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児童ポルノとアニメ

 デジタルコンテンツという流れから少し逸れるが、今後多くの公開物がデジタルで行われるのだから、ある程度踏まえなくてはならない。

 多くの作家がこれから、自由に開かれた市場で、利益を得ることになると思うのだが、児童ポルノがアニメという範疇にまで引っ掛かってくると、恐らくフリー作家の著作物に、犯罪の嫌疑が掛けられる可能性が非常に高いということになる。

 筆者は貴補的に、現在の出版社の大勢に、非常に懐疑的であるので、こういう書き方になってしまうが、フリーの著作物において、こういう難癖を付けることで、利益の拡散を防止する狙いがあるのでは無いか?と思う。

 勿論、あからさまに幼女の裸体を前面に押し出すのも、正直いかがなものかと思うが、しかしながら、そう連想させるだけであり、そうではないという主張があっても、嫌疑を掛けた側の一方的な、解釈により、その創作物が破綻してしまいかねない。

 表現がつまらなくなるとか、つまらなくならないトカの問題ではなくて、幻想世界における価値観設定を、情報共有を嫌った団体に、一掃されかねないという状況になっている。

 小さな利益で、生計を立て居るウチは問題無いが、それが市場を脅かすような存在になった瞬間、シャットアウトされる可能性が高いのだ。

 純文学が素晴らしく……という、文学的な価値観も解らないではないし、性的な表現ばかりに頼っている作風というのも、正直それはそれで品祖だと思うのだが、何においても、媒体の普及において、一般的に言われる、下世話な情報というのは、実に欠かせない存在なのだということを、覚えておかなくてはならない。

 日本人の産業概念において、クールジャパンという言葉が漸く出てきたことに関しては、少し進展があるのか?とも思ったのだが、なんと言うことは無い、産業界の石杖になるために、フリーのクリエイター達をただ働きさせるだけのことである。

 世界市場に向けて、世界標準の中に、日本の創作物を(勿論、実際の商品も含む)浸透させるためには、ある程度遵守させるために、そういう動きも必要ではある。

 これは、日本のサブカルチャー的なもの、全てが有害であると、世界にレッテルを貼られる可能性を防ぐために必要なのかもしれないが、そもそも、筆者が思うには、少年少女に見せるために、表現を著しく稚拙にしてよいとは思わないのである。

 

 どんどん、話が逸れていくがそれでも書く。

 最近のハリウッド映画が非常につまらないものに思えるのは筆者だけなのだろうか?正直ナインハーフは衝撃的だったし、セックスシーンも当たり前のようにあったが、其れが有害だなんて、思わなかったし、今でも思っていない。

 確かに、美女の裸や、過激な殺害シーンなどもあったが、一つの人間の異常な琴線に触れた作風などは、やはりその世界観にとって必要なのではないか?と思う。

 勿論児童ポルノではないし、大人の女性なのだから、児童ポルノには引っ掛からないのだが……。

 

 極論を言ってしまうと、要するに欲求を刺激するような映像作品を作るなと言うことらしい。確かに、弱者に対して、低敵欲求をぶつけることは、非常に危うい行動ではあるが、性癖の問題も大いにある。

 特に成熟社会において、自立性の高い女性が増える中、古い時代のように、男性に対して従順で無ければならない状況など、何一つ無くなったわけで、要するに、家長相続制の元、女性が泣き寝入りしていただけのことであり、早い女子での結婚においては16歳や15歳である。

 十分立派なロリコンである。社会を知らない女子をめとることで、男性に都合の良い教育をしており、其れが当然だっただけで、問題にならなかったと言うことのだけで、元来男性のロリコン思考というのは、現代社会の法律が強引に決めただけのことである。

