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第48話 深き森の一夜 -前編-

 ハンドルを握るエアニスは目じりに涙を浮かべながら大きな欠伸をする。そして際胸いっぱいに吸い込んだ空気の全てを、気だるそうな溜息に変えて吐き出した。
 トントントンと、ハンドルを指で叩く。
「あー・・・。退屈だ」
 低い声で誰へともなく呟いた。もはや、エアニスの口癖とも言える言葉だ。
「もうちょっと頑張って下さいよ。今日はこの山を抜けた所までは走っておきたいですからね」
 エアニスの隣、助手席に座るトキが、地図上の目的地を叩きながら言う。しかし、そこには町の名前も何も無い。
「今日中に辿り着ける町や村なんか無いんだろう。
 どうせ野宿なら何処でも同じだ。日も傾いてきたし、今日の移動はココまでにしようぜ」
「駄目ですよ。只でさえ旅の予定が大幅に遅れているんですから。
 これ以上遅れると目的地のバイアルスは雪に閉ざされ、春になるまで足止めを喰らう事になりかねません」
 そんな言われ方をされると、エアニスも反論が出来なかった。しかし、言われっ放しでは癪である。
「・・・じゃあ、お前が運転しろよ。いつも俺にハンドル握らせやがって」
「駄目ですよ。僕、運転免許持っていませんし」
「そんなモン、俺だって持ってねーよ!!」
「持ってないんかーーーい!!」
 さらりと出たエアニスの反論に、後部座席のチャイムが突っ込みを入れた。

 ないんかーーーーーい
 いんかーーーい
 んかーーい
 ・ーい・・

 開け放たれた窓からチャイムの全力の突込みが山彦となって聞こえてきた。
 その間抜けた現象がエアニスとトキの頭を酷く冷静にさせた。
「・・・止めよう。
 最近何を話してても、いつの間にか漫才になっちまうからな・・・」
「・・・ですね」
 居住まいを正すエアニスとトキ。
 取り残されたような扱いを受け、チャイムは面白くない。
「ねぇ・・・ちょっと・・・やめてよ。
 私のせいでそうなっちゃった、みたいな空気・・・」
「いや、お前の突っ込みが要らない、という訳じゃないんだ・・・
 誰かが突っ込んでくれないとボケっ放しで収集が付かないからな。
 ただ、最近はちょっとお腹一杯なんだ・・・」
 憂鬱そうに視線を山道の先に向けるエアニス。その言葉にトキが続く。
「僕はチャイムさんの突っ込み役を高く評価していますよ。
 ただ、時々ボケのポジションに付く時がありますが、それは良くない事だと思います。
 突っ込みは突っ込みだけ、ボケはボケだけ。
 でないと、キャラが定まりませんからね」
「あんたも都合のいい時ばっか突っ込み役やってんじゃないの!!」
 噛み付くチャイムのリアクションに、トキは嬉しそうに親指を立てる。
「そうそう、いいですよ。その調子です」
 バチーン! と、トキはチャイムに後部座席から顔を挟み込まれるようにビンタをされた。
 歪んだ眼鏡を直しながら、
「・・・痛いじゃないですか」
「思いっきり叩いたからね」
「お前ら・・・次の町に着いたら酒場で漫才でもしてみればいい。小銭程度なら稼げるぞ」
 3人の騒動は、ひとまずここで収束する。
 その間ずっと無言だったレイチェルの視線は、窓の外を向いていた。呆れているのかもしれない。
「れ、レイチェルもそう思わないか?」
 彼女の様子に気付いたエアニスが、話を振る。
「え、あっ、すみません、聞いてませんでした」
 彼女を除く三人が同時にシートからずり落ちる。
「・・・まぁ、いい加減こんな馬鹿話いつも続けてりゃ耳を素通りするようになるよな」
「ち、違いますよ!? そういうワケではなくって、外に・・・」
「外に?」
「村・・・のようなものがあります」

 自信無さげなレイチェルの言葉に、エアニスは車を止めた。
「村だと?」
 エアニスは窓から乗り出し、眼下に広がる森を眺める。エアニスの視線を辿ったレイチェルは、
「もう少し・・・左です。少し小高い丘の下。微かにオレンジ色の灯りが見えます」
 日は既に傾いており、レイチェルの指す先は山影で暗く見える。そのお陰で森の中に幾つかのオレンジ色の灯りが辛うじて見えた。
「確かに・・・。良い目しているな」
 レイチェルは山育ちですから、と言って笑った。
 エアニスが持つエルフとしての優れた視覚でも見落としてしまいそうな、僅かな明かりである。トキとチャイムに限っては見えていないようだ。
「しかし、地図にはこの辺りに町や村があるという記述はありませんが・・・」
 トキが地図を見直してから言う。
「古いんじゃないの、その地図。ともあれ、今日は野宿しなくても済みそうね!!」
 ガッツポーズを見せて喜ぶチャイム。
「そうだな。ここ2日野宿続きだったし・・・行って見るか」
 エアニスは村へ続く道を探し、車を走らせた。



 エアニス達の車が村の入り口に着いたのは、日が完全に沈んだ後だった。
 村は動物避けの簡単な木の柵で覆われており、その中には木材で作られた建物が10軒ほど建っている。かがり火で照らされた門には、槍を持った男が二人、門番として立っていた。
 エアニスは敵意が無い事を示すように、車の窓から手を振りながら近づく。
「こんばんわ。旅の人ですか?」
 門番の一人が、愛想良くエアニスに話しかけた。
「あぁ。山の上からこの村の明かりが見えてな。
 一晩泊めて貰いたいんだが、この村に宿は?」
 門番は肩を竦めると、
「生憎、此処はその村を作る為に森を切り開いている開拓村でして・・・。宿と言ったものはないんです。
 ですが、一夜の寝床と食事くらいなら提供する事は出来ますよ。どうぞ、こちらへ」
 そう言って、門番の一人はエアニス達の車を先導した。
「随分と友好的だな・・・」
 まるで砦を護るかのような柵と、門番が見えてきた時には、軽い緊張を覚えたエアニスが拍子抜けしたように言った。
「開拓村って言ってたし、むしろ新しい村に外部の人間が来てくれるのは歓迎する事なんじゃない?」
「・・・そうかもな」
 チャイムの言葉に、車のギアを入れながらそう呟いた。

 4人は、住人の居ない建築中の建物へ案内された。
 建築中と言っても、壁や屋根は完成しており、ドアや家具が無いというだけで、一晩の宿とするには十分な場所である。切り出したばかりの木の匂いが新鮮だった。
 道中、門番の男から聞いた話によると、彼らはここに新たな街を作る為に派遣されているだけで、正確にはここの住人では無いのだと言う。
 この森の北と南には、大きな街がある。しかし、その街を繋ぐ唯一の道は険しい山々を貫き、道中人間が住んでいる場所は一切無い。当然宿場なども無く、エアニス達も北の町を出てから2日間は車とテントでの野宿だった。徒歩で山を越え、北の町から南の町へ向うとなると、7日はかかるという旅人にとってはかなりの難所である。
 旅人が行き倒れる事も珍しくないこの広大な森の真ん中に宿場町を作る為、彼等は北と南の街から派遣された合同開拓団だった。

「んー!
 新しい家の匂い!」
 家の中に入ると、チャイムは胸いっぱいに切り出されたばかりの木の匂いを吸い込んだ。部屋は滑らかな色をした白木の壁に囲まれ、用意された毛布以外何も無かった。
「いいじゃないか。ボロ宿に泊まるより何倍もマシだ」
 荷物を部屋の隅に放り出し、エアニスは床に腰を下ろした。
「2時間後に集会所で、夕食があります。団長も歓迎したいと言ってましたので、遠慮なさらず来て下さい」
「ありがとうございます」
 案内役の男にレイチェルは深々と頭を下げる。チャイムもそれに習い、礼を言った。

 エアニス達は腰を下ろし、重苦しい旅装束や武器を外して体を休める。エアニスとトキはいつもの癖で、いざと言う時の為に部屋の間取りや周囲の道を調べて回った。
 床に寝そべり伸びをしていたチャイムが、座っているレイチェルを見上げながら言った。
「あー、でもこれじゃおフロは期待できそうに無いわねー・・・」
 この家はまだ水道が引かれておらず、周りに井戸も見当たらなかった。水に関して心配するチャイムに、レイチェルが思い出しかかのように言う。
「そいえば、集落の裏に川が流れてるみたいだったわ」
「ホント!?
 じゃあ、また温泉作ろうよ!」
 川辺で野宿をする時、よくチャイムとレイチェルは、石を積み上げ川の水を切り出し、レイチェルの火炎の呪文を打ち込んで即席の温泉を作っている。
「という事で、アンタらも手伝いなさいよ!!」
 チャイムに指差されたエアニスとトキは顔を見合わせ、
「まぁ、温かいフロに入りたいってのは俺も一緒だからな。やってやるよ」
「そうですね」
 その作業につき合わされるのも、エアニスとトキにとっては日常となりつつあった。

