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30-1


聖との店の存続をかけた勝負を宣言してからの翌日、翼が完全復帰を果たした【Club Pegasus】は、にわかながら雰囲気を盛り返し始めていた。
しかし、以前のように満卓の様子は見られず、ちらほらと空席が目立つことも事実だった。

翼をはじめ、【Pegasus】の一同はこの状態を何とか回復しようと努めてはいたが、『謎の薬物』と『殺人』のキーワードが絡んでか、店への客足は芳しいものではなかった。


「くそっ、こっちもダメか」
ケータイを睨みながら翔悟がつぶやく。

「翔悟さん、どう?」
「難しいな、こりゃ」
翔悟と由宇は深くため息をつく。


「何とか翼くんが復帰してくれたから入ってるけど、彼のお客さんだって躊躇してる人もいるはずだしね……」
「あぁ。だが由宇よ」
「えっ?」
「何であんなことしちまったんだろうな……あいつ」
「翔悟さん」
「俺、許せねぇよ。あいつをあんな風にしちまった"Alice"ってもんがよ」
「……」


由宇の目に映る悩ましげな翔悟が思うのは、先日事件の当事者となった光星のことだった。
翔悟と光星は、【Unicornis】時代から共に切磋琢磨してきた間柄だけに、その間柄を知る由宇は何も言うことはなかった。

「翔悟さん、光星さんのことは僕も悔しいよ。でも、今はお店のことを考えようよ。一番つらいのは社長なんだし」
「あぁ、そうだな」
「それに、今日からでしょ?聖さんが出勤してくるのって」
「あぁ」

時間は午後7時を過ぎていたが、あれだけ大口を叩いていた聖が出勤してくる様子は未だなかった。
翔悟と由宇は、それにも目をやっていた。


『このまま来なければいい』

翔悟たちの頭の中では、そんな言葉すら浮かんでいた。



一方、フロアで接客している翼はというと-


「もう、心配したよ~。翼が怪我したとか聞いたからさぁ、あたしてっきり光星と同じ事件に巻き込まれたのかって……」
「あぁ、心配かけてゴメン。事件があったときにタイミング悪くなった感じで、俺は自分のドジで転んだだけだからさ!」
「それならいいけどさ……ってよくもないか。でも、ホント翼が何事もなくてよかった」
「ありがとう、千春ちゃん」
「でもさこの店、やっぱりお客さん減っちゃったんだね」
「うん……まぁ、あんだけマスコミとかもたきつけてきたしね。でも大丈夫、【Pegasus】はこれからもいつも通~り楽しいトコだから!」
「だよね!てか、あたしは【Pegasus】ってよりも、翼に会えればいいんだよね☆」


翼はとにかく女性客の不安を取り除きつつ普段通り楽しんでもらうことに……
そして自分がNo.1なんだという責任感が、他のホスト達への見本ともなるように必死で接客に努めていた。

とにかく、やるしかない-
そんな姿勢が、窮地に陥っていた【Club Pegasus】全体の調子を、少しずつではあるが元に戻そうとしていた。

しかし、そんな中一組の新規の女性客が来店することとなる。



「いらっしゃいませぇ!!」

ホストたちが元気よく迎える中、エントランスから入ってきたのは、自信満々な聖に連れられた一人の白いドレスを身に包んだ美しいホステス風の女性だった。
そこへ、佐伯が早速駆け付ける。


「いらっしゃいませお客様。当店は初めてでございますか?」

佐伯がそう言うと、その女性客はニコリとしながら答える。

「えぇ。私、彼に連れられてここに来ました」
彼女は、聖に腕を組みながらにこやかに店内を見渡す。

「へぇ~。いいお店ね。【Unicornis】より綺麗なんじゃない?」
「かな?まぁ、近々俺のものになるからな…。あ、佐伯さん……電話で話しといた席にご案内しますね」

そう言うと、聖と女性客はフロアの方へと優雅に歩いていった。



「聖の奴め、いきなり彼女を連れてきたか」
佐伯一人となったエントランスに、天馬が現れる。

「彼女?社長、聖さんがお連れになったあの人は?」
「歌舞伎町の人間でも、お水の世界じゃ知ってる人間は知ってる、六本木の大物だ」
「六本木??では彼女は」
「あぁ」

天馬は、ひと呼吸置きながら答えた。
「彼女の名前は【華月 結奈<カツキ ユウナ>】。六本木のある店で最高のカリスマホステスと呼ばれる人物だ」


天馬がそう言う中、聖は結奈とともにソファへと腰をおろす。

「おーい、そこの」
聖はおもむろに、フロアに立っている一人のホストをヘルプとして呼んだ。

「は、はい」
ホストが聖と結奈の座る前に駆け付けると、聖はパチンと指を鳴らしながら彼に言った。


「とりあえず、ゴールドな」
「えっ?」
「ゴールドだよゴールド、ドンペリの。在庫がないわけじゃないよな?それともお前、天馬からそんなことも教えてもらってないのか?」
「あ、わかりました。すぐに-」
「コールもすぐによこせ。他の指名がないホスト全部よこしてな」

聖の見下すような言葉が、少しずつ店内をどよめきに導いていった。


「い、いきなり最初からゴールドかよ……。相変わらず派手にやらかしてくれるぜ」
翔悟がその光景を見つめながらつぶやいた。
そして、聖の隣で優雅な笑みを浮かべる結奈の方に目を向ける。


『結奈……』

彼女を見つめながら心の中でつぶやく翔悟の表情は、次第に切なさを帯び始めていた。


「翔悟」
「しゃ、社長」
「見ると辛いか、彼女を」
「いえ、もう昔のことですから」

翔悟は小さい声でそう言いながら、天馬のもとから離れていった。


「翔悟……」
天馬は、いつになく小さい翔悟の背中を、ただ見守るように見つめていた。



一方-

翼は、何組も訪れた指名客のいるテーブルを回りに回っていた。


「翼よかったよぉ。何もなくて……」
梨麻は、泣きながら翼の肩へと抱き着いた。

「梨麻」
「ホントにね、心配したんだよ……。翼あの時光星さん追ってったのわかるし、あのニュース見てからもう二度と戻らないんじゃないかって思ったの」
「心配かけてゴメン。でも、俺は転んで肩を打っただけだから」
「ホントに?刺されたりしてない??」
「あぁ、転んだ"打撲"はまだ痛むけど、もうお店では支障はない程度だし、俺は全っ然大丈夫だよ!」
「よかった……ホントによかった……」

