閉じる


我、如何にしてヤリマンとなりしか

ワタシがはじめ、MONALISAに足を運んだのはどうしようもない磁力のためで、明確に「カノジョが欲しい」とか「セックスしたい」とか思っていたわけではない。それでも、クラブやバーでいちゃつくカップルを見ると「いいなぁ」と思うわけだし、いいなぁ、と思う女性にも出会うわけだし、しかも相手はノンケじゃない!のだが、デビュー数年にわたってワタシはまったくモテなかった。

モテない、といっても喪女を気取って何もしなかったわけでない。何回も告白しては「ごめんなさい」された。あのころの空回りしている自分を思い出すと「うぎゃー」って気分になる。約20年タイムスリップして教えてやりたい。「要はこなれてないんだよ!」 ワタシは生真面目すぎた。一方的な情熱に燃える鬼レズ(しかも童貞)なんて恐いの一言でしかない。

そんなワタシにも転機が訪れる。バーの帰りにゴハンを食べた人の家に一緒に朝帰りして、出会いがしらの事故のように付き合うことになった。ただ、相手が恐ろしくいそがしく、ワタシはまだ実家住まいだった。今と違って連絡手段は有線電話しかなかった。夜遅くにテレホンカード握って家を抜け出して公衆電話へ走った。そんなわけで、この付き合いは長続きしなかった。ただ、これを機に肩から力が抜けたのは確かだった。

このあと、あまり間をおかずに告白されることになる。異様に慎重になっていたワタシは3ヶ月のお試し期間(ひどい)を置いてから付き合いを始めた。この人とが今でも最長記録のお付き合いであった。仕事をやめて一緒に住んだ。旅行にも行った。リブにも理解があって、原稿の最初のチェックをいつもしてもらった。どころか、「LABRYS DASH」の印刷、製本にまでかりだしても文句も言わずに無職のどうしようもないワタシを支えてくれた。……のに、ワタシは浮気した。マジ死ねばいいのに。

修復のために努力してくれた。でもダメだった。いつも責められているような気がして。(当然だ)

別れて練馬の湿っぽい風呂なし四畳半に引っ越すことになる。貧乏なのにバーに行くお金はなぜか捻出して通い続け、なぜだかキレーなお姉さんと付き合うことになる。その頃は理解できなかったのだが、相手はライトなセフレ感覚で付き合いたかったのに、ワタシは相変わらず湿っぽく重たく怖かった。

「ワタシ、バイだしいつか結婚するから別れて」

別れ話にがこじれにこじれて、たたきつけられた言葉でワタシの中のネジが何本か飛んだ。たがが外れた。

いったんネジが飛ぶと、同じようにネジの飛んだ人が寄ってくるようになる。めまぐるしい3ヶ月周期の刹那的な付き合い、その間を縫うように転がり込むとワンナイト、その一部はセックスフレンドになる。

20代の終わり、ワタシはすっかりヤリマンになっていた。


エロとリブのはざまで~「美粋」という試み

「LABRYS DASH」という表現の場所を失って、ワタシは割合どんよりしていた。職はか細い契約社員、住んでいるのは練馬の日当たり最悪の風呂なし四畳半。それまで、案外と中上流のお嬢様育ちだったワタシには相当こたえた。テレビも炊飯器も洗たく機もなかった。ただ、以前のカノジョと住んでいた時に買ったPCばかりが立派だった。銭湯通い、コインランドリー利用は初めてだった。銭湯は自分の文化にないことだったので最初はいわれない怖さを感じた。

ただ、時給払いの契約社員であれ、大学で学んだ専門に沿う仕事であり、自己裁量が大きかったのもあって、ワタシの事務能力はメキメキと上がっていった。同時並行でのタスク進行やブレーンストーミング、発想の具体論などはこの会社で学んだと思う。

そして、拘束時間の長い社会人なのに、また(笑)、性懲りなくライター業であちこちを飛び、レポートをすることになった。やっと、この頃になって自分「だけ」が楽しい文章でなくて、読み手を意識した情報量のバランスの良い文章が書けるようになってきたと思う。「やんちゃでGO!」という情報ページのキャラクターの「中の人」になって語るというのも初めてで面白かった。

