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26.鮮血の終宴

26-1

 
「はぁ……はぁ……」

【Pegasus】を出た翼は走り続けていた。


暴れた光星の逃げる先へ。


そこに、姿をくらました愛菜と羽月がいると信じて。


ただ心の奥底にある何かを求めながら、翼は必死で走り続けた。





『愛菜……羽月……』





二人のことを考えているその時、翼のスーツのポケットの中のケータイが振動し始めた。

「はいっ」

翼は着信元を確認することなく、その電話に応答する。


◆「翼か?俺だ、天馬だ!」

スピーカーから聞こえてくる着信元の声の主は天馬だった。
それを確認してか、翼の心の中が少しずつ落ち着いていくかのようにホッとしていく。

◇「社長、
実は-」
◆「佐伯や翔悟たちから事情は聞いた。店に帰ったら、中があんなに荒れてたから何事かと思ったが……まさか光星のやつがな」
◇「えぇ」
◆「翼、お前今どこにいる?」
◇「職安通りを渡ったところです。光星さんの自宅の大久保のマンションまではもう少しかと」
◆「そうか。翼、お前まさか一人で行くつもりか?」
◇「……はい」
◆「俺も聞いてる限りの推測だが、今の光星が何でああゆう状態になったか……お前もわかっ-」
◇「"St.Alice"…ですよね」
◆「そうだ。恐らく、あそこまで店を荒らすような破壊衝動に駆り立てるのも、その薬の作用の一つだろう。お前はそんな状態の光星を相手にする気なのか!?」
◇「行って無事で済むとは思っていません……。ただ、彼は羽月の大切な写真を持っていた」
◆「羽月のため……か?」
◇「……」


翼はここでしばらく沈黙を続ける。

◇「……わかりません。ですが、もし光星さんが"St.Alice"を服用したのは、俺にも何か原因があるような気がしたんです。だから-」
◆「わかった。こっちは何とか持ち直したから、もう少ししたら後で俺も向かう」
◇「わかりました。社長、警察への連絡は?」
◆「とにかく、光星と話して全てが決着してからだ」
◇「はいっ!」


翼と天馬は、通話を切った。


すると、大久保の中を走っている翼の目の前に一際高いマンションが立ちはだかる。

「グラファーレ大久保……ここだっ!」
するとその時、マンションのエントランスでヨタヨタと歩いている一人の長髪の男らしき黒い影の存在を翼は捉えた。

「あれは!」
身体をよろめかせながらオートロックを解錠しているのは、先程【Pegasus】の店内で暴れ狂っていた光星だった。
動揺しているのか、手をブルブル震わせながらオートロック解錠のボタンを押している。

「おっ」
パスワードが一致したのか、エントランスの自動ドアはゆっくりと左右に開いた。
光星に気付かれないようそれを陰から確認した翼は、彼が自動ドアの奥に入っていくのを確認すると、直ぐさまその後を追跡した。


「よしっ……ん?」
ゆっくりと気付かれないように忍び足でエントランスに入った翼は、自動ドアが早くも閉まり始めていることに気付く。

「待てっ!閉まるの早過ぎる!」
翼はその忍び足を急激に加速させ、間もなく閉まりかける自動ドアの奥に向かって全力疾走をしていった。



『間に合えっ!』



頭の中をそれ一色にして、翼は閉ざされる扉にホームベースに入る野球選手のように前から滑り込むように飛び込んでいった。



くるりと前方回転しながら翼は自動ドアの境を越え、バタンと床に転げるように着地した。

「イテテテ」
尻もちをついた臀部を軽く撫でながら、翼はゆっくりと立ち上がる。
「エレベーター、エレベーターは?」
辺りを確認すると、エレベーターの階層サインの表示は、すでに2Fから3Fに上がっているところだった。