梨麻が泣きじゃくる中でも、店の中では連続したシャンパンコールが次々ととどまることなく巻き起こっていた。


「あの人、今までお店では見たことないけど、だれ?」
今の今まで泣いていた梨麻も、連続するシャンパンコールにはさすがに気にせざるを得なかった。

「あぁ、今日からこの店に入った聖って人だよ。【Unicornis】から移籍になった人でね」
「【Unicornis】って、前に一斉摘発になった、あの!?」
「あぁ、実は俺が休んでていない間にも警察がここに来たらしいんだけどね。事情聴取だけで何とか大丈夫だったらしいけど」



『ん-?』



翼はここで、一つの疑問を抱いた。



『まてよ……【Unicornis】をあんな簡単に摘発に追いやった"St.Alice"の騒動に絡んでるのに、そもそも何で今普通に営業ができて-』

その時、翼はあるコトを思い出した。



『まだ噂の段階にしろ、"St.Alice"を仕込んだアリスの使徒は、この店の中にいる……。ちょっと待て』

翼は店の中をこっそり見回した。

一見日常のように落ち着いているこの中に、『アリスの使徒』と名乗る凶悪な人物がいる……

翼は不本意ながらも、ある人物へ徐々に疑惑の目を向け始めていた。



『いや、そんなはずない……あの人が-』



「どうしたの翼?ぼーっとしちゃって」
梨麻の言葉で、翼はハッと我に返る。

「あっ、ゴメンゴメン。ちょっと頭も打っちゃったかな~なんて」
「もーう」
翼と梨麻は、クスクスと笑い合った。

「さぁ、今日は翼の復帰祝いであたしもシャンパン開けるよぉ~!」
梨麻は、それまでの悲しい表情を無理矢理ふっ切るかのように、声を上げた。

他愛のない話もあり、光星の事件で果穂が悲しみ落ち込んでいることまで、翼はいつものように親身になり接客していった。


しかし、彼の頭の片すみには、先程の一つの疑問が常にこびりつくように残っていた。










アリスの子の正体-



謎に包まれたこの存在を、翼は気にせずにはいられなかった。





そんな中、【Club Pegasus】は何とか盛り上げをキープしつつ、この日の営業を終えていった。



「お疲れっす!!」
「お疲れ様っす!!」

【Pegasus】の一同は営業終了後の最後のミーティングを終え、各々に解散していった。


「よぉ翼クン、お疲れぃ」
聖が翼へと話し掛ける。

「お疲れ様です、聖さん」
翼も冷静な口調で、それに返す。


「しかしさすがたな、翼クンは」
「えっ?」
「今日一日見てたけど、わずか半年でここまで来ただけのことはあるよ。天馬のやつが認めるだけはあるなーと」
「どうも」
「まっ、7月いっぱいの締めまで、お互いにがんばろうや」

聖は翼の左肩を軽くポンと叩くと、すでに営業終了後の店から出るためにエントランスの方へと歩いていった。



『天城……聖』

翼の視線は、その視界からいなくなるまで、聖の堂々とした後ろ姿を捉えていた。



「翼、ちょっといいか」
天馬が翼へと声をかける。

「社長?」
「どうだ、今日の聖を見て?」
天馬と翼は、同時に軽く息を呑んだ。

「まだ初日なのでまだ詳しくは何を言っていいのかですが、実力はとてもある人ですね」
「そうか。実際に、お前には自信はあるか?」
「それは何とも言えませんが……ただ-」
「ただ?」
「絶対に、負けられません」
「そうか、それを聞いて俺も心強いぞ。それに……」

天馬は、一本のくわえた煙草に火をつけた。

「今月は荒れるぞ、うちは」
「えっ?どういうことですか?」
翼は慌てて聞き返した。

「今月、翼は誕生日だよな」
「え、えぇ。28日ですが?」
「だったら勝機はそこだ。バースデーイベントだ」
「バースデーイベント……!」
「お前はうちのNo.1だ。もちろんバースデーは開催するし、そうすればお前の売上もさらに跳ね上がるだろう」
「そ、そうか!それなら!」
翼が意気揚々とそう言ったが、天馬は冷静な表情を保ったままだった。

「社長?」
「だがな翼……幸か不幸か、偶然にもその日の三日前……25日は聖の誕生日だ」
「なっ…!?てことは」
「あぁ。荒れるってのはそうゆうことだ。光星の件が重なって弱ってる現在のうちの店を、自分のバースデーを利用して乗っとる気だ。今日いきなり、六本木から太客の一人を連れてきたのも、あいつなりの宣戦布告だろう」
眉間に皺を寄せた天馬は、煙をふきながらつぶやいた。


「翼……現役のときの俺は、愛菜や他のお客の力があったのもあり、何とか聖には勝てたが……今のあいつはあの時以上の売上を出すホストに成長しているかもしれん。それでも-」
「それでも俺はあの人に勝って、この店を守ってみせます」

翼は、鋭い眼差しを向けながら天馬に言い放った。



『やっぱりだ。やっぱり今までの翼と何かが違う』



翼に対する違和感にどこか気付いていたものの、天馬はそれ以上は何も言わなかった。
何より、今の【Pegasus】を救う唯一の勝機は、翼のバースデーイベントだということを天馬自身も理解していたからだった。


「とにかく……俺は今月のあの人との勝負、全力で挑んで勝ってみせます」

翼はそう宣言し、納得した天馬に見送られるように【Pegasus】を出た。

30-2

 
店からの帰り道、翼は歩きながら考え込んでいた。


『突き止めた方がいいだろうな』

何かを思い立つと、翼はそのまま美空のもとへと向かっていった。





『オカエリナサイ☆』

"楓"に戻ると、美空が明るい笑顔で翼を迎えた。


「……」
『ドウシタノ?』
「あ……いや」

翼は、考え込んだ末に美空に問い掛けた。


「なぁ、あの時ここで無銭飲食しようとした酔っ払いいたよな。あいつの社員証、あるかな?」
『ウン。取リニ来ルンジャナイカト思ッテ、トッテオイタケド……ドウシタノ?』
「明日、昼間にそいつの会社に行ってくる」
『ソノ人ノ会社ヘ?ドウシテ?』
「ちょっとね、確かめたいことがあるんだ。そこの社長さんとは、顔見知りなもんでね」

