目次
はじめに・出版社の方へ・目次
<2013.5.7追記、お詫び>
はじめに
出版社の方へ 紙の書籍としての出版先募集してます
目次
第1章 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
1 天皇、プロレス、アイドル 共通する特異な点は何か
2 天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由
3 「プロレス、AKBのファンは虚像を見ている」と見下す者こそが虚像を見ている。ファンが見ているのは実像
4 アイドル、プロレスファンこそ現実を直視している人間
5 天皇を存続させた日本人のメンタリティが日本のプロレス、アイドル、AKBを生んだ
第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
6 AKBの核・劇場公演とは?
7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ
8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ
9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる
10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由
11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」
第3章 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
12 プロレス、AKBこそ「リアル」 スポーツこそファンタジー
13 格闘技のリアリティ
14 リアリティなら、“真剣勝負”の格闘技よりプロレスの方が上
15 アイドルこそは最もリアリティある世界
16 リアルとリアリティの違い
17 人間はみなプロレスラー、アイドル。人生はプロレス
18 虚実が入り混じっているプロレスとアイドル、そして人生
第4章 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
19 ファンが支えているプロレス、AKB。国民が推し戴いている天皇
20 国旗、サイリウム、掛け声…人間を推し戴く表現手段
21 天皇、プロレスラー、アイドルは「上」でなくてはいけない
22 自分にない“人間”がほしい だからプロレス、AKB、ご皇室
23 「人間」を観るジャンル
24 「いかがわしさ」には「いかがわしさ」を
第5章 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
25 AKBの歌のベースは 色即是空 
26 AKBの楽曲の世界
27 “AKB顔”
28 少女達の大人数集団の独特の魅力
29 共同体と個人競争の社会
30 プロレスとAKBこそ人間の色気が最も見られる
31 物語の流れ、歴史、記憶の蓄積があってこその、AKB、プロレス、皇室
32 登場シーンに集約されるプロレス、AKBの魅力
33 サプライズは人間ドラマの花形
34 共同幻想
35 偏見が熱気、パワーを生んでいる
36 「商売」が嫌いなアンチ達
第6章 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB
37 松本人志の笑いはノンフィクションテイスト=プロレス、AKB  たけしの笑いはスポーツ
38 ノンフィクションテイスト プロレス=虚数という概念
39 バナナはリンゴか? この世に「嘘」はない
第7章 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
40 嘘でも本当……華やかな虚構の世界を成り立たせるために流されている本物の汗
41 AKBの尋常じゃない汗の量
42 アイドル、プロレスラーの「実力」
43 フワフワしたものが嫌い、だからAKBが好き
第8章 AKB握手会とは何か? ファンとメンバーの1回10秒のプロレス
44 参加するという行為  皇居一般参賀、AKB握手会、プロレス地方興行の風景
45 AKB握手会の笑顔を「営業」と見下す者は、人間そのものを見下している
46 推しメンとファンのプロレス
47 乃木坂46
48 「ガチ」か「嘘」でしか捉えられない無粋人間
第9章 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
49 既成概念でしか物事を捉えられない人々
50 ジャンルそのものを見下す愚かさ
51 プロレスやAKBを見下す類の人間は、切り捨て御免の侍
52 軽薄、非実力、キモイの代名詞として使われている「AKB」というデジタル記号
53 アンチプロレス・アンチAKBは、見ている世界と同じ色に染まるカメレオン
54 プロレスやアイドルの「嘘」にキレる人間は、世の中の本当の嘘に騙される
55 真正面から見る目がそのジャンルを育てる~プロレス、アイドルの進化~皇室を学ぶ必要性
56 皇室、プロレス、アイドルを愛する者は物事に意識的な関わりをする文化人
57 指原スキャンダルに見る、理想のファン像
終わりに、参考文献、奥付
終わりに
参考文献
奥付

閉じる


第2章 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ

6 AKBの核・劇場公演とは?

AKBとは一言で言えば何か?と、AKBヲタクに問えば、その答えは様々だろうが、自分は(またおそらくはかなりの数のヲタクも)「AKBとは劇場公演である」と答える。

 

とにかく、それを初めて体験した時は「衝撃」である。

 

自分だけではない。

多くの人がそれを初めて体験した時の衝撃を語っており、スタート直後からの古参ヲタ達が初めて劇場公演を体験した時の衝撃を綴ったブログが「48現象」(ワニブックス)に掲載されている。

「ゴーマニズム宣言」の作者、漫画家の小林よしのり氏も、劇場初体験を「衝撃」という言葉で表現している。

 

ここではまず、自分が生の劇場公演を初めて体験した時(ひかりテレビで週5回放送しているので(※1)、テレビではいつも見ていた)にSNSにアップした記事を紹介する(2012年3月20日、チームB夜公演)

 

 

AKB劇場公演初体験の衝撃&AKBをクソ真面目に語る】

 

ようやく当てた劇場公演、チームB「シアターの女神」公演3/20、19時の回。

 初めての劇場公演アキバのジョナサンで過ごしてその時を待つ間も緊張した。
 自分が出演するわけではないのに(当たり前だ)、まだAKBという世界にハマってから1年弱の「ド新規」の自分には、後追いで学習したAKBの創世以来の歴史は実体験ではなく頭の中で展開された物語なだけに、肥大化されてすごいことになってる。

 そのすごいことが展開されてきた聖地に足を踏み入れるそれだけで唇が渇き心臓が高鳴り、手足がちょっと遠いところにあるように感覚が薄くなる。

 劇場チケットの入手、入場順の抽選などが、体験してみた今となってはなんてこともないが、弱冠複雑なこと、そのジャンルのコアな場所、コアな人達がいる場所に初めて1人で足を踏み入れる心細さも相まって、完全な小市民モードで、オドオド、ドキドキしながら手続きをすすめ、いよいよ劇場いり!

 入場は7~8巡あたりで、事前に、先日知り合った60回くらいは劇場で見てるというマイミクさんに電話で相談してアドバイスしてもらったことを頭に入れつつ席を探るが、前の方、センターのあたりは埋まってて、上手の1番センターよりで1番後ろという席に座る。
 そこらへんに座るなら立見でセンターのほうが良いと言われてたのだけど、よりによって、1年ぶりの風邪を2日前にひいてしまい、治りかけでまだしんどかったので座ることを選んだ。みゃお(※宮崎美穂)をたくさん見たかったらセンターの上手寄りがいいというアドバイスを参考に、それはとれなかったけど、上手のセンター寄りにしたのだ。

 

やはり、2本の柱は邪魔だ()
 ふつう、これがある時点で、ここを劇場に使うのはやめようとなるだろうが、秋元康が話してたとおり、柱の存在が、この公演で○○をより見たいならこのポジションだとか、公演見てて、柱を境にメンバーが消えたり現れたりとか、1つの世界が出来上がって、楽しい(^^)v

 1番後ろとはいえ、めちゃくちゃ近い。ふつうに目を見て話ができるような距離。
 この近さがAKBという世界のうえで圧倒的な意味を持ってるということが分かった。
 もう、チケット取るのが何百倍という抽選倍率なんだから、ファンのためにも経営的にも、もうちょっと大きいところに引っ越せばいいのにと思ってたが、支配人が、「今の近さから来る密度が失われる」(「48現象」(ワニブックス))と言う理由で引っ越さない理由も分かった。
 姉妹グループも、AKBがこれだけブームなうえに出来て行ってるのだから、最初からもっと大きな劇場にした方が営業的には絶対いいはず。(実際、SKEやNMBも抽選倍率高くて中々見れないらしいし。)ブームが去れば、小さいとこに引っ越せばいいのだから。

 自分はこれまでのAKB、乃木坂のライヴ、イベントで、サイリウムを振る楽しさを憶えてしまい、「アイドルについてヤイヤイ文句言うやつは、現場でサイリウムを振る楽しみを体験してみろ」と思うほど絶対的なアイテムで当然この日も満を持して持参していた。
 小さい劇場でのライヴライヴハウスでテンションあげあげで楽しむような感覚を想像してたので、よけいに気合いを入れていたのだが

 予想に反して、これはサイリウムいらないな、と思って途中でやめて手拍子にし、さらには手拍子も特別にリズムにのりたくなるようなところだけにしてしまった。(mixは打ったし、拍手はしたし、コールもところどころ他の観客と一緒にしたけど^^)
 ノリノリで振ったり手を叩いたりではなく、もう、見入ってしまう感じ。

