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さよなら地球

火星調査団は二つのグループで構成された。
一つは、技術的にも精神的にも指導者的・教育者的役割を果たすことを期待され、火星に骨を埋める覚悟を決めた年配の科学者たち。もう一つは実際の調査を担い、将来的な増派や帰還の可能性もほのめかされた若い宇宙飛行士たち。
着陸は成功。火星コロニーの建設も順調に進行し、想定内のトラブルは幾つかあったものの調査はほぼ計画通りに進められた。

21XX年。人類の悲願であった地球連邦が創設され、人類人口は100億+1に達する。100億とは地球に住む人類の数。「+1」は老衰や事故、病気で減少した火星調査団最後の一人の数だ。
地球連邦創設と100億人突破を祝い、地球人類が祝賀ムードに包まれる中、火星から連絡が届く。調査は順調に進行中。だが、幾つかのトラブルで食糧と医薬品が不足している。至急、追加のロケットで補給物資を送って欲しいと。
火星まで省エネ軌道を用いない急行ロケットを飛ばす費用は数十億ドル。だがその予算があれば、赤道付近に住む人々数百万人の食糧問題を解決できる。
創設されたばかりの地球連邦は決して裕福ではなく、解決すべき問題は山積している。それに、旱魃や寒波といった自浄作用で地球人口が抑制された結果、火星移住計画は不要とされて久しかった。
必要な調査もほぼ終了している。現在、火星の男に与えられている仕事は彼に生きがいを与える為の名目的なものに過ぎないし、必要なら無人ロボットに代替させることも可能だった。
果たして地球人類は火星の男を見捨てるのか。旧国家群の代表達は全会一致で判断を下した。

「了解。通信終了」
男は通信機の電源を落とし、軽くため息を付く。だが落胆は無い。予想出来たことだ。
そうして、彼は椅子を180度回転させると、背後にいた「彼ら」に向かって肩をすくめて見せた。口の端に浮かんだ笑みは彼の精一杯の皮肉の表現だ。
「聴いてただろう?これが地球が俺に押し付けた仕打ちさ。未練は無いよ。君達の好きにしてもらって構わない」

Why Not

朝起きて、少年は自分の両腕が真っ白な翼に変わっているのを目の当たりにする。

 

しばしの混乱。

やがて気付く。

 

ということは昨晩、夜空の星に頼んだ願い事が叶ったのだ。

 

 

 

 

飛び立とうとした彼の目の前に、頑丈そうな分厚い鉄格子が表れる。

これは牢獄か?いや、鳥カゴだ!

 

 

その時、視界の隅に美味しそうな匂いの鳥餌の山がうつり込む。

空腹を感じた少年は、飽きるまで小さな粒状の鳥餌をついばむ。

 

今度は喉の渇きをおぼえる。

水飲み用のパイプの飲み口はすぐに見つかった。

 

やがて満足いくまで水を飲み終えた時、彼の頭から檻の外の事は消えている。

探し回らなきゃいけない食糧がこんなに蓄えられているのなら、

どうして焦って飛び立つ必要があるというのだろう?


バーミスラクスの船 第百七夜

帆柱がきしむ。

守り神であるはずの舳先の女神像は、いつの間にか波にさらわれていなくなっている。

風が、トップマストの横帆から順にビリビリと切り裂いていく。

一本のロープが切れ、メインセイルが旗の様にバタバタと激しくはためいた拍子に船体が大きく傾く。

もう限界だ。

全ての帆を切り離して、この嵐をやり過ごさなくては。

だが、僕以外の船員は船底から水をかき出す作業にかかりっきりで、甲板には誰もいない。

 

その時、船倉の戸がハネ上がって狂気に取りつかれた船長が姿を現した。

肩には船底から運び出した大きなオーク樽を担いでいる。

それはこの長旅で残った、最後の食糧を詰めた防水樽のはずだ。

 

僕が止めるのも聞かず、船長はそれを海に投げ捨てると、血走った眼で振り返った。

荒々しい強風さえも突き抜ける、雷の様な怒声で奴が叫ぶ。

「まだ足りないぞ、クラーク!ライの船より速く行くには、全ての積み荷は捨てねばならぬ!」

 

