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幼なじみ

 終業時間の17時半まであと10分というところで携帯が振動した。仕事の電話じゃなければいいと思いながら佐藤一樹はそっと携帯を開ける。
 電話ではなくメールでタイトルは「今日の飲み会の場所」差出人は幼なじみの沢村千尋からだった。そういえば昨夜電話で話した時に飲み会に参加するよう言われたことを思い出した。「俺は学生じゃねーぞー」と小さくぼやきながら一樹は「了解」と短くレスを千尋に返した。
 一樹と千尋は近所同士で生まれた年も病院も一緒といういわゆる幼なじみで、高校も一緒の公立高校だった。高校卒業後は一樹は就職し、千尋は大学に進学した。進む道が完全に分かれたことで離れるかと思ったが、千尋は「離れるのは寂しい!」と言って何かと一樹を連れ出している。入社して1年目は一樹も一杯一杯でなかなか誘いに乗れなかったが最近は少し余裕も出てきて千尋の誘いに乗れるようになった。千尋と一緒にいると楽しい。生まれた時からずっと一緒にいるせいか一樹にとって千尋は友人というより家族に近い。
 引っ込み思案であまり人付き合いが上手ではない一樹とは対照的に、千尋は話が上手く、場を盛り上げてくれるので今も昔も宴会事には引っ張りだこだ。男から見てもかっこよく、おしゃれで頭も良く、面倒見のいい千尋は幼稚園の頃から一樹にとって自慢の幼なじみだった。
 千尋にメールを返したら、丁度17時半になった。
 「お先しまーす」
 と小声で周りの者に言い、そそくさと会社の外に出た。
 「会社出た。これから向かう」
 とメールを千尋に送り、駅に向かった。


初めての告白

 沢村千尋は佐藤一樹からのメールを見て決意を固めた。
 一樹は物心ついた頃から一緒にいる千尋の幼なじみであり初恋の相手であり、本命であった。
 
 初めて一樹に告白したのは幼稚園の時。お遊戯会の本番で千尋は一樹と一緒に踊る予定だった女の子から一樹を奪った。その女の子、確か真由美も一樹が大好きで「まゆはかずちゃんと結婚するの。」と幼稚園中に公言していたから、千尋は真由美をひどく憎んでいた。そして、お遊戯会では強引に一樹のパートナーになった真由美に対し、今考えれば幼稚園児とは思えないほどの殺意を抱き先生に抗議した。
 「オレはどうして一樹と踊れないんだよー、女ばっかりずるい!」
 幼稚園の先生が
 「ダンスは男の子と女の子がペアで踊るのよ~。」
 と苦笑して答えたのを覚えている。千尋はその時から幼稚園中の女の子を憎み、行動がかなり粗暴になった。今思えば嫉妬のあまり荒れたのだ。
  
 先生の答えに納得がいかなかった千尋はお遊戯会当日の朝、一緒に幼稚園に行く一樹に告白した。
 「オレは一樹が好きだから、今日は一樹と踊るからな!」
 千尋はその時から一樹を好きと自覚はしていたが、真由美や他の女の子のように公言することはなかったので、千尋にとっては初めての告白だった。
 一樹は当時からちょっとぼんやりというか抜けているというか鈍感だったから
 「いいよ、僕は女の子の踊りも踊れるよ。まゆちゃん下手だから覚えちゃった。」
 と屈託のない笑顔を見せて答えた。一樹にしてみれば千尋のいたずらに乗る程度、と軽く答えた一言だったと思うが、その答えを聞いた千尋は有頂天になった。
 
 そして、千尋は本番でまんまとのペアの女の子を真由美につけさせ、一樹と踊った。親と先生と真由美には怒られたが、その時のビデオは今でも宝物で、こっそりDVDに焼き直して永久保存版にしている。


