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27-2

 
「何で……何でこんなことばっかすんねん……」
「うるさいわ、アホっ」
主格である生徒の一人が、言い捨てながら直人の左頬を殴打する。

「ぐっ……」
「こうでもせんと、また何かやらかすかわからんからなぁ。なぁみんな?」
「そうやそうや!何でお前みたいのが、平気で学校来れるんや!」

すると生徒たちは次々と直人の顔や腹部、手足に至るあらゆる箇所を蹴りだした。

「痛い……もうやめてぇや……」
「黙らんかい!このクズっ!」
生徒の一人が直人の腹部に強烈な蹴りを入れる。

「ぶぇぇっ……」
すると、直人の口から少量の嘔吐物が出される。

「何や、きったないわぁ!」
「臭いんじゃボケェ」
床で倒れる直人を見下ろしながら、生徒たちは彼の手足をもぎるように踏み付け続けた。
あまりの苦痛に堪える直人の目からは、次々と涙が零れだしていた。

「ん、何やコレ?」
主格の生徒が、直人の背中に何かを見つける。
「何やコイツ、背中に羽根みたいな形したアザがあるでぇ」
「うわっ、何やねんコレ。気持ち悪いわぁ」


直人の背中に浮き出ている、羽根の形をしたもの-
それこそが、星羽会幹部信徒の血を引く何よりの証である『マザー・エレメント』であった。
生徒たちは、全員それを気味の悪いものを見る目で凝視していた。

「なぁ、俺えぇこと思い付いたわ」
「何なん?」

そう言って、主格の生徒はポケットからあるものを取り出した。
「これ、コイツに試さへん?」
「何や、その茶色い瓶?」
「硫酸や。ホンマに人の肌が焼けるんか、コイツで理科の実験しようや」
「おっ、えぇなそれ。だから今日の『ゲーム』は理科室やったんやな」
「そやそや。コイツに人権なんかないんやし。そうや、この変なアザみたいのにかけてみるわ」

生徒たちは、ゲラゲラと笑い出すと、氷のように冷たく細い目を倒れる直人に一斉に注いだ。
それに恐ろしいまでの悪意を感じ取った直人は、目を大きく開きながら後ずさった。


「ひっ……」
「オイオイ、逃げるなよ星宮クン。せっかく君の存在価値価値の無い体を使って理科の勉強をしようとしてるんだからさぁ」
「や、やめてや……頼むからもうやめてやぁ……!」
命ごいをするかのように、下着姿の直人は涙と鼻水で顔を濡らしながら彼らに訴えた。
それと同時に、彼の身体を唯一覆う下着が、異臭とともにじんわりと水気を帯び始めていた。

「何やコイツ、ションベンもらしとんでぇ!きったないわぁ」
「最悪やな」
「こら、実験早めるしかないな」
「はよ硫酸かけてまえ」
直人を囲む彼らの口から飛び出る一言一言が、一人床で失禁する彼にとっては、まるで漫画やテレビゲームに出てくるような悪魔の儀式と等しく思えた。


「おい、動くなや!」
「はよ実験せなあなぁ♪」
主格の生徒は、硫酸の瓶の蓋を開け、それを持った右手をついに直人に向け始めた。

「ホンマ……ホンマにやめてぇ!!」
直人は、涙の限り叫びながら手足をバタバタと動かした。
「おいコラ、勝手に暴れ-」


その時だった。
暴れた直人の足が、硫酸を持った主格の生徒の足に強く当たり、彼はバランスを崩していった。

「わっ」

一瞬驚きながらよろめいたときには、すでに彼の手に硫酸の瓶がないことに気がついた。

「あれっ」
「あっ」

硫酸の瓶の在りか-
それは、左大腿を押さえながら必死で悶えている直人の姿が、それを目にした全員の目にハッキリと映っていた。










「うぎゃぁぁあぁーーー!!!」










断末魔のような叫びが、理科室の中を一瞬で駆け巡った。


「うっ……うぎっ……!」
硫酸の零れた左大腿を、直人は必死で素手でおさえながら呻いていた。

「やばっ!マジかかってもうたで!」
「みんな、逃げるでぇ!」
その場にゲーム感覚でいた生徒たちは、何も見なかったかのように直人ひとりを残して理科室から走り去っていった。

たったひとり激しい苦痛とともに残された直人は、異臭に囲まれながら、止まることのない涙とともにその場でもがき続けていた。



その翌朝-

理科室に巡回に来た教職員によって気絶した直人は発見され、直ぐさま病院へと運ばれた。

『理科室の薬品が何故使われたのか』
という議題で職員会議にかけられたが、星羽会の生き残りである直人のことが大々的に外に漏れることを恐れた学校は、この事実を隠蔽するかの如く校外への露呈を禁止した。


学校も施設側犯人を探すことはせず、


もちろん、犯人である生徒たちも自らの罪を告白することなく


事実は闇の中へと葬られた。


唯一理不尽な暴力を受け、心と左大腿に大きな傷痕を残した直人のことを察する人間は、誰一人としていなかった。



「うっ……お姉ちゃん……お姉ちゃん……」

直人は、冷たい病院のベッドで孤独に堪えながらやり場のない涙を流し続けていた。


しかし、見舞いにすら来ることのない学校や施設のその杜撰な対応に不信感を抱いた病院側は、直人の状態を含めて児童相談所へと連絡をした。


事情を聞き付けた児童相談所の人間は、傷ついた直人を助けるために、学校と施設を徹底的に糾弾した。


直人の素性は伏せられたものの、苛烈かつ残酷な虐めを隠蔽したとして、学校とはマスコミにも糾弾され、

犯人の生徒たちは、全員警察にて取り調べを受けることとなった。



「もう、施設に戻りたくない」という直人の意見を尊重し、彼の身柄は施設から児童相談所を介して、里子を募るある一人の老人のもとへと預けられることになった。


病院を退院し、学校には行かず一人老人の家で新しい生活を始めた直人だったが、心に刻まれた傷はとても深く、ふさぎ込んだ毎日を送っていた。


「直人、直人」
老人が、畳の上で寝そべる直人に声をかける。

「……何や?」
「学校、いかへんのか?」
「……もうあんなとこ行きとうないわ……」
「そうか。じゃあわしの仕事手伝わんかい」
「仕事?」
「そや、畑の芋掘りや。中学生が何もせんで、身体なまるで?」
老人は、半分無理矢理に渋る直人のことを庭の畑へと連れ出していった。