 少し体調が悪かったこともあるかもしれないが、目の前できらびやかな衣装で歌い踊る少女達の1人1人に吸い込まれていく感覚。
 なんか、おっさんが少女達に見入ってしまうとか書くと「いやらしいわね」とか思われそうだが、そういう感覚ではなく!、異性を見る目とか抜きにして、「人間」がそこにいる圧倒的な存在感。
 ノリノリで楽しむモードから、なんというか、見入って批評家スタイル的な楽しみ方になっていた。

 プロレスを見る時の自分と似たモードになった。
 プロレスはもう30年見てるし(学生プロレスなるものもほんとに端くれで大したことはしてないけど一応やったこともあり)、プロレス観戦時は椅子に深く背持たれて、はたから見たらつまんないのかな?というような表情で心の中で盛り上がりつつ、「ああ、打ち合わせの動き失敗してやり直したな」とか、「今のはもう1秒間を詰めてれば沸かせてた」とかとか、批評しながら見る楽しみも同時にしている。

 なんか、今日はその感じになっていったのだ。

 パフォーマンスする1人1人を見てるといろんなことを感じる。
(「1人1人のパフォーマンス」ではなく「パフォーマンスする1人1人」だ。ここ重要。)

 AKBや乃木坂を見てて、「ステージ映え」するコっているなあって思ってたが、テレビで公演見るのと違い、生で見た時のステージ映えっていうのはまた違うなあと思った。
 ひかりTVに加入してるので、テレビで劇場公演はしょっちゅう見てるのだが、そういう意味で、今日、生で見ると全然印象が変わったメンバーも何人かいた。

鈴木紫帆里

あの長身でのパフォーマンス手足が長いというのはステージですごい利点だなと思った。
自分は女性のタイプで言うとポッチャリ、ガッチリ系が好きなのだが、ステージに関して言えば、ポッチャリはちょっと見栄え不利だなとこの日出てた中では佐藤亜美菜と並んで1番好きなみゃお(宮崎美穂)を見てて思った()

武藤十夢

最初に目にとまった時、「こんなコいたっけ?誰だっけ?」と思ったら、十夢ちゃんだった。
「逆から読んでも武藤十夢!」
この公演のアンダー(代役)でよく出てて、ひかりTVで何回も見てる研究生だ。
生で見たらこんな印象が変わるものかと思ったくらい。
気合いを入れて頑張ってるのと同時に、何か照れみたいなものも感じる「一生懸命さが可愛い」という表現がぴったり来るというか将来、トップで活躍するんじゃないかという、すごい将来性を感じた。

増田有華

人の顔を分類するのに、ゆったん(増田有華ちゃんのこと)のような、ハッキリした、バチーッとした顔立ちと、ボヤっとしたといったら失礼かな、柔らかいというか、うん、やっぱりボヤっとした顔立ちがあると思う。
ステージ映えするのは、ゆったんみたいなバチーッとした顔。
みゃおとか、この日で言うと研究生の名取稚菜ちゃんはボヤッとした柔らかい顔。目の前で見たら可愛いんだけど、これもやっぱりステージ映えという意味では損してるかも。

佐藤夏希

TVで見てて、佐藤亜美菜もこの人もステージ映えするなあ、と思ってたけど、改めて感じた。
単純に顔写真見ればそんなルックスがいいとは言えない(失礼;)
けど、歌が上手いのと、亜美菜もそうだけどこの中ではわりと年長なので、大人の女の魅力が際立つ。MCでも貫禄がある。ルックスがいいとは言えないとか書いたけど、惚れてまう。

 なんか、そんなこんな感想、考えがこの距離感でパフォーマンスする1人1人を見てて、ブワーッと否応なく感じてしまう。
 何かで、AKBの振り付けの先生が彼女達に「目からビームを、毛穴からオーラを全開にしてお客さんに向かっていかなければならない」というような事を言ってたと読んだ覚えがあるけど、その言葉、今日見て本当によく分かった。
 パフォーマンスしてる彼女達1人1人の気持ちが否応なく伝わってくる。

 最近プロレスを見てて思ったことがある。
 身体が出来てて、もちろん受け身や基本的な技術ができていれば、あとはそのレスラーが身体の奥底から出てくるようなブワーッというパッションがあれば、十分魅せられるプロレスができるのではないか。
 プロレスはエンターテイメントであるが、というより、であるがゆえに、ガチの格闘技以上の気合いが入ってなければ、人を感動させるプロレスはできない。
 ガチでなくとも「相手をぶっ倒してやる」という気持ちで当たっていかないといけない。ほんとにKOするというのとは意味が違うが、映画やドラマの芝居でも感情を込めないと感動させられないのと同じいや、それとも弱冠違って、生身の身体をぶつけあっていくのだから、ある意味ほんとにぶっ倒す気迫でまあ、とにかく、パッションが大事ということだ。
 プロレスで1番重要なのは「間」(「リズム」と言ってもいい)だと思うのだが、パッションがあれば、「間」も、自然に最もいいものになる気がするのだ。

 彼女達のパフォーマンスを見てても思った。
 ダンスや歌の基本的な上手さも大事だけど、この距離で見せるとなると、パッションがとても大事だと。
 それがあれば、表情、ダンスや歌声も引っ張られるように1番いいものになるような。

 AKBの魅力を語るのに「一生懸命さ」という言葉がよく出てくるが、その大きな理由は、この劇場のごまかしようのない近さではないか。
 もう、レッスン場で先生の目の前で踊っているような距離なので、ごまかしようがない。表情、動きの1つ1つに気合いが入り、手を抜くことなどできないのだ。動き、表情の全てがくっきり見える。息づかいや汗のしぶきまでこちらにかかってくるような錯覚にも襲われる。
 そこにさらに、正規チームへの昇格やら、シングル曲への選抜やら、握手会の券の各人の人気の比較や総選挙のような競争原理が働いているからなおさらである。

 中には、みゃおみたいに、テレビ番組で見せているひょうひょうとした感じがステージでも感じられたり(いや、一生懸命やってるんだけど。自分の勝手な感じ方としては)、これもMCの天然ぷりと同じく、小林香菜みたいに曲中でも気合いというより不思議なオーラを感じさせるメンバーもいるが、それはそれで個性の面白さがあっていい。
 プロレスラーでも気合いを前面に押し出さず、一歩引いた、渋い魅力のレスラーがいるのと同じ。

 いずれにしても、その近さゆえ見てると否応なく感じさせられる、各メンバーの「人間」が見られるのが楽しい!

 全体を同時に見るのではなく、1人を10秒くらいフォーカスして見て、また次のメンバーへこういう見方になってた。

 曲を楽しむのは、TVで音を大きくしていれば、家でも楽しめるけど、劇場では「人間」を見る楽しみ。自分はどちらかというとプロレスを見るのでなく、プロレスラーを見に会場に行っているタイプのプロレスファンなのだが、それと同じ感覚。

 劇場公演の魅力はこれだけでなく、これは元から分かってることだが、楽曲が素晴らしい。
 そして、それぞれの曲ごとに世界観があり、その世界観を表現する、素晴らしく凝っている可愛い衣装にチェンジしながら、大人数の少女達が目の前で圧巻のパフォーマンスを見せる。曲の世界観を構築している歌詞ははっきり聴きとれるし、表情やダンスなども相まって、ミュージカルを見ているようだ。

 あと、隣の10代後半くらいの女の子がずっと、手で振りコピっていうの?ステージと同じ振りをして楽しんでるのもかわいかったな~。
 パッと見渡せる範囲でも、15人くらいは女子がいたけど、もう、AKBには男でも女でも関係ない魅力がある。特に劇場公演はそうかも。(とは言っても、そりゃ男のファンのほうが多いのは今後も変わらないだろうけど)


 いやしかし、初期のAKB劇場公演を見た人達が、その初体験の衝撃を書いたブログを「48現象」という本で読んだけど、気持ち分かるわ。
 世間の人は、いい年した大人がAKBにハマってると聞くと、ロリコンかいなとか、あんなチャラチャラしたとかそういう目で見るんだろう(自分もハマる前はそういう感じだった)
 しかし、そういうんではないのである。
 やらしい目線が全くひとかけらもないとは言わない()
 でも、そういうんではない。
 自分のように、そういう目でAKBやそのファンを見下してて全く興味を持たなかった人間が、ちょっとしたきっかけで見てハマったのを何人も知っている。

 メンバー、スタッフが作品にかけてる手間暇、かいている汗、その結果としての作品の素晴らしさ。

 各地に小さな劇場があり、そこで間近でパフォーマンスを見て、様々な仕掛け・競争のもと、階段をかけあがっていく少女達の成長を見る。また、少女達は自分の夢へのステップとして、観客の目がすぐそこでごまかしのきかない小さな劇場、そして競争でもまれて、その中からテレビに出たり様々なジャンルで活躍する人材が出てくるという、この1つの文化にはすごい可能性を感じている。

