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電子書籍ハードの売れ行き鈍化

 タイトルの記事をどこかで読んだ。

 これはアメリカの話だったかな。数日前の話である。

 このタイトルから見れば、電子書籍ブームが過ぎたのか?という錯覚と、そもそも電子書籍なんてブームなんてないとコメントしている人もいるが、そもそも日本での電子書籍に関しての動向が今一であるのは、出版関係が二の足を踏んでいる状況がそうさせているのである

 其れに加えて、ペーパレス、直販であるにもかかわらず、大して安くないケースや、IDでハードウェアに固定してしまうことが、屡々有るということ。

 これじゃぁ着メロと同じですよね。音楽を購入しているつもりなのに、ハードウェアが変わると、着メロを取り直さなければならない。また同じだけの料金を払わなければならない。

 こんな物に対して、誰もお金を払いたがる訳が無い。

 という話と、このタイトルは少し違う。

 電子書籍端末は、其れほど流行に流されて買い換える必要性の無い端末であると言うことである。ある程度気に入った端末が一つあれば、其れを持ち続ければ良いだけの話であり、更に加えて言えば、マルチメディア端末(タブレットや、スマートフォン)があれば、敢えて電子書籍専用端末を持つ必要性がないということである。

 あえて、ハードウェアを幾つも持ち歩く必要性がないのに、専用端末を態々持ち歩く必要など無いのである。

 もし必要性があるのだとすれば、スマートフォンやタブレットのバッテリーが、一日二日程度しか保たないと言うことである。しかしながら、これとて、オフィスや自宅で、充電出来る場所があれば、其れほど苦になることでは無いし、車に乗っている人間であれば、移動中に充電していれば良いのである。

 特にアメリカなどは車社会なので、こういう場面では日本より遙かに多い。ホテルでは電源を使えば良い。

 現在のスマートフォンであれば電子書籍だけのことを考えれば、一日くらいは楽に保つし、先ほど発売されたIGZOディスプレイ端末であれば、更にディスプレイの省エネ化が進んで、より保つ……だろう。

 残念ながら、筆者はこの時点で、アクオスフォンに買い換えたばかりなので、IGZOディスプレイ端末を入手するのは、もう少し先の話になる。

 それでも、以前のIS03から比べれば、一日普通に使う程度ならばバッテリーは70%程のこっているし、何だかんだと触っていても50%は残っている。大したものだ。

 話が逸れた。

 動的な処理が少ない、電子書籍において、CPUも其れほど多く使用することは無いだろうし、要するに其れほどのスペックを要求する必要もない。だから、これは当然なのである。

 寧ろ、電子書籍を読める環境というのを、如何に多くの人間が手にしているのか?ということが重要であり、そのフォーマットが如何に柔軟に受け入れられているのか?ということが、大事なのである。

 PDFは少々かさばる部分もあるが、それでも、現在のSDカードの容量から比べれば大したことは無いし、クラウドに置いてしまえば、本体容量を気にする必要は無い。

 日本国内においては、yahooプレミアム会員であれば50GBのネットドライブを入手することが出来るし、最近では自宅サーバーを構築することも、さほど難しい事では無い。

 尤も、上気したように、ハードウェアとソフトウェアの固定をされてしまうと、折角の電子書籍も、半分死に体となるだろう。

 とまぁ、タイトル関してなのだが、少々悪意を感じる記事を見つけたので、少し此処で書いた。

 記事の発信元が何処なのか?というのは、此処では書かない。

 よく、ソースファイルはどこなのか?と訊ねられることもあるのだが、日本は本当に電子書籍化を進める木があるのか?というのを、考えた上での一筆である。

 

 で、どうやら、電子書籍の囲い込みに関しても、日本はリードできないままに負けてしまいそうであり、何を探しても、アマゾンで探した方が早いという状況を作られてしまうと、各出版社のサイトを訪れること無く、アマゾンに利益を吸い上げられるだろうし、フリーの作家もそういった流れに乗らざるを得なくなるだろう。

 