二度目の告白

 千尋の二度目の告白は中学の時。反抗期真っ只中の千尋は部活も行かなくなり家にいるのも嫌で、学校が終われば専ら一樹の部屋に入り浸っていた。
 「一樹~今日泊まっていい?」
 千尋は読書をしている一樹に声をかけた。一樹は読んでいる本から目を外し千尋を見た。一樹は小学校高学年位から目が悪くなり、中学に入ってからは眼鏡をかけていた。
 「だめだよ。俺がおばさんに怒られる。」
 中学に入って、元々口数の少ない一樹はますます言葉が少なくなった。「うちの子も反抗期でぜんぜんしゃべらないの。」と一樹の母親が千尋の母親に愚痴っているのを何度か耳にしたことがある。
 「なんだよ、関係ねーじゃん。」
 千尋は面白くなくて、一樹から本を取り上げた。
 「やめろよ、追い出すぞ。」
 一樹は千尋から本を奪い返した。
 「何だよ、ちっちぇー頃はちーちゃん、ちーちゃんって、いつでも俺の味方してくれてたのに。」
 千尋はふてくされた。そんな千尋を見て、一樹はため息をつく。
 「いつの話をしているんだよ。」
 一樹は本を床に置き、眠そうな顔で眼鏡を外した。
 「もう眠い。千尋も帰れよ。」
 気付いたら11時だった。一樹は座っていた床からベッドに移動し横になった。Tシャツにハーフパンツで横たわる、その無防備な一樹の姿に千尋はドキドキした。一樹が横たわるそのベッドに背中をくっつけ、一樹を見ないようにした。衝動的に抱きしめたくなってしまいそうだったからだ。
 「一樹、高校どこにするの?」
 真面目な話なら食いついてくるかと千尋は一樹に尋ねた。一樹はしばらく無言だったが、
 「俺は北高に行くよ。」
 とつぶやくように言った。
 北高は地元の公立高校だ。一樹のレベルだったら余裕で行ける。
 「北高か、」
 一樹の一言で千尋は自分の進路を決めた。進路の先生や親からずっと高校はどこにするんだと言われ続けてきたが、一樹が北高に行くなら自分も北高にする。そう決めた。
 しばらくして、一樹の寝息が聞こえてきた。千尋はその寝顔を振り返ってそっと見る。一樹は同年代の子比べると小柄で体も華奢なため、男らしさを感じさせない。顔立ちも母親に似たせいか線が細く、パッと見は男か女かわからない中性的な容貌をしている。千尋はそれが長年一樹が抱いているコンプレックスとわかっているので本人の前では容姿には一切触れないが、一樹のそんな顔を覚えていない程昔からずっとかわいくてしょうがいないと思っている。
 「一樹、俺らはずっと一緒にいような。」
 千尋の告白にも一樹は起きない。規則正しい寝息を立てて熟睡しているようだ。千尋はそれを確認して告白を続けた。
 「俺、一樹が好きなんだよ。やっぱり。」
 千尋は完全に振り返って寝ている一樹を見る。
 「俺、ウザイよな。嫌われるのも怖ぇ。」
 こんなに近いのに届かない。千尋はそんな思いをずっと抱いていた。男が男を好きなのは「普通」ではないと知ったのは小学校低学年の頃だったか。少し距離を置いた方がいいのかもと思ったこともある。このまま直球で想い続けたら一樹に迷惑をかける可能性がある。今までは一樹に対する想いが強すぎて周りが見えなかった。
 「一樹とずっと一緒にいるために俺は少し大人になるよ。」
 千尋は帰るために立ち上がって熟睡している一樹の顔を見た。見ているだけは足りず顔を近づけた。しんと静まる部屋に一樹の寝息と千尋の心音が響く。千尋はそっと一樹の髪に触れて少し長い前髪を分けた。開かれた白い額に思わず口付けようとしたが、一樹が目を覚ますのを恐れその額を指でそっと撫でた。つるっとしたその感触が気持ちよくて、2、3度ゆっくり撫でた。
 「明日から大人になるから。約束する。」
 そう言って千尋はもう一度指でそっと一樹の額を撫でた。
 「キスしてぇ。」
 その指を額から強すぎないようにそっとゆっくり一樹の唇まで移動する。己の指を唇に見立て、薄く開いた一樹の桜色の唇を少し強く押した。
 「ファーストキスGET!」
 小声でつぶやき、名残惜しげに指を一樹の唇から離した。
 「おやすみ一樹。」
 とりあえず今はこれでいい。千尋は己を納得させた。

