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価値観の変貌

 重複して記述することになると思います。

 やはり紙である必要がある。書籍において、書籍を愛する人にとって、それはとても重要なことだと思います。しかし、書籍そのものは、作家において決して広い門戸とは言えません。

 寧ろ様々な可能性に対して閉鎖的な存在であります。

 出版社も、応募の際には、ブログの記載に関して寛容になったり、電子文書においての応募を可能にしたりと、可成り柔軟な姿勢を見せておりますが、販売ルートとしての出版社は、相変わらず同じ手法をとっており、結局同じアイレベルで、出版物をとらえております。

 著者は、デジタルコンテンツにおける、電子書籍というものにおいて、様々なギミックを懲らすことが一つのベクトルであるとするならば、より多くの作品が利益を得うるための、ルートだとも考えております。

 どちらかというと、こちらのベクトルでの志向が強く、デジタルコンテンツならでは!という特殊性は、あまり考慮しておりません。

 それはまた、新たな視点からの、ビジネスだと捉えております。

 

 では、紙面における書籍に対して、どういう風に思っているか?と申しますと、紙面になる価値のある書籍が、ペーパーコンテンツになるという、より高い地位の確立を目指すべきだと思っているのです。

 つまり、ベストセラーだからこそ、ペーパーコンテンツになると……。これは一つのステータスですね。

 今は、アニメ化が決定されることで、ライトノベルなどは、その地位を確立しているように思えますが、書籍化決定!なるような流れになれば、面白いですね。

 多くの電子出版物から、出版社がいかに上手に、ペーパーコンテンツへと昇格するか?という、事です。

 それまでは消費の少ないデジタルコンテンツで良いのではないか?と思っています。

 今のペーパーコンテンツである、書籍。特に述べる関係に話を絞るのですが、面白いからアニメ化にするというパターンと、アニメ化できそうだから、コンテンツになるパターンとありますが、書籍としての偏重傾向は、いかがなものかと思います。

 書籍が書籍であるが故のステータスが、紙面媒体だという流れになれば、それは一つの時代の変革ではないかなと、考えるところであります。

 


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最終更新日 : 2012-07-07 23:45:26

価値観の歪曲。映像化と書籍化。

 過去の名作を映像化するという、方向はよく有る話だと思います。

 作品に憧れ、是非映像化したい!と情熱を持っている人たちも多いはずですが、それは決して映像化されることを願って生まれ出された作品ではないということです。

 いかに世界観を表現してゆくか?という事に苦心し、漸く生まれ出るのですが、世界観を打ち壊された作品も数多くあるでしょう。プレビューなどで、燦々たる結果を書き綴られた作品もありますし、人気俳優に支えられ、それだけのタメの映像作品となったものも、数多くあります。

 それだけ、世界観の再現というのは、大変難しいのであります。

 作家そのものの慣習がある場合は、ある程度その再現は可能でしょうが、再現したものが必ず素晴らしい作品となるかは、その人のセンス次第であります。

 それで、こういうチョイスが生まれます。

 映像にしやすい作品像。受けやすい作品やキャラクター。コスト削減に大きく貢献してくれますし、サブカルチャーに発展しやすい作品などは、別の収入源も考えられます。

 商用化という意味では、確かに重要だと思われますが、それを見込んだ作品の制作は、確かにプロの作品では有りますが、作家の個性を遺憾なく発揮出来ているのか?と、疑問に思います。

 このベクトルが全てだとは思いませんし、面白い作品は本当に面白いと思います。

 あくまでそういう、思考方法が存在しているということであり、どこに作品の売りを求めているのか?作家の意図がどこにあるのか?と、そんな位置づけで有ります。

 でですね。

 ここに、プロの審査員の指標が入ってしまうとですね、自ずとその人の気に入った作品が、販売傾向にあり、勿論出版社によって、傾向は異なるでしょうが、結局狙えない作品は、一円たりとも収益を上げることが出来ないという、至上になっており、非常に閉鎖的且つ閉塞的になっているのでは?と思っているのです。

 

 何度も書きますが、ただで面白い作品が読めれば、それが一番の儲けものなのです。

 だから、結局ただのものに流れると、売れるはずのものが売れなくなる。

 力試しをしたい作家は五万といし、表現場所は無尽蔵にある。だが、利益にする場所がない。だから、ただで公表する。有料コンテンツにすることにより敬遠される可能性もある。