「光星さんの自宅は9F……早く行かなきゃ!」
翼は焦る気持ちを何とか抑えるようにエレベーターが再び1Fへと戻ってくるのを待つことにした。
本当は非常階段で駆け登ってすぐにでも近づきたい気持ちが強かったが、9Fまでの距離と体力の消耗を考え、唇を噛みながらじっと冷静さを保つように努めた。

何より、この後何が起こるかわからないことを想像するだけで、無駄な体力消費はしてはいけない-
翼は本能的にそう思っていた。

 

 

 

 


一方、追われていることを知らずにマンションへと帰ってきた光星は-

自宅のドアを開け、慌てながらそのまま中へと入っていった。


「はぁ、はぁ……ちきしょう翼の野郎がぁぁぁ」
激しく息を切らせながら、彼はよたよたと部屋の中へと入っていった。
そして、すぐに別室へと入っていく。

「はぁ……はぁ……」
ガチャリとドアを開け入ってきた疲れ果てている光星の姿に、部屋の中で拘束されている全裸の愛菜と羽月は気付いた。

「光星さん、どないしたんや……?」
羽月が小さい声で尋ねると、光星はギロリと彼を睨みつける。
「な……」
「……?」
「ななななな」
「……!?」
「なななななんでもねぇよ」
すでに呂律の回っていない光星を、羽月と愛菜は険しい表情で見つめた。

「光星あなた-」
愛菜が余力を振り絞るように口を開く。
「"St.Alice"を、どれだけ服用したの……?」
「ふ、ふ、ふ、ふざけんな」
愛菜が問い掛けても、光星は震えながら強がった答えをするだけだった。


「と、と、と、とにかくよぉ、【Pegasus】の奴らにばれちまったらしくてよぉぉぉ」
「な、何やて?」
「お、お、お、俺ももう終わりだぁぁぁ。だから-」

すると、光星はズボンのポケットからスッとキラリと光る何かを取り出した。
それを目にした瞬間、弱りきった羽月と愛菜の表情はさらに蒼白へと化した。


「口封じがてら、おまえらにゃここで死んでもらうぜぇぇぇ」
思ったより冷静に話す光星のその右手には、鋭利な形をした一本のナイフが握られていた。




「ちょ、ちょっと待ってや光星さん!何でそうなんねん!」
羽月がそう訴えかけるも、光星はニヤリとしながら黙々と動けない二人の方へと、一歩一歩ゆっくりと近づいていく。

ギシッ……ギシッ……っと軋むフローリング床の音が、ありえないほどの恐怖に襲われる二人にとって、死へのカウントダウンのように迫っていた。


「光星やめて……」
「光星さん、冗談やろ!?」
愛菜と羽月が声を震わせながらそう言うと、光星は再びニヤリとしながら足を止める。


「冗談なんかじゃねぇよぉぉぉ。俺はお前ら星羽会のクズどもをおもちゃみてぇになぶった後に、ぶっ殺してやってみたかったんだよぉぉ」
顔は笑っていても全く笑っていないそのどす黒い彼の瞳に、羽月と愛菜は彼が本気であることを察知せずにはいられなかった。


「何でや、何で俺らにこんな酷いことすんねん!俺らが何かあんたにしたんか!?」
「お前らに直接の私怨はねぇぇぇ。だがなぁぁぁ、俺は星羽会の奴らが憎くてたまんねんだよぉぉ」
「何て……星羽会とあんたの間に何があったんや」
「お前に答える筋合いなんかねぇんだよぉぉ!」
「うわぁっ!」
すると、光星は羽月顔を踏み付けるように足蹴にした。
羽月の顔に、苦渋の色が浮かぶ。

「やめて!こんなことはもう-」
愛菜がそう言うと、光星は今度は愛菜に対してその視線を向けた。
そして、露になっている彼女の乳房をわしづかみする。

「キャァァア!」
「この女……いい味だったがぁぁぁ……殺す前に切り取っちまうか」
光星は、愛菜の胸を悪魔のような目付きで見下ろしながら、もはや人間とは思えない恐ろしい言葉をつぶやく。