携帯

 高校に入ってから千尋と一樹は少し離れた。千尋は中学の時に放り投げたバスケを再び始め、一樹はファーストフード店でバイトを始めた。それぞれに友人ができ、一緒にいる時間は自然と減った。学校ですれ違ったり、専攻の授業が一緒になったときは声をかけあっていたが、以前のように一樹の後を千尋が追うことはなかった。中学の時から一緒にいた同級生は「ケンカでもしたのか?」とびっくりするほどだった。
 大人になることがこんなに苦しいことだとは千尋は考えてなかった。一樹が自分以外の男や女としゃべって笑っているその姿を見たくなくて、同じ高校に入ったことを後悔したのは入学早々だった。嫉妬という醜い感情を殺すために千尋はバスケに打ち込んだ。そのせいか、千尋には「クールでストイックなスポーツマン」というイメージが出来上がってた。元々運動神経は良いし、中学から伸び続けていた身長は180cmを超え、その大きな体は重宝がられてレギュラーを取れるようにまでなった。もちろん一樹に対する愛情が失せたわけではない。曇ることなく一樹を想い続け、アンテナを常に張り一樹の動向をチェックしていた。
 ある時、千尋は一樹が携帯を持っているとらしいという噂を小耳に挟んだ。そのことを真っ先に自分に報告しない一樹に、なぜかものすごく腹が立ち、授業が終わるのを待ち伏せした。
 「千尋、どうかした?誰かに用?」
 一樹はすぐに千尋に気付いた。1年生ながらにバスケ部で頭角を現している千尋は既に有名人で、千尋が通れば女子がキャーキャー騒いでいた。
 「一樹携帯持ってるんだって?いつからだよ。」
 千尋の睨むような眼差しに一樹は首をかしげた。高校に入ってから千尋は一樹にあまり絡んでこなかったから、あえて伝える必要もないかと思っていたし、携帯はバイトで遅くなるときに家族にかける為に持たされたもので、一樹自身はそれほど使用していなかった。
 「最近だよ。バイトで遅くなったときに家に電話しているだけ。」
 一樹はなんだか浮気を責められている気持ちになった。千尋の雰囲気はそれほど剣呑としていた。校内では「携帯所持」=「彼女」or「彼氏」ができたという構図が出来上がっていて、千尋も誤解しているのだろう。別に悪いことをしているわけではないのに、悪いことをしてしまった気になり、千尋の顔色を伺った。
 「番号は?」
 千尋は硬い表情のまま一樹に聞いた。久々に近距離で話した一樹は相変わらずかわいらしく、千尋が大きくなったせいか、一樹がますます小さく思えた。それを言うと一樹の機嫌が急降下するため黙っていたが。
 「何だよ、えらそうだな~」
 ブツブツ言いながらも一樹は携帯番号を紙に書いて渡した。
 「他の奴にも番号教えてないし、見つかったらやばいから言うなよ。」
 一樹は千尋に念を押した。
 「他の奴に言ってねぇの?」
 千尋は喜びを隠せずに聞き直した。
 「言わないよ。バレて没収されるの嫌だし。だから頼むよ。」
 バイトは親と学校の許可を取ればしてもいいことになっていたが、携帯電話の所持は禁止されていた。見つかったら即没収。厳しい校則だった。
 「言わねぇけど、一樹が携帯持ってんのバレてるぞ。気をつけろよ。俺も人づてに聞いたし。」
 千尋の忠告に一樹は「マジかよ~」とうなだれた。 
 