 今のようなブームはいつか終わるだろうし、終わってもかまわない。
 しかし、「宝塚」がもはや劇場の名前ではなく、1つの文化の名前として定着しているのと同じように、これから50年、100年と続けて1つの文化として根付く可能性を十分に感じているし、そうなってほしい。
 今日、劇場公演を見て改めてそれを感じました。


…記事は以上。

 

AKBとは何か、を知ることは、劇場公演とは何かを知ることが絶対不可欠であり、そのために劇場公演の基礎知識が必要である。

 

AKBは秋葉原にAKB48劇場が、SKEには名古屋・栄にSKE48劇場が、NMBには大阪・難波に、HKTには福岡に、各劇場がある。

収容250人のAKB劇場と多少違いはあれど、どこも同じような規模の小劇場。

 

公演は16人のメンバーで構成される各チームごと(AKBならチームA、チームK、チームB、チーム4)に行われる。

公演のセットリストは、2012年6月現在、チームAがやっている「目撃者」公演であれば全16曲で、どの公演もおおむねそのくらいの曲数。

メンバー全員による全体曲、複数人によるユニット曲、ソロ曲によって構成されている。

曲の順番、どの曲でこの衣装にチェンジする、どの曲の後にMCが入るか(だいたい3~4曲ごとに入る)などは公演ごとに決まっていて変わることはない。

日によって変わるのはMCの内容、出演メンバー(詳しくは後述)

 

曲と曲のつながりは、前曲のユニットのメンバーが次の曲のイントロのサビではけていきながらの振り付けがあったり、全体曲が続く場合は次の曲のイントロで前曲の衣装を脱ぎ新しい衣装になりながら踊ったりと、いろいろな演出がされていて、公演は1つのパッケージとして完成されている。

 

各公演にはタイトルがついている。

2012年6月現在のAKBの公演であれば、チームAが「目撃者」公演、チームKは「RESET」公演、チームBは「シアターの女神」公演、チーム4は「太陽の女神」公演。

 

各劇場で、ほぼ毎日、どのチームかの公演が行われている。(AKB劇場であれば、チームA,KB、4、そして研究生公演のいずれか)

1つの公演は、だいたい短くて4ヵ月ほど、長いもので2年以上続いて千秋楽を迎えて、また書き下ろしの新しい曲によるセットリストがつくられ、新公演がスタートする。

つまり、公演が続く間は各チーム、同じ公演をずっとやる。ユニット曲、ソロ曲を誰が歌うかは基本的に決まっていて変わることはない。(ユニットのメンバーを途中で変えた例はある)

 

しかし、メンバーがテレビその他、劇場以外での仕事がある時は基本的には研究生が(あるいは他チームの新人メンバーが)代役をつとめる(代役のことをアンダーと呼ぶ)

 

…基本知識としてはこういったところだろうか。

 

これらのことを初めて聞いた人が驚くとしたら、同じ公演を長いスパンでやっていることではなかろうか。

特に、2012年6月現在AKBのチームAKBの公演は2年以上の長きにわたるロングラン公演となっている。

 

ファンはその長期間にわたって同じ内容の公演を見続けている。

もちろん、毎日違う観客なわけであるが…劇場公演は事前申し込みで何百倍という倍率の抽選に当たった者だけが見られる。ファンの経験を聞くと、毎日のように申し込み続けて、当選して観覧できるまでには短くてもだいたい1ヶ月半ほどの間があくようだ。

しかし、ネットでの観覧(AKB48 LIVE!! ON DEMAND」)は公演当日23時から、毎回配信されており、ひかりTVでは週5回、1~2週間遅れの公演を放送している。

AKBにハマったファンは同じ公演を、その全てが頭に入るほど繰り返し見ているわけだ。

飽きないのか?

全く飽きない。自分の場合は、これを書いている2012年8月時点では、生では残念ながらまだ2回しか体験してないのだが(今後さらに観に行くべく、劇場チケットセンターに応募し続けてます!)ひかりTVで週5回、その時間になれば必ずチャンネルをあわせている。

 

MCが毎回違って、その日によって違う話が聞けるというのもあるし、まず、楽曲がいい。すべて秋元康によって劇場公演用に書き下ろされた曲(※2)で、それぞれの曲の世界観が、振り付け、衣装、照明によって見事に表現され、ファンによってこの曲のここでこう叫ぶ、と自然に出来た応援によってさらに世界観がつくられている。

 

さらに、小劇場で目の前で繰り広げられるので、その日その日によって違う表情、パフォーマンスの良しあし、成長を見る喜び。小劇場という生物(なまもの)の魅力といえばよいか。

 

同じ曲を繰り返し演じるメンバー、見ているファンの双方がその曲の歌詞を日々繰り返し読み込むことになり、その曲を深く理解していく。パフォーマンスのレベルはどんどん上がる。

 

2012年6月現在、AKB劇場でのチームAKB各チームの公演は2年を超えるロングランとなっているが、

 

「どうしてもマンネリになる。私はそれが嫌で、再び歌詞を読み込んで、意味を考え直したり、フリを少し変えたりするんです。自分なりに高い意識を保つようにして、それに気付いてくれるファンがいれば、より楽しく交流もできるんです」(柏木由紀)(※3)

 

見る側の目もどんどん肥えていく。

古典落語でも、一見さんで何も知らずに聞く人は、単純にどんな話の展開になるんだろう、どんなオチなんだろうと聴くところを、落語通は、とっくにお馴染みの演目を、この噺家はどう演じるのか、その表現の仕方や成長を味わう。

 

それと同じようにAKBヲタクは、その日のメンバーのパフォーマンスの巧拙をしっかりと見、時に握手会でひいきのメンバーに直接、あの曲のあそこがよかった、また、あれはこうした方がいいなどのダメ出しのようなことも言う。

 

そして、これは最初から狙っていたのか、怪我の功名なのか、アンダー(代役)の存在が劇場公演をいっそう惹きつけられるものにしている。

 

現在のブームでメンバーはいろいろな仕事に大忙し。1つの公演でアンダーは少ない時でも5人ほど、多い時は半分ほどになることもあるのではないか?

このメンバーのアンダーは研究生の誰々、と基本的には決まっているのだが、その時によっては別の研究生だったり、新人の正規メンバーだったりする。

そうすると、例えば、いつもゆきりん(柏木由紀)の歌声で聴き、そのダンスを見ている同じパフォーマンスをそっくりそのまま研究生の○○バージョンで見ることになる。

全体曲では、16人で歌う箇所を担当しながら、踊りながら立ち位置を変えていくフォーメーションで1つのパフォーマンスをつくりあげるのだが、アンダーは先輩が担当している歌う箇所、フォーメーションをそのまま担当することになる。

○○の歌う「夜風の仕業」(「シアターの女神」公演での柏木由紀のソロ曲)はどんな感じになるんだろう、「チームB推し」(同公演での全体曲)でのゆきりんの担当する部分を、○○ならどうパフォーマンスするんだろう、という比較の目で見ることになる。

これはアンダーのコにとっては、こわいことでもあり、チャンスでもある。

また、ゆきりんにとってもこわいことだ。手を抜いてやっていれば、日々レッスンに励んで成長している研究生の○○のほうがいいじゃん、と言われかねない。

こわさ、チャンス…いろいろな思いはあるだろうが、確実に言えることはメンバーにとってはやりがいがあり、ファンにとっては楽しみの幅がグンと拡がるということ。

 

そして、アンダーと同様に楽しみの幅を広げているのが、「お下がり公演」だ。

AKBのチームAが立ちあがって以降、新しいチーム、さらには地方の姉妹グループのチームが次々に出来ていったわけだが、どのチームも、いきなりオリジナルの公演をつくってもらえるわけではない。最初、そしてその次の公演くらいまでは、先輩チームのやった公演をやるのだ。

例えばNMB48のチームNは、最初、Ard「誰かのために」公演を5ヶ月間、次にKnd「青春ガールズ」を2011年5月から2012年6月現在公演中である。

A3rdとは、チームAの3つめの公演、K2ndとはチームKの2つめの公演という意味。2012年6月現在、AKはそれぞれAthK6th公演中)

 

つまり、ここではチームごとでそのパフォーマンスが比べられる。

チームによっても、重ねた年月の中で気風や特徴ができていくもので、例えば体育会系のチームK、妹系というか、いかにもアイドルらしい可愛さが特徴のチームB、ダンスが激しいチームSなど。