「なぁ、じいちゃん」
「何や?」
「何で、俺のこと引き取ったんや?」
「……何でそんなこと聞くんや?」
「だって……」
直人は、すぐに口をつぐんだ。
しかし、老人はすぐに笑顔で答えた。


「新しい家族が欲しかった……。それじゃあかんか?」
「新しい……家族?」
「そや。ほれ、見てみぃ」老人は、手に持った大きなじゃがいもを直人に見せた。

「お前が星羽会だかか何かはわしにとってはどうでもえぇ。ただ、わしと一緒に元気に暮らしていけたらそれでえぇやないか。さっ、いくぞ」
「あっ……」
老人はそう言うと、すぐにじゃがいもを積んだ籠を持って家へと戻っていった。




「ほうっ、今年のじゃがいもはいい出来やな」
老人は喜びながら、皿に盛ったホイルの中身をつついていた。

「食ってみぃ」
老人は、バターをつけた蒸したじゃがいもを直人に差し出した。

「……うまい……」
「うまいか?」
「めっちゃうまいわ……!」
「何や、そんなえぇ顔で笑えるんやないか直人」
「じいちゃん……」
「お前の生い立ちがどうとか、わしにはそんなん関係あらへん。いつか、別れたお姉さんにも、このジャガバター食べさしたれや。それまで、わしが責任持って守ったるからな」

老人は、優しい笑顔で直人にそう囁いた。


「……うん。おおきに、ありがとう……」

直人は、涙と鼻水をこぼしながら、熱々のじゃがいもを頬張っていった。



いつか必ず、生き別れたたった一人の姉・茜に再会できる日を夢見て-










話を聞き終えた翼と天馬は、ただずっと羽月を見つめていた。
すると、すぐに羽月は口を開いた。

「俺、ずっと誰かに認めてもらいたくて……でも、星羽会の経歴あるから普通に人と接するのが怖くてしゃあなかった……。だから-」
「ホストを始めた……そうだな?」
羽月の言葉を天馬がつないだ。

「そうや……。俺みたいなのでも、実力主義のホストの世界なら名前や経歴も隠して生きていける……。ましてや、姉ちゃんが歌舞伎町にいるって聞いたときは……もう行くしかないと思ったんや」
「そうだったのか……」
翼は、羽月の言葉に納得したかのようにうなずいた。

「でも……ついには【Pegasus】までが星羽会の騒動に巻き込まれてもうて……そしたら何故か光星さんに正体ばれて脅されて……もう、どうしようもなかったんや……」
羽月は涙を流しながら、その悲痛な胸の内を打ち明けた。


「社長……」
「何だ、羽月?」
「俺……もう店にはいれませんよね?」
「お前……」
「星羽会のことがあったら店にも迷惑かけてまうし……もう、ホストすることできへんよねぇ……」

羽月が泣きながらそうつぶやいた時、天馬は真っすぐに彼を見つめ、再び口を開いた。

「羽月、お前今本気でそう思ってんのか?本気でそうしたいのか?」
「えっ」
「自分を試したくて、姉さんに会いたくて、だからホストになりに歌舞伎町まで出てきたんじゃないのか?」
「社長……」
「俺が知ってるのは……信じているのは、星羽会とか何かでクヨクヨしている"直人"じゃない。いつも元気でお客さんたちを楽しませている【Pegasus】の大切なホスト・羽月なんだ!」
「社長……俺、店にいてもいいんですか?こんなやつがいても……俺……」

羽月が泣きじゃくりながらそう言うと、天馬は微かに笑いながら首を縦に振った。


「社長として俺からの命令だ。とっとと傷を治して、一日も早く店に戻ってこい!俺も、翼も、翔悟たちも、そしてお前を慕ってるお客さんたちも、みんなお前を待ってるからな」

天馬がそう言うと、羽月は泣き虫な子供のように顔を真っ赤にしながら涙を流していた。

「ありがとうございます……。おおきに……ありがとうございますぅ……うっ……えっ……」

「羽月」
翼が口を開いた。

「何や、翼くん……」
「いや、何て言うか……その……」
「えっ?」
「……めんな」
「えっ??」


「俺のために、こんなになってしまって……ごめんな……」
翼が頭を下げながらそう言うと、羽月はニッコリと満面の笑みをのぞかせる。

「気にせんでえぇって、翼くん。俺ら、友達やん」
「羽月……」
「大好きな友達を守るんは、男として当然やでぇ」
羽月はニカッとしながら、翼に優しくそう言った。
元気な中にどこか淋しさを隠した、いつもの笑顔で。

「羽月……」
「んっ?」
「ありがとう……な……」
翼は、どこか恥ずかしそうにフッと笑顔を見せながら言った。


「初めて見たわ……翼くんのそんな顔」


翼と羽月は見つめ合いながら、互いに見せたことのないどこか清々しい素直な表情を見せていた。



病室へと差し込む沈みかけの夕日が、傷ついた心をついに通わせた二人のホストを、優しく……優しく照らしていた。





                                                   第28章へ

28-1


「奇跡だ……!」
日も沈んで外の暗さが感じられ始めた中、病室での羽月の検診をしていた医師は驚いていた。

「先生、彼の容態はどうなんです?」
天馬が問い掛けると、医師は首を縦にゆっくり振ってから答えた。

「今は通常どおりに生活や仕事をするのは不可能ですが、辛うじて神経等へのダメージはありませんし、日を追っていけば傷も塞がり起き上がれるようになりますよ」
「そうですか!ありがとうございました」
天馬と翼は、医師へペコリと頭を下げると、ベッドで横になっている羽月に目をやった。

「よかったな、羽月」
「おおきにな翼くん。社長も俺なんかのために、すんません」
仰向けの羽月は、頭を下げて謝るかのように首を僅かに動かした。

「俺達や店のことは心配するな。お前のお客さんたちには、滑って骨折したとか適当に理由をつけておくから」
「はい、おおきにです社長」
「じゃあ、俺は行くな。店にもちょっとは顔を出さんといかんし」
天馬は病室の椅子から重い腰を上げる。

