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第64話 想いとココロ

 ぎゅむむむ、と
 白い地面を踏み締める感触を楽しみながら、レイチェルは山道を跳ねるように歩いていた。真っ白な新雪を選んでは足を運び、再び少し離れた新雪へと飛ぶ。
 そしてお約束通りに足を滑らせ、ズデンと尻餅をついた。小脇に抱えていた薪が周りに散らばる。
「何やってんだよ・・・そういうのはチャイムの役目だろう」
「!・・み、見てたんですか・・・」
 少し離れた茂みの向こうにエアニスが居た。エアニスも沢山の薪を抱えている。誰も見ていないと思い遊んでいたレイチェルは思わず頬を赤く染めた。
 がさり、と、今度は薪を抱えたチャイムが姿を現す。
「ちょっと! あたしの事どんだけオッチョコチョイだと思ってんのよ!!」
 そう叫び大きく踏み出したが、足を滑らせてひっくり返り、再び茂みの中へ吸い込まれていった。
 それを見届けたエアニスは、痛々しい表情で首を横に振った。
 チャイムにも見られていたと知って益々顔を紅潮させるレイチェル。そんな彼女にエアニスが笑いながら手を差し出した。
「雪が珍しいか? エルカカでは雪が降らないのか?」
「いえ、十数年に一度降る事があるとか・・・でも、私は生まれて初めて見ました!」
「へぇ。前は海を初めて見たって言ってたし・・・初めて尽くしの旅だな」
「はい!」
 楽しそうに頷き、エアニスの手を取って腰を浮かすレイチェル。厚いマントがめくれた状態で尻餅をついてしまった為、服が濡れてしまった。おしりに張り付いたドレスを叩く。
 ズドドドと、再び茂みの奥からチャイムが飛び出してきた。その姿はいつの間にか泥だらけになっている。ダン!と着地し今度は力強く地面を踏みしめると、彼女は仁王立ちになってエアニスへ指を突きつける。
「ほら、やっぱりまた!! エアニスはレイチェルにだけ優しい!!
 あたしが滑って転んで茂みの奥の土手に転がり落ちて頭打って一瞬意識飛ばしてたのに、ちょっと転んだだけのレイチェルばっか気にかけて!!!」
 一息に捲し立てるチャイムにエアニスは気圧されながら、
「そ、そうか、大変だったな・・・・。でも知らねーよそんな事・・・・」
 きいぃっ! とチャイムは地団太を踏む。エアニスは頭を掻いた。
「何が不満なんだよお前・・・」
「何って・・・そりゃあ!・・・」
 そこでチャイムが押し黙る。何かを言い返そうと思っているのか、口だけがパクパクと動いていた。そして、チャイムから返って来たのは言葉ではなかった。
 何を思ったか、チャイムは足元の雪を掴むと、エアニスに投げつけた。粉のようにサラサラの新雪は、ぶぁさり、とエアニスへ降りかかり、その頭を真っ白にした。
「冷てっ!」
「ふん、避けずにボケっとしてるのが悪いのよ!」
「避けたらレイチェルに雪がかかっちまうだろーが!!」
「!!」
 ガーンと、今度こそチャイムは何かに打ちひしがれたかのように崩れ落ちる。二人は跪くチャイムに天からスポットライトが当てられているのを幻視した。
 二人が えぐえぐと涙を流すチャイムの取り扱いに難儀していると、最後の旅の連れ、トキがやってきた。
 何故かエプロン姿に頭には三角巾、片手にはお玉を持ったクッキングスタイルだ。
「こんな所にいたんですか。夕ご飯の仕込み終わったんで、そろそろ薪が欲しいんですけど・・・って、何やってるんですか?」
「トキ、エアニスがいじめる!!」
 思わず「おかあさん!」と呼びたくなってしまういでたちのトキに、チャイムは泣きながらすがり付いた。
「あー、はいはい、よしよし。何があったんですか?」
「あのね!あのね!!」
「はい、ええ、うん、そうですか。
 貴方達は本当に面倒臭いですね。もう僕を巻き込まないでくれませんか?」
「ロクに考えもせず拒絶されたっ!!」
「日に日に酷い奴になって行くなこいつは・・・」
 チャイムは「いゃあそれほどでも」と照れるトキを土手に蹴り落とし、怒涛の涙を流しながらその辺に生えている木に抱きついた。
 もはや頼るべき仲間は居ない。

 エアニスは、はーぁ、と溜息か呆れているのか良く分からない器用な息を吐く。確かに、チャイムに対する扱いが日ごろからぞんざいだという自覚が無い訳でもない。エアニスはさめざめと涙を流す(もちろんふざけているのだろうが)チャイムの横に座ると、彼女の頭にポンと手を乗せる。
「あぁ、悪かったよ。何かお前頑丈・・・じゃなくて図太い・・・でもねぇ。
 えっと、頼もしい感じだからさ。つい遠慮ってモンを忘れちまって・・・別に嫌ってるワケじゃねーよ。ごめんな」
 エアニスはぞんざいな感じで、でも何処か優しく、チャイムの赤い髪をくしゃくしゃと撫ぜた。エアニスに触れられた髪から、柔らかく甘い痺れのようなものが伝わる。
「あ、なぁっ、ひあっー!!」
 チャイムはエアニスの手を払いのけようとするが、エアニスの手に触れる事に抵抗でもあるのか、両手を頭の上で泳がせるだけだった。怪しい儀式の踊りのようだ。
「・・・大丈夫かお前、ホント最近変だぞ?」
 あまりにも奇妙なリアクションに動揺し、エアニスは心配そうに彼女の顔を覗き込む。
 熱でもあるかのように耳まで真っ赤にそまった顔。困っているような、でも何処か嬉しそうにニヤついて・・・ハッ!と我に返る。
「気安く触るな妊娠するだろうがーー!!」
 鬼の表情に豹変したチャイムは、ザクッ!っと、手刀をエアニスの鳩尾に突き刺した。一瞬白目を剥き、「うっ」と短くめき声を漏らしたエアニスは、額を地面に押し付けてドサリと倒れる。
「どあほーっ!!」
「ち、チャイムーー!?」
 シンプルな捨て台詞を残し一目散に走り去るチャイムを、レイチェルが追いかけて行った。
 一人残されたエアニスの元へ、土手に蹴落とされたトキがガサガサと音を立て戻ってきた。
「あー病んでますますねぇ・・・恋の病、ですか・・青春ですね」
 ビクンビクンと震えていたエアニスの背中がピクリと動いた。うずくまったまま、訝しげな顔をトキに向ける。
「あ? 何だって?」



 エアニス達はバイアルス山脈の目前まで来ていた。レイチェルの旅の終着点までは、もう数日で到着する。
 一ヶ月で到着する予定だった旅は、様々なトラブルに巻き込まれるうちに既に二ヶ月を過ぎていた。
 山脈の峰は白雪化粧をし、それは山の中腹あたりまで下りて来ている。
 季節は既に冬の始まり。しかも今年は雪が降り始めるのが早かった。
 レイチェルの目指す場所は、バイアルスの山の中腹にあるという。
 急がないと、目的の場所が春まで雪の壁で閉ざされてしまうのだ。

 そして今いるのが、バイアルス山脈手前の山中。その森の中で古びた廃屋を見つけ、一夜の宿としていた。屋敷とも呼べるその廃屋は、建物様式からして軽く50年以上昔の建物だ。何処かの金持ちの別荘か何かだったのだろう。
 こんな汚れて朽ち果てた屋敷に泊まるより、窮屈でも車やテントで眠った方がマシ、という考え方もある。しかし屋敷の中には暖炉があった。今回ばかりは寝床の埃臭さよりも暖炉の火の暖かさが勝ったのだ。ここ数日は特に寒く、そろそろ野宿するには厳しい季節になっていた。
 とはいえ、野宿も今日が最後になるかもしれない。
 明日にはバイアルス山脈の麓にある街に着く。旅の途中に立ち寄る街も、そこが最後だ。

 4人は気まずい空気のまま食事を終え、今はエアニスとトキが暖炉の前に座り込んでいた。
 明りは暖炉の火と、反対側に置いたガソリンランタンのみ。光量は十分でなく大きな部屋の隅には闇がわだかまっている。
 チャイムとレイチェルは食事の片付け係だ。今頃、ふたりで雪を溶かした水で食器を洗っているだろう。

「驚きましたね。まさか気づいていないなんて・・・」
「・・・」
 その頃、エアニスはトキになじられていた。
「エアニスは心の機微というものがまるで分かっていません」
「だっ、・・で、でも、あいつ俺の事平気で殴ってくるし、何かと突っかかってくるし・・・そんな相手を、す、す、好きだって思うか?」
「喧嘩するほど仲が良いって事ですよ。どんな形であれ、好きな相手とはコミュニケーションを取りたがるモノなんですよ」
「そ、そういうもんなのか?」
 問われたトキは手にしていた本の表紙を指差して、
「らしいですよ。この本にそう書いてあります」
「受け売りかよ。って、何だその表紙が微妙にいかがわしい本は!!」
 エアニスは本をひったくると目の前の暖炉の中に叩き込んだ。
 如何わしいと言っても、男女がウットリした表情で顔を寄せ合っている絵が描かれた女性向けの恋愛小説だ。エアニスの基準では、これがいかがわしい本に分類されてしまうらしい。よほど純情なのだろう。
「酷いじゃないですか、まだ読みかけなのに。
 それにしても・・・意外ではありますね。こう言うのも腹が立ちますが、エアニスは飛びきりの美形ですよ? モテるんじゃないですか?」
「今まで俺と一緒に居て俺がモテてる所を見た事があるか?
 というか・・・基本的に人間を避けて生きてきたからな・・・」
「あぁ・・・」
 トキの目が遠くなった。そういえば、ミルフィストにあるエアニスの家は街から離れた森の中にある。それに、エアニスが戦争中にしてきた事を考えれば、人目を避けるようになるのは仕方の無い事だ。
 その為エアニスは異性からそのような感情を向けられた事が無く、また向けられた時の事を考えた事も無かったので、今回の件に戸惑っているのだ。
「多少変わった所はありますが、いい子じゃないですか。くっついちゃったらどうですか?」
「・・・無理だろ」
「何でです?」
「俺は長生きだからな。いつまでもお前達人間とは一緒に居れないんだよ」
 素っ気無く言った割に、それは重い言葉だった。その意味を理解し、トキは口をつぐむ。
 普段意識する事は無いが、エアニスは普通の人間ではない。エルフと人間の混血なのだ。
 エルフは種族にもよるが、人間の数倍の寿命を持つ。生まれたら人間と同じスピードで成長し、最も身体が健康な状態に達すると成長は止まり、寿命を迎える直前までその姿を保つ。鋭い五感を持ち、桁外れな魔力を身に宿す、人間よりずっと優れた種族。
「関係ないんじゃないんですかね・・・そんな事」
 気休めを言っているような気がした。トキは自分の言葉が上滑りしている事を自覚し、すぐに言わなければ良かったと後悔した。
「取り残される身になってみろ。お前だって分からない訳じゃないだろう」
「それは・・・」
 トキの言葉が途切れた。暫く暖炉の炎を見つめたまま、黙り込む。そして、これまでとは少し違う声色で、こう続けた。
「それでも、失う事を恐れ、求める事を止めるのは、良くないと思います」
 はっきりと言われてしまった。
 エアニスは唇を噛む。返す言葉も無い。それは、ただ恐れて逃げているだけだから。
「・・・別に求めてねーし・・・」
「またまた。嫌い、ではないんでしょう?」
 ギロリ、とトキを睨むエアニス。トキはわざとらしくブルルと身を震わせた。
「いや、これ以上いじめるのは止めましょうかね。僕がおちょくったせいでお二人の関係がぎこちなくなるのも忍びないですし」
 トキは荷物から毛布を出し、鞄を枕にして横になる。
「僕はもう休みます。見張りの方はよろしくお願いしますね」
 このタイミングで言われると腹が立つが、今日はトキが食事係、チャイムとレイチェルが片付け係りで、エアニスが夜の襲撃に備えた見張り係りだ。
 エアニスは剣とショットガンを持ち、肩に自分の毛布をかけると、屋敷の外へ出て行った。



 虫の音が響く夜の森がエアニスは好きだった。しかし彼らの殆どが各々の役目を全うし、森の土に還ってしまった。時折聞こえる弱々しい虫の音は、侘しさしか感じられない。風も無い夜の森は耳が痛いほどに静かだ。
 車の窓は少しだけ開けてあり、冷たい風が入り込む。窓を閉め、完全に外気を閉ざしてしまうと、外の気配に対し鈍くなってしまうからだ。
 目を閉じ、エアニスは耳と肌で屋敷の周りの様子を監視する。車のシートに座り居眠りしているようにしか見えないが、ちゃんと仕事はしているのだ。
 1つの気配に反応して、エアニスが目を開ける。目を閉じて暗闇に慣らしたエルフの目は、月明かりも乏しい暗い森の中でも、相手の姿を認識する事が出来る。
 その姿を認め、エアニスの鼓動が早くなる。思わず自分の胸を叩き、舌打ちをした。
 車のドアを開けて、助手席に座り込んだのはチャイムだった。
「はい。暖かいコーヒー」
 両手に持っていた2つのカップの1つを突き出した。
「な、何だ気味が悪いな・・・」
「失礼ね! 有りがたく頂きなさいよ!!」
「熱あっ! 何なんだよもう!?」
 熱々のコーヒーが注がれたアルミのカップを頬に押し当てられ、エアニスが悲鳴を上げた。カップを引ったくり、息で冷ましながら口にする。
「!、変な薬でも入れてないだろうな?」
 眠り薬か、ひょっとすると惚れ薬とか。そいえばチャイムは元・魔法医だ。
「入れるかっ!」
 言いながらエアニスの頬を引っ張り、横を向かせた。
「・・・ぶっ」
「あにがおかひぃ?」
「ううん、別にっ」
 頬を引かれたエアニスの顔が面白かったわけではない。自分自身が滑稽で、おかしかったのだ。
(変なの、ケンカしてる時だけ、普通に話せるなんて・・・)
 チャイムは自分のカップに口を付け、緩む口元を隠した。

 いつの間にか、エアニスの事を考えている時間が多くなっていた。
 それは旅も終りに近づき、別れの時が近づいているからだろう。
 旅が終わったら自分は、エアニスは、みんなはどうするのか。
 自分自身、まだ決めていない。
 旅が終わったら、再び自分はエアニスと別の道を歩むのか。
 それは、なんだか嫌だ。
 もっと、たくさん、一緒に居たい。
 こうやって、下らない馬鹿をやっているだけでもいい。
 チャイムは、エアニスと別かれたくなかった。

 チャイムはエアニスの頬から手を離すと、助手席のシートに座りなおし、コホン、と咳払いをする。
「ちょ、ちょっと、お話しよっか」
「・・・説教ですか?」
「・・・怒るよ」
「・・・すまん」
 チャイムの言葉に真剣味を感じ、エアニスはふざけるのをやめた。
「話したくなかったらいいんだけどさ」
「何だよ」
「レナさんの事」
 その名を耳にしてもエアニスの表情は変わらない。チャイムは話を続ける。
「エアニスにとって大切な人だったって事は知ってるけど、その・・・」
 チャイムは僅かに口ごもってから、エアニスを見上げながら問いかけた。
「・・・好き、だったの?」
 ストレートに聞いたチャイムに、エアニスは眉根を寄せる。
 がりがりと頭を掻き、少しだけ考える素振りを見せてから---首を振った。
「いいや、多分・・・そういうのじゃ・・・無かったんだと思う」
 エアニスはシートに深く沈み込み、、観念したような、諦めに近い表情で話し始めた。
「あいつと一緒に居たいと思ったのは・・・そうだな、自分の生きてる意味をあいつに見出していたから・・・だと思う」
 自分の想いをエアニスは初めて口にしていた。忘れてはならない、しかし思い出したくは無い過去。自分でもまだ完全に整理できていない想いを、最も相応しい言葉を選びながらチャイムへ伝える。