翼は、『株式会社アサカワカンパニー』と表記された社員証を鋭い目付きで凝視していた。



翌日-

午前10時差し掛かろうとしていた晴れた日の朝、翼は『アサカワカンパニー』の壮観なる本社ビルの前へと来ていた。


「……久しぶりだな、ここに来るのも」

スーツをビシッと纏った翼は、大きいエントランスをくぐり抜け、受付のところまでゆっくりと何かを噛み締めるように歩いていった。
カツン……カツンと鳴る自らの足音がいつも以上に耳に響くのは、久しぶりに対面する社長である父親への緊張感だけではなかった。


「あの」
インフォメーションに座る受付嬢二人に話し掛けると、彼女達は数秒翼のことを見つめた。

明らかに営業にも来たわけではないその風貌に、彼女達はただただ戸惑うばかりだった。

「あの……恐れ入りますが、アポイントか何かは?どういった御用件でしょうか?」
一人の受付嬢がそう言うと、翼は再び口を開く。

「社長に一言お伝えください。"一也"が来た……と」
「そ、そう申されましても、ただそれだけでは社長のところにお通しするわけには-」
受付嬢がそう答えると、隣にいる翼から見て右側のもう一人が何かに気付いたようにそこへ割って入る。

「あの……もしかして、一也様ですか?社長の息子様の」
彼女の言葉に、翼はゆっくりと首を縦に振った。

「えぇ、そうです。以前と雰囲気は変わっているかもしれませんが、僕は"浅川一也"です。社長につないでいただけますか?ちょっと急な用事なんです」
「は、はい。すぐにおつなぎします」

受付嬢たちは、翼の正体に気がついた途端に態度を変え、社長室へのコールを開始した。

すると、すぐに通話は終わり、彼女たちは「どうぞ」と言いながら翼をエレベーターの方へと導いていった。


「ありがとうございます。突然のことで驚かせてしまってすみません」
翼は、受付嬢二人にそう言って頭を下げると、一人社長室へと向かっていった。


「一也さん、あんなにホストっぽくなって……。今までどこで何をしていたのかしら」
受付嬢たちは、そうつぶやきながら、翼の後ろ姿を見つめていた。

翼は上昇していくエレベーターの中で、不思議なほどの懐かしさと緊張を同時に感じていた。

あの時以来、亀裂の未だ入ったままの状態の父親と対面することは、彼の心拍を著しくしていた。



エレベーターをおり、翼は【社長室】と表示されているドアの前へと立った。
胸の鼓動がさらに激しさを増していく中、彼は優雅な雰囲気さえ漂うドアに二回ほど握りこぶしを「コンコン」と当てる。

「どうぞ」
閉ざされたドアの奥から、過去の悔やみと懐かしさを同時に彷彿させる声が翼の耳へと届いた。

「失礼します」
翼は、【一也】とは名乗らず、そのままドアをゆっくり開け、社長室の中へと足を踏み入れていった。


「……」

中には、窓から外を眺めているのか、ドアにいる翼に背を向けている背広姿の男性が立っていた。

翼は、ドアをガチャリと閉めると、その彼の方へとゆっくりと足を進めていった。
十歩ほど歩いてソファへと差し掛かったところで、翼はその足を止める。

その後、二人の間には重い沈黙が数分ほど流れた。

お互いどう切り出すかを探り合うかのように、翼はめの前に立つ父の背中を見つめ、父はわずかに肩ごしに翼を見る。

しかし、そんな重苦しく…長く感じられた沈黙は、父の言葉によって破られた。


「久しぶりだな、一也……」
「えぇ」
翼も一言のみで反応する。

「元気だったか」
「えぇ…」
「ちゃんと、飯は食ってるのか」
「じゃなきゃ死んでます」

二人の背を向けたままの会話は、再びそこで一旦途切れる。
しかし、沈黙はそう長くは続かなかった。


「一也、こんな会話をするためにわざわざお前が来たわけじゃないんだろう?」
何かを読み取ったように、父は翼へ問い掛ける。

「えぇ。ホントは顔も見たくもないし、話したくもない」
翼も冷静な口調で返す。

「なら単刀直入に話の要件を切り出せ。私もそんなにヒマではないんだ」
「なら話が早い。じゃあお聞きします」

翼は緊張を抑えるようにひと呼吸おくと、改まったように再び口を開いた。


「単刀直入に聞かせていただきます。この会社、【アサカワカンパニー】と星羽会のことについてです」

翼がそう言い切った瞬間、父は何かにとても驚いたのか、翼の方を振り向いては、まるで心臓が止まったかのように固まった。


「?どうしたんです?」
「一也お前、どうしてそんなことを!?」
「??」
「どうしてお前が星羽会のことを!?」

意味もわからず声を荒げる父に、翼はキッと鋭い視線を送った。


「関係あったんだ、ホントに?」
「一也……お前何を」
「俺は今、歌舞伎町の一部で騒動の発端になってる"星羽会"と"St.Alice"のことを探ってるんだ。調べてたら、この【アサカワカンパニー】の名前にたどりついたんだ」
「!」
「どういうことなんです?この会社を含め数社が、"St.Alice"に関与していた事実って?」
「……」
「この薬物の件には、俺の友人も絡んで酷いめにあわされたんだ。黙らずに教えてくれますよね?」
「……」

父は、息子である翼の前で、しばらくの間黙秘を続けたが、もはや言い逃れすらできない状態であることは、自らが一番よくわかっていた。

そして、父は翼の方へと身体の正面を向けた。


「私も噂で都内の一部にアリスの子が出没し『アレ』を再び流出させているなどと耳にしたが……まさかそれが事実で、しかもお前が絡んでいるとはな。皮肉なものだ」
「教えて下さい。"St.Alice"と……星羽会とこの会社に、昔一体何があったんですか?星羽会とは、そしてアリスの子とは一体何なんですか!?」