「社長、じゃあ僕も」
翼がそう言うと、天馬は彼を見ながら首を横に振った。

「お前も休め翼。傷もあるし、そんな疲れた顔と腕吊った恰好で店に出るわけにもいかんだろう」
「はい……でも-」
「仕事したい気持ちはありがたいが、明日は定休日だし、とにかく今日と明日はゆっくり休め。社長命令だ」
「……わかりました。そうさせていただきます」
「てなわけだ。羽月、俺達はそろそろ行くから、お前は一日も早い復帰をめざして、ゆっくりするんだぞ」
「はい。社長、翼くん。ホンマ、おおきに」
羽月がそう言うと、立ち上がり一度背を向けた翼は、再び彼の方を振り向いた。

「そうだ、これ」
翼は羽月にあるものを手渡した。

「翼くん、コレ……」
「光星が、店で落としていったんだ。君の大切なものだろ?」
「よかった……よかったわぁ。翼くん、ホンマおおきになぁ!」
羽月は、翼から手渡された姉と写る一枚の写真を喜びながら抱きしめた。


「退院したら、また美空ちゃんとこに飲みに行こうな」
「うん」

その会話を最後に、翼と天馬は長時間座っていた羽月の病室を後にすることにした。

病室を出て間もなく病院の廊下をゆっくり歩いていると、天馬はふと翼に話しかけた。


「翼、ちょっと気になってることがあるんだが」
「はい?」
「さっきの羽月のあの古びた写真のことなんだがな」
「……」
「こんなこと、俺が聞く必要もないことだと思ってるんだが……羽月のやつがずっと探してる姉さんってのはもしや?」

羽月の正体に感づいている天馬の言葉に対し、翼はゆっくりとうなずきながら答えた。


「愛菜のことです……」
「やっぱり、そうだったのか」
「社長は知ってたんですか?愛菜と羽月のこと」
「知っていたわけじゃないが、どことなくな。俺が【Unicornis】で現役のときに、珍しくかなり酔った愛菜がホロッと言ったんだ。"自分には何年も前に離ればなれになった弟が一人いる"ってな。まぁ確かに姉弟だからか、雰囲気が妙に似てるとは思ったが」
「それは僕も事実を知る前に何となくは思ったことありました。二人に交互に会うたびに、どこかで会ったことがある、みたいな」
「あぁ。あの時に愛菜から見せてもらった写真が、さっき見たものと同じだったから、確信しながら驚いたって感じだな。ましてや病室の名義……『星宮』なんてそうある苗字じゃないからな」
「社長……愛菜のところへは、やはり…?」
「今はそっと休ましてやろう。精神的にも相当きてただろうからな。後日、ゆっくり落ち着いたら見舞いに駆け付ければいいさ」
「わかりました」


翼と天馬はそのような会話を目を合わせずしながら、病院の入口へとたどり着いた。

「翼、とりあえず俺は一旦店に戻る。店の奴らに色々と説明しなきゃだしな。とにかく、お前も今夜はゆっくり休むんだ」
「はい。お疲れ様でした」

頭を下げながら翼が見送る中、天馬は一足先のタクシーで一人新宿へと戻っていった。



「さてと、俺も帰るか」

翼はそう言いながら、病院の中でずっと長い間切っていたケータイの電源を久しぶりにONにした。
十数秒ほどでケータイの電源はつき、そこに表示されている時刻は19時を過ぎようとしていた。

「もう夏も近いからかな。まだ微妙に明るいんだな」
翼は薄暗いながらもまだ夕方の明るさのようなその空模様をふと見上げていた。

その時、彼のケータイが振動してメールの着信を知らせる。
翼はすぐにケータイを開き、その液晶画面に目をやる。

「あっちゃ」
翼は呆気にとられたように声を漏らした。
ケータイのメールの受信履歴には、自分の指名客からのメールが多数来ていたからだった。
タイトルや本文には、昨夜の騒動により営業中の店を突然飛び出していった翼への心配の言葉が綴られていた。


『大丈夫?』
『何があったの?』
など、自らの身を心配している指名客の言葉に、翼は胸を締め付けるような感情を覚えていた。

「早く、怪我を治して店に戻らなきゃな」
翼は、疲れた身体にも関わらず、あらためてそう心に決めた。


そして、翼は一本のメールに気がついた。

「美空ちゃんまで。1時間くらい前か」


『翼さん、まだ病院にいますか?』
美空からのメールにはそのように書かれていた。


「美空ちゃん、どうして病院にいるって……」
その時、立ちすくむ翼の後ろから、人が駆け寄ってくる足音を彼の耳は捉えた。
翼は、すぐにその方向へと振り向いた。



「美空ちゃん?」

翼の視界には、病院のエントランスへと急ごうとしている美空の姿が映っていた。
離れたタクシー乗り場にいる翼のことには気付いていないようで、彼女はそのまま病院の中へと入ろうとしていた。


「美空ちゃんっ!」
翼は彼女の名前を呼んだ。
すると、病院へ入ろうとした彼女は、自分を呼んだ彼のいる方へと息を切らしつつ振り返る。


「ハァ……ハァ……」
美空は、息切れをしながら走り疲れた身体を引きずるように、ゆっくりと翼のいる方へと歩いていく。

翼も、そんな彼女の方へと歩み寄っていった。


「美空ちゃん、どうしてここへ?」
『ヨカッタ、無事デ……』
翼の問いかけに、美空は切れる息をただしながら手話で答える。

『昨日ウチニ来ルカラッテ翼サン言ッテタカラ待ッテタンデスケド、メールモ無イカラ不安ニナッテ……。ソレデ、オ店ノ人ニ聞イタラココダッテ教エテクレテ』
「あ……そうだったよねゴメン、ちょっと昨日に色々とあって。でも、それでわざわざここへ?」
『翼サンガ病院ニイルッテ聞イテ……私、スゴク不安ニナッテ』
「美空ちゃん」