 勿論、女性の成熟度を踏まえてのことであるし、晩婚化も、男性が求めるはけ口の、安定が揺らいだことも原因である。

 自由恋愛が多くなり、性が解放されると同時に、晩婚化により、安定的な性関係が崩壊したために、実は性生活というのは、非常に不安定化したのだと言って良い。

 なので、極端な性描写が、歪んだ性癖を膿んだのではなく、時代の発展が、極端な性描写を膿んだと言うだけのことで、今更これを禁じたところで、社会的な鬱憤に収まりがつくわけでは無い。

 寧ろ、「俺の嫁」などと、言わせてる方が、まだ安心なのかもしれない。

 まぁ、少女ポルノは、性癖の問題なので、その性癖が異常だという、文言については、上記したとおり、昔の女性の方が、遙かに早婚であり、四十を迎える男が、十代の女子を娶る事など、ザラにあったのが日本社会であり、女の子は色っぽく感じれば、婚姻年齢であり、親の言いつけ一つで、10歳で嫁いだりなどと、遙かに自由な社会だったことは、今更ながらの話である。

 そして、男性も、臆面も無く、おいらと結婚しよう!と、言えた時代だった……はずである。

 うむ、随分話がずれ込んだ。

 

 結論!、児ポルを創作物に適応しても、アングラに潜って陰惨になるだけの話であり、定めるのは、幼女を性奴隷にしないためのものだけで良い。

 志賀直哉の「城之崎にて……」など、文章であるが、風呂場のシーンなど、完全に14歳の少女のヌードシーンである。当時が文章主流と言うだけのことであり、十分ロリコン表現であったことは、言うまでも無い事実である……と、曲解しすぎたか?まぁ性描写はないが……。

 

以上


探してる方からしてみれば、どうでも良い話であるが……。

 電子書籍の良いところは、コストが掛からない、物理的なリスクが、可成り軽減できるといったところでありますが、敷居が低いと言うことは、要するに乱立しやすいと言う所である。

 何が一番悪いのかというと、ボリュームが解らない……っていうのも、取っつきにくい要因である。

 すでに著名な作品ならば、信用もあるし、読みたかったが本棚を圧迫したくない人や、絶版になってしまった作品のリバイバルなども期待出来る訳で、これが一つの魅力なのだと思う。

 新規作家にとって優しい場所にすべきかどうかということなのだが、これは自由を取るか、利便性を取るかによる。

 利便性というのは、出版社による宣伝に期待すると言うことで、宣伝された作品は、出版社に認められた恥じない作品である。

 

 ここまで、出版社に対して辛口なコメントを言ってきた筆者でありますが、否定文言ばかり書いても仕方が無いので、否定しないように頑張ります。

 

 当然、この利便性を得るためには、応募からの勝ち抜きや、持ち込みによる、担当との話し合いになるのだろうが、小説関連においては、応募が多いし、何億という作品が仮にひしめき合った場合、そこから賞に選ばれるのは、一作で、残り数作は佳作ということに成り、表舞台に立つのは、0.2%にも満たないわけでして、他の方法論となると、有名人になり、ネームバリューを得るか?という所になる。

 宣伝力があり、作品の内容にかかわらず、商業的利益が見込める本と言うことになる。

 勿論商業なので、当然の結果なのだが、この利益構造は、クリエイターにとっては、あまり良い環境ではない。

 

 アマゾンなら、きっと見つけてくれるかもしれないという期待感が、作家側にはある。

 一度有名になれば、寧ろ出版社は、必要無くなるんじゃ無いか?と思う。勿論メリットは、著作権に関する部分もあるため、自己管理をしなくても良いというメリットがある。

 逆を言えば、多くの作品は、絶えず著作権侵害の危険にさらされていると言うことになる。

 

 本を探している側にとっては、どうでもよい事なのであるが、電子出版の裾の尾が今一広がらないのは、実は販売ルートの方法論が、あまり変化していない身体と思う。

 