翼が問いただすと、父は何かを覚悟したかのように、ゆっくりと語りだした。


「星羽会のことだが……そのことに触れるには、我々がしてきたことを先に話さなければならないだろうな」
「してきたこと?」
「そうだ。一也、お前も知っているだろう。我が社の製造・流通における部門では、薬物を取り扱っていることを」
「あぁ」
「そこに、薬物開発に携わっていたある一人の人物がいたのだ。彼は、天才的なその技術と海外の知識を融合させ、ひそかに我が社の中である実験を進めていた」
「実験……?まさか-」
「そうだ。"St.Alice"の前身ともなる、薬物兵器の実験だ。そして-」

父はひと呼吸おいた。

「彼の名前はルペス・クレイアード。星羽会のマザーと呼ばれたアリス・クレイアードの実弟だ」

翼は目を疑った。


「ルペス・クレイアード……!あの"手紙"に載っていたルペスがアサカワカンパニーにいただって!?じゃあ、"St.Alice"を造って流通させたのは……!」
翼の言葉に父は目を背けながら答えた。


「そうだ。あの薬物兵器"St.Alice"は、我がアサカワカンパニーの手によって造られたのだ」


父が自分の前で語り明かし始めた衝撃的事実-

しかし、さらなる事実が息子である翼(一也)を襲おうとしていた。





                                                  第31章へ

31-1

 
翼と父は、今にも火花が激しく飛び散りそうなその鋭い視線を再びぶつけ合った。

「では聞かせてもらえますか?アサカワカンパニーと星羽会のことを」
翼がそう言うと、にわか俯く父は何かを覚悟したように語り始めた。


「どこから話せばいいか……。まず……我がアサカワカンパニーは、30年前に薬品事業に手を出し始めていた。高度経済成長を過ぎ、バブルと呼ばれていたあの頃、アサカワの当時の社長は新たに薬品事業を展開することを思い付いていたんだ」
「当時の社長って」
「私の父……もう亡くなったお前のおじいさんだ。あの方は、当時には斬新なその経営理念により、日本には無い新しい薬品開発のプロジェクトを施行していたんだ。彼は、その際に一人の天才科学者を海外から招いた。それが、ルペス・クレイアード博士だ」

父の言葉に、翼はただ息を呑みながら聞き入っていた。
父は続けた。


「当時、前社長は正体を知らずルペスを薬品部開発プロジェクトの責任者へと任命した。彼はアメリカでの実績もさながら、どこの会社や研究所もが欲しがる奇跡の人材だったからだ」
「……」
「だが…それこそが、ルペス…星羽会の狙いだった。当時目立っていなかったにせよ、星羽会信徒である素性を隠せたルペスにとっては、我が社の開発や研究における全ての資産が利用できる好都合なものに過ぎなかったのだ。彼は製品開発の合間に、ひそかに"St.Alice"の研究と開発…流通に至るまでの全てを計画していた……」

「ルペスは開発をする場所と予算のためにそんな?てか、ルペスのその計画に一体誰が気付いたんです?」
翼が問い掛けると、父は軽く咳き込みながら再び続けた。

「あの時、何も気付かずにいた私達にルペスの企みを教えてくれた一人の女性がいたんだ。彼女は自らの危険も省みずに、当時恋人として交際していた私にそのことを伝えてくれたんだ」
「恋人って……?」
「もう今や私とは30年以上になる家内……つまりお前のお母さんのことだ」
「な、何だって!?」

思わぬ言葉に、それまで冷静さを保っていた翼は次第にその表情を驚きへと変えていった。


「どうゆうことなんですか!?どうして……あの人が……!」
「お前や圭介には黙ってはいたが……母さんは、星羽会信徒の家系の人間だったのだ」
「なっ!?」

翼が言葉を失う中、父はさらに続けた。


「当然私も驚きはしたがな。だが肝心なのはそこじゃないんだ。母さんは、自分の父親……ようするにお前のもう一人のおじいさんが幹部信徒だったこともあり、ある恐ろしい計画のことを耳にしていたのだ」
「まさか……【Mother-Project<マザー・プロジェクト>】!?」

翼が聞き返すと、父はうなずきながら続けた。


「表は善のはずだった星羽会とアリスの計画に恐ろしさを感じ始めていた母さんは、そのマザー・プロジェクトの全容を私達に教えてくれたのだ。いや、それ以上に助けを求めてきていたんだ」
「助けを?」
「星羽会代表アリスは、一部の信徒を使って"St.Alice"の実験をしようとしていたんだ」
「何だってそんなこと……!」
「そのとおりだ。当時若く信教に馴染みの比較的少なかった母さんは、"St.Alice"を自ら服用することなく私のところへとやってきたのだ。もうすでに……家族が全員死亡した深い悲しみを背負ってな」
「自ら服用?家族が??」
「アリスは、マザー・プロジェクトの第一段階と称した『実験』して、"St.Alice"の服用を一部の信徒に課したんだ。もちろん母さんの家族にも……人の狂気を呼び覚まし、命を縮める、あの殺戮兵器をな!!」

話が進むたびに、父の声が強さと切なさを増していった。
翼は、それをそのまま聞き続けた。

「聞いた話だけだが……母さんの家族は、母さんが見ている前で狂ったような地獄絵図の中で殺し合って死んでいったそうだ……」
「……!」
「私は"St.Alice"の開発と流通を食い止めるべく、社長とルペス……そして共に開発に携わっていたKK社に掛け合った」
「KKだって!?俺があの時勤めていたあの会社も"St.Alice"に関わっていたなんて!」
「うむ。しかし、時は遅かった。星羽会は、時間をかけて日本を中心にマザー・プロジェクトを展開し、その名の通り世界を"母"に帰すように破滅に導こうとしていた」

言葉を失い続ける翼を前に、父の言葉から出る事実はまだ終わらなかった。


「その後、ルペスの所業をを追求した前社長と私だったが、気付いたときには彼の姿は無かった。警察でも彼の行方を追うこともかなわずな。しかし、その後ルペスは長い年月をかけ"St.Alice"をさらに完全なものとし、10年ほど前……それをその先駆けとして新宿の歌舞伎町に流出させた。"St.Alice"は、街の一部に流出し、高額な取引にさえも使われるような、狂気の薬物として世に出ることになってしまったのだ。それがお前もニュースなどで知っているであう、あの-」
「"星羽会事件"ですね?」
父はゆっくりうなずいた。