『デモ、ヨカッタ。翼サンガ無事デ……私、翼サンニ何カアッタンジャナイカッテ思ッテ……』
美空は、そのつぶらな瞳に涙を溜め、手話をスッと止めた。

そして、自分の目の前に立っている翼の方へとスッと飛び込んでいった。



「美空ちゃん……」
包帯を巻いていない翼の右腕の方へと、美空は自分の顔をピタリとくっつけていた。

「ヒッ……ヒック」と声にならない声が、翼の澄ました耳にはしっかりと響いていた。


「美空……ちゃん」
突然自分の腕もとで泣き崩れた美空の姿に、翼は驚きながらも、どこか心の糸が少しずつ解れる感覚を覚えていた。

「ごめん美空ちゃん、心配かけて」
翼は小さくも優しい声でそう囁きながら、動く右腕で美空の小さな肩を抱いた。



1時間後-

翼は美空とともに歌舞伎町にある"楓"に移動していた。


『翼サン、何モ食ベテナインデショ?スグ何カ作リマスカラ』

美空は手話でそう言うと、どこか申し訳なさそうにすぐに調理にとりかかっていた。

「ありがとう美空ちゃん。でもいいのかい?急に今夜お店閉めちゃったりして」
翼がそう言うと、美空は2回ほどうなずく。

しかしその時だった。
料理の香ばしい匂いのする中、カウンター席でお茶をすすっていた翼は、ふと突然恐ろしいまでの睡魔に襲われ始めていた。


『あ、あれ……??』

肘からガクリと落ちていくように、翼はカウンターのテーブルに突っ伏した。
それに気付いた美空は、急いで翼のもとへと駆け寄った。

トントンと肩や背中を叩いても、翼は目を明けずに、そのまま寝息をたてていた。


翼は、再び夢を見ていた。





『う……ん』










『えっ?』










『そんな』










『そんなバカなっ!』










「そんなっ-!」

翼は勢いよく、仰向けになっていた上体をバッと起こしながら目覚めた。

「痛っ……」
突然体を起こしたからか、傷のある左肩に軽い痛みが走る。

「またあの夢……。何だったんだ……何で夢に『あの人』が-」
そうつぶやきながら、翼は冷静に周りを見渡す。

「ここは……そっか、俺寝不足とかがたたって寝ちゃったのか」
常夜灯のついた部屋の中、上着を脱いだ自分の身体が真っ白いベッドの上にあることで、翼はようやく自分の状態を把握し始めていた。

「ん?」

その時翼は、自分が身体を乗せているベッドに寄り掛かりながら寝息をたてている美空の姿を発見した。



『美空ちゃん。もしかしてここまで俺を連れてきてくれたのか』

美空も相当心配疲れをしていたのか、翼が目を覚ましたことに気付かないまま眠りこけている。

「えっと、今は何時……んっ?」
辺りを見回すと、翼は自分が今まで眠っていたベッド脇の小さい棚の上に何かがあることに気付いた。
薄暗い中顔を近づけてみると、そこには円いトレンチの上におにぎりが二つと湯呑みが手紙と一緒にぽつんと添えられていた。

翼は、まずその手紙に手を差し延べ、それに目を通した。


-翼さん


怪我は大丈夫ですか?
急にカウンターで寝てしまったので、びっくりしました。
お腹は空いているかもしれないと思ったので、おにぎりを二つ作りました。
起きて、食欲があったらでいいので、よかったら食べて下さいね。

それと、夕方病院では突然泣きついてしまって、すいませんでした。
翼さんが病院にいるって聞いて、とても平静じゃいられなくて。

こんなことはおこがましいかもしれませんが、私にできることがあれば、何でも言って下さい。


          美空-





「美空ちゃん……」

読み終えた手紙を片手に、翼はあらためて深い眠りについている美空を見つめた。
彼女の瞳から頬にかけては、うっすら濡れた痕跡も見てとれた。



『俺のために……?』



心の中でそうつぶやきながら、空腹を感じていた翼は置いてあるおにぎりの一つに手をのばした。
サランラップに包まれた綺麗な三角形のおにぎりは、まだうっすらと残った温かさを彼の手に伝えていた。

翼は、包まれたサランラップを一つ一つ解くようにゆっくり開き、露になったおにぎりを見つめる。
そして、口に運びパクリと頬張っていった。


「……うまい」


翼は思わずそうつぶやいた。
一口……また一口と食べていくうちに、彼の中ではどこか遠くに置き忘れてきたような、懐かしいものが込み上げていた。

そんな彼の瞳から、一筋の涙が零れだしていくのには、そう長い時間はいらなかった。

28-2

 
「何で……」
翼はグッと手を握りしめた。

「何で、何でこんなに優しくしてくれるんだよ……」

ポタリ、またポタリと、翼の目からは大粒の涙が次々と零れ落ちていた。
それと同時に彼自らの脳裏に浮かんだのは、数ヶ月前に帰省したときに母親が持たそうとしたおにぎりを無残にも踏み潰した、冷酷な自分の姿だった。



『もう誓ったのに。人は絶対信じない……お金と自分しか信じないって決めたはずなのに……』



目の前にいる美空の優しさ

そして、自分の身を犠牲にしてまで凶刃から守ってくれた羽月の友情


この一日で、自分の中で一気に起こったことが、長い間封じ込んでいた翼の奥底にある感情を激しく揺さぶっていた。

そんな翼の背中を、トントンと優しく叩いたのは美空だった。


「み、美空ちゃん」
『ドウシタノ?』
「な……何でもないよ」
『何デモナクナイ』
「ホントに、何でもないんだ……何でも……」

それ以上は、溢れる涙が邪魔をして言葉にならなかった。
しかし、うなだれている翼の頭を、美空は子供をあやすように優しい手つきで撫でていた。



『なっ……??』



翼は涙だが止まらない中で、そんな彼女の行動に驚いていた。
しかし彼は、その撫でる手を振り払うかのように頭を退ける。


『……』
美空は寂しそうな表情で、翼を見つめた。

『ドウシテ?』
美空の手話を横目で確認すると、翼は重い口を開いた。

「美空ちゃん、俺ね……ホントは美空ちゃんが慕ってくれるような、いい人間なんかじゃないんだ」
『……??』
「自分のことしか考えずに、ガキのようにすねてるくだらない男なんだよ……。美空ちゃんみたいないい子が、俺なんかに関わっちゃいけないんだ」