「レナは・・・とても価値のある人間だった。
 もっと沢山生きて、沢山の人々と触れあい、あの優しさを分け与えてゆくべき人間だった」

 初めは、エアニスの目に偽善とすら映ったレナの優しさ。しかし、それが本物だと気付くのに時間は掛からなかった。
 レナは優しい人間だった。その優しさは、自分の身すら省みない危ういものだった。
 それを知ってから、エアニスはレナの事を放ってはおけなくなった。

「だから、あいつを守る事が、あいつに必要とされた事が嬉しかった。
 金や自分の為じゃない。初めて、他人のために剣を振るいたいと思った。レナを守ることで、初めて、自分が生きている意味のある人間になれたと思えたんだ」

 不思議な気持ちだった。自分の気持ちを、別の視点から客観的に聞いているような気分だった。言葉にしてみて、あぁ、俺はそう思っているのかと、改めて知った。

「だから、好きだとか、忠誠心だとか、そんな大層な物じゃない。
 簡単に言っちまえば・・・あいつに依存していたんだ」

 最後はいつものエアニスらしく、自分の想いをぞんざいに、自虐的に結論づけた。手のひらを上に向け、もうこの話はお終い、と意思表示する。
 一気に話しきり、エアニスは大きく溜息をついた。
 嘘は、ついていない筈だ

「そっか・・・いいな、レナさんは」
「・・・」
 何がいいのか、チャイムに問いたいと思うエアニスだったが、何と無く言い出せなかった。
 二人の間に穏やかな沈黙が落ちる。
 チャイムはエアニスの横顔を見た。いつも通りの、不機嫌そうな表情。
「・・・何でそんな事を聞く?」
 いつも通りに見せかけていたものの、実は沈黙に耐えられなくなっていたエアニスが振り向く。
 不意にふたりの視線が間近でぶつかる。何故か心臓が跳ね上がり、チャイムは慌てて顔を逸らす。ごちゃごちゃに絡まり始めた思考を働かせ、とりあえず口を動かす事だけを考えた。
「んんっと、別にっ。何となく、エアニスはレナさんの事が好きで、今も想ってるのかなーっなんて。
 え、エアニスの中に、あたしの居場所とか・・あ、ある・・のかなーって・・・」
 段々と小声になってゆく言葉にあわせ、チャイムの顔にドクンドクンと血がのぼってゆく。
 頭が真っ白になって、自分が何を言っているのか分からない。ただ、とんでもない事を言ってしまった様な気がした。
(やば・・・何言ってんのあたし・・・!)

 チャイムは熱いコーヒーを一気に飲み干すと、ドアハンドルに手をかける。
「あ、あは、今のナシ! 忘れて!!」
 逃げるように車の外へ出ようとするチャイム。その手をエアニスが掴んだ。
「え! なっ! 何!?」



 顔を真っ赤にし、汗をだらだら流すチャイム。いつの間にか窓ガラスの内側が曇っていた。
「お前から話をしようって言ったんだろ。見張り、暇なんだよ」
「へっ?」
 エアニスはチャイムの手を引きシートに座らせると、不機嫌そうな表情で・・・照れ隠しの表情で言った。
「もう少し・・・話をしよう」



 いつも通りのエアニス。その言葉に、チャイムは救われたような気がした。
 あのまま逃げ出していたら、明日の朝どんな顔をして会えば良かったか。
 とにかく、いつもの当たり障りの無い馬鹿話で、今の出来事の記憶を上塗りしてしまおうと、チャイムは考えた。
 正直、あんな言葉を口走ってしまった事を忘れるなど到底出来そうに無いが、話の流れでお互い無かったような雰囲気になれば、チャイムの精神防衛線は保たれる。
 無かった事に、してしまおう。

 それから二人は、これまでの旅についての思い出話をした。たった二月の事だが、話す事は沢山あった。
 チャイムがエアニスと初めて出会ったミルフィストでの路地裏。追っ手に跳び蹴りを決めながら現れたエアニスを見て、チャイムもレイチェルも、最初は女の人に助けられたと思ったらしい。
 オーランドシティで見た珊瑚礁。チャイムは、『また皆で見に行こう』という約束を、エアニスが忘れていない事を確認した。
 旅の話から脱線して、エアニスはチャイムは歌が好きだという話を聞いた。故郷であるエベネゼルの教会で歌う聖歌・・・ではない。酒場のステージで楽器をかき鳴らし、酔っ払いと踊りながら歌うのが好きなのだという。
 エアニスは、うっかりと口を滑らせ昆虫が苦手という事を暴露した。都会っ子じゃあるまいしと呆れるチャイムに、絶対にトキに言うなよ、と青ざめた顔で言った。背中にムカデでも入れられた日には、比喩表現抜きでシッョク死出来るらしい。

「でね、レイチェルと一緒に食べに行ったアンジェリカっていゆケーキ屋がすっごく美味しくてさ」
「アンジェリカ? アンジェリカならミルフィストに本店があるぞ」
「そうなの!? ね、ね、本店の味ってのはどんなの!?」
「いや、知らねぇ。行った事ないから・・・」
「うわあぁ!! 勿体無い!! チーズケーキ好きとして勿体無いよエアニス!!」
「そんなに美味いのか・・・だって本店って凄いボロ屋だぞ? とてもそうには見えなかったけど・・・」
「そーゆー所が創業120年ッ! て感じがするんじゃない!
 分かってないわねエアニス!!」
「ふうん。ミルフィストに戻ったら行ってみるか・・・」
 そう呟いたエアニスの顔が、僅かに曇った。
「・・・どうしたの?」
 それを見逃さなかったチャイムが、心配そうに問いかけた。
「いや、今回の件で、俺の素性がバレた事があっただろう」
 少なくとも、あの魔族達と、ルゴワールには、エアニスの本当の名前がザード=ウォルサムである事、そして"月の光を纏う者"だという事を知られている。
「ザード=ウォルサムを恨む奴は多い。・・・お前の故郷とかな。
 もし俺が生きているという噂が流れれば、そういう奴らが動き出すかもしれないし・・・
 やっぱり、暫くミルフィストには戻れないな。ほとぼりが冷めるまで、街を転々として過ごすか・・・」
「旅を続けるって事?」
「そうだな」
「・・・ふぅん」
 チャイムは、寸前のところで言葉を飲み込んだ。
 あたしも、エアニスと一緒に行ってもいい?
 どうしても告げたかったその一言を、飲み込んでしまった。
 怖かったから。
 せっかく先の失言が無かったかのように、二人で楽しく旅の思い出話をしていたのに、再びこの場の空気をぎこちないものにするのが怖かった。
 だから、チャイムは自分の想いを仕舞い込む。

「一緒に行かないか?」
「え?」
 予想外の言葉に、チャイムは自分の耳を疑う。
「レイチェルは旅が終わったら村を復興させるって言ってるし、トキもそれを手伝うつもりらしい。
 俺は一所に留まる訳にはいかないから、手伝えない。旅を続けなくちゃいけない」
「・・・・・っ!!」
 チャイムは綻ぶ表情を隠す事が出来ずにいた。エアニスから、そのような言葉を掛けて貰えるとは思っても見なかったから。
 思わず歓喜の声を上げながらエアニスに抱きついてしまいそうになる衝動を、寸前の所で堪えた。それでも、チャイムの中で嬉しさはどんどんと膨らんでゆき、いてもたってもいられなくなる。
 やがてチャイムの感情が爆発寸前に迫った時、エアニスが途切れさせていた言葉の続きを口にした。
「情けない話だが、もう一人は・・・嫌だ。
 なまじ、人の優しさを知ってしまったから・・・。
 もう、昔みたいには振る舞えそうにない」
 沸き上がっていた感情が、急速に凪いで行く。
 チャイムは唖然とした。こうもハッキリとエアニスが弱みを見せた事は無かったからだ。
 同時に、嬉しくもあった。自信の塊のようなエアニスが、自分にこのような一面を見せてくれた事を。
 だから、チャイムは優しく、エアニスに言う。
「・・・それが、普通なんだよ。
 一人で生きていける人間なんて居ないんだもん。
 強がって一人で生きている人より、自分の本当の気持ちを話せる人の方が、ずっと強いんだよ」
 チャイムは、エアニスの手を取った。互いの手を合わせ、指を絡める。普段のチャイムなら、こんな事をしたら顔から火を噴いているだろう。でも、今のチャイムは、不思議と穏やかな気持ちでいられた。
 エアニスは驚いた様子で、握られた自分の手と、彼女の顔を見る。
「あたしでよかったら、いつでも一緒に居てあげるからさ」
 自然と、そんな言葉が漏れた。
 今までエアニスの事を意識して、ぎゃあぎゃあと騒いでいたのが馬鹿のようだ。
 エアニスも、穏やかな表情で微笑んだ。
「・・・ありがとな」

 本当の気持ちを話せる人のほうが、ずっと強いんだよ------
 自分で言った言葉が、チャイムの胸にチクリと刺さった。
 本当の気持ちを言えていないのは、自分ではないか。
 自分だって、強く有りたい。
 力の強さでは無理でも、心の強さだけでもエアニスと並んでいたい。
 自分の気持ちを、はっきりと言葉で伝えたい。

 チャイムはエアニスの手を、強く握った。
「あ、あのね!」

「あれ・・・あそこに居るのトキとレイチェルじゃねぇか?」
「うおああああああああああーーーー!!!」
 まるで手に噛み付いた蛇を振り払うような勢いで、チャイムはエアニスの手を振り払う。そのまま脱兎の如く車から飛び出そうとガチャガチャとドアハンドルを引きまくるチャイムを、エアニスは慌てて捕まえた。
「馬鹿! 暴れんな黙れっ!!」
「むっふぅーーーーん!!」
 エアニスに口を塞がれ、腰に手を回されたチャイムは更に暴れる。後ろから抱きつかれているような格好だ。さっきまでの穏やかな波面のような心が一転、地獄の釜の如く荒れ狂う。
 エアニスは、二階のテラスに立つトキとレイチェルを見上げる。トキ達はエアニスの視線に気付いている様子はない。良く見ると、トキがレイチェルの手を取って、何か話をしているようだ。
「おぉぉー! な、なーんかやらしー雰囲気じゃね?」
「やらしいのはアンタだクソロンゲ!!」
「ぐごっ!!」
 エアニスに背後から抱きつかれたままになっていたチャイムは、頭突きで真上にあったエアニスの顎を粉砕した。



 トキが目を覚ますと、部屋には誰も居なかった。
 布きれで作った即席カーテンを隔てた向こう側にチャイムとレイチェルが眠っている筈だが、いつの間にか二人分の枕代わりの荷物と毛布だけが無造作に広がっていた。
「護衛失格ですね・・・」
 自分の頭を小突きながら部屋を見回すトキ。しかし、悪意のある気配が近づけばトキは間違いなく目を覚ます。それが無かったと言うの事は、二人に良くない事が起こっている訳ではないと思うのだが。
 テラスに続くドアが開いている。
 その向こうで、レイチェルの淡い金糸の髪が揺れているのを見た。
 トキは安堵の息を漏らし、窓に近づき、そっと壁をノックしようとしする。突然声を掛けると驚かせてしまうと思ったからだ。
 その手が止まる。
 レイチェルは、テラスの手摺に手を置いて月を見上げていた。
 月明かりのせいか、体の調子が悪いのか、肌が青白く見える。
 その姿が、輪郭が。
 夜闇に滲むように、揺らいで見えた。

 トキは捕まえるように、レイチェルの細い腕を乱暴に掴んだ。
「きゃあっ!」
 夜中に声も掛けられず、いきなり腕を掴まれたのだ。レイチェルは驚き、思わず短い悲鳴を上げる。そして自分の腕を掴んでいる相手を見て、戸惑うようにその名を呼ぶ。
「と、トキさん?」
「・・・・あ・・」
 トキは伊達眼鏡の下の目を擦る。目の前には、レイチェルが居た。何もおかしな事は無い、普段どおりの彼女が居た。
 何だ、今のは?
 彼女の姿が滲んでて見えたのは、単に寝惚けていたのか、旅の疲れが溜まっているのか。
 ただ、それを見た瞬間、トキは怖くなった。
 レイチェルが、目の前から消えてしまうような気がしたのだ。

「あ、あの、ちょっと・・トキさん、近い、です・・・」
 レイチェルはトキから目をそむけ、恥ずかしそうに身を引いた。気づけばトキはレイチェルの腕を掴んだまま、息が触れるほどまでに引き寄せていた。
 トキはレイチェルの腕を離し、慌てて一歩後ろに下がった。
「!、あぁ、すみません・・・」
「いえ、大丈夫、です・・・」
 顔を真っ赤にして、消え入りそうな声で答えた。二人の間に気まずい空気が流れる。
 まるで、トキがレイチェルに迫っているような格好だった。勘違いとはいえ、このような暴挙をエアニス達にでも見られていたらと思うと----
 そう考え、トキが辺りに視線を巡らせると、トキの居るテラスの下、屋敷の玄関先に止められた車の窓から、エアニスとチャイムがアホのように口を開けてこちらを見ていた。
見られていた。

 ボガン!と轟音を響かせ、ボンネットに黒い影が落ちてきた。トキがテラスから飛び降りて来たのだ。フロントグラスの向こうから、黒い影が車の中を覗き込んでいる。その表情は夜闇と月明かりの逆光で見えず、眼鏡の無機質な光だけが影の中に浮かび上がっていた。
「・・・っっっ!!」
 二人は本能的な恐怖に襲われ、一瞬にして喉が干上がった。



 真夜中の森の中、子供と呼ぶにはもう無理のある男女がぎゃあぎゃあと騒ぎながら走り回っている。
「見たか、今のレイチェルのリアクション!! 顔真っ赤にしてたぞ!!」
「あの子にも恥じらいって感情が芽生えたった事ね!!
 でもでも、それってどういう事なのかな!!?」
「決ってるだろうが!! レイチェルがトキのうぼあぁっ!」
 トキのドロップキックがエアニスの背中に突き刺さった。
 弁解の言葉が思いつかないトキは、二人の記憶を実力で消す為に容赦なく襲い掛かる。レイチェルはその様子をテラスからぽかんとした表情で眺めていたが、不意におかしさがこみ上げクスクスと笑った。

 口元に当てた右手に違和感を感じた。
「・・・っ」
 違和感。
 まるで自分の体じゃないような、感覚のズレ。
 ここ数日、この違和感を感じる事が多くなっていた。
 右の手のひらを握り込む。何もおかしな所は無い。
 自分の右手。自分の体。
 しかし、レイチェルは本能で感じる。
 残りの時間は少ない。

「ごめんね。あとちょっとで終るから・・・
 だから、もう少しだけがんばって・・・」
 胸元のヘヴンガレットを握り、祈るようにそう呟く。
 そうして、レイチェルはバイアルス山脈の方角を見据える。
 旅の終点は、もう目前だ。

第65話 全てを知る者

 ファウストはバイアルス山脈の北に位置する、この国の最果ての町だった。
 ここから南には6,000メートル級の山々が延々と連なり、太古の昔より文明の進入を拒み続けてきた。山脈を越えるには一般的には海路が使われ、国軍や一部の富裕層は魔導式の航空機を使う。因みに、全機械式の航空機でバイアルス山脈を越えたという記録は、今の所無い。
 バイアルス山脈の北と南を空路で結ぶ貿易の要となる町であるため、最果ての町と呼ばれる割には活気のある栄えた街だ。
 物資を運ぶ手段は馬車よりも自動車の方が多い事も、この街の特徴だった。行き交う自動車の殆どが軍の払い下げ車両である。色を塗り直し荷台に幌を着けたりしているが、戦場を走る事を想定して作られたいかめしさは、容易に拭い去ることは出来ない。大戦中も物資と戦力が集中する街であり、終戦後に大量の自動車がこの街に残された為だ。
 皮肉な事に、ファウストは戦争によって栄えた街となった。