「や、やめ……て……」
もはや抵抗する気力も体力もないのか、愛菜はただ恐怖に怯えながら涙を流すことしかできなかった。

「やめてや光星さん!もうやめてぇや!」
「うるせぇぇぇ!すぐに一緒のとこに送ってやるからよぉぉぉ、天国で二人で好き放題やりまくれやぁぁぁ!!」
光星は、逆手に持ったギラリと光るナイフの鋭い刃の矛先を、ついに愛菜の身体に向ける。
薄暗い部屋の中でもわかる刃の輝きは、恐怖におののく彼女の白く華奢な身体を今に貫こうとしていた。












「やめろぉぉぉおーーー!!!」











羽月が心からの絶望を叫んだ。











その時だった。











振り下ろされるはずだったナイフは、振り上げたところで動かずに止まっていた。

羽月と愛菜はもちろん、それはナイフを持つ光星すらも不思議さを隠せなかった。


「なっ?」

光星はナイフを持つ右手の手首の違和感と背後の人の気配に気付き、そこを振り返った。



「なっ……!」

手に持ったナイフが振り下ろされないのは当然だった。
何故なら、スーツ姿の一人の人物が光星の手首を掴んでいたからだった。
手首を握るその力は不思議と強かったのか、凶暴な光星が動かないほど強固なものだった。


「うぉっ!」
気付いたときには光星は突き飛ばされ、床に「バタン」と転がり込んでいた。
「なぁぁぁっ!」
光星はすぐにムクリと起き上がると、自分を突き飛ばした人物を睨み据えた。

一方、羽月と愛菜は涙を流しながらその人物のことを見つめていた。










「翼……くん……」

弱々しい羽月の声に、どこか僅かな明るさが戻る。


「ツバサァァ!」
一方突き飛ばされた光星は、すぐに後ろを振り返りギロリと睨みつけながら、猛獣のような唸り声を発した。


そんな部屋の中の光景を、駆け付けた翼は冷静に見渡した。



『……』



転がっている家具や酒瓶、

散乱している衣服、


そして、ベッドの上で拘束されている全裸の愛菜と羽月。



その常識とは一切言い難い、まるで地獄絵図のようなそこは、冷静さを必死で保つ翼の心を恐ろしい衝動で揺さぶっていた。

「翼……イヤァっ……」
愛菜は、今の自分の姿を目にされ、涙を流すその顔を背ける。


「……」
翼は何も言わず、下をうつむきながら愛菜たちのいるところに近づいていった。
すると、おもむろに床に落ちてあるタオルを拾い上げ、自らのジャケットを脱ぐ。
タオルを羽月にかけ、ジャケットを愛菜にかけた。


「翼ぁ……」
「翼くん……」
愛菜と羽月は、泣き声でつぶやく二人を見た。


「二人とも、大丈夫か?」
翼がそう言うと二人はゆっくりとうなずいたが、裸体に見える傷やアザがそうではないことを物語っていた。

「おいツバサァァ!」

翼の背後から光星が怒鳴り散らすと、翼はスッと立ち上がり彼の方を見る。
そして、ゆっくりと彼の方へと足を運びながら語りかける。



「光星さん……これは一体どうゆうことだ?」
「あぁ!?てめぇ、誰に向かってんな口を-」
「どうゆうことかって聞いてんだ!!」

翼の激しい感情を込めた一言が、部屋の中を支配する。



『翼くんが、怒っとる……』



初めて見る翼の激しい怒りに、羽月……そして愛菜は目をまるくしていた。



「答えろ、何で二人にこんなことをした!」
翼がそう問いただすと、光星はその口をニヤリとしながら答えた。

「そいつらが俺の大嫌いな星羽会の人間だからさ」
「星羽会の?」
「そうさ。以前に東京を中心に日本を破滅させようとした、アブネェ宗教の生き残りだ!!」
「……。だから何だ?じゃあこんな惨いことをしてるあんたは何なんだ!!愛菜と羽月があんたに一体何をした!?」
「うるせぇ!!ポッと出の糞ホストがよぉぉぉ」
「俺のことは何を言っても憎んでもかまわない、だけど、どうしてだ!特に羽月はあんたにも他のみんなにも素直にしていたはずだ!」