 フリー作家で、自由なんのもいいが、実はこれが、出版物の販売低下を齎している要因でもある。

 無料の作品なら、少々ミスがあっても、責任追及に問われないし、読んで面白ければ御の字なのである。実は、当選から漏れた多くの作品が、こういう現状に置かれている。

 どうせ、利益にならない作品なのだから、フリーで公開してみようと。

 一見宣伝にもなるように思えるのだが、多くは、フリーだから目を通してくれるが、お金がかかれば、残念だが、次の新しい作品を探そうとなる。

 本屋に行けば、本を購入するのが当たり前で、お金を出すのが当たり前なのだが、本来この、金を出すという当然の行為が、デジタルでは崩壊している。

 デジタル産業がお金にならない要因の一つになっている。

 極論を言えば、作品を書くに至って、値段を付けるのが当たり前になり、その代わり、価格は百円以上にしないとか、フリーの低価格流通を、当たり前にしなければならないと思う。

 でなければ、売れるべきデジタル書籍に、その価値が付けられない。

 フリーで面白い作品が幾らでも転がっている現状において、少々の作品に対して、金を出すだろうか?と言うことになる。ただ、この少々面白いというのは、可成り読者の主観的な部分であり、要するに探せばある現状が蔓延しているという事である。

 写真集で言えば、アイドル本も良いが、インターネットで検索すれば、自分の愛でたいタイプの女性の画像が、検索されて、探せる間の、満足感も得られる。

 実は、この不自由感と満足度どちうのは、可成り密接な関係があり、つまり、達成度となるのであるが、昔はかかっていたコストが今は掛からないということになる。

 今、アイドル年間というものに、どれだけの価値があるのだろうか?となる。

 ウィキペディアで、個人の活動が閲覧出来、画像も閲覧出来て、どういう人物だったか確認出来る。

 とまぁ、全ての情報がこれくらいに、無価値にされてしまっており、敢えて専門の情報を購入する必要がなくなっている。

 

 だから、構造的にはこうする。

 まず、全ての著作物に関しては、登録された、出版社に預ける。

 預けられた作品は、基本的に全て公開され、公開される。

 公開された作品は、正しく著作権管理され、模倣作品に関しては、全て個人に責任を負って貰う。

 出版社は飽くまで、公開する場所を提供しているに過ぎない。

 公開したい昨夏からは、ある程度管理料を払って貰う。

 当然、作家の登録を正しく行う事を前提とする。

 上記のために、日本作家協会などの創設を行い、作家登録をしてもらい、その作家が現在どこの出版社と契約状態にあるか?ということを、明確にする。

 作家とその作品群は、結びつけられ、契約出版社の利益とする。

 出版社を移れば、作品群事の移動となる。

 管理料により、販売できる作品の価格設定を決めることが出来る。

 今は、ブログ感覚で、作品を公開している人も多いが、これは要するに作品の囲い込みの問題である。

 

 作家を逃したくなければ、出版社は作家と上位契約を結べば良いし、どうでも良いなら、移籍を認めても良い、フリーエージェント制にする。

 これを行うには、当然作品を包括的にアーカイブするためのサーバーが必要であり、作家は当然これに対して、管理費を払わなければならないが、現状のレンタルサーバーの事を考えれば、数ギガで一千二百円程度の管理となるだろう。

 全ての、作品群は、此処に記録され、作家と出版社は、そのサーバーを介して契約することになる。

 これは、日本市場全体の管理と囲い込みの話であり、一つの改革案ともいえる。

 アーカイブされたデーターには日付が記録されるのだから、これは類似作品に対する防衛策になる。日本のデジタル著作物の保護にもつながる。

 今の各企業の小さな争いから一歩抜けだし、日本保護の一案件である。

 

 探している方からすれば、どうでも良い話である。

 

 クールジャパンといっておきながら、売る事しか表現しない、このプロジェクトは正直なんなのだろうかと思う。

 結局、これは、日本製品の技術を、隣国にばらまき、競争力低下を起こした手法と、殆ど変化が見られず、ただ単に、その作品は素晴らしいね!と、それだけの結果に甘んじてしまう。

