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26-2

 
「あぁ、確かにその二人は俺と直接の私怨があるわけじゃない」
「じゃあ何でだ!?」
光星は右手に握ったナイフの切っ先を、二人へとゆっくりと向けた。


「俺の親や兄弟が……星羽会の人間に皆殺しにされたからだ!」

思わず飛び出た光星の一言に、翼・愛菜・羽月の3人は驚きを隠せなかった。


「何だって!?」
「よく聞けよ糞ども。俺はな、ガキのときに星羽会の奴らに家族を殺され、一人死ぬような思いで生きてきたんだ。消滅しても今も能々と生き残ってるっていう僅かな星羽会の奴らに復讐してやるためにな!!」
「復讐だと……!?」

その際、光星は徐々に翼との距離を縮めていた。


「そうだ……今も歌舞伎町に生きてるかもしれない生き残りをいたぶってやるためだ……こんな風にな!」


その一瞬で、光星は素早く翼につかみ掛かった。
「うわっ!」
猛獣の如く突進してくる光星に、翼は床に組み敷かれた。
そして、すぐにナイフを握った右の拳で翼の顔を殴打した。

何度も、何度も、光星は翼の顔から腹部までを激しく殴り続けた。

「ぐぁっ!」
「翼ァっ!」
愛菜の悲鳴にも似た声が上がる。

「どうだ翼ァァァ!いてぇか?いてぇだろぉよぉぉ!」
「ふざけるな!」
すると、翼は光星の右腕を掴み、左横へと投げ飛ばした。

「いでぇ!」
光星が床に転がると、翼はすぐに立ち上がり彼の胸倉をつかみ掛かった。

「ただ星羽会……それだけでこんな虐待みたいな行為を繰り返したってのか!?」
「あぁ、そうだ!そして国は、親戚は、いや人間は誰も俺を助けようとはしなかった!!だから、俺一人がやらなきゃいけない。生き残りが歌舞伎町にいる以上、歌舞伎町でホストをしてりゃいつか生き残りとも遭うかもしれねぇ……俺にとってホストってのは、そいつらゴミを見つけるための手段だったんだ!!」
「だから誰にも心を許さず、他人に高圧的に出てたのかよ」
「ああそうだ!!俺以外のもんは敵と思わなきゃな、俺は生きていけなかったんだ!!」
光星は再び翼の左頬を殴った。
しかし、翼はびくともしなかったように、すぐに光星を睨みつける。

「でもだからって……店や、一緒にやってきた社長や翔悟さんたちまで裏切るのかっ!!」
今度は翼が光星の顔に握った拳をぶつけた。

「ぐぁぁっ!」
光星はナイフを落とし、両手で顔面を覆った。
顔を隠す指の隙間から、ポタポタと鼻血が流れ落ちる。

「どんな理由や生い立ちがあろうと……」
翼は、痛がる光星の胸倉をつかみ、激しく鋭い視線を彼にぶつける。
「あんたみたいな理不尽に人を傷つける奴は、俺は絶対に許さない!!」
怒りの限りの叫びを発しながら、翼は光星の顔を殴り続けた。


2発、3発、4発……10発……
翼はまるで理性をなくしたかのように、鼻血が溢れ出す彼の顔面を捉える拳は止まることをしなかった。

翼の拳と光星の歪んだ顔が激突する「ゴッ」という鈍い音が、同じ部屋にいる愛菜たちにもいやがおうでも聞こえていた。

「翼、もうやめてぇ!」
「翼くん、もうえぇ!光星さん死んでまう!」

二人の振り絞ったような叫びが届いたのか、翼は殴り続けるその血まみれの手をピタリと止めた。


「ハァ……ハァ……」
激しく息を切らす翼は、半ばのびている光星を床へと放り投げるようにたたき付けた。
そして、ゆっくりと愛菜たちのいるベッドへと足を向ける。


「今、解いてやるからな」
翼は落ちていたタオルで拳に付着した血を拭き取ると、まずは愛菜の身体を腕を縛り付けているロープをゆっくりと解いた。


固く縛られたロープが外れた途端、愛菜はガクリとしながら翼にもたれかけた。

「愛菜、大丈夫かい?」
「翼ぁ……!」
愛菜は抱き着いた翼の胸で子供のように泣きじゃくった。

「怖かった……すごい怖かった……」
「もう大丈夫だ……早く帰ろう、他のみんなも心配してる」
翼は愛菜をなだめると、その視線をとなりにいる羽月に移した。

「羽月、君も解かなきゃな」
そう言って、翼は羽月の腕を拘束するロープを解き始めた。

「翼くん……俺……」
「話は後だ、今はここを出るぞ」
「そやけど……」
「話は後でゆっくりできるだろ?だから-」


不思議と翼の言葉はそこで途切れた。
すると彼の身体は、ゆっくりと横へと倒れていった。

「翼くん?」
羽月が声をかけた翼は、頭からうっすらと血を流していた。

「キャアァァ!!」
愛菜の悲鳴の矛先は、その彼の背後へと向けられていた。


「この野郎ぉぉぉ!」
そこには、ガラス製の分厚い灰皿を手に持った顔面血まみれの光星が、鬼に等しい形相で立ちはだかっていた。

「光星さん……」
羽月は声をつまらせながらつぶやいた。

「お前ら……全員皆殺しにしてやるぅぅあ!!」


しかし、光星が灰皿を振りかざしたとき、倒れたはずの翼が起き上がり彼につかみ掛かった。

「やめろっ!もういい加減にするんだっ!!」
翼は額から血を流しながらも、必死で光星に抗った。
しかし、痛みとダメージのせいでか、先程の力の半分も出せず、光星を突き飛ばすにも至ることはできなかった。
それでも翼は必死で光星に食らいついた。


「どけぇ翼ァァァ!!」
「どくのは、あんたの方だ!」
翼は、最後の力を振り絞るように、光星に体ごと突進していった。


「ぐぉあぁあぉ!!」
光星は鈍い狂声とともに、床へと転がっていった。

「はぁ……はぁ……!」
怪我をしながら無理に突っ込んだ翼も、体力の激しい消耗により著しく息を切らす。

しかしその時だった。
転がったところにたまたま落ちていたナイフを拾った光星は、そのまま翼へと向かって突撃してきた。


「なっ!?」
ギラリと光るナイフの切っ先は、容赦なく翼を目掛けてくる。


「死ねや翼ァァァ!!」
光星の凶刃が、「グチャ」という音とともに一瞬で翼を捉える。








「うわぁあぁ!!」













「ちィィィっ…!」
光星の右手に持ったナイフの先は、翼の左肩を一直線に突き刺していた。
翼の白いシャツが、真っ赤な鮮血でジワリジワリと織物のように染まっていく。

「翼ぁっ!!」
「翼くんっっ!!」
愛菜と羽月が悲鳴にも似た声で彼の名を呼んだ。



「もう少しで殺せるとこだったのによぉぉ……」
「光星……あんた……」
「何だ、ついに呼び捨てか!?」
光星は、突き刺さったままの横向きの刃を、無理矢理縦向きになるように捩り始めた。