翼は、肩を落としながら自らのいきさつを美空に語り始めた。


会社員だったときのこと……
紗恵とのこと……
家族との確執のこと……
ホストを始めたこと……

そして、自らの心の内のこと……


翼は、洗いざらい自らのことをそばにいる美空へと告白した。

美空は、真剣な表情でそれらに対してずっと耳を澄ましていた。


「だからね……俺、こんなやつなんだ。最低だろ、どんな事情があれど会社で傷害起こしたり、彼女守れなかったり、病気の母親にひどい仕打ちしたり」
『……』
「あげく今やってるのがホストだもんな……。笑えるだろ?」
『……』
「所詮俺は、次男坊のお坊ちゃま……いや、それにすらなりきれなかった、タダのクズなんだよ……!だから羽月をあんな目に-」

その先を言おうとしたときだった。

気がつくと、美空はすっかり涙顔の翼をギュッと包み込むように抱きしめていた。


「えっ?」
突然のことに翼が驚いていると、美空は『違う、そんなことない』と囁きかけるかのように、首を何度となく横に振った。

「どうして……何で……」
翼が何度問い掛けても、美空は再びゆっくりと首を横に振っていく。
そして、彼を抱きしめていた手で、手話を始めた。


『翼サンハ、ソンナ人ジャナイ』


『翼サンハ、チョコヲ可愛ガッテクレルシ、コノ間飲ミ逃ゲサレタトキモ、一番ニ助ケテクレタ勇気ノアル人』


『ソレニ、オ母サンガ亡クナッテ辛クテタマラナカッタ私ヲ必死デ励マシテクレタ優シイ人』


『ソシテ、トテモ思イヤリノアル人……』



「俺に思いやりなんて」
『アナタハ気付イテイナイワ。何ダカンダ言ッテモ、必ズ人ノコトヲ考エテルモン。羽月サンノコトダッテ』
「……」
『翼サン、ズット一人デ抱エテ……辛カッタデスヨネ』

気がつくと美空は、手話を描くその手に、何滴もの涙を落としていた。
声を失った彼女の精一杯の『泣き声』が、翼の耳には確かに響いていた。

「美空ちゃん、何で俺なんかのためにこんな……」
『アナタガ人ヲ信ジタクナクテモ、ドウ生キテモイイ……。デモ、コレ以上自分デ自分ヲ傷ツケナイデ……。オ願イ……』
「美空……ちゃん」
『アナタハモウ、十分スギルクライ傷ツイタンダカラ……モウ自分ニ優シクナッテ下サイ』



-もう、自分にも優しくして-

その言葉を受け止めたとき、心に溜まっていたしこりのようなものが一気に流れ出たのか

翼は、無意識のうちに美空の胸の中で顔を埋めていた。

子供のように泣きながら、長い間心に溜めていたしこりを多量の涙に変えながら、翼は身も心も美空という名前の少女に全てを預けようとしていた。


「……うっ……うぅっ……」
泣きじゃくる翼の頭を、美空は子守唄を口ずさむ母親のように、頭を撫でながら宥めていた。

「辛かった……。怖かった……。人と接するのも、人に蔑まれるのも、裏切られるのも傷つけられるのも……。自分から大切な人がいなくなるのも……みんな怖かった。怖くてたまらなかった……」
『ウン』
「だからもう自分しか信じれなかった。もう傷つくのが怖いから、自分とお金なら裏切らないから、人を憎めば傷つかないから……」
『ウン』
「でも……何より一番自分を裏切ってたのは臆病な自分自身だった」
『翼サン……』
「ねぇ美空ちゃん」
『?』










俺……もっと自分を楽にしていいのかな?











人を……好きになっても、いいのかなぁ……?










涙で澱んだ翼の素直な言葉は、優しい笑顔の美空の首をゆっくりと縦に振らせた。


それを確認してさらに心のリミッターが外れたのか、翼は動かせる右腕で美空に抱き着き、息を激しく切らせるように泣き続けた。


クールなホスト『翼』ではない
【Club Pegasus】のNo.1ホストでもない

素直な一人の青年『浅川一也』の本来のさらけ出された裸の姿がそこにあった。
 

「何で、何でそんなに優しいんだよ……!」
美空は、そんな『彼』のことを、ただずっと見守るように優しく両手で包み込んでいた。





翌朝-

カーテンから差し込む朝日とともに、翼は目を覚ました。

「ん……」
昨夜のことがあってか、多量の涙で渇いた頬のパサパサ感に気付く。
そして何より、自分が美空の膝を枕にして眠っていたことに驚いていた。


「あっ」
翼はバッと起き上がると、おもむろに美空のことを見上げた。
美空は「おはよ」と口で言うと、ニッコリと微笑んだ。

「もしかして……ずっとこうしてたの?」
翼が膝枕のことを問い掛けると、美空は顔を赤らめながらベッドをおりようとしていた。
すると、やはり脚がしびれていたのか、美空の身体は無言のままベッドから転げ落ちる。


