目次
はじめに・出版社の方へ・目次
<2013.5.7追記、お詫び>
はじめに
出版社の方へ 紙の書籍としての出版先募集してます
目次
第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由
3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像
4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間
5 天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ
第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
6 AKBの核・劇場公演とは?
7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ
9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる
10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由
11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」
第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
13 格闘技のリアリティ
14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上
15 アイドルこそは最もリアリティある世界
16 リアルとリアリティの違い
17 人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス
18 虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生
第4章 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
19 ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇
20 国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段
21 天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない
22 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
23 「人間」を観るジャンル
24 「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を
第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
25 AKBの歌のベースは 色即是空 
26 AKBの楽曲の世界
27 “AKB顔”
28 少女達の大人数集団の独特の魅力
29 共同体と個人競争の社会
30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室
32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力
33 サプライズは人間ドラマの花形
34 共同幻想
35 偏見が熱気、パワーを生んでいる
36 「商売」が嫌いなアンチ達
第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB
37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ
38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念
39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない
第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗
41 AKBの尋常じゃない汗の量
42 アイドル、プロレスラーの「実力」
43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス
44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景
45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している
46 推しメンとファンのプロレス
47 乃木坂46
48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間
第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
49 既成概念でしか物事を捉えられない人々
50 ジャンルそのものを見下す愚かさ
51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍
52 軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号
53 アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン
54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性
56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人
57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像
終わりに、参考文献、奥付
終わりに
参考文献
奥付

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第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる

25 AKBの歌のベースは 色即是空 

 自分がAKBにハマり出したきっかけは、2011年1月の引越しに伴ってCS放送が視聴可能になって、音楽専門チャンネルをつけていることが多くなり、そこで流されていたAKBのミュージックビデオを目にし曲を聴くようになったことである。

 誰がかわいいとか、本著で述べてる「人間」が見れるアイドル云々ということは後からであり、そもそもハマったきっかけは作品なのだ。

 AKBのミュージックビデオの完成度はすごい。特にシングル曲の。

 カラオケに行って歌うのはほとんどAKBなのだが、そこで「本人映像」つまりミュージックビデオが流れる曲も歌うと、それまでAKBに関心なかった人も皆、その素晴らしさに感心する。

 また、曲自体も素晴らしい。

 

 秋元康が、「AKBの曲は○○」と定番化されることが嫌いで、作品ごとにテーマを変えてくるのだが、自分がその底に流れるテーマを1つ挙げろと言われれば、「色即是空」と答える。

 自分は仏教の専門家ではない。

 若い頃に般若心経に興味を持ち、連続してそれについての本を5~6冊読んだことがあり、あとはヨガをやっている関係で多少、関連のことを聞きかじっている程度だ。

 なので、ここで言う色即是空とは、そういう自分が思うところの色即是空だ。

 

 色即是空  今、目の前にある華やかで楽しい風景、時間は実はじつにはかない幻である。

 

 色即是空のあとは、空即是色と続く。

 そして、これは、もはや自分が思うところの解釈というのも超えて、こう読み取ろうという自分の勝手な意志であるといっていいが、

 

 幻でありながらも、今目の前にあるこの時間を生ききろう。

 幻であるがゆえ、はかないものであるがゆえに。

 

 この時は、瞬く間に過ぎてしまう幻であり、はかないものである。

 しかし、はかないからと嘆くのではなく、はかないからこそ、今、この時をめいいっぱい生ききろう。

 

 そういったメッセージがAKBの作品を通して聞こえてくる。

 

 今、輝いているこの時間は、今だけのものということを分かりながら、しかし分かっているからこそ楽しんでいるorがんばっている、という思いを感じる。

 

 色即是空ということで言うなら、アイドルの存在そのものが色即是空である。

 松田聖子のような存在は例外として、アイドルでいられる時間は青春の限られた時間であり、女のお肌の曲がり角は25歳というのはホントかどうかは知らないが、老いはそういう早い時期に容赦なく、誰の目にも分かるように彼女達の容貌にくっきりと刻まれていく。

 

 少女達の持つ若さ、可憐さははかない一時のもの。

 

 それに加え、AKBには、もう1つ。

 

 少女達が集団になった時の、あのワイワイした楽しさ。

 少女達が一緒に夢を追う時のあの、団結力とそこから生み出される強さ。

 

 それもひと時のものである。

(おばちゃん達の集団の強さもそれはそれで独特のものがあるが()、少女達の集団の可憐さとはこれが同じ女の集団かと見間違うばかりに、全く異質なものである。)

 

 その頑張っている様子…総選挙や選抜、昇格制度などのシステムや、バラエティの彼女達の無茶ぶり企画、ほぼ毎日の劇場公演で生で見れる成長など、わずかな期間を精一杯生ききっている少女達の集団をドキュメンタリーで我々に見せてくれるのだから、AKBのコンセプト自体が「色即是空」と言っていいかもしれない。

 

 その歌、詞の世界については次項で改めて詳しく書くとして、AKBの歌詞から般若心経の話をすると、??という顔をされる。

 

 第2章 11<根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」>で書いた「ジョーシキ」の話と同じことだが、そういう人の頭の中には、勝手につくったカテゴリがあるのだろう。「宗教 哲学」カテゴリ、「アイドル」カテゴリ…etc

 さらには「宗教 哲学」カテゴリは、「高尚なもの」カテゴリの中にすっぽりと入っている。あるいは「難しいもの」カテゴリかもしれないし、「かっこいいもの」カテゴリかもしれない。

 そして、アイドルというものは、さしずめ「くだらないもの」カテゴリに放りこまれている。

 そういう世間一般の価値観におもねったカテゴリが頭の中にある人ならば、まず間違いなく「くだらないもの」には「プロレス」も放りこまれていると思われる。

 そして「くだらないもの」カテゴリの中のものと「高尚なもの」カテゴリの中のものが交わることは全くないのだ。

 こういう膠着した頭の持ち主には、真に「高尚な」真実など永遠に見えない。

「高尚な」言葉の響きに酔ったり、「くだらないもの」を見下したりしている人間は、自分の頭の中では「くだらない人間」カテゴリに放り込まれる…あれ、俺も同じか?(笑)

 

 AKBの曲をバカにする人間の何人が、歌詞カードを見ながらちゃんと歌を聞いたのか?

 アイドルは、かわいいイメージで売ってるだけと見下す人間こそが、「これはアイドルの曲だから」という「イメージ」で聴いているのではないか?

 そういう人間に、もし、「桜の木になろう」などの曲を、これがAKBの曲だとは知らせずに、シンガーソングライターっぽいコーディネートした服着た人間に、アコースティックギターでアーティストっぽい雰囲気で()歌わせて聴かせたら、同じように見下すだろうか?

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-09-01 00:51:24

26 AKBの楽曲の世界

 前項で、AKBの歌の底に流れるのは色即是空の感覚と書いた。

 キラキラと輝く青春ははかないもので、そのはかなさを抱き締めつつ、だからこそ今を生ききろうとする、その輝きとせつなさ。

 青春を人生と書き変えても、そのまま同じメッセージになる。人生のそれが青春に凝縮されているのだ。

 

 毎年、早春に、「桜」がタイトルに入り、内容でも卒業や新しいスタートがテーマとなる曲が発表されている。(2012年は、タイトルこそ「GIVE ME FIVE!」だったが。)

 言うまでもなく、毎年同じ時期に見事な花を咲かせ、短い日数で散ってしまう桜は、日本人の無常感、“もののあはれ”を最も象徴するものである。

 無常感、もののあはれは、ここで自分が言うところの色即是空とかなり似た意味合いを持っており、AKBが毎年、その桜をテーマとした曲を出しているのも頷ける。

 10代の若者の桜の季節に訪れる別れと旅立ち、その期待感と不安、その世界を見事につくりあげていると同時に、その気持ちにセンチメンタルに浸っているだけではダメで、自分の足で一歩一歩力強く目標に向かっていかなければいけないというメッセージが込められている。

 

 自分は、AKBのシングルの中では「10年桜」が1番好きである。

 

 卒業前に「君」に恋してた日々を振り返ると同時に、これからの未来への期待で胸ふくらませる、桜咲く「今」という時間が鮮やかに描かれている。

「10年後」という、未来でもあり同時に確かに近く訪れるという感触も持てる時に、もっと成長して「君」に「また会おう!」という若者の高揚感。

 卒業シーズンのそういう気持ちをアップテンポでありながらせつないメロディにのせて表現しているこの曲を聴くと、何歳であっても、未来を見据えて「今」頑張ろうという気持ちになれる。