「ぐわぁぁあぁあ!!!」
翼の痛々しいまでの悲痛な声が部屋を支配する。


「痛てぇか!痛ぇよなぁハハハハハー!!!」
光星は、翼の腹部に蹴りを入れながらも突き刺さった刃をさらにグリグリと掻き回していく。


「あ……ぐっぁぁ……」
刃の突き刺さる傷口からは、夥しい赤い絵の具が流れ出していく。


「翼よぉぉぉ……お前さえ現れなきゃよ……俺は唯一成り上がれたホストとしてもこんなに惨めな思いをすることはなかったんだ!!」
「ハァ……ハァ……何だって……」
「星羽会のせいで散々ガキの頃から惨めに生きてきて、唯一ホストが俺の温床だったのによ……それをてめぇがぶち壊したんだァァァ!!」
「へっ……」
「何がおかしいィィィ!?」
「その辛さに耐え切れなくなって……"St.Alice"に手を染めたってのかよあんた……」
「気付いてたのかよ……あぁそうだ。俺は"St.Alice"ってやつを使った!!おかげでそこらのシャブなんかよりいい気分だぜェェェ」

「ハァ……ハァ……あんた……アリスの子から……!?」
「そうさ……星羽会の奴の言うことなんざ聞く気になれなかったが、そいつに言われたんだ……。『言うことを聞いてくれれば、最高の快楽と百億の金はあなたのものだ』ってなァァァ」
「何だ……と……?」

翼は、痛みを忘れたかのように言葉を失った。

「なに……それ……」
愛菜もガクリと肩を落とす。


しかし、光星の暴走は止まってはくれるはずもなかった。
翼の肩から「グシャリ」とナイフを抜いた光星は、彼を蹴飛ばし床に仰向けにさせた。

「ぐァァァっ!!」
痛がる翼に、ゆっくり…ゆっくりと血まみれの凶刃を手にした悪魔の影が忍び寄る。



『くっ……くそっ!』



体力を消耗し激しい左肩の痛みに堪える翼には、もはや逃げる余力は残っていなかった。


「イヤ……やめて光星!」
愛菜の叫びも、もはや虚しく空を切るだけだった。。


「まずはお前が死ねや……翼ァァァァァァ!!!」










光星のナイフがついに翼の心臓にめがけて振り下ろされた。










その時だった。








『えっ……?』










不思議と翼にそれ以上の痛みはなかった。
何故ならその瞬間、何者かが彼をかばうように四つん這いになり覆っていたからだった。



「翼くん、大丈夫かいな?」
ひょろりと長い身長に金髪、そして訛り……
一瞬でダラリと翼の身体にもたれかけてきたその人物は、羽月だった。

「羽月……?」
ズルリともたれてきた彼の背中には、光星が振るいに振るっていた刃の切っ先が、刀身の見えないほど深々と突き刺さっていた。

「羽月……!」
翼はそう言いながら、彼を腕で抱えた。

愛菜は口を抑えながら言葉を失い固まっている。

光星は、突然の出来事で茫然としたのかナイフを手放し、床でペタリとすくんでいる。

「ハァ……ぁ……」
羽月は苦しそうに声を切らした。
「羽月、しっかりしろ!」
翼は抱えている羽月に語りかけた。



「ハァ……ハァ……翼くん」
「何だ?」
「ゴメンなホンマ……」
「えっ?」
「俺……翼くん裏切ってもうた……。光星さんが、悪いことしてんに……正体ばらす言われんの怖くて怖くて……愛菜さんがひどいめあっても……何もできんかったんや……」
「羽月……」
「最低やろ俺……そればかりか……」
「しゃべるな!」
「愛菜さんにまで……。俺、ホストとしても人としても最低や……」

羽月は涙を流しながら、悲痛な思いを翼にぶつけた。
それを翼はうなずきながら受け止める。

「翼くん……」
「何だ?」
「俺……翼くんに許してもらえるなんて思えへんけど……」
「……」
「こんな俺でも……大好きな友達守ること……できたんやから……お姉ちゃん……『強くなったね』って……いつか褒めてくれるやろか……」
「あぁ、もちろんだ……!」