 ぼじゅうぅぅぅぅぅ・・・・
 レイチェルの魔導で川の水面が瞬時に沸騰し、辺りに濃厚な水蒸気を撒き散らす。手馴れたもので、積み上げた石によって川から切り出された水は、一発の術で丁度良い湯加減となっていた。ぬるくなったら魔導で暖め、熱くなり過ぎたら川の水を導き入れるのだ。
「おっけー。丁度いい湯加減だわ。
 じゃ、ふたりとも見張り宜しく」
「はいはい・・・」
「ごゆっくり」
 チャイムに言われ、トキとエアニスは、少し離れた岩場の影に腰を下ろす。
 今の彼らは何時何処で襲われるか分からない状況なのだ。流石に街中の宿屋の風呂で同じ事はしないが、人気の少ない場所で無防備になる場合は、これくらいの警戒は必要になるのだ。
 岩の陰とはいえ、数メートルしか離れていない場所にエアニスとトキが居るのだが、チャイムとレイチェルは構わずに衣服を全て脱ぎ捨てる。
 エアニスもトキも男である。最初は覗かれるのではないか、と警戒していたチャイムとレイチェルであったが、一緒に旅をするうちに、あの2人は、完全に"無害"である事が分かった。
「はぁ・・・それにしてもアイツらホントに枯れてるわよねー・・・」
 エアニスとトキがいる岩陰に視線を向け、チャイムはそうぼやいた。
 こうも無関心でいられると自信を失いそうになるが、ここはあの二人が男として終わっているのだと思い込み、チャイムはなけなしのプライドを護っていた。
「枯れてる? 何の話?」
「・・・何でもない。」
 そう言うと、チャイムとレイチェルは即席の湯船に裸身を沈めた。

 木々の隙間から見える満天の星空。月が出ていない事や、標高の高い場所だという事もあり、街で見える数の倍はあろうかという星が瞬いている。
「・・・・・幸せー」
「・・・・・んー・・・」
 顔だけを湯から覗かせ、チャイムとレイチェルは気持ちよさそうに目を細める。
「ねぇ、チャイムはさ・・・」
「んー」
「この旅が終わったら、どうするの?」
 レイチェルの問いに、チャイムの緩みきった表情が消えた。
 順調に旅が進めば、目的地であるバイアルスまでもう少しである。そろそろ、次の身の振り方を考えなければならない頃であった。
「んー・・・正直まだ決めて無いんだけど・・・。
 何と無く、今回あいつらと一緒に居て、自分がどうすれば良いのか分かったような気がしてきたわ」
「それって・・・」
 チャイムは自嘲気味の笑みを浮かべて、
「エベネゼルに・・・帰ろうかなと思ってる。
 やっぱり、あたしの力を役立てるのなら、あの国に居る事が一番なのかなって」
「それじゃあ、魔法医に戻るの?」
 チャイムは頷く。
「傷ついた人しか救う事の出来ない魔法医の・・・自分の無力さが嫌になったから、この道を選んだけど・・・
 きっと、それは逃げていただけなんだと思うの」
 傷ついた人を救うのではなく、傷ついてゆく人を守りたい。
 それが、チャイムが魔法医を辞め、騎士団へ入った理由だった。
「全ての人を救える訳じゃ無いという事は分かってる。それは、魔法医でも騎士でも一緒。
 だから、私はより多くの人を救える、魔法医に戻ろうと思う。もう、現実や自分の無力さに目を背けるのは、ヤメてね」
「そう・・」
「馬鹿みたいよね。この答えが出るまでに随分と遠回りしちゃったわ・・・
 もちろん、傷ついてゆく人も、この剣で護っていけるようになりたいけどね」
 チャイムは、これでもかと言うほど、明るく笑って見せた。しかし、それはすぐに寂しさに陰る。
「でも・・・。
 でも本当は、もっと皆と一緒に、旅を続けていたいかな。
 こんな事言うとレイチェルに怒られちゃうかもしれないけど、皆といるのが、今はすごく楽しいの」
「それは・・・私も一緒よ。外の世界が、こんなに楽しい所だとは思わなかったし」
「ん・・・そっか」
 チャイムはここで一度言葉を切ると、やや上ずった声で次の言葉を続けた。
「じゃあさ、この旅が終わったら、あたしと一緒に、もう少し旅を続けてみよっか。
 ・・・ついでに・・・エアニスとトキも誘ってさ」
「え・・・?」
 チャイムが言った予想外の提案に、レイチェルは驚く。
「ほ、ほら、まだレイチェルも色んな場所を見てみたいでしょ?
 あたしもスグにエベネゼルに帰らなくちゃいけないってワケでも無いしさ!
 エアニス達も、ミルフィストでずーっと暇を持て余してたみたいだしっ!!」
 だんだん声が高くなってゆくチャイム。照れ隠しのように無意味な身振り手振りを交えながら、言い訳をするように理由を言う。
「って、何必死になってんのかしらあたし・・・」
 自分の滑稽さに気付いたチャイムは、ぶくぶくと湯の中へ沈んでいった。
「私は、この旅が終わったら・・・」
 レイチェルが、どこか思い詰めたような表情で呟く。チャイムが水面から顔を出す。
 裸身に唯一身に着けているヘヴンガレッドの首飾りに指を当て、彼女は言葉を詰まらせていた。
「私は・・・」
「・・・レイチェル?」
 俯いてしまったレイチェルに、チャイムが訝しげに声をかけた。

 岩の向こうから、微かにチャイムとレイチェルの話し声と水音が聞こえていた。
「・・・エアニス、この岩の向こうを覗いてみたいとは思わないんですか?」
「別に興味無い」
「それは男として彼女達に失礼ですよ。その点、僕は違いますからね。
 枯れているなんて言われちゃ黙ってられませんよ全く」
 トキが腰を浮かし、その襟首をエアニスが捕まえた。
「だから覗くなって」
「いいじゃないですか」
「駄目だって」
 二人がそんなやり取りをしていると、
『きっゃあぁぁぁぁーーーーーっ!!!』
 チャイムかレイチェルか、はたまは両名か、絹を引き裂くような悲鳴が森中に響き渡った。驚き飛び上がった後、エアニスとトキは慌てて地面に置いていた剣と銃を拾い上げる。
「どうした!?」
 エアニス達がチャイム達に駆け寄る。
「あ、あそこの茂みに、何かが!!」
 レイチェルが動揺しながら暗い茂みの奥を指差す。確かに、そこには何かが動く気配があった。エアニスはチャイム達と気配の対角線上に割り込み、警戒しながら近づいてゆく。トキもホルスターに入った銃に手を掛けていた。
「誰だ、出て来い」
 エアニスの呼びかけと同時に茂みが揺れた。
「待ってください!! 何もしませんから!」
 茂みから両手を挙げて姿を見せたのは、所々汚れた旅装束を着た、レイチェルと同じ年くらいの少女だった。栗色の髪を伸ばした、やや華奢な少女が怯えた表情で立っている。殺気も何も感無い。彼女からはただ戸惑いの気配しか感じられなかった。
 小さく息を吐いて、エアニスは剣を下ろし、トキも背中に銃を隠した。
「脅かすな・・・こんな所で何をしている?」
 エアニスの質問に、少女はハッと我に返る。そして、少女が何かを言いかけた瞬間、
「何処に行った!!」
 野太い怒号と共に、今度は大柄な男が現れた。男は少女の姿とエアニス達に気付き、戸惑うような表情を見せた。しかし、すぐに穏やかな表情を作ると、
「これはこれは・・・娘が邪魔をしましたね」
 その言葉に、栗色の髪の少女が驚いた様子で男に振り向く。
「仕事も手伝わずに遊んでばかり・・・あまつさえこんな時間に家を飛び出しおって!!
 ほら、帰るぞ!!」
 男はそう言うと、少女の手を掴んで引っ張った。
「あ・・・」
 その時、少女はこちらを振り向き、エアニスと目が合った。
 彼女のその瞳は、エアニスに何かを訴えるような色を宿していた。
 それに引っ掛かりを覚えるも、自分が口出しをする事でもないと思い、エアニスは男に腕を引かれてゆく少女を黙って見送った。

 カシャン。
 エアニスは剣を鞘に戻し、溜息をつく。
「あー、びっくりした・・・・。
 もう、脅かさないでよね!!」
 チャイムはエアニスの隣で、少女の背に向かい文句を言っていた。
「・・・おい、チャイム」
 エアニスは、真横に居るチャイムの名を呼ぶ。
「なによ?」
 全く気付いていない様子のチャイムに、エアニスは右手で顔を覆いながら困ったような声で言った。
「隠すかどうかしろよ、見えてるぞ・・・」
「へ!?」