船長の言う「積み荷」とは何の事かを悟った僕は、帆を繋ぐロープを切り離すために用意していた手斧を手にとって構える。

船長は手ぶらだが、鮫に喰われて鉤爪に作り変えたその左手は、既に何人もの荒くれ者の血を吸ってきたと船員同士の間でもっぱらの噂だった。

 

勝負は一瞬でかたが付くはずだ。

甲板は何度も波に洗われて滑りやすくなっている。

 

そして、船長の右足と左の義足の間を通り、僕の足元まで伸びている、さっき切れたばかりの一本のロープ。

それに奴が気付いているかどうかが僕の運命を握っている…


Bookends

ある散歩道を歩いていると、二人の男がベンチの両端に、まるでブックエンドのように腰かけている所に通りかかった。

片方は白くやつれたコートを身にまとった老人、片方は黒いスーツに身を固めた紳士然とした男だ。

 

二人は、僕が「見える」ことに気付くと、真ん中の空いたスペースに座るように僕を促した。

それは軽いジェスチャーだけだったが、不思議と促されるままにそこに座ってしまう。

 

だが広いベンチとはいえ、見知らぬ男二人に挟まれて座るのは何とも居心地が悪い。

そこで僕は間の抜けた、けれどもありきたりな質問をした。

まずは白い老人の方を向いて。

 

「調子はどうです?」

老人は被りを振った。

「さっぱりさ。今じゃ誰も私を本気で敬ってはくれない。その振りをしたり、してるつもりになっちゃいるがね」

「家族に愛されてないと思ってるんですか?」

僕は老人が哀れになってそう尋ねた。

「愛だと?確かに今の人間の方が、この私に愛だのなんだのと訴えてくるがね。だが、それは重要な問題じゃない」

そこで老人は鼻で笑った。

「重要なのは『畏れ』だ。かつての人間は畏れるが故に、心から私を敬っていたのだ。お前もそうだろう?」

 

そして老人は、黒い紳士の方に問いかけの眼差しを送った。

 

「確かに、私を畏れる人間も今じゃほとんどいない」

黒い紳士も首を横に振り、残念ぶった顔をしてみせた。

だがそれは、すぐに残酷な笑みに変わった。

 

「だが、そのお陰で…」

彼はそこで間を置き、再び同じ言葉から話を続けた。

「だがそのお陰で、私の方は随分と仕事がやりやすくなったがね」

 

僕はなんとなく、二人が何者なのか分かったような気がした。

でもその瞬間、ベンチが急速に現実感を失う。

 

 

さて、そこで目が覚めた。


23時間56分4秒

 

誰にも話したことは無いのだけど、僕の右側頭部には一箇所、感覚の無い部分がある。

日常生活には何も支障は無い、いってみれば触覚の盲点のようなもの。

 

今日、その場所に小さな生傷が出来ているのを見つけた。

目が見えない人は血の匂いで自分の外傷を見つける事があるそうだけど、僕の場合は鏡で確かめるより他に発見する方法は無い。

気づかぬうちに虫に刺されたのか、寝てる間にどこか固い場所にぶつけたものか。

指で押すと血が滲み出すけど痛みは感じない。

自分の体の一部なのに、そうでないかのようなこの感覚は嫌いじゃない。

 

そもそも体の一部とは、どこからどこまでを指すのだろうか。

爪や髪の毛は切っても痛くないけど体の一部だ。

皮脂や粘液の類も、身体と物理的に連結されている訳じゃなくとも、欠かすことの出来ない体の一部といえる。

その意味では入れ歯やコンタクトレンズも同様だ。

 

メガネは顔の一部だし、帽子や服や靴もその一部といえる。

比喩的にいえば、車や自転車は足の延長といえるし、住居や家族といった集団も自分自身の延長にある。

それから地面に仰向けになって空を見上げる時、太陽は沈むのではなくただ視界から過ぎ去っていくだけだ。

回転する僕の視界を通り過ぎて、ただ背後に回りこむ。

 

僕は一周23時間56分4秒かけて、ゆっくりと回転する。



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