「戦争で栄えたと言っても、物資輸送の拠点になったと言うだけで、戦場が近いとか、傭兵が集まって治安が乱れた等といった事が無く、戦争特需の美味しい所だけにあやかった街なんですね、ここは」
「ふーん」
 街についての知識をひけらかすトキに、エアニスは関心の欠片も無い声で答える。
「栄えていると言っても・・・少し賑やかすぎませんか?」
 レイチェルが窓に張り付きながら言った。
 エアニス達の車は街のメインストリートを走っている。家を並べて建てられる程に広い道を、何処かの商社の運送車と、作物を積んだ荷馬車が入り乱れるように走る。それはある程度大きな街であれば何処にでもある風景だったが、沿道を行き交う人々の様子が違った。
 所狭しと露天が立ち並び、露天の庇と庇を繋ぐように雪の結晶を模した飾りが吊り下げられている。道行く人々も、着飾っている人が多かった。
 まるでお祭りのようだと、レイチェルは思う。
「お祭りですよ。
 この地域の冬は厳しいので、この季節になるとみんなで山の神様にお願いするんですよ。今年の冬も何事もありませんように、とね。戦争のせいで暫くお祭りを行う事が出来なかったそうで、今年は数年ぶりの開催だそうです。だから、街の皆さんも気合が入っているそうですよ。
 全く、平和な世の中になったものです」
 何故か肩を竦めるトキ。エアニスも白けた目で町の喧騒を眺めている。
「やれやれ・・・こっちは旅の終着点だと思って気合入れて来てるっつーのに・・・」
 そうぼやいて、伸びをしながらシートに沈み込む。
 彼ら4人にとって、戦争とは当たり前の事だった。物心ついた頃から世界は戦禍に飲まれており、戦争が終結したのはほんの一年半前なのだ。人生の大半を、戦争と共に歩んできたのだ。
 だから、未だに"戦争の無い世界"に対して、違和感を覚えてしまう事があった。
 ドン、パパン
 突如響いた破裂音にエアニスは腰を浮かし、シート下に隠した銃に手を伸ばす。
 苦笑いを浮かべてトキが言う。
「音花火ですよ」
 抜けるような青空に、チカチカと瞬く光と白い煙が見える。
 エアニスは口をへの字に曲げ、目元を手のひらで覆った。



 バイアルスの山は、普通であれば人間が立ち入る場所ではない。人の足で踏破できる山では無いからだ。それでも麓で狩をする猟師や、山の中に畑を持つ人々の為に、申し訳程度の登山道が伸びている。しかしその登山道も、少し進むだけで無数の立て看板によって遮られてしまった。
 赤字に黒い骸骨のマーク。
 地雷原の印。
「これは・・・予想外の展開ですね」
 トキは乱立する看板と、その間を結ぶように張り巡らされた有刺鉄線を眺め頭を掻く。
「他に山への入り口は無いのか?」
 何と無く足元の土を踵で削りながら、エアニスがレイチェルに尋ねる。
「あるとは思いますが・・・神殿に続く道順は、一通りしか教えられてません・・・」
「そっか・・・」
 削り取った地面から、グシャグシャに捻れたプラスチックの破片が幾つも見つかった。この辺りにも、以前は地雷が埋まっていたのだろう。
 エアニスは辺りを見回す。夕方と呼ぶにはまだ早い時間だが、太陽は早々に山陰に隠れてしまい辺りは薄暗い。もちろん今から山登りを始めるつもりは無く、山の入り口の確認をするために立ち寄っただけだ。
 明日一日を準備と休息に当て、明後日の早朝から山に入る予定だった。しかし、その予定もこの状況では後にずれ込んでしまいそうだ。

「とりあえず、一個くらいは地雷拾って帰りましょうか。どんなタイプの奴が埋まってるかによって何とかなるかもしれませんし」
 何気ないトキの提案に、チャイムとレイチェルは目を剥いた。
「そうだな。面倒だが、暗くなる前にやっちまうか」
 エアニスは右脇に挿した小振りのナイフを引き抜く。
「ちょ、ちょっとちょっと!!」
 まるで芋掘りでも始めるかのような気軽さで地雷原に踏み入ろうとする二人を、チャイムは慌てて止めようとする。
 その時。
「お主達、そこで何をしておる!?」
 それよりも早く、随分と古風な言葉使いの、しかし凛とした女の声が響いた。

 少し離れた茂みに立っていたのは、金色の髪を長く伸ばした、背の高い女だった。髪は首の後ろで一つに結んでいる。厚手ながらも動きやすそうな、猟師のような服を着ていた。
 猟師のような、ではなく、恐らく彼女は猟師なのだろう。彼女は大柄な散弾銃を構え、トキとエアニスに狙いをつけていたからだ。
 銃は基本的に軍人しか持つ事を許されていない。しかし、民間人でも仕事の上で必要と判断されれば、軍から許可証を受け取る事で、特定の銃ならば持つ事を許されている。
「軍の関係者ではないな? 地雷泥棒か?
 もうこの街には地雷を買ってくれるような奴などおらぬぞ!」
 まるで老人のような言葉使い。もちろん女は老人ではなく、二十代前半、エアニスと同じか、少し上位のように見えた。
「待て待て、泥棒なんかじゃない。この山の奥に用事があって来たんだ」
 エアニスはナイフを投げ捨て、両手を頭の上に上げ抵抗の意思が無い事を示す。
 そしてさり気なく一歩後ろに下がり、何食わぬ顔で銃を抜いたトキの右腕を、その背で女の視線から隠した。
 それを見ていたチャイムとレイチェルに緊張が走る。彼女が敵かどうかは分からないが、確かに、いきなり猟銃を向けられた以上ただ言うなりになる訳にもいかない。
「この山の事を知らぬ訳でもあるまい。この先は人の手も入らぬ未開の地、何も無いぞ。それに、大戦の後からは許可の無い者は立ち入る事は出来ぬ」
「そうなのか・・・この街には今日着いたばかりだから知らなかったんだよ。
 というか、まずその物騒なモノを下ろしてくれ。落ち着いて話もできないだろうが」
「む・・・」
 物静かなエアニスの言葉に危険は無いと感じたのか、女は渋々といった様子で銃口を下ろした。
 同時にエアニスが身を翻す。
 その後には腰だめで銃を構えたトキが居た。トキは女の持つ猟銃を撃つ。
 銃身に当たった弾は女の手から猟銃を跳ね飛ばす。驚いた様子の女にエアニスが飛び掛った。
 自分達がこの山の入り口に居たという事を誰かに知られるのは都合が悪い。情報が何処を伝ってルゴワールの耳に入るのか分かったものではないからだ。エアニス達が今日この場に居た事を他言しないように彼女を"説得"するか、場合によっては2、3日程監禁させて貰わなくてはいけない。
「悪いな」
 猟銃を蹴り飛ばし、エアニスは女の手を掴み地面に組み伏せようとする。
 スパンと、エアニスの足が払われた。同時に掴んでいた女の腕に、泳いだ上体を強引に引き寄せられた。エアニスの視界は半回転し、背中と後頭部を硬い地面に叩きつけられる。
「ッ!??」
 痛みより驚きが勝った。いや、驚く暇すら許されなかった。女が手にしたナイフが、エアニスの頭に振り降ろされようとしていたからだ。
 唐突にナイフの軌跡が跳ね上がる。
 女のナイフを蹴り飛ばそうと飛び掛ってきたトキを、彼女は迎撃しようとしたのだ。
 踏み込みの足をエアニスの腹に打ち込み、女のナイフが一直線にトキの足を迎え撃つ。
 金属の擦れ合う音を立てて、トキの右足が女のナイフを弾く。彼のブーツには靴底と爪先に鉄芯が入っていたのだ。トキのブーツはそのまま、女の右肩に食い込んだ。
 その手応えにトキは目を剥く。まるで、岩を蹴ったような感触だったのだ。実際、トキの蹴りをまともに受けた女の体は、ピクリとも動いていない。
「甘いわッ!!」
 まさに鉄拳。彼女の鉄のような拳が、トキの右頬を殴り飛ばした。

「・・・ぐ、おぉ・・」
 腹を踏み潰されたエアニスが腰の剣に手を伸ばそうとする。しかし意識がはっきりとしないのか、その動きは緩慢だった。
 女は猟銃を拾い上げると、剣に指をかけたエアニスの右腕を踏みつける。
「いきなり襲いかかるとは・・・やはりロクでもない連中のようじゃな!」
 手馴れた動作で、女が猟銃のボルトを操作した。
「待って!」
 レイチェルが銃を構える女の元へ駆け寄る。
「動くな!!」
 女は猟銃をレイチェルに向ける。しかし、レイチェルの足は止まらない。まるで素人のような行動が、女の判断を迷わせた。
 猟銃は散弾を放つ事無く、レイチェルの手に掴まれ銃口を誰も居ない森に捻じ曲げられた。
「すみません! ごめんなさい!! これには事情があるんです!!!」
「その、ロクでもない奴ってのは当たってるんですけど、本当に!
 とにかくごめんなさい!!」
 チャイムとレイチェルが女の前で頭を下げて謝り倒す。
 女は目を白黒させて、2人と足元で伸びているエアニスを交互に見た。
「!!!」
 彼女は目の前で頭を下げる少女、レイチェルの胸元の黒いガラス玉に気付いた。
 そして、その髪と瞳の色、顔立ちに良く知る人間の面影を見る。
「お主ひょっとして・・・シャノンの娘か?」
「・・・!!」
 不意に耳にした父の名前。
 レイチェルは驚愕の表情で彼女を見上げた。



 女の家は比較的街の中心にあった。家の中には街で売られているような家具は殆ど無く、荒々しく切り出された樹木で作られた手作り風のテーブルに、丸太で作られた椅子などが並ぶ。石で組まれた暖炉には火が灯っており、部屋の中は暖かい。電気を引いていないのか、明りは暖炉の火と白灯油のランタンのみ。オレンジ色の明りが室内を柔らかく照らしていた。
 まるで市街地の中に現れた、山奥の別荘。
 レイチェルが懐かしそうに部屋を見回す。エルカカの村も、このような雰囲気の家が多かったからだ。
「いい雰囲気のお家ですね」
「良いじゃろう? わしの趣味じゃ」
 女は食器棚から酒瓶を取り出す。
「どうじゃ、一杯?」
 脈絡の無い誘いにレイチェルは戸惑いながら、
「い、いえ、私はお酒はちょっと・・・それにまだ17歳ですし・・・」
「気にするでない。この国の法律に飲酒の年齢制限は無いぞ」
「えっと・・・はあ、じゃあ、少しだけ・・・」
 押しの弱いレイチェルは、何処か女に押し切られるような形で、グラスを受け取る。瓶の中身は葡萄酒のようだ。
「わしの名は、ティアドラじゃ。6つ目の石を封印する時、シャノンには世話になった」
 女は名乗ると、懐かしそうにレイチェルの顔を見る。
「レイチェル・・・じゃったな? シャノンの馬鹿からお主の話を嫌という程聞かされたぞ。自分に似ているだの、母親に似て優しいなど、な」
「・・・はい」
 レイチェルは寂しそうに笑い、グラスに口を付けた。
「そうか・・・あ奴も逝ってしまったか」
 ティアドラも目を伏せ、小さく息を吐いた。

 ティアドラは、エルカカに縁のある者だった。
 このバイアルス山脈に、"石"を封印する為にやって来たエルカカの民を、神殿まで導くのがティアドラの役目だという。
 その素性を隠した上でファウストの街に住んでいる為、レイチェルはティアドラの存在を聞かされていなかったらしい。当然だろう。彼女の存在が"石"を狙う者達へ知られたら、彼らはまずティアドラを狙う。彼女の存在は、エルカカの中でもトップシークレットなのだ。