 

 現在の手法は、結局多くの作品群から、一つの作品を、一部の人間が評価しているにしかすぎず、どれだけ多くの人材を開花させるか?という事につながっていない。

 筆者の知っている本の虫は、やはり、一日に何冊も購入しているし、クローゼットにしまい込まれた洋服のように、本を山積みにしている。

 電子書籍は、その解放といってよい。がだ、行われている事は、旧作のリバイバルに止まっている。

 過去にも書いたが、物理出版は、よりクオリティの高いコレクションとしての、物理資産となるべきであり、物理媒体の代替えが電子書籍となっていい訳ではない。

 当然、利便性という観点から、其れはある意味、当然なのかもしれないが、物理媒体の補完とするのは、正直発展性を感じない。

 これは、多くの商業的チャンスを如何に与えて、尚且つその囲い込みを行うのが誰なのか?という事であり、包括的には、日本という国である。

 アメリカならアマゾン、日本なら楽天、しかし、言語の壁を越えて、非常にスマートさを感じるのは、間違い無くアマゾンである。アマゾン=世界の構図。

 最早、アマゾンで売れない物はない状況になりつつある中、どれだけの事が出来るかは、解らないが、少なくとも著作権の保護という観点では、アマゾンは、まだまだ無責任である。

 其れに、電磁たるコンテンツは、費用が掛からないため、一円でもアマゾンに貢献してくれれば其れで良い状況になっている。

 要するに、アマゾンに登録するよりも、より権利とチャンスを得られるのは?という観点を、確り捉えると、無秩序にアマゾン⇔作家の、構図は減らす事が出来るし、出版社の利益にもなる。

 作家が、出版社に登録したくなる構図を作る必要性と、登録された作品には、必ず金額を設定する権利と義務があることを、常識とし、また、一定価格以下の作品と、出版社との上位契約以外の作品の管理は自己管理とする。

 その上で、アマチュア作品に対する、大らかを、読者に持ってもらい、作品の修正を行わせて貰う。

 上位契約は、編集者が付き、作品のフリーエージェントは許されない契約にする。より、クオリティの高い作品に、仕上がる権利を得ることが出来るというわけだ。

 多くの作品が日の目を見ることが出来るし、販売にもつながる。

 現状の選定方y方は、利益を得るために、楽をしすぎているし、絞り込みにより、多くのビジネスチャンスが潰されている。

 潰されたチャンスの多くは、利益にもならず、宙に浮いている状態である。それが、無価値に蔓延しているため、更に得られる利益を圧迫している。

 制作サイドも、利益が得られれば良いのは、当然である。加えて、大体の人が、一生に一度、一つくらいは良い作品を生み出せる能力を持っている。実はなにより、やってみようかな?という気概が一番で、作業環境においては、一部の文豪だけに、与えられた特権では無いということである。

 

 一億人総作家時代と言うことは、まさにそういうことなのである。


電子書籍サイト乱立

2013/07/04

 

 電子書籍サイト乱立という記事を見た。ある意味、案の定といえば、案の定の結果である。では、何処が良いのか?という結論に至るならば、本来ならば、出版社サイトとなるのだろう。

 現在の日本の電子書籍の発展は、非常に現在の出版社に気を遣った方向で、進んでいる。

 これが良いのか悪いのか?というベクトルだけを考えると、正直あまり好ましいとは言えない。言えないとは、制作サイドにとって、あまり明るい材料ではないからだが……。

 青空文庫などを見れば、何れ著作権の切れた読み物は無料になっているし、そうした「職人」と呼ばれる人達の活動は非常に貴重である。

 青空文庫は、内容は様々であるが、一つの方向として、もう確立されているが、書籍販売をしている多くのサイトは、未だに混迷から抜け出せないでいる。

 最終的には、どのサイトにも、書籍の内容に対する決定打は無くなるのは、当たり前の話で、結局一番見やすいサイトが販売網を広げることにある。

 だとしたら、間違い無くアマゾンである。

 今後、欲しい系統の書籍を探すことになる。今では、ジャンルはもとより出版先や、作家別に探すことが多かったが、そう言った者とは、全く違う検索方向が、よりデジタルに、より直結して検索出来るようになる。