「そうだ。街に流出させるだけでなく、信教の行動自体に不信を抱いていた当時の信徒らを実験台とし、虐殺をしていたのだ」



『そうか……愛菜と羽月の家族はそれで……!』




翼は、以前愛菜から聞いていた家族のいきさつと、目の前にいる父からの話を照らし合わせていた。

父はさらに続けた。


「世間に恐ろしい計画が『神代』という名の人物の手によって漏れ、アリスもろとも星羽会は殲滅されたはずだった。が……まさか、こんな事態が起きてようとはな。しかも……こんなときに!」
「こんなとき?どうゆうことですか?」

突然苦渋の表情を浮かべた父に、翼はストレートに問い掛ける。




すると、父は右手で顔をおさえながら答えた。


「よく聞け、一也……」
「何だよ急に」
「現在母さんが病気なのは知っているな?」
「えぇ」
「急に病気になったことも、病状の進行が著しいのも知っているな?」
「えぇ」
「あの時……お前が紗恵さんを家に連れてきたときに、母さんが不可解なほどの行動をとったことは覚えているな??」
「えぇ。それが何か……?」

そう口にしたとき、翼はハッとしながら目を大きく見開いた。


「それって……まさか??」
そう口にした翼の頭の中で、恐ろしいイメージが電光石火のごとく走った。

しかし、父はすぐにイエスともノーとも答えなかったが、わずかな沈黙の後に苦しげに再び口を開いた。

「母さんは……"St.Alice"に冒されている」

「えっ……?」



二人の間の時間が止まったかのように、再び重い沈黙が訪れた。

しかし、それも長くは続かなかった。



「あの人が……"St.Alice"に?そんな、30年前の"実験"のときは、服用しなかったはずでは!?」
翼がそう声を上げると、父は半ば顔を臥せながら重い口を開いた。

「私もいつどのようにして使用されたのかまではわからん。ただ、母さんは何らかのタイミングで"St.Alice"を服用していたんだ……」
「……そんな……」

冷静さを失い、言葉さえも翼は失っていった。
しかし、父の口から語られる事実は、まだ終わってはいなかった。


「一也……今でもお前は母さんを憎いだろうが、母さんも星羽会と"St.Alice"に運命を狂わされた被害者なんだ。そこだけは理解してくれ」
「……」
「それに-」
「?」
「家族が無くなった母さんには、10年前まで当時離れて住んでいた、たった一人の肉親……兄がいたんだ」
「兄……?初めて聞きましたが、それがどうしたんです」
「……」


父は突然黙ってしまった。
それを不振に思った翼は、追求するように父のことを問いただした。

「どうしたんです、急に」
「……これは"St.Alice"製造に加担した私の因果応報とも言えることなのかもしれないが……」
「??」
「母さんを匿った私と彼女への報復だろうか。星羽会は……アリスは……」


父は息を呑んだ後、額から汗を垂らしながら次の言葉を放った。


「裏切り者の親族として……『みせしめ』という形で、母さんの兄夫婦を虐殺したのだ」
「虐殺!?」
「そうだ。表向きは強盗事件などとして処理されてはいるが、あれはどう見てもアリスが手を下したこととして間違いないだろう。彼らには、まだ年端もいかない子供たちもいたというのに……」
「子供たち?」
「母さんの兄夫婦には、その当時15歳の娘さんと10歳の息子がいたらしい。何故か奇跡的にその子たちは無事だったらしいが………」

翼は思わず目を見開いた。
父から出たキーワードにより、彼は以前酔った羽月がふと漏らした言葉を思い出していた。







『10年前……15歳の娘と10歳の息子……事故に見せかけた両親の虐殺……』










"翼くん、俺の両親はアサカワカンパニーの浅川って男に殺されたんや……!"












翼の中で恐ろしいまでの不安とともに、いくつもの絡みあった糸が解け、一本になろうとしていた。

そして、翼はあらたまったように父に問い掛ける。



「あの……旧姓……あの人の……オフクロの旧姓は、何て?」
「母さんの旧姓??……確か-」

父の言葉言葉に、翼は息を止めたまま聞き入っていた。

そして-



「確か『星宮』だな」





『……星宮……!』





翼はガクリと膝をついた。

「一也、どうしたんだ!?」
父が手を差し延べると、翼は「大丈夫」とばかりに、ゆっくりと片足ずつ立ち上がり身体を起こしていった。

「一也?」
「もう……いいです」
「いい?」
「もう、十分聞かせていただきました……忙しい中、貴重な時間をすみません」

翼は、力無く最後に父にそう告げて社長室から出るドアにゆっくりと歩いていった。

「おい、一也!」
父が翼を呼び止めた。


「はい」
「お前が何を考えているかはわからんし、何をしようがこれ以上文句は言わん。だが-」
「……何です?」
「星羽会のことには、お前に関わって欲しくないんだ……。親に……あまり心配をさせるな」


背中越しの最後の父の声が、どこか潤んでいたのは翼の耳にはハッキリと伝わっていた。


「では、失礼します」

翼は、そう言って社長室を後にした。
そして、直ぐさま人事部のある場所へと向かった。





「な、何ですかあなたは!」

社員の一人に咎められつつも、翼はある人物のところへと一直線に向かっていった。
ホスト風の翼の姿に、人事部内の職員たちが一斉に彼に注目する。


「あっ、き……貴様は!」
「その節はどうも、林さん」

すると、翼は持っていた社員IDを林の顔にたたき付けた。

「ぶっ!」
林は軽い奇声を上げると、自分を見下ろす翼をキッと睨みつける。
しかし、翼はさらに強い眼光で睨み返しながら、口を開いた。

「社員証にもらった名刺入れるまで風俗遊びが好きなのはともかく……ストレスで無銭飲食かますなんて言語道断なんだよ!!」
「な……き、貴様!何があってそんな!」

林がうろたえていると、周りの職員たちが慌てて彼を止める。

「林さん!こちら、社長の御子息の一也様ですよ」
職員の言葉に、林はしわを寄せていた眉間を一瞬で緩め、口をあんぐりと開けた。


「えっ……か、か、一也様……?」
「フン……。次あんなふざけた真似したら、承知しないからな。……みなさん、業務中失礼しました」
翼は人事部内すべてに頭を下げると、すぐにその場を後にした。