また、チームごとというだけでなく、先にあげたNMBのお下がり公演の例で言えば、「青春ガールズ」公演においてはKでは大島優子、河西智美が、女性どうしの禁断の愛を艶っぽく歌った2人ユニット曲「禁じられた2人」を、Nでは山田菜々、吉田朱里がどう歌いあげているか…そういう比較、それぞれの個性の違いを味わう楽しみがここにもある。

 

また、アリーナで全グループが勢ぞろいするコンサートなどでは、違うチームの劇場公演曲をパフォーマンスすることも恒例で、初めて目にするメンバーと曲の組み合わせに場内がどよめく。

 

お分かいただけるだろうか。

何も知らない人は、AKBと言えばいまだにわゆる「萌え~」であるとかアキバ系だとか、また、あくまでこれまでの「アイドル」というジャンルの概念そのまま、誰がかわいいとか疑似恋愛とか…そういう面もあることはあるが…そういった面だけのイメージで見ているのだろう。

「会いに行けるアイドル」という有名になりすぎたキャッチがよけいにそういうイメージを強めていて、なんならAKBファンは従来のアイドル像よりもさらに萌え~とかルックス重視、単に可愛い女の子を見に行くだけ、本能に近いところで動いている奴らと見下すことで、自分達はそれを批判する文化的人間、とアンチは思っているのかもしれないが、実態は全く違う。

実際はかなりこのような、小劇場アイドル文化とも呼ぶべき、奥行きの深い、長期間見続けても飽きない、いや、長期間見続ければ見続けるほど楽しめる、奥行きの深い楽しみ方をしているのだ。

そんなこともろくに知らずに批判しているアンチこそ皮相浅薄、自分達のよく分からない異質なものが出てくれば叩きたい、という霊長類の群れの本能のまま生きている非文化的人間というべきだろう。

 

 

※1 生中継ではなく、1~2週間遅れの放送

 

2 秋元Pは作曲はやらないので作曲はもちろん様々な作曲家によるものだが、曲を選んでいるのは秋元P

 

※3 「月刊AKB48Group新聞」2012.6月号より

 

 


最終更新日 : 2012-10-23 22:31:37

7 アンチには理解できるわけのないAKB総選挙の面白さ

毎年、アンチがここぞとばかりに叩く選抜総選挙も、劇場公演を経てのものである。

AKBのことをよく知らない人々は、あれを単にかわいい娘ランキングとでも思っているから「あんなものに熱狂するなんて」と思っているのであろうが、全く分かっていない。

単なるかわいい娘ランキングであれば、柏木由紀、指原莉乃、北原里英といったメンバーが上位に入るわけがない。(お三かたにはこういうかたちでお名前を挙げたことをお詫びするとともに、AKBファンは単にルックスで応援するわけでないことを自分は誇りに思ってます)

AKBメンバーのルックスの平均点が他のアイドルグループに比べればずいぶん落ちるのは、アンチ達の言うとおりである。しかし、それはAKBが従来のアイドルというジャンルを踏襲しながらもそれを超えた新しいジャンルであるからだ。

 

選抜総選挙といえば、歴代1番の感動、第1回総選挙での佐藤亜美菜。

第1回選挙の約1年前に正規メンバー(チームA)に昇格した新人だった彼女。

AKBの立ち上げから2011年4月までの歴史を分かりやすく書いてくれている「AKB48ヒストリー 研究生公式読本」より引用させていただく↓

 

「自分がほかのコみたいに人気がないっていうのは……わかっていました。握手会で私の前の列が途切れるとか、ファンレターの数がみんなに比べて少なかったから…。でも、どんなに少なくても応援してくれるファンの方の声が嬉しかったし、劇場でAKB48として歌うのが本当に楽しくて。だから最初は気にしないようにしていたんです。でも大声ダイヤモンド(2008年10月22日発売)の頃から後輩の5期生が選抜に選ぱれだして『もっとアピールしなくちゃ』って思うようになったんです。けど、私はほかのコみたいにテレピにも雑誌にもほとんど呼ぱれなかったから、何をしたらいいんだろう,?って」

そこで佐藤亜美菜はAKB48スタッフに頼み込んだ。「ほかのチームの公演にも出たいです」と。

佐藤(亜)「まずはチームKさんの『最終ぺルが鳴る』公演のDVDを借りて、レッスン場を開けてもらってダンスを覚えたんです。最初は1曲1曲ずつでした。劇場公演って、最初、メンバー全員でやる曲が4曲続くんですけど、その後は自己紹介なんです。だから

4曲覚えれぱ、自己紹介までステージに立っていられるんですよ。それに中盤まで覚えれば中間にあるMCに参加できる。そうやって、1曲ずつステージに立てる時間を増やしていったんです。だからよく来てくださるお客さんは『亜美菜、ココまで覚えたんだな』ってわかるんですよ。『前回と同じか・・・…』って思われたくなかったし,何よりも1分でも多くステージに立っていたかったから、必死に覚えたんです」

そして、選抜総選挙が始まる2009年6月後半。佐藤亜美菜はチームKの公演だけで

なく、チームBのセットリスト(演目)をも覚えていた。時を同じくしてチームBと同じセットリストを行なっていた“後輩”である研究生の公演にも参加していたのである。

それどころか、AKB48の第2劇場である[シァターGロッソ」で行なわれていた“ひ

まわり組“のリバイバル公演の舞台にも立っていた…!!

つまり、チームA、K、B、研究生、ひまわり組というAKB48すべての劇場公演のダンスと歌をひとりで覚え、そのすべての公演に出続けていたことになる。当時そんなメンバーは、約50人いるAKB48の正規メンバーの中で佐藤亜美菜以外には誰もいなかった。

誰に頼まれたわけでもなかった。「ただ1分でも多く、ステージに立ちたかった」のだとと佐藤亜美菜は言う。

 

↑引用以上

 

選抜は21位まで。

それまで1度も選抜に選ばれたことのなかった彼女。

投票開始初日の速報15位、続く中間発表の18位。

大・大健闘の順位だった。それまで選抜されたことのなかった彼女だが、ファンは頑張りを見ていたのだ。

そして、結果発表の日。

選抜への期待がふくむ中、まず、21位から13位までが発表された。

しかし、彼女の名は呼ばれなかった。

次いで発表されるのが、21位から30位までの、カップリング曲を歌う「アンダーガールズ」

 

21~13位までの発表が終わったところから再び引用↓

 

「…そうか、アンダーガールズなのかって思ったんです。」

21位から13位までの発表の後、アンダーガールズ9人の名前が呼ばれた。しかし、そこで佐藤亜美菜の名前が呼ぱれることはなかった。

佐藤はそれから一切、顔を上げることができなくなった。自分のスカートと、固く握り

しめる拳だけを見つめていた。手の甲には涙がこぼれ続ける。「やっばりテレビに出ていなくちゃ、私のことなんて気づいてもらえないんだ」……パリから帰ってくる飛行機の中で誓った「何かやってやる」という気持ちも、どこかに消えてしまっていた。

どれだけ時間が経ったのだろう。1秒でも早く、このつらい時間が過ぎてくれれぱいいのに…。そううつむいていた佐藤の耳に、その言葉は届いた。

「第8位、チームA、佐藤・…・・亜美菜」

司会の戸賀崎がそう言った瞬間、佐藤亜美菜は、弾かれるように立ち上がった。会場からはその日一番の歓声が上がった。

もう、まともに歩けなかった。この瞬間が来るまでに涙が枯れるほど泣いたにも関わらず、それまでの涙がウソだったかのように、大量の涙が溢れてきた。ステージに立ってからまともにしゃべれなかった。絞り出すように、ゆっくりとファンに気持ちを伝えた。

「私は・・・…歌手や女優さんになりたくてAKB48をステップとして入ったんではなく、AKB48が本当に好きでAKB48になりたくて入って、いろいろな公演に出たかったから、自分からほかのチームのダンスを覚えて……。テレビや雑誌に出ているほかのAKB48のコたちみたいに……私はキラキラできないから。AKB48に貢献できてないって思っていて・・・…でもこうやって選抜に入ることができて、本当に・…・・嬉しいです」

 

 

↑引用以上。

 

 ここにも書いてあるとおり、佐藤はメディア露出も少なく、普通に考えれば、選抜やアンダーに入るだけでも大健闘である(第1回は98人が選挙の対象)

ちなみに、ルックス的にはそんなに悪くはない(自分は好きだ)が、グループの中でとりわけいいというわけでは決してない。

そんな彼女が、なぜ8位という、誰もが思ってもいなかった順位をとれたのか。

劇場公演を誰よりも頑張っていた姿を、ファンはちゃんと見ていたからだ。

 