 どの出版社であっても、フリーであっても、国内で頑張っている作家のために、国内であれば、国内のサイトで探す気になれるような、筋の一本通ったデータベースを作って貰いたい。

 その上で、出版社発なのか、個人出版の物なのかという、棲み分けを行いつつ、良い作品を多くの人に拾い上げて貰ってゆけばと思う。

 

 今はうちの賞に受かりたければ……うちで出版したければ……という、そういう囲い込みなのだが、そろそろ、出版社が、血眼になって、フリーの作品をドラフトのように、探し回らなければならない時代になった方が、何となく面白いんじゃないかな?と、ふと思った瞬間でもある。

 これは、この記事を書いている最中に思った、他愛も無い発想だ。

 

 こういうサイトを構築しても面白いなと思う。

 

 余談もほどほどに、今回はこのあたりで。


人気作品の映画化

2013/03/02

 

 先日、某番組で、人気作家の実写か荷対するロイヤリティに関して、大きな物議が醸し出された。

 その真意のほどは解らないが……。

 普通、その作品に関わる印税というものは、販売されればその分だけ還元されるべきなのである。これは当然であり、どの製品に対しても行われている当たり前の還元なのである。

 尤も日本の場合は相変わらず、特許に対する個人への還元を行わず、企業の内部留保に変えたがるが、結局こういう事をしているから、優秀な開発者が、すぐによその国へ行ってしまうのだということになる。

 日本の作品は、基本著作権に守られているようだが、実際は、出版社東都契約をしていなければ、殆どその著作が守られる可能性がないという事になる。

 浅いながらも色々調べて居るのだが、これだけデジタル化されているにもかかわらず、その作品に対するデジタル登録による、著作の保護が全く成されていない現状があり、このあたりはもう一元的に、データバンクしていくべきでは無いのか?とおも思う。

 公開しないまでも、自分の著作物は、レンタルサーバーなどに、アップしておく必要は有る。

 アップされた情報に関しては、必ず何時どの時点でアップロードされたのか?という、情報が付加されるからである。

 とまぁ、某作品に関して、大変横道に逸れてしまったのだが、要するにこれが日本のクリエイターに対する、現状の扱いと言える。クリエイターとは、作家でもあり、作曲家であったり、そういう分野の人達をひとくくりにしてしまっているが、多くの人に利益を還元してもらえる仕組みになればと思う。

 兎に角、横暴なのである。

 勿論多大な宣伝費などが掛かっているため、其れほど沢山の利益を還元されるわけでは無いのかもしれないが、クリエイターは、作品管理を販売元に管理させすぎてはいけないと言うことであり、自分の作品をどうにかしたいという話が合った場合に、どれだけの割合で売れれば、どれほどの利益を還元してもらえるのか?という事を確りと考えてもらいたい。

 其れに怒りを覚えた作家達は、やはり、メディアに対する提供や、独立といった形を取っている。

 兎に角、クリエイターが作品の提供において、まず解放するのは、一次利用のみとし、二次利用意向に関しては随時契約とし、その都度じっくり考えていくべきである。

 メディアでよく見ている、チョ尺兼保護のために動いている作家は、それなりに考えて居るのかもしれないが、メディアに煽動されている作家は、どうも本当の意味で、個人の権利保護のために動いているようには見えず、寧ろ本当の意味で、自分達の権利保護に対して、全く無知なんじゃ無いか?と思えてしまうほどである。

 特に、売れている作家というのは、気にする必要もなく売れているのだから、気にする必要が無いのである。寧ろ多くの作家が、多くの権利を得るために、彼等はどれだけ動いているのか?と思う。

 よくよく考えて欲しいが、ある日突然ヒットしてしまったら、舞い上がってしまうのである。

 売れた実感に乗せられて、創作活動にしか打ち込んでいないクリエイターを、正しく守ってやっているのか?とい疑問がある。尤も、無知であるままが言い訳ではなく、そう言った部分の自己責任も当然ある訳なのだが……。