 EPUBの制作ツールもより、レベルの高いものも出てくるだろうし、同人レベル(決して低いという意味では無く、大手では内という意味)ならば、百円程度で販売する事も当たり前になってくる。

 こう言った作品は、洗練された編集が入らない分非常に自由度の高い作品が多く、縛られない発想で製作されるため、売るために作られたものではなく、よりコアなファンを引きつけやすくなるのではないか?と思う。

 よく、出版社のカラーというが、恐らくそういう流れは今後通用しなくなる。

 出版社サイトでは、探せない作品があり、贔屓無く検索出来るポータルサイトの方が、より高い自由度で検索出来る。

 何度も書くが検索しやすい、サイトが尤も、顧客を引きつける構図は、媒体が何であろうと変わりが無いということである。結局一番売れると思われるアマゾンに、幾分かマージンを払う形で、出版物が成り立つ形になる。

 物理的な書店が潰れるとは言わないが、街の書店の殆どは、虫の息である。

 点数が多くなると、物理的にでなくとも、こういった結果は間違い無く発生擦る。何が何だか解らない。

 なので、欲しい商品以上に、無関係な情報が出てくるサイトや、やたらけばけばしい広告が乱立するサイトは、今後電子出版において(いや、ほぼ大体の共通点か?)は、結局蔵書点数が多くても、立ち寄らなくなる。

 日本の書籍であるにもかかわらず、日本の販売網は負ける。もうほぼその流れになりつつある。

 日本語で書かれた書籍で、日本人が購入するのにもかかわらず、販売網は日本人が運営していないという、何とも悲惨な結果だ。

 

 ただでさえ、個人的な見解ばかりを並べているが、アマゾンの対抗馬として楽天が上げられているが、筆者はそうではなく、どちらかというと価格comが、尤も包括的に有利では無いのか?と思う。

 なにせ、このサイトは、アマゾンさえ、価格比較の対象として絞り込んでいるので、非常に便利なのである。

 乱立する電子書籍サイトの纏め上げとしては、恐らく良いヒントになるのではないかな?などと思っていたりします。

 

 其れと思う事。

 アマゾンにレビューを書く人が多い。これは仕方が無い。

 ただ、現在のレビューというのは、無償で書き込んでいる。そして、皆が貴重な情報を持ち寄っている。良いシステムなのだが、一般レビュワーも、レビューを書くことで、収入を得ても良いのでは?と思うのである。

 勿論、レビューを書くために、書籍を購入しなければ成らないが、購入者はレビュワーとし、また個人書店のように、電子書籍を販売できるようにすれば、一つの活路となるのではないか?と思う。

 今のアフィリエイトという形は、優秀であるが、購入経験も無く、利益のために情報をばらまいている無責任感がないでもない。

 こういうものとSNSが組み合わさることで、停滞しがちなSNS業界にも一つ目的が出来るし、一つの新しいジャンルになるのではないかなーと、思ったりしています。

 こういうのは、インディーズバンドが、ライブハウスで活動しているのと、近い感覚が無いでもないです。

 

 クリエイターは只で貢献しろ!みたいな、クールジャパンよりも、如何に多くの作家が、少しでも収入を得るための手段を生み出し、購入サイドが如何に沢山の作品に触れるための機会を作るか?ということの方が、より濃密なものを作り出せるような気がしないでもないですが……。

 

 今日はこのあたりで。

 


奥付

 

デジタルコンテンツとしての、文庫

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最終更新日 : 2012-08-11 15:06:17

この本の内容は以上です。


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