 

 多くの歌詞に共通していることの1つは、過去、未来の大きな時の流れやこの世界全体、こういう大きなものを想い空を見上げながらも、今ここで足元見つめて着実に1歩1歩歩こうというメッセージだ。

将棋の名人の言葉

「着眼大局、着手小局」という言葉が思い浮かぶ。

 

 

10年桜

 

つらいことあっても

うまくいかなくても

過ぎる春を数えながら

寂しくなるけれど

未来を信じれば

僕は頑張れる

 

 

桜の栞

 

喜びも悲しみも

過ぎ去った季節

新しい道

歩き始める

 

空を見上げれば

その大きさに

果てしなく続く

道の長さを知った

 

晴れの日も雨の日も

明日は来るから

微笑みながら

一歩 踏み出す

 

 

 青春の今という時は瞬く間に過ぎてしまう幻のようなもの。だからといって

刹那的に生きるのではなく、逆に、それを意識すればこそ、今を大切に生きられる、そう生きようというメッセージがこめられている。聴いているとそういう気持ちになれる。

 

涙サプライズ

 

広い世界の片隅で

同じ時代を生きてる

今がきっと青春かも

遠い先で いつの日か

思い出すだろう

 

Happy Happy birthday

ケーキのキャンドルを

一息で

さあ 吹き消せよ

ああ その先のしあわせに届くように…

Happy Happy birthday

まだ 夢の途中さ

目の前の

未来の道は

輝いてるよ

まず一歩

歩き出そう

 

 

 この、「今しかない!」「今を生きろ!」というメッセージは、AKBの多くの歌に共通して見られるものである。

 それは、青春のひと時を精一杯努力し生きている少女達を見せるというAKBのコンセプトと重なり合い、AKBが歌うからこそ、そのメッセージがよけいに心に入ってくる。

 「誰が歌う歌か」ということを前提に書いている、職業作詞家の秋元康のつくった素晴らしい作品群だ。

 

 

大声ダイヤモンド

 

失うものに気づいた時

いても立っても

いられなかった

今すぐ 僕にできるのは

この思い 言葉にすること

 

 

「RIVER」は、目の前の川を今、全力で渡りきれ、という力強いメッセージソング。

大ヒットした「Beginner」は、過去の経験なんか関係ない、恥も外聞も捨てて常に今という時をBeginnerとして開き直って生きろという、強烈な歌詞が胸に突き刺さる曲だ。

 

 

 「ポニテールとシュシュ」は、夏という、強烈ではかない季節と、せつない恋心がアップテンポながらもせつないメロディに込められている。

 せつないのに、この片思いの気持ちを抱き締めてこのまま永遠にしたいような気持ち。

 

ポニテールとシュシュ

 

ポニーテール(切なくなる)

片想い

瞳と瞳合えば

今はただの友達

 

束ねた長い髪

水玉のシュシュ

恋の尻尾は

捕まえられない

触れたら消えてく

 

ポニーテール(ほどかないで)

変わらずに

君は君で(僕は僕で)

走るだけ

ポニーテール(ほどかないで)

いつまでもはしゃいでいる

君は少女のままで

 

 色即是空は、今のこの華やかな光景や楽しみも、はかない幻、すぐに過ぎ去るもの、という認識だが、以下に挙げた歌詞は、それに続く空即是色=(はかないものだが、しかし、今、確かにそのはかなくも華やかな「今」を感じている。)

 

 

ヘビーローテーション

 

人は誰も

一生のうち

何回愛せるのだろう?

たった一度

忘れられない

恋ができたら満足さ

 

そんなときめきを感じて

花は綻ぶのかな

 

Everyday、カチューシャ

 

確かなものなど

何も欲しくはないよ

無邪気な君と

来年も

海に来られたら…

 

ここに挙げたのは、すべてシングルとして発売されている曲だが、AKBの楽曲のほとんどは、劇場公演で歌い踊られている「劇場公演曲」その数は膨大で、数百曲にのぼる。

 世間一般に知られているのはシングルばかりだが、実は劇場公演曲にこそ名曲が多い。

 それについても書いてたらキリがないのだが、公演ごとにCD、DVDが発売されているので、ぜひ聴いてみてほしい。劇場で生で見るのが1番なのは言うまでもないが。

 

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-10-05 22:49:50

27 “AKB顔”

 AKBにはかわいいコが少ない、あるいはメンバーよりかわいいコ、そのへんにいっぱいいるじゃん!AKBってたいしたことないよね…という声をよく聞く。自分もハマる前はそう思ってた。

 

 しかし、それは従来のアイドルというジャンルの尺度でAKBを見ているからこその感想であって、AKBのメンバーのルックスの平均値がそう高くない、中には全くそのへんを歩いている普通のコと同じレベルなメンバーもいることはファンなら百も承知で、秋元康自身が「クラスで2番目、3番目に可愛い子を集めた」と言っている。「クラスで10番目に~(以下同文)」というのを読んだ記憶もある。どちらが本当かは分からないが、とにかく、お人形さんみたいに可愛いコ、あるいは常人離れしたスター顔はAKBには似つかわしくないのだ。

 

AKB顔」にふさわしいのは次の3点だろう。

 

1.身近にいそう

2.個性があり、ある人が見ればかわいいと思うが、別の人がみればそうでもない、つまり好みが別れること

3.表情が豊か

 

1について。

「人間」を感じさせること。自分達が支えるという感覚をもちやすいこと。

2について。

「俺はこのコが好き」という感覚を持ち得ること。誰から見ても美人、ではそう感じえない。

「俺はあのコが好き、このコはちょっと…」ワイワイと言えることが楽しい。

3について

これも1と同じく「人間」を感じさせること。

自分が宮澤佐江ちゃんを推している理由の1つは、その表情の豊かさ。口の形の変化が最高に好きである。

 

 ここで、メンバーの一覧表を見ながら、特にAKBっぽい顔と、それっぽくない顔を直感で挙げてみた。

 

AKB顔 指原莉乃 高城亜樹 北原里英 柏木由紀 渡辺麻友

AKBっぽくない顔 篠田麻里子 梅田彩佳 板野友美 松井咲子 

 

 さしこ(指原) あきちゃ(高城) きたりえ(北原) ゆきりん(柏木)は、お分かりだろう。ルックスは常人並である。

 もしも4人がこれを読んでいたら怒りそうだが、ここから最大限に褒めるから読み進めてほしい。

 「ルックスがいい」と「かわいい」は違うのだ。

 前者は単に顔のつくりの問題。

 後者は表情や、日頃の行動を見ててその人に抱く人間像(AKBでいえば、番組や公演などで見てて抱く印象)、その人と自分のこれまでの人生における関わりで蓄積されている記憶(AKBでいえば、握手会などでの記憶)、それら全てを含めて1人の人間の心の中でできあがっていく全人的な印象の問題。

 自ら「かわいくない」と、おそらく本気で言っている指原莉乃だが、たしかにルックスは「クラスで4~5番目にかわいい女の子」(筆者独断)という感じだが、自分にはかわいくてたまらない。現在、個人的推しメンランキングでは5位くらいにつけている。

 そのメンバーの歩んできた歴史、テレビ番組や公演、握手会などでの対応、そういった全ての記憶をもって彼女を見ると、そこに「かわいい」という感情が生まれるのだ。

 これも何も特別なことではなく、我々の人生で、誰かを「かわいい」と思う過程と同じである。対象が異性である場合、もちろんルックスも大きく、その感情に影響してくるが、対象を見てきた、関わってきた記憶が相まってかわいいという感情が生まれる。

 それをある意味具現化したのがAKBの、少女達の頑張っている様子、喜怒哀楽を昇格、選抜、選挙などのドラマで真近で見せるコンセプトだ。さらに握手会では自分とそのメンバーとの直接の関わりの記憶が出来上がっていく。

 AKBファンはその楽しみ方を理解しているから、全体的にルックスが少々劣っていてもあまりたいした問題ではないのだ。むしろ、ふつうっぽい感じのコの方がいい。

 顔のつくりがいいことなど、生まれつきの問題だから、たいした自慢にはならない。

 

 ルックスが素晴らしくかわいいまゆゆ(渡辺麻友)を“AKB顔”入れたのは、AKBの拠点・秋葉原の二次元文化を具現化した顔だからで、深い意味はない。

 