ここに紹介した佐藤亜美菜の例は、とりわけ感動ものだが、他のメンバーも1人1人それぞれのドラマがあり、ファンはその頑張りをつぶさに見ることができ、メディア、ネット様々な媒体から個々の背負う歴史も知る、そのうえでの総選挙。

それらを知ったうえで見れば、こんなに人間ドラマが凝縮されて見応えのあるイベントなどそうそうない。

当たり前だが自分の推しメンの努力・成長は、特によく見ているので、よけいに感動する。

 

それやこれやを知らぬ、劇場公演を見てもいない、メンバーのドラマを全く知りもしないのに総選挙を見て楽しめるわけがない。

楽しめないのを無理に興味を持って楽しめと言っているのではない。

しかし、知りもせず、当然楽しめるわけもないのに「何が楽しいのか分からない」とか「あんなの見てて恥ずかしくないのか」だの、何も知らぬのにゴチャゴチャ文句をぬかす輩が多いのには閉口する。

 

本著で何度も書いてるが、自分はメジャースポーツにいっさい興味がないので、種目によればルールもよく知らず、情報も知らないので、選手個々の歴史、ドラマも知らない。よって、楽しいとも当然思わない。

それらが、AKBどころではない大きさで年がら年中大きくメディアで取り上げられ、みな熱狂しているが、それを、「自分は何が楽しいのか分からない」という理由で批判するつもりもない。当たり前だろう。

 

ところが、AKBに関しては「自分は興味がない」「何が楽しいのか分からない」などといったことを、まるでそれが偉いことであるかのように、ことさら言いたがる輩が多い。

興味がなければ見なけりゃいいだけなのだが、アイドルというジャンル、そして流行しているAKBを批判することで、自分は低俗なもの、流行しているものを批判している賢い人間なんですよ、というポーズをとりたいのだろう。

実際は、世間の価値観におもねって批判しやすいものを批判し、バカさ加減を露呈しているだけなのだが。

 

 また、AKB史上数ある感動でも特に有名な、2009リクエストアワーセットリストベスト100で、「初日」が1位になった件。

リクエストアワーというのは、毎年、それまでに発表された48グループの全ての曲を対象に(つまり、AKBSKE、他全ての姉妹グループの劇場公演曲、シングル、カップリング曲)、ファンの投票でベスト100を決めるというイベント。

テレビ、ラジオで流れることの多いCDシングル曲が当然、有利であり、特に、2009年リクアワは前年ヒットした「大声ダイアモンド」が1位になることが予想されていた。

ところが、ふたをあけてみれば1位に輝いたのは、シングル曲ではなく、チームBの神公演と呼び声高い「パジャマドライブ」公演のオープニング曲「初日」

 

「1人だけ踊れずに帰り道泣いた日もある」

「学校とレッスンの両立にあきらめた日もある」

「死ぬ気で踊ろう! 死ぬ気で歌おう! 初心を忘れず全力投球で!」

 

お下がり公演2つを経て、ようやくもらえた、このオリジナルの公演の初日を迎えるまでのチームBメンバーの苦労をストレートに歌詞にした曲で、メロディも決して、いわゆる売れ線のものではない。

にもかかわらずこの曲が1位になったのは、ファンが劇場公演をしっかり見ていて、この曲の内容と、その歌詞のまま、全力投球で日々頑張っていた彼女達に共感したから。

その他にも、チームBのカラーや様々な歴史があったうえでのことで、ここでは長くなるので省くが、とにもかくにも、AKBのファンは、そういう思い入れを持って見ているのだ。

AKBのことを何も知らずに単なる流行りものと見ている向きも多いし、AKBのファンとは流行に流されやすい傾向があると思っているのかもしれないが、とんでもないことだ。自分なりのこだわり、思い入れを持って物事を観る人間がAKBファンになる傾向が強い。

アイドルはアイドルだろ、という固定概念でしか物事を見れないアンチとはかなり違う。

 

 

 


最終更新日 : 2012-09-17 17:43:37

8 AKB総選挙批判に対して 遊びに貴賎がつけられている不可解さ

 東日本大震災から3カ月がたっていた2011年6月のAKB48 22ndシングル第3回選抜総選挙。

もちろん、被災地の困窮や原発の問題は未解決ながらも、通常のスポーツやお笑い番組、その他イベントも行われるようになっていた頃に行われたこのAKBのイベントとそれを大きく扱ったメディアに批判の声が起こった。こんな大変なご時世に何を騒いでいるのか、と。

 

あのような大災害が起こった際に、いつまで自粛してるべきかは人によって考えは違うだろう。震災からは3カ月がたっていたが、まだあの時期あのようなイベントをやるべきではないという考え方は1つの考えとしてあるかもしれない。

しかし、AKBへのイベントとその報道に対してだけの批判は意味が分からない。

あの時期にAKB選抜総選挙をやるべきでないのなら、他のスポーツや芸能、お笑いもやるべきではない。

「こんな時にAKBのイベントなど…」

と言う多くの人は、もし同じ時期に野球やサッカーの大イベントがあり、それを大々的に報道していたら

「こんな時に野球など…」

とは言わないのだろう。

 

おかしな話だ。

自分から見たら、どちらも本質は同じ「遊び」である。

ここで言う遊びとは、一生懸命やっているかふざけてやっているか、の意味ではない。

ここではもっと本質的な意味合いで、「文化」という言葉とほぼ等価。

 

野球は一生懸命で、見る人に感動や元気を与えると言うならば、AKBのライヴや総選挙でのドラマも、一生懸命で見る人に感動や元気を与えている。どちらから感動を感じるかは人それぞれで、当たり前だがAKBのイベントに足を運んだり、報道を関心をもって見ているファンはAKBから元気や感動をもらっている。

アイドルが自粛すべき期間がもし半年ならスポーツも他の芸能も同じく半年。当然だろう。

 

この本の中ではやたら野球、サッカーを引き合いに出して、ファンが聞いたら怒ることばかり書いてるが(笑)、野球、サッカーそのものが嫌いなわけではない。

ただ、AKBやアイドルのことを「くだらないもの」と見下してる人間が同時に、野球やサッカー、その他、メジャースポーツよ呼ばれるものに対しては、あたかもその優勝争いがさも重大事であるかのように認識してるのが、どうにも解せないだけ。

 

繰り返すが、スポーツの本質は遊びである。特に、見ている側にとっては。

もちろん、アイドルの本質もそう。

野球の日本シリーズの結末も、AKB総選挙の結果も、それらのファン以外にとっては、ど~~~でもいいものである。

これがその年の食糧の出来具合という話になれば、それへの興味を普段意識していなくても、ど~でもいいものではないのだが。

いや、スポーツ、芸能等々の文化全般、それ自体を軽んじているのではない。

それらは現代社会の人間にとって、大切な欠くべからざるものである。

しかし、その各ジャンル、各競技、各芸能事、それら1つ1つは、興味のない人間にとってはど~でもいいものでしょう?

だからといってバカにしているのでもない。それぞれのジャンルのファンが、それぞれのジャンルを愛し、そこから元気なり感動なりを受け取っていればいいのだ。

 

要は、そのジャンルに貴賎がつけられ、あたかも野球の日本シリーズの結末やサッカーのワールドカップの結果は全日本人が知っておくべき大切なこと、AKB選抜総選挙やプロレスの興行は、どうでもいいもの、という認識が自分からしたら長年にわたり意味不明なのだ。

個々の中で、日本シリーズの結果は重要、AKBはどうでもいい、があるのは一向に差し支えない。自分にとってワールドカップやイチローの戦績がどうでもよくて、AKBジャンケン選抜の結果やDDTの肛門爆破(※1)が誰になるのかが重要なのと同様だ。

しかし、そこを勘違いし、個々の好き嫌い、興味の有る無しではなく、絶対的な位置づけとして、ワールドカップの結果が重要、AKB総選抜の結果はどうでもいいもの、と誤った認識をしている人間が多いのではないか?(※2)

それが端的に出たのが、2011年6月のAKB総選挙の報道に対して、「こんな時期にこんな下らないもの」批判だろう。(繰り返すが、それを言うなら同時に、メジャースポーツ含む全てのジャンルの活動と、それらの報道に対して同じことを言うべきである。)

 

なぜそのような誤った認識が生まれるのか?

