと明かした。(『ガチガセ』日本テレビ 2012年4月27日)モーニング娘。は、市井脱退後に給料があがったらしいが。AKBは人数的に(メンバーのみならず、マネージメントや、衣装等裏方の仕事もメンバーの数だけ多くなる)1人に多くの給料を出すことは難しいであろう。メンバーにもよって給料の差はあるだろうが、多忙なスケジュールのことを考えると、お金のため、という動機だけではやっていられないのではないか。

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-10-07 13:25:45

46 推しメンとファンのプロレス

 推しメンのブログに毎回コメントを書きこんだり、握手会でいつもループ(※1)したりしてメンバーに認知されているファン。

 あくまで物事を“ガチ”でしか捉えられないアンチAKBは、そういうファンを嘲笑し、それならキャバクラ行けよだの、彼女つくれよだのといったようなことを言うのだが、それらとAKBメンバーとファンとの関係は全く別物である。

 

 <第1章 3「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像>で、AKBのファンこそ実像を見ていると書いたが、くだらない事を言うアンチと違って、虚と実をしっかり見ているからこそ、自分で、アイドルとそのファンとしての自分、という虚像を構築し、そこで遊ぶことができる。

虚像といっても、CGでもない、映画の中の世界でもない、まぎれもなく生身の人間どうしがつくるリアルな虚像だ。こんなに楽しい道楽があろうか。

 

 AKBのメンバーは、AKBという装置、舞台にあがっているからそこに共同幻想が成り立つ。

 AKBヲタクは、それを分かっている。

 もし仮に、AKBヲタが日常生活の中で自分の推しメンと同じかそれ以上タイプの女の子と知り合い、彼女が「ねえねえ、千円10秒(※2)で握手しながらお話してあげてもいいよ?」と言ってきたら、「アホか」で終わりだろう()

千円が百円であっても同じだ。

 会いたいけど、アイドルだから握手会くらいしか会えない…ではない。

 握手会くらいしか会えない、であるからこそアイドルたり得るのであり、アイドルたり得ている存在だからこそ、彼女に認知されて握手会やブログを通じて、直にエールを送ったり交流できることが楽しいのだ。

 

 通常のアイドルを好きになった場合、○○のファンになる、という言い方をするのに比べ、よく知られているようにAKBの場合、○○を推す、と言う。(※3)受動的ではなく、「推す」という意志が込められている。

 大人数の中での競争…正規メンバーへの昇格や選抜、総選挙など、人間ドキュメンタリーを見せる仕掛けの中、ルックスのいい悪いだけでなく、AKBというシステムの中で、誰なら応援のしがいがあり、誰となら楽しくブログやグーグルプラス、握手会で交流していけるか、ファンを本当に大切にしてくれるのは誰なのか、そういったものを見立てて「推す」

 

 「ファンになる」という受けの姿勢ではなく、推すという行動を楽しんでいる点においても、AKBファンは自分のやっていることをよく認識していて、確信犯的で、AKBというジャンルと共犯関係にある。この世で1番強い絆は共犯関係である。

 

 推しメンと、彼女に認知されているファンの関係は何かと言われたら。

 「本物」?「虚構」?

 自分の中で1番腑に落ちる言葉は、「プロレス」である。

 そう。アイドル…とりわけAKBメンバーとファンとの関係は「プロレス」

 メンバーが握手会で顔なじみのファンに「会いたかったよ(^O^)/」と言う。

 ブログで「みんなに会えるの楽しみにしてるよ~(*^_^*)

と書く。

 ファンもそれにメンバーの活動への感想や、激励のメッセージを直に伝える。

交わす言葉のやりとりで、1つの関係を築いていく。

 それは、「アイドル」として「ファン」に対して言っている言葉として、また逆に「ファン」が「アイドル」に言っている言葉として本物なのだ。

 虚と実がないまぜになって、虚構でありながら生身の人間どうしが、ステージやブログ、握手会というリングで言葉という技を使って1つの攻防、関係を成り立たせていく。

 いいプロレスを成り立たせることができる相手を見立てて「推す」

 

 これもまた、本音と建前がないまぜになっている、日常の人間関係を凝縮している風景である。

 日常の人間関係の中の虚と実を認識できているリアリストだからこそ、アイドルと自分の虚実を楽しむことができるのであり、日常の中の虚を認識できていない、つまり普段の人間関係は100%の「本物」と思っている手合いが、アイドルやそのファン、そして両者の関係をことさらに「嘘」だと見下すのだ。

 

 

 

※1 握手会を複数枚持ち、同じメンバーのところに何回も握手に来ること

 

※2 AKBの個別握手会は参加券1枚で約10秒握手できる。全国握手会は1枚で1~3秒ほど。全国握手会の場合は握手の前にミニライヴなどがある。

 

※3 言葉としては、AKB以前にハロプロなどからあったもよう(著者がハロプロヲタの友人から聞いた話)

 