 その日は何となく一緒に帰ることになった。一樹はバイトはないというので、千尋は部活をサボった。
 「久しぶりだな、千尋と帰るの。」
 一樹は何となく嬉しそうだった。
 「俺と帰れて嬉しい?」
 思わず聞いてしまって、直後に千尋は後悔した。ウザイ自分を封印したのに、またすぐに復活しそうな、暴走しそうな自分が怖かった。しばらくの沈黙のあと、
 「嬉しいよ。」
 と一樹は答えた。千尋は思わず立ち止まってしまった。
 「なんだよ、そんなに驚くなよ。」
 一樹は照れたように笑った。
 「なんかさ、高校入ってから千尋は俺を無視するから、俺何かやったかと思ってずっと気になってたんだ。でも気付いた時には千尋は遠い存在になっててさ、俺からは声かけられなくて。」
 一樹は控え目で大人しいからこちらからアクションを起こさないと動かない。そんな性格で友達ができるのかと千尋は心配したが杞憂に終わった。一樹はその容姿と性格で女子の間では密かに「癒し系アイドル」として人気が高く、一樹の周りには男女問わず常に人がいた。千尋から見れば、一樹も遠い存在になっていた。
 「無視してたわけじゃねぇけど、中学の時、ベタベタしすぎて周りから気持ち悪がられていたから一樹が迷惑してるんじゃないかと思って。」
 最後の方はボソボソ声になった。
 「家に入り浸られたのは正直ちょっと迷惑だったこともあったけど、」
 一樹の言葉に「そりゃそうだよな」と千尋は思った。ほとんど毎日のように一樹の家に押しかけていた。
 「家も親の離婚とかあったしさ、俺もなんかイライラして千尋を避けちゃったこともあったし、」
 一樹の両親は一樹が中3の時に離婚した。一樹が高校に入るまでは離婚しないという話もあったらしいが、一樹の母親は我慢ができなかったらしく一樹の中学卒業目前で正式に離婚した。一樹の父親は中学1年くらいから姿を見せなくなって、その事を一樹に聞いたら「別居してる」と淡々と答えたのを覚えている。
 「でも千尋と居て、俺は楽しかったよ。家の中が最悪な時にいろいろ連れて行ってくれたりしてくれて、実はちょっと感謝してた。」
 一樹は一気に言った。ずっと千尋に言いたかった言葉がようやく言えた。その思いで一杯だった。
 そんな一樹の言葉を受けて、千尋が正気でいられるはずもなかった。一樹を抱きしめるために思わず伸ばした手は、以前は届かなかったのに背が大きくなったせいか余裕で一樹の肩に到達した。
 「ん?」
 肩に手を置かれ、一樹は千尋を振り返った。
 「俺も携帯買う。」
 一樹にかける適当な言葉が見つからなくて、千尋は思わずそんなことを口走っていた。
 「何だよそれ?」
 一樹は千尋の言葉の意味がわからず首をかしげる。
 「メールだったらいいよな、俺もなんか色々あるから、たまには愚痴聞いてくれよ。」
 とっさに言った千尋の言葉に一樹な納得したようだった。千尋の手はまだ一樹の肩に置かれたままで、一樹は千尋を見上げた。
 「しかし、デカくなったよなぁ~千尋は。」
 「一樹は変わらねぇな。」
 「なんだよー。もう行くぞ!」
 一樹はムッとした表情を見せてスタスタ歩き出した。一樹のコンプレックスは相変わらずのようだ。それをコンプレックスに思っている一樹をかわいいと本人に言えないのが残念で苦しい。
 「一樹待てよ、久々なんだからゆっくり帰ろうぜ。」
 千尋は一樹を追いかけ、再び横に並んだ。そしてその後、家路に着くまでクラスや担任、部活やバイトのこと、友人、家のことなどたくさん話した。
 
 その数日後、千尋は親を説得して型落ちの携帯電話を手に入れた。一樹に会えば触れたくなってしまうためメールや通話をすることで欲望を抑えた。千尋と一樹は今までのぎこちない関係から比べると格段にいい関係になった。
 一樹との関係性が良くなったのと比例して、千尋は人当たりが良くなった。今までのクールな仮面が剥がれ、千尋の本来の明るさや人付き合いの良さが前面に出てきた。中学からの友人の数人は「中学の頃に戻っただけ」「反抗期の終了」などと言っていたが、多くは「彼女が出来た!」と推測し、あっという間に噂になった。千尋がいくら否定しても「沢村千尋に彼女が出来た説」は収まらず、間もなく携帯電話を所持しているのも周囲に知られることになり噂は一気に信憑性を増した。当然噂は一樹の耳にも入った。
 「彼女出来たんだって?」
 と携帯電話を通して無邪気に聞いてきた一樹に、
 「人の気も知らねぇで。」
 と唸った。
 「千尋は人気があるからしょうがないよ。」
 一樹の見当違いな答えに、千尋は一樹が千尋の想いを1mmも理解していないことを痛感した。その後も一樹の何気ない一言が千尋の胸に突き刺さることがあり、千尋の悩む日々が続いた。

誓い

  「何してる?」
 土曜日の朝、何もすることがなくて、何気なく千尋は一樹に携帯メールを送った。前夜というか、朝3時までゲームをやっていたので頭はぼーっとしていたのだが、そのぼーっとした頭が一樹を求めていた。
 高2になって、周りは進路、進路で遊びもままならなくなった。千尋は進学する予定で志望の大学には一応問題ないということで、他より少し余裕があった。周りが遊んでくれないのでゲーセンに行くことは減り、専ら家でゲームをしていた。