『お前の姉さんは、すぐそこに……!!』



今にも喉の奥から飛び出そうなその言葉を、翼は必死で自らの胸に押さえ込んだ。


すると、涙顔の羽月はニッコリといつもの明るい笑顔を見せた。



「翼くん……」
「何だ、羽月?」








「おおきに、大好きやでぇ……」











その時、「ゲホッ」と多量の血液を口から吐きながら、羽月は翼の腕の中にゆっくりと自らの頭を沈めていった。


「羽月?おい、羽月!?」



翼は必死で彼の名前を呼んだ。



しかし、



彼は動くことなく、目を閉じたまま、そのつぶらな瞳を見せようとはしなかった。



「おい、羽月!目を覚ませ!」









「羽月ィィィィィィーー!!!」













翼の狂おしいまでの叫びが、虚しく……そして儚く、深夜の静寂な部屋の中を支配した。










羽月の背中では、



突き刺さる刃の根元から溢れ出る多量の鮮血が、



ぼんやりと浮かぶ"マザー・エレメント"を覆い隠すように



優しく……優しく、流れていった。





                                                  第27章へ

27-1


「羽月!しっかりしろ、羽月!!」

自らの腕の中で瞳を閉じた羽月を、翼は何度となく揺さぶった。
しかし、その声もむなしく、彼が起き上がり元気な顔を見せるはずもなかった。

それは、羽月の背中に深々と突き刺さった凶刃と、その根元から溢れ出る血液の量が何より証明していた。


「羽月……何で、何で俺をかばって……」
動かない羽月にささやきかける翼を、ベッドの上の愛菜は口を手で覆い隠しながら涙を流していた。

「羽月くん……あなた……」
愛菜の虫の息のような言葉は、血の臭いをちらつかせるその重苦しすぎる空間には届いてるはずもなく-

一方の光星は、思わず羽月を刺してしまった衝撃からか、ペタリと床にへたりこんだまま動かなかった。


「あ……お、おぉ……おれは……」

震えた声でつぶやきながら、光星はその血にまみれた手の指先を翼と羽月に向けた。
そして、ガク然としながらガタガタと震えを増し始めていく。


その時だった。

部屋の入り口のドアが、「ドン」強い音を鳴らし、「バタバタ」と複数の人間が駆ける足音が翼たちのいる床を伝った。


「翼っ!」
部屋のドアが開ききると同時に、翼たちの視界にはスーツ姿をした三人の人影が浮かび上がる。

息を切れ切れに駆け付けたのは、天馬・翔悟・由宇の三人だった。



「なっ……」

その薄暗い部屋の中でさえ、その悪魔の宴とも言わんばかりの光景と、むせ返る血の臭いは、天馬たちから一瞬でその先の言葉を奪っていた。

明らかに現実とは理解しがたいその惨事場に、まず何を言って良いのか-

何をすれば良いのか-

さすがの天馬ですら、それには多少の時間を要するに至った。


しかし、それも光星が次の行動に出るまでの話だった。


「……しゃちょ……う」

おぼつかない子供のような口調で、光星はつぶやいた。

「光星……おまえ……何で……」
怒りなのか、それとも悲しみなのか……
両方が入り交じったような天馬の声が、部屋にひっそりと響いた。


「光星……お前どうしたって言うんだ……。何でこんなことに……」
天馬がそう語りかけると、光星はその鼻血にまみれた顔を横に背けた。

「光星……」
「光星さん……」
天馬の後ろにいる翔悟と由宇も、力無い声でささやきかけた。
しかし、彼は顔を背けたまま何も発しようとはしなかった。

「うっ」

「?」

「うっ」

「光星??」

「うわぁぁあ!」



一瞬の出来事だった。

気付いたときには、光星はドアもとで茫然と立ちすくむ天馬たちを掻き分けるように跳ね退けていた。


「うわっ!」
「光星ぇっ!」


「うぉあぁぁあぁ!!」
床に夥しい血痕を残しながら、光星は部屋から飛び出す獣ように走りだしていった。


「光星……あいつ!」
翔悟が追いかけようとしたその時だった。

「待つんだ翔悟っ!」
後を追うように部屋を飛び出そうとした翔悟を天馬が止めた。


「社長……でもあいつ-」
「気持ちはわかるが……今は部屋を見ろ」

天馬と由宇、そして翔悟はあらためて惨劇の舞台と化した部屋の中を見渡した。


「今は……あの三人を助けなきゃだろ……!お前と由宇は翼たちを頼む」

天馬は自らのジャケットを脱ぎながら、愛菜のもとへと歩み寄った。


「愛菜、大丈夫か?」
天馬はそう言いながら愛菜の肩にジャケットをかける。
「うっ……えっ……、天馬……わたし…」
「今は何も言わなくていい。とにかく、みんな病院へ行くんだ。特に-」

天馬はそう言いながら後ろを振り返った。


「おい、羽月!大丈夫か!?」
「こりゃひどい……早く病院に連れてかなきゃ!」

翔悟と由宇は、背中にナイフが突き刺さった羽月の姿を見ては、驚きたいのを必死で抑えていた。



「羽月……羽月……!」
気を失うような左肩の激痛と精神的ショックに身体をよろめかせながら、翼はピクリとも動こうとしない羽月の名前をただ呼び続けていた。



2時間後-

天馬たちの冷静な機転により、翼・愛菜・羽月の三人は救急車によって西総合病院へと搬送された。

特に、背中をひと突きにされた羽月の重傷は相当なもので、即救急隊員による応急処置が施された後、彼は病院到着と同時に集中治療室へと運ばれていった。



「羽月……」

幸い奇跡的に傷が浅く、早くに治療処置を終えることができた翼は、ひとり包帯で左腕を吊っている姿で集中治療室の外で俯きながら座り込んでいた。


「翼」
そんな彼に、天馬は普段より優しい口調で歩み寄る。

「社長……俺は……」
「……お前は何も悪くないだろう」
天馬は、落ち込む翼の肩をポンと叩きながら、彼の隣に腰をおろした。

「翼、お前こそ大丈夫か?傷もそうだが、仕事で少しは酒を飲んでもいたんだぞ?」
「俺は……大丈夫です」
「そうか」
「愛菜は?」
「精神的なショックが強すぎたみたいでな。今は薬飲んで眠ってるそうだ……」
「そうですか……。光星さんは?」
「……さぁな。あいつのことで先に帰した翔悟と由宇からは何も連絡ないからな……」
「そうっすか……」


それっきり、翼と天馬は深夜の病院の重苦しい雰囲気に流されるように、しばらく一言も発さなかった。

しかし、それも羽月がいる集中治療室のドアが開くまでのことだった。

それを気付くと、翼と天馬は同時と言っていいほどのタイミングで立ち上がった。



「羽月……羽月……!」

翼は、医師たちとともに中からタンカーで運ばれてきた羽月に慌てて駆け寄った。

「先生、羽月……彼はどうなんですか!?」
翼が医師に尋ねると、青い手術着姿の医師は軽いため息をつきながら答えた。


「幸い奇跡的に心臓には負傷はありませんでしたが……出血とその他の外傷も酷く、それらのショックなどの影響で心拍数が安定していません。今夜が、峠だと思って下さい」

医師が翼と天馬にそう告げると同時に、羽月はすぐに病室へと運ばれていった。


「そんな……」

翼はガクリと床に崩れ落ちた。
同じナイフで突き刺された自分の左肩の痛みが遠い昔の思い出になるくらい、彼の心を凄まじいまでのショックが襲っていた。


翼と天馬は、そのまま眠ることなく、会話をすることもなく、ただひたすら重く長い時間の流れに身を任せていた。






………………











………………










………………










ただ黙って俯く翼と天馬の瞳にも、病室のブラインドのすき間からの朝日が差し込んでいた。


「翼、起きてるか?」
「はい」
「お前も軽くとはいえ刺されてるんだ、少し休め」
「社長こそ……ずっと寝てないんじゃないですか?」


機械と点滴にに繋がれたベッドの上の羽月をじっと見つめながら、二人はそんな会話を繰り返した。

羽月がすぐにでも起き出して、いつもの元気な姿を見せるんじゃないか-
心の中でわずかにあふれるそんな期待が、二人の目をずっと彼から放さなかった。

そして、ずっと長い時間口を閉ざしていた翼がついにその重い口を開いた。



「俺が悪いんだ……」
翼はまず、その一言をつぶやいた。

「どうしたんだ、翼?」
同じく口を閉ざしていた天馬がすぐに言葉を返す。


「俺が愛菜や羽月の異変にすぐに気付いて対応してれば……あの時美空ちゃんのところから愛菜を一人にしなきゃ、こんなことには……」
「翼よ、そんなに自分を責めるな。お前は何も悪いことをしてないじゃないか」
「でも……」
「しっかりしろ、翼!」

天馬は突然立ち上がり、激しい瞳で翼を見つめた。


「社長……」
「お前は羽月や他のホストたちがめざすウチのNo.1で、カリスマキャバ嬢愛菜の担当なんだぞ!もっとしゃんとしてろ!じゃなきゃ……二人が目を覚ました時に、どの面下げるつもりだ!?」
「社長……」
「お前も、俺達も、どんなに辛くても……あいつら二人が戻ってきたときには笑顔で元気に迎えてやるんだ。それがホストってもんだろうが!」
「……はい」
「俺達は、今はどんと構えている……それしかできないんだ」