「美粋」は当時流行っていたレディコミの中でも「レズ物」だけに特化した世にも珍しい雑誌だった。また、配本にやや癖があり一般書店よりもセブンイレブンで手に入りやすかったりする不思議な雑誌だった。

自分では気にいっている数店のお店紹介記事と「ダイクマーチ」の2つを再録します。

この頃には「性同一性障害」という概念がなかったので、おなべバーは今よりもレズバーに近しい存在だったように個人的には思います。

特にダイクマーチは銀塩写真使用の最後だったのもあって、手元に数十枚のプリント写真が残っています。みんな、若く、美しく、凛々しいです。(例外アリ・笑)

 

あ、ちなみにこのお仕事も嫌な人間関係のドロドロあって、3号で干されました。(大爆笑)


やんちゃでGO! 夜の遊び場 編

KINS WOMYN(キンズ ウィメン)

 

階段をのぼると、いつでも

女のコのドラマが待っている

東京在住、新宿が第2の故郷、ってさるじだからトーゼン“行きつけ”の店がある。

それがココ、KINS(キンズ)なんだ。

KINSがあるのは狭くてボロっちい雑居ビルの中だけど、階段を上るときは、初めて行ったときと同じくらい、ドキドキワクワクする。

それはステキな出会いを期待しているから、って理由だけじゃないんだよ(まっ、そーいうキモチがないとは言わないけどさっ)。

大きな音でかかるダンスミュージック、気のおけない友だちとの楽しいムダ話、それに、お酒とタバコ。どれもこれも、さるじの好きなものばかりなんだもん。何よりも、「女の子の好きな女の子が集まる」場所なんだから、キモチがよくってトーゼンだよね。

当然、通いつめれば恋もする、失恋もする、友人になぐさめられたり。そういうドラマがいつもここにはあるんだよ。

 

リーズナブル&フレンドリー

女の子にヤサシイお店だよ

ところでKINSは新宿のビアン・バーのムードをまったく変えてしまったお店なんだ。

だって、KINSができるまでは、若い女の子はみんな

「レズビアン・バーなんて、行きたくても、高価で行けないよーっ」

っていうのがあたりまえだったんだもん。そんな常識を、4年前に打ち破ったのがKINS。

なにしろノーチャージで、ドリンクは1杯700円からだから、ビンボー大王のさるじだって、いっぱい通って遊べるというわけなんだ。

 だから、週末のKINSはいつも満員電車みたいな混雑状態。座ってる人はほとんどいなくて、だいたいが立ち飲みになる。20代の若い子たち中心だから、ドアを開ける前から、音楽とおしゃべりが聞こえてくるよ。

 そういうニギヤカな雰囲気が好きな人は週末に足を運んでみてね。何時間も立ち飲みするほど体力はないし、あんまりウルサイのはちょっと……というアナタには、平日がおすすめ「これが同じお店?」と思ってしまうくらい、くつろげて、話もゆっくりできるんだよ。

 店長のタラさんは、女の子のためのショットバーをやるのが、ずっと夢だったんだって。KINSができたおかげで、新宿にたくさん若い女のコが増えた……ってコトは、さるじの恩人と言ってもいいかもっ(笑)。これからも、女の子にヤサシイお店でいてね!

 

「美粋」97年10月号 再録


やんちゃでGO! SPECIAL編

ダイクマーチって聞いても、「そもそも“ダイク”って、いったいナニ?」……って思う人がほとんどかもね。

ダイクっていうのはDYKEって書いて、女を愛する女を人をさすスラングなんだ。

 この間の10月10日の体育の日(そう、タイイク→タイク→ダイクってシャレから決めた日時だよ!)、かっこいいダイクたちが中心になって、東京の街をパレードしたんだ!新聞や雑誌なんかでもとりあげられたから、気づいた人もいるかな?

 さるいち&さるじがバッチリ参加してきたよ! 行ったヒトも行けなかったヒトも、さ、読んで読んで!

 

こんなにたくさんの人が女の子を好きなの?