 咄嗟の事で、チャイムは体を隠すタオルよりも先に、戦う為の剣を掴んでいた。剣士としては優秀な判断だが、その代わり今チャイムの裸身を覆っているものは何も無い。
 エアニスはどういったリアクションをとれば良いのか分からなかったので、とりあえず逃げも隠れもせず、いつも通り堂々とした態度を貫いていたが、それはこの場の反応としては間違っていた。
「いっ、いっ・・・
 いつまで見とるかあぁっ!!」
 チャイム渾身の喧嘩キックがエアニスのみぞおちに決まり、その体を岩場の影まで吹っ飛ばした。
 チャイムは顔を真っ赤に染め、肩で息をしながらレイチェルの方を振り向くと、タオルで胸を隠していたレイチェルの背後に、メガネを真っ白に曇らせたトキが怪しく立っていた。
 ビクリとレイチェルも背後に居たトキに気付く。
「と、トキさんも早く出て行ってください!!」
 叫びと共に炸裂した風の呪文が、木立と共にトキを木の葉のように吹き飛ばした。

 ボロボロになったエアニスとトキは、再び岩場の影に並んで座っていた。
 トキは鼻血を拭いながら、うずくまって悶絶するエアニスに声をかける。
「大丈夫ですか、エアニス?」
「・・・どうだろう。内臓破れたかもしれん・・・。
 ・・・ところでお前その鼻血、その・・・どっちの鼻血だ?」
「どっちの、とは、どう言う意味でしょうか?」
「・・・いや、もういい」
 そんなやり取りをしていた二人の横を、湯船から上がり、借りた寝間着を着たチャイムとレイチェルが通り過ぎた。エアニスは立ち上がり、チャイムに向って、
「あ、おいチャイム、今のは 」
 バチーン!!!
 と、問答無用のチャイムのビンタがエアニスの横っ面を張り飛ばした。
 ふん、と、鼻を鳴らしたチャイムは怒った表情で歩き去った。
「あのー・・・」
 トキは残されたレイチェルに声を掛けると、レイチェルはトキから顔を背けてしまった。トキはレイチェルと視線を合わせようと何度もレイチェルの顔を覗き込むが、レイチェルは笑っているような困っているような照れているような泣いているような、何とも表現し辛い顔をトキの視線から逸らし続ける。終いには、トキを避けるようにして早足でチャイムの後を追っていった。

 あまりにもやるせなく、空虚な風が吹いた。
「酷くないか、これ・・・」
「酷い・・・ですよね」
 掠れた声で、その言葉だけを交わすと、二人は肩を落として黙り込んでしまった。
「・・・でも、僕はレイチェルさんが、"裸を男に見られたら恥ずかしい" っていう恥じらいを持っているという事が分かって安心しました。
 先のオーランドでの出来事を思うと、そういう羞恥心すら持ち合わせていないのではと心配していたので」
「・・・あっそう」
「まぁ、個人的に残念でもありますが・・・」
「何が?」
 二人は死んだ魚のような目で星空を眺めながら、そんな間抜けたやり取りを交わしていた。
「・・・とりあえず、一緒に風呂にでも浸かりましょうか」
 トキの提案に、エアニスは暫く黙った後、
「・・・一人で入れ」
 そう言って剣を担ぐと、とぼとぼと村の方へ歩いて行ってしまった。
 一人残されたトキは、何とも言えぬ虚しさをと共に、暫く立ち尽くしていた。

第49話 深き森の一夜 -中編-

「う」
 部屋を出た所で、チャイムは川原の即席温泉から戻って来たエアニスと鉢合わせした。お互いの視線がぶつかり、エアニスは眉間にシワを、チャイムは顔を赤くする。
「何も無かったか?」
「う、うん。別になんにも」
「そうか」
 タオルで湿った長い髪を拭きながら、エアニスはいつも通りの様子でチャイムの横を通り抜け、部屋に入ってゆく。その姿を見送ると、エアニスに対してではなく、何故か顔を赤らめ、態度が硬くなってしまった自分の反応に腹が立ってきた。
( やだな・・・あたし何意識してんだろ・・・ )
 ごつん、と、自分の頭をこぶしで叩いた。
「おやおや。さっきとは違い、随分としおらしいリアクションですね」
 いつの間にかそこに立っていたトキに冷やかされ、チャイムは自分の頭を小突いたたげんこつで彼を殴り飛ばした。

「さっきはすみませんでした・・・
 せっかく助けに来て貰っておいて、あんな事を言ってしまって・・・」
「いや、その何だ。俺達も、もう少し気を遣うべきだった。
 謝るのはこっちだったと思うし・・・すまん・・・」
 部屋に入るなりレイチェルがエアニスとトキに頭を下げて何度も謝り始めた。それに対しエアニスも彼女と同じように頭を下げる。その姿勢の低さにチャイムは唇を尖らせた。
「ねぇ・・・前から思ってるんだけど、なんであたしとレイチェルでアンタの態度そんなに違うの?」
 突然そんな事を尋ねられて、エアニスはぽかんと呆ける。そして暫く考えるようにして俯き、
「えーっと・・・何かお前と違ってレイチェルは傷つき易そうな感じがするから、粗暴な態度取っちゃ駄目っていうか・・・」
「・・・言わんとする事は分かるけど・・・"お前と違って"の部分は余計よ。
 というか、アンタ普段の自分の態度が粗暴だって自覚あったのか・・・。
 自覚あるなら改めなさいよ!」
「はっ、余計な世話だ」
 チャイムの表情が引きつり、こめかみに青スジが浮んだ。
 その二人の間を取り持つように、レイチェルがフォローを入れる。
「その、そんな気を遣って頂かなくても大丈夫ですから・・・。
 むしろ、普段どおりのエアニスさんで接してもらった方が、私は嬉しいです」
 レイチェルの素直な言葉にエアニスとチャイムは顔を見合わせる。
「だってさ」
 笑いながらチャイムが言い、エアニスはどう答えたものかと、そっぽを向いて頭を掻く。
「・・・どMですね」
 ボソリ、と、呟いたトキが電光石火の勢いで再びチャイムに殴り倒された。
「えむ?」
「何だそれ。どういう意味だ?」
 トキの言葉の意味が分からないレイチェルとエアニスは、チャイムに口を押さえつけられるトキを見て首を傾げる。
「いいの!! ヘンな言葉覚えなくていいから!!」
 顔を赤くしながら、チャイムが両手を振って答えた。

 その後エアニス達は、開拓団の全員で食事をすると言う集会所へ向った。
「これは旅人さんがた、ここまで来るのは大変だったでしょう。歓迎しますよ」
 開拓団の団長が、エアニス達をテーブルに誘う。エアニスは一応、余所行きの顔で礼を言ってから、4人掛けの椅子に座った。トキとチャイム、レイチェルもそれに習う。二人の男が次々と皿を運び、テーブルの上は大量の料理で埋め尽くされた。
「我々の仕事は体が資本ですからね。食料だけは有り余っているんですよ。どうぞ召し上がって下さい。もちろん、お代は結構です」
 男は愛想良く笑い、エアニス達に料理を勧めた。
「ありがとうございます」
 礼と共に作り笑いを見せ、エアニスはフォークを取った。トキとチャイムはその笑顔を胡散臭そうに横目で見る。

「みなさんは、北の町からいらしたのですね?」
「えぇ、南のエルバークの街へ向う所です」
 この森を通る者は北のミンティアと、南のエルバークを行き来する者しかいない。分かりきった質問にも、エアニスは愛想良く答える。
 しかし、内心では静かに食事をしたいと思い、合間合間に話しかけてくる団長を煩わしく感じていた。食事中に会話をするのは好きではないのだ。にも関わらず、本音を見せる事無く愛想よく受け応えをする自分を、俺も社会性が身に付いてきたなぁ、などと自己評価していた。
「エルバークの街には何のご用で?」
 エアニスは言葉を詰まらせる。その質問にはトキが答えた。
「特に、用という訳ではありません。僕達は宛の無い旅の最中でして、ただ近くを通るので寄ってみようと言うだけの事です。
 強いて言えば、名物の黒リンゴのパイを食べに行く為でしょうかね」
 トキの答えに、男はそうでしたか、と笑いながら頷く。
「そうだ。黒リンゴのパイでしたら、エルバークの中でも一番と言う名店があります。後でお教えしますので、是非ともお立ち寄り下さい」
「いいですね、お願いします」
 適当なでまかせで、トキはその話題を乗り切る。息をするように嘘を吐く彼に、エアニスは内心舌を巻いた。

