目次
はじめに・出版社の方へ・目次
<2013.5.7追記、お詫び>
はじめに
出版社の方へ 紙の書籍としての出版先募集してます
目次
第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由
3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像
4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間
5 天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ
第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
6 AKBの核・劇場公演とは?
7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ
9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる
10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由
11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」
第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
13 格闘技のリアリティ
14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上
15 アイドルこそは最もリアリティある世界
16 リアルとリアリティの違い
17 人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス
18 虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生
第4章 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
19 ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇
20 国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段
21 天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない
22 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
23 「人間」を観るジャンル
24 「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を
第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
25 AKBの歌のベースは 色即是空 
26 AKBの楽曲の世界
27 “AKB顔”
28 少女達の大人数集団の独特の魅力
29 共同体と個人競争の社会
30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室
32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力
33 サプライズは人間ドラマの花形
34 共同幻想
35 偏見が熱気、パワーを生んでいる
36 「商売」が嫌いなアンチ達
第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB
37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ
38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念
39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない
第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗
41 AKBの尋常じゃない汗の量
42 アイドル、プロレスラーの「実力」
43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス
44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景
45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している
46 推しメンとファンのプロレス
47 乃木坂46
48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間
第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
49 既成概念でしか物事を捉えられない人々
50 ジャンルそのものを見下す愚かさ
51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍
52 軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号
53 アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン
54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性
56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人
57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像
終わりに、参考文献、奥付
終わりに
参考文献
奥付

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第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB

37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ

 自分が好きな笑いは、ドキュメンタリー、ノンフィクションのテイストである。

どういうことか?

たとえば、SNSで下らないつぶやきなどする時。冗談だよ、笑ってねというのを思い切り打ち出すのではなく、自分のカッコ悪いところをそのまま、あるいは大げさに拡大して書くような。

 ベタで分かりやすい例を出すとすると…

 

「今日は宮澤佐江ちゃん(※1)と妄想でデートしちゃいました~」

というような言葉で笑いをとりたい時、言葉の最後に ()や、「な~んちゃって」というような言葉をつけないということ。

 それをつけることで、妄想でアイドルとデートするカッコ悪さは半減するかもしれないが、笑いも半減する。

 あくまで真面目な体裁でそれを言うのがいい。できたら「しちゃいました」などよりも、もっと淡々とした言葉で。さらに、「デートした」という漠然とした言葉より、具体的に何か描写した方がいい。

 それを100%真に受けてしまう人もいるだろうが、それは受け取る側の想像力不足ということで。

 

 芸人で言うと、自分はダウンタウンの松っちゃんがめちゃくちゃ好きである。

 彼の笑いは、ノンフィクションのテイストだ。

 あり得ないことを飛躍させてボケる時も、淡々とした口調で放つから面白い。

 

 それに比べて、もう1人、天才と称されるビートたけしの笑いは、「はい、ボケましたよ~」「ここで笑って下さい~」という、分かりやすいボケだ。

 たけしに関しては、彼の映画は大好きなのだが、笑いはそれほど好きではない。

 そして、昔から印象に残っているのが、プロレスに関しての彼の発言。

 いろいろなことを言っているのを聞いたが、要は、プロレスはヤラセである、という事をいろいろな言い方で言っているのと、これはハッキリそう言っているのではないが、なぜああいうヤラセのどこがおもしろいのか、と思っているのが見てとれるのだ。

 不思議なのは、彼の食いぶちの1つである社会評論においては、世の中の規範や常識とは違った物の見方を言うことを芸風にしているのに、プロレスに関しては、前述したように「プロレスはヤラセ」などという、要するにそこらのおっさんが言うような平平凡凡のことしか言わないことだ()

 

 松っちゃんの、ノンフィクション的な笑いというのは、プロレスに通じるものがある。

 建前の世界を、これは建前ですとは絶対に言わずに生身の人間がパフォーマンスするプロレスという世界と、「ここ笑うとこですよ」という笑いではなく、ノンフィクションのテイストで、とんでもないフィクションの世界を構築している松っちゃんの笑い。

 

 だから、たけしがプロレスを理解できない一方で、松っちゃんがプロレス好き(格闘技も好き)で、たびたび観戦しているのも、頷ける話だ。

 

 そして、週刊誌やネットで書かれていることで、どこまでが本当なのか分からないが、たけしが「AKBがなぜ売れているのか分からない」等とAKBを批判してるらしいが、ああ、プロレスが分からない人にはAKBも分からないだろうなと合点がいった。