 一樹は進路で少し悩んでいるようで、何度が進路指導の先生と進路指導室に入る姿を見かけた。一樹の家は親が離婚して、経済的に少し厳しいと千尋の母親が言っていた。
 「これから買い物に行こうかと思ってる。」
 すぐに一樹からメールのレスが来た。千尋は一樹がどこに買い物に行くのか興味を持った。仲のいい同級生と一緒にゲーセンや、カラオケ、ボーリングには行くが、買い物にはあまり行かない。
 千尋は一樹に電話をかけた。一樹はすぐに出た。
 「今日、バイトねぇの?」
 「あったんだけど、急遽交代。」
 「昨日急に言われちゃっって、休日に空くなんてラッキーだけどさ。」

 と一樹は嬉しそうに話した。

 家計を助けるためなのか、一樹は忙しい高校生活を送っている。平日も3日はバイトをしていて、週末もだいたい入っている。そのせいか学業成績は芳しくなかったが。
 「俺も行っていい?」
 なるべくサラリと言うように千尋は心掛けた。本当は緊張のあまり心臓がドキドキしていた。考えてみれば二人だけで出かけるのは初めてだ。家が近いから学校には一緒に行っている。帰りは千尋は部活、一樹はバイトなのでバラバラだ。一樹と一緒にいられる時間が少ない。千尋は常々そう思っていた。電話やメールだけでは足りない。絶対に足りない。学校の行き帰りが一緒なのと、買い物にを一緒に行くのは全く違う。期待で千尋の心臓はバクバク言っていた。
 「いいよ。でも遠くは行かないよ。」
 一樹はあっさりと千尋の同行を許可した。千尋は心の中で大きくガッツポーズをし、なるべく平静を装って言った。
 「すぐ着替えてそっちに行く。」 
 
 自転車で一樹の家に行くと、一樹も自転車を出して千尋を待っていた。千尋と一樹の家は自転車で3分とかからない距離に住んでいる。母親学級も一緒で生まれた病院も一緒だったから、千尋の母親と一樹の母親は仲が良い。
 「千尋も暇人だなー。」
 笑う一樹がまぶしくて、千尋は少し目線を逸らした。
 「どこ行く?」
 なんだか急に照れくさくなった千尋が少しぶっきらぼうに言った。一樹はそんな態度の千尋に少し戸惑ったが、からかわれたのが面白くなかったのだろうと気にしないことにした。
 「んーせっかくだから、トレスに行くか?」
 トレスは一年前に出来た郊外型の大規模ショッピングモールだ。一日潰せるくらいの大きさで数百もの専門店が入っている。一樹は一日中自分といてくれる気なんだろうか、と千尋は期待と喜びに顔が緩んだ。
 「トレスいいな。遊べるし、映画も見れるじゃん。」
 「映画みるの?じゃ、学生証一応持ってくか。」
 一樹は一旦家の中に戻った。玄関先で
 「千尋とトレスに行って来る。」
 と一樹にしては大きい声で家人に伝えていた。千尋はしっかり学生証を持ってきていた。これさえあれば映画もボーリングもカラオケも学生割引で入れる無敵のパスポートだ。
 
 ショッピングモール・トレスは自転車で20分ほどのところにある。駐輪場に自転車を置いて、トレスの東口から店に入る。一樹の目的の文房具店が一番近い入り口だ。
 「俺、文房具の店行くけど、千尋はどうする?」
 一樹が千尋に尋ねる。千尋は一樹と離れる気はさらさらないので、
 「俺もノート見たい。」
 と言って千尋についていく。
 「俺さ、文房具好きなんだ。俺は進学しないつもりだから今文房具メーカーで就職先探しているんだけど、難しくて。」
 少し立ち止まった一樹にさらりと言われ、千尋は衝撃を受けた。千尋は一樹はてっきり進学するのかと思っていた。一緒の学校とは言わないまでも、一緒に学生生活を楽しめる、とそう思い込んでいた。一樹が就職をしたら会う時間が少なくなってしまう。千尋は背筋がすっと寒くなるのを感じた。
 「俺頭悪いから進学は無理だし、家にはそんな金もないしさ。就職して少し稼がないと。」
 そんな千尋の衝撃を知ってか知らずか、一樹は言葉を続け、真面目な話をしたのが恥ずかしかったのか、顔を赤くして照れながらお気に入りの文房具のコーナーへ逃げるように消えていった。
 残された千尋はしばらく立ち尽くしてしまった。それくらい一樹の「就職」という道は今後の二人を大きく分けてしまうと思い込んでしまった。どうすればいい、と千尋は考えた。どうすれば一樹との関係を繋ぎ止められるのか、もう映画も買い物もどうでもよくなって、文房具で一樹が何を買ったのか、流れで入った映画館も、話題の映画でせっかく一樹と二人っきりで見られたのに、内容が頭に入ってこなかった。
 