 「AKBっぽくない顔」の篠田麻里子と板野友美は、誰から見てもかわいいからだ。

AKBファンではないけど、トップ5~10くらいまで何となく分かるというくらいの人に、その中では誰が好きかと聞くと、ほとんどの人が篠田麻里子と答える。

 特にそれぞれの個性などを知らずに写真を見て選ぶ感覚だと篠田麻里子が1番人気になるのだと思う(麻里子様に個性がないと言っているのではない)

 さらに、2人とも、大人の匂いがして、完成されている感じがする。

 どこか頼りなげで、自分達が推して応援せねば!と感じさせるのがAKBっぽいところ。そういう意味ではさしこ(指原莉乃)などはルックスが常人並であることに加えて、まさしくAKBの申し子のようなコである。

 麻里子様やともちん(板野友美)などは他のメンバーと同じく頑張っているのだろうが、余裕でやっていそうに見えるのは損でもある。(と同時に、それが個性でもあるからいいのだが)

 そして、梅田彩佳、松井咲子を含めた「っぽくない顔」4人に共通するのは、都会っぽさである。洗練された都会の女の子という感じ。

 かわいいか美人かで言うと美人だ。

 

 都会よりはちょっと田舎くさいほうがAKBっぽい。田舎の高校の女子運動部のひたむきさというか。ひたむきに頑張っているのは都会も田舎も関係ないわけだが、イメージが違う。

 部活で汗を流したあとは、オシャレな私服に着替えて電車乗って友達とカラオケ行って、休日は男友達や彼氏と渋谷で買い物…という都会の運動部と、部活後はジャージで自転車で家に帰って、休日はやはりジャージで自転車乗ってジャスコのフードコーナーで部活の女友達5人でだべる…。(イメージですよ、イメージ!)練習時間は同じでも、田舎の方が全てを部活に賭けているという感じがするだろう()

 AKBは、やはりAKBにいる間はAKBに全てをかけて頑張ってほしい気がする。(もちろん、麻里子様達もさしこ達も両方とも頑張ってると思いますよ。ここで言ってるのは、単に顔のイメージでの話です!)

 

 「少女たちよ」というAKBの歌があり、秋元康がメンバー達に頑張れというメッセージを送っているような歌詞なのだが、そのサビに、

 

少女たちよ

何もあきらめるな

悲しいことなんか すべて捨てて

全力で

全力で

 

というところがある。

 自分はしばらく、「悲しいことなんか すべて捨てて」というところを「楽しいことなんか すべて捨てて」と聴き間違えていた。

 それで疑問に思ってなかった。

 遊びも恋もすべて捨ててこれに打ちこめ、というメッセージと解釈し、とても印象に残っていた。

 AKB以外が歌っていたら「楽しいことなんか すべて捨てて」って??と疑問に思って、すぐ歌詞を読み直していたかもしれない。

 

 田舎くさいほうがいい…に話を戻すと、ベストなのは、田園風景広がる地方の出身ではなく、東京近郊のベッドタウンで、特に都会でもなければ、田んぼが広がっているわけでもない住宅地出身。「普通感」「どこにでもいそうな感」を感じるから。

 前田敦子の千葉県市川出身、大島優子の栃木県出身などは最高である。さすがツートップ()

 

 

 


最終更新日 : 2012-10-05 23:46:25

28 少女達の大人数集団の独特の魅力

 ずっとAKBグループを見ていると、それ以外のアイドルを見ていて何か物足りないものを感じることがある。

 魅力的なコがいないわけではない。楽曲が良くないわけではない。例えば、ももいろクローバーZの楽曲の面白さ、ライヴパフォーマンスの激しさ、楽しさは異常なまでにすごい。大好きである。

 では、AKB以外のアイドルを見て感じる物足りなさとは何か。

総選挙や正規チームへの昇格システムなどの人間ドラマか。あるいは劇場公演という核があることか。それも大きい。

 

 しかし、もう1つ、大きなもの。

 少女達が大人数で1つの集団になった時の魅力。

 

 少女達が集団になった時のあのワイワイした楽しい感じ、そして結束の強さ。

 そもそも、動物学的に、人類のメスはオスと違って、同性どうしの結束が固いようである。

 人類というより、霊長類じたいが、種にもよるが、そういった傾向がある種見られるようだ(※1)

 そして、我々オスは、メスは単独で浮遊した存在のメスではなく、そのような結束あるメスの集団を見て、その中から特定のメスを見定めて選ぶという本能があるのはないか。

 こられの本能に関する考察は自分の想像だが、本能としてどうかはさておき、集団性の魅力は人生そのものであろう。

 学校のクラスの女子達、職場のOL達、その他、男よりもまとまりのいい女子集団の中で他の女子達との関係性の中で1人1人の個性が浮き彫りになり、その中から誰かを好きになっていく…。

 そう、AKBグループの1つの大きな魅力は、まるでクラスの女子達を見ているような楽しさを味あわせてくれること。

 ただ集団でいればいいというものではない。

 本当の身近にいる集団なら、いやでもその関係性の中から全員の個性が見えてくるであろうが、舞台の上での歌やダンスを見ているだけではそれらは見えづらい。

 それらをファンの前に見せる、様々なツールが用意されている。

 メンバー達に任されている、舞台のMCでのかけあい。

 研究生からの昇格や総選挙といった仕掛け、バックステージの積極的な公開、インタビューなどで見えてくる集団のドラマ。冠番組での無茶ぶり企画への集団での挑戦。お笑い的なコーナーでのメンバーどうしの楽屋ネタ織り交ぜたかけあいやぶっちゃけトーク。

 また、2011年12月にメンバー全員の参加が発表されたグーグルプラス、通称ぐぐたすでは、メンバーどうし、お互いが発信したつぶやきにコメントしあう様子が毎日見られている。

 そういう集団としての魅力を見せて行く時に大切なのは、メンバーそれぞれが違う個性の魅力を持っていることであり、前項、第5章 27<“AKB顔”>で書いたように、誰が見ても美人、というお人形のようなルックスの良さよりも、好き嫌いが分かれる、個性美を持った顔のほうが良い。もちろん、顔だけでなく、様々な活動を通して見えてくる人間性も。集団であるからこそ、まわりのメンバーとの比較で、それぞれの個性がよけいに光るのだ。

 

 また、少女達の関係性そのものも魅力である。

 若い女子の仲間どうしは、男のそれと違い、お互いを褒め合い、また互いへの友情を照れることなく前面に出す。

 一緒に遊びに行ったメンバーとくっついているツーショットをブログにアップしたり、「○△ちゃん、可愛い!」「○×ちゃん、お誕生日おめでとう!大好きだよ(*^_^*)

といったことを書いたり…。男が同じことはできないし、やったら気持ち悪い()

 

 AKBの場合は特に、厳しいレッスン、連日の劇場公演、世間からの偏見など、大変なことを共に乗り越えてきたという絆があるゆえだろうが、メンバーどうしの結束が強い。

 一方、仲間であると同時に昇格、選抜、総選挙、個別握手会券の枚数等で常に競争にさらされているライバルという面もあり、仲間と同時にライバルという人間関係の機微にも惹きつけられる。

 現在、AKB以外にも大人数女性アイドルグループが複数活動しているが、そういった、集団の中でのドラマを見せる仕掛の多さでAKBは少女の集団性の魅力を最も見ることができる。

 

 AKB以前の、おにゃんこクラブ、モーニング娘。の大ブーム、また、現在のAKB以外の大人数アイドルの隆盛も、少女達が集団になった時の魅力がその成功の大きな原因の一つだろう。

 

 

(※1)ボノボという、チンパンジーの近種など。

 

 

 


最終更新日 : 2012-10-06 12:11:55

29 共同体と個人競争の社会

 前項(第5章 28<少女達の大人数集団の独特の魅力>)で、「仲間と同時にライバルという人間関係の機微にも惹きつけられる。」と書いたが、AKBは全体がAKBという共同体で仲間であると同時に、その中でお互いに競わされるシステムになっている。

 チームごとに劇場公演を行うため、チームどうし比較され、さらにチームの中でも競争意識が働くという多重構造だ。

 そこで少女達の見せるふとした表情、視線の落とし方1つに、そこに湧いているであろういろんな感情を読み取るのが、青春のドキュメンタリーたるAKBを見る愉しみ。

 それが最も凝縮され、味わうことができるのが選抜総選挙だ。

2009~2011年まで3年連続で1位と2位を交互にとっている前田敦子と大島優子の、バックステージでの抱擁シーン。1位のほうが大泣きし、2位がそれを慰めている…この時のそれぞれの胸中はいかなるものか。