突き刺さるような天馬の言葉に刺激され、翼は再び羽月のことを見つめた。


『羽月……必ず、必ず戻ってこい……』










それからさらに時間は流れ、時刻は16時を回ろうとしていた。


その間、翼と天馬は一睡もせず食事もとらず、ただずっと寝たままの羽月を看取っていた。

いつか心拍計のカウントが『0』になるんではないかという恐れを抱いたまま、二人は日の傾き始めた昼下がりを過ごしていた。


「羽月……」

翼と天馬は、事あるごとに彼のその名を口にしていた。











しかし、その時だった。











「うっ……」










「っ!?」

翼と天馬はほぼ同時に立ち上がった。

二人が見つめるその先には、わずかに声を漏らす羽月の姿がしっかりとあった。


「うぅ……」

「羽月?羽月……!?」
うめき声のようなものが羽月の口から漏れるたびに、翼は彼の名を呼び続けた。
すると、次第に彼のまぶたは、ゆっくり……ゆっくりと眩しさに堪えながら開き始めた。


「羽月……お前……」
天馬もため息を零しながら声をかける。
それに応じて、羽月はその視線をゆっくりと翼たちへと向けていた。


「翼くん……社長……」
「羽月…大丈夫か?」

翼が羽月の右手を軽くにぎりしめた。

「俺……確か光星さんに……」
「ここは病院だ。お前はもう助かったんだぞ」
「助かったん……俺?」
「そうだ」


すると、羽月は天井を見上げ、すぐにもその瞳を潤ませ始めていた。


「羽月、どうした?」
翼がそう問い掛けると、羽月は涙をひとつ流しながら口を開いた。

「ゴメンな……翼くん……俺のせいや……」
「えっ?どうしたんだよ、急に」
「俺が弱っちいせいや……俺が弱いから、翼くんも愛菜さんも……社長やみんなにも迷惑ばっかかけてもうた……」
「羽月」
「俺、怖かったんや……めっちゃ怖かったんや。俺が……その……星羽会の……生き残りやから、昔みたいな目にあうのが、めっちゃ怖かったんや……」
「昔みたいに?」

羽月は鼻水をすすりながら続けた。


「俺、家族がいなくなったあの事件の後も、施設でも『凶悪信者の生き残り』ってことで虐められながら過ごしてきたんや……。何でや何でやって、辛くて何度死のうと思ったかわからんかった……」
「羽月……」

翼と天馬は、そのまま羽月の言葉に対して耳を澄ました。


「中学のときな……学校でも施設でも虐めがすごいエスカレートしてな……。俺、何もか嫌になって施設も飛び出していったんや……」










遡ること6年前-



星羽会の信徒の生き残りである星宮直人は、当時"仕方なく"引き取られていた京都のある児童養護施設の中でも迫害されながら生活していた。

そして、中学校のクラスにても、差別的な虐めを繰り返し強いられていた。

それは日に日に内容もエスカレートしていき、ついに彼の運命を決定づける事件が起こった。



「もう、やめて……やめてぇや……」
「やかましいわ、この凶悪信者がっ!」
直人を放課後の薄暗い理科室で取り囲む十人のうちの一人が、彼の腹部を蹴りながら言い捨てた。

「痛いわ……もうかんにんしてや……。お願いや……」

「なぁなぁ、コイツ"危険物"のくせにまだ何か言っとるでぇ?」
「気に入らんなぁ」
「いい加減、俺らで"退治"した方がえぇんちゃうん?」
「そやなぁ~」

直人を取り囲む生徒たちは、ニヤニヤしながら一斉に彼につかみ掛かった。

「な、何すんねん!」
直人の言葉も虚しく、生徒たちは彼の学生服をすべて剥ぎ取り始めた。
「やめて!お願いだからやめてやぁ!」
懇願する直人の悲鳴のような言葉も、彼らにはうすら笑いのネタにしかなっていなかった。

下着だけにされた直人は、身動きがとれないように腕や足をおさえられていた。

27-2

 
「何で……何でこんなことばっかすんねん……」
「うるさいわ、アホっ」
主格である生徒の一人が、言い捨てながら直人の左頬を殴打する。

「ぐっ……」
「こうでもせんと、また何かやらかすかわからんからなぁ。なぁみんな?」
「そうやそうや!何でお前みたいのが、平気で学校来れるんや!」

すると生徒たちは次々と直人の顔や腹部、手足に至るあらゆる箇所を蹴りだした。

「痛い……もうやめてぇや……」
「黙らんかい!このクズっ!」
生徒の一人が直人の腹部に強烈な蹴りを入れる。

「ぶぇぇっ……」
すると、直人の口から少量の嘔吐物が出される。

「何や、きったないわぁ!」
「臭いんじゃボケェ」
床で倒れる直人を見下ろしながら、生徒たちは彼の手足をもぎるように踏み付け続けた。
あまりの苦痛に堪える直人の目からは、次々と涙が零れだしていた。

「ん、何やコレ?」
主格の生徒が、直人の背中に何かを見つける。
「何やコイツ、背中に羽根みたいな形したアザがあるでぇ」
「うわっ、何やねんコレ。気持ち悪いわぁ」


直人の背中に浮き出ている、羽根の形をしたもの-
それこそが、星羽会幹部信徒の血を引く何よりの証である『マザー・エレメント』であった。
生徒たちは、全員それを気味の悪いものを見る目で凝視していた。

「なぁ、俺えぇこと思い付いたわ」
「何なん?」

そう言って、主格の生徒はポケットからあるものを取り出した。
「これ、コイツに試さへん?」
「何や、その茶色い瓶?」
「硫酸や。ホンマに人の肌が焼けるんか、コイツで理科の実験しようや」
「おっ、えぇなそれ。だから今日の『ゲーム』は理科室やったんやな」
「そやそや。コイツに人権なんかないんやし。そうや、この変なアザみたいのにかけてみるわ」

生徒たちは、ゲラゲラと笑い出すと、氷のように冷たく細い目を倒れる直人に一斉に注いだ。
それに恐ろしいまでの悪意を感じ取った直人は、目を大きく開きながら後ずさった。


「ひっ……」
「オイオイ、逃げるなよ星宮クン。せっかく君の存在価値価値の無い体を使って理科の勉強をしようとしてるんだからさぁ」
「や、やめてや……頼むからもうやめてやぁ……!」
命ごいをするかのように、下着姿の直人は涙と鼻水で顔を濡らしながら彼らに訴えた。
それと同時に、彼の身体を唯一覆う下着が、異臭とともにじんわりと水気を帯び始めていた。

「何やコイツ、ションベンもらしとんでぇ!きったないわぁ」
「最悪やな」
「こら、実験早めるしかないな」
「はよ硫酸かけてまえ」
直人を囲む彼らの口から飛び出る一言一言が、一人床で失禁する彼にとっては、まるで漫画やテレビゲームに出てくるような悪魔の儀式と等しく思えた。