翼が叫ぶようにそう言うと、光星はその恐ろしい視線をベッドの愛菜と羽月に移した。

26-2

 
「あぁ、確かにその二人は俺と直接の私怨があるわけじゃない」
「じゃあ何でだ!?」
光星は右手に握ったナイフの切っ先を、二人へとゆっくりと向けた。


「俺の親や兄弟が……星羽会の人間に皆殺しにされたからだ!」

思わず飛び出た光星の一言に、翼・愛菜・羽月の3人は驚きを隠せなかった。


「何だって!?」
「よく聞けよ糞ども。俺はな、ガキのときに星羽会の奴らに家族を殺され、一人死ぬような思いで生きてきたんだ。消滅しても今も能々と生き残ってるっていう僅かな星羽会の奴らに復讐してやるためにな!!」
「復讐だと……!?」

その際、光星は徐々に翼との距離を縮めていた。


「そうだ……今も歌舞伎町に生きてるかもしれない生き残りをいたぶってやるためだ……こんな風にな!」


その一瞬で、光星は素早く翼につかみ掛かった。
「うわっ!」
猛獣の如く突進してくる光星に、翼は床に組み敷かれた。
そして、すぐにナイフを握った右の拳で翼の顔を殴打した。

何度も、何度も、光星は翼の顔から腹部までを激しく殴り続けた。

「ぐぁっ!」
「翼ァっ!」
愛菜の悲鳴にも似た声が上がる。

「どうだ翼ァァァ!いてぇか?いてぇだろぉよぉぉ!」
「ふざけるな!」
すると、翼は光星の右腕を掴み、左横へと投げ飛ばした。

「いでぇ!」
光星が床に転がると、翼はすぐに立ち上がり彼の胸倉をつかみ掛かった。

「ただ星羽会……それだけでこんな虐待みたいな行為を繰り返したってのか!?」
「あぁ、そうだ!そして国は、親戚は、いや人間は誰も俺を助けようとはしなかった!!だから、俺一人がやらなきゃいけない。生き残りが歌舞伎町にいる以上、歌舞伎町でホストをしてりゃいつか生き残りとも遭うかもしれねぇ……俺にとってホストってのは、そいつらゴミを見つけるための手段だったんだ!!」
「だから誰にも心を許さず、他人に高圧的に出てたのかよ」
「ああそうだ!!俺以外のもんは敵と思わなきゃな、俺は生きていけなかったんだ!!」
光星は再び翼の左頬を殴った。
しかし、翼はびくともしなかったように、すぐに光星を睨みつける。

「でもだからって……店や、一緒にやってきた社長や翔悟さんたちまで裏切るのかっ!!」
今度は翼が光星の顔に握った拳をぶつけた。

「ぐぁぁっ!」
光星はナイフを落とし、両手で顔面を覆った。
顔を隠す指の隙間から、ポタポタと鼻血が流れ落ちる。

「どんな理由や生い立ちがあろうと……」
翼は、痛がる光星の胸倉をつかみ、激しく鋭い視線を彼にぶつける。
「あんたみたいな理不尽に人を傷つける奴は、俺は絶対に許さない!!」
怒りの限りの叫びを発しながら、翼は光星の顔を殴り続けた。