 AKBは、そういったことに想像力をかき立てられ、気持ちを考えさせられる機会、材料の宝庫である。“人間”を見せるのが1番のコンセプト。

 

 プロレスは、リングで向かい合う者どうしが協力して1つの“試合”をつくっていくチームプレーだ。しかし、最近のプロレスで毎試合のように見られる、当たりの強いエルボーやチョップの応酬などでは、どちらがそれを押し切るか…どちらが強さをアピールできるか、そういったところはお互いの1つの意地の勝負である。

 1つ1つの試合がつながり1の興行になり、そこでどう盛り上げ、観客を満足させられるか。その1つ1つの興行がつながり、年間を通したストーリーをどう盛り上げていくか、団体がパッケージとしてプロレスというエンターテインメントを提供していく。

 さらに大きく見るならば、1つ1つの団体の盛り上がりがプロレスという業界全体のパイを広げることにもなり、1つの運命共同体を為している。

そういう意味ではプロレスは団体競技。

 一方、プロレスラー個人個人はいかに自分のキャラクターを確立し、魅力あるものにし、商品価値を高めていけるかという、個人としての勝負もある。

 現在は、昔より団体の垣根が低くなり、他団体への参戦や移籍が頻繁になり、フリーのレスラーも多くなり、インディーでは道場やレスラーそのものをあまり抱えず、興行のたびにフリーや他団体の選手を集める団体も多くなっているので、よけいに、レスラーは自分自身のインパクト、商品価値を高める必要に駆られている。

 

 そういう意味で、プロレスも、AKBと同じく多層な次元でのチーププレーと、それと重なって個人の競争も同時に存在する世界。

 

 これもまた、この社会そのもの。

 企業は、1つの目的を追求する共同体であり、多くの部署、個人が協同しながらも、同時に企業内での出世競争もしている。

 学校、部活、はたまた国家……同じように共同体と、その中の個人競争という多重構造がある。

 

 スポーツもそうじゃないかと言われそうだが、自分から見たら、プロレスやAKBのそれと比べるとあまりに単純化されていて面白くない。

 スポーツがスポ根漫画なら、プロレスやAKBは文学だろう。

 それについては次項で。

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-10-06 12:24:33

30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる

 スポーツがスポ根漫画なら、プロレス、AKBは文学…。

 

 自分は30年来プロレスを見続け、2011年にAKBにハマったのだが、AKBのステージを見ていて、理屈よりも感覚で「これはプロレスだなあ」ということを強く感じていた。

 そう感じさせるものは一体なんなのか?

 1つには、建前と生身が混然一体となっている、プロレスラーとアイドルという存在の在り方だが、それに連なるもう1つの理由。

 色気、だ。

 人間の色気である。

 

 色気とは何か?

 隠しているもの、秘めているものがチラリと見える、または透けて見える快感である。

 

 建前の世界の中に“素”の人間が見て取れる瞬間。それが人間の“色気”だ。

色気とは、完全に丸裸ではなく、チラリと肌(=素の人間)が見られる瞬間。

 

 映画、ドラマのように建前は建前で完結している世界は、建前という服を着ている世界。

 

 逆にスポーツは、分かりやすく勝ち負けを競う、勝ちに向かって頑張ってます!という姿をそのまんま見せる、丸裸の世界。

 

 生身の人間をそのまま見る世界でもなく、建前でありながら建前とは認めず、リングの外でのリアルな人間関係(縦社会での上下関係やら友人関係やら)とは違う対立関係を、身体と身体をぶつけあって、アドリブで、本物の痛みを伴いながら表現しているプロレスという舞台こそ、建前の中に素の人間が垣間見える、また観る側の想像力の中で素の人間力を観賞できる、この世で最も人間の色気が漂っている場所。

 

 あるレスラーがリング上で敵対し罵倒している相手が、かつて鬼軍曹として道場で新弟子だった彼をしごきあげていたレスラーで、罵倒しながらも腰が引けているのが分かる瞬間。

 先に売れた後輩への攻撃が当たりが強くてきついのが見てとれた時。

 先輩への攻撃の今一歩の踏み込みが足りず、気の弱さが感じられるヒール(悪役)。

 そういったものが見える瞬間。

 また、そういった想像。

 

 芸の世界ゆえにはっきりした評価基準はないが、建前では勝ち負け、タイトルの有無ではっきりした白黒があるため、ジェラシーや様々な思惑が見え隠れする。

 

 AKBもまた、少女達の素の人間としての色気が充満している。

 秋元康の言葉に「K-POPは大リーグ、AKBは高校野球」というものがある。

K-POPは完成されたショー、AKBは一生懸命さ、人間の魅力、という言葉の主旨は分かるので、それに異を唱えるのではないが、あえて言うなら、高校野球は(それに限らずスポーツ全般は)一生懸命さがモロ出しの世界。そこに色気の介在する余地はない。

 AKBは、一生懸命さを見せているが、一生懸命さそのままスポーツのように歯を食いしばって苦悶の表情を浮かべてステージで踊っているわけではない。

 舞台では可愛い衣装を着て笑顔で歌って踊る。

 モロ出しではないのだ。

 しかし、笑顔には汗がしたたり落ち、可愛い衣装は汗でびっしょり…。

 一見華やかでフワフワしたものでありながら、そこに一生懸命さがシ-スルーを通した肌のように見えるのが、愛おしい色気となっている。

 ならば他のアイドルだってそうではないかと言われるかもしれないが、やはりAKBに最も人間の色気を感じる…というか、他にはプロレスに匹敵するような色気は感じたことはない。

 単純に、とりわけ努力の量が半端ではないということ。

 そして、ある種、正規チームへの昇格や選抜、選抜総選挙、個別握手会の券の売れ行きなど、競争がスポーツ的にシステム化されているところがあること。

 スポーツのように一定のルールでの単純な評価基準では色気は感じられないのだが、芸という評価基準がはっきりしない世界に、昇格や順位といった目標を設定した競争のシステムを持ちこんだことが色気を生んだ。

 大人数の中でのはっきりと差がつけられる競争システムがありながらも、芸という評価基準が必ずしもハッキリしない世界で、目標に向かって何をどう頑張ればいいのか、そこから考え、もがき、悩み、頑張る姿が人間社会そのものを映し出していて、色気になるのだ。

 

 プロレスは、格闘技が分かる者が観れば、格闘技ではないことは明白である。

見え見えだ。虚構の世界である。

 しかし、虚構の世界を通して、まぎれもない生身の鍛えられた男の裸身のぶつかりあい、まぎれもない本物の痛みがそのまま見える。まぎれもなく、芸の世界でありながら建前は競技という異質な世界ゆえに、様々な思惑を抱きながらもがいている生身の人間が見える。だから、尋常ではない人間臭さ、色気が充満しているのだ。

 

「プロレスは底が丸見えの底無し沼」(今はなき「週刊ファイト」の故・井上義啓編集長の言葉)…名言中の名言である。

 

 色気という言葉を人間臭さの意味合いで使ってきたが、鍛えられた裸身がぶつかりあい組みあい、スピーディーに躍動するという、セクシャリティという意味での色気もそこにはある。

 

 AKB…アイドルにしても、もちろん、歌い踊る女の、女性としての可愛さ、躍動感を訴えるいう、セクシャリティとしての色気がある。

 

 プロレスは、男の強さ、アイドルは、少女の可愛さをめいいっぱいアピールしている。

 セクシャリティのアピールは、人間がふだん意識的にも無意識的にも常に行っていること…特別なことでなくとも、出かける前の服装、髪型セットや立ち振る舞いなど…であり、それを凝縮しているプロレス、アイドルの世界は、これ以上ないほど人間臭い世界であり、それがまた人間としての色気にもつながっている。

 

 ただ!