「あっ!」
翼は、慌てて右腕と胴体を使い彼女を抱き起こす。

「大丈夫かいっ!?」
翼がそう言うと、美空は笑いながら舌を出した。
「まったく、心配したぞ」
ため息をつきながら、翼もフッと微笑んだ。

そんな二人が互いの唇を自然と重ね合わすまで、そんな時間は要さなかった。





『今、朝ゴハン作ルカラ、テレビデモ見テテネ☆』
美空は楽しそうにそう言うと、キッチンの方へと歩いていった。

翼はすっきりした柔らかい笑顔で軽いため息をつきながら、テレビのリモコンに手を差し延べる。


何となくチャンネルをまわしていると、翼はリモコンを持つ手を一瞬で硬直させる。



『なっ、何だって!?』


翼は驚きながら画面に映るニュースに見入っていた。

リモコンを落とした音で何事かと思ったのか、美空もキッチンから戻ってくる。

『どうしたの?』と言わんばかりに尋ねてくる美空に気付かないほど、翼はその画面にくぎづけになっていた。



新宿区某所にて発見された、一人の20代男性の刺殺死体のニュース。


その画面の片隅に被害者として映る長髪をなびかせたの男性の顔。


【Club Pegasus】でも一際存在感を出していた見覚えのあるその男とは、


一昨日の"あの時"以来行方不明となっていた光星だった。




「光星さんが……殺された!?」





                                                  第29章へ

29-1


『ドウシタノ?』
美空の手話による問い掛けにも、翼は反応できずに、光星の死亡を伝えるテレビ画面へとくぎづけになっていた。


「そんな…
!まさかあの人が
翼はそうつぶやきながら、放送されているニュース内容を一言一句聞き漏らさないよう努めていた。



『まさか、アリスの子!?』
翼の脳裏を、まずその名前がよぎった。

光星の"St.Alice"の使用がバレ、口封じのために彼を殺害した…

翼は恐怖を感じつつも、そんなもっともらしい推測を頭の中で浮かべていた。

そんな彼の肩に、美空は不安げな表情で手を置いていた。
我にかえったように、翼は彼女の方を見る。

「ゴメン、急にこんなニュースが流れたもんだからさ」
『コノ人私モ見タコトアル。確カ、同ジオ店ノ人デショウ?』
「あぁ」


翼は、【Pegasus】に入店してまだ間もない頃からの光星とのことを思い返していた。

ヘルプのときに無理に飲まされたこと…

店の外で殴られたこと…

ナンバー争いをしたこと…
そして、二日前のあの事件のこと…


今までに起きたことのすべてが、このニュースにより飽和した夢か何かのようになる感覚さえ覚えていた。




休日が明けた、次の日の夕方-

翼は、包帯で吊った腕を引きずるかのように、【Pegasus】へと向かっていた。

例のニュースが流れた昨日の昼間、翼は天馬のケータイへと電話をしたが、無論社長である彼の耳にその情報が入っていないはずはなかった。


翼は焦る気持ちを必死でおさえながら、店のあるビルのエレベーターで4Fへと上がっていった。

「社長!」
エントランスを通り、突然そう言いながら登場した翼の姿に、ミーティングをしていた【Pegasus】の一同は、一斉に驚きの表情を示していた。

「翼!」
「翼さん、その腕…
!?」
ざわめくその言葉の中を掻き分けながら、翼は天馬のもとへと近づいていった。

「翼、お前はまだ休んでなきゃだめだろう!」
天馬の心配をよそに、翼は彼に問いただした。

「社長、今はそんなことより、あのニュースは」
「光星のこと…
だな」
「えぇ」
「今、ミーティングでそのことについて話してたところだ。ニュースでウチの名前まで出た以上、正直芳しい状況ではないのは確かだ
…」

天馬は、タバコを手にとりすぐに火を燈す。
山盛りになっている吸い殻だらけの灰皿が、今の彼の心境を切実に語っているようにすら思えた。


「社長、もしかして客足にまで?」
翼がそう聞くと、天馬は煙を吐きながら答える。

「この間の光星が店で起こした暴動。そして今回の事件……俺のところにも、すごいほどの連絡がよこされた。掲示板サイトの書き込みも、炎上している状態になっちまってるらしいからな」
「そんな!お客さんの反応は
…!?」
「……」

天馬はそれ以上は語らなかった。


「翼」
代わりに答えるかのように、翔悟が口を開いた。

「翔悟さん」
「別に社長もお前に店に来るなと言ってるわけじゃないんだ。今のお前はとにもかくにも休むべきだ」
「でも」
「とにかく、影響があるかは今日の営業を見てからだ。お前は一日も早く包帯が取れるようになれ」

翔悟の言葉に、翼はしばらく考え込んだ末にコクリと頷いた。


「翼くん」
今度は由宇が翼に話し掛ける。

「店を心配している君の気持ちは十分にわかる。だが、今はこらえて怪我の回復に専念するんだ。お客さんや羽月くんのためにも」
「由宇さん」
「僕だって正直なところは不安でいっぱいさ。No.1ホストである君が不在の上に、光星さんがあんな風に刺し殺されてしまったんだからな
…」
「……わかりました」


「翼っ」
天馬が再び重い口を開いた。

「社長?」
「すまないな、怪我で療養しなければいけないお前にわざわざ心配させてしまって」
「いえ」
「とにかく、店の営業がどうかは後日お前のところにもちゃんと連絡する。それと
…」
「はい」
「わかってると思うが、羽月や愛菜には今は店のことは絶対に言うな。精神的に不安定な今は、二人には何も知らずゆっくりしてもらった方がいい」
「わかりました。じゃあ、俺は失礼します」