新聞、テレビが長年大きく報じて、「ジョーシキ」になっていること=重大事という方程式が頭の中にできているからだろう。

もちろん、興味のある人の数の分大きく報じることは差し支えないと思うが(※3)、どんなに大きく報じられようが、その「遊び」に興味がある人が多いから大きく報じているだけであって、その本質が変わるわけではない。しかるに、新聞の一面やテレビのトップニュースで報じられ続けていることは社会にとっても自分にとっても重大事、という誤った認識を起こしてしまっているのではないか?

アンチAKBは「AKB総選挙などに大人が熱中してくだらない…」と言うが、そう言っている同じ人間が球を棒で打つゲームや、足で球を網の中に入れるゲームに熱中している様は、自分からしたら滑稽きわまりない図である。

スポーツを楽しんで見ている分には良いと思うし、また、そこから感動や教訓を得たりする熱い目で応援するにしろ、あくまでゲームであるということを忘れずに見ているなら全く良いと思うのだが、スポーツを熱中して見ながら同時にAKB総選挙を見下す手合いは、完全にそれがゲームであることを忘れ、ある種のスポーツ幻想とでもいうものに飲み込まれているのであろう。(逆に言えばゲームであるという本質をふまえてスポーツを楽しんでいる人は、決してAKBのイベントを見下したりはしないであろう)プロレスファンやアイドルファンが意識的に構築している幻想ではなく、その本質を見ず、わけもわからぬままに。

遊びである本質を分かりながら熱中して楽しもう、感動しよう、なら分かるが、そうではなく、もうホントに本質を見失っている人間こそ、いい歳こいてもうちょっと物事の本質を見よう。遠征から帰ってきた、失敗をした選手に罵声浴びせたり物を投げたり、海外では、自殺点をした選手をファンが殺すという事件もあったり。

それは一部の極端な例だろうが、そういう、ゲームであることを忘れ、ガチで国の威信がかかってるという幻想に飲み込まれている雰囲気は危ないだろう。

まあ、しかし、それはそれでいいだろう。サンタさんが本当に来てくれていると信じている子供に、あれはお父さんなんだよと無理に教える必要はないだろうから。

しかし、ど~しても許せないのは、そのような、本質を見ず幻想に飲み込まれている者が、サンタはお父さんだと知りながらも楽しんでいる…というより、サンタそのものよりも「サンタをしているお父さん」だからこそ、そこに感動や演者の色気を感じ、その本質を見て、極上の愉しみを知っている、プロレスファンやAKBファンを、「プロレスサンタは、AKBサンタはお父さんなんだよ」と、したり顔で見下すことである。

いやいやいやいやいやいや!分かってない、騙されているのは君達なんだよと言いたいのだ、わたしは!

 

 

 

 

※1 DDTという、エンタメ色を前面に押し出した団体のビッグマッチでときおり行われる罰ゲーム的イベント。おしりにしこんだ爆発物で肛門が爆破される。中澤マイケル選手が不幸にして、毎回犠牲になっている。

……こんなことを書くのは無粋というものだが、もちろんほんとに肛門が爆破されているわけではない。なんでもガチかインチキかという尺度でしか物事を見れない人のために念のため、本来書かなくてもよい無粋な説明を加えておく(笑)

 

※2 こう書くと、それが及ぼす経済効果の規模が違うとかなんとかぬかす者がいそうだが、それはあくまで副次的なこと。ここでは、物事の本質について書いている。

 

※3 そうなると、本来その人にとってそう面白いと感じられない競技であっても、大きく報道されてることはとりあえずチェックしておこうという人達もいるため、「興味のある人」の数は増えるという悪?循環もあるのだが。

 

 

 

 

 


最終更新日 : 2012-08-25 22:48:12

9 AKB総選挙批判は、ジョーシキに染まっている人間が浮き彫りになる

 AKB総選挙への批判を見ていると、いかに「ジョーシキ」に染まって、そこからしか物事を見れない人間が多いか分かる。

 

 前項でも大震災後3カ月の第3回総選挙への「こんな時に…」という批判について書いたが、1年後の第4回についても地上波ゴールデンタイム生中継で高視聴率を取ったことで「福島原発が収まっていないこんな時に日本人はAKBでうつつをぬかして」てなことを言う輩がいる。

 

 まず、AKBに限らず他の芸能事、スポーツも普通に開催されている時になぜことさらAKBだけを批判するのかということは前項でも書いたが、当日、テレビで見ていた人間も日本武道館に足を運んだ人間も、AKBに24時間、時間を使っているわけではない。

他のジャンルの娯楽、趣味に興じている人間と同じく、日頃、政治社会に関心を持ち、当然、原発にも相当の関心を払っているなかで、その時間はAKBを楽しんでいるだけである。

 2時間の生中継を見ていたファンを「こんな時にAKBを…」と批判している人間は、24時間、食事や睡眠以外は原発情報を収集し、1日中天下国家を論じているのか?

当然、自分の娯楽・趣味に費やしている時間もあるだろう。

 いや、(実際そんな人間はほとんどいないだろうが)自分は1日中政治社会の情報収集、勉強にのみ使っている! だからAKBの中継を見ていた人間を批判する資格があるという偉い方、それはおかしいです。そうであるなら、自分の娯楽、趣味に時間を割いている人間全てを批判するべき。

 

 もちろん、AKBファンの中に政治社会など全く関心を払わず、全ての時間をAKBに使ってる人間もいるかもしれない。

 しかし、それはその人間が問題なのであって、どの娯楽にもそういう人間はいる。

 

 また、「いや、AKBに関しては騒ぎ過ぎだから、マスコミが取り上げすぎだから批判している」という向きもあるかもしれないが、それこそ頭が「ジョーシキ」に染まっていることがモロに出ている。

 

 前項に書いたこととも重複するが、長年、スポーツ紙トップで取り上げられ、常日頃、地上波ゴールデンタイムで放送され、高視聴率を取り、会場には毎週のように数万人が見に来るジャンルには「騒ぎすぎ」という批判はしないのか?

また野球やサッカーのことか、とウンザリされるかもしれないが、それに限らず他にもいくらでもある。

 同じ原発の危険な状況でも、それが長年の「ジョーシキ」になっている娯楽ジャンルは、いつも通り騒いでもオッケー、しかし、AKBという新しいものは騒ぐことまかりならぬ、という思考はどこからくるのか。

 

「ジョーシキとなっていない、自分の分からないもの、新しいものに人気が出るのは認められない」

「出る杭は打ちたい」

 

例えば競馬。

(これは、その人気とお金のかけ方という両方で、AKBを批判する人間の“ジョーシキ”に染まった頭の構造を説明するのに例えとして最適だからだすだけであって、競馬をバカにするつもりは毛頭ないということを断っておく。あくまでAKBを見下すならば、という問いかけだ)

 

 競馬ファンが何万もレースに金を使い、毎年決まった時期に、年に何度も重賞レースが大きく報道されることが批判されるのはあまり聞かない。

自分も批判するつもりはない。(※1)

 

 しかし、今、AKBのような、あんな歌って踊る女の子達と握手して話すため、そしてメンバーに思い入れ持って「選挙」で投票するために金をかけるなんてきもい、バカバカしいと見下す手合い。

 彼らは、もしも、競馬というものが元々存在せず、ここ5~6年で急に「馬の競争に金を賭ける」というジャンルが出てきて大人気を博したら、馬のかけっこに何万もつぎこみ、中にはギャンブルというよりは馬に思い入れを持って応援する者がいるなど気持ち悪いと見下すのではないか?

 

 年に1度のAKB総選挙が大きく取り上げられ、報道されることを批判する者たち。

彼らは、やはり、もしも競馬が最近出来たジャンルでその人気ぶりに報道各社が年に何度も大きく扱えば、原発が大変な時に馬のかけっこを大きく報道して何考えてるんだ、と憤るだろう。

 

 競馬は例えにぴったりだったから出したまでで、他にもいくらでも当てはまる。

 

  事の本質をごく普通に偏見なく見るならば、「歌って踊る少女達のドキュメント、人間ドラマ」と、「馬の競争における馬、人間のドキュメント」とどちらが上で、どちらが許されてどちらが許されない、などと言えるか?