最終更新日 : 2012-10-07 14:25:32

47 乃木坂46

 2011年は、AKB48がスタートして、6年。

 スタート時は、毎日、常設劇場で公演をし、毎日会いに行けるアイドルという新しい試みに、試行錯誤しながら今のかたちが出来上がっていったわけだが、同時に、ファンがAKBを楽しむスタイルも、運営側の試行錯誤と共に徐々に築かれていったものと思う。

 アイドルたらんと歌にダンスにトークに努力する(また、AKB卒業後の歌手や女優を目指す)、夢を追う少女たちの成長をすぐそばで目撃し、しかも握手会などで直に励ますことができ、「推しメン」を決め、メンバーからも認知されて…。

 そういう、AKBの愉しみ方、AKBというジャンル、文化が既に確立して数年たって社会現象にまでなっていた2011年に、AKBの「公式ライバル」として「乃木坂46」がスタートした。他の姉妹グループと違い劇場公演はないが、秋元康がプロデュースし、多人数(36名でスタート)で、曲ごとに選抜、センターが選ばれるというアイドルドキュメンタリーを見せてくれるという部分ではAKBのそれを踏襲している。

 すでにAKBというジャンルが確立したうえでの、そのようなグループのスタートだったので、ファンは最初から、そういう愉しみ方を踏まえて応援している。

 AKBは劇場公演でスタートし、それを基盤としながらCDデビュー、様々なファンとの交流イベントを経て、メンバーのキャラクターを、魅力を表現する場として冠番組も出来て行ったのだが、乃木坂46は劇場公演もなく、CDデビューする前に、まず冠番組「乃木坂ってどこ?」(テレビ東京 日曜深夜0時~0時半)がスタート。

 ファンを招いての最初のイベントは「お見立て会」:メンバー1人1人が3分ほどの持ち時間で自分のアピールをし、ファンはその中の1人を「暫定推しメン」としてアンケートに記入し、退場時に「暫定推しメン」と握手して帰る、というもの。来たファンにはこのイベント限定で「ファンの証」を発行。

 その後も、デビュー以前に握手会等のイベントを数回行い、東京での握手会にはデビュー前にも関わらず長蛇の列が出来た。

 曲のデビュー前から番組やらイベントなど…と憤慨するとしたら、従来のジャンルの概念にこだわる思考回路の持ち主だろう。元々は歌というジャンルから派生していったアイドルというジャンルだが、いつまでも曲ありきでなければいけない、などという決まりなどない。

 人間そのもののキャラクターを観る、ということがメインになったっていいのである。

 最終的に見る側になんらかの楽しみなり何かをもたらせばいいのであって、既成の概念の定義に基づいてしか物事を楽しめない人間は、それはそれでそういう流儀で物事を見ていればいいが、既成概念にとらわれずに自由に物事を見ている人間を非難する必要はない。

 

 既成概念にこだわる必要はないが、すでに確立された楽しみ方を踏まえてサービスを提供するのは悪いことではない。劇場公演がない、という大きな違いはあるものの、AKBというジャンル、楽しみ方が確立されていたからこそ、デビュー前からの乃木坂の仕掛けがあったと言える。

 特にそれは数度行われた「お見立て会」に集約されているだろう。

 まず、イベントの名称が、推しを決めるべくメンバーを見立てようという主旨がそのままズバリ。

 「推し」を決める、誰々を「推そう」、というのは「ファンになる」というのとは少しニュアンスが違う。

 「ファンになる」が受動的な感覚であるのに対して、「推す」というのは、ハッキリした意思だ。(※1)

 このメンバーを応援して一緒に夢を見る、あるいは、握手会やブログのコメントで交流を持って、そこから元気や喜びを得られるかどうか、それらを考えて見定めて、意思をもって「推そう」と決めるのだ。単純に顔がかわいいとかタイプだとかだけの問題ではない。

 従来のアイドルの概念だけで「AKBってそんなにかわいい奴いねえじゃねえか」と言う者にはそこが分かってないのだろう。(※2)ルックスや歌唱力だけでファンになるのなら、一度ファンになれば、ずっとそのメンバーのファンなのだろうが、AKBにおける「推し」はそういうことではなく、それも含みながらも各メンバーの成長や、彼女との交流という、変化していくものを楽しむものであるから、やはり変化がある恋愛において別れや出会いがあるが如く、「推し変」することはよくあることだ。(※3)

 そこを分かっているから、お見立て会の段階でアンケートに記入して握手して帰るメンバーは「暫定推しメン」だ。自分もお見立て会の時に決めた暫定推しメンから推し変してしまっている。

 

 そして、「ファンの証」の発行。

 AKBを古くから応援しているファンを「古参」、新しくハマったファンを「新規」と呼ぶ。

 特に境目が定義されているわけではないが、2011年にファンになった自分などは、少なくとも2012年の現段階では「ド新規」である。

 そういう、新規のファンが共通して思うこと。

「もっと昔から見とけばよかった…。」

 AKBは1つのジャンル、文化であり、同時に1つのドラマでもある。観客がなかなか埋まらなかった劇場公演を経験し、やがて満員になり、メンバーの卒業、加入、昇格、選抜総選挙、メンバーの人気の浮き沈み…。それらを、最初はAKB自体が全く人気がなかった状態から徐々に花咲く過程を、一緒になって夢見て応援しながら見ていたかった…という思い。

 特に、2010年以降は大ブームによって自分のような新規のファンが大量に誕生した。

「古くから見ておけばよかった…!」

 そういう思いを持つたくさんのファンの前に現れたのが乃木坂46である。これは、今となっては果たせないその思いを果たせる機会の到来である。

「乃木坂古参」になれる…!