翼は、大勢のホスト達が見送る中【Club Pegasus】を後にした。


「……」

翼の帰り道を辿る足は遅かった。
怪我をしてるからでも、疲れがまだ残っているからでもない。

ただ、例のニュースや店のことが気掛かりで仕方なかった。
そんな彼が、一人でいるのを拒み美空のもとへ訪れるのは、そう不思議なことではなかった。



『オカエリナサイッ』

"楓"の扉を開けて、まだ客足のない店内から翼を迎えたのは、かわいらしい笑顔の美空が描く手話だった。

いらっしゃいませではなく、"お帰りなさい"
その言葉の変化が、今の彼には妙に心地よいものだった。

今まで孤独感に浸るのが普通に等しかった翼には、まるで温かいもう一つの家族ができたような感覚を与えていた。

そんな人間として何気ない日常のような空間が、ホスト『翼』のプレッシャーや苦悩から彼を解放するには十分だった。


そう、彼は美空という名の少女と一緒にいるだけで、元の『浅川一也』という名前の素直な青年の素顔を、少しずつだが確実に取り戻していたのだった。


人の心からの優しさと温もり…

それが、今の彼に唯一の安らぐ時間を与えていた。






それから数日の間-

気がつくと、翼は半ば同棲のように美空と寄り添っていた。

怪我を理由に店を休むように義務づけられていた彼には、過去に疲れていた心を解きほぐすような時間だった。


また、美空も自分の空気のような『声』と孤独な心を理解してくれる翼に、日がたつにつれ、さらに惹かれていった。


そんな二人が今まで見せたことのないような笑顔をさらけ出すのは、もはや時間の問題だった。


「よし…

翼は、左腕に巻かれていた包帯をくるくるっと解いていた。

「何とかいけるかな」
翼は左腕を肩を支点にゆっくり動かしていく。

「うん」
『ドウデスカ?』
「無理には動かせないけど…


翼は最後にそう言うと、ほほ笑みながら美空にウインクをする。
美空もそれを見てか、心配そうにしながらもホッとため息をついた。


「今日から仕事に行ける!」
『大丈夫?ホントニ』
「あぁ」
『……』
それ以降、美空は手話をすることもなく押し黙る。


「どうしたんだい?」
翼がそう問い掛けると、美空は何でもないと言うように首を横に振った。


「とにかく店に行ってくるな。社長に呼ばれたんだ」
翼は自分を見送る美空にそう告げ、小走りで【Pegasus】のある方へと向かっていった。




翼が今日【Pegasus】に来るよう頼まれたのは、この一日前の夜にかかってきた佐伯からの電話だった。



例の光星の殺傷事件に加え、翼と羽月の欠勤を原因としてか、【Club Pegasus】への客足が半分以下に途絶えてしまっているとのことだった。


今や常時稼動している翔悟や由宇の指名客すら店へのコンタクトを拒み始め、今までにない閑古鳥がなく状態に、今まさに店全体が危機を感じずにはいられなかった。


「わかりました、必ず行きます」
これまでにはなかった【Pegasus】のピンチに、翼はいてもたってもいられなかった。


そんな翼が、多少の痛みをかかえつつ【Pegasus】に近づいたときには、店のあるビルの前にひしめくカメラやマイクを持つマスコミの団体の姿があった。

そんな彼らが、店に近づいていた翼の存在に気付くのには、そう時間はいらないことだった。


「あっ、あなた…
【Club Pegasus】のNo.1の方ですよね!?」
一人の男性記者が大きい声でそう言うと、十数人ほどのマスコミ団体が一斉にマイクやカメラを翼へとめがけた。
それと同時に、凄まじいまでのフラッシュが翼の姿を照らす。


「どうなんですかNo.1として、この事件をどう思ってるんですか!?」
記者たちが詰め寄りながらも、翼は一切それらに応じることなくエレベーターの方へと向かっていった。


「……」

4Fにあるエレベーターが1Fへと戻ってくるまでのフラッシュをたかれるこの僅かな時間すら、今の翼にはとても永く感じられていた。

チーンという音とともにドアが開いたエレベーターにすぐに乗り込み、そそくさとそれを閉じるまで質問とフラッシュの嵐は止まることはなかった。



『ここまでマスコミが騒いでるなんて』

翼は、上のフロアに向かい上昇するエレベーターの中で、並々ならぬ【Pegasus】の現状に気付かざるを得なかった。

そしてそれは、店に到着した瞬間さらなる確信へと変わっていくこととなる。

「おはようございます-」

翼が【Pegasus】のエントランスを通りホールに入っていくと、そこからは言い合いの怒声が響いてきた。
しかし、その怒声は翼のあいさつをきっかけに一旦止まっていく。


「翼
…」
「翼さん…
!」

店中のホストたちが、一斉に包帯の無い翼の姿に目を注ぐ。


「翼、お前怪我は?」
翔悟が問い掛けると、翼は「大丈夫です」と言わんばかりに大きくうなずく。

しかし、翼がもっと気にしていたのは、ホストたちのいる真ん中で怒鳴る天馬と言い争っていた一人の人物だった。
その人物は、翼の方を振り向くやニヤリと不敵な笑みを浮かべる。


「よう、翼クン!」
「聖さん、でしたよね」
「何だ、俺のことをちゃんと覚えてくれてたなんて嬉しいねぇ」

淡いグレーのスーツに身を包んでいる聖は、楽しげに翼へと話し掛ける。
そんな彼に、翼は逆に問い掛けていった。


「聖さん、何故あなたがここに?それに-」
翼は、聖のすぐ横にいる天馬に視線を移した。

「社長に何を言ったんです?」
翼の問いに、聖は軽くフゥとため息をつきながら答えた。


「何をって人聞き悪いなー。単刀直入に言うとね、前にも天馬に話した通りさ。俺の予測通り、この店は"St.Alice"絡みの騒動で客足がパッタリ減ってしまったから、俺が何とかしてやろうって言ってたんだよ」
「何とか?」
翼は苛立ちを覚え始めた。

「そう、君がいなかったこの数日の間は、常に毎日満卓であるこの店が茶を引いてる状態になってしまってるわけさ。それを俺がどうにかしてやろうと、"とある条件"を言ったら、天馬に思いきり怒られてね」

聖のどこか見下すような口調に周りが抱く苛立ちを感じながらも、翼は冷静に彼の言葉を聞き続けた。


「ある条件とは何です?」
「ヘッヘー、それはね-」
天馬や翔悟たちの眉間に寄せたシワが、さらにその苛立ちを深く形作る。


29-2

 
「【Pegasus】の経営を俺に任せてくれないか……ってね、そう言ったんだ」
「なっ、何ですって!?」

聖のシンプルなまでの要点を絞った発言で、翼はそのまま言葉を失った。
そんな彼の表情を見てか、聖はニヤリとしながら続けた。


「あぁ、一つ言っておくけど今すぐってわけじゃないよ?あと1ヶ月、様子を見るつもりさ。ある条件付きでね」
「条件?」
「あぁ」

すると、聖はおもむろにタバコに火をつける。
そして煙をふくと同時に、その先の言葉を発した。


「俺が、ここのNo.1になったら……つまり、君に売上で勝ったらってことさ」
「売上で?」
「あぁ。待ってる俺の客にいっちょ声をかければ、暇になってるこの店もちょっとは潤うだろうしな。実際売上はこの店にもプラスになるんだ。いや……プラスどころか、俺の売上を超える奴が他にいるかどうか」

聖はそう言いながら、周囲のホスト達を見回す。
翔悟をはじめ、ホスト達は苦渋の色をその顔に浮かべながらも、押し黙っていた。

「ま、他のホストは置いといて……翼クン。俺と勝負してみる気はないか?他の奴らはともかく、天馬に続きあの愛菜さんを射止めたホストだ。それなりの勝負をできると思うんだが?」
「……」
「別に俺はここにいなくてもいいんだぜ?俺を欲しがってるホストクラブは、他に腐るほどあるからな。……まぁ、そうなったら、ここは経営的にやばいだろうがな…」
「……」
「そして、翼クン……君に俺と勝負する度胸と力があればの話だが?」
「……」