そして、受付嬢に来客証を返し、そのままアサカワカンパニー本社ビルを離れていった。

31-2

 
「そんな……そんな……!」

翼は小さくつぶやきながらゆっくり歩き続けた。





『オフクロが元星羽会の信徒で……愛菜たちの父親が兄弟だったなんて……』





予想外の事実に、翼はぼんやりとしながら道を歩き続けていた。

ポツポツと降り注ぎ始める小雨にも気付かないほど、翼はただ一点のみを見つめてフラリと自らの身体を移動していた。



「♪♪~♪♪♪~」

その時、翼のケータイがメールの着信を知らせる。
それにハッとした翼は、久しぶりに我に返ったようにケータイを右手に取り出した。

「誰からだ?」
翼は受信メールフォルダの未読覧を確認する。
すると、その差出人名には現在入院しているはずの愛菜の名前が表示されていた。


「愛菜っ!」

翼はケータイの液晶にくぎづけになる。
彼はすぐに本分に目を通すと、すぐにケータイを折りたたみ、それまでゆっくりだった足の動きを徐々に早めていった。


『愛菜……!』



翼は、何かに引き付けられるようにある場所へと向けて走りだしていた。





約1時間後-

翼は、愛菜と羽月が現在も入院している西総合病院へとやってきた。

タクシーから急いでおりた翼は、一目散に愛菜のいる病室へと向かっていった。


「ちょっと!病院内は走らないで下さい!」
自らを注意する看護士の言葉が耳に入らないほど、翼は急いでいた。

父から聞いた信じがたい真実……そして、突然自分を呼び出した愛菜の意図……

それだけ、彼の心を様々な思いが駆り立てていた。





【星宮茜】と表記されたとある一室の前に立ち、翼は「コンコン」とドアをノックした。
「愛菜、翼だけど……入るよ」

すると、閉ざされたドアの向こうからは「ウン」と小さくか細い声が聞こえてくる。
翼はひと呼吸おくと、ゆっくりと横開きのその扉を右から左へと開けていった。

「翼……」

翼が病室に入ると、どこかやつれた感のある愛菜が小さい声で彼のことを迎えた。

時間がたち落ち着いてきたのか、ベッドを起こし上体をそこへよっ掛からせている彼女は、やつれていても独特の美しい雰囲気は漂わせていた。
いつも巻いて盛り上げていた髪の毛は、左側にスッと寄せるように下ろしている。

それが、翼には妙に新鮮なものでもあった。


「愛菜、大丈夫なのか?」
「えぇ。今は少しずつだけど、落ち着いてきてるわ」
「食事、ちゃんと摂ってるの?ちょっとだけ痩せた感じがしたからさ」
「昨日あたりからは……ね。心配させちゃって、ごめんなさい」


想像以上にはきはきとした口調で話す彼女の様子に、翼はどこかホッと胸を撫で下ろしていた。


「翼ごめんね、お昼から急に呼び出してしまって」
「いや、いいさ。俺もちょっと用事で外出していたし、愛菜のこと気になってたから。コレ、途中で愛菜が好きなクッキー買ってきたから」
「うん、ありがとう。傷……大丈夫?それに、聖とのこともあってお店も大変なんでしょ?」
「うん。でも、何とかやってるよ」


愛菜は湯呑みの中を一度口にすると、ゆっくりとニコリと笑った。
しかし、それが今の彼女にとっては精一杯の笑顔であることを、翼はひしひしと感じずにはいられなかった。

「愛菜」
翼が話を切り出した。


「話したいことって?」
「……翼」
「うん?」
「単刀直入に聞いてもいい?ちゃんと、答えてくれる?」
「あぁ」


すると、愛菜は途端に顔をうつむいた。


「メールでも言ったように、翼に聞きたかったのは……羽月くんのこと……」
「羽月……?」
翼は、自分の心拍数が少しずつ上がっていることを覚え始めていた。

「この間、光星に襲われて部屋に閉じ込められてたときね……。羽月くんが翼をかばって背中を思いきり刺されたとき……」
「……」
「私見たの…あの子の背中に、私と同じ"模様"があるのを-」
「……」
「私の見間違いかと思ったけど、やっぱりそうは思えなかった。あれは、うちの家系の……」

愛菜は言葉を一瞬詰まらせた。
その先にある言葉を翼に対し口にするのを躊躇していた。
だが、ゆっくりと…何か重たく硬い物をこじ開けるように、彼女の言葉は続いた。


「……星羽会の信徒のある家系の証として刻まれたもの。私の背中にある同じものが……あの子の背中には存在していたわ。そして、何より私と直人しか持っていないはずのあの写真を持っていた」
「……」
「ねぇ、翼、正直に答えて」
「うん……」
「あの子は……羽月くんは……」

愛菜の話し声は、次第に潤みを帯びていた。
そして、ついにその先の言葉を発した。

「私の……弟なんでしょ?あの子は……ずっと離ればなれになっていた、直人なんでしょ……??」



愛菜のその言葉が投げ掛けられると、翼はしばらくしてから首を縦に振り、口を開いた。


「……そうだよ。俺を命懸けでかばって傷ついた、あいつ……羽月は……愛菜が10年間再会を夢見てた、弟さんなんだ……」
翼がそう言い切った瞬間、二人がいる病室には不思議なほど不気味な静寂が支配した。


1秒が1分に感じられるような……


また、1分が1秒にも感じられるような……


時の流れさえ狂わすような空間が、二人だけの間には存在していた。


しかし、それも愛菜が多量の涙をその瞳から流しながら、啜り泣くまでのことだった。
 

「うっ……うぅっ……」
「……」
「うぅ……直人が……まさか、あの子が直人だったなんて……」
「愛菜……」
「翼は……知っていたんでしょ……?」
「うん……」
「いつから……??」
「あの教会で、愛菜に写真を見せてもらったとき。そのちょっと前に、あいつに同じ写真を見せてもらったんだ」
「そうなんだ……」
「愛菜、ごめん。隠すつもりはなかったけど、結局隠していた形になってしまって……」