 プロレスラーの色気にしても、AKBの色気にしても、モロ出しでないだけに観る側にいくらかの想像力が必要だ。

 昔、プロレスファンには読書家が多いということを言っていた人がいたが、頷ける話だ。

 であるから、プロレスもAKBも、想像力がなく上っ面しか見れない人間によって批判される運命にあり、それがアンチが多い理由の1つである。

 


最終更新日 : 2012-08-26 00:06:37

31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室

 AKBにハマったきっかけはミュージックビデオであり、最初はその作品そのものを楽しんでいた。その後、AKBの冠バラエティ番組を見始めてそれぞれの個性が分かるようになってきて、さらにAKBに関するドキュメンタリー本や映画なども見て、各チームやメンバー個々の歴史が分かるようになってくると、楽曲もさることながら、そのパーソナリティ、各個人の成長物語も同時に楽しむようになってくる。

 そうなってくると、特に可愛いともなんとも思わないコをテレビや雑誌で見かけたとして、そのコがAKBのまだ知らない研究生だと分かると、そのとたんにチェックしなければと思ってしっかり見てしまう()

 つまり、もうAKBというアイドルが好きというよりは、夢を追う少女達をリアルタイムドキュメンタリーで見るというAKBというジャンルが好きになっているのだ。「好きなアイドルはAKB」というより、「趣味はAKB」といった方がピンとくる。

 だから、特にAKBが好きでない人がよく言う(かつて自分も言っていた)「AKBにはこれと言って可愛いコがいないから興味ない」というのも、普通にアイドルを好き・嫌いで考えているような感覚で言っているのであって、その感覚からはAKBを見ていてもピンとはこないと思う。

 AKBという物語を見る、もっと言えば自分が総選挙の投票その他で応援し人気をあげる、あるいは、そのメンバーに握手会でステージやテレビを見ての感想を直に伝えたり…その物語に参加しているという感覚になってくる事がハマるか否かという別れ目になる。

 そもそもがそういう、成長のドキュメンタリー、ファン参加型アイドル(劇場で毎日…今は高倍率の抽選で毎日は困難になったが…見れる、その他、握手会、総選挙など)というコンセプトでスタートしている。

 

 プロレスも、楽しむためには流れをおさえること。

 小さなことで言えば、各団体のその時展開されているストーリーライン(サイドストーリー…どういう“軍団”があり、どういう“抗争”が展開されているかなど)を知っておくこと。

 もちろん、何の予備知識もなくても楽しめるのがプロレスであり、それぞれの興行には、予備知識なしで初めてプロレスを見る人も必ずいるだろうから、主催者側はそういう客も楽しませて帰れるプロレスをすることは大切。

 だが、やはり知っておいたほうが楽しめることは間違いない。

 余談だが、10年ほど前?団体を旗揚げしたプロレスラーが「うちはサイドストーリーのための放送作家をつける!」と週刊プロレスだったか、プロレスの雑誌のインタビューで話しているのが掲載されいて、いつの頃からかプロレスを提供する側が、建前は守りつつも本音に近い話をするようになってはいたものの、ここまで話すかと驚いたのを憶えている。実際にその団体が放送作家をつけたのかは知らないし、ほとんどの団体は、サイドストーリーはレスラーやフロントが考えているものとは思うが。

 

 話はそれたが、プロレスにおいて流れを押さえるとは、その時々の団体のストーリー展開を知っておくことの他に、それぞれのレスラーのそれまで歩んできた歴史や、団体の人の出入りなどの変遷、歴史、団体の興亡、これらを知っておくことだ。

 AKBと同じく、ドキュメンタリーの人間ドラマを見る愉しみと感動。

 アイドルは、一般的に活動期間は短いので、そのわずかな時間に全てを燃焼させる若さを見て元気をもらうのだが、プロレスラーの活動期間は長い。

 今、レジェンドと呼ばれる大ベテランの藤波、長州、天龍といったレスラー達はキャリア30~40年になる。それぞれ、小さな団体や、大きな団体の前座でリングにあがっているが、普通の人からみたら、そんな全盛期をとっくに過ぎた還暦近いプロレスラーを見て何が楽しいのか、と思うだろう。

 だが、ベテランレスラーの、若い頃から見ていたその身体・容貌に、自分の人生を重ねあわせて堪能するという愉しみは、現役時代の長いプロレスだからこそである。

たとえ、若い頃のようなプロレスができなくても、その人を生で見るだけで金を払う価値があると思わせる存在感(個人的には天龍源一郎がまっさきに頭に浮かぶ)、レスラーの歴史。

 

 天皇も、日本の歴史を何も知らない人に、この人が日本の象徴ですと説明したとて、敬う気持ちにはなりづらいかもしれない。

 日本の歴史の流れを深く知れば知るほど、その悠久の流れの中で絶えず推戴されてきた存在に感じ入るものと思う。

 

 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室。

 これもまた、我々の人生、そして人間関係そのもの。人間は、その人間の歩んできた歴史、記憶があってこその人間。本人にとっても、彼と関わり、彼を見る人間にとっても。

 

 


最終更新日 : 2012-10-06 13:35:53

32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力

 AKBのアリーナでのコンサートは、48グループ全て(2012年7月現在で言うとAKB、SKE、NMB、HKT、JKTの各グループ)のメンバーが出演している。

 それぞれ、AKBならば、チームA、チームK、チームB、チーム4、さらにそれぞれの劇場公演の中のユニットにも分かれており、その他、シングル曲、メジャーデビューしている派生ユニットもある。各シングルの選抜メンバー組、カップリングを歌うアンダーガールズも入れれば膨大な組み合わせだ。

 

 コンサートのセットリストは、それら多数の組み分けで構成される(その他、その日限りのシャッフルや他のユニットの曲を別ユニットが歌うなどもあり)。

 一般の人が耳にするのはシングルで発売された曲だろうけど、48グループには劇場公演曲が膨大にあり、全ての楽曲は400曲を超える(2012年7月現在)

 

 後半はシングルヒット曲が続いて盛り上がるのが定番だが、それまでは、どのグループ、チーム、ユニットがどの曲を歌うのか、想像がつかない。

 

 アリーナコンサートでは、事前にその日のセットリスト(パフォーマンスする曲とその順番)は発表されていない。

 メインステージの他、出島ステージがいくつかあり、1曲終わると、次のイントロと同時に、どこかのステージにスポットライトがバッと当たり、そこに○○チーム、あるいはメンバーの誰々がいてオーッと沸いてそのまま盛り上がっていく…。

 

 この、曲の出だしと人間の登場によって沸くという光景が、テーマ曲と共に場内に入ってくるプロレスラーの姿と重なって見えたのが、プロレスとAKBが一緒だと感じた最初だった。

 

 長年の思い入れが詰まり、そのプロレスラーそのものと言っていいようなテーマ曲の鳴り出しと共に、入場の歩みで高まっていくプロレスファン。

 

 アリーナに現れた一瞬で、グループ、チーム、ユニットのこれまでの歴史、自分なりの思い出、思い入れを彼女達の姿に投影し、その思い入れと共に曲で盛り上がるAKBファン。

 彼女達の歌と踊りで盛り上がってるのか、歌って踊る彼女達を見て盛り上がってるのか。その2つが混然一体となっている。

 建前と生身が一体となったジャンルの興奮。

 

 プロレスラーは現役でいる年数が長いゆえ、思い入れが十分育つ。

 天龍、長州、藤波など、38歳の自分が小学生の時からの思い出、思い入れを持って見れているのだ。

 その思い入れはどう育ったか。

 もし、力道山が急死することなく日本のプロレスがずっと1つの団体で統合されたままで、さらには相撲のようなきっちり決まったシステムで優勝、昇格を決めるシリーズの繰り返し…では、ここまでの思い入れは育たなかったろう。

 団体の集合離散、トラブル、離脱、スキャンダル…それやこれやを観てきたから、厚みのある人間、レスラー像をそこに描けているのだ。

 きちっとしたシステムのもとに勝敗を競うスポーツというジャンルのスターに対する思い入れとはまた違うところだ。決して統合されたコミッション制度のようなものはつくらず、様々なスキャンダルが定期的に起こるという、スポーツであればただのマイナス要素を餌にしてプロレスというタフな化け物、プロレスファンという見巧者は育っていく。

 しかし同時にそこに、テーマ曲とともに入場してきたレスラーが四角いリングに上がり、3カウントで決着がつき…その他、プロレスという宇宙を形づくっている様々な要素に規定されて1つの「プロレス」という世界があり、そのうえでこそ歴史ができているのであって、全く野放図では1つの世界観は成り立たないことも確か。

 つまり、歴史を形作るうえでのステージとしての一定の世界観はありながら、きつく縛られてはいないからこそ、様々な人間ドラマが生まれ、思い入れが育つのだ。

 

 自分にとって、30年の思い入れがあるプロレスに匹敵するほどの人間の色気、思い入れを感じさせるAKBのメンバー達。何がそこまで思い入れを持たせるのか。

 それは何度も書いている通り、研究生から正規チームへの昇格や、選抜、選抜総選挙、それぞれのチームが歩んできた歴史など、短い間にも濃厚に人間ドラマを起こさせる仕掛け。ある程度システム化している世界。

 これも、ある程度のシステム化だからいいのである。

 世の中、競技化させるイコール「ちゃんとしたもの」になるというイメージがあるのかもしれないが、もしも…もしも、AKBの昇格が、審査員の前でダンスをして、競技ダンスのように点数をつけられて、何点以上は昇格。であるとか、選抜メンバーは、歌の点数の上位者が選ばれるとかであったら。

 そんなつまらないもの、誰が見たいだろうか?