 それなりに楽しい晩餐が続いていた。
 昼間の仕事を終え酒に酔った男達の笑い声が、集会所のあちこちで聞こえる。エアニス達も、団長の男をはじめ何人かの開拓団の男達と言葉を交わす。チャイムとレイチェルは良く笑った。エアニスは、会話が面倒とは思いつつも、チャイム達が楽しんでいるのを見て、悪い気はしなかった。
 並べられた沢山の料理は食べきれない程の量だと思っていたが、何とか全ての料理を胃袋に納める事が出来た。特筆すべき事は、レイチェルが沢山余ってしまった料理をほぼ一人で片付けてしまった事である。
 お前、そんなに食って大丈夫か・・・?
 黙々とフォークとナイフを動かすレイチェルが心配になりエアニスが訪ねると、
 残してしまうのは勿体ないですし、これくらいなら食べようと思えば食べれます。
 そう言って笑い、ポテトサラダを口に運んだ。
 本人曰く、普段はあまり食べる方では無いが、頑張って食べようと思えばそれなりに食べれるのだという。
 この小柄な体の何処にこれだけの量が入るのかと、一同は首を傾げた。

「あー、満腹・・・北の街を出てからこんだけ食べたのは久し振りー・・・」
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
 チャイムは椅子からずり落ちかけた格好で天井を仰ぎ、レイチェルは対面に座る団長の男に頭を下げる。
「いやいや。私もあなた方の旅の話が聞けて、とても楽しかったですよ」
 団長の男の横から食事係りの男がカップに入った紅茶を置いてゆく。それは、エアニス達4人の前にも並べられた。
「それにしても・・・本当に男の人ばかりなんですね」
 チャイムが周りを見回し、集会所に女性が自分とレイチェルしか居ない事に気付き、やや落ち着きを無くしていた。
「あっはっはっは、
 この開拓村に派遣されているのはみんな男ですよ。女子供は一人も居ません」
 団長の返事に、チャイムは引っかかりを覚える。
「一人も、ですか?」
「えぇ、貴女達のように旅をしている方ならともかく、街の口うるさい女衆には、ここでの生活には耐えられんでしょうしなぁ」
 団長がわざとらしく大声で言い放ち、周りの男達は違いねぇ、と言いって笑った。
 首を傾げるチャイム。レイチェルも、同じように、きょとんとした表情をしている。
 ついさっき、チャイムとレイチェルの入浴中に現れた、栗色の髪の少女。
 この開拓村には男しか住んでいないと言うのであれば、あの少女は一体何者だったのか。
 それについてチャイムが男へ問いかけようとした時、
「ところで、この紅茶は何処のものだ?
 変わった香りだな」
 エアニスが目の前に出された紅茶について話題を振った。
 川原の即席温泉で見た少女に対し、エアニスも疑問を感じた筈なのに、その話題に触れず敢えて別の話題を持ち出したのだ。
 エアニスは、知らないふりをしている。
 それに気付いたチャイムは、慌てて自分の口をつぐんだ。
「私の故郷で飲まれている紅茶です。体が温まりますよ」
 そう言って、男は自分のカップを傾けた。
 エアニスも紅茶を飲もうと、カップに手を伸ばす。

 指が取っ手に触れる直前
 突然カップがソーサーごと浮き上がり、エアニスの目の前から消えた。
 正確に言うと、カップを乗せたテーブルがひっくり返され、その上に乗っていた物全てが宙に放り出されたのだ。
 ガシャアアン!!
 エアニス達と団長の男が囲んでいたテーブルは、逆さを向いてやや離れた壁にぶつかった。テーブルに乗っていた食器が全て割れて、盛大な騒音を立てる。
 その音に、騒がしかった集会所が一瞬にして静まり返った。
 団長の男も、チャイムもレイチェルも。そして、エアニスまでも状況を飲み込めず、絶句する。
 全て理解していたのは、席から立ち上がりテーブルをひっくり返したトキのみだった。



「な、何を・・・!?」
 驚きの表情を見せる団長は、トキを見上げてようやくその言葉だけを口にする。
「この紅茶は、僕達には勿体ないですね」
 席を立ったままのトキは、リーダの男を見下ろして言った。
「随分と香りの強い紅茶ですが・・・
 どれだけ"マゴリア"の葉を使いましたか?」
「!!」
 団長の男が青ざめる。
 "マゴリア"の名には、エアニスとチャイムも聞き覚えがあった。
 戦時中、戦場で広く使われていた鎮痛剤の材料となる植物である。そして"マゴリア"は、非常に依存性の強い麻薬の原材料にもなる植物だ。薬の一種だったそれはやがて麻薬の代名詞へと取って代わり、現在では医療用として使う事も禁じられ、所持する事も栽培する事も許されてはいない。
 トキは団長の男の反応に口元をいびつに歪める。
「大方、旅人にクスリで"餌付け"をし、人身売買が何かをしているといった所ですか?」
 トキの"餌付け"という言を聞いた開拓団の男達は、更なる動揺を見せる。
 エアニスがその言葉の意味を図りかねていると、トキが簡単に説明を加えた。
「"餌付け"というのは、彼らの業界の隠語ですよ。
 犯罪組織が流れの旅人などを薬漬けにして、奴隷にする事です。
 なるほど・・・これだけ深い森なら、旅人が行方知れずになっても、行き倒れたと思い誰も不思議に思わないでしょうね。
 "餌付け"にはもってこいの場所じゃないですか」
「・・・は、はは、・・・」
 団長は冷や汗を流し、乾いた笑みを見せる。その反応を伺い、トキは嬉しそうに笑った。
「図星のようですね」
 男は黙り込むと、突然ズボンのポケットから銀色の小銃を抜き出し、銃口をトキに向けた。
 バスッ
 集会所にくぐもった銃声が一発だけ響く。
 トキの右手は、腰の位置で黒光りする銃を握っていた。
 お手本のような早撃ちだった。団長の男よりもずっと遅れて腰のバックから抜かれた銃は、最小限の動きで男の顎に狙いを付け、頭部を真下から撃ち抜いた。

「おっと・・・。
 そう言えば、黒リンゴパイのお店を聞くのを忘れていましたね」
 トキがそう言うと、団長の体はゆっくりと後ろに倒れ、隣のテーブルをひっくり返して地面に倒れた。静まり返った集会所では、食器が割れ散乱する音が良く響いた。
 トキは、ついさっきまで共に食事をし、談笑していた相手を、表情一つ崩す事無く撃ち殺したのだ。
 絶句、というより、突然の出来事に放心状態のチャイムとレイチェル。エアニスも含め、トキがテーブルをひっくり返してから、一歩でも動いた者は一人も居なかった。
「お、おい、トキ、・・・」
 戸惑いながらエアニスは立ち上がろうとすると、トキはおもむろにエアニスに銃を向け発砲した。
「うわっ!」
 銃弾の衝撃波が、エアニスの耳元を打つ。
「ひぎゃっ!!」
 エアニスの背後で自動小銃を構えていた男が、額に穴を開けて仰向けに倒れた。
 全く気付いていなかったエアニスは、自分の後ろで倒れた男を見て、舌打ちをする。
「らしくないですよ、エアニス。周りを良く見て下さい」

 我に返ったエアニスが周囲を見回すと、集会所に居る男達は皆、銃やナイフ、鈍器を手に、エアニス達を取り囲んでいた。
 トキは再び腰の後に手を伸ばす。
 左手で銃と一緒にバックに収められていた薄刃のナイフを抜き、右手の銃と共に構える。
「全員、敵です」

第50話 深き森の一夜 -後編-

 つい数分前まで、共に笑いながら夕食を楽しんでいた男達が、明確な殺意と武器を持ってエアニス達へ殺到した。
 トキは襲いかかる男へ銃弾を放ち数人の敵を撃ち倒した所で、別の男に掴みかかられる。すぐさま左手に持ったナイフで、相手の首を撫でるように浅く薙いだ。
 別の男が、背後からトキの頭を酒瓶で殴った。瓶が砕け散り、トキが体勢を崩す。砕けて鋭利な刃物となった酒瓶を、男は片膝をついたトキに振り下ろす。
「この野郎!」
 エアニスが、テーブルの上から男の頭を鉄板の入ったブーツで蹴り飛ばす。続けて殺到する男を数人、鞘に収めたままの剣で叩き伏せた。
 しかし、いくらエアニス達でも、この狭い室内でこれだけの人数の相手をするのには無理があった。
「レイチェル!
 構わないから小屋ごと吹き飛ばせ!!」
「は、はいッ!」
 エアニスに言われ、レイチェルは呪文の詠唱を始める。詠唱を続けるレイチェルに襲い掛かってきた男が、チャイムに椅子を叩きつけられて倒れた。
 レイチェルは紡ぎ上げた魔導式を解き放ち、床に手を当てる。エアニス達の回りの空気がゆっくりと渦巻いた後、爆発的な風が4人を中心に吹き荒れた。襲い掛かってきた男達は風に吹き飛ばされ壁に叩きつけられたり、窓ガラスを突き破り外へ投げ出される。レイチェルが床に当てた手を天井に向け振り上げると、その風の勢いは更に力を増す。バリバリと音を立て、風は小屋の壁を、屋根を内側から押し破り、中にいた男達と一緒に集会所をバラバラに吹き飛ばした。