翼は、啜り泣く愛菜に対してスッと頭を下げた。
しかし、そんな彼のことを愛菜は怒ることなく、穏やかに首を横に振った。


「翼は何も悪くないわ……。あなたは、お客や他のホストのプライバシーを絶対に他言しないっていうホストとしてのルールを守っていただけだもの」
「愛菜……」
「それよりも-」

愛菜は、両手で涙で濡れたその顔を覆い隠した。


「うっ……えっ……。あの子が……直人が、元気に生きていてくれた……。それだけで私は……あぁっ……」
「うん……」
「しかも、あの時はあんなにちっちゃくて泣き虫だったあの子が……今はあんなに明るく、大きくなっていてくれたなんて……!」



長い間捜し求めていた最愛の弟の存在を確信してか、愛菜は抑え切れないくらいの大きな感情を、瞳から流す無数のその涙に乗せていった。


そんな彼女を見つめる翼の胸の内は、憂いと切なさに満ち溢れていた。





自分の両親に秘められた過去が、まだ幼かった愛菜たちの運命をバラバラにしてきたことなど-

今の翼には、とても彼女に告げることはできなかった。




ただ……

唯一の肉親の存在のために、その胸を10年もの間傷めてきた愛菜(=茜)という人間の、狂おしく儚い想いを乗せた"声"や"涙"が……



翼の瞳から、一筋の涙を零していた。





                                                   第32章へ

32-1


「じゃあ、俺はそろそろ行くから」
「うん」

重い腰を持ち上げるように立ち上がった翼は、愛菜に一言そう告げて病室のドアに手をかける。


「翼っ」
「うん?」
「ありがとうね」

小さい声で礼を言う愛菜に、翼は無言で首を振った。


「じゃあ」
翼はドアを閉めた病室をそっとあとにした。




「……」

長く続く廊下を、翼はぼんやりとしながら歩いた。
そのまま歩いていけば、自然と離れたところにある羽月の病室に着くものの、彼の足どりは遅かった。


愛菜は羽月の正体を知った-


互いを探し続けていた姉弟の片方だけが未だ事実を知らない-


翼は、羽月に愛菜のことを伝えるべきかおおいに悩んでいた。





そして……


何より、自分が彼らと少なからず同じ血が流れていた従兄弟だったことに、動揺を隠せずにいた。


しかし、何故だろうか?
翼は、先程話していた愛菜から不思議な違和感を感じずにはいられなかった。


「あっ……」

気がつくと、翼はいつの間にか羽月のいる病室の前にいた。

「とにかく、あいつにも会っていかなきゃだな」
翼は、どこか躊躇しながらも病室のドアへと手をかけた。

「あっ、翼くんっ!」
「よぉっ」
病室に入ると、ベッドで横になっている羽月が元気に翼のことを迎えた。
そんな彼の姿を見て、翼の気分もどこか和らいでいく。


「わざわざ来てくれたんやなぁ!忙しいのに、ホンマありがとう」
「いいってそんなの。羽月、それから具合の方はどうだ?」
「あぁ、まだちょっと痛いけど、何とか回復しとるみたいやでぇ!」
「そっか」

翼は先程までと違い、どこか胸を撫で下ろすような感覚を覚えていた。
しかし、姉である愛菜の存在のことと、自分の両親が関わっていた10年前の事件について話すべきかを、彼は心の奥底から拒んでいた。

今事実を羽月に話せば、せっかく立ち直りつつある彼の心を再び乱すばかりか、自分との確執をも生じさせてしまう……
翼は、何よりそれらを恐れていた。

自分を犠牲にしてまで守ってくれた羽月がいなくなるのが、今の翼にはとても怖かった。



「どないしたん、翼くん?ぼーっとしてんでぇ?」
羽月の一言で、翼はハッと我に返る。

「あっ」
「どないしたんや?」
「あ、いや……」
「?」
「な、何でもないよ。ちょっと疲れてるかな」
「……そっかぁ!今、聖さんとの勝負もあって大変なんやもんなぁ。怪我人の俺が言うのもなんやけど、翼くん身体大事にせなあかんでぇ」
「あ、あぁ。そうだな……ゴメンな、せっかく羽月のとこ来たのに疲れた顔見せて」
「えぇって!俺の前では遠慮なんかせんで。あ、いや……も久しぶりやしな」

翼と羽月は、いつものように笑い合った。



「なぁ、翼くん」
「うん?」
「社長やみんな、元気にしてん?」
「あぁ」
「愛菜さんは?別の部屋で入院してんやろ?」
「あぁ」
「元気……なんかな。俺、愛菜さんにも、その……ひどいことしてもうたから」
「どうだろうな。愛菜まだ落ち着いてなくて、面会謝絶みたいな感じだからな。何とかパソコンのメールには送れてるけど」

翼はとっさに愛菜に会ったことは羽月には伏せることにした。
今羽月に愛菜のことを話せば、彼は姉に会いに行き、そして互いを混乱させてしまう恐れがあったからだった。

しかし、自分が彼を騙してるのではないかという罪悪感が、翼の心から消え去ることはなかった。

10年前に彼らの両親を虐殺した原因が自分達の両親にあったと知ったら、羽月はどんなに深いショックを受けるかを、翼は想像するだけで恐怖を感じていた。



『これ以上、この姉弟を傷つけるわけにはいかない』



翼はそれを思い、これ以上羽月に事実を話すことを避けることにした。
そして、いつまでも元気に笑う羽月に呼応するかのように、翼は本当かもわからない笑顔を見せていた。

「じゃあ、俺はそろそろ」
「そっかぁ。翼くん、ホンマにおおきにな」
「あぁ。早く、傷治して店出てこいよ」
「うんっ!」

翼は、そのように会話を交わすと、羽月の病室からそっと出ていった。



『羽月……』



病院のエントランスへと向かう翼の足は、やはりどこか重かった。


「とにかく、今月の勝負に勝たなきゃいけないんだよな!」
翼は、気を取り直すように帰りのタクシーへと乗り込んでいった。





1時間後-

自宅へと一旦戻った翼は、シャワーを浴び直し、仕事への準備を勤しんでいた。

「さてと」

高級スーツに身を包み、ヘアーメイクも所持品も万全として部屋を出ようとした……その時だった。


「♪♪♪~♪♪~」

テーブルの上に置いておいた翼のケータイが、一つの着信を知らせる。


「社長からだ。はい、もしもし」
翼はすぐにその着信に応答する。


「社長おはようございます。はい……はい……わかりました、すぐに店に向かいます」
天馬からの電話でただごとじゃないと確信した翼は、ジャケットを羽織らず手持ちで部屋を飛び出していった。