 ある意味、それをやってるのがスポーツというジャンルとも言えるのだが…。それはそれでそういう面白さもまたあるだろう。ジャンルに貴賎なし。

 

 プロレスで述べたのと同様、ある程度、AKBという世界を成り立たせているシステムがあり、その世界観にはまっていく快感の一方、世界観を構築する縛りがきつすぎても面白くない。

 

 アリーナコンサートの話に戻す。

 ゆるいながらもある程度構築されている1つの世界、その世界で起こっているいろんな歴史、ドラマを、曲の出だしとスポットライトが当たる瞬間に心に湧きあがらせる。他では類がないほど、人数、グループ(チーム、ユニット)、曲が多いため、曲の出だしと登場の瞬間の「これが来たか!」という感動は大きい。

 

 プロレスもAKB(アイドル)も、その芸と共に人間を見せるジャンルであるから、レスラーorメンバーの登場シーンはある意味ハイライトとも言えるほど重要。

あの興奮と感動にジャンルの本質が集約されていると言ってもいいかもしれない。

 であるから、登場シーンの演出にはとことんこだわってほしいと思う。

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-10-06 13:50:17

33 サプライズは人間ドラマの花形

 ノンフィクション性、ということでプロレスにもAKBにも欠かせないのが「サプライズ」

 プロレスならば、リング上のストーリーの展開。

 試合結果もその後の流れに続く点であり、新しいスターが誕生する大金星の試合結果などはビッグサプライズになる。

 サプライズの最たるものは、他団体のレスラーが試合後に「殴り込み」をかけてリングに上がってきた時など。

 

 AKBは、選抜総選挙の結果発表は大会場にファンを入れて、お祭りのように盛大にやる。

 また、コンサートの終わりなどに、研究生からの昇格メンバー発表、卒業の発表、次の企画の発表などの「サプライズ」が定番になっている。

 そういったことを事前にメンバーにも知らせず、メンバーとファンが共にその場で驚きを共有し、ドラマの展開の証人となる。

 

 人間ドラマを見せているジャンルにおいて、「サプライズ」はそのドラマ性の面白さが最も凝縮された、花形の瞬間。

 プロレスは昔のような、団体側が上、というファンとの力関係がなくなって久しく、AKBは運営側とファンを従来の芸能の常識よりかなり近いところにおいている(※1)

 だが、団体(AKBで言うなら運営)が前もって決めていた事柄で、何も知らなかったファンをどよめかせる「サプライズ」の瞬間は、圧倒的に団体(運営)が上に立つ瞬間であり、そこに団体(運営)の演者としての色気がある。

 

 サプライズが起こってどよめいた次の瞬間のザワザワ…。

 そう来たか…という感嘆、そしてそれに対して「そりゃないよ…」「面白そう!」「俺だったらこうする…」様々な批評。

 想像力が豊かなプロレス、AKBファンは、1つの仕掛けに対してあれこれと様々なことを考え、想像する。それが楽しいのだ。

 何を想像するのか?

 その仕掛けを行った運営側の意図、裏事情、そこからの展開、それに絡むプロレスラーorメンバー達の気持ちなど。

 スポーツのように実力評価が単純でなく、不確定要素が多いエンターテインメントからこそ、そこにファンが100人いれば100通りの想像、考えが生まれ得るのだが、ストーリー、ノンフィクション性、「人間」を売っているジャンル=プロレス、AKBの場合はさらに無限に想像力をふくらませる余地がある。

 

 プロレス、AKBの人間ドラマ…プロレスはプロレスラーの選手生命が長いので、ファンとレスラーが共有するドラマの時間、歴史が特に長い。

 「サプライズ」は、そのドラマの中の「今」を色濃く感じさせる。それがつながってドラマの歴史となっていく。

 

 

 

(※1)AKBには、ファンから吸い上げた意見を運営にどんどん反映させる、立ち上げ当初からの姿勢がある。初期の頃は秋元康が劇場ロビーで直接ファンの話を聞き、劇場支配人が公演後にファンのたまり場のファミレスに行って、声を吸い上げていた。現在でも握手会会場において劇場支配人と話ができ、意見を伝えられる「支配人の部屋」、48グループメンバー全員、スタッフ、プロデューサーも参加しているSNS「グーグルプラス」でのコメント欄、その他様々な方法でファンの声を聞き反映させる努力がなされている。

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-10-06 16:00:51

34 共同幻想

 アイドルのファンは、そのアイドルに彼氏がいたということを、自分の情報で…たとえば自分友人の知り合いがその彼氏だったとか…知ったとしても、ああ、そうなのかとわりと冷静だと思う。もちろん人にもよるだろうが、だいたいのファンは。

 しかし、それがマスコミにすっぱ抜かれ、結果、それを認めて…というような流れになったら幻滅するのではないか。

 要は、実際に彼氏がいてもよいが、アイドルとそのファン集団が共に共有している世界での幻想、共同幻想を壊されることがいけないのだ。

 

 昔、とある場所で…プロレスの会場や道場ではない…で、プロレスラーが携帯で

 

「うん、いや、俺がイヤなのは○○に負けることじゃないの。負けるのはいいんだけど、そのまま勝ち逃げされるんじゃないかと思ってさ……1回負けてその後勝って…ならいいんだけど…そうそう、うん…」と普通の声のトーンで話しているのを、たまたま聞いてしまったことがある()

 その時、自分と一緒にいたプロレスファンと2人で顔を見合せて声を殺して笑ったものだ()(詳しくは書けないが、そのプロレスラーはそこに誰もいないと思っていたであろうが、ついたての後ろに我々がいたという状況)

 

 プロレスファンをウブでおバカなものと思っている世間の人は、そういう話を聞いたらファンはショックを受けるものと思っているのだろうが、単におもしろい話が聞けたと喜んでいるのみである。自分は、ここまで直接的にではなくともこの類の裏話は他にも多々聞いている。

 

 この話では、自分個人でレスラーの素の姿を見たから、むしろ喜んでいるのである。

 しかし、もしこれがリングの上で、観客全部にあからさまに、勝敗を競っている、闘っているという建前をこわすようなヘマを見せられたら「おいおい、ダメだよ」と顔をしかめるだろう。

 リング上でのことでも、自分から見て、「あ、これはほんとは違うフィニッシュのはずだったけど、アクシデントで違う結果にしたな」とか「ここからの流れは事前の打ち合わせどおりだな」ということが秘かに分かった時は、問題ない…むしろ、ちょっと嬉しい()(自分は学生プロレスなるものをゆるゆるとではあったが経験していて、見ている年数も長いので、そういうのが分かる時は分かる。)

 

 全体で、思いきり、その建前のほころびが共有されてしまうようなヘマはダメなのだ。

 

 共同幻想が崩れるから。

 

 共同幻想!

 

 以前、会場の自分の席の近くで男が連れの女に、

 

「ああ、レフリー失神したふりしたね…ここからしばらくヒール(悪役)が反則し放題、っていう展開になるよ」

 

だの、

 

大音響で音が響き渡った打撃技の後に

 

「(自分の太腿を自分の掌で叩いて)今のはこれだよ」(※1)

 

と、解説していたことがあった。

 

 解説するのは自由である。

 自分の場合は、一緒に見ているのが、いわゆる純粋なファン(基本的にプロレスは勝敗が決まっていないと思って見ているファン)でなければ、そういうことを小声で話すことはある。

 そう、小声で。

 そういう類の話を、会場でまわりの観客に聞こえるような声で言うべきではない。

 

 その男もそうだったし、時折、まわりの観客に聞こえるようにその類の解説や、建前をとっぱらった話をするやつがいる。

 

 まず1つには、それを聞いている観客の中には、いわゆる純粋なファンもいるかもしれないこと。

 プロレスは「分かって」観たほうが100倍面白いとは思う。

 しかし、競技だと思い見ているファンの夢をわざわざ壊す必要もない。

 しかも、プロレスを見ている最中に。

 

 もう1つは、例え、そのまわりにいるのが全員「分かっている」観客であっても、会場での「共同幻想」を崩すな、ということ。

 全員が分かっていることでも、そういう類のことはお互いの連れどうし小声で話し、大きな声を出すのは、レスラーへのコールや声援、建前を崩さない範囲での野次に限るべき。

 

 自分は、プロレスの会場として横浜アリーナがあまり好きではない。

 リングの向こう側、つまり自分のとこと逆側の観客席が、キャパのわりに遠い感じがする。実際の距離は分からないが、受ける感じがそうなのだ。

 プロレスは、リングの四方に観客がいて、その存在をしっかり感じられればこそ、リングが、そこで展開されているプロレスがたくさんの人間に見られている凄い場所、という共同幻想が成り立つのだ。

 

 一時期、「シアタープロレス」という形式があった。(今でもあるのかな?)