 エアニス達の立つ床板と数本の柱を除き、集会所の建物は跡形も無く吹き飛んだ。辺りには散乱した木材と、呻きながら立ち上がろうとする吹き飛ばされた男達。まるで竜巻が通り過ぎた後のようだ。そのような惨状にも関わらず、レイチェルの力加減によって大怪我をした者は居なかった。
 エアニスは風で乱れた髪を掻き上げ、溜息をつく。
「何だか良く分からんが・・・・
 とんだ無駄足だったな。荷物を引き上げ、さっさとおいとましよう」
 剣を肩に担ぎ、歩き出したエアニスの腕を、トキが掴んだ。
「エアニス。
 こういう連中のタチの悪さは知っているでしょう。
 野放しにはできません」
 トキの声は、いつもの浮ついた声とは違い、硬く冷たいものだった。表情にも、普段の薄い愛想笑いが無い。
「・・・どういう意味だ?
 こいつら全員片始末するとでも言うのか」
 トキはエアニスの問いに即答するつもりで口を開く。しかし、チャイムとレイチェルの視線に気付くと、渋々といった様子で答えた。
「・・・そう、言っているんです」
 チャイムとレイチェルは驚いてトキを見る。エアニスはわざとらしく息を吐くと、
「・・・何度も言ってるだろ。俺はもう、殺しは極力したくない。
 奴等がどれだけクズだろうと、俺が相手をする理由にはならん。
 俺の気分が悪くなるだけだ」
「そう、ですか。
 じゃあ、頼みません。僕一人でも出来る事ですからね」
 そう言うとトキは唐突に後ろを振り向き、ナイフを握った左手を振るった。
 ガンッ、という金属と共にトキの手元で火花が散り、同時にチャイムの足元に何かが突き立った。
 それは、トキの背中に向けて投げつけられた手斧だった。
「ひえっ!」
 トキは、驚くチャイムの足元に手を伸ばし、自分が叩き落した斧を拾い上げる。
「返しますよ」
 それを、茂みの暗がりからトキに斧を投げた男へ、無造作に投げ返した。
 暗くて良く見えなかったが、トキの投げつけた斧は湿った音を立てて男を突き倒した。
「・・・!」
 チャイムとレイチェルが息を呑む。
 そしてトキは、自分達を遠巻きに囲む男達に向けて駆け出した。

 チャイムとレイチェルは、今までトキが戦う姿を見た事はあってもトキが人を手にかける所は、見た事が無かった。
 それはとても自然で、普段のトキの姿そのままだった。
 表情を崩す事無く、淡々とトキは襲い掛かる男達を殺してゆく。時折、相手からの返り血がトキの服を、頬を濡らした。
 チャイムの表情に、僅かな怯えの色が浮ぶ。
 それを見たエアニスは、舌打ちをして頭を抱えた。

 トキは怯えながら棍棒を握る男に歩み寄る。
「こ、この化け物っ!」
 男は一声叫ぶと、トキへ殴りかかった。
 トキは混雑する雑踏の人ごみを避けるように、自然に男の突進をすり抜けると、すれ違いざまに男の脇腹にナイフを突き立てようとした。
 しかしその前に、棍棒を持った男はエアニスの鞘に納まった剣で殴り倒された。男は仰向けに倒れ込み、誤ってエアニスに触れそうになったトキのナイフが止まる。
 トキの服を、エアニスが掴んだ。
「やめろ。らしくないのはお前じゃねーか。
 こんなクズども相手に、何イラついてんだ!?」
 エアニスは、やや声を荒げて言った。
「イラついている・・・という所は、否定しません。
 エアニスは分かっているでしょう。僕は、彼らのような人間を許せないんですよ」
「・・・お前・・・」
 トキの目つきが変わっていた。
 エアニスがこの表情を見たのは随分と久し振りだ。
 トキが、"敵" としてエアニスの前に初めて現れた時、彼はこんな目をしていた。
 普段のふざけた仮面の下にある、トキの本当の素顔。
 そのやりとりの間に、エアニスに殴り倒された男は起き上がり、力ない足取りで逃げ出した。
 それに気付いたトキは、襟元をエアニスに捕まれたまま、右腕の銃を逃げる男の背中に向ける。
 エアニスの頭へ一瞬にして血が昇る。思わず拳を握っていた。
 しかし、トキの銃が男の背を撃つよりも早く、エアニスの拳がトキの頬を打つよりも早く。
 レイチェルがトキの正面に立ち、胸の前で銃を両手で包み込んでいた。

「・・・・」
 トキも、エアニスもチャイムも、思わず動きを止める。
 レイチェルはゆっくりとトキの手から銃を取り上げると、彼女は取り上げた銃を空に向け、目をつむって引き金を引く。
 ガンッ! ガンッ! ガンッ!
 レイチェルは、銃は自分で撃ってみると、はた目から見ているよりもずっと大きな音と衝撃がある事を知った。
 全ての弾丸を撃ち尽くしたレイチェルは力なく銃を下ろし、トキに言う。
「この人達のしている事が許されない事だというのは、分かっています。
 ですが、こんな一方的な・・・殺戮を、見過ごす事は出来ません」
 レイチェルの声は怯えの色を含んでいた。視線もトキの瞳からは外れ、彼の足元を見ている。
 トキは、そんなレイチェルの様子にショックを感じていた。



「・・・彼らは、ヘタな殺し屋なんかより、ずっと沢山の人間を死に追いやりますよ」
 トキの反論は、既に苦し紛れの言い訳をしているような口調であった。
「そうだとしても!!
 私は見たくないんです!!
 トキさんのそんな姿は!!」
 レイチェルが叫んだ。

 誰も言葉を口にしなかった。
 暫くして、トキが震えるような溜息を吐いた。怒りか哀しみか、何らかの感情を押し殺しているような溜息だ。トキは、チャイムとレイチェルが見た事の無い表情をしていた。思い返してみれば、彼女達が今まで見た事のあるトキの表情の種類は、とても少ないような気がした。だから、それだけで彼が自分の知らない人物だと錯覚してしまいそうになる。
 トキは左手に握ったナイフを手の中で回し逆手に握ると、腰の後のガンベルトについた鞘へ、それを納めた。
 エアニスとチャイムは胸を撫で下ろす。レイチェルは変わらず、トキの顔から目を背けるように俯いていた。
 エアニスが口を開く。
「とにかく・・・ここを出よう。落ち着いて話も出来・・・」
「あっ!!」
 エアニスの耳元で、チャイムが思い出したかのように声を上げた。エアニスは身を仰け反らせ、
「な、何だよ?」
 チャイムは興奮気味にまくしたてる。
「食事の時、アイツは村には女が一人も居ないって言ってた!!
 じゃあ、あたし達が温泉で見た子は何だったんだろうって、考えてたんだけど、
 もしかして・・・・!!」
 アイツというのは、エアニス達と共に食事をした、開拓団の団長を名乗る男だ。エアニスも、会話の途中にチャイムと同じ疑問を抱いていた。エアニスが顔をしかめる。
「・・・あの女も、俺達みたいに嵌められて捕まっていたって事か。
 そして何かの切っ掛けで逃げ出して、俺たちと鉢合わせた・・・?」
 エアニス達に背を向けていたトキが動いた。そして、近くで倒れていた男を引きずり起こす。
「うわぁっ!! も、もう止めてくれ!!」
 怯える男に、トキはいつもと同じ事務的な口調で言う。
「話しは聞いていましたね?
 案内して下さい。あなた方の"商品棚"へ」