 自画自賛の作品をいくら自らプロデュースしても、誰もそれを本気にしない。

 ステルスマーケティングの横行は、そういうジレンマを埋めうる手段となってしまったわけで、本来本当に正しい評価を失ってしまったという事のになる。

 何故か?というと、レビューを書く人間には、全く利益がないからだ。

 更に書くと、著名なレビューを得るために、そこへ資金が流れ、レビュー本来の意味を失う結果となる。

 著名なレビューが指標となり、それが面白いという結論にすり替えられる。いわゆる影響力だ。

 これは評価しないベクトルの切り捨てになり、埋没してしまう結果となる。しかし、至上には、フリーの興味深い作品が多く存在し、同時に未完成のスクラップも多く存在し、それらが一所に、混沌と存在している。

 勿論著名なレビュワーがそれを評価すると、閲覧者も増えるが、それでは利益にならず、所詮作品の配布に過ぎない。だからこそ公平にレビュワーが存在する、デジタルコンテンツのサイト構築というものを、考えている。

 勿論未熟な思考である。

 しかし、自費出版のような無様な形で、作品を世に出す事は、決してあってはならないと思う。これは作品を世に出すという手段としては、有ってはならないと、思う。

 勿論。卒業アルバムのようなものは、出版社に制作依頼を頼むが当然であり、自費出版そのものが決して否定される訳でもないが、俺が此処で言いたいのは、創作作家として文章を書く者が、社会に作品を送り出したいがタメに、大枚をはたいてはならん!と言うことである。

 しかし、多くの作家は、表現する場所のみの、模索に徹し、新しい販売ルートの方法を模索をサボっている用にも見える。

 勿論、著者も、書くだけ書いて、そういうサイトを構築していないのだから、同じ穴の狢と言えようが、少なくとも、方法論は提示した。

 この書が完成する方向に向かえば、ツイッターなので、宣伝し始めよう。

 沈黙は金だと言うが、このままでは電子書籍やデジタルコンテンツというものは、一部の受益者のための囲い込みのために、こぢんまりとした者となり兼ねないとは思った。

 少なくとも、携帯電話の音楽市場のように、購入したはずのコンテンツのために、重複した資金投資という状況も作りたくないし、一見それが、制作者のためのような錯覚を覚えさせ、実は販売サイドのみのルール作りには、ならないようにしたいとは思う。

 投資に対して、価値観を見いだせなくなった視聴者が、YouTubeにおける視聴に切り替えたりしたのは、結局さほど高くないクオリティの音質に対して、幾度も料金を払い続ける結果になったり、クオリティに対する価格設定を、携帯電話用という、妙な付加価値のために、ふくれあがった価格帯に飽きたりしてしまったことは、一つの事実としてあるだろう。

 今後のデジタルコンテンツがそんな、つまらない付加価値のために、無駄に高い料金設定をされないように、したいものだと思う。あくまでも、作家やクリエイター、アーティストのための料金設定が出来るようにならないか?と、考える。

 


結局宣伝力はどうするのか?

 結局宣伝力は、どうすれば良いのか?ということになる。

 唐突なようだが、そこが結論であり、それがなければいくら環境が整ったといっても、人知れずサイトが立ち上がっただけに過ぎない。

 一つは、現在このブログを書かせてもらっているような、メジャーサイトの変貌をを展望として願う事が一つ。

 ポータルサイトが、そういう方針を加える。

 新たに、クリエイター達が募る。

 個人が作る。FacebookやTwitterがメジャーになったかのように、広めていくか?という、方向性になるのか、実はこの部分が尤もキモであり、そういうコミュニティというものの必要性を感じている。

 このブログを書いている時点での、ダウンロード数は9、閲覧数が69。

 少なからず友、電子書籍の変貌に対して、熱望している人たちがいる。もっと著名なブログも存在しているはずだが、それでも書き初めて、三日、掲載されている総トータルの文庫数から考えれば、なかなかの検索数だと思われる。

 何より大事な部分は、資本力と、信用だと思われる。

 結局最初はフリーの著書から始めるしかないのだろうか?と考えいるところである。

 技術力と資本力というのは、実際著者のボトルネックとして、尤も大きな要因である。

 ただ、仕組みを理解して、これがビジネスチャンスだと思われる方がいれば、幸いだと思う。

 セコイ話、このアイデアでロイヤリティくらいは、回収したいなとは思っているが、世の中出した者勝ちなので、それはシビアな戦いになるだろう(汗)