一方的に言い放つ聖に対し、翼は冷静さを保ちながら黙っていた。
そして、横にいる天馬に視線を向け、口を開く。


「社長」
「何だ、翼?」
「社長はどうゆう風にお考えなんですか?聖さんの意見を」
「……経営を譲る気はさらさらないが、経営者としては聖の案を飲まざるを得ない。今の【Pegasus】を救うには、それしかないだろうからな」

天馬も冷静にそう言った。
聖は口をニヤリとさせるも、翼はさらに続けた。


「社長、ならば店を存続させるためにも、聖さんのことを受け入れましょう。俺が彼と戦います」
「なっ!?」
翼の言葉に翔悟が割って入る。

「翼っ!お前自分が何を言っているか、わかってるのか!?この人はなぁ、【Unicornis】の不動のNo.1を張る歌舞伎町でもトップの実力者だぞ!?社長と張り合うまでのような人なんだぞ!?」
「翔悟さん、そんなのやってみなけりゃ-」
「確かにお前はNo.1だ……愛菜さんや他の客の指名もとって、俺なんかをとっくに追い越しちまうくらいにな。でも、今回ばかりはいくらお前でも相手が悪すぎる!」
「翔悟さん……俺は-」
「これはお前一人のことで済む問題じゃあ-」
翔悟が翼にそう言いかけた時だった。


「翔悟ぉっ!!」
翔悟はビクリと肩をひそめた。
彼を思いきり一喝したのは、天馬だった。

「社長ぉ?!」
「今のNo.1は翼だ。決めさせてやれ」
「で、でも!」


そこに聖がさらに割って入る。
「翔悟よぉ……俺もNo.2に下がったお前のつまらない意見なんか聞く気がないんだよな?俺が自分のこの耳を傾けてやる資格があるのは、その翼クンと天馬の言葉だけだ。お前がでしゃばる場所じゃねぇんだよ、な?」
「ぐっ……」
「だからお前は【Unicornis】でNo.1になれず、楽なここに逃げたんだろうがな」
聖に鋭く言い捨てられ、翔悟はそれ以上口を開くことはできなかった。


「で、天馬よぉ。俺をここのホストとして雇うんだよなぁ?そして、俺が彼に勝ったらこの店譲ってくれんだよなぁ??」
「いいも何も、俺は店の衰退より翼に賭けるさ。あとはコイツの気持ち次第だが。翼、お前はあらためてどうなんだ?」


天馬からの問い掛けに、翼は首を縦に振りながら答える。
「やります俺、聖さんと勝負して……勝ってみせます」

翼のその言葉を聞いて、天馬はフッと笑みをこぼした。

「No.1のお前がハッキリそう断言したんだ、俺はその言葉信じるぞ」
翼と天馬はその視線を合わせた。



『違う……今までの翼と、瞳の色や輝きがどこか違う!』



天馬は、翼のそんな変化に薄々感づき始めていた。

「ハハッ!じゃあ決まりだな天馬、翼クン。これでようやく俺の客にも顔向けができるってもんだぜ。じゃあ、来月……7月いっぱいの売上の総額で勝負を決める。それでいいな?」
「あぁ」
「はい」

翼と天馬が了承したのを確認すると、聖は不敵な笑いをこぼしながら翼に手を差し延べる。

「あらためて、よろしく翼クン。勝負にならんかもしれないが……まぁ正々堂々と戦ってくれ。また明日な」
最後に「フン」と鼻を鳴らし、聖は【Pegasus】を後にしていった。





「社長、いいんですか?」
「何だ佐伯」
「いくら翼が今No.1だと言っても、相手があの天才ホストと言われた天城聖じゃあまりにもハードルが高いと思うんですが……」
「確かにな。だが、さっきの翼の目を見たか?」
「翼の目?」
「あぁ。今までにないような、輝きみたいなものが宿っていやがった」
「社長」
「はっ……何からしくない発言してるのはわかってるんだが……何でかな、今はあいつのことを信じてみたくなったのかもな」

天馬はどこか嬉しそうにタバコを口にくわえていた。

ミーティングが終わり、ホスト達は営業までの少ない時間をそれぞれに過ごしていた。

「翼」
「翼くん」
翔悟と由宇が翼に声をかける。

「翔悟さん、由宇さん」
「お前、マジで聖さんに挑むつもりか?」
「えぇ」
「あの人がどんだけすごいホストか、お前わかってて勝負受けたのか?あの人は、俺なんかとは比べもんにならんくらいすごい実力者だ。愛菜さんが入院してる今、勝算はあるのか?」
「正直、勝てるかどうかなんてわかりません。ただ-」
「ただ?」
「ホストとして俺を育ててくれたこの店を、潰すようなことはしたくないんです。それに……」



『ここは、俺と羽月を出会わせてくれた場所だから-』

翔悟と話す中で、翼はいつも元気でここで接客していた羽月とのことを思い返していた。


「そっか」
由宇がそう言いながら、翼の右肩にポンと手を置く。

「No.1の君がそう言うなら、僕は何も言わない。力になれるかわからないが、陰ながら応援するよ」
「由宇さん」
「で、いいでしょ、翔悟さん?光星さんのこともあって辛いけどさ、今は翼くんを支えていこうよ」
由宇がそう言うと、翔悟は口を尖らしながら顔を背ける。

「……だけだぞ」
「えっ?」
「今回だけだぞ。納得はしてないけど社長の判断でもあるし、店が潰れるのも聖さんの下にまたつくのも嫌なだけだからな」
視線は合わせなかったものの、翔悟の遠回しな言葉は、その場にいる翼と由宇にはしっかりと伝わっていた。

「まったく、素直じゃないなぁ」
由宇がため息をつきながらそう呟くも、翼の内心はどこか軽くなっていく感覚を覚えていた。



『【Club Pegasus】は、絶対に俺が守らなきゃ』



新たな決意をそれぞれ胸に、翼vs聖の
店の命運をかけたNo.1ホスト同士の熾烈な勝負の幕が、今明けようとしていた。





                                                   第30章へ


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