 既に開拓村の男達は、戦意を喪失していた。
 散発的に銃を持っている者が襲い掛かってきたが、トキとエアニスが男達の武器を持つ腕を正確に撃ち抜いてゆく。
 案内役の男を引き連れ、エアニス達は借りていた小屋から荷物を引き上げ、車で村の中を移動する事にした。幸い、荷物や車は無事であった。
 捕らえた男の案内によって、村の外れにある、唯一の石造りの建物にトキ達は辿り着いた。
「こ、ここだ」
 男が小屋の中の床を指差して言った。エアニスは男の指差した床をブーツで踏み鳴らし、剣を抜いて床に突き立てた。そして剣をねじる様にして引き上げると床板は持ち上がり、地下に続く石の階段が姿を現した。
 それを確認すると、トキは捕らえていた男の首筋を叩き、あっさりと昏倒させた。4人は暗い地下室への階段を覗き込む。
「・・・さてと、行くか」
 エアニスが階段を数段降りると、
「ッ!!」
 肺と脳髄がドクン、と疼いた。不慣れな体の内側からの衝撃に、危うく意識を失いかける。
「げはっ!!」
 胸を押さえて、エアニスが膝をつく。
「エアニス!?」
 危うく階段を転げ落ちそうになったエアニスを、チャイムが慌てて支えた。その"匂い"に気付いたトキは、チャイムに向かい叫ぶ。
「早くこの階段から離れて下さい!!
 クスリが燻してあります!!」
 トキの言葉にチャイムは慌てて口元を押さえ、トキと二人でエアニスの体を階段の上へ引きずり上げた。エアニスを壁にもたれ掛けさせ、階段の蓋を閉める。
「ちょっと、エアニス、どうしたのよ!!」
 チャイムは首を垂らしたエアニスの頬をビシバシ叩く。エアニスはその腕を払いのけて、チャイムの頭をはたき返した。
「あぁ・・・クソッ・・・大丈夫だ・・・」
 朦朧とした頭を抑え、エアニスは苦しそうに言った。
「・・・エアニスのハーフエルフとしての五感は、人間のそれよりも遥かに優れたものです。
 その分、こういったクスリにも敏感に反応してしまうんですよ。
 チャイムさん達も、あまり近づかない方が良いです。このクスリの濃度じゃ、5分も吸っていれば薬漬けになってしまいますから」
 うっ、と、チャイムが呻いた。
「じゃぁ、この地下で捕まっているかもしれない人達は・・・」
「・・・とっくに重度の薬物中毒でしょうね。
 ですが、助けられない訳ではありません」
 そう言うと、トキは床下の階段を下り始めた。
「トキさん!!」
 レイチェルがトキを呼び止める。
「すぐに戻りますよ。もう少しだけ離れて待っていて下さい」
「そうじゃなくて、トキさんまで薬に当てられてしまいます!!」
 トキは一瞬呆けたような顔を見せて、レイチェルに苦笑いを見せる。
「僕の体は、こういうモノへの耐性ができているんですよ。心配しないで下さい」
 そう言うと、さっさと地下へ降りていってしまった。
「なにそれ・・・どういう意味?」
 チャイムとレイチェルが顔を見合わせた。

 暫くして戻ってきたトキの背中には、一人の少女が背負われていた。
 エアニス達が川原で会った、栗色の髪をした少女だ。チャイムがトキに駆け寄る。
「トキ・・・その子は・・・」
 トキが背中の少女を車に乗せながら、
「・・・案の定、薬漬けにされて地下の牢屋に入れられていました。意識が戻らないので、そのまま連れてきました。他には誰も居ませんでしたよ。
 エアニスの具合はどうですか?」
 トキの質問に当のエアニスが身を起こし、手を上げる。
「あぁ、もう大丈夫だ・・・」
 頭を振りながらエアニスは立ち上がった。
「・・・助けられそうか、その子?」
「森を抜けた南の街まで連れて行ければ・・・なんとかしてみせます。
 クスリも何日分か、頂いて来ました」
 そう言うとトキは、カラカラに干からびた草の束を見せた。
 エアニス達も飲まされそうになった、麻薬の紅茶葉。"マゴリア"の葉だった。
「その薬・・・使うの?」
「えぇ、でなければ、街に着く前に薬が切れて、彼女は狂い死にでしょうからね」
 困ったようにあっさりと言うトキ。チャイムとレイチェルの表情が強張る。
 エアニスは片手で体を支えつつ、車の運転席に座った。
「それじゃ、行くぞ。
 もうこんな所に用は無い」

 開拓村、もとい麻薬密造組織のアジトを後にし、エアニス達の車は山道を走り抜ける。追ってくる者の姿は無かった。
 車の中には、いつもの4人に加え、死んだように眠る一人の少女がいた。本当に死人かと思わせるような顔色だったが、その胸は息をしている事を示すように浅く上下している。
「トキ、本当にこの子、大丈夫なの?」
 チャイムが心配そうに問いかける。レイチェルは眠る少女の服の襟元を緩めてやっていた。
「僕は医者じゃないですから何とも言えませんがね。
 薬のせいで意識が混濁しているだけかと思います」
「だと・・・いいんだけど・・・」
 チャイムも医者といえば医者なのだが、薬物中毒患者は専門外である。彼女は少女の頬を触ると、少女の体が冷え切っている事に気付いた。チャイムは後部座席の後に突っ込んだ自分の毛布を引っ張り出し、少女の体に掛けた。
「くそったれ。とんだ無駄足だったな・・・」
 愚痴をこぼしながら、エアニスは煙草に火を点ける。ハンドルを切り、車は大きくカーブを描きながら、真っ暗闇の山を登ってゆく。その時、山道の端にあった "それ" を、ヘッドライトが一瞬照らし出した。
「エアニス、車を止めて下さい」
 助手席のトキが後を振り返りながら言った。
「あぁ、何で?」
「いいから止めて下さい」
 そう言うとトキは身を乗り出し、エアニスの足ごとブレーキペダルを踏みつけた。
『うぉあぁあーーーー!!!』
 エアニスとチャイムが声を上げる。急制動のかかった車は土の地面を数メートル横滑りし、幸運にも崖下に落ちる事無く止まった。
「ああ、危ないじゃないのーっ!!」
 車が止まってチャイムが叫ぶと、既に助手席にトキの姿は無かった。トキは車から降りて、山道の外れを見ていた。
「エアニス、こっちをヘッドライトで照らして下さい」
「あ、あぁ」
 エアニスはトキが指差す方へ車を回頭させ、山道の端をライトで照らす。
 そこは花畑だった。真っ暗闇の山道の外れに、真っ白で繊細な花弁をもつ花が一面に咲き誇っている。
「わ・・・すごい・・・」
 ヘッドライトの光の中だけに浮かび上がる、何処までも続く花畑。その幻想的な光景に、レイチェルは思わず声を漏らしていた。
「マゴリアの花です。
 ここで薬を栽培していたようですね」
「え・・・!?」
 その言葉に、レイチェルの気分は一瞬にして暗転する。
 トキは車のトランクから、大きなタンクを引っ張り出した。トキは花畑へ降りると、タンクの蓋を外し、中に入っていた液体を撒きながら花畑を歩く。エアニスは車から降り、呆れた声で言う。
「おいおい、そいつは、予備の燃料・・・」
「その車には魔導機関も付いている筈です。燃料が無くなっても、エアニスの魔力を動力に走り続けられる筈ですよね」
「そうだけどさ・・・魔導機関動かすの、結構魔力喰われるんだぞ・・・」
 そう言って、溜息と一緒に煙草の煙を吐く。こんな様子のトキには、何を言っても無駄と言う事を、エアニスは知っていた。
「借りますよ」
「あ」
 エアニスの咥えていた煙草が、ひょい、と取り上げられた。トキは火の点いた煙草を指で弾き、花畑の中へ落とす。
 煙草の火は一瞬にして花畑へ撒かれた燃料へ引火し、爆発的に燃え広がった。闇夜に慣れていた目には強烈過ぎる閃光に、4人は目を細める。
 みるみるうちに花畑に炎が広がり、白く繊細な花はねじれる様に燃えてゆく。
「これで当分、彼らもこんな馬鹿な真似はできないでしょう」
「・・・ま、こうしておくべきなんだろうけどさ」
 トキの言葉に、エアニスが答えた。
「行こう。追っ手が来ると面倒だ」
 エアニスは燃え上がる花畑に背を向け、運転席に戻った。チャイムとレイチェルも、複雑な表情を浮かべ、車の中から炎を見つめていた。

 エアニス達は、トキの本当の意図に気付いていなかった。
 燃え上がったマゴリアの花畑から立ち上る、白い煙。その煙は風に流され、エアニス達の走ってきた方向へ流れる。そしてその流れは山の断崖に遮られ、行き場を失った煙はそこで溜まり滞留する。
 そこはエアニス達が後にした開拓村のある場所だった。
「これだけの煙に巻かれれば・・・生き残った連中も夜明けには全員狂い死にでしょうかね」
 トキは煙の流れる先を見て、つまらなさそうに呟いた。
「トキ、もういいだろ。早く行くぞ」
 エアニスが新しい煙草に火を点けながら言った。
「えぇ。
 もう、十分です」
 燃え盛る炎に、トキは頭の後ろで手を組みながら背を向けた。
 風向きは暫く変わりそうに無かった。

第51話 仮面の下の笑顔

 ノキアはゆっくりと目を開ける。
 最初に見えたのは随分と低い天井、そしてすぐ隣に居た赤い髪の少女だった。朦朧とした意識のまま自分の周りを見回すと、その少女と目が合った。すると少女の瞳と口はゆっくりと大きく開いてゆき、
「え、エアニース!!
 起きた!!
 この子起きたよーーーーっ!!」
 赤毛の少女の大声に驚き、ノキアの意識はようやく覚醒した。