「まったく何なんだ、アリスの子ってのは!」
翼はすぐさま再びタクシーを拾い、歌舞伎町にある【Club Pegasus】の店舗へと急いで向かっていった。


約30分後-

【Pegasus】の店に着いた翼は、エントランスから事務所へと一直線にかけていった。


「社長!」
「おぉ、翼」

翼が社長室へと入ると、そこには天馬以外にも佐伯と聖の姿もあった。
翼はなるべく聖と目を合わせないように天馬のもとへと近づく。


「社長、アリスの子から電話があったって……一体どういうことなんですか?」
「あぁ。単刀直入に言うと、奴は俺たちがひそかに探りを入れてることにも、どうやら気付いているらしい。『あいつのようになりたくなければ、余計なことはするな』……とのことだ。ボイスチェンジャーを使って正体がわからないようにもしていた」


あいつ-

それを聞いて、翼は真っ先に死体としての発見をニュースで報道された光星のことを思い浮かべた。



「ちっ!」
聖が口を鳴らした。

「たくよぉ……。【Unicornis】がダメになってこっちが大丈夫かと思いきや、今度はココも狙われてるってか。アリスの子ってのは、どんだけ頭イカレてんのかねぇ。なぁ天馬」
「聖」
「おっと、いけねぇ。アリスがこの店にいる以上、下手なことは口にしねー方がいいよな」

聖の発言で、その場にいる他の三人の表情がピクリと吊り上がった。


「聖さん、それはどうゆうことですか?」
「まぁそういきり立つなよ翼クン。そいつの正体がハッキリしない以上、この店の中の全員が容疑者ってことさ。もちろん天馬、お前もな」
「なっ、何を言い出すんですか!社長がそんなことするはずがないじゃないですか!今このことで最も悩んでるのは社長なんですよ?それを-」
「何も断定はしていないさ。ただ、犯人の星がハッキリしない以上、アリスの子の可能性は誰にでもあるってことさ。もちろん、この俺にもね」
「……」
「気分を害したなら謝る」

聖は、翼・天馬・佐伯に対して軽く頭を下げた。
 

「だが、俺もこのまんま引き下がるわけじゃない。【Unicornis】に妨害を加えたアリスの子とやらの顔は拝んでみたいからな。とにかく……俺のバースデーだけは邪魔してほしくないもんだぜ」

聖はそう言い捨てると、そこからツカツカと去っていった。



「まるで、自分だけは違うみたいな言い方でしたね」
佐伯がポソリとつぶやく。

「そうだろうな。あいつはあんなやつだが、誰よりホストって仕事にプライドを持ってる奴だ。こうゆう進展のないハッキリしない事態に、イラついてるんだろう……昔からそうだった」
天馬がため息まじりに答えると、そこに翼が質問を投げ掛ける。

「社長、いいですか」
「どうした、翼?」
「俺と聖さんの勝負はともかく、どうなるんでしょうか、この件は。俺達が何もせず黙っていても、アリスがこのまんま何もしないとは考えられません」
「そうだな……。まず、奴の真の狙いが一体何なのかがわかればな」



翼はそこでピンときた。

アリスの子は一体何のためにこんなことをするのだろうか?


アリス・クレイアードと星羽会そのものが存在しない今、『アリスの子
』とはアリスの『意志を受け継いだ人物』ということになる。


一体だれが?


何のために?


翼は頭をひねったが、それ以上何か答えが返ってくるということはなかった。



「とにかく、今日俺達にできることを精一杯やるしかない」

翼も佐伯も、今天馬が言った一言にウンとうなずくしかできなかった。

もちろん、天馬本人も……。

そして、【Club Pegasus】は今日も通常どおりの営業を開始することにした。



「今日も一日やるぞっ!!」

天馬のその力強い始まりの声が、事件でテンションの沈んでいるホスト達の背中を押すのには十分だった。

とにかくやるしかない-
天馬は、まず自分の不安げな面を従業員に出さないことに全力を注いでいた。
それが、内情を深く知る翼には、発奮となると同時に苦しさすら覚えた。





「翼くん、ちょっといいかな」
由宇が翼へと話し掛ける。

「由宇さん?」
「アリスの子のこともあるだろうけど、売上の方は……聖さんとの勝負のことは大丈夫なのかい?」
「えぇ、今のところは何とか」
「あぁ、僕もさっき佐伯さんから聞いてみたけど、今のところは翼くんに分があるみたいだね。でも気をつけてくれ」
「もちろん、油断なんてするつもりはありませんよ」
「そうじゃない。油断とかじゃなくて、あの聖さんのことだ。今はまだ本気を出していないだろうし、バースデーあたりにまた一つ何かかましてくるに決まってるんだ」
「太客をまだ隠してるってことですか?」
「うん。こないだ聖さんは、華月結奈ってお客さんを連れてきただろう?あの人は、あのクラスのすごい太客をあと二人は持っている。もちろんそれ以外にも太客と言えるようなお客さんも多数抱えてる。翼くんも今やたくさんのお客さんを抱えてるけど、あの人と真っ向から勝負する以上は微塵の油断もしてほしくないんだ」
「肝に命じておきます」
「ごめん、僕がこんなこと言ってもって感じなんだけどね。……ちなみに、愛菜さんの方はどうなんだい?」
「今のところは退院できる状態ではないみたいですね」
「そうか」

由宇はふと肩を落とした。

「売上のため……という言い方はしたくないけど、今は愛菜さんの力を何とか借りたいところだね」
「……」

由宇の言葉に対し、翼は何も言わなかった。
彼の言葉が現実的にもっともな意見だったとしても、今の余裕のない精神状態の愛菜に売上の話を持ち込むことなど、翼にはとてもできなかった。


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