 

 要は彼らアンチAKBにとって大事なのは事の本質ではなく、「ジョーシキ」となってるか否か、である。

 

AKB総選挙なんてものに大人が熱中するなんて恥ずかしくないのか」という人間は、もし将棋や囲碁が子供の遊びとしてしか存在しない世の中に生まれ、急にそれにプロ制度ができて大人がその闘いに熱中するようになれば「あんなものに大人が熱中するなんて恥ずかしくないのか」と言うだろうし、その道具に大金を使うファンが出現すれば、AKBに金を使うファンをバカにするのと同じく、あんなものに大金を使ってアホかと言うだろう。(※2)

 

 繰り返すが、彼らは事の本質を見ない。どこまでもジョーシキに縛られている。

 

 彼らのそういう頭からすればアイドルという存在とそれを応援する人間を見下す偏見は当然生まれるだろうが、まあ、その偏見じたいがおかしいのだが、AKBはアイドルという要素ももちろん大きく持ちながらも、それにとどまらない新しいジャンルであるから、よけいに彼らにとって到底理解できないのは当然のことではある。

 

 

※1 動物愛護的な観点、その他何がしかの批判はあるかもしれないし、その批判を批判するつもりもない。ここではあくまで例えとして出しているので競馬の細かい問題には立ち入らない。

 

2 これも、競馬と同じく例えとして出しただけで、将棋、囲碁を批判するつもりはまったくない。自分は将棋ファンで、かつて「週刊将棋」の検定クイズにせっせと答えを送ってポイントを稼いで、連盟認定のアマチュア1級の免状を持っている。(今は遠ざかっていることもあり、実際の棋力は全くそれに及ばないが) 

駒も、本当にいい駒からみたらなんでもないものだが、たしか7~8千円したのを買って持っているし、高額な駒を持ちたい気持ちはよく分かる。


最終更新日 : 2012-08-25 22:49:24

10 なぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由

 第1章 <天皇、プロレス、AKBが攻撃される理由>プロレス、AKBへの攻撃が多いことやその特徴について触れたが、ことに、最近のAKBへの攻撃には辟易とする。

積極的に、嫌いなはずのものの情報をわざわざネットその他で一生懸命収集し、せっせとネットに書きこんでいる、なんだかよく分からない者達もいるが()、とにかく、AKBおよびそのファンに対する世間の視線は偏見、蔑視の類が多い。

まず、アイドルという文化そのものが低く見られているというのが1点あるが、その中でもなぜAKBがことさら攻撃されるのか、その理由をいくつか考えてみた。

 

≪秋葉原で誕生し、今でも秋葉原の劇場で公演しているということ≫

 

電気街という顔とともに、ヲタクの街として今や完全に「アキバ文化」と言えるものが花開いている街・秋葉原。

 言うまでもなく、AKB48はここで誕生し、今でも劇場公演が行われているのだが、AKBに対する蔑視・偏見には、アキバ発のアイドルということが大きく影響しているだろう。

当初はアキバありきではなく、東京の各所で劇場の物件探しをしていたのだが、アイドルが毎日公演する劇場という新しいコンセプトに物件を貸してくれるところは少なく(前例がないもの=怪しい、ということなのだろう)、結局、秋葉原に物件が見つかり、そこに決まったという。

初めは、青山や渋谷で物件を探していたというが、もしそういう場所で誕生していたら、全く同じことをやっていたとしても、そのイメージは全く変わっていただろう。人間がものを見る時、目の前にかざす先入観とか偏見というフィルターはとんでもなく強い影響をもたらす。

 

≪アイドルグル―プではなく、システムであることが理解されていない≫

 

フツーの、3~5人くらいのアイドルグループが、今のAKBと全く同じ歌を歌っていて今のAKBくらいの大人気、ということならば、好き嫌いはあれど、ここまでの偏見はないだろう。

大人数で何がなんだか分からない、という分からないものへの不安や嫌悪がそこにはある。

AKBを1つのアイドルグループだと思っているのだ。

そういう捉え方が全く違うとは言わないが、AKBは1つのシステム、コンセプトの名前として理解したほうがいい。

アイドルや、歌手、女優を目指す少女達がオーディションを受け合格し、レッスンを重ね、各チームが各地の小劇場で公演を行いながら磨かれ、研究生から正規メンバーに昇格し、その中からさらにシングル曲発表のたびに選抜メンバーが選ばれる。時には選抜を選ぶのにファン投票やジャンケンもあり、それやこれやの中での悲喜こもごも、成長の過程を見て応援する、というコンセプトだ。

だから、よく聞かれる「誰が誰だか分からない」ということも、このコンセプトを面白いと思い、それにのっかって楽しむ者は顔を憶えて行けばいいし、興味がなければ憶えなければいいだけの話だ。

 

≪新しいシステム、コンセプト。そしてそれが大流行してる、しかし常識としては根付いてない≫

 

AKBという、新しいシステム、なんだかよく分からないもの、それらが大流行していることが世間の人のお気に召さないのだろう。

そして大事な点は、大流行しているものの、常識としては根付いていないということ。

秋元康はAKBの選抜総選挙その他が、いつかプロ野球のペナントレースを日本人が毎年毎年フツーに話題にするように、定着してくれたらと何かの機会に話していた。

いったん、握手会のことや昇格、選抜のことなどよく分からないものが誰もが知るジョーシキとなり根付けば、日本人は逆に、そこを自分もおさえようとし、悪くはいわない。

ジョーシキとなってないが流行しているものは叩く、出る杭は打つ、しかしジョーシキとなればそれが自分にとって好きとか嫌いとか関係なく、とりあえずおさえておきたい、という日本人の悲しき習性。(Jリーグが誕生したとたんににわかにサッカーファンが増えた現象、ふだんボクシングに興味がなくともとりあえずゴールデンタイムに放送される世界タイトルマッチの結果は気にする人達……。)

AKBがもし流行を通り越してジョーシキとして定着すれば、ここまで叩かれることもなくなるだろうが、そこまではいってないものの大流行しているという点が、日本人の中の一部の残念な人達がちょうど叩きたくなるポイントなのだ。

 

AKB商法批判≫

 

アンチAKBはよく「AKB商法」という言葉を使う。

何を言わんとしているか。

世に溢れているAKB批判は、妄想や憶測に基づいて下劣な言葉を書きなぐっているだけのものばかりで、論理的な「批判」と言えるものはほとんど見当たらないので、何をもって「AKB商法」といっているのかはいまいち不明なのだが、おそらく、次のような商品についていっているのだろう。

 

握手会参加券付きCD 

選抜総選挙投票権付きCD 

同じシングル曲でカップリングや付属品の違う複数仕様 

 

これらは、選抜総選挙投票券付きCD以外は、AKB独自のものでもなんでもない。

それを「AKB商法」と名付けること自体がおかしい。同様のことをやっている他のものと何が違うか。AKBはそれで売れまくっている、という違いだろう。

要は、出る杭は打ちたいという日本人の短所、ひがみ根性である。

選抜総選挙付きCDは、そもそも選抜総選挙というものをやっているグループがないからAKB独自のものであって当然なのだが、これは一体何が問題なのか。

1人1票でない、ということをよく批判する者がいるが、これは政治の選挙ではない。

同じ「ファン」といっても、なんとなくこのコかな、程度のファン(別にこれがいけないと言っているのではない)から、熱狂的なファンまでその思いの強さは全然違う。

1人で多くのお金を出した分、同じ数のファンだとしても、その思いいれの強いファンが多い方が順位が上、ということになるわけだ。繰り返すが、これは政治の選挙ではなく、アイドルグループの選挙なのだからそれで問題はない。

まあ、しかし、ファンの思いの総計は同じでも、たまたまお金持ちのファンが多い方が有利、という問題点はあるし、1人1票のほうがよい、というのも考えとしてあるだろう。

しかし!しかしである。AKBのファンが、これでは不公平ではないかとかこうした方がいい、というのは分かる。ファンなのだから、そのアイドルグループのシングル曲のメンバーに誰が選ばれるかの投票に意見があるのは当然分かる。

…一方、アンチAKBの連中は、なぜ嫌いなはずのAKBのシングルのメンバーを決める選挙のやり方が気になるのだ?()

嫌いなアイドルグループのメンバーの選出方法…自分だったら、それがいかに不公平でおかしなものであったとしても、ど~~~~~でもいいし、その感覚が正常だろう。

メディアが大々的に取り上げるようになったから、まるで自分に関係していることのように勘違いしているのかもしれないが、あれはAKBファンでない者にはどうでもいいことのはずである() 批判する意味が分からないし、単に難癖をつけているだけである。AKBファンでない者にAKBシングルメンバー選抜の方法をああだこうだ言われる筋合いはない。

 

握手会参加券付、ということでCDの売上を伸ばしているというのも攻撃の対象らしい。(※1)

それについては、握手券単体では、風営法のからみで法律的に販売できないという事情がある。

 