 もちろん、成長していく様を最初から見て応援したい、というのは心の問題であるのだが、やはり「最初から見てた」という証はあった方が嬉しい。ビッグになった時に自慢したい、というやらしい気持ちも含めて()

 であるがゆえ、最初のイベント「お見立て会」参加者のみに発行される「ファンの証」が嬉しい。

 

 その後、CDデビューする数カ月前からメンバー全員がブログを開始してからも、多くのファンが推しメンのそれにコメントを書き込み、握手会も盛況だ。

 

 要は、乃木坂46の出現と、デビュー前から彼女達と交流するファンは、すでにAKBという楽しみ方、ジャンル……AKBという新しい文化が確立した証明なのだ。

 

 そう言うと、乃木坂のメンバー達は「私達はAKB人気の副産物なのか…」と気を悪くするかもしれないが、もちろん、メンバー、グループに応援する魅力がなければ「乃木坂古参」になるべくデビュー前から馳せ参じたファンも離れて行く。

 しかし、そこはAKB人気の影響はファンだけでなく、アイドルを志望する女の子達にも当然影響し、乃木坂オーディションはこれまでのどの48グループのオーディションよりも多い3万8千人超という超激戦になり、そこから選ばれた33名(※4)だけに、どのメンバーもそれぞれ個性を十分に持っており、本当に応援しがいのあるグループになっている。

 

 もちろん、今後の展開もAKBとはまた違った軌跡を描いていくに違いない。

 既成概念に縛られることなく時代を切り開いていく天才・秋元康のプロデュースのもと、これからの展開が楽しみである。

 

 

※1 お見立て会では、メンバーの顔写真、名前の横に空白のメモ欄がある用紙が配られた。まさに、メンバーをしっかり見立てて下さい!という運営側の意思の表れだ。

 

※2 作品の素晴らしさや、劇場公演の良さも分かってないだろうが。

 

※3 AKBに入る前(今も?)にアイドルヲタクだった指原莉乃は「推しは変えるものではなく、増やすもの」という名言を吐いている。番組や劇場公演をチェックし続けた結果、ルックスだけでは分からない、メンバーのそれぞれの魅力に気付いていくのである。

 

※4 36名でスタートし間もなく、辞退で33名になった。

 

 

 


最終更新日 : 2012-08-26 00:17:19

48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間

 握手会で推しメンに

 

「もう2年彼女がいないんだけど、どうしたらいいと思う?」

と聞いたら、

 

「それは、あれですよ!……私と出会うためですよ!(ドヤ顔)」

 

と言われたファンがいる。

 

…自分だけど(笑)

(ちなみに推しメンとは、乃木坂46の自分の推しメン、せいらりんこと永島聖羅ちゃん)

 

 こういう会話を人に話すと「それはどうなの?(^_^;)」とか「そういうの真に受けるやつもいるかもね」

的な反応をされたりするのだが、どうもその感覚が分からない。

 

 ここでも、物事を「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない人っているんだなあと感じる。

 

 そもそも!

 握手会の10~20秒で、その質問に対して真面目な解決策を考えて答えてもらおうとは思ってない…当たり前だろう(笑)

 聞かれたほうもそれは当然分かっている。質問というか、こっちがふった話の種に短い時間で、どういうインパクトのある、面白い答えが返ってくるかを楽しみに聞いているのであって、このばあいの「私と出会うためですよ!(ドヤ顔)」は100点満点の答えだろう。

 

 「ガチ」か「嘘」かしかない人には、その答え聞いてデレデレしてる自分に対してアホかと言うんだろうけど…まあ、ツッコミとしてのアホかっ!ならいいんだがそうではなく、軽蔑の眼で、「そんなの嘘に決まってるだろう」と。

 

 あのですね、では、あなた方の言うところの「嘘」でないリアルであればデレデレしてもいいんでしょうか?

 

 もし知り合いの女に「私と出会うためにあなたはこの2年彼女いなかった!」とガチで言われたら、ただデレデレしてるわけにはいかないんであって。

 そこまで熱く惚れられたら、嬉しいと同時に、この人とはうまくいくかなとか、いろんなこと考えちゃいますよ、リアルならば。

 握手会という場で好きなアイドルに…この場合、「嘘」という表現は違うだろと思うのだが彼らが「嘘」というのであれば、仮に「嘘」として…「嘘」であるからこそ、心悩ますことなく、めいいっぱいデレデレを楽しむことができる。

 

 こんなことを説明しないと分からないような野暮な人間が世の中を窮屈でつまらないものにしているのだ。

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-10-07 23:07:41