「どうだ。気分は?」
 ノキアの前に座りそう言ったのは、自分の髪の色と良く似た、長髪の・・・男だった。髪の長さといい顔立ちと言い、一見して女性である。しかし声だけはやや低く、はっきりとした男のものだった。
 ノキアは止まった車の後部座席に座り、開いたドアから長髪の男に話しかけられていた。車は山の中の開けた場所に止められており、芝の上にはビニールシートが敷かれ食事の用意がされていた。まるでハイキングに来ている一団のようだが、男の腰には剣が吊るされ、その周りに居る男女も旅装束を身に纏っている。
 自分の置かれた状況が分からない。
 ノキアは何があったのか思い出そうとする。散らばった記憶の断片は比較的早く形を取り戻し、目の前の4人と出会っていた事を思い出す。
「あななたち、あの村の近くで水浴びしてた・・・
 そうよ、わたし、あの村で眠り薬盛られて、捕まって、見張りの隙を付いて逃げ出した時に・・・!!」
 自分の身に起こった事を思い出し、ノキアの声のトーンが上がってゆく。
「落ち着け。アンタを捕まえてた連中は、もういない」
「ここは、ここは何処ですか!?」
 詰め寄るノキアに、男は親指で自分の後を指す。
 ノキア達の居る広場は山の中腹ほどの高さにあり、そこから眼下に広がる平野部が一望出来た。そして、目の前には彼女の住むエルバークの街並みが広がっていた。
 意図せず自分の街に帰って来れた事で、ようやく安堵の表情を浮かべるノキア。
「丁度良かったです。
 これから僕達、お昼を食べる所なのですが、ご一緒にどうですか?
 お腹空いているでしょう?」
 芝に敷かれたシートに座る、眼鏡をかけた黒髪の男が笑顔で言った。
 とても柔らかい、人を安心させる笑顔だと思った。



 エアニスはカップに口を当ててから話し始めた。
「自己紹介がまだか。
 俺はエアニス。そこのメガネがトキで、そこの赤いのがチャイム、黄色いのがレイチェルだ」
『メガネです。宜しくお願いしますね』
 一体どうやっているのか、トキは手を使わずメガネをピコピコ上下に動かし、唇を一切動かさずにそんな言葉を発した。
「あんた凄いわねそれ・・・
 チャイム=ブラスハートよ。宜しく」
「レイチェル=エルナースです。よろしく」
 トキの謎の一発芸についてもっと言及したい所だったが、いきなり会話の腰を折る事に繋がりかねないので断腸の思いでスルーしたチャイムとレイチェル。
「私は、ノキアと言います。エルバークの街の商人です」
「なんだ、エルバークの人間だったのか。・・・何屋さん?」
「魔法医へ卸す、薬草などを扱っている店です。
 薬草を取りに森に入った所で、あの村に迷い込んでしまって・・・」
「ふぅん。
 歳は? 働いてる割には結構若いみたいだけど」
 ノキアの言葉が重くなってきた途端、エアニスは話題の矛先を変えてしまった。それに気付いたチャイムは、普段は無神経なのにこのような時には気を回す彼を少しだけ見直した。
 しかし、それはエアニスがノキアをナンパしているようにも見えて、チャイムは何故か面白くなかった。



( ん・・・何であたしが腹立ててんのよ・・・ )
 ふと浮んだ疑問について、チャイムは空を見上げて考える。
( ・・・・・・・無い無い無い。それは無い )
 どんな結論に行き着いたのか、誰にともなくぱたぱたと手と首を横に振り、食べかけのパンに勢い良くかじり付いた。
 エアニスは一人でジェスチャーゲームをするチャイムへ心配するような視線を送る。

「あ、えっと、歳でしたね。16・・・歳です」
「あ、私と同い年ですね!」
 レイチェルが嬉しそうに身を乗り出す。彼女の村には自分と同じ年齢の女の子が居なかったため、同年齢と言うだけで何となく嬉しくなってしまうのだった。
「俺達もエルバークへ向う途中だ。このまま山を降りて、川を越えて・・・夕方には街に入れるだろう」
「その・・・皆さんは、あの村で捕まっていた私を助けてくれたのですよね・・・?
 実は記憶が曖昧で、状況が飲み込めなくて・・・。
 できれば食事より先に、何がどうなったのか、聞かせて貰えませんか?」
 ノキアが身を乗り出してエアニスに言った。チャイムとレイチェルは顔をしかめ、エアニスも髪を掻きながら唸る。
「あー・・・そうだよな。どう話しせばいいか・・・」
「あ、あ。お肉焼けましたよ。はい、冷めないうちにどーぞ」
「あ、ありがとうございます・・・」
 言葉を濁している間に、トキが話しの腰を折ってしまった。
 無視する訳にもいかず、ノキアは遠慮がちにトキから渡された皿を受け取ろうとした。

 ノキアの視界が、突然ぐにゃり、と歪んだ。同時に平衡感覚を失い、足を地につけていながらも、まるで空中に放り出されたかのような感覚に襲われる。強烈な寒気にも襲われ、両手が誰かに揺さぶられているかのように震え出す。
 ノキアの手は宙を掴み、トキに手渡された皿を取り落としてしまう。
「・・・あ、あれ・・・?」
 ノキアは震える右手を、慌てて左手で掴んだ。
 手の震えは、すぐに全身に伝わり、ノキアは自分の肩を両手で掴み、うずくまった。
 今まで感じた事の無い体の異常だった。例えるならば、その苦しみは"渇き"に似た感覚。
「ち、ちょっと・・・!!」
 チャイムが腰を浮かすが、どうすれば良いのか分からず、戸惑う事しか出来ない。それはレイチェルも、エアニスも一緒だった。
 唯一、トキだけがそれを予想していたかのように、料理の片隅に用意していた紅茶をノキアに差し出した。
「このお茶を飲んでください。
 これで、震えは収まる筈ですから」
 トキがうずくまるノキアにカップに入った紅茶を差し出した。ノキアは震えの収まらない手をカップに伸ばす。トキに手を添えてもらいながら、彼女は言われるがまま、紅茶を飲み干した。
 紅茶を飲み終えると、体の震えは嘘のように収まった。未だ乱れた呼吸のまま、ノキアは自分の体を見回す。
 朦朧とした眼差しで、ノキアがトキの顔を見上げた。
 場の雰囲気など関係無く、基本は笑顔であるトキが、珍しく表情を曇らせている。
 暫くして、トキが口を開いた。
「ノキアさんが意識を失っている間、奴らに何をされたのか・・・説明しましょう。
 少々・・・重い話になりますが・・・」



エルバークの街に入り、エアニスの運転する車は、街の大通りを荷馬車と並んで走っていた。
「おい。 おーい・・・・ノキア、聞いてるか?」
「・・・・
 え。あ、はい! すみません!!」
 エアニスの3度目の呼びかけで、ノキアは飛び上がりながら返事をした。
「次の角を右でいいんだよな」
「あ・・・はい。
 曲がってすぐに、白い壁と赤い屋根の家があります。そこがわたしの店です」
「おっけー・・・」
 エアニスは馬車と荷台と人間でごった返す大通りを、ゆっくりと走る。
 ゴン、と荷台が車にぶつかった。荷台を引いていた男へ、エアニスが中指を立てながら怒鳴った。が、男はそ知らぬ顔で雑踏の中へ消えてゆく。
「くそったれめ・・・街の外に車を置いて来るべきだったな・・・」
「いいじゃない。どうせキズとヘコミだらけの車じゃん」
「旅路の途中で付いた傷はいいんだよ。飛び石とか、森に分け入った時の傷とか。
 でも、街灯や馬車にぶつかって傷つくのはむかつくだろうが」
 チャイムの視線が、斜め上をゆらゆらと泳いだ。
「・・・ごめん。エアニスの感覚、ちょっと分かんないや」
 二人のそんなやりとりを見て、トキとレイチェルは苦笑いを浮かべている。トキがふとノキアの方へ視線を向けると、彼女は再び表情を無くし、自分の足元を見つめ続けていた。

 ノキアは自分の体が麻薬に犯されている事を知らされた。1日に1度、"マゴリア"の紅茶を飲まなくては禁断症状が発生する事。そして、"マゴリア"の葉は所有する事自体が違法であり、入手も困難な事。そして、この体を放置すれば、次第に禁断症状のサイクルは短くなり、いずれは精神と体を病み、命を失う事。
 トキからその話を聞かされた時は、目の前が真っ暗になり、叫び出したい衝動に駆られた。それでもノキアが正気を保っていられたのは、最後にトキが言った言葉に支えられたからだ。
 大丈夫です、僕がなんとかしてみせますから。
 根拠のある台詞かどうかは分からない。しかし、そんな言葉でも信じていなければ、ノキアの心はバラバラに砕けてしまいそうだった。
「ここだな?」
 白い壁と赤い屋根のこじんまりとした店の前で、エアニスは車を止めた。