 

 さらに、松っちゃんは最近は丸くなってあまり毒を吐かなくなったが、昔はよくスポーツに…特にメジャースポーツに毒を吐いてた(※2)一方、たけしは野球好き。

 

 松っちゃんがAKBをどう思ってるか分からないが、彼がノンフィクションテイストの笑いで、プロレス好き、格闘技好きで、メジャースポーツ嫌い、たけしが分かりやすい笑いで、メジャースポーツ好き、プロレス嫌い、AKB嫌いであること、そして自分が松っちゃんが大好きであることは、自分の中では全部繋がっている。

 

 笑いがノンフィクションの雰囲気の方が深みがあって面白いのは当たり前だ。

 人間の業の肯定が笑いなのだから。

 

 

 

 

(※1)AKB48、チームKのメンバー。自分の推しメン

 

(※2)自分の記憶にある発言の中のいくつかを挙げていく。

 

・次週の「HEYHEYHEY!」がバレーボールのワールドカップ?でお休み、となることを浜ちゃんが予告した際に「バレーで俺の番組がつぶれる…最っ悪ですね」

 

・サッカーに「あんなもん何がおもろいねん」

 

・ホラ話をするのが定番だった、昔の「ガキの使い」のハガキのコーナーで、横綱の次は?との問いに「大関」 浜ちゃん「正解。」 松っちゃん「はっ…当たってもた。ホンマに知らんからボケるにボケられん。」

 

・著書で、サッカーのワールドカップが視聴率50%近くをとったことに関して「まあ、でも裏を返せば半分の人は見てないわけで。」「頑張れ頑張れと言ってる皆さん、おまえらが頑張れよ」

 

また、「ごっつうええ感じ」の打ち切りの原因が、松っちゃんに無断で同番組を野球の試合に差し替えたことに松っちゃんが激怒した事なのは有名な話。

 

 

 


最終更新日 : 2012-08-26 00:10:32

38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念

 昔、「笑っていいとも」のテレフォンのコーナーで、翌日のゲストを呼ぶ電話をした際に間違い電話をしてしまい、一般人のおじさんが出て、それをタモリが面白がって会話した末、なんとそのおじさんを翌日のテレフォンのゲストに呼ぶという事件があったのを最近知った。(※1)

 それを知った時、まっさきに「プロレスっぽいな」と感じた。

 その事件(?)の何が「プロレスっぽい」と感じさせるのか。

 ノンフィクション性である。

 プロレスはエンターテインメントだ、ショーだと言っているではないか、と言われそうだが、あくまでその建前はガチンコ、ノンフィクションである。

「軍団抗争」も「遺恨」もすべて。

 そこにプロレスの特殊性があり、独特の面白さがあるのだ。

 大の大人、同じ会社に所属する大人どうしが敵になったり味方になったり、あるいはどんなにガチンコではあり得ないような技や展開であっても、演劇や映画と違い、あくまでこれはガチンコだという建前をとる。ノンフィクション性を貫く。であるからこそ、ファンタジーたり得る。

 これは嘘の話ですよという前提に立つテレビドラマや映画は、それを見る側の視点に立てば、中身がどんな魔法や妖精が出てくる話であろうと、真のファンタジーたり得ない。嘘だって言っちゃってるんだから。

 どんなものであっても、真のファンタジーたり得ようとすれば、これはガチンコだと言い張らなければならない。

 見る側がそれを分かっていたとしても、ガチンコだと言い張り続けてくれることで、ファンタジーたり得るのだ。見る側の素質にもよるが。

 

 同じようにプロレス的だなとまっさきに感じたのが、2012年5月2日に、乃木坂46のセカンドシングルとAKBの指原莉乃のソロデビュー曲が同日発売し、その対決がAKBや乃木坂の番組で盛り上げられていった件である。

 これは、乃木坂CDの付属DVDの、メンバー33人それぞれとの妄想デート映像に対抗し、指原CDのDVDには、1人で33パターンでの妄想デートを収録したり、番組内で両者がゲームで対決したりと、「仲がいい対決」だ。

 プロレスやアイドルをバカにする、貧しい感性の持ち主ならば「ヤラセじゃねえか」などと、この上なくどうしようもないセリフをはきそうなところだ。

 

 これは、両者の「対決記者会見」(※2)で、乃木坂メンバーと指原が丁々発止のマイク合戦をやっている時に、指原が発言する前に机上の台本をチラリと見る仕草をして笑いをとったように、誰が見てもわかるエンターテインメントだ。