 うわー、すごい、すごい。10月10日、朝の10時に集合場所の渋谷、宮下公園に行ってみれば、ギャル、女の子、オバサン、いっろんな女の人でいっぱいだった!!

「この人たち、みんなダイクマーチに参加するんだよなぁ」

って思うと、その多さに感動しちゃうほど。みんなプラカードの仕上げやパフォーマンスの準備に大忙し。かと思えば、「いやーん、ひさしぶり」なんて、友だちと再会して手を取り合って喜んでいるコがいたり。

 ダイクマーチ公式グッズ、カッコイイTシャツとタオルも販売してたよ。そして、それを撮影しようと集まってくる報道陣。オドロキなんだけど、さるいち&さるじのほかにも、10社以上の報道関係者が来てたんだ!

 女の子の好きな女の子が中心になって、パレードしようよって、今年初めて開催されたのが、このダイクマーチ。男の子といっしょのパレードは3年前の夏から、毎年やってるけれど、こういうのは日本どころか、アジアでも初めてなんだって。

 だから、もううれしくって、出発前から、さるいち&さるじのボルテージは上がりっぱなしだったんだ!

ビアンとして、太陽の下を歩く!

 11時過ぎ。さあ、ダイクマーチの始まりだ! 宮下公園の階段を降りて、明治通りに入っていく。渋谷のスクランブル交差点を通って、新宿へ。途中、原宿ラフォーレ前も通るし、まさに東京のおしゃれストリートを大横断! 実行委員の「日本ダイク協会」をほめてあげたいくらいのルート。

 天気も最高で、みんな自然に笑顔になってたよ。同性愛者のシンボルのレインボーフラッグや、いろんなプラカードを持って、ゆっくり歩く(写真、見て!)。ひとりの人も幸せそーなカップルさんもいる。そんなカップルさんを見たら、「レズビアンは暗い」なんてヘンケンはふっ飛んじゃうはずだよね。

 首都圏、地方からの参加者もいっぱいいたよ。遠くは北海道や四国、九州からの参加者もいたし、グループでは、今まで「ボンバーズ」で紹介したサークルや、変わり種はお医者さんなどの医療グループまで。もっちろん、カワイイ子もたくさん……❤ ああ取材がなければ、ナンパするのにって、悔しかったくらいさっ。

 参加者に、「今の気分は?」って聞けば、口々に「楽しーい!」「最高!」って返ってきた。

 前日に掲載された朝日新聞の記事を見て来たっていうカップルさんは、「こういうパレードは、初参加。こんなにたくさんの人と歩けるなんてスゴイ!」

って大興奮。

 サポーターとして参加の、ゲイの男の子も、

「女の子だけで、こんな立派なパレードができるなんてスゴイね。ボクらも負けてられないなって思うよ」なんて言ってくれちゃって。くぅ~、みんな、そんなに感動させるなよぅ。

 たまたま、渋谷や原宿を歩いていたら、ダイクマーチに遭遇してしまった、幸福な(不幸とはいわせないわよーっ!)沿道の人たちにも話を聞いてみた。

「楽しそうでイイなぁ!」っていう、原宿のカワイコちゃん。そうか、それならさるじと歩かない? (なんて言って、さるいちになぐられました。冗談だって!)

「いやー、こんなにいるんですねぇ」なんて変な感心のしかたをするオジサン。ゴキブリじゃないけど、「ひとり同性愛者を見たら、100人はいる」のよ! ベンキョーになったわね!

「若くてカワイイ子もいて、ビックリした」っていう、ノンケの兄ちゃん。ブスでオトコにモテないから、ビアンになるわけじゃないって、分かったかなっ!?