 何度も言うが、沈黙は金だという。本来こういうアイデアは、自分で形作るべきなのだろうが、どうも日本の電子書籍というものが、単なる出版社の出版物と同じ扱いになりつつあるので、書いた次第である。

 残念ながら、現在の著者には何の後ろ盾も存在していないのが、現状である。


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最終更新日 : 2012-07-10 21:13:02

単純な構図(随時更新……予定)

流れ図

 

クリエイター(制作サイド)

 ↓

サイト

 ↓

レビュワー(販売サイド)

 ↓

購入者

 

単純な構図

 

クリエイター(作家)

 1.創作活動

 2.販売価格の設定

 3.利益の設定

 4.レビュワーの配当設定

   1 )レビュワー数 = (販売単価-利益-(販売単価×サイトへの配当掛け率)) ÷ 配当単価

   例)500円の著書で200円の著者利益、配当単価5円、サイトの利益が10%とする 

     レビュワー数 = (500 - 200-(500 × 0.1)) ÷ 5

                 (300-50) ÷ 5

                  250 ÷ 5

     レビュワー数 = 50

     この作品には、50人のレビュワーを設定することが出来る。

     配当単価が低ければ、低いほど多くのレビュワーを募集することが出来るが……。     

   2 )レビュワーの配当は、同作品のレビュワーから、その著作物が売れたとき。

 5.レビュワーが存在しているときは、直販だとしても配当金が発生する。

 6.著名な作家となれば自主運営となる可能性が高いため、多くのレビューを必要としなくなる。

 

サイト

 1.クリエイターの募集

   1 )クリエイターのページの設置

   2 )著作物が当人の者であることに対する、規約遵守への署名

 

 2.サイトの宣伝活動

   1 )当然だが、サイトそのもの知名度がないと意味が無い

 

 3.レビュワーの募集

   1 ) レビュワー用のページの設置

 

 4.サイトキットの必要性

   1 )ブログへのリンクなどの必要性

   2 )Twitterやメールなど宣伝自動発信機能

      サイトに登録しているユーザーには、当然著者や作家に対する、

      自動お知らせ機能を設定することが出来る!などの販促手段が必要。

 

レビュワー

  1. クリエイター(作家)サイドからの、著書購入
  2. レビューの作成
  3. 宣伝活動(Twitterによる、新書入稿のお知らせ!など)
  4. 著名となった作家な自立の可能性が高いため、作家の新規開拓が必要となる。 
  5. サイト内での販売総数が利益となり、100人の作家の本を100冊が全て5円の配当である場合5万円の歴となる(ただし、税金などの関係から、手数料は引かれるものとする)

 


電子書籍の夜明け

 とあるニュースで、電子書籍の夜明けはまだ遠いのか?というタイトルがあった。

 確かに電子書籍が謳われてから、可成りの時間が経つが中々、広がりを見せない。

 一つはまず、間違い無くフォーマットの普及だと思う。

 OSもそうだが、やはり統一性というものが、必要であり、アレではこれが出来ない、コレではあれが出来ないという、状況が、二の足を踏ませる。

 書籍リーダーは、何でもいいが、コンテンツはしっかりしなくてはならないというのが、第一条件。あとはお気に入りの操作性ということか。

 Microsoftのwindowsが、不満を多く抱えながらもこれほど普及したのは、間違い無くマシンを選ばない環境作りというものに、成功したからだろう。

 その代わり、パーソナルコンピューターの個性というものを奪い去ってしまったが、これはある意味メーカーのエゴであり、日本の戦略負けと言えるのは、間違いの無い話。

 結局、帯に短したすきに長しという状況と、専門性やネームバリューを盾にした、非道い囲い込みと、ソフトウェアのコスト負荷を、ユーザーに求めすぎた結果、どれも伸び悩んだという結論に至る。

 自分たちの独自性を盾に、怠けていた結果だと、言うことではないか?

 要するに、今の日本の電子書籍というのは、コレと同じ事をやているのである。

 出版社が、PCメーカーと例えられる。ハードウェアは、まぁAndroid、iPhone、PC、Mac、コレまでの携帯電話。

 iPhone、Android、Mac、pcは、それほど大きな隔たりはないし、

 メールアドレス埋め込みで、閲覧制限を掛ける方法もあるだろうから、viewerでそれが管理できれば、もうそれで居いいんじゃないか?