「ノキア!!」
 彼女が店の扉を開くと、カウンターに座っていた男が立ち上がり、ノキアに駆け寄った。ノキアと同じ髪の色で、顔立ちがノキアに非常に良く似ていた。エアニス達は、ひと目見ただけで二人は兄妹だと分かった。
「兄さん・・・ただいま」
「ただいま、じゃないよ!! 2日も戻ってこないから、街中を探してたんだぞ!!」
 怒った口調で言われ、ノキアはビクリと肩を震わせる。その肩を、ノキアの兄は両手で抱きしめた。
「でも、無事で本当に良かった・・・・」
 そう言って、安堵の息を吐いた。
「ごめんなさい・・・」
 ノキアは兄に抱きしめられたまま、震える声でそう謝った。
 途端に、今まで押さえ込んでいた感情が、せきを切ったかのように溢れ出す。彼女はぼろぼろと流れ出した涙を隠すように、兄の肩に顔を押し付けた。
「ど・・どうした、ノキア・・・?
 それに、この人たちは?」
 ノキアの兄は戸惑い顔で、店の戸口に立つエアニス達を見た。エアニス達は泣き崩れるノキアを見て、言葉を失っていた。



 日は完全に沈み、賑わっていた大通りも今では人通りがまばらになっている。3階の窓からは、夜遅くまで開いている酒場の灯りが点々と見えていた。夜でも街明かりが多いという事は、魔族やルゴワールの刺客から追われる身のエアニス達にとって安心出来る事だった。
 ノキアの店からさほど離れていない宿にエアニス達はいた。いつも通り2つ続きの部屋を取って、今はチャイムとレイチェルの部屋にエアニスが居た。
 3人は何をするでもなく、本を読んだり、窓から街明かりを眺めたりしている。会話は殆ど無い。
 そこに、外出していたトキが戻ってきた。
「遅くなりました。何か変わった事はありませんでしたか?」
「なにも」
 部屋に置かれていた雑誌を流し読みしながら、エアニスが言う。
「で、そっちはどうだった?」
 トキは肩に掛けた重そうな鞄を下ろす。中から、分厚い本が何冊も出てきた。
「この街で一番大きな病院のトップとお話をしてきました。
 彼らも、僕がミルフィストの大学で研究していた知識に関心を持ってくれたようです。
 ・・・まぁ、若干乱暴なやり方をしましたが、大学病院の協力をとりつける事も出来ましたよ」
 トキの簡単な説明に、エアニスが苦笑する。
「色々とすっ飛ばし過ぎだろう・・・たった数時間の交渉にしては上出来だな。
 ・・・どんな手を使ったのかは聞かないけどよ」
「そうして貰えると助かります」
 そのやり取りに、チャイムとレイチェルは顔を見合わせゲッソリした。
 トキは無茶な要求を通す為、脅迫まがいの交渉でもしてきたのだろう。
 ルゴワールの刺客や魔族に襲われる事よりも、役人や憲兵隊に踏み込まれた時の心配をした方が良さそうだ。チャイムはトキの悪事と自分が無関係だと言う事を、どう説明するべきかを考え始めた。

「5日」
 トキが右手の指を全て立てて、そう言った。
「ノキアさんの事は、5日で僕が何とかします。
 ですから・・・レイチェルさん達は、先にバイアルスへ向って下さい」
 トキの提案にエアニスは、キョトンと目を点にする。
「え、お前を置いて3人で先に行けって言ってるのか?」
「えぇ。これは、僕の個人的な用事です。レイチェルさんの旅の足止めをする訳にはいきません。
 それに前にも言いましたが、雪が降り出す前に到着しないと山越えが困難になります」
「俺、バイアルスまでの道分からないぞ?」
「・・・それくらい自分で地図読んで行ってくださいよ」
「俺の方向オンチは知ってるだろ!!」
 エアニスは開き直るように叫んだ。堂々と、立ち上がって。トキが頭を抱える。
「あぁ・・・そうでしたね・・・」
 そう溜息交じりに呟き、椅子に沈み込んだ。そのやり取りを見てチャイムは、
「エアニス・・・方向オンチなんだ。そんなんでよく旅人やってたわね」
「いや、歩きや屋根の無いジープ、バイクとかだったら大丈夫なんだ。
 でも、外の空気と隔絶される車とかになると、途端に方向感覚がバカになるんだよな。
 分かるだろ?」
 エアニスの持論を聞き、チャイムは暫し考え込んだ後、
「・・・やっぱりアンタの感覚ちっょと分かんない」
 眉間を押さえながら、エアニスの言葉を理解するのを諦めた。

「あー・・じゃあ、こうしましょう。
 車の屋根をぶった斬ってオープンカーにして行ってください」
「バイアルスは雪国だぞ。凍死するだろうが」
「それじゃぁ・・・」
「あ、あの・・・」
 論点がズレ始めたエアニスとトキの相談に、レイチェルが割り込んだ。
「私達だけで先に行くのは、嫌です。
 私も、ノキアさんの事が心配ですから、何か助けになりたいです」
「・・・」
 沈黙するエアニス。
 いつも思うのだが、レイチェルの言葉は何故いつも、こう真っ直ぐなのであろう。エアニスもチャイムもレイチェルと同じ事を思っているのに、二人は彼女と違いひねくれてしまっているので、その言葉がなかなか出てこないのである。
「まぁ、そうだな。乗りかかった船だ。最後まで付き合わせろ」
 それを自覚しながらも、やはり素直に言えないエアニスであった。
「・・・ですが、このような大きな街に5日も滞在するのは危険です。ルゴワールの情報網は、大きな街ほど綿密に張り巡らされています。もし僕達がこの街にいる事が見つかれば、翌日には刺客が大挙して押し寄せてきますよ」
「目立つマネはしないさ。例え襲われる様な事があっても、俺達は負けない。
 俺は言うまでも無いし、レイチェルも強い。コイツの腕も、なかなかのものになってきたしな」
 そう言うと、エアニスは後ろに居るチャイムの頭をむんず、と掴んだ。
 頭を捕まれた事に対する抗議も忘れ、チャイムは言葉を失った。
 エアニスとの剣の稽古は、今でも毎晩続けている。その稽古の中でも、エアニスの口から自分の腕について褒め言葉を聞いた事が無かったのだ。不意にエアニスの口から出た、自分の腕を認めてもらえた言葉。思わず嬉しくなり、チャイムの表情がふにゃりと崩れる。
 頭をぐりぐりと掴んでいるのに、チャイムから抗議の声が上がらない事を不思議に思い後を振り向くと、チャイムがエアニスに頭を捕まれたまま、やたらと嬉しそうな顔でニヨニヨしていた。ビクリと身を引くエアニス。
「どっ・・・どうしたその顔・・・気持ち悪いぞ・・・」
 エアニスに心配そうな声で聞かれ、チャイムはようやく自分の顔がニヤケている事に気付く。
「な、なんでもないっ!」
 ばんっ、と、手近にあったトレイでエアニスの頭を叩いた。

 エアニスとチャイムの漫才を聞き流し、トキは黙って考えていた。
 考えて、非常に自分らしくない回答に行き着いた事を、心の中で自嘲気味に笑った。
「わかりました。
 それでは、皆さんにも協力をお願いする事があるかもしれません。
 その時は、宜しくお願いします」
 諦めの色が混じった笑みを浮かべ、トキがそう言った。
 チャイムとレイチェルが満足そうに笑った。エアニスも微苦笑を浮かべている。

 この判断は、どう考えてもトキにとっては誤りである。
 トキの話したルゴワールの情報網は、嘘偽りも誇張表現も無い。このまま5日も街に滞在していれば、刺客に襲われる可能性の方が高いとトキは考えていた。
 その気になれば、レイチェル達を説得する事も可能であった。
 ただ一言。
 ここにレイチェルさんが居る事で、ノキアさんやこの街を、ルゴワールとの戦いに巻き込む事になります。
 そう言えば、少なくともレイチェルとチャイムは引き下がり、先行して旅を続けてくれただろう。
 それを言わなかった、いや、言えなかったのは、そう言われた時の時のレイチェルの顔を見たくなかったからか。あるいは、本心では一人で残るのが嫌だったのか。考えてみたが、面倒だったのですぐに止めた。自己分析を放棄するという事もまた、トキにとっては自分らしく無い事であった。
 本当に、彼女達と出会ってからは調子が狂いっ放しですね。
 トキは心の中でぼやいた。

「それでは、早速お手伝いをお願いしましょうか」
「え?」
「こ、これから?」
 時刻は深夜に近い。
「これから僕は大学病院へ戻り、実験の準備をしなければなりません。
 できれば明日の朝から作業を始められるようにしたいと思っています。
 機材の運び込みをお願いしたいのですが」
 自分達の言い出した事とは言え、急な展開でチャイムは少し戸惑う。エアニスが椅子から重そうに腰を上げた。
「さて、と・・・じゃあ、やるか」
「はい!」
 レイチェルも元気良く立ち上がる。
「お、おーっ!」
 やや遅れて、チャイムが腕を振り上げながら言った。
 そんな3人を見たトキは、片手で顔を隠しながら、笑った。

 おや? と、エアニスが首を傾げる。
 トキの笑顔はうんざりする程に見慣れているが、彼が自分の顔を隠すようにして笑う所を見た記憶が無かった。
 ひょっとしたら、これはいつもの作り笑いではなく、本当のトキの笑顔なのかもしれないな。
 エアニスはそんな事を考えていた。


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