「お主もどうじゃ?」
 ティアドラはチャイムに瓶を向ける。
「ん・・・頂くわ」
 しんみりとした空気に飲まれたまま、チャイムはグラスを受け取る。
「チャイム=ブラスハートよ」
「お主が襲撃から逃れたレイチェルを助けてくれたのじゃったな。
 ワシからも礼を言わせて貰おう」
 これまでの出来事は、既にティアドラに伝えてあった。
「ううん、あたしとレイチェルだけじゃここまで来れなかったわ。
 ここまで来れたのは・・・あのふたりのお蔭です」
 チャイムが目を向けた先には。
 顔を青くして腹を押さえるエアニスと、右の頬をパンパンに腫らしたトキが居た。
 真面目な空気が白けてしまう。
「・・・お主らも飲むか?」
 ティアドラの言葉に、
「俺は酒は下戸だ」
「あっはっは、僕も遠慮しておきます。
 何を口にしても今は血の味しかしないでしょうからねー」
 エアニスは無表情で、トキはギスギスした笑顔で答えた。
 因みにエアニスは酒が全く飲めない。エアニスに限らず、エルフ族はアルコールに対する抵抗が人間に比べ弱いのだ。ハーフエルフであるエアニスにも、その体質は少なからず受け継がれていた。
 以前チャイムは、エアニスに無理矢理酒を飲ませてしまった事があったのだが、その時は大変な騒ぎとなった。エアニスの酒癖は半端なく悪く、そして酒が抜けるまで3日を要した。
「二人がかりでわしを襲っておいてそのザマか。よくもここまでこの娘を守ってこれたのう」
 ティアドラはカラカラと笑った。
 エアニスとトキは、笑わない。不愉快そうな表情も見せず、ただ静かにティアドラの様子を伺う。
 油断も、無かったといえば嘘になる。しかしそれを差し引いても、ティアドラは強かった。一瞬の攻防だったが、ティアドラの強さの鱗片を感じ取るには十分だった。
 エアニスは席を立つと、レイチェルの肩に腕を回し、部屋の隅へと連れてゆく。
(おいレイチェル、なんだあの女は?)
 エアニスは小声でレイチェルに話しかける。
(私も詳しくは・・・ティアドラさんの事は初めて聞きましたから)
(はぁ!? 大丈夫なのか、正体も分からない奴にコッチの事情を話しちまっても!)
(正体は分かりませんが・・・
 ティアドラさんはエルカカの人間だという事は間違いありません)
(何で分かる?)
(それは・・・)
(それは?)
(・・・えっと。何となく、それっぽいというか・・・)
 エアニスはレイチェルの頭に思わずチョップを入れた。今まで一緒に旅をしてきて、彼女の体に突っ込みを入れたのはこれが初めてかもしれない。旅の終盤においてようやく貰った初突っ込み。レイチェルは何となく嬉しかった。
「エルカカの民はの、同士である事が見ただけで分かるのじゃ。分かりやすく言えば、血に目印となる・・・そうじゃな、呪いのようなものがかけられておる」
 部屋の隅でうずくまる二人にティアドラは話し掛けた。絶対に聞こえないような小声で、それなりの距離を取っていたのにも関わらず、二人の会話は聞き取られていたようだ。エルフ族並みの聴覚だなと、エアニスは舌打ちをする。
「エルカカの民として生まれ、"石"を探すという定めに従う以上、その呪いは親から子へと自然に受け継がれ、その者が定めに背いたり、定めを放棄し普通の生活を選んだりすると、呪いはおのずと消える。
 百人を超える者が同じ目的の為に動いているのじゃ。仕方の無い事じゃが、誰もが皆、同じ思いでいる訳ではない。敵に寝返る者も居れば、民の定めから逃げ出そうとする者もおる。そういった者は自然と呪いが消えて、民の定めに従っている者から見ると、”違って”見えるようになるのじゃ。この呪いのお陰で、エルカカの民は見ただけで、同士だという事が判断出来る。これが今まで、エルカカの民が一枚岩として動く事の出来た秘密じゃ。
 お主は今まで村の外に出た事は無かったのだろう?
 村の者と、村の外の者とは、違ってみえるじゃろう?」
 ティアドラの問い掛けに、レイチェルはハッとした表情で答える。
「・・・何が違うのか、言葉に出来ないけれど・・・分かります。村の外の人達は、明らかに私達と何かが違うんです。
 でも、ティアドラさんからは、エルカカの皆と同じものを感じます・・・」
「それはそうじゃろう。わしも、エルカカの民の血を継ぎ、定めに従っておるのじゃからな」
 ティアドラの言う秘密を聞かされていなかったのか、長年の疑問が解けた、といった表情で何度も頷くレイチェル。
 それに対して、チャイムは難しそうな顔をする。
「血に目印となる術をかけて、それを何世代にもかけて遺伝させるなんて事、出来るのかしら・・・?」
「ふむ」
 チャイムの疑問に、ティアドラは満足そうに頷く。まるで物分りの良い教え子が、自分の期待した通りの疑問を抱いた事に喜んでいるようだった。
「今の世では無理じゃろうな。その術をエルカカの民にかけたのは、伝説にも名を残すエルカカの祖師、魔導師エレクトラじゃ。なおかつ師が存命していた250年前は今と違い、世界を満たす魔力の量が遥かに多かった。今の世界では魔導式が起動する事も無い、失われた術の一つじゃ。
 魔導式を今の世界の魔力量に合わせ、最適化して組みなおせば可能かも知れぬが、元の魔導式も、今となっては誰にも分からぬ。
 ついでに言えば、その効果も永遠に続く訳ではない。印の遺伝は、せいぜい5世代と続かぬだろうな。故に250年経った今、その力も期限切れ目前という訳じゃ」
「はぁ・・・」
 ティアドラの説明に、チャイムは何処か実感が沸かないと言ったような、曖昧な返事を返した。
 理屈は分かるのだが、根拠が無く、胡散臭い。
「おい。何でもかんでもコイツの言う事鵜呑みにするのは危ねぇぞ」
 チャイムはともかく、レイチェルはティアドラの空気に呑まれ掛けていたので、エアニスは冷や水をかけるように口を挟む。
「そうじゃの。己の目で見て、己の耳で聞いた事しか信用しないというのは大事なことじゃ。しかし、自分が見聞きした事が必ずしも真実であるとは限らない事も覚えておくのじゃぞ。人間の五感は簡単に惑わされる物じゃからのう」
「五月蝿いよ。説教臭いよ。あとそのばあさんみたいな言葉遣いをやめろ。アンタ幾つだ?」
「レディに年を訊くとは失礼な奴じゃの。まぁ、この言葉使いは・・・」
 ここで初めてティアドラが言葉を詰まらせる。
「そうじゃの、キャラづくり・・・かしら?」
「作ってるのかよ!!!? 今、語尾が変わったぞ!?」
「そう言うお主は、根暗そうな見てくれの割に騒がしいキャラじゃのー」
 不意にティアドラの手が伸び、エアニスの顔の半分近くを隠す髪を指ですくった。
「ほほぅ、よく見れば綺麗な顔をしておるな。
 ふふふ、嫌いじゃないぞ、お主のような奴」
「なっ!?」
「ちょーーっ!!」
 色目を使い見つめてくるティアドラに、エアニスは戸惑い、何故かチャイムが叫びながら席を立つ。
「きっ、気色悪ぃ事をっ・・・!」
 ティアドラは自身のプロポーションを主張するかのようにポーズをとりながらエアニスに迫る。今のエアニスには彼女の大きな胸の谷間が見えているだろう。
「気色悪いとは酷い奴じゃの。こーんなイイ女に・・・・お、お主煙草を持っておるな。一本貰えぬか? この街では税率が高くてなかなか手がだせんのじゃよ」
「!!・・・、って・・!、話が飛びすぎだ・・・!」
 話のテンポに付いて行けず、エアニスがガクリと肩を落とす。それでも面倒臭そうに胸元から煙草とライターを取り出すと、ティアドラに手渡した。
「ぬ・・・!」
 チャイムが眉を吊り上げる。煙草を受け取る時にティアドラの指が、意識的にエアニスの手を触っていたように見えたのだ。というか、絶対、間違いなく、手が離れるまでティアドラはエアニスの指を絡めるように触っていた。
「ぐぬぬ・・・!!」
 胸を反らす様に椅子にもたれかかり、ティアドラは煙草を咥えて火をつける。足と腕を組み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。腕を組んでいるせいか、もともと目立つ胸元が強調される。煙草を指で挟み、ゆっくりと灰皿に灰を落とす仕草も、いちいち色っぽい。
 チャイムの大人のオンナ像を絵に描いたかのような姿だった。
 それまで黙って事の成り行きを眺めていたトキが、ゆっくりと視線を巡らせた。
 ティアドラ、チャイム、そしてレイチェルへと順番に、視線を巡らせた。
 ネットリとしたその視線は、彼女達の胸に向けられているような気がした。レイチェルの背中に今まで感じた事の無い悪寒が走り、何と無くトキの視線から逃れるようにもぞもぞと体の向きを変えた。



 チャイムは横目でエアニスを見る。
 彼女の心配を他所に、エアニスはティアドラの色香など何処吹く風といった様子で不機嫌そうに足を揺らしている。
 安心した。でも今に始まった事ではないけど、エアニスの女の子に対する関心の薄さは異常なんじゃないかな。トキと一緒暮らしていたって言うしゲイなのかな。
 ん、でも、前々からあたしよりレイチェルにばっか優しいし・・・レイチェルって実連年齢より若干幼く見えるから、ひょっとしてエアニスってロリコン!?
 あ、でもあたしよりレイチェルの方が胸あるし・・・って、何考えてんだろあたし。
 頭をぶんぶか振って、チャイムは憂鬱そうに溜息を吐く。
 因みに。ティアドラのそれに比べると、チャイムの胸もレイチェルの胸もつつましやかなものでしかない。
 そっと、肩を叩かれた。
 振り向くと、そこには優しく微笑みかけるトキが居た。
「大丈夫です。胸がちっちゃくても、チャイムさんならカタチで勝負が出来ますよ」
「心を読むなあァ!! あと何でそんな事を知っている!!!」
 チャイムは丸太の椅子でトキを殴り倒した。更に問い詰めるように、「いつだ!?いつ何処であたしの胸のカタチを見た!!?」と、執拗にトキの腹部を丸太で殴打する。
 二人の間にどんなやり取りがあったのかは知らないが、関われば更に話は脱線する。エアニスとレイチェルはそんな二人に少しだけ目を向けると、何も見なかったかのようにティアドラへと向き直った。

「それにしてもお主、とんでもない業物を持っておるの」
「あ、何だって?」
 突然話を振られ、エアニスは思わず聞き返す。結局、話は脱線してしまったようだ。
 煙草を灰皿に押し付けたティアドラは、楽しげに言葉を続ける。
「その腰の剣じゃ。今は、"オブスキュア" と呼ばれておったか」
 イライラと揺さぶられていた、エアニスの足が止まる。
「歴史の中でも三指に入る魔法剣じゃ。いや、魔剣と呼ばれた時代の方が長いかもしれぬな。持ち主の魔力と命を食い潰し、この世に在らざる者さえも斬り裂く剣じゃろう?」
 ティアドラは何かに気付くと、右手の親指と人差し指で輪を作り、それを覗き込むようにしてエアニスを見た。その仕草にどのような意味があるのか分からなかったが、ティアドラはこう言った。
「おっと、お主はエルフ・・・いや、ハーフエルフじゃな? それだけの魔力を宿していれば、人間と違い剣に命まで喰われる事はなさそうじゃの。なるほど、それなりに相応しい使い手に渡ったという訳か」
 エアニスはまだ、自分がハーフエルフだという事をティアドラに言っていない。言う必要も無いからだ。
 エルフ特有の外見的特徴を持たない彼が、見ただけで自分の種を言い当てられたのは初めてだった。
「その剣の持ち主について聞いた噂だと・・・あの "月の光を纏う者"、ザード=ウォルサムが持っていたという噂を聞いた事があるぞ」
 チャイムも、レイチェルも、トキも、驚きを隠せなかった。エアニスは思わず思わず立ち上がり、ティアドラから離れた。まるで恐れるように。
「"月の光を纏う者" の出鱈目な武勇伝も、"オブスキュア" があれば不可能な事ではないと思っておっておったが・・・ふむ、まさかとは思ったが、やはりそうか。
 お主が、そうなのか」
 ティアドラはそこで一度言葉を切ると、同情とも呼べる表情でエアニスを見上げた。
「二度も"石"に関わるとは・・・数奇な運命じゃの」
 優しげとも呼べるその視線に、エアニスは呆気に取られたような表情で答える。
「何で、そんな事まで知ってるんだよ・・・?」
 知り過ぎだ。ただの知識だけで、これだけの事を言い当てられる筈が無い。ティアドラへの不信感が再び強くなってゆく。
「わしが知っておるのはその剣の伝承と、その持ち主が2年半前にエルカカの協力者だったという事だけじゃ。それだけの事を知っていれば、お主をザード=ウォルサムだと思うのが普通であろう」
 何でもない事のようにティアドラは言う。確かに、その通りかもしれない。
「わしらは世界中に散らばった、たった7つの石ころを探しておるんじゃぞ? 少しでも不思議な噂を聞きつければ、徹底的に調べ上げ、"石"との関連性を疑う。エルカカが長年培ってきた情報網を甘く見るでないぞ?」
「・・・っ、じゃあ何故俺にエルフの血が混じっている事が分かる!?
 見ただけじゃ分からない筈だ!」
 自分がハーフエルフだと言うと事は、二年前シャノン達に教えた覚えも無い。
「言い忘れておったが、わしはこう見えても魔導が本職でな。相手の魔力の総量など、見ただけである程度分かるわ。お主の魔力は、人間のそれでもないが、純粋なエルフと比べると、僅かに劣る」
 そう言って、再び指で作ったリング越しにエアニスを覗き見た。
 レイチェルが恐る恐る口を挟む。
「魔力を持つ人なら、触れる事で相手の魔力量を計る事が出来ます。
 でも、自分の魔力を周りの空間に流し込んだりする事で、相手の魔力を触れる事無く計る方法もありますが・・・。
 見ただけで相手の魔力量を測る方法なんて、聞いた事がありません」
 レイチェルの疑問に、ティアドラはち、ち、ち、と指を振りながら舌を打った。
「それは魔力の無駄使いじゃな。わしは指で作った輪と、瞳を陣に見立て魔導式を流し込んでおる。輪っかで作った境界から、違う視点で世界を覗き込むのじゃ。
 見えるものは魔力だけとは限らぬぞ。魔導式を組み替えれば、あらゆる目で世界を見通す事が出来る」
「・・・・」
「・・・・」
 ティアドラの説明に、レイチェルと、そしてチャイムも表情を引き攣らせる。魔導の知識を持たないエアニスとトキには何の事か分からない。
「何なら、魔導式を教えてやろうか?」
「無理無理無理っ!!!」
「術式の複数同時起動のうえ、陣の媒体に自分の体を使うなんて危険過ぎます!!」
「そんな事もあるまい。それぞれの式はある程度腕のある魔導師なら扱えるものじゃ。それを確実に、一つ一つこなしてゆくだけじゃ」
「か、簡単に言うわね・・・」
 エアニスはチャイムの肩を指でつつく。
「すごいのか、それ?」
「無茶苦茶すごいわ。魔導技術と、命知らずな所がね」
 チャイムは感心したというよりは、呆れているようだった。人体を魔導式の一部に組み込むという事は、万一魔力の制御を失った場合、その身も魔力の暴走、又は崩壊に巻き込まれるのだ。

「とまぁ、わしの言う事を信じて貰うために、わしの博識さをアッピイルしてみたわけじゃが・・・どうにも効果が薄かったようじゃの・・・」
「胡散臭さが倍増してるぜ」
 エアニスは剣から手を離しているが、その目から警戒の色は消えていない。
「では、もう一つ知っていることを話してみるかの」
 ティアドラは椅子に座り直し、空になったグラスに葡萄酒を注ぎながら言う。ぐびりと一口仰ぐと、
「その剣・・オブスキュアの持ち主の話じゃ。恐らく、お主の前のな」
「・・・え?」

「確か 」
 ガシャーーーン!!!
 と、いきなりエアニスがテーブルにダイブしながらティアドラの口を塞いだ。その勢いのまま、エアニスとティアドラは床にもつれるように椅子ごと倒れ込む。
「分かった! お前が博識なのは良く分かったよ!!」
「んっもっふっふー・・」
 慌てるエアニスに、ティアドラは意味ありげに微笑む。
「って、何どさくさに紛れて抱きついてんのよ!!!」
「いでででだあぁぁぁ!!」
 チャイムは、ティアドラに覆いかぶさるエアニスの背を踏みつけ、長いうしろ髪を思いっきり引っ張った。エビ反りになって床を転がるエアニス。
「もう!! ティアドラさんもあまりからかわないでよ!!」
 エアニスに制裁を下したチャイムは、押し倒されて仰向けになったティアドラを引き起こす。ティアドラは立ち上がったと思ったら、おぼつかない足取りでフラつき、そのままチャイムに抱きつくように倒れこんだ。ティアドラはチャイムの背に腕を回し、彼女の胸に顔をうずめる。
「うわぎゃあああああ!!!!」
「むっしっしっし、かーわいー胸じゃのー」
「いいぃぃやぁああああっ!!! あたしそっちのケは無いんだからぁぁ!!!」
 がっしりと両腕と体を固められ、身動きできなくなったチャイムはティアドラのセクハラ攻撃になす術が無い。
 トキとレイチェルは呆気にとられポカンと眺めているだけだった。仕方なく、エアニスはチャイムからティアドラを引き剥がしにかかる。
「やめろエロババア!! いい加減にしないとぶった斬るぞ!!」
「なひをなんばたんじゃがっ!!」
「!!?」
 突然凄い剣幕で怒鳴られた。でも何を言っているのか分からない。
 その威勢も一瞬で消え去り、今度はへろへろとエアニスに寄りかかる。思わず両肩を掴んで、体を支えてしまう。
「・・・こいつ、酔っ払ってるぞ」
 チャイムは机の上に横倒しに鳴った葡萄酒瓶を見る。それほどの量を飲んだ訳でもない。
 ティアドラはエアニスから体を離すと、フラフラと丸太の椅子を起こし、座った。机に突っ伏し、楽しそうに笑う。
「にゃははは、今日はとても気分が良い!」
「何が楽しいんだ・・・コッチはいい加減付き合いきれねーぞ」
「ようやく最後の石が、この地に届けられたのじゃ・・・。
 神殿の護り人として、この日をどれだけ待ち侘びたと思う? 嬉しくない訳があるまい?」
 ゆっくりと、目を閉じてティアドラは呟く。感慨深く、そして嬉しそうに。
「本当に・・・良くがんばったの・・・・」
 その言葉はレイチェルに向けられたものだったのか。
 それを最後に、ティアドラは眠ってしまった。

「・・・ついていけねーな、コイツには」
「うん・・・何か、凄い人よね・・・いろいろ」
 ティアドラを壁際のソファーに寝かせると、ドッと疲れた様子でエアニスは椅子に座り込む。
「で、どうするんですか? ティアドラさんの言う事、信じるんですか?」
 トキも戸惑っているようだった。エアニスは眉間にシワを寄せる。
「こんな馬鹿けた接触をする敵が居ると思うか?」
「・・・居たら嫌ですね」
「何というか・・・疑う気にもなれなくなってきたよ・・・。
 一応、言ってる事もデタラメばかりじゃなさそうだしな」
「それも含めて全部演技、実は敵のスパイでした! という可能性は?」
 エアニスは横目で、よだれを垂らしながら眠るティアドラを見る。
 苦手なタイプだ。しかし、悔しいことにエアニスの本心は憎めない奴だなと感じていた。彼女の間の抜けた寝顔を見ているうちに疑心暗鬼に駆られるのが、馬鹿らしくなってしまった。
 エアニスは肩を竦める。
 彼女のこの振る舞いが全て演技だとしたら・・・
「・・・もしそうだと、もう俺の負けでいいよ」