 まぁ実際viewerに関しては、もう少し、各社の独自性というより、ユーザーが困らないように、周知してほしい。各社の思惑で、自分たちの抱え込む書籍のためのviewerではなく、電子書籍を広めるためのviewerだ。

 どういうものが、有って良いのか、どうしたいのか?ただし、それは利益の抱え込むためではなく、初期段階として、新しい方法論の模索としての検討である。

 あとの書籍の内容のクオリティは、まぁ……それぞれ有るだろうけど、結局使う側が、電子書籍の構造が今一解らないままに、電子書籍になりました!便利ですよ!みたいな。

 それよりも、このリーダーは、どの書籍でも利用することが出来ます!という、普及がね。

 実際フリーのリーダーでもEPUB3対応と書いて在っても、全然使い物にならないものがおおい。

 俺が気に入っているのは、シェアだがAIR草紙という、PC用のviewerだけど、結構良く出来てて、一太郎で作成したEPUB3も、それなりに綺麗な表示をしてくれ、文庫としての体裁も、それなりに守ってくれている。ただし、一太郎の具合のせいか、段落の文頭が一段下がっていなかったりと、まぁそこはね、これは一太郎側が、インデント処理をしてくれていないのか?と思ったりもする。

 余談でした。

 今では、ブログを書いているパブーさんのような、サイトにあるように、書き物を行う人たちにとって、有用なサイトも増えましたが、やはり、日本の文庫は縦書きであるというのは、フィーリング的に大事何のだろう。

 一番いいのは、見開きで読めることが望ましい。

 そして、ただの文章ではなく、行替えのタイミングや、空白の在り方など、文体そのものの考慮なども有っても良いとおもうのだ。

 結局ただ単に、文章を提供するのではなく、文体の表現まで提供できる状況というがあって、高いクオリティが生まれるのではないかな?と思ったりするのであります。

 作家が生み出した表現の正確な媒体が求められると同時に、ユーザーが気にしない、透明感のある提供。まぁviewerになるんだが……。

 あと、わざわざ、フリーの作家を排除するような、流れにならないことを願うばかりだな。

 電子書籍を生み出すには、出版社と提携しなければ、求めているクオリティが発揮出来ないとか、そういう縛りがないように願いたい。

 結局そんなことばかりをしていると、フォーマットの普及が進まないばかりか、孤立化が進み、結局世界と共通したフォーマットをもてなくなる。

 そうではなく、日本で発信されたフォーマットを利用することによって、作家が幸福になれば、自立した作家はそのフォーマットを利用して、独立した利益を上げるし、信頼されるフォーマットとなる。

 フォーマットの利用権は、オープンだが、ソースに関しての更新権利というのは、開発した一社にによる、純然権利である。windowsもMacも、一つのフォーマットとみれば、購入こそしているが、そういうことになる。

 販売におけるロイヤリティを、僅かに徴収するようにすることも可能だろうし……などとも思う。

 結局どれだけの人間が、電子書籍の制作に対して、積極になれるか?と、いう部分にかかっているんじゃないだろうか?

 恐らくフリーの作家ほど、低予算で幅広く公開するために、こういうものに、関心があり、出版社に囲われている著名な作家ほど、あぐらをかいてたりするんじゃないかな?と思ったりもする。

 自分の構図を他人に押しつけられるか、そうでないか?という部分でも大きいと思う。

 下品な話ではあるが、VHSデッキを持っていれば、より多くのアダルトビデオが見れたというのは、ベータの敗因ともされる所以かもしれないというのは、有名な話だったりでして……、メーカーはVHSの映像を世に排出する。配信会社は、出版社と同じだが、デッキは、各電機メーカーで、基本性能は変わらないが、操作性などで大きく競った。

 テープを買うことに関して、ユーザーが悩むのはその内容だけである。

 アマゾンで購入しようが、Kindleで見ようが、iTunesで購入しようが、Androidで読もうが、専用アプリではなく、サイトでさくっと購入して、さっと持ち出せて読める。そういう流れをいかにスマートに作り上げるか……なのだと思う。

 そして、viewerが変わっても、安心して読めるということ。

 随分もっさりかいてしまったが、やっぱり日本人には、縦書きの文章。これが、さらっと配信できないようじゃ、日本の電子書籍の夜明けって、まだまだだねー。



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