 すっかり黙りこんでしまった千尋を一樹は心配した。
 「千尋、調子悪いのか?」
 映画が終わった後、一樹は千尋の顔をを若干見上げる形で千尋に聞いてきた。一樹は千尋の頭一つ分小さい。
 「いや、ちょっと、」
 千尋は一樹から目を逸らした。色々な想いが爆発して独占欲にかられた千尋は一樹をまともに見ることができなかった。まともに見れば「どこにも行くな。」と言ってしまいそうで。
 「もう帰るか?俺はもう終わったから。千尋が良ければだけど。」
 「あ、そうだな。いや、、、」
 「どっか寄るか?俺は大丈夫だけど。」
 一樹の罪のないやさしさが千尋には嬉しいのと同時にツラい。
 「、、、じゃあ、ちょっと座りたい。」
 「何だよ、疲れたのか?そんなデカイ図体して。」
 一樹は笑いながら空いている椅子を探した。大型ショッピングモールは店に入らなくても至るところに椅子があるが、大抵大人と子供で埋まっている。一樹が二人で座れそうな椅子を探している間、千尋は気を落ち着かせた。一樹の軽口にも突っ込む余裕はなかった。

 一生の別れであるわけじゃない、ただ、進路が違うだけ、自由に会える時間が少し減るだけだ、少し冷静になれ!と心の中で言い続けた。
 
 「千尋、何か飲むか?」
 一樹が黙り込んで、若干顔色が悪いというか表情のない千尋を気遣った。椅子はなかなか見つからず、結局トイレに近い椅子に座ることになった。
 「じゃあ、コーラ頼む。」
 千尋は一樹に小銭を渡した。炭酸でも飲んで心を落ち着かせるしかない。千尋はそう思った。
 「ん。」
 千尋の親指と人差し指が一樹の手の平に触れ、小銭が千尋の指から一樹の手の平に落ちる。千尋の手の平よりはるかに小さい一樹の手の平が無償にかわいらしく、千尋を思わず一樹の手の平を小銭ごと握らせるように上から手を被せ握った。一樹は驚いたのか、少しビクっと動いた。
 「落とすなよ。」
 千尋は努めて冷静に言った。本当は自分の大胆な行動に驚いて、急に背中からジワリと汗が出てきたが。
 「何だよ、子供扱いして!」
 一樹は拗ねたように、小銭を握り締めて千尋の手を払った。
 「コーンスープ買ってやるからな!」
 一樹は歩いて数十歩足らずの自販機の前に立った。自分は何を買うか迷っているようだった。自販機は3台あって、少し優柔不断な所がある一樹は即決はできないようだった。
 千尋は一樹の手を握った右手を見て、もう一度一樹の手を思い出し握る。ずっと、この手の中に一樹の手があればいいのに。そう思ってもう一度強く握った。
 
 「はい。」
 一樹はちゃんとコーラを買ってくれた。
 「サンキュ。」
 千尋はお礼を言って、一樹からコーラを受け取った。すぐに蓋を開け、一気に口に流し込む。コーラの冷たさと辛口の炭酸が千尋の心と頭を少し冷ましてくれる気がした。
 「一気に飲むと、腹壊すぞ。」
 先程の応酬なのか、一樹が千尋を見てニヤニヤ笑った。そんな一樹の表情も千尋は好きだ。普段、学校の中では見せない表情で、自分だけに見せてくれると思っているから。
 「一樹はお茶か、渋いな。」
 コーラのおかげで少し余裕の出た千尋は軽口を叩いた。
 「俺は千尋と違って大人なんだよ。」
 一樹も千尋の軽口に少し安心したのか、千尋の横に座ってお茶の蓋を取り、口に入れた。一樹の動く喉仏を千尋は目で追った。一樹の色白の喉を動く喉仏に欲情する自分は、やはり一樹を恋愛対象として見ていて、欲望の対象として見ている。千尋は改めてそう自覚した。学校でモーションかけてくるマセた女子たちでもなく、雑誌のグラビアアイドルや友達とこっそり見たAVの女優でもなく、一樹に欲情している。中学の時にクラスメイトと研究した自慰行為も、浮かぶのは彼女たちではなく一樹だった。
 