 カラテパフォーマンスしたり、ドラムをたたいたり、楽しくアピールしながら歩いた約2時間。祝日で人通りも多かったし、にぎやかなトコロもたっぷり歩いたしで、大成功だったよ。

 昼間に、「私ってビアンなのよ!!」って道を歩くだけなのに、それがもうスゴイ解放感。

「ハッピー・ダイクデー!」

なんて叫びながら終点の新宿2丁目、新宿公園になだれこんだ時には、取材で参加したはずのさるいちたちも、すっかりいっしょに盛り上がっちゃった。

 

-終わってからも楽しみいっぱい

 じつはマーチのあと、「みんなで銭湯に行こう」って企画があったんだ❤ (いくら、さるじでもココの写真は撮れませんでした)あ、もちろんヤラしい集まりじゃなくて、女の子だけで汗流そーって企画。

 ぼふぇ~、イイ気分。銭湯はタイムリーにもラベンダー湯の日で、(ちなみにラベンダー色も同性愛者のシンボルカラーなんだよ)、おおはしゃぎしちゃったよ!

 そのあとは、新宿公園の近くのカフェを借り切って、夜中までアフターパーティーが。ドリンク500円のリーズナブルなお値段で、お酒とメキシコ料理がたっぷり。さるじはすっかりヘベレケになっちゃった。(まったくいつも、こんな取材だね)

 途中で流し(?)のレズビアンシンガーが乱入してきて、ギターとともに1曲……のひと幕もあったよ。

 そのほ、かにも新宿2丁目のバー「マダム・マー」(ボンバーズで以前に紹介したよね!)では、マーチ参加者にかぎって、割引をしてくれたり。夜遅くまで(人によっては朝まで!)お祭りが続いたよ!

 新宿2丁目は、いつも男の子たちのほうがハデだけど、あの夜は、ビアンパワーがあふれてたってかんじ!

 

-この次はきっと、これを読んでいるアナタとも会いたいな

実行委員会の連絡先として、電話番号を公開していたCHU~さんは「いろんな電話がかかってきたよー。一番ヘンだったのは、宗教カンケイのヒト。『あなたたちには悪霊がとりついている。おはらいすればなおります』だって」

 うーん、それは笑えるような、怒りたいような……。

「でも、『ガンバレ、応援してる!』って電話もいっぱいあったから、元気出たよ」

だって!それはよかった!

 結局、第1回ダイクマーチの参加者は213人。来年もやるよね、実行委員の小山さん!終わった後の集会で、「来年、また会いましょう!」って言ってたもん。

「うーん、今年は人手が少なくて大変だったし、無理して、毎年やらないでも、2年に1度とかで長く続けるのもイイかなって、今は思ってるよ」とのこと。

うーん、たしかに委員の人はタイヘンそうだった。本当にゴクロウさま!でも、できれば来年もよろしくね(笑)。

今年は知らなかったり、勇気が出なくて参加できなかった読者のみんな、この次は絶対会おうね!きっと、さるいち&さるじも行くよ!!

(「美粋」97年12月号より再録)

 


届かない回答、1度きりのダイクマーチ

どんな様子だったか、「美粋」に掲載した記事を読んでもらえばどんな様子だったか、どのような規模であったか、概要は分かると思う。実はこのダイクマーチが終わった後のパーティーで事前依頼も何もないのに、責任者が行方不明でいきなり店のカギを渡されたワタシが仕方なしに店のシャッターを開け、カウンターに入っていたりした。なんつー、ゆるい運営。(笑)それでも何とかなるというのがこの種の小型でタイトな運動体の強みであり、ワタシ自身、この頃は実に使いでのある業界下女であったと思う。

閑話休題。このダイクマーチは人の構成やノリなどからいっても、94、95年時の女性のパレード参加者の流れをほぼ汲んでいると思う。現在よりもはるかにリブっぽく、尖鋭的だった。クラブイベントなどの商業団体がパレードに大規模に参入してくるのは2000年以降のことである。

さて、ほぼ女性だけで企画、運営したパレードであったが、パレードの歴史からは見えなくなってきている。96年に起こった大紛糾のパレードへの一つの回答であったにも拘らず。

これは継続しなかったこともあるにはあるが、たぶん回答を受け取けとろうとしなかったためだろう。

今となっては「パレードの目的の明確さ」「金銭的に無理の無いパレード運営」など、学ぶ点は非常に多いと思う。歴史の波に洗われて忘れられるには惜しいムーブメントであると確信する。

 

この後のパレードについての流れは2巻に稿をゆずるとする。



読者登録

onilezさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について