「おい、動くなや!」
「はよ実験せなあなぁ♪」
主格の生徒は、硫酸の瓶の蓋を開け、それを持った右手をついに直人に向け始めた。

「ホンマ……ホンマにやめてぇ!!」
直人は、涙の限り叫びながら手足をバタバタと動かした。
「おいコラ、勝手に暴れ-」


その時だった。
暴れた直人の足が、硫酸を持った主格の生徒の足に強く当たり、彼はバランスを崩していった。

「わっ」

一瞬驚きながらよろめいたときには、すでに彼の手に硫酸の瓶がないことに気がついた。

「あれっ」
「あっ」

硫酸の瓶の在りか-
それは、左大腿を押さえながら必死で悶えている直人の姿が、それを目にした全員の目にハッキリと映っていた。










「うぎゃぁぁあぁーーー!!!」










断末魔のような叫びが、理科室の中を一瞬で駆け巡った。


「うっ……うぎっ……!」
硫酸の零れた左大腿を、直人は必死で素手でおさえながら呻いていた。

「やばっ!マジかかってもうたで!」
「みんな、逃げるでぇ!」
その場にゲーム感覚でいた生徒たちは、何も見なかったかのように直人ひとりを残して理科室から走り去っていった。

たったひとり激しい苦痛とともに残された直人は、異臭に囲まれながら、止まることのない涙とともにその場でもがき続けていた。



その翌朝-

理科室に巡回に来た教職員によって気絶した直人は発見され、直ぐさま病院へと運ばれた。

『理科室の薬品が何故使われたのか』
という議題で職員会議にかけられたが、星羽会の生き残りである直人のことが大々的に外に漏れることを恐れた学校は、この事実を隠蔽するかの如く校外への露呈を禁止した。


学校も施設側犯人を探すことはせず、


もちろん、犯人である生徒たちも自らの罪を告白することなく


事実は闇の中へと葬られた。


唯一理不尽な暴力を受け、心と左大腿に大きな傷痕を残した直人のことを察する人間は、誰一人としていなかった。



「うっ……お姉ちゃん……お姉ちゃん……」

直人は、冷たい病院のベッドで孤独に堪えながらやり場のない涙を流し続けていた。


しかし、見舞いにすら来ることのない学校や施設のその杜撰な対応に不信感を抱いた病院側は、直人の状態を含めて児童相談所へと連絡をした。


事情を聞き付けた児童相談所の人間は、傷ついた直人を助けるために、学校と施設を徹底的に糾弾した。


直人の素性は伏せられたものの、苛烈かつ残酷な虐めを隠蔽したとして、学校とはマスコミにも糾弾され、

犯人の生徒たちは、全員警察にて取り調べを受けることとなった。



「もう、施設に戻りたくない」という直人の意見を尊重し、彼の身柄は施設から児童相談所を介して、里子を募るある一人の老人のもとへと預けられることになった。


病院を退院し、学校には行かず一人老人の家で新しい生活を始めた直人だったが、心に刻まれた傷はとても深く、ふさぎ込んだ毎日を送っていた。


「直人、直人」
老人が、畳の上で寝そべる直人に声をかける。

「……何や?」
「学校、いかへんのか?」
「……もうあんなとこ行きとうないわ……」
「そうか。じゃあわしの仕事手伝わんかい」
「仕事?」
「そや、畑の芋掘りや。中学生が何もせんで、身体なまるで?」
老人は、半分無理矢理に渋る直人のことを庭の畑へと連れ出していった。





「なぁ、じいちゃん」
「何や?」
「何で、俺のこと引き取ったんや?」
「……何でそんなこと聞くんや?」
「だって……」
直人は、すぐに口をつぐんだ。
しかし、老人はすぐに笑顔で答えた。


「新しい家族が欲しかった……。それじゃあかんか?」
「新しい……家族?」
「そや。ほれ、見てみぃ」老人は、手に持った大きなじゃがいもを直人に見せた。

「お前が星羽会だかか何かはわしにとってはどうでもえぇ。ただ、わしと一緒に元気に暮らしていけたらそれでえぇやないか。さっ、いくぞ」
「あっ……」
老人はそう言うと、すぐにじゃがいもを積んだ籠を持って家へと戻っていった。




「ほうっ、今年のじゃがいもはいい出来やな」
老人は喜びながら、皿に盛ったホイルの中身をつついていた。

「食ってみぃ」
老人は、バターをつけた蒸したじゃがいもを直人に差し出した。

「……うまい……」
「うまいか?」
「めっちゃうまいわ……!」
「何や、そんなえぇ顔で笑えるんやないか直人」
「じいちゃん……」
「お前の生い立ちがどうとか、わしにはそんなん関係あらへん。いつか、別れたお姉さんにも、このジャガバター食べさしたれや。それまで、わしが責任持って守ったるからな」

老人は、優しい笑顔で直人にそう囁いた。


「……うん。おおきに、ありがとう……」

直人は、涙と鼻水をこぼしながら、熱々のじゃがいもを頬張っていった。



いつか必ず、生き別れたたった一人の姉・茜に再会できる日を夢見て-










話を聞き終えた翼と天馬は、ただずっと羽月を見つめていた。
すると、すぐに羽月は口を開いた。

「俺、ずっと誰かに認めてもらいたくて……でも、星羽会の経歴あるから普通に人と接するのが怖くてしゃあなかった……。だから-」
「ホストを始めた……そうだな?」
羽月の言葉を天馬がつないだ。

「そうや……。俺みたいなのでも、実力主義のホストの世界なら名前や経歴も隠して生きていける……。ましてや、姉ちゃんが歌舞伎町にいるって聞いたときは……もう行くしかないと思ったんや」
「そうだったのか……」
翼は、羽月の言葉に納得したかのようにうなずいた。

「でも……ついには【Pegasus】までが星羽会の騒動に巻き込まれてもうて……そしたら何故か光星さんに正体ばれて脅されて……もう、どうしようもなかったんや……」
羽月は涙を流しながら、その悲痛な胸の内を打ち明けた。


「社長……」
「何だ、羽月?」
「俺……もう店にはいれませんよね?」
「お前……」
「星羽会のことがあったら店にも迷惑かけてまうし……もう、ホストすることできへんよねぇ……」

羽月が泣きながらそうつぶやいた時、天馬は真っすぐに彼を見つめ、再び口を開いた。

「羽月、お前今本気でそう思ってんのか?本気でそうしたいのか?」
「えっ」
「自分を試したくて、姉さんに会いたくて、だからホストになりに歌舞伎町まで出てきたんじゃないのか?」
「社長……」
「俺が知ってるのは……信じているのは、星羽会とか何かでクヨクヨしている"直人"じゃない。いつも元気でお客さんたちを楽しませている【Pegasus】の大切なホスト・羽月なんだ!」
「社長……俺、店にいてもいいんですか?こんなやつがいても……俺……」

羽月が泣きじゃくりながらそう言うと、天馬は微かに笑いながら首を縦に振った。


「社長として俺からの命令だ。とっとと傷を治して、一日も早く店に戻ってこい!俺も、翼も、翔悟たちも、そしてお前を慕ってるお客さんたちも、みんなお前を待ってるからな」