 演劇や映画を観る会場で、舞台上にリングを設置するというもの。つまり、観客は一方からのみ観ることになる。

 実際にその形式での興行は観たことはないのだが、おそらく、重要なものが欠けていてイマイチなのではないかと思う。この場合の重要なもの=リングの向こう側に見える観客席、である。

 

 映画やお芝居は共同幻想?

 いや、それらは、「これは嘘のお話ですよ」という前提を共有しているわけだから、違う。

 プロレス、アイドルは、俺達がこの場所では、この世界観を支えよう、という確信犯的意志に基づく共同幻想がある。

 この場所とは、もちろん興行、イベントの会場であるが、その他にもアイドルであればブログのコメント欄などもそうだろう。

 

 余談だが、プロスポーツは…プロでなくとも4年に1回世間が大騒ぎするオリンピックなども…言うなれば、確信犯的意志なき共同幻想…に自分には見える。

 

 皇室は、国民が、その源流である神話の世界からご皇室という物語をともに支え、推し戴いている。

 

 自分の祖母から聞いた話だが、祖母の母だったか、祖母の祖母だったかが、昭和天皇のことを好かんということを話してたそうである。思想的、政治的なことではなく、生理的なこと…話し方が好きではないとか、単にタイプではない、というようなことだったらしい()

 第1章 2<天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由>の中にも書いたが、戦前においても、天皇が1人の人間であることは誰しもが分かっていたこと。

家の中のたわいもない私的な会話であれば、そういう類の話はしていたわけだ。…まあ、自分の祖先は少々失礼かもしれないが(苦笑)…しかし、私的な会話のすべてにまで過剰な敬語を使ったり、やんごとなき方々として話してるより、例えば、若い女の子が、男子のご皇室の方々を、誰が素敵とか誰はタイプじゃないとか話してるような程度のことは、むしろあった方が健全な気がする。

 しかし、公的な場所では、あくまで神話につながる尊き御方として敬う態度をとる。

 

 アイドルのファンになるのは疑似恋愛、といったりする。

 疑似恋愛という言葉でアイドルとの関係を捉えるのならば、それはあくまで“疑似恋愛”を楽しんでいる。

 AKBの握手会に行っているうちに、毎回握手に行っていればいつかメンバーと付き合える、と思っているファンはいない()(※2)

 

 アイドルという世界を見下す手合いは、疑似恋愛ならば、“疑似”のない恋愛の方が上、という単純脳から

「握手会行くならキャバクラ、あるいはリアルな恋愛のほうがいい」

という発想が出てくるのであろうが、リアルな恋愛と疑似恋愛は別腹なのだ。

 

 当たり前だろう()

 

 2011年1月終わりに、AKBのメンバー2人が男性との写真がネット上に流出し、2人がAKBの規則・恋愛禁止を破っていたことを認め、脱退した。

 この時の、2人のファンの反応は、2人のブログへのコメント、その他SNSのコミュニティを見る限り、これまでの2人に対するそれまでの感謝や激励が圧倒的で、復帰を望む声も多く、そして、彼氏がいたことについては気にしていないという思いのほうが多数であるように見受けられた。

 中には違う考えもあったし、あまりに罵声的なコメントは管理者が削除している可能性もあるが、大半は温かい声だろうと思う。

 

 自分は、もし自分の推しメンに彼氏がいたとして、ま~ったく構わない。

 ただ、いないことにはしといてほしい。いや、それかもう一歩譲って、恋愛禁止ルールをなくして、いることを公言してもオッケーで、しかしブログに彼氏とのデートをアップしたり、公演のMCで彼氏自慢を話さないでいてくれればいいかな()くらいに思う。

 

 

アイドルに彼氏がいてもかまわない、しかし公にはいないことにはしておいてほしい。

プロレスラーが実はガチンコ弱くてもかまわない、しかし、強さの幻想は守っていてほしい。

 

 まあ、どちらかといえば、アイドルに彼氏はいない方が、プロレスラーはガチンコで強いほうが嬉しいが()(※3)

 

 

※1 相手に蹴りやパンチなどを放つ際に、自分の掌で自分の体を叩き、大きな音を出す、プロレスの1つのテクニック

 

※2 これだけたくさんのファンがいれば、稀にいるかもしれないが、稀なケースをあげつらうならば、どんなジャンルのファンにもおかしな人間はいる。

 

※3 ()はつけたが、アマレスや柔道などのアマチュア格闘技で実績を持ってプロレス入りしたレスラーや、相撲などプロ格闘技から転向してきたレスラーは、やはり強者のオーラが出ていて、プロレスラーとして魅力的である。そういう意味で、プロレスラーはガチンコで強い方がいいのは間違いない。

 

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-10-06 16:11:30

35 偏見が熱気、パワーを生んでいる

 プロレスは、その鍛えられた肉体と、攻防を成り立たせるための技術、試合の組み立ての妙、ストーリーラインの結び方、ちょっとした仕草、表情、佇まいで自分を表現する表現力、それらが試される肉体芸術の舞台であり、見る側から言えば、子供、何の予備知識もない人にも楽しめ、感動と元気を与えられる大衆娯楽でもあり、見巧者としてその表現を批評しながら奥深く楽しめる芸術でもある。

 やる側もファンも、十分に胸を張れる、奥深いエンターテインメントであり、自分もこのような奥深いジャンルを30年以上見続けてきたことは誇りだ。

 では、プロレスが現在のような社会的地位から抜け出し、その素晴らしさを世間に認知してもらって確固たる社会的地位を築いてほしいかと言ったら……全く思わない。

 プロレスがプロレスのまま社会的地位を築くとは、プロレスがガチンコであるという建前を降ろし、ショーであることを公表し社会での地位を築く、ということだ。(※1)

 例えば、プロレスラーが文化勲章で叙勲されたり、テレビで「昨日のメインであの技で決まる予定だったんですが、息があわずに失敗してアドリブで決めました…」なんてことを喋ったり、テレビでコメンテーターが、団体のストーリーラインの巧拙を批評したり…。

 要は、ケーフェイ(※2)なき世界、プロレスの全てが丸裸で建前をなくし、世間にストレートにその表現を評価される世界になってほしいかと言うと、全くそうは思わないのだ。

 プロレスは、その建前を貫き通してこそプロレスだ。

 当然の結果として、八百長云々という偏見から逃れられない。

 その、世間の偏見に対して、なめられてたまるかと尋常ではない練習をこなし、身体をはって凄いプロレスを見せ、世間と対峙する。それでこそプロレス。

 偏見の目がそのままプロレスのパワーになっている。

 また、プロレスファンにとっても、世間の偏見があるからこそ、俺達がこのプロレスという世界を支えるんだという愛着、我はプロレスファンなりというアイデンティティが強固に生まれてくる。

 

 プロレスとは村松友視氏の言葉を借りるなら「ジャンルの鬼っ子」「他に比類なきジャンル」

 ショーでありながら競技という建前をとり、世間では「八百長」と蔑まれているがゆえ、試合結果などは一般紙、テレビでは報道されない。

 その一方で、プロレスというものの存在は日本人なら誰もが知るメジャーなものであり、結果は報道されないが、日本人なら誰もがその名を知るプロレスラーは何人も存在し、バラエティ番組などに出演することはしょっちゅう。プロレスラーから国会議員を3人輩出している。

 誰もがショーだと認識している一方、プロレスラーがテレビに出演する際など、共演者はプロレスラー本人の前ではあくまでプロレスを建前(競技)どおりに扱う。

げに不可思議なジャンルだ。これからも、偏見、蔑視に対峙し、「世間」に身体を張りつづけていってほしい。

 