 というわけで、日本の著作物が、どうもクリエイターに還元されにくい仕組みになっているのは、やっぱり作り手側の無知さ加減にも寄るところなのだろうな?と思う。

 で、結局アマゾンなどに、そういう仕組みを奪われてしまい、多くのクリエイターは、作品の保護を受けないままに、多くの作品を世間に垂れ流している現状にになっており、近い将来多くの作品が無断に二次利用、あるいは悪意のある利用により、その権利を失ってしまうのだろうなということに、酷い危惧を覚えているのである。

 

 筆者は思うが、そろそろ作品データバンクが必要なのではないか?と思う。


還元されない作品へのリスペクト

2013/03/02

 

 先日、某番組で、人気作家の実写か荷対するロイヤリティに関して、大きな物議が醸し出された。

 その真意のほどは解らないが……。

 普通、その作品に関わる印税というものは、販売されればその分だけ還元されるべきなのである。これは当然であり、どの製品に対しても行われている当たり前の還元なのである。

 尤も日本の場合は相変わらず、特許に対する個人への還元を行わず、企業の内部留保に変えたがるが、結局こういう事をしているから、優秀な開発者が、すぐによその国へ行ってしまうのだということになる。

 日本の作品は、基本著作権に守られているようだが、実際は、出版社東都契約をしていなければ、殆どその著作が守られる可能性がないという事になる。

 浅いながらも色々調べて居るのだが、これだけデジタル化されているにもかかわらず、その作品に対するデジタル登録による、著作の保護が全く成されていない現状があり、このあたりはもう一元的に、データバンクしていくべきでは無いのか?とおも思う。

 公開しないまでも、自分の著作物は、レンタルサーバーなどに、アップしておく必要は有る。

 アップされた情報に関しては、必ず何時どの時点でアップロードされたのか?という、情報が付加されるからである。

 とまぁ、某作品に関して、大変横道に逸れてしまったのだが、要するにこれが日本のクリエイターに対する、現状の扱いと言える。クリエイターとは、作家でもあり、作曲家であったり、そういう分野の人達をひとくくりにしてしまっているが、多くの人に利益を還元してもらえる仕組みになればと思う。

 兎に角、横暴なのである。

 勿論多大な宣伝費などが掛かっているため、其れほど沢山の利益を還元されるわけでは無いのかもしれないが、クリエイターは、作品管理を販売元に管理させすぎてはいけないと言うことであり、自分の作品をどうにかしたいという話が合った場合に、どれだけの割合で売れれば、どれほどの利益を還元してもらえるのか?という事を確りと考えてもらいたい。

 其れに怒りを覚えた作家達は、やはり、メディアに対する提供や、独立といった形を取っている。

 兎に角、クリエイターが作品の提供において、まず解放するのは、一次利用のみとし、二次利用意向に関しては随時契約とし、その都度じっくり考えていくべきである。

 メディアでよく見ている、著作権保護のために動いている作家は、それなりに考えて居るのかもしれないが、メディアに煽動されている作家は、どうも本当の意味で、個人の権利保護のために動いているようには見えず、寧ろ本当の意味で、自分達の権利保護に対して、全く無知なんじゃ無いか?と思えてしまうほどである。

 特に、売れている作家というのは、気にする必要もなく売れているのだから、気にする必要が無いのである。寧ろ多くの作家が、多くの権利を得るために、彼等はどれだけ動いているのか?と思う。

 よくよく考えて欲しいが、ある日突然ヒットしてしまったら、舞い上がってしまうのである。

 売れた実感に乗せられて、創作活動にしか打ち込んでいないクリエイターを、正しく守ってやっているのか?とい疑問がある。尤も、無知であるままが言い訳ではなく、そう言った部分の自己責任も当然ある訳なのだが……。

 というわけで、日本の著作物が、どうもクリエイターに還元されにくい仕組みになっているのは、やっぱり作り手側の無知さ加減にも寄るところなのだろうな?と思う。

 で、結局アマゾンなどに、そういう仕組みを奪われてしまい、多くのクリエイターは、作品の保護を受けないままに、多くの作品を世間に垂れ流している現状にになっており、近い将来多くの作品が無断に二次利用、あるいは悪意のある利用により、その権利を失ってしまうのだろうなということに、酷い危惧を覚えているのである。