「信じてもらえてなによりじゃ!」
「うおっ!!」
 ビヨン!!と、ティアドラが跳ね起きる。バネ仕掛けの人形かと思った。
「そんな事より、腹が減ったぞい。今宵は祭りじゃ!外に食いにいくぞ!!」
「え、でも・・・」
 そんな悠長な事をしていても良いのだろうか、と言い淀むレイチェル。
 バシンと、ティアドラに背中を叩かれた。
「そんなに急いでも何も変わりゃあせん! 今宵と明日は旅の疲れを癒すが良い!
 どの道、わしの方とて色々と準備もあるしの」
 エアニス達としては身構えてこの街へやって来たつもりだったが、案内人は随分とお気楽だった。確かに、ここ数日は野宿続きだ。休息や、武器の手入れに時間を掛けたいという思いはある。
 しかし、旅の終着点が目の前にあるのだ。4人とも、何処かはやる気持ちがあった。
「・・・まぁ、な。急いだ所で良い事は無いか」
 エアニスが窓から夜空を見ながら言った。
 天候も暫くは安定しそうで、急に雪が降り始め山に入る事が出来なくなるという事も無さそうだ。
 それに、目的を達成し旅を終えてしまう事に僅かながらの名残惜しさもあった。こんな状況だが、もう少しだけ新しい仲間達と一緒に居たいと、エアニスは思ってしまった。

「おっ」
 エアニスが見上げていた夜空に、一筋の光が昇ってゆく。
 その光は夜空に大輪の華を咲かせると、一息遅れてドンと夜の空気を響かせた。花火だ。レイチェルが窓に駆け寄る。夜空に軌跡を残しながら消えてゆく火花を、ぽかんと口を開けて眺めていた。
「・・・すごい・・・すごい!すごい!!」
「あ、ちょっとレイチェルさん!?」
 大きな打ち上げ花火など見た事が無かったのだろう。レイチェルは表情を輝かせ、表の通りに飛び出して行く。その様子を見て、苦笑いを浮かべるトキに、エアニスとチャイム。
「やれやれ、仕方無いですね・・・」
「ま、俺も腹は減ってるしな」
「行こうよ、あたしも花火見たいな」
「よし、ついて来い!! わしのお勧めの店があるんじゃ。祭りで混んでいるかも知れぬが、わしなら顔パスじゃ!」
 威勢良く腕を振り上げるティアドラは、4人を引率するように意気揚々と街へと繰り出す。

皆で表通りに出た時、チャイムがこっそりとエアニスの手を掴む。
「ね、エアニス」
「何だ?」
「さっき、ティアドラさんの口を塞いだのは何で?
 その剣の前の持ち主の事、あたし達に聞かれちゃマズイの?」
 エアニスは視線を泳がせると、一つ咳払いをして真面目な声で言った。
「これから言う事は、誰にも言うんじゃないぞ?」
「え・・・う、うん。わかった」
 その眼差しに、思わずチャイムは居住まいを正す。
「実は俺・・・エルフで一番権力を持った王族の、王子なんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「でも俺ってハーフエルフだろ? 跡継ぎ争いとか、周りの目だとか、色々と軋轢がキツくてさ。ガキの頃にキレて、王家に伝わるこの剣を盗んで、城を飛び出したんだ」
「・・・・」
「この剣の前の持ち主のを話されると、俺の実家の事から、俺の素性の話に繋がるだろ?
 だから、ティアドラに話をされたくなかったんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それだけさ。トキ達には秘密だぞ?」
「・・・・・・・・・・・えっ。まじ?」
「って言えば信じてくれるか?」
「信じかけちゃったじゃないのよ!!!」
「ふぐぐ!!」
 チャイムはエアニスの唇を摘まんで引っ張り倒した。

「何やってんですか、また夫婦漫才ですか?」
 歩みの止まっていたエアニスとチャイムに、トキが声をかける。
「だだだ誰が夫婦よ!
 っもう! 本当にエアニスはっ!! 先に行くわよ!!」
 何故か顔を赤く染めながら、チャイムは駆け足でトキ達の元へ走ってゆく。
 エアニスは立ち上がると、引っ張られた唇を親指でなぞる。
 僅かに、肩が震えた。痛かったからではない。おかしくて、思わず綻ぶ口元を隠していたのだ。
「・・・まぁ、いいか」
 すっかり癖付いてしまった溜息を吐くと、エアニスは仲間と共に喧騒の渦巻く夜の街へと繰り出した

第66話 幸せな世界

 レイチェルの瞳は、光り輝くファウストの街を映していた。
 群青色だった空はすっかり夜の帳が降り、建物の軒先や屋台を繋ぐ様に吊るした雪の結晶の飾りがチカチカと光っていた。火や魔導ではなく、電気仕掛けの装飾灯のようだ。
 ドン、とおなかに響く音に顔を上げると、夜空を赤と黄色の花火が彩っていた。山間で響く花火の音は冷たい空気の中で何度も何度もこだまして、とても心地が良かった。
 輝いてるのは街だけではない。
 街のメインストリートを着飾った沢山の人達が、とても楽しそうに、とても幸せそうに歩いている。家族や友人、そして恋人と。笑い合いながら、それぞれのお祭りを楽しんでいるようだった。
 生まれてから17年間、人目をはばかる隠れ里に住んでいたレイチェルは、これだけ沢山の人々を見たのは初めてだった。そして、世界はこれほどまでに幸せが満ちているのだという事を、初めて知った。
 慣れない人込みの中、レイチェルは石畳の段差に足を取られてしまった。思わず後へバランスを崩し、そこにいた恰幅の良い中年の男にぶつかってしまった。
 慌ててすみません、と謝るレイチェルに、男は気にするなと楽しそうに笑って、レイチェルに雪の結晶の飾りを手渡した。良く見ると男の手には雪の結晶のほかにも月や星、町の周りに多く生えている杉の木を模した飾りを沢山持っている。祭りの関係者なのか、それを道行く子ども達に配っていた。
 雪の結晶は町中にぶら下がっているものと同じ形で、原理は分からないが、発光塗料で自ら光っているようだった。初めて見る、不思議な光。
 レイチェルは自分の服をキョロキョロと見回し、胸元のマントの留め具に、男から貰った光る雪の結晶を飾った。
 似合ってるよと笑いかけてくれた男へ、レイチェルは嬉しそうに、"ありがとう"と言った。

 何もかもが輝いていて、何もかもが優しい。
 レイチェルは、世界はもっと冷たく、残酷なものだと思っていた。
「・・・平和な世の中になったもんだな」
 そんな呟きにレイチェルは面を上げると、エアニスがとても不思議そうに、街の雑踏を眺めていた。場所は祭りを楽しむ人々でごった返すメインストリート。ティアドラを先頭に、エアニス達は食事の出来る店へと向かい歩いていた。
「ほんの少し前は、何処もかしこも戦争で・・・こんなに沢山の人が笑い合えるような世界なんて、想像もできなかった・・・」
 エアニスは何年もの間戦場を渡り歩き、戦争が終結したと同時にミルフィストの山奥へと引き篭もってしまった。戦争が終わってからの世界を、肌で感じる機会が少なかったと言える。
 これについては、トキもチャイムも少なからず同じ気持ちだった。彼らは生まれてからずっと、戦争と共に生きてきたのだ。
 平和な世界で生きていた時間より、戦争と共に生きていた時間の方がずっと長いのだ。
「こんな事を言うのも恥ずかしいですが・・・」
 トキも雑踏に目を向けながら。エアニスから視線を外しながら、言った。
「これはエアニスがもたらした平和だと言っても、過言ではありませんよ」
「・・・はぁ? 何言ってんだ?」
 僅かな間を置き、エアニスは呆れたように言う。



 まだ、ほんの2年半前の出来事。
 世界中の権力者が欲しがり、世界大戦勃発の要因にもなったと言われる、世界に七つしか存在しない無限の魔力増幅機、"ヘヴンガレッド"。
 発見された6番目の"ヘヴンガレッド"の争奪戦に巻き込まれたエアニスは、それを手に入れ、たった一人で世界を相手に戦った。
 理由は世界への復讐。
 たった一人で幾千という兵士を相手に戦い、
 たった一人で幾千という人間を殺す近代兵器と戦った。
 ヘヴンガレッドによりもたらされる莫大な力と、失った仲間から引き継いだ情報網を使い、世界を"調律"し、誰もが勝つことの出来ない、不毛の戦場を演出した。
 石の存在を見失い、エアニスの調律によって急速に疲弊してゆく国々が、20年以上続けた戦争の終結を選択するのにそれほど時間は掛からなかった。
 それがエアニスの、"月の光を纏う者"が世界に残した功績。
 そしてその事実はあまりに非現実的故に、表沙汰になる事は無く噂や都市伝説のように語り継がれていた。



「確かに、"月の光を纏う者"の噂は出鱈目なものばかりじゃが・・・それらが本当だとすれば、先の大戦に与えた影響は、少なくない。
 戦争終結を早めた要因になっておるのは、間違いないじゃろう」
 ティアドラは、横に並ぶエアニスを見ながら言った。エアニスは鬱陶しそうに舌打ちをする。
「じゃが、大戦中の"月の光を纏う者"の噂は、何処までが本当で、何処までが嘘か、わしの情報網でも判断が出来ないものばかりじゃ。
 "月の光を纏う者"などという存在は出鱈目で、全ては都市伝説。戦争に負けた者が言うお決まりの言い訳だとも言われておる。
 さて、実際の所はどうなのじゃ?」
「・・・さーな」
「ヴァルハラ平原で圧倒的優位に立っていたレオニール軍が一夜にして壊滅したというのは?」
「・・・一夜じゃない。破壊工作の仕込みも含めりゃ、二晩かかってる」
「ヴァノン島のアルストニア海軍の艦隊を沈めたのもか?」
「魔導式の新造艦何隻かと・・・何となく物騒な爆弾積んでた飛空艇もあったから沈めた・・・。
 というか、やめてくれ。あの頃の話は、したくないんだよ」
 何だかんだで答えてしまったエアニスの答えに、トキとチャイムは目を泳がせる。スケールがやばい。
「ならば頼む、最後に一つだけ!」
「・・・なんだよ?」
 随分と意気込んだ懇願に、エアニスは思わず先を促した。
 ティアドラはゴクリと喉を鳴らし、どうしても確認しておきたかった質問を口にする。
「"月の光を纏う者"には超絶美男子の情報屋が付いており・・・
 なんとその二人はデキているという噂が・・・!」
「誰が流した噂だッ!!?」



 それから暫くして、エアニス達はティアドラの馴染みのバーで食事をした。良い酒が揃っているという事で、チャイムとトキも軽く飲んで行く事にした。やっぱり未成年ですからと自分を律したレイチェルと、アルコールに耐性が無いエアニスは生姜をベースにしたフルーツジュースを飲んだ。
 野宿続きで数日振りにまともな食事をとった一行は、一人を除いて上機嫌で店を出た。
「あぁ、クソ。頭痛ぇ・・・!」
「あれ、エアニスってお酒飲んでたっけ?」
「飲むかよあんな気持ち悪いモン・・・飲んで無くても匂いだけでアルコールが回って来るんだよ・・・あとお前も酒臭い・・・」
「お酒の匂いだけで酔えるなんてお手軽よねー・・・あたしなんてぶどう酒いっぽん開けちゃったわよあははははははははは!!!」
「お、お前何かテンション変だぞ・・・!?」
 不思議なタイミングで笑い出したチャイムにエアニスはどん引きする。
「ったく・・・じゃ、メシも食ったし戻るか・・・って、あれ?」
 エアニスが振り返ると、そこにトキ達の姿が無かった。エアニスとチャイムの周りを、若干減ったものの祭りを楽しむ沢山の人々がどんどんと流れてゆく。
 はぐれてしまったようだ。エアニスは頭を掻きながら、
「まぁいいか。勝手にティアドラの家に戻って・・・」
「ふぉぁーーー」
 いきなりチャイムが気の抜けた声と共に倒れ込んできた。チャイムの体に押された上、どういう体勢なのか足まで取られた状態となり、たまらずエアニスは石畳へ背中から倒れこみ、一段飛び出していた道の縁石に後頭部を打ち付ける。
 視界が一瞬白く瞬き、声も無く悶絶するエアニス。
「あや、ごめーんエアニス・・ちょっと飲みすぎちゃったかな・・・」
「こ、この野郎・・・」
 チャイムの体を引き剥がし、エアニスは立ち上がろうとしたが、
「う・・・」
 視界がフワリと揺れた。アルコールの匂いに当てられ、感覚が鈍くなっている。匂いだけでここまで酔ってしまうとは自分でも思わなかった。
 エアニスは頭を振り、チャイムの腕を引っ張り立たせようとする。
「あぁああもう!!ほら、立て!!帰るぞもう!!!」
「あぁあああっちょっとまってよああああー」
「うおー!!」
 エアニスとチャイムは、路上の端っこでグデングデンともつれるように転がった。



「あー・・・気持ちイイ・・」
「ぁぁ・・もう酒のある場所にも近寄りたくねぇ・・・」
 場所は変わり、街のはずれの高台。
 丘の斜面に張り付くように家々が並び、その間を階段のような道がジグザグに走っている。何故街の中心に近いティアドラの家でなく、こんな街外れに居るのかと言うと、単に迷子になっているだけだった。エアニスは帰り道を覚えていたが、チャイムがアッチに行きたいコッチに行きたいと寄り道を繰り返すうちに、いつの間にかこのような場所に辿り着いていたのだ。最早エアニスにも帰り道は分からない。
 二人は階段の折り返された、踊り場のような広場に座り込んでいた。道の端には転落防止の杭と鎖で出来た柵が続いており、柵の向こうはちょっとした崖となっている。さっきまでの人混みが嘘のように、この辺りは人通りが全く無い。
 柵の隙間から足を投げ出すような格好で、二人は目前に広がる街の明りを眺めていた。
街 の中央を横切るメインストリートを中心に、オレンジ色の沢山の明りが瞬いている。
「綺麗ねー・・・」
「・・・ああ」
 チャイムの呟きに、エアニスは素直に頷いた。
 世界で最も機械文明が進んでいるベクタの夜景も素晴らしいものだったが、ファウストの夜景も負けず劣らずの美しさだった。
 何より、ベクタの夜景に比べると温かみを感じる。
 エアニスは祭りに繰り出し、雑踏の中で笑いあう人々の顔を思い出す。
 平和に満ちた、暖かな街の明り。

「エアニスは・・・何であまり人と関わろうとしないの?」
 突然の問い掛けに、エアニスは僅かながら当惑する。
「なんだよ、唐突だな・・・」
「いいから」
「人間が嫌いだから」
 考えるのが面倒だと言わんばかりの即答に、チャイムは笑った。
「じゃあ、エアニスはあたしの事も嫌いなの?」
「あぁ!?」
 いきなり何を言い出すんだこいつは。エアニスが言葉に詰まっていると、
「レイチェルや、トキも嫌い?」
「・・・いや・・・嫌い、じゃない」
 ゴホンと咳払いをしてから、そう答えた。
 どうやら、"そういう"話では無いようだ。
「エアニスが、戦争でどれだけ人間の嫌な所を見てきたのか・・・あたしには分からないけどさ・・・」
 何処か寂しそうな声にエアニスが振り向くのを待ってから、言葉の続きを口にした。
「全ての人間が、そういうのじゃ無いでしょ?」
 相手の目を見ながら優しく言うチャイムに、エアニスは口をつぐんだ。

もし許されるなら、俺の手でこの腐った世界を------

 あれはいつの事だったか。
 "石"の力を手に入れたエアニスは、このまま世界を壊し尽くしてしまおうかと思った事がある。
 愚かで醜く愚鈍で醜悪な人間の姿を見てきたエアニスは、人と世界と自分に失望した。こんな世界など、初めから無い方が良いのだと思った。
 戦争の中で、前回の"石"を巡る戦いの中で、そう思った。
 誇大妄想も甚だしいが、絵空事ではない。"石"の力さえあれば、あの時のエアニスには不可能な事では無かった。
 それをしなかったのは勿論、世界はそういった側面ばかりでは無いと分かってはいたから。
 シャノンやゲイル、レナと出会えたこの世界の全てが過ちではないと分かっていたから。
 いっそ、自分がそれすらも理解できなくなる程に壊れてしまえば楽だったのだろうが、幸か不幸かエアニスはこの世界を受け入れてしまった。妥協なのか、諦めなのか、諦観なのか。受け入れる事が出来てしまった。そして、世界を受け入れた自分を嫌悪し、受け入れざるを得ない世界に失望し、エアニスはひたすらに剣を振るった。
 そして残ったのは、世界に対する失望と、人間に対する嫌悪。
 嫌悪は時が経つにつれて無関心へと変わっていったが、エアニスが人間を嫌っている事に違いは無かった。
 それは、今でも変わらない。
 しかし、稀に出会うこのようなタイプの人間達と言葉を交わすと、不意にその認識が変わってしまいそうになるのだ。