 フェイクでありながら、ドキュメンタリーの体裁をとる、フェイク・ドキュメンタリーの魅力。

 表現の舞台はリングの上だけでなく、この世界すべて。

 

 アイドルも同じ。

 

 アイドルが、あくまであれはステージ、グラビアの中の虚像です、演じているんですと言って、タバコ吸いながらインタビューで自分の素を語るようなジャンルになったら、全てが虚であることを共通認識にしている演劇や映画の世界と同じになる。

 

 プロレスと同じく、虚実が入り混じったフェイク・ドキュメンタリーの豊かさを持つがゆえ、自らそれと共犯関係になる楽しさや優しさを持たぬ大多数の「世間」からは蔑視される運命にあるが、それでいいのだ。

 

 AKBはさらに、「大多数の束ものアイドル」「秋葉原発」「会いにいけるアイドル」、さらにはプロデューサーが同じことからおにゃんこクラブという、そのコンセプトが全く違う集団と同じようなイメージで捉えられたことなどなど、偏見を受けやすいイメージが盛りだくさんで、実際に偏見が凄まじくひどい。

 

 しかし、その偏見が、メンバー、スタッフ、ファンにとって負けてなるかという独特の熱気、パワーになっている側面もある。

 

 「世間」と対峙し、勝負する「ザ・マイナーパワー」(※3)の渦は、確実に、偏見にまみれた世間の中で、物事を先入観にとらわれずに見る少数の人間の心を掴んで巻き込み、さらにその渦を強くしていくのだ。

 

 

 

 

    1 アメリカの世界最大のプロレス団体「WWE」は、リハーサルの風景などを収録した映画を公開し、「プロレス=プロフェッショナルレスリング」という言葉とも決別すべく「スポーツ・エンターテインメント」と称している。(「プロレスラー」は「スーパースターズ」)

また、日本でもアメリカでも、プロレスラーが建前を取り外した内容の自叙伝を出したり、完全に建前は取り外さないまでも、本音に近い内容でコメントを出すケースも多くなってはいる。

 

    2 プロレスラー、関係者が、部外者に聞かれてはまずい話をしているところに部外者が接近してきた場合、その話を打ち切ることを相手に知らせる、プロレス業界用語。昔、同名のタイトルの暴露本が出てファンの誰もが知る隠語となった。

 

    3 かつての週刊プロレス名物編集長・ターザン山本氏が週プロに執筆していた連載のタイトル。

 

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-08-26 00:09:39

36 「商売」が嫌いなアンチ達

 AKBのことを悪く言う人間の中には、悪く言うわりにけっこうAKBのことを知っている者がいる()

 自分の好きなことをたくさん知っていろいろ話したがるのは当たり前の感情だと思うが、嫌いなことをいろいろ知ってたり、あるいは、それについて語りたがる彼らの心理はなかなか研究に値するテーマである。

 だいたい言うことは共通している。

 「誰々が整形だ」

 「上の方の女のコはプロデューサーとかと出来てるんじゃないの?」

 「しょせん、全部商売でしょ。」

 

 ある時自分がAKBのミュージックビデオの作品としての素晴らしさを話したらこう言った人間がいた。

 「でも、それは撮ってる人がうまいんじゃないの?」

 …。

 まさか、AKBのミュージックビデオを、彼女達自身が絵コンテつくってカメラ担いで撮ってると思ってるファンは誰1人としていないわけで()、この場合の彼が言う「でも」という日本語の意味が分からない。当然、撮ってるスタッフがいて、彼らの、AKBの作品に対する手間暇おしまない努力が素晴らしい作品になっているのだが、その事がなぜ「AKBのミュージックビデオが素晴らしい」という感想に対する「でも」という否定になるのか?

 しかし、彼の、この普通に考えると意味不明の言葉が、アンチAKB心理の一端を見事に浮き彫りにしている。

 

 要は、AKBの女のコ達の頑張り、夢を掴む物語のなんのと言って、しょせん、大きなビジネスの中でのこと…「上」(運営サイド、プロデューサー、スタッフ…)の意向が働いてるわけでしょ、彼女達は「上」の金儲けの手段でしょ、下らない…という意識なのだろう。

 そういう人は自分達の住んでる世界そのものがそういう世界である事は認識したうえでのことだろうか?

 それならば、大きな権力が覆いかぶさり、個々の努力ではどうにもならない事が多すぎる中で、それを分かりつつも個々が自分のできる事を、時にあきらめたり愚痴ったりしながらもがいている…この社会そのものが「下らない」という世界観なのだろうか。

 「上」の大きな意向があるからと言って、個々の努力や意志が全く無関係な世界、ではない。

 いや、もしかしたら努力が全て無駄に終わるケースもあるかもしれない。

でも、そういう一筋縄ではいかない世界という事、どんなに努力しても、運や、たまたま運営側のお気に入りにはなれないことで、叶わないかもしれない、そういう世界で苦悩しながら頑張っている姿の方が、「本物の」人間の汗の匂いがして好きなのである。

 プロレスも同じ。

 つまり「流した汗は嘘をつかない」的スポ根的な汗の匂いだけではなく、冷汗や焦りの汗が混じった、真の人間の汗の匂いが好きなのだ。

 

 世の中には、ずいぶん「商売」が嫌いな人、お金がたくさん動いていることに、あれこれ言う人間が多いことに驚く。

 とにかく大金が動いていることがイコールくだらないこと、軽蔑すべきことになるらしい。

 「プロレスなんて興行で商売じぇねえか」

 そうです。

  仕事でやってるから、そこにただの純粋さでは出ない大人の男の色気が出るんです。ショーのさなかにふと垣間見える素の表情やその背中に彼らの人生を感じるんです。

「ぼく、プロレスが大好きだから、お金はもらわずボランティアでやってます!」と純粋そのものの瞳をウルウルさせて語るプロレスラーばかりになったら、自分は即刻、プロレスファンやめます()

AKBが、商売抜き、趣味でやってるだけのアマチュアアイドル集団になってほしいとも全く思わない。)

 もちろん、プロレスラーはプロレスが好きでやってる人が多いとは思うし、金のことを考えるとわりにあわない仕事かもしれない。お金よりもプロレスが好きだからという気持ちでやってるレスラーを否定する気はさらさらないし、そう高くないギャラでも、プロレスが好きでめいいっぱい身体張って、意地張ってプロレスやってるレスラーは素敵だ。

 

 

しかし、もしも、プロレスもAKB&その他のアイドル)も金、商売の関係のない世界…例えば、お役所お抱えの業界になってプロレスラーは公務員、身分保障のもとで、人気の変動に関係なく、高くも安くもならない一定の給料もらって安心してプロレス、アイドル活動ができますよ、という世界になったら、ま~、つまんないプロレス、芸能界になるでしょうな。

 AKBやアイドルの金にまつわる話をすることで、アイドルなんてこんなもんだぜ、と暴いた気になっているアホマスコミやアンチ達にとっては、そういうつまんない世界こそが理想なのかな?(^O^)そういうつまんない世界になってようやく彼ら単細胞人間が認める「商売抜きの」「本物」のアイドル誕生…おめでとう(^O^)

 

 プロレスはリングの外での浮き沈み、それに伴って変わる実入り、団体の集合離散や移籍、裏切り…いろんなことがあって、それらの元にはお金のこともあるかもしれないが、それらも含めたレスラー達の「ガチ」の人間模様や、背負っている歴史、それらを知ったうえで観るから、プロレスは観ている期間が長くなるほど深く味わえるのである。

 そういうもろもろの「人間」ドラマは、汚いといえば汚いのかもしれないが、そういう「いろいろある世界」の中でちらりと見える人間の男気だったり優しさだったりがたまらないのだ。

 いや、「いろいろある世界」だからこそ、その「いろいろ」に対する反応でその「人間」があぶり出され、「本物」の感情が見えるのだ。

 

 「商売」が嫌いでしょうがない人達は、汚いものは汚いもの!で、お金がからむ世界は「お金の世界」でしかないという固定観念のもと、そこに血の通った「人間」がいるってことがてんで見えなくなってるんでしょうな。

 いや、お金が動くことはガマンできるけど、その基準が人気とか、売り出し方とかそういう、ハッキリしないものであることが、彼ら単細胞人間にはガマンできないのかもしれない。

 一定のルール、団体の集合離散などない一定の決まった組織のもとで、ひたすら技量をあげて良い成績を残した者の年棒があがるという、わかりやす~い、きれ~な世界でないと安心して見てられないのだろう。

 

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-08-26 00:10:04