 

 筆者は思うが、そろそろ作品データバンクが必要なのではないか?と思う。


契約時にあってほしい契約内容

2013/05/09

 

 これは、デジタル……と、本書の内容とは少しずれるが、著作権との関係で、少々書くことにする。

 実は、出版社と契約する際に、出版権のトラブルを起こさないために、多数の契約条項が書かれているのは、誰もがご存じであり、その多くが、クリエイターや、創作活動の、阻害になっていることが多い。

 勿論、売るということは、利益を得ることなので、その利益を逃さないための、手段なのだが、実は可成り欠損部分が相当に多いようなきがする。

 それは、掲載雑誌の廃刊や休刊、および出版社の倒産における、契約解除の内容である。

 要するに、出版社に帰属するとは書いているが、雑誌が廃刊になった場合や、出版社そのものが、倒産してしまった場合、素直に版権を、著作者に返還する契約事項である。

 勿論、廃刊休刊による、処遇というのは、出版社が倒産した訳ではなく、販売のチャンスもあるし、姉妹誌に掲載することもあるので、救済される可能性はあるが、版権を抱えたまま、休眠、倒産した場合、版権の譲渡は、作家には無く、出版社に帰属するため、作品を引き上げる事も出来ない。

 そんなケースも存在する。勿論全てがそうではなく、うちは確りしてますよ!という所もあるだろうが、その当たり確り確認したいところである。

 筆者が尤も危惧する部分は、ある程度宣伝力のある作家は良いのだが、新参の作家クリエイターには、あまり多くの選択肢があるわけでは無く、理解した苦渋の選択を強いられる事もあるだろう。

 特に受賞作品にとなると、当選するために、作品を書いたのだから、当然掲載されたくないわけが無い。

 勿論企業は、倒産することなど考えるものではないが、可能性は否めない。世の中何があるのか解らないのだ。其れは、誰にでも起こりうる事であり、例外はない。

 勿論、順調な経営を行っているならば、そんな急転直下の物語など、そうそう起こりうるはずもないのだが……。

 

 これは一つ、作家やクリエイターに対する、誠実な契約内容になるのだと思う。

 

 当社が倒産および、経営不能となった場合、作品の版権等は、作家に変換するものとする。ただし、販売及び生産済みのアイテムに関しては、これに含まれないものとする。

 

 蒸気のような一文は、提案として、どうだろか?と思う。

 実際契約内容に書かれている、所もあるだろうが、特に初めての契約に至る場合、浮かれすぎて、作品の版権全ての放棄に近いような、契約でないかどうかというのを、じっくりと考える必要があると思われる。

 


児童ポルノとアニメ

 デジタルコンテンツという流れから少し逸れるが、今後多くの公開物がデジタルで行われるのだから、ある程度踏まえなくてはならない。

 多くの作家がこれから、自由に開かれた市場で、利益を得ることになると思うのだが、児童ポルノがアニメという範疇にまで引っ掛かってくると、恐らくフリー作家の著作物に、犯罪の嫌疑が掛けられる可能性が非常に高いということになる。

 筆者は貴補的に、現在の出版社の大勢に、非常に懐疑的であるので、こういう書き方になってしまうが、フリーの著作物において、こういう難癖を付けることで、利益の拡散を防止する狙いがあるのでは無いか?と思う。

 勿論、あからさまに幼女の裸体を前面に押し出すのも、正直いかがなものかと思うが、しかしながら、そう連想させるだけであり、そうではないという主張があっても、嫌疑を掛けた側の一方的な、解釈により、その創作物が破綻してしまいかねない。

 表現がつまらなくなるとか、つまらなくならないトカの問題ではなくて、幻想世界における価値観設定を、情報共有を嫌った団体に、一掃されかねないという状況になっている。

 小さな利益で、生計を立て居るウチは問題無いが、それが市場を脅かすような存在になった瞬間、シャットアウトされる可能性が高いのだ。

 純文学が素晴らしく……という、文学的な価値観も解らないではないし、性的な表現ばかりに頼っている作風というのも、正直それはそれで品祖だと思うのだが、何においても、媒体の普及において、一般的に言われる、下世話な情報というのは、実に欠かせない存在なのだということを、覚えておかなくてはならない。