「もっと、この幸せな世界を楽しもうよ! 勿体無いわよ?」
 チャイムは両手を広げ、楽しそうに言った。エアニスは頬杖をつきながら彼女を見上げる。
「本当、お前は世界を・・・人生を楽しんでるよなぁ」
「嫌な事の方が多いけどね。あ、でもやっぱり、戦争が終わってからは楽しいことの方が多いかもしれないわ。うん、きっとエアニスのお蔭だね!」
 おどけるチャイムに、エアニスは鼻を鳴らする。
「はぁ・・・そうだな。今の小屋結構傷んでるし・・・ミルフィストに戻ったら、もう少し人間の多い街中に引っ越すよ・・・」
「ダメよ引っ越すだけじゃあ!! エアニス街にいた頃は準引き篭もりだったんでしょ? 外に出なきゃダメよ。とりあえず働いてみたら?」
「それは嫌だ」
 即答だった。
「・・・そうね。街で働くエアニスとかちょっと想像出来なかいわね・・・」
「ま・・・善処するよ」

「ありがとう」
 抑揚の無い声で、大して感謝している様子も無かったが、突然エアニスがチャイムへ感謝の言葉を告げた。
 キョトンと呆けた顔のチャイムに、エアニスは視線を夜景に向けたまま続ける。
「いつまでも、こんな事思っていたら・・・世界を、人間を拒絶していたら駄目だとは思ってたんだ。でも、お前とレイチェルのお蔭で、歩み寄れそうな気になってきたよ」
「トキが抜けてるわよ?」
「あいつは駄目だ。あれは世界や人間に対して感想を持ってねぇ」
「あぁ・・・」
 苦笑いを浮かべるチャイム。彼はアレで良いのだろうか?
「まっ、あたし達のお蔭とかじゃなくて、あんたが戦争を終わらせたからじゃないの?
 争う理由が無ければ、この街の人達みたいに、みんなで笑い会えるようになるわよ」
 軽く言うチャイムに、エアニスは首を振る。
「いいや、違う。そうだとしても、お前が居なかったら、俺は自分を責め続け、人間が嫌いなままで・・・いずれまた世界を憎むようになっていたかもしれない。
 お前の言葉に、俺は何度も救われてるんだ」
 エアニスは、改まってこんな事を言う柄ではないが、これはどうしても伝えておきたい言葉であった。偶然にも二人きりとなり、この旅の最後の戦いを控えた今、この言葉を伝えるのは今しかないと思った。だからエアニスは、彼女に向き直って微笑みながら言った。
「お前と出逢えて、本当に良かったよ」

 ボン!
 とチャイムの顔が真っ赤に染まる。
「あぁ・・・うん、いゃあ・・えへへへ」
「ニヤついてんじゃねーよ、気色悪いな」
「いひひひ・・だってさー・・・」
 礼を言ったエアニス自身も照れたように笑って、真っ赤になってグネグネと身をよじるチャイムを肘で突っつく。
「じゃあさっ、感謝の想いを込めてご褒美ちょうだいよ!」
 エアニスは表情一転、チッと舌を鳴らしチャイムを睨む。しかしすぐに短く息を吐くと、軽く肩を竦める。
「図々しい奴だな・・・まぁ、いいか。何か欲しいモンでもあるのか?」
 エアニスにしては珍しく心が広かった。これまた柄ではないが、日頃の感謝を込めてプレゼントを渡すのも悪くはない。エアニスは笑いながら問い掛けた。
 そして、チャイムは言った。
「キ、キスをしてちょうだい!」
「・・・・・」
 エアニスの笑顔が固まる。笑顔のまま、固まった。
 顔を真っ赤に染めたチャイムは目を瞑ると、くいっと少し上を向くように、エアニスに顔を寄せた。
 チャイムの荒い吐息がエアニスの前髪を揺らす。ハッとエアニスが我に返り、
「何故そうなる!!?」
 そのの唇を摘み、彼女の顔を思いっきり明後日の方向へと捩じ曲げた。不意に、ほんの少し前にエアニス自信彼女から同じような仕打ちを受けていた事を思い出した。
「えぇええっ!! そうなる雰囲気じゃなかった今の!?」
「ならねーだろ普通! 流れを読め!! 順番を守れ!! 何考えてんだお前は!!?」
「き、昨日の夜の事!! 何か曖昧なまま話が終っちゃったから、その続き!!」
「っ・・・!!」
 エアニスは昨晩の夜、見張りをしながら車の中で彼女と話し合った事を思い出した。
「あああ、あれだけ言えばあたしがあんたの事どう思ってるのかわわわ分かるでしょ!?
 分かってるわよね!!?」
「苦しい・・・襟首を掴むな!! なんで喧嘩腰なんだよ!?」
「いいから答えてよっ!!」
 チャイムは乱暴にエアニスを押し押す。座った姿勢からとはいえ、エアニスはまた石畳に後頭を打ち付けてしまう。
「普通とか、嫌いじゃないとか・・・そんな言葉で誤魔化さないで」
 チャイムは両手を仰向けに倒れたエアニスの頭の左右について、エアニスの顔を真っ直ぐ見下ろす。自らの感情に押しつぶされそうな、苦しそうで切なそうな表情。
 そして溢れかえる感情を抑えきれず、震える声で訊いた。
「あたしの事、ひとりの女の子として・・・好き?」

「・・・俺もずるい奴だとは思うけど、お前も大概だな」
「・・・っ」
 不満を漏らしながらも、エアニスの声は優しい。
「昨日の晩からどうした? 急にこんな話を・・・」
 チャイムは、エアニスから目を逸らす。
「だって、旅はもう終わりでしょ?
 もうすぐ・・・あの魔族達と戦う事になるでしょ?」
 そこまで訊いて、エアニスはチャイムの言わんとしている事が分かった。
 あの魔族とは、無論イビスとアイビスの事だ。そして、彼らとの戦いが近づいてきたからという理由で、このような話をするという事は・・・
「何だ? あいつらに俺が殺られるとでも思ってるのか?」
「エアニスは負けないよ。強いもん。心配なのはあたしの方よね・・・」
「・・・・」
 つまり。
 魔族との戦いの前に、今の自分の気持ちを伝えておきたかったという訳だ。万一、自分が殺されてしまってからでは遅いから。
 顔のすぐ横にあるチャイムの腕が、震えていた。エアニスには良く分かる。この震えは緊張や筋肉の疲労等といったものではない。
 恐怖による震えだ。
「・・・怖いか?」
「・・・っ」
「怖いのなら、街に残っててもいいんだぞ?」
「それは嫌!! 治療魔法が使えるのあたししか居ないでしょ!?
 あいつらとの戦いで大怪我したらどうするのよ!?」
 その言葉にエアニスは一瞬呆気にとられたような顔で驚き、すぐに笑った。
「はっ、自分の心配より他人の心配かよ・・・」
「・・・」
「ホント、お前らしいな」
 チャイムに押し倒される形になっていたエアニスが、体を起こす。チャイムは起き上がろうとするエアニスから身を引こうとしたが、不意にその腕を掴まれた。
「わ・・・」
 チャイムが小さく驚きの声を漏らす。
 起き上がったエアニスは、チャイムの体を引き寄せ、抱き止めたのだ。チャイムは驚いて、体を動かせずにいた。
「な、何・・・?」
「ん・・・何となく・・・」
 エアニスは、チャイムの背に回した腕に、ぎゅっと力を入れる。
 ただ、無性にチャイムの事をいとおしく感じ、抱き締めたくなった。普段ではチャイムに殴り飛ばされかねない暴挙だが、エアニスはごく自然に、こうする事が当然とでも言うように、チャイムを抱き締めた。
 チャイムの体は思いのほか小さく、エアニスは少しだけ驚いた。呼吸をしているのが背中に回した手に伝わる。何よりも分かりやすい、生きている事の証。これを最後に感じたのはいつの事だったか。あの日、この息遣いが腕の中で失われてゆくのを感じた時、自分は何を考えていたのだろうか。嫌が応にも、思い出してしまいそうになる。
 緊張していたかのように強張っていたチャイムの体からふっと力が抜ける。そして、チャイムもエアニスと同じ様に、彼の背中に恐る恐る腕を回して、ぎゅっと力を込めた。
「・・・エアニス」
 チャイムがエアニスの肩に顔を当てて、小さな声でその名を呼んだ。
 エアニスの胸に、何ともいえぬ充足感が満ちる。
 これが、幸せなどと言うものだろうか。
 エアニスは、この腕の中にある存在を絶対に手放したくないと思った。



 街外れにわだかまる夜闇に。
 その様子を見つめる三対の瞳があった。
「これは・・・非常にマズイですね」
「うむ・・・完全に姿を見せるタイミングを逃してしまったの・・・」
「だからダメですって言ったじゃないですか・・・!」
 トキとティアドラ、そしてレイチェルは、身を隠して一部始終を見ていたのだった。
 いや、一部始終という言葉には語弊がある。エアニスがチャイムを抱き止めた辺りから、一同は恥ずかしさと罪悪感のあまりその光景から目を背けてしまっていた。
 彼らが居るのは、エアニスとチャイムが座る場所から殆ど離れていない。二人が居る踊り場から階段を少しだけ降りただけの、話し声も十分に聞こえてくるような場所だ。そのような距離にも関わらず何故見つからず覗きを成立させているのかというと、それはティアドラが光の屈折と空気の流れを魔導で操り、その姿をエアニス達から隠しているからだった。相手にこちらの姿が見える事は無く、多少の話し声も伝わらない。更には人の第六感にも干渉して気配までもを撹乱する、高度にして大人気なく、そしてこの用途においては極めて悪質な結界だった。
 元はといえば、雑踏の中でエアニスとチャイムを意図的に置き去りにし、その慌てる反応を影から観察して面白がるという些細な悪戯が始まりだった。
 トキが考えたそんなくだらない悪戯に食い付いたのがティアドラだ。彼女はその卓越した魔導技術でトキの悪戯を完全犯罪へと昇華させ、酒に酔ってぐだぐだになった二人を、ずーっと覗き見ていたのだ。
 レイチェルはレイチェルで、悪いとは思いつつも二人と行動を共にした。普段はこのような事をする性格ではないが、一緒に悪戯をするという不思議な連帯感がレイチェルにとっては新鮮で、ワクワクしてしまったのだ。早い話が、普通に楽しんでいた。
 三人はエアニスとチャイムを付け回し、適当な所でクシャミでもしてエアニスに気付かれ、「お前ら何やってんだ!!」と蹴り飛ばされて終わり・・・というシナリオを何と無く描いていたが、三人は空気を読み過ぎてしまったのか、ティアドラの結界が完璧過ぎたのか、エアニス達の前に姿を見せる機会を完全に逃してしまっていた。
 そして、今に至る。
 全てが遅かった。今ここで姿を見せようものなら、蹴り飛ばされる位では済まないだろう。間違いなく斬り飛ばされる。
「ど、どうしましょう?」
「そりゃぁ、このまま見学させて貰うか、黙ってここから去るかじゃろう?」
「・・・どちらも罪悪感が残りそうな選択肢ですが・・・でも、仕方ありませんねぇ」
 つまらなさそうにトキは言って踵を返し、階段を降りて行こうとする。何処か安堵するレイチェル。このまま立ち去るのかと思いきや、トキの足は階段を3段降りた所で止まった。
「・・・いや。でもどの道罪悪感が残るのであれば最後まで鑑賞させて頂くのも・・・」
「トキさん!!」
「!!・・・す、すみません・・・」
 レイチェルに本気で怒られた。
「うごぉっ!!」
 そんなやり取りも何処吹く風、覗きを続行していたティアドラが突然驚愕の声を上げる。その声に二人はティアドラの方へ、エアニスとチャイムの方へと振り返る。
「んなぁっ!?」
「んあぁっ!!」
 二人もティアドラのように思わず奇矯な声を漏らす。
 そこには少しだけ身を離して、俯き気味に見つめ合うエアニスとチャイム。
 そして。
 そしてそして。
 チャイムは吐息が乱れるほどの陶然とした表情で。
 エアニスは少し戸惑うように。
 その顔を、その唇を寄せていく。
「あっ!!あっ!!んああああああああああああ!!」
「ごああああああああああああ!!!」
 二人の様子に釘付けになるトキとティアドラ。興奮し過ぎの絶叫も、ティアドラの完璧な結界に阻まれ二人には届かない。
 レイチェルは両の手で目元を覆いながらも、つい指の隙間からチラチラとその様子を見てしまう。しかしレイチェルは見たいという誘惑を断ち切るようにギュッと目を瞑り、ぶんぶか頭を振る。そして、
「や、やっぱり駄目ですよぉぉぉぉ!!」
『んがあっ!』
 レイチェルは背後から、トキとティアドラの頭を目隠しをするように目元を掴んで仰け反らせた。
 三人の足元は階段。トキとティアドラは突然頭を後に引っ張られてバランスを崩す。当のレイチェルも、倒れそうになる二人の体に押されて階段を踏み外した。
 ガン!!
 と、ティアドラが後頭部を階段の角にぶつけ、失神する。
 そのままゴロゴロと派手な音を立て、もつれるようにして三人は石の階段を15段ばかり転がり落ちた。
「あいたたた・・・大丈夫ですかレイチェルさん? というか、何て事するんですか」
「でも、だって!」
「ティアドラさんは・・・あぁ、駄目ですねこれは。白目剥いちゃってます」
クラゲのようにダランとしたティアドラの手を取り、トキは黙祷を捧げるように目を閉じる。
「・・・・」
サッとレイチェルの表情が青ざめた。
術者の意識が無くなるという事。それは。