天馬がそう言うと、羽月は泣き虫な子供のように顔を真っ赤にしながら涙を流していた。

「ありがとうございます……。おおきに……ありがとうございますぅ……うっ……えっ……」

「羽月」
翼が口を開いた。

「何や、翼くん……」
「いや、何て言うか……その……」
「えっ?」
「……めんな」
「えっ??」


「俺のために、こんなになってしまって……ごめんな……」
翼が頭を下げながらそう言うと、羽月はニッコリと満面の笑みをのぞかせる。

「気にせんでえぇって、翼くん。俺ら、友達やん」
「羽月……」
「大好きな友達を守るんは、男として当然やでぇ」
羽月はニカッとしながら、翼に優しくそう言った。
元気な中にどこか淋しさを隠した、いつもの笑顔で。

「羽月……」
「んっ?」
「ありがとう……な……」
翼は、どこか恥ずかしそうにフッと笑顔を見せながら言った。


「初めて見たわ……翼くんのそんな顔」


翼と羽月は見つめ合いながら、互いに見せたことのないどこか清々しい素直な表情を見せていた。



病室へと差し込む沈みかけの夕日が、傷ついた心をついに通わせた二人のホストを、優しく……優しく照らしていた。





                                                   第28章へ

28-1


「奇跡だ……!」
日も沈んで外の暗さが感じられ始めた中、病室での羽月の検診をしていた医師は驚いていた。

「先生、彼の容態はどうなんです?」
天馬が問い掛けると、医師は首を縦にゆっくり振ってから答えた。

「今は通常どおりに生活や仕事をするのは不可能ですが、辛うじて神経等へのダメージはありませんし、日を追っていけば傷も塞がり起き上がれるようになりますよ」
「そうですか!ありがとうございました」
天馬と翼は、医師へペコリと頭を下げると、ベッドで横になっている羽月に目をやった。

「よかったな、羽月」
「おおきにな翼くん。社長も俺なんかのために、すんません」
仰向けの羽月は、頭を下げて謝るかのように首を僅かに動かした。

「俺達や店のことは心配するな。お前のお客さんたちには、滑って骨折したとか適当に理由をつけておくから」
「はい、おおきにです社長」
「じゃあ、俺は行くな。店にもちょっとは顔を出さんといかんし」
天馬は病室の椅子から重い腰を上げる。

「社長、じゃあ僕も」
翼がそう言うと、天馬は彼を見ながら首を横に振った。

「お前も休め翼。傷もあるし、そんな疲れた顔と腕吊った恰好で店に出るわけにもいかんだろう」
「はい……でも-」
「仕事したい気持ちはありがたいが、明日は定休日だし、とにかく今日と明日はゆっくり休め。社長命令だ」
「……わかりました。そうさせていただきます」
「てなわけだ。羽月、俺達はそろそろ行くから、お前は一日も早い復帰をめざして、ゆっくりするんだぞ」
「はい。社長、翼くん。ホンマ、おおきに」
羽月がそう言うと、立ち上がり一度背を向けた翼は、再び彼の方を振り向いた。

「そうだ、これ」
翼は羽月にあるものを手渡した。

「翼くん、コレ……」
「光星が、店で落としていったんだ。君の大切なものだろ?」
「よかった……よかったわぁ。翼くん、ホンマおおきになぁ!」
羽月は、翼から手渡された姉と写る一枚の写真を喜びながら抱きしめた。


「退院したら、また美空ちゃんとこに飲みに行こうな」
「うん」

その会話を最後に、翼と天馬は長時間座っていた羽月の病室を後にすることにした。

病室を出て間もなく病院の廊下をゆっくり歩いていると、天馬はふと翼に話しかけた。


「翼、ちょっと気になってることがあるんだが」
「はい?」
「さっきの羽月のあの古びた写真のことなんだがな」
「……」
「こんなこと、俺が聞く必要もないことだと思ってるんだが……羽月のやつがずっと探してる姉さんってのはもしや?」

羽月の正体に感づいている天馬の言葉に対し、翼はゆっくりとうなずきながら答えた。


「愛菜のことです……」
「やっぱり、そうだったのか」
「社長は知ってたんですか?愛菜と羽月のこと」
「知っていたわけじゃないが、どことなくな。俺が【Unicornis】で現役のときに、珍しくかなり酔った愛菜がホロッと言ったんだ。"自分には何年も前に離ればなれになった弟が一人いる"ってな。まぁ確かに姉弟だからか、雰囲気が妙に似てるとは思ったが」
「それは僕も事実を知る前に何となくは思ったことありました。二人に交互に会うたびに、どこかで会ったことがある、みたいな」
「あぁ。あの時に愛菜から見せてもらった写真が、さっき見たものと同じだったから、確信しながら驚いたって感じだな。ましてや病室の名義……『星宮』なんてそうある苗字じゃないからな」
「社長……愛菜のところへは、やはり…?」
「今はそっと休ましてやろう。精神的にも相当きてただろうからな。後日、ゆっくり落ち着いたら見舞いに駆け付ければいいさ」
「わかりました」


翼と天馬はそのような会話を目を合わせずしながら、病院の入口へとたどり着いた。

「翼、とりあえず俺は一旦店に戻る。店の奴らに色々と説明しなきゃだしな。とにかく、お前も今夜はゆっくり休むんだ」
「はい。お疲れ様でした」

頭を下げながら翼が見送る中、天馬は一足先のタクシーで一人新宿へと戻っていった。



「さてと、俺も帰るか」

翼はそう言いながら、病院の中でずっと長い間切っていたケータイの電源を久しぶりにONにした。
十数秒ほどでケータイの電源はつき、そこに表示されている時刻は19時を過ぎようとしていた。

「もう夏も近いからかな。まだ微妙に明るいんだな」
翼は薄暗いながらもまだ夕方の明るさのようなその空模様をふと見上げていた。

その時、彼のケータイが振動してメールの着信を知らせる。
翼はすぐにケータイを開き、その液晶画面に目をやる。

「あっちゃ」
翼は呆気にとられたように声を漏らした。
ケータイのメールの受信履歴には、自分の指名客からのメールが多数来ていたからだった。
タイトルや本文には、昨夜の騒動により営業中の店を突然飛び出していった翼への心配の言葉が綴られていた。


『大丈夫?』
『何があったの?』
など、自らの身を心配している指名客の言葉に、翼は胸を締め付けるような感情を覚えていた。

「早く、怪我を治して店に戻らなきゃな」
翼は、疲れた身体にも関わらず、あらためてそう心に決めた。


そして、翼は一本のメールに気がついた。

「美空ちゃんまで。1時間くらい前か」


『翼さん、まだ病院にいますか?』
美空からのメールにはそのように書かれていた。


「美空ちゃん、どうして病院にいるって……」
その時、立ちすくむ翼の後ろから、人が駆け寄ってくる足音を彼の耳は捉えた。
翼は、すぐにその方向へと振り向いた。



「美空ちゃん?」

翼の視界には、病院のエントランスへと急ごうとしている美空の姿が映っていた。
離れたタクシー乗り場にいる翼のことには気付いていないようで、彼女はそのまま病院の中へと入ろうとしていた。