 日本人の産業概念において、クールジャパンという言葉が漸く出てきたことに関しては、少し進展があるのか?とも思ったのだが、なんと言うことは無い、産業界の石杖になるために、フリーのクリエイター達をただ働きさせるだけのことである。

 世界市場に向けて、世界標準の中に、日本の創作物を(勿論、実際の商品も含む)浸透させるためには、ある程度遵守させるために、そういう動きも必要ではある。

 これは、日本のサブカルチャー的なもの、全てが有害であると、世界にレッテルを貼られる可能性を防ぐために必要なのかもしれないが、そもそも、筆者が思うには、少年少女に見せるために、表現を著しく稚拙にしてよいとは思わないのである。

 

 どんどん、話が逸れていくがそれでも書く。

 最近のハリウッド映画が非常につまらないものに思えるのは筆者だけなのだろうか?正直ナインハーフは衝撃的だったし、セックスシーンも当たり前のようにあったが、其れが有害だなんて、思わなかったし、今でも思っていない。

 確かに、美女の裸や、過激な殺害シーンなどもあったが、一つの人間の異常な琴線に触れた作風などは、やはりその世界観にとって必要なのではないか?と思う。

 勿論児童ポルノではないし、大人の女性なのだから、児童ポルノには引っ掛からないのだが……。

 

 極論を言ってしまうと、要するに欲求を刺激するような映像作品を作るなと言うことらしい。確かに、弱者に対して、低敵欲求をぶつけることは、非常に危うい行動ではあるが、性癖の問題も大いにある。

 特に成熟社会において、自立性の高い女性が増える中、古い時代のように、男性に対して従順で無ければならない状況など、何一つ無くなったわけで、要するに、家長相続制の元、女性が泣き寝入りしていただけのことであり、早い女子での結婚においては16歳や15歳である。

 十分立派なロリコンである。社会を知らない女子をめとることで、男性に都合の良い教育をしており、其れが当然だっただけで、問題にならなかったと言うことのだけで、元来男性のロリコン思考というのは、現代社会の法律が強引に決めただけのことである。

 勿論、女性の成熟度を踏まえてのことであるし、晩婚化も、男性が求めるはけ口の、安定が揺らいだことも原因である。

 自由恋愛が多くなり、性が解放されると同時に、晩婚化により、安定的な性関係が崩壊したために、実は性生活というのは、非常に不安定化したのだと言って良い。

 なので、極端な性描写が、歪んだ性癖を膿んだのではなく、時代の発展が、極端な性描写を膿んだと言うだけのことで、今更これを禁じたところで、社会的な鬱憤に収まりがつくわけでは無い。

 寧ろ、「俺の嫁」などと、言わせてる方が、まだ安心なのかもしれない。

 まぁ、少女ポルノは、性癖の問題なので、その性癖が異常だという、文言については、上記したとおり、昔の女性の方が、遙かに早婚であり、四十を迎える男が、十代の女子を娶る事など、ザラにあったのが日本社会であり、女の子は色っぽく感じれば、婚姻年齢であり、親の言いつけ一つで、10歳で嫁いだりなどと、遙かに自由な社会だったことは、今更ながらの話である。

 そして、男性も、臆面も無く、おいらと結婚しよう!と、言えた時代だった……はずである。

 うむ、随分話がずれ込んだ。

 

 結論!、児ポルを創作物に適応しても、アングラに潜って陰惨になるだけの話であり、定めるのは、幼女を性奴隷にしないためのものだけで良い。

 志賀直哉の「城之崎にて……」など、文章であるが、風呂場のシーンなど、完全に14歳の少女のヌードシーンである。当時が文章主流と言うだけのことであり、十分ロリコン表現であったことは、言うまでも無い事実である……と、曲解しすぎたか?まぁ性描写はないが……。

 

以上



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