「なにやってるんだお前ら・・・」
背中を突き飛ばされるような分厚い殺気がトキとレイチェルを打ち抜いた。
がたがたと震えながら振り向いた先には、階段の上から三人を睥睨するエアニスの姿があった。
 その左手には、既に魔法剣・オブスキュアが抜き身の状態で握られている。
 ティアドラが意識を失った事で、三人の姿を隠していた結界が消えてしまったのだ。
「あぁ・・いや・・・これはですね・・・」
「ごめ・・ごめ・・・」
 レイチェルが泣きそうになって、トキは打撃か電撃どちらでエアニスの記憶を消すか考え始めた頃、失神していたティアドラがビヨン!と起き上がり、エアニスの前に立ち塞がった。
「いゃあ、お主らを探しに来て見つけたは良いが、ちょーっとお取り込み中だった様でのぅ。
 慌てて退散しようとしたら足を滑らせ、思わず三人で階段オチをしてしまったんじゃよ」
 これほどまでに正々堂々と嘘を言える人間も珍しい。ぬけぬけと、大したものだとトキとレイチェルが白い視線を送る。
「いやいやーホント、何も見とらぬよ。許し・・・っ 」
 プンッ、と小さく風を切る音が鳴り、ティアドラの言葉が途切れる。
 エアニスがオブスキュアの切っ先を、ティアドラの頬ギリギリで当てていた。頬が切れていないのが不思議なくらいの俊敏な突きだった。
「本当か?」
 目がマジだった。しかし、それは自分が優位に立っていると確信している者の目ではない。頬には汗が流れ、手元は僅かに震えている。全く逆の、自分が追い詰められていると思っている者の目だった。
「・・・・あー・・・」
「・・・・はぁ・・・」
「・・・・ぅ・・うぇぇぇーん!」
 ティアドラが半笑いで視線を逸らした。トキは青白い顔で生返事をして、レイチェルに至っては泣き出してしまった。慌てるトキとティアドラ。
「い・・・いぃゃああああぁーーーー!!」
 呆然と立ち尽くしていたチャイムが、両手で顔を覆い泣きながら街の外れに向かって駆け出した。
「お前らあぁぁぁ!! いつだ!! いつから見ていたあぁぁぁぁ!!!」
 エアニスも顔を真っ赤にして、今まで誰も見た事が無い程に取り乱す。
「待て!! 最後だけは!! 最後だけは本当に見ておらぬ!!」
「信用できるかあぁぁ!!」
 思わず叫んだエアニスの言葉に、トキが目ざとく反応する。
「!!・・と、という事はッ、チ、チャイムさんとキ、キス、したんですかッ・・・!?」
「がっ!!・・・う、がぁぁぁぁぁ!!!」
 激しく動揺したエアニスは、剣を放り投げ、半狂乱の呈を見せて飛び掛ってきた。階段の上からトキの腹に向けてドロップキックを突き刺し一撃で地面に沈めると、すぐ近くに居たティアドラの両肩をドンと突き飛ばす。
「おあっ・・・あー!!」
 前述した通り、彼らの居る階段状の道の端には杭を鎖で繋いだ腰くらいの高さの柵があり、その向こうはちょっとした崖になっている。ティアドラはエアニスに押されて鎖に足を取られると、そのまま崖の下へガラガラと音を立てて落ちていった。多分死ぬような高さでは無い。
 ティアドラが闇の底へ消えたのを見届けると、今度はエアニスは泣いているレイチェルに向き直り・・・
「ご、ごめ゛んなさいー・・・ひっく、こんな、大事な話っ・・・盗み聞きするつもり、無かったんです・・・ぐずっ、ひーん・・・」
「う・・・ぐぐぐ・・・!」
 結局、子供のように泣きじゃくるレイチェルにエアニスは何もする事が出来ず、
「こ、この野郎オォー!!」
「なんでっ!!」
 ボグッ!と、足元に転がるトキの脇腹を代わりに蹴り飛ばした。



 その後、泣きながら失踪してしまったチャイムを皆で探し出し、(教会の尖塔にしがみついて泣いている所をティアドラに発見された。どうやってそんな高い所まで登ったのか本人も覚えておらず、結局分からず終いだった)ティアドラの家に戻り反省会が催された。最後の最後で、これまで一緒に戦ってきた仲間の絆が壊れてしまう所だったが、
 レイチェルが泣いて、
 ティアドラが土下座マシーンと化し、
 トキがサンドバッグになる事によって、エアニスとチャイムから一応の許しを請う事が出来た。

 そしてようやく、エアニス達は長旅の疲れと、その十倍はあろうかという今晩の精神的な疲れを癒す為眠りに就く事が出来た。
 空は、白じみ始めていた。

第67話 聖域

 辿り着いた場所には、かなりの量の雪が降り積もっていた。
 大人が足を踏み入れれば、膝近くまで埋もれる程の深さだ。さらにその下には圧縮されて固くなった氷の層がある。
 しかしその男は、柔らかな新雪の上をごく自然に、ブーツを雪の中にうずめる事無く歩いていた。
 まるで固い床の上を歩くように。
 まるで自分の重みを忘れているかのように。
 切れ長の目をした色白の男だった。黒地に銀の縁取りをした、軍服のようなロングコート。そして、後に撫で付けられた銀の髪。
 男は何かを探しているように周囲を見回しながら歩き、垂直に切り立った山の斜面の前で足を止めた。
「見つけたぞ、アイビス」
 銀髪の男、イビスは、独り言のように彼女の名前を呼ぶ。
 ぐずり、とイビスのすぐ隣の空気が黒く滲んだ。
 虚空に湧き出した不気味な黒い染みは、美しい白い肌と長い銀糸の髪をもつ少女の姿を形取る。
「なーんだ、コッチにあったのかぁ・・・」
 まるで幽霊のように姿を現した少女、アイビスは、登場の仕方にそぐわぬ明るい声色で頬を膨らませる。とんとん、と軽い足取りで、彼女は目の前にある雪の壁の前に立った。
「じゃ、さっさと入り口ぶっ壊して"石"をいただいちゃおっか?」
 その言葉の直後、彼女の周りの空気がチリチリと焼け始め、一拍の間の後、辺りの雪が、地面が、木々が、高熱と共に弾けた空気で吹き飛ばされた。
 アイビスを中心に、ごく狭い範囲の雪は全て吹き飛んでいた。彼女達の足元の雪も消し飛んでおり、アイビスとイビスは積もっていた雪の高さだけフワリと宙に浮く形となった。
 ふたりの目の前に、雪の下から古びた石扉が姿を現した。
 彫刻等の飾り気が一切無い、無骨な二枚の岩戸が、山の斜面に張り付くようにして埋まっている。
 ふたりは剥き出しになった土の地面にストンと降り立つ。アイビスが首を傾げた。
「あら、変ね。山肌ごと消し飛ばすつもりだったのに・・・」
 イビスは石扉の前に立つと、身の丈程もある大剣を取り出す。それはアイビスの姿と同じ様に、虚空から滲み出すように現れた。
 力の抜けた構えから、鋭く大剣を石扉に叩き付ける。剣が扉を叩いた衝撃は辺りの空気を振るわせ、木々の枝葉をざわめかせた。その軽い予備動作からではあり得ない衝撃だった。
 しかし、石扉はびくともしない。それどころか、脆そうな岩の表面に傷一つ付いてはいなかった。岩肌に張り付いた、手で払えば落ちてしまうような土くれや苔にすら変化が無いのだ。
「時間が止められている」
 イビスは石扉を撫ぜながら独り言のように呟く。
「いや、この扉だけじゃない。この周りの地面、全ての時間が止められてる・・・どれ程強力な力をぶつけても、これでは無駄だ」
「・・・じゃあ、時間の止まっていない所から壊す? この山まるごと吹き飛ばせば、どっかから入れるでしょ?」
 無茶苦茶な提案をするアイビス。しかし不可能な事ではない。むしろ彼女にとってはそれが一番簡単な方法に思えた。しかし、イビスは首を振る。
「この術をかけたのは、時間と空間を操るエルカカの民だ。
 ここはあくまで"入り口"で、空間を捻じ曲げ"中"を別の場所と繋げているという可能性もある。下手に手を出せば、ようやく見つけたこの入り口を壊してしまう事になりかねない」
「じゃあどうするのよ? せっかく見つけたのにさ・・・」
 イビスは大剣を手放すと、それは地面に落ちる前に水に溶かした墨のように虚空へと還る。そしてすぐ近くにあった丸い石に腰を掛けた。それきり、黙り込んでしまう。
「なにそれ・・・ひょっとしてあいつらが来るの待つつもり?」
「どのみち最後の石を持って、明日には奴らがここに来る筈だ。
 扉は奴らに開けてもらえばいい。それが一番確実だ。
 お前の案で神殿を探して先回りしてみたが・・・無駄だったな」
「だって悔しいじゃん!! いつまでもあいつらの後を付いて行くだけなんてさ!!
 最後くらいあいつらの前に立ち塞がって『フハハハ、待っていたぞ!』的な事しないとカッコ付かないわよ!!」
「・・・・」
 悔しそうに地団太を踏むアイビスを見て、イビスは溜息を吐いて疲れたようにうなだれる。
 この場にトキとレイチェルが居たら、こう言ったかも知れない。
 エアニスとチャイムを見ているようだ、と。

 実際、エアニス達の動向は殆どイビス達に筒抜けだった。イビスとアイビスが身を置くルゴワールは、世界中に根を張る犯罪組織なのだ。たった四人の動向を追い続ける事など彼らの情報網を使えば簡単だった。
 にも関わらず、彼らが今までこの場所を特定できなかった理由は、単純に案内人であるレイチェルがエアニス達の前ですら、神殿の場所はバイアルスの山にあるという事以外、一切口に出さなかったからである。
 バイアルスの山といっても広い。いくつもの国を跨ぐ、巨大な山脈だ。
 レイチェル達が最後の街としてファウストに立ち寄ったという情報から、二人は街から歩いて行ける範囲で、レイチェルの目的地である神殿を自力で探し、ようやく見つける事が出来たのだ。

「組織の人間はもう用済みか・・・邪魔になる前に俺達と関わった者だけでも消してしまうか・・・」
「あぁ、それにらとっくに片付けてきたわよ。本部ごと」
 アイビスがあっさりと言った。アイビスは深い溜息をついて眉間に指を当てる。
「・・・いつだ」
「さっき。この入り口さがしてる途中に、あ、あいつらもう必要無いなー、って思って、ベクタまで飛んで本部のビルに一発かましてスグ戻って来た。
 まだ世界中に沢山残ってるんだろうけど、本部がああなっちゃえば暫くは石探し所じゃなくなるんじゃない?」
 因みにバイアルスからベクタまで歩いて行けば何ヶ月もかかる場所である。
 しかし、体という実体が希薄な魔族にとって距離という概念は大した意味を持たない。自分の知っている場所ならば、己の存在を一瞬で移動する事が出来るからだ。
 生物と違い、存在を物質に依存しない純粋な魔族だからこそできる事だった。
 身体を脱ぎ捨て、自分の記憶を頼りに存在を目的地へと移す。身体は移動先に漂う魔力や物質で再構築すればいいのだ。
 存在は、質量を持たない。
 純粋な魔族は己の意思次第で、いつでも何処にでも存在する事が出来る。言い換えれば、彼等は何処にでも居るのだ。
 在り方が、人間と根本的に違う。古典的な表現で表すのであれば、それはまるで幽霊のようだった。

 イビスの痛むはずの無い頭がズキズキと痛むような気がする。
「・・・勝手な事をするな。それに、思いつきで行動するな」
「だって、ルゴワールの人間達も"石"を欲しがってるんでしょ? 邪魔されたり、万一横取りされたりしたら事じゃない」
「そうだが・・・」
 まだ利用価値はあるかもしれないだろう。
 と、言うのを止めて、それきりイビスは口をつぐんだ。アイビスに言って聞かせる事は自分には出来ないと分かっているからだ。

 二人は並んで石の上に座り、時が経つのを待つ。頬に手を当てて、むくれた顔でアイビスが呟く。
「ヒマじゃない・・・?」
「たった一日だ。一瞬だろう」
「魔族の時間感覚で言わないでよ。もうすっかりこっちの世界の時間感覚に慣れちゃってるんだからさ。
 あーあ。街にでも遊びに行ってこようかしら?」
 何気ない彼女の言葉にイビスは目を伏せる。そして、彼にしては珍しく言い淀むようにして口を開いた。
「・・・お前、何だかんだでこの世界が気に入ってるんじゃないのか?
 もし、そうだとしたら」
「そんな筈無いじゃん」
 言葉を遮るようにアイビスは言う。
「あたしにとってこの世界なんでどうでもいいの。
 あたしが居るべき世界は、イビス。貴方が選ぶ世界よ」
 ごく当たり前のように。特別な感情など何も無いように。彼女は凛とした声でそう言った。
 それを見たイビスは複雑な心境だった。罪悪感を、覚えた。
「すまない。付き合わせてしまって」
「そんな言い方しなくてもイイのに。別にあたしには"こっち"も"向こう"もカンケーないし?
 イビスが居れば何処でもいいの。イビスが居る場所があたしの居場所なの。あたしはイビスの言う事なら何でもするよ?」
 そう言って、彼女は隣に座るイビスの首に腕を回す。
 こういった仕草が、すっかり"こっち"の世界に毒されてしまっている証拠だなと思いながら、彼女の腕を押し退ける。
「・・・じゃあもう少し大人しくしてくれ。お前が好き勝手するから今回の件も奴らに無用な警戒を与えてしまった」
「えー・・・だって単にルゴワールの人間達パシリにして成行き見てるだけじゃつまんないわよ。
 船の上で直接やり合った時とか、観光都市で爆弾取り合った時とか、このあいだのエルバークでの戦争ごっことか・・・なかなか面白かったでしょ?」
「必要の無い事だ。それにエルバークの件は反省しろ。下手をしたらエルカカの娘は殺されていた。そうなれば、石の封印を解く事が出来なくなっていたんだぞ」
「死ななかったわよ。どうせ」
 妙に確信じみたように言う。そしてイビスも、自分で言っておきながら本心はアイビスと同じだった。
 あの人間達は強い。能力も、そして存在も。
 人間の身にして、魔族であるイビスやアイビスに並ぶ程の存在の力を持っている。
 大きな存在の力を持つ者は、それだけで世界を、他人の運命を捻じ曲げる。身体を破壊してしまえば終りの脆弱な人間だと思って掛かれば、呑まれてしまうのはこちらだろう。戦う能力が高いとか、強靭な肉体を持っているとか、強大な魔導が使えるとか、そういった力は関係無いのだ。
 あの人間達の身体に込められた存在の力がどれほどの物か。
 彼らの存在が、この世界のどれだけを占めているか。
 自分たちより、この世界に存在を認められているか。
 魔族にとって戦う力とは、そういった物なのだ。
 この世界にとって異物であるイビス達にとって、敵はエアニス達だけではない。
 この世界そのものなのだ。

「・・・街に出るなら目立たないように姿を変えて行け」
「はーい」
 間延びした返事をすると、アイビスの姿は現れた時と同じ様に空気へと溶け出す。身体を形作っていた墨のような何かは、虚空で渦を巻くと、再び人の体に形を変えてゆく。
 それは、普段の彼女の姿では無かった。
 頭の両側で結っていた銀髪の髪は、濃い栗色の髪に変わり、真っ直ぐ腰まで垂れている。抜けるように白い肌や、華奢な体つきは普段のアイビスと変わらなかったが、顔つきは普段の彼女より少し大人びている印象があった。素朴というよりも質素な服を着た、街中に溶け込むありきたりな姿だ。しかし、瞳の色だけは姿の変わる前と同じ、吸い込まれるように深い紫色をしていた。
「ん。どうかしら? 合格?」
 長いスカートをふわりとなびかせながら一回転し、イビスにその姿を披露する。声も普段のアイビスのものと違う。容姿も口調も、全体的に大人びた印象に変わっていた。
「どうだろうな・・・大丈夫だと思うが・・・」
 人間社会での"目立たない姿"というものが良く分からないイビスは、曖昧に答える。
「じゃなくてー!」
 アイビスはふりふりと腰を左右に揺らし、普段の姿に比べると格段に大きくなった胸を反らせながらモデルのようにポーズをとる。
「綺麗?」
「・・・早く行け」
「ぶー」
 当然、姿が変わった所で中身は変わらない。イビスはシッシと手を振ってアイビスを送り出した。

 とんとん、とステップを踏みながら歩き出し、街まで空間を飛ぼうと思ったその時。
「動くな!」
 岩陰から突然伸びてきた長い銃口が、アイビスの身体に突きつけられた。
「・・・え?」
 そこには、ボロボロの兵隊服を身に着けた若い男が居た。
 ボロボロなのは服だけではない。顔も泥と油で汚れ、ブーツも壊れているのかベルトを不恰好に巻き付けていた。構えたライフルも傷だらけで、錆が浮いている。
 まるで、長い間ジャングルの戦場で戦い続ける兵士のような姿だった。
「・・・だれ?」
「・・・」
 イビスとアイビスは顔を見合わせ、首を傾げた。