握手会券にしろ投票券にしろ、買う者はそれに魅力を感じている分、自分の金でたくさん買うのだから、それをどうこう批判する意味が分からない。

中に大量のCDを買うファンがいて、それについて「たかがアイドルの…」と批判する向きもあるが、それも本人の意思に基づいてやっていることであり、たかがアイドル、たしかにたかがアイドル、いうなればたかが趣味の話だ。たかが趣味だからこそ、そこには人それぞれ、その趣味の持ち主以外にはわからぬ楽しみ、価値があるのだ。

例えば、腕時計に興味のない自分には、携帯電話で常に正確な時間が分かるのに、高額な、それこそ何百万、何千万もするような腕時計を買う感覚が全く理解できないが、それを批判するつもりもない。趣味嗜好の話だから。自分の金で自分の好きなもの、楽しいと思うものを買っているものを、他人がとやかく言う筋合いがない。

その趣味嗜好の持ち主以外には理解できないような高額な金をかけているものは、世の中にいくらでもいる。

釣り道具、将棋の高級な駒、宝石、切手の収集、…。

たかがアイドル、全くおっしゃる通りである。

しかし、たかがアイドルであれ、そこから元気なり楽しみなりを得ているぶん、金をかけているだけの話であって、好きなものに、好きなぶんだけの時間なり金なりをかけている…どこの世界にもあること。何故、AKBだけを批判するのか?それは、前述したように、AKBが(CDの販売の仕方は前例はあるが)システムとして新しいことをやっていて、それが爆発的に売れていることが、それまでのジョーシキに土着したい人間達、出る杭は打ちたい、ひがみ根性丸出しの人間達には気に入らない、ということだ。

 

「たかがアイドル」に自分の金をかけて楽しむ、何がいけないのだろうか。

陰湿で異常な行為は、「たかがアイドル」を批判するために、好きでもないはずのアイドルのあれこれの情報を収集し、ネットで批判し、また、そのファンを見下す言動をとって税にいっていることである。

また最近では、あることないこと、若い少女達を傷つけることも何のその、中にはメンバーの身内のスキャンダルまで書きたて、人気絶頂のAKBを叩くことで売上を伸ばそうというあこぎな週刊誌等マスコミが多い。

「AKB商法」が何をいわんとしているかは不明だが、仮にAKBの運営をそう呼ぶのであれば、いろいろ変わったものがあるにしろなんにしても、AKBの商品、サービスを提供し、それに魅力を感じるファンが感じた分だけ買い、ファンは元気なり楽しみなりをもらっている、本質的にまっとうな商売の話。

それに対しAKBを批判することで売上を伸ばそうという「AKB批判商法」は、「たかがアイドル」=趣味嗜好の次元の話に難癖つけ、それに携わる者、ファンの気分を害し他者を見下すことで税にいる傾向のある者に、その歪んだ快感を売っている、品性のないあこぎな商売である。

 

 ≪批判することで生まれる自信≫

 

大流行している、そしてアイドルという世間で低く見られているジャンルに属すること、という2つの条件が揃うことによって、もう1つ、批判が多くなる要素が生まれる。

それは…批判することで、おれは頭いいんだよというアピールができること。

流行しているものを批判することで、自分は流行に流されない、物事を批判する目を持ってるんだよというポーズができる。プラス、自分は「アイドルなどという低俗な文化」に染まる人間達よりは上等な人間だという自信も持てる。

 

AKBヲタクと、AKB批判をする人、どっちが頭よさげに見えるかと言ったら、AKB批判者だろう()

そして、これまで述べたきたように、生身と建前が混然一体となったジャンルは、ものの見方の浅い阿呆ほど大ハシャギで批判するという特徴がある。

言わば、AKBを批判することは、阿呆が頭よさげに振る舞うにはもってこいなのだ。

 

そして、AKBを批判することは、これまで述べたきたようなあれやこれやで「これはバカにしていいものだ」という共通感覚が世間にあり、多数派にまわってバカにできるという安心感がある。

 

え?

AKBは今や国民的アイドルだから、バカにする方が多数ってことはないんじゃない?

たしかに売れていてファンも多いが、いくら多いと言っても、日本人全体の割合からすれば、ファンでない人のほうが圧倒的に多いことは間違いない。

そして、ファンでない人間のかなり多くにアンチの感情を持たれている。

そういう意味で、アンチの度合いはいろいろあれど、軽いのも含めれば、ファンよりアンチのほうが多数だろう。

 

 

 

 

 

※1 握手券も売上を伸ばしている一因ではあるが、もちろん楽曲自体の魅力があるからだ。

20111月オリコンシングルチャートでは特典の付かない通常盤旧譜4枚が同時に3週連続トップ10入りを果たしている。また、「ポニーテールとシュシュ」や「ヘビーローテーション」、ベストアルバム「神曲たち」が70週以上連続でチャートインしてロングセラーとなるなど、購入特典がほぼ無力化しても売り上げを伸ばしている作品もある。」(ウィキペディア)また、「ヘビーローテーション」「会いたかった」はカラオケのロングセラーとなっている。

 

 

 


最終更新日 : 2012-09-12 23:05:27

11 根っからの“ジョーシキ”嫌いにとっては、AKBは「買い」

 自分は、子供の頃から世の「常識」や「フツー」とされていること、それが常識だからフツーだからということではそれを受け入れることをしない、という事が最大のアイデンティティだった。

子供の時分に、1番好きなものがプロレスという世間様から軽蔑されバカにされるものだったことが、その原因になったのか、逆にそういう人間だったから、世間から軽蔑されているプロレスでも好きになっていったのか。8割が前者で、2割が後者だと思う。

まわりがやってるから、自分も…というのが最もかっこ悪いことで、まわりがどう思おうが自分が好きなら好き、興味ないならない。

 

そういう人間ならば、「国民的アイドル」になってからのAKBのファンになるのはおかしいじゃないかと思われるかもしれないが、全く逆である。

そういう人間だからAKBファンになったのだ。

いや、きっかけは、流行にのっかるのが好きとか嫌いという次元とは全く関係なく、その作品の素晴らしさに気付いたのがきっかけで、ハマったのはこのグループが「人間を見せる」、汗の匂いのするアイドルだったからだが、「ジョーシキ」「フツー」が嫌いという性格が、ますますそれを加速したのだ。

 

AKBって流行りもんじゃん、と思うかもしれないが、自分が染まるのを嫌う「ジョーシキ」とは、もっと人々の意識に深く根付いているもの。

 

つまり、アイドル=実力のないもの、軽薄なもの、評価するに足りないもの、という「ジョーシキ」

いい年こいた人間が見るものではないという「ジョーシキ」

 

自分が、AKBの楽曲の歌詞が素晴らしいという話をすると「?」とか「アホか」という反応をされることが多々ある。

歌詞をいいと思うかは、人それぞれだと思うので、歌詞を認識して聴いたうえでならいろいろな感想があって当然と思うが、まあ、ろくに聴いたり歌詞を読んで認識してないのに「アホか」という反応する者は、前述した「ジョーシキ」に染まっている。

 

ある本に掲載されていた秋元康のコメントの1部を紹介する。

「アーティストっぽく見せようと必死だったり、そういうブランド感を妙に奉ったりしてるのは苦手。そういう人たちを見てると僕は何か。偽悪的な気分になってくるんだよね。お前らがそうならこっちは真逆の、ぜんっぜんカッコよくない、チャラチャラしたところから始めてやる、て(笑)。そういうのが面白いでしょ。そこで意外といいよね~って言われるのが。」

この秋元康の言葉、すんごく分かるのだ。分かるというより、自分の感覚の中心、「ジョーシキ」が嫌いな自分のアイデンティティそのものというか。
(松本人志といい、秋元康といい、自分がその作品を好きな人は、インタビューで語る言葉も、やはり感覚が近いというか、すごく分かる。ただ、アントニオ猪木のプロレスは大好き(他のレスラーとは別格と思っている)だが、彼の語る言葉はほとんど理解できない(笑))
 軽薄で「評価」に値しない(とジョーシキ的にはカテゴリされてる)アイドルというジャンルで、大人数の束もので大人気になった…というところが、世の中の“ジョーシキに染まりつつも自らはその意識はなく、逆に、流行してるものを批判することで俺は流行に流されない自分を持ってるんだよというポーズをしたい人々”にとって、AKBは最も批判して気持ちいい題材としてうつるのだろう。
 プロレスファンとして、子供の頃から“世間と闘う”ことが宿命だった自分は、大人になってからもベジタリアン(ゆるいベジタリアンだけど)になった時、AKBにハマった時も、「あ、今度はこれで世間の偏見と闘うんだな」と思ったものだ()
根っからの、ジョーシキには染まらない派の自分には、AKBは「買い」なのだ。
 

 

 


最終更新日 : 2012-10-03 21:06:17