 「就職しても、一緒に遊ぼうな。」
 コーラを更に一口飲んで、やっと言えた一言だが、千尋は消化不良だった。何か、もっと一樹と自分を繋ぎ止める言葉が欲しい。そう思った。
 「そうだな。今のところ家からは出る予定はないんだ。第一希望の就職先はちょっと遠いけど通えるし。もし入れたらだけどさ。」
 少なくとも一樹は引っ越す気はないらしい。その言葉に千尋はほっとした。
 「俺は一樹とずっと一緒にいたい。」
 「え?」
 千尋の突然の告白に一樹は驚いて聞き返した。一番驚いたのは千尋だ。ほっとした拍子に思わず想いが口からこぼれてしまった。急いでコーラを再び口に流し込む。
 「俺たち、幼稚園からずっと一緒だぜ。急に離れるのは寂しいだろ。」
 千尋は早口でそう言って、照れ隠しにコーラを再び口にする。口が渇いて仕方がない。一樹の反応が怖くて一樹の顔はとても見れず、ひたすらコーラを流し込んだ。
 「千尋は大げさだなー。」
 一樹は笑った。そして、千尋の腿を軽く2、3度叩いた。
 「大丈夫。仕事とかで今より会えなくなるかもしれないけど、ちゃんと連絡は取り合おう。」
 一樹の千尋の想いとはちょっとずれた言葉が、千尋には嬉しくもあり、悲しい。千尋自ら軸を逸らしたせいもあるのだが、千尋の想いは一樹の想いの層を突き抜けている。一樹は純粋に友情、千尋は欲望も伴った愛情。向きは同じでも行き先は違う。
 「千尋は意外と寂しがり屋だったんだな。俺知らなかったよ。」
 一樹は少し優越感を持って千尋に言った。自分よりもずっと大人だと思っていた千尋が子供っぽいことを言うので、そんな千尋がなんだかかわいいと一樹は思った。
 「言ってろよ。一樹だって俺がいなくなったら寂しくなるぜ。」
 千尋は一人優越感に浸る一樹が面白くなくて思わず言い放った。
 「、、、そうかもな。」
 千尋の言葉に一樹は一瞬詰まった。
 「そうだな、やっぱり寂しいな。」
 一樹はお茶の入ったペットボトルを軽く揺すった。
 「千尋は俺にとって家族も同然だし、あまりに長くいて離れることって考えてなかったけど、やっぱり離れるって考えると寂しいな。」
 うんうん、と一樹は頷いて言った。
 「千尋こそ、俺が就職しても離れないでくれよ。」
 たとえ友情からくる言葉でも、千尋は嬉しかった。心がジンとして一樹が発したその言葉を録音しておけば良かったと何度も後悔するほど嬉しかった。
 「俺は、、、離れない。」
 千尋はそう言い、残ったコーラを飲み干して、立ち上がった。コーラの入っていたペットボトルをごみ箱に投げ捨て、そのままトイレに入った。
 
 「絶対に離れない。」
 トイレの個室に入って便座に座った千尋はそうつぶやいて、千尋は流れる涙をトイレットペーパーで拭いた。涙はしばらく止まらなかった。
 「幸せだけどツレぇ。」
 千尋は一樹の手を握った右手を、一樹の手の感触を思い出して握る。
 「ツレぇ。」

 

 しばらくして出てきた千尋に、一樹は
 「やっぱり腹壊したんだろ。」
 と軽口を叩きながらも心配そうに聞いてきた。
 「そういうこと言うなよ、デリカシーがねぇな。」
 トイレから戻った千尋は一樹に対し冷静に対応できた。もどかしい想いを涙を流すことで少し相殺できたのかもしれない。千尋はそう思うことにした。涙が出るなんて千尋自身びっくりしたが、少しすっきりしたのは事実だ。
 


 「またな。」
 別れ際、一樹の家の前で一樹が千尋に言った。
 「おぅ。また月曜日な。」
 千尋は努めて軽く返した。明日の日曜日、一樹はバイトが入っている。これ以上贅沢は言えない。
 「今日は楽しかったよ。ありがと。」
 一樹は笑顔でそう言って、手を振った。その笑顔に顔が緩むのを抑えつつ、千尋は手をあげた。
 「じゃな。」
 そして、自転車のペダルに足を乗せ一気に漕いだ。
 漕いだペダルは軽かった。



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