 山奥で人知れずそのような出来事があった翌日の夕方。
 バイアルスの山頂付近に、登山道を登るエアニス達の姿があった。一行は山の中腹までエアニスの車でかなりの無理をして登って来た。車では登れない場所からは5人とも大きなザックを背負い、自らの足で山を登り、半日が過ぎようとしていた。
「なんか、最後の、最後に、すごい難関が待ってたわね・・・あたし、神殿ってトコに着くまでに力尽きるかもしんないんだけど・・・ぜぇ、ぜぇ、」
「そう思うなら無駄口は叩くな。息が乱れて余計に苦しくなるぞ」
「いやいや、会話を交わしながら進むほうが、気持ち的に楽しく山を登れるものじゃぞ」
「別に山登りを楽しみに来てるんじゃねぇよ」
 エアニスとチャイム、ティアドラは空気の薄い環境下でもタフに雑談を続けていた。因みにトキとレイチェルは会話で呼吸のリズムを狂わせたくないのか、始終無言である。
 足元には薄く雪が積もっていた。このあたりの気温は今の季節、氷点付近を前後しているため、解けかけた雪が凍り足場は最悪だった。足を滑らせないよう全員がブーツにアイゼンを括りつけている。服装も普段の旅装束では凍えてしまうため、全員厚着をして革のマントを羽織り、ボアのついたフードを被っていた。
 過酷な環境に思われるが、天候は良好で風も無く、気温も氷点下を下回っていない。この季節の登山としては恵まれた環境だった。
「そろそろ・・・日も傾いてきたしさ・・・ゼェ、ヒュー・・・早いうちに、この辺りでキャンプ張らない・・・?」
「・・・そうだな。この辺なら広いし平らな地面も多いしな」
 チャイムの提案をエアニスは受け入れた。本当はもうすこし距離を稼いでおきたい所だが、疲れているのはチャイムだけでなくトキとレイチェルも同じで、顔を見ただけでも疲れの色が見て取れた。
 エアニスも疲れてはいたが、チャイム達程では無かった。エアニスは体が疲れない動き方を熟知しており、また半分とはいえ人より優れたエルフの体質を持っているため、酸素消費量が人に比べて少ないのだ。それと不本意ではあるが、体も大柄ではなく体重が軽いと言うのも登山に適していた。
 ティアドラもエアニスと同じく息一つ乱してはいないが、こちらは何故こうも平気な顔をしていられるか謎だった。
 エアニスがザックを降ろそうとすると、
「いや、待て。もう少しだけ登ってみぬか?」
 ティアドラは歩みを止める事無く、さっさと山道を進み始めてしまった。絶望的な表情を浮かべるチャイム。トキとレチェルも、残念そうに肩を落とした。
「今日中に見せておきたい景色があるんじゃ」





 頂上へ辿り着くと、その景色は突然山の反対側に現れた。
 ティアドラを除く4人は息を呑む。感嘆の声さえ上げる事は出来なかった。
 眼下に広がる白い雪山。
 遥か遠く、地平線の彼方まで、どこまでも真っ白な山が幾つも幾つも連なっていた。
 雄大で、とても美しい景色。
 それでいて途方も無く、自分の存在の小ささを思い知らされる景色。
 エアニスは後を振り向く。
 そこには、今まで登ってきた山道が続いている。眼下にはだいぶ小さくなったファウストの街が見え、その向こうには目の高さと同じ位の位置に山々の稜線が見てとれる。山の中腹あたりには雪は積もっておらず、大地の大半は緑で覆われていた。自分の居る場所が、それ程標高の高い場所と感じる事は無い。
 そして再び山の向こう側に目を向けると、そこには眼下に広がるどこまでも続く雪山。山の上からの眺めというより、飛空艇から大地を見下ろした時の景色に近い。
 自分の目前と背後で、別々の世界が広がっているような錯覚を覚えた。

「今わしらの立つこの場所が、標高4,200mじゃ。そしてこの先は大地が大きく沈んでおり、海抜マイナス500mから立ち上る2,500m級の山々が何処までも続いておる」
 チャイムは自分の立つ地面が、それほどまでに高い場所にあるものだとは思っておらず、ティアドラの解説に驚いた。それほど高い山を登ってきたという感覚は無かったからだ。そこまで考え、チャイムはファウストの街がかなりの高地にあったのだという事に気づく。確かに、ファウストに至るまでの数日間は何度も山越えを繰り返していた。
「わしらが今居る山を境に沈みこんだ大地は、この先4,500km先で再び隆起を始め、今度は6,000m級の山脈が続く。それを越えたら、大陸の向こう側に抜ける事が出来る」
「・・・・」
 途方も無い話だ。
 バイアルス山脈の事は、知識の上では4人とも知っている。
 太古の時代より、人間を拒み続ける自然の城壁。
 しかし、いざそれを目前とすると、圧倒的な存在感に一種の恐怖のような物を感じた。ただただ美しいばかりのその後光景に、何故恐怖を覚えたのか、自分の事だというのにエアニスにはその理由が分からなかった。
 何も無い大海原に、小船で漕ぎ出した時の心細さに似ている。しかし、本能的に感じる危機感は、その比ではなかった。
「どうじゃ? 壮観じゃろう?」
「壮観ってより・・・何か怖いわね・・・」
 チャイムが答える。彼女もエアニスと同じ感情を抱いたようだ。トキやレイチェルも素晴らしい眺めに感動しているというよりは、底の見えない穴の淵に立たされたような、落ち着かない表情を浮かべている。
「・・・ふむ。正常な感想じゃな」
 ティアドラは満足そうに頷く。
「とある見地の解釈によれば、この大地は徹底的に人間を排除しようとして、このような姿になったのだと考えられておる。じゃから、この世界に住まう者は本能的にこの大地を目にすると、恐怖を覚えるそうじゃ」
 ティアドラの解説にエアニスが不思議そうな表情を浮かべる。
「・・・何だその理屈は。この山が生きてるみたいな言い方だな」
「ガイア仮説という奴ですね?」
 トキがここぞとばかりに口を挟んできた。
「ふむ、流石メガネじゃな。知っておるか」
「光栄です」
「何ですか、それ?」
 首を傾げるレイチェルにトキは指を立て、自慢するように自分の知識をひけらかす。
「この世界も、僕達のように一つの生き物だと考える仮設です。
 人間が怪我をすれば、いずれ傷口は塞がりますよね。それと同じ様に、大地が大きく裂けたら、水や風がそこに土を運び、いずれは元通りになるでしょう?」
「・・・はぁ・・・考え方は分かりますが、突拍子も無い話ですね・・・」
「そして人間に意思があるように、この世界にも意思がある。
 バイアルス山脈は、この世界の意思が人間を寄せ付けないために作った場所・・・という事ですか」
 興味深いですね、とトキ。
「そうとでも考えなければ、この胸のざわつきは説明がつかんのじゃ」
「・・・・」
 馬鹿馬鹿しいと反論しようとしたエアニスが押し黙る。事実、エアニスの胸にも何とも言えぬ不安感が未だにわだかまっているからだ。
「わしもその論理は正しい物だと思っておる。確かに、この地は人が立ち入ってはいけない場所なのじゃろう」
 ティアドラはレイチェルに向き直る。
「エルカカの魔導師ならば分かる筈じゃ。この辺りの空間は、非常に脆く構成されているじゃろう?」
「!・・・えぇ、分かります。空間の結束が弱いというか・・・この場所なら、空間干渉の術を簡単に起動できると思います。
 でも、その分制御が難しそうです・・・空間制御に失敗しても空間は元に戻ろうとする力が働きますが・・・ここはその力が弱い。失敗したらここでは何が起こるのかわかりません・・・空間の断裂を作ってしまったり、連鎖的に空間の崩壊を起こしてしまうかも・・・」
 考えながら呟くレイチェル。空間の断裂とか崩壊とか、具体的に何が起こるんだろうと猛烈に不安になるチャイムだったが、口を挟める雰囲気ではなかった。
「よしよし、この不自然さを感じ取る事が出来るなら合格じゃな。
 そう、ここは世界で唯一、空間の、世界の境界線が曖昧になっておる地なのじゃ。魔導的な見地から見ても、何故このように異常な空間が存在しておるのかは分からんが・・・
 とにかく、ここはエルカカの魔導師が最も己の力を振るう事ができる場所なのじゃ」
 ティアドラは再び振り返り、眼下に広がる巨大な山脈を見渡す。
「じゃから250年前、エレクトラはこの地の空間結合の脆さを利用し、世界に穴を空けて魔族を別の世界へと追放した・・・」
「別の世界・・・」
 何気なく出てきた言葉に、チャイムは違和感を覚える。おとぎ話では "楽園"や、"レッドエデン"と呼ばれる世界。こことは違う、別の世界。
「追放・・・というには言葉が悪いか。彼らは元々この世界の住人ではないのじゃ。もう誰にも分からない程の大昔に、こことは違う世界からやってきたのだ。
 言わば侵略者じゃ。この世界の者としては、お引き取り願うのが当然じゃろう」
「・・・そのくだりは初めて聞いたな。魔族は別の世界の存在だなんて、どんな言い伝えにも出て来ないと思うが」
 そう言ってエアニスはレイチェルの顔を見たが、レイチェルもふるふると首を振った。エレクトラの直系である彼女も知らない話なのか。
「・・・あくまでも言い伝えじゃ。それにどう考えても、奴らの存在はこの世界の生物進化とはまったく別の概念で成り立っておるしな。そう考えたほうが自然というものじゃ。
 機会があれば、お主らを狙っているという二人組みの魔族にでも聞いてみるがいい」
 ティアドラはやや強引に話を打ち切ってしまった。何処かその様子に違和感を覚えたエアニスだったが、彼らが何処から来たのかという事など別にどうでも良かったので追求はしなかった。
 魔族だろうが人間だろうが、そんな事は関係無い。敵である事が分かっていれば、こちらがやる事は変わらない。

「とまぁ、それが"神殿"をこの地に選んで建てた理由じゃ。明日からは本格的に山に踏み入る。その前にこの景色を見て貰いたかったんじゃ。覚悟を決める為にの」
「はっ、要らん気遣いだ」
「いやー・・・あたしはこの話を聞いておいて良かったと思うなー・・・。いきなりそんな話されたらビビるもん。・・・いや、これから一晩でこの話を飲み込めるかと言われれば微妙だけどさ・・・」
「いやいや、大変面白い話でしたよ」
「・・・この一晩でここの空間構成詳しく調べないといけませんね・・・空間干渉の魔導式も少し書き換えないといけないかも・・・はぁ・・・」
 そう言いながらも4人は降ろしていたザックを背負い、歩みだす準備をする。
 シャノンの娘も、頼もしい仲間に恵まれたものじゃな。
 彼らの気負わぬ様子を見て、ティアドラは嬉しそうに笑った。
「さて、ここから少しだけ山を降りれば平地がある。浅い洞窟もあるからキャンプには丁度良い場所じゃ。もうひと頑張り頼むぞ!」



 山頂を越え山の反対側に回ると、途端に積もっている雪が分厚くなった。雪はガチガチに凍り付いていたが、アイゼンを履いていれば濡れて土と混ざり合った雪道よりむしろ歩きやすかった。
 ティアドラの言う通り、頂上から半時も下らない場所で平坦な岩場を見つけた。
 平らな一枚岩が水平に山の斜面へと突き刺さっているような場所だ。山の斜面には手掘りの浅い洞窟があり、何度か野営に使われた跡が残っていた。ティアドラや、神殿を訪れるエルカカの民がいつも使っている場所らしい。
 5人は岩に降り積もった雪を落とし、洞窟の中で2つの簡易テントを張る。更に外気を遮断する為に洞窟の入り口にカーテンのようにシートを張って火を焚き、中の空気を暖めた。焚火の煙はティアドラが魔導を使い器用に煙だけを外へ吐き出していた。
 持ってきた食材で作ったスープと、ブロック型の携帯食料を夕食として一行は早めに眠る事にした。
 疲れたからといって仲良く全員で眠る訳にもいかないので、エアニスとティアドラが交代で見張りをすることにした。トキとチャイムとレイチェルは、誰の目から見ても疲労の色が見て取れたので、三人には気にせず良く休むようにと伝えた。
 あの二人組の魔族に対しての警戒としては手薄過ぎたが、青年の姿をした魔族、イビスは、エルバークの街に現れ「石の眠る神殿で待つ」と言った。ならば、ここで寝込みを襲うような姑息な真似はしないだう。
 真夜中を過ぎた辺りまでティアドラが見張りをし、その後はエアニスが見張りを引き継いだ。今の時刻は早朝と呼ぶには少し早い時間。空は薄っすらと白じみ始め、山々の稜線が見えるようになってきた。
 自分のマントを羽織り、さらにその上から毛布を被ったエアニスが白いため息を吐く。毛布の下の左手にはオブスキュアが立てかけられており、手を伸ばせばすぐ届く場所にショットガンが転がっていた。見張りをしてても結局何も起こらず朝を迎えそうだ。あの魔族二人組みと決着をつけるであろう今日くらいは、しっかりと眠って体を休めておきたかった所だが、まぁ仕方ない。
 エアニスが欠伸とともに伸びをしていると、洞窟の中からチャイムが出てきた。
「ふっあぁぁ~~~ムチャクチャ寒いわねー・・・」
 エアニスと同じように、マントと毛布を被り、両手で自分の肩を抱くようにして震えていた。
「おはよ」
「お、おぉ・・早いな」
「ん、正直良く眠れなくてさ」
「・・そうか」
 チャイムはぎこちなく笑った。エアニスの受け応えも何処かぎこちない。
 彼女は今日がこの旅最後の日となる事に緊張しているのだが、エアニスは二日前の祭りの夜以来、チャイムと二人きりになるのが初めてだったから緊張しているのだが。
「何も心配する事なんてねーよ。あの邪魔な魔族どもを黙らせて、レイチェルの仕事を、背負ってる運命とやらを終わらせてやろう」
「あてにしてるわよ。あたしやトキじゃ、あの魔族に対抗する手段が無さそうだからね・・・」
「任せとけ。さっさと終わらせて、ティアドラの家で打ち上げパーティーでもやろうぜ」
「そーね」
 チャイムはにっこりと笑う。
 すると山の稜線が輝き、その明るさに彼女は目を眇めた。大地に日の光が差し込み始めたのだ。
 雪で白く染まった山々が日の光に照らされ、赤紫色に輝きだす。昨日はこの途方も無い景色に恐れさえ感じていたが、今目前で移り変わる景色は、素直に美しいと感じられた。
 微笑みながら日の昇る方角を見つめるチャイムの横顔を、エアニスは見ていた。そして、彼女の横顔から視線を外す事が出来なくなっている自分に気づく。
「あのさ、」
 エアニスが口を開きかけた。
 チャイムがエアニスに振り向く。
「ん?」
「・・・この旅が終わったら、一緒に 」

 バスン、とくぐもった音と同時に、チャイムの体が見えない何かに突き飛ばされて、山の岩壁にぶつかった。
 岩壁で跳ねたチャイムの体は、そのまま力なく地面に崩れ落ちる。それきり、ぴくりとも動かなかった。
「・・・」
 目の前で起こった事が理解出来なかったエアニスは、すぐに行動を起こす事が出来ない。
 ようやく遠くから、ターン、と銃声が響いた。弾丸よりも遅れて届いた、狙撃銃の発砲音。
 チャイムが狙撃銃で撃たれたのだ。
「チャ・・」
 ゆらり、と腰を浮かすエアニス。
 それは普段のエアニスからしたら有り得ない失態だった。撃たれた相手が仲間だからといって動揺してしまうなど、素人の反応だ。しかし、自失となったエアニスの緩慢な動きは狙撃手にとっても予想外のもので、それが幸運に繋がった。
 エアニスの耳元で、背にしていた岩壁が弾けた。エアニスの頭のあった場所を弾丸が通り過ぎたのだ。弾丸が当たらなかったのは幸運以外の何者でもなかった。
「くそっ!!」
 飛び散った岩の破片に頬を切られたエアニスは、頭から冷水を被せられたかのように本来の思考を取り戻した。
 チャイムが撃たれてから銃声が聞こえるまで、かなりの間があった。狙撃手はかなり遠くにいる。恐らく、向い側の山だろう。銃弾が流されない風の無い早朝、そして日の出の瞬間を狙っていたのだ。
 どのみち、こちらから手を出せる相手ではない。エアニスは反撃を諦め、自分の体を盾にしながらチャイムを洞窟の中へと引きずり入れた。


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