「美空ちゃんっ!」
翼は彼女の名前を呼んだ。
すると、病院へ入ろうとした彼女は、自分を呼んだ彼のいる方へと息を切らしつつ振り返る。


「ハァ……ハァ……」
美空は、息切れをしながら走り疲れた身体を引きずるように、ゆっくりと翼のいる方へと歩いていく。

翼も、そんな彼女の方へと歩み寄っていった。


「美空ちゃん、どうしてここへ?」
『ヨカッタ、無事デ……』
翼の問いかけに、美空は切れる息をただしながら手話で答える。

『昨日ウチニ来ルカラッテ翼サン言ッテタカラ待ッテタンデスケド、メールモ無イカラ不安ニナッテ……。ソレデ、オ店ノ人ニ聞イタラココダッテ教エテクレテ』
「あ……そうだったよねゴメン、ちょっと昨日に色々とあって。でも、それでわざわざここへ?」
『翼サンガ病院ニイルッテ聞イテ……私、スゴク不安ニナッテ』
「美空ちゃん」


『デモ、ヨカッタ。翼サンガ無事デ……私、翼サンニ何カアッタンジャナイカッテ思ッテ……』
美空は、そのつぶらな瞳に涙を溜め、手話をスッと止めた。

そして、自分の目の前に立っている翼の方へとスッと飛び込んでいった。



「美空ちゃん……」
包帯を巻いていない翼の右腕の方へと、美空は自分の顔をピタリとくっつけていた。

「ヒッ……ヒック」と声にならない声が、翼の澄ました耳にはしっかりと響いていた。


「美空……ちゃん」
突然自分の腕もとで泣き崩れた美空の姿に、翼は驚きながらも、どこか心の糸が少しずつ解れる感覚を覚えていた。

「ごめん美空ちゃん、心配かけて」
翼は小さくも優しい声でそう囁きながら、動く右腕で美空の小さな肩を抱いた。



1時間後-

翼は美空とともに歌舞伎町にある"楓"に移動していた。


『翼サン、何モ食ベテナインデショ?スグ何カ作リマスカラ』

美空は手話でそう言うと、どこか申し訳なさそうにすぐに調理にとりかかっていた。

「ありがとう美空ちゃん。でもいいのかい?急に今夜お店閉めちゃったりして」
翼がそう言うと、美空は2回ほどうなずく。

しかしその時だった。
料理の香ばしい匂いのする中、カウンター席でお茶をすすっていた翼は、ふと突然恐ろしいまでの睡魔に襲われ始めていた。


『あ、あれ……??』

肘からガクリと落ちていくように、翼はカウンターのテーブルに突っ伏した。
それに気付いた美空は、急いで翼のもとへと駆け寄った。

トントンと肩や背中を叩いても、翼は目を明けずに、そのまま寝息をたてていた。


翼は、再び夢を見ていた。





『う……ん』










『えっ?』










『そんな』










『そんなバカなっ!』










「そんなっ-!」

翼は勢いよく、仰向けになっていた上体をバッと起こしながら目覚めた。

「痛っ……」
突然体を起こしたからか、傷のある左肩に軽い痛みが走る。

「またあの夢……。何だったんだ……何で夢に『あの人』が-」
そうつぶやきながら、翼は冷静に周りを見渡す。

「ここは……そっか、俺寝不足とかがたたって寝ちゃったのか」
常夜灯のついた部屋の中、上着を脱いだ自分の身体が真っ白いベッドの上にあることで、翼はようやく自分の状態を把握し始めていた。

「ん?」

その時翼は、自分が身体を乗せているベッドに寄り掛かりながら寝息をたてている美空の姿を発見した。



『美空ちゃん。もしかしてここまで俺を連れてきてくれたのか』

美空も相当心配疲れをしていたのか、翼が目を覚ましたことに気付かないまま眠りこけている。

「えっと、今は何時……んっ?」
辺りを見回すと、翼は自分が今まで眠っていたベッド脇の小さい棚の上に何かがあることに気付いた。
薄暗い中顔を近づけてみると、そこには円いトレンチの上におにぎりが二つと湯呑みが手紙と一緒にぽつんと添えられていた。

翼は、まずその手紙に手を差し延べ、それに目を通した。


-翼さん


怪我は大丈夫ですか?
急にカウンターで寝てしまったので、びっくりしました。
お腹は空いているかもしれないと思ったので、おにぎりを二つ作りました。
起きて、食欲があったらでいいので、よかったら食べて下さいね。

それと、夕方病院では突然泣きついてしまって、すいませんでした。
翼さんが病院にいるって聞いて、とても平静じゃいられなくて。

こんなことはおこがましいかもしれませんが、私にできることがあれば、何でも言って下さい。


          美空-





「美空ちゃん……」

読み終えた手紙を片手に、翼はあらためて深い眠りについている美空を見つめた。
彼女の瞳から頬にかけては、うっすら濡れた痕跡も見てとれた。



『俺のために……?』



心の中でそうつぶやきながら、空腹を感じていた翼は置いてあるおにぎりの一つに手をのばした。
サランラップに包まれた綺麗な三角形のおにぎりは、まだうっすらと残った温かさを彼の手に伝えていた。

翼は、包まれたサランラップを一つ一つ解くようにゆっくり開き、露になったおにぎりを見つめる。
そして、口に運びパクリと頬張っていった。


「……うまい」


翼は思わずそうつぶやいた。
一口……また一口と食べていくうちに、彼の中ではどこか遠くに置き忘れてきたような、懐かしいものが込み上げていた。

そんな彼の瞳から、一筋の涙が零れだしていくのには、そう長い時間はいらなかった。

28-2

 
「何で……」
翼はグッと手を握りしめた。

「何で、何でこんなに優しくしてくれるんだよ……」

ポタリ、またポタリと、翼の目からは大粒の涙が次々と零れ落ちていた。
それと同時に彼自らの脳裏に浮かんだのは、数ヶ月前に帰省したときに母親が持たそうとしたおにぎりを無残にも踏み潰した、冷酷な自分の姿だった。



『もう誓ったのに。人は絶対信じない……お金と自分しか信じないって決めたはずなのに……』



目の前にいる美空の優しさ

そして、自分の身を犠牲にしてまで凶刃から守ってくれた羽月の友情


この一日で、自分の中で一気に起こったことが、長い間封じ込んでいた翼の奥底にある感情を激しく揺さぶっていた。

そんな翼の背中を、トントンと優しく叩いたのは美空だった。


「み、美空ちゃん」
『ドウシタノ?』
「な……何でもないよ」
『何デモナクナイ』
「ホントに、何でもないんだ……何でも……」

それ以上は、溢れる涙が邪魔をして言葉にならなかった。
しかし、うなだれている翼の頭を、美空は子供をあやすように優しい手つきで撫でていた。



『なっ……??』



翼は涙だが止まらない中で、そんな彼女の行動に驚いていた。
しかし彼は、その撫でる手を振り払うかのように頭を退ける。


『……』
美空は寂しそうな表情で、翼を見つめた。

『ドウシテ?』
美空の手話を横目で確認すると、翼は重い口を開いた。

「美空ちゃん、俺ね……ホントは美空ちゃんが慕ってくれるような、いい人間なんかじゃないんだ」
『……??』
「自分のことしか考えずに、ガキのようにすねてるくだらない男なんだよ……。美空ちゃんみたいないい子が、俺なんかに関わっちゃいけないんだ」