 そうであっても、マイク合戦もノンフィクションの体裁で進行をしている点、そして、最初から、そういう盛り上げ狙いで同日発売だとしても、実際にどちらが売れるかはファン次第でありガチであり、それを両サイドが気にするのもガチだ。

 プロレスの「遺恨」が嘘であっても、リングでぶつけ合っている肉体はまぎれもない本物で、本物の痛みと共にそれを行っているように。

 

 先のいいともの件は、間違い電話というノンフィクションをエンターテインメントにしたケース。もしこれが最初から仕組まれていたことなら、エンターテインメントをノンフィクションの体裁にしたもの。

 乃木坂とさしこの対決は、CDの話題作り、メディア内での「対決」というエンターテインメントとプロモーションを展開するため、「同日発売」というまぎれもないノンフィクションを作ったもの。

 

 どちらも、ノンフィクション(実)とエンターテインメント(虚)が表裏一体、つまりプロレスになっている。

 

 ノンフィクションが云々でエンターテインメントでどうたら、などと冗長な説明はいらない。「プロレス」という一語で見事に説明がつくのだ。

 いいともの件は、翌日に素人のおじさんを呼んだところで「すごいプロレスだ!」

乃木坂とさしこの件は「おもしろいプロレスするなあ!」

 

 この「プロレス」という概念があるかどうかで、世の中を観る目が変わる。

 

「何言ってんだ、この世にはホントかウソしかない!」

 たしかにそうです。

 しかし、ガチ(実数)とウソ(負数)の他に、あり得ない数…虚数(プロレス)という概念があった方が世の中を正確に、そして楽しく捉えられる。

 

 さらに言うと、この世に本当に実在するのはガチ(実数)だけ。

 ウソ(負数)も人間の脳でのみあり得るものであり、ウソをついている(負数をつくっている)人間がいる、というガチがあるだけ。

 同じく、プロレスも突き詰めれば、「『プロレス』をやっている『リアルな人間』」の姿が浮かび上がる「ガチ」

 ウソやプロレスを否定する人間こそ、リアルな実像を見れない似非科学者である。

 

 

 

 

 

※1 本物のゲストが出るテレフォンのコーナーとは別に時間を設け、そのおじさんが本コーナーと同じように翌日のゲストとして友達を呼び、それは3日間続いたとのこと。ちなみにこの間違い電話事件がガチだったのかどうなのかは知らない。ガチであったとしても、そうでなかったとしてもプロレス的展開である。

 

    2 「有吉AKB共和国」で放送。

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-08-26 00:11:01

39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない

 前項の最後のページの補足説明。

 

この世にウソは何1つない。

 

いや、あるのだが、それは人間の頭の中で観念上、存在するだけ。

 

例えば、バナナを指さして「これはリンゴです」と言ったとして、それを「ウソ」と言うのは単に人間の観念。まあ、言葉というものが観念なのだから当たり前。

しかし、事実…究極の事実は、バナナなる物体を指差して「コレハリンゴデス」と言っている人間なる生き物がいるだけだ。

 

その現象を見る人間の観念の反応の1つに「それはウソだ」と蔑む、という反応がある。

その他、何も感じないという反応、言葉のまま「それはリンゴだ」と思う反応、いろいろあるだろう。

 

プロレス、AKBのファン、さらに皇室を敬愛する国民は、それは決して「リンゴ」ではないことを知りつつ、バナナを「リンゴです」と言っている「人間」に興味を示し、見定め、愛するという反応をする。

純粋無垢でずっと笑顔でいる人間などいないことを知りつつ、そういう夢を見せようとステージで頑張って笑顔でパフォーマンスする「人間」を見て、その夢をともに追う。

勝敗は決まっていることは知りつつ、強さを表現するためにぶつかりあい、本物の痛みと汗まみれになっている「人間」を見て、尊敬の念を抱く。

神話と史実は違うことを知りながら、神話を背負ってお役目を果たされている天皇陛下を敬愛する。

 

一方、アンチは、ステージや握手会での笑顔、リングの上でぶつかりあう身体、陛下の微笑みを「嘘じゃねえか」としたり顔で見下す。

 

 

       どちらが真実を直視しているのか?

 

 

反応の違いが分かれる重要なポイントは、バナナをリンゴと呼ぶことをウソとかホント云々言う以前に、そもそもの話として「バナナ」という名前は勝手に世の中の人間が定義したものであることを認識できているかどうかであろう。

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-08-26 00:11:30