翼は、肩を落としながら自らのいきさつを美空に語り始めた。


会社員だったときのこと……
紗恵とのこと……
家族との確執のこと……
ホストを始めたこと……

そして、自らの心の内のこと……


翼は、洗いざらい自らのことをそばにいる美空へと告白した。

美空は、真剣な表情でそれらに対してずっと耳を澄ましていた。


「だからね……俺、こんなやつなんだ。最低だろ、どんな事情があれど会社で傷害起こしたり、彼女守れなかったり、病気の母親にひどい仕打ちしたり」
『……』
「あげく今やってるのがホストだもんな……。笑えるだろ?」
『……』
「所詮俺は、次男坊のお坊ちゃま……いや、それにすらなりきれなかった、タダのクズなんだよ……!だから羽月をあんな目に-」

その先を言おうとしたときだった。

気がつくと、美空はすっかり涙顔の翼をギュッと包み込むように抱きしめていた。


「えっ?」
突然のことに翼が驚いていると、美空は『違う、そんなことない』と囁きかけるかのように、首を何度となく横に振った。

「どうして……何で……」
翼が何度問い掛けても、美空は再びゆっくりと首を横に振っていく。
そして、彼を抱きしめていた手で、手話を始めた。


『翼サンハ、ソンナ人ジャナイ』


『翼サンハ、チョコヲ可愛ガッテクレルシ、コノ間飲ミ逃ゲサレタトキモ、一番ニ助ケテクレタ勇気ノアル人』


『ソレニ、オ母サンガ亡クナッテ辛クテタマラナカッタ私ヲ必死デ励マシテクレタ優シイ人』


『ソシテ、トテモ思イヤリノアル人……』



「俺に思いやりなんて」
『アナタハ気付イテイナイワ。何ダカンダ言ッテモ、必ズ人ノコトヲ考エテルモン。羽月サンノコトダッテ』
「……」
『翼サン、ズット一人デ抱エテ……辛カッタデスヨネ』

気がつくと美空は、手話を描くその手に、何滴もの涙を落としていた。
声を失った彼女の精一杯の『泣き声』が、翼の耳には確かに響いていた。

「美空ちゃん、何で俺なんかのためにこんな……」
『アナタガ人ヲ信ジタクナクテモ、ドウ生キテモイイ……。デモ、コレ以上自分デ自分ヲ傷ツケナイデ……。オ願イ……』
「美空……ちゃん」
『アナタハモウ、十分スギルクライ傷ツイタンダカラ……モウ自分ニ優シクナッテ下サイ』



-もう、自分にも優しくして-

その言葉を受け止めたとき、心に溜まっていたしこりのようなものが一気に流れ出たのか

翼は、無意識のうちに美空の胸の中で顔を埋めていた。

子供のように泣きながら、長い間心に溜めていたしこりを多量の涙に変えながら、翼は身も心も美空という名前の少女に全てを預けようとしていた。


「……うっ……うぅっ……」
泣きじゃくる翼の頭を、美空は子守唄を口ずさむ母親のように、頭を撫でながら宥めていた。

「辛かった……。怖かった……。人と接するのも、人に蔑まれるのも、裏切られるのも傷つけられるのも……。自分から大切な人がいなくなるのも……みんな怖かった。怖くてたまらなかった……」
『ウン』
「だからもう自分しか信じれなかった。もう傷つくのが怖いから、自分とお金なら裏切らないから、人を憎めば傷つかないから……」
『ウン』
「でも……何より一番自分を裏切ってたのは臆病な自分自身だった」
『翼サン……』
「ねぇ美空ちゃん」
『?』










俺……もっと自分を楽にしていいのかな?











人を……好きになっても、いいのかなぁ……?










涙で澱んだ翼の素直な言葉は、優しい笑顔の美空の首をゆっくりと縦に振らせた。


それを確認してさらに心のリミッターが外れたのか、翼は動かせる右腕で美空に抱き着き、息を激しく切らせるように泣き続けた。


クールなホスト『翼』ではない
【Club Pegasus】のNo.1ホストでもない

素直な一人の青年『浅川一也』の本来のさらけ出された裸の姿がそこにあった。
 

「何で、何でそんなに優しいんだよ……!」
美空は、そんな『彼』のことを、ただずっと見守るように優しく両手で包み込んでいた。





翌朝-

カーテンから差し込む朝日とともに、翼は目を覚ました。

「ん……」
昨夜のことがあってか、多量の涙で渇いた頬のパサパサ感に気付く。
そして何より、自分が美空の膝を枕にして眠っていたことに驚いていた。


「あっ」
翼はバッと起き上がると、おもむろに美空のことを見上げた。
美空は「おはよ」と口で言うと、ニッコリと微笑んだ。

「もしかして……ずっとこうしてたの?」
翼が膝枕のことを問い掛けると、美空は顔を赤らめながらベッドをおりようとしていた。
すると、やはり脚がしびれていたのか、美空の身体は無言のままベッドから転げ落ちる。


「あっ!」
翼は、慌てて右腕と胴体を使い彼女を抱き起こす。

「大丈夫かいっ!?」
翼がそう言うと、美空は笑いながら舌を出した。
「まったく、心配したぞ」
ため息をつきながら、翼もフッと微笑んだ。

そんな二人が互いの唇を自然と重ね合わすまで、そんな時間は要さなかった。





『今、朝ゴハン作ルカラ、テレビデモ見テテネ☆』
美空は楽しそうにそう言うと、キッチンの方へと歩いていった。

翼はすっきりした柔らかい笑顔で軽いため息をつきながら、テレビのリモコンに手を差し延べる。


何となくチャンネルをまわしていると、翼はリモコンを持つ手を一瞬で硬直させる。



『なっ、何だって!?』


翼は驚きながら画面に映るニュースに見入っていた。

リモコンを落とした音で何事かと思ったのか、美空もキッチンから戻ってくる。

『どうしたの?』と言わんばかりに尋ねてくる美空に気付かないほど、翼はその画面にくぎづけになっていた。



新宿区某所にて発見された、一人の20代男性の刺殺死体のニュース。


その画面の片隅に被害者として映る長髪をなびかせたの男性の顔。


【Club Pegasus】でも一際存在感を出していた見覚えのあるその男とは、


一昨日の"あの時"以来行方不明となっていた光星だった。




「光星さんが……殺された!?」





                                                  第29章へ


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