2発、3発、4発……10発……
翼はまるで理性をなくしたかのように、鼻血が溢れ出す彼の顔面を捉える拳は止まることをしなかった。

翼の拳と光星の歪んだ顔が激突する「ゴッ」という鈍い音が、同じ部屋にいる愛菜たちにもいやがおうでも聞こえていた。

「翼、もうやめてぇ!」
「翼くん、もうえぇ!光星さん死んでまう!」

二人の振り絞ったような叫びが届いたのか、翼は殴り続けるその血まみれの手をピタリと止めた。


「ハァ……ハァ……」
激しく息を切らす翼は、半ばのびている光星を床へと放り投げるようにたたき付けた。
そして、ゆっくりと愛菜たちのいるベッドへと足を向ける。


「今、解いてやるからな」
翼は落ちていたタオルで拳に付着した血を拭き取ると、まずは愛菜の身体を腕を縛り付けているロープをゆっくりと解いた。


固く縛られたロープが外れた途端、愛菜はガクリとしながら翼にもたれかけた。

「愛菜、大丈夫かい?」
「翼ぁ……!」
愛菜は抱き着いた翼の胸で子供のように泣きじゃくった。

「怖かった……すごい怖かった……」
「もう大丈夫だ……早く帰ろう、他のみんなも心配してる」
翼は愛菜をなだめると、その視線をとなりにいる羽月に移した。

「羽月、君も解かなきゃな」
そう言って、翼は羽月の腕を拘束するロープを解き始めた。

「翼くん……俺……」
「話は後だ、今はここを出るぞ」
「そやけど……」
「話は後でゆっくりできるだろ?だから-」


不思議と翼の言葉はそこで途切れた。
すると彼の身体は、ゆっくりと横へと倒れていった。

「翼くん?」
羽月が声をかけた翼は、頭からうっすらと血を流していた。

「キャアァァ!!」
愛菜の悲鳴の矛先は、その彼の背後へと向けられていた。


「この野郎ぉぉぉ!」
そこには、ガラス製の分厚い灰皿を手に持った顔面血まみれの光星が、鬼に等しい形相で立ちはだかっていた。

「光星さん……」
羽月は声をつまらせながらつぶやいた。

「お前ら……全員皆殺しにしてやるぅぅあ!!」


しかし、光星が灰皿を振りかざしたとき、倒れたはずの翼が起き上がり彼につかみ掛かった。

「やめろっ!もういい加減にするんだっ!!」
翼は額から血を流しながらも、必死で光星に抗った。
しかし、痛みとダメージのせいでか、先程の力の半分も出せず、光星を突き飛ばすにも至ることはできなかった。
それでも翼は必死で光星に食らいついた。


「どけぇ翼ァァァ!!」
「どくのは、あんたの方だ!」
翼は、最後の力を振り絞るように、光星に体ごと突進していった。


「ぐぉあぁあぉ!!」
光星は鈍い狂声とともに、床へと転がっていった。

「はぁ……はぁ……!」
怪我をしながら無理に突っ込んだ翼も、体力の激しい消耗により著しく息を切らす。

しかしその時だった。
転がったところにたまたま落ちていたナイフを拾った光星は、そのまま翼へと向かって突撃してきた。


「なっ!?」
ギラリと光るナイフの切っ先は、容赦なく翼を目掛けてくる。


「死ねや翼ァァァ!!」
光星の凶刃が、「グチャ」という音とともに一瞬で翼を捉える。








「うわぁあぁ!!」













「ちィィィっ…!」
光星の右手に持ったナイフの先は、翼の左肩を一直線に突き刺していた。
翼の白いシャツが、真っ赤な鮮血でジワリジワリと織物のように染まっていく。

「翼ぁっ!!」
「翼くんっっ!!」
愛菜と羽月が悲鳴にも似た声で彼の名を呼んだ。



「もう少しで殺せるとこだったのによぉぉ……」
「光星……あんた……」
「何だ、ついに呼び捨てか!?」
光星は、突き刺さったままの横向きの刃を、無理矢理縦向きになるように捩り始めた。

「ぐわぁぁあぁあ!!!」
翼の痛々しいまでの悲痛な声が部屋を支配する。


「痛てぇか!痛ぇよなぁハハハハハー!!!」
光星は、翼の腹部に蹴りを入れながらも突き刺さった刃をさらにグリグリと掻き回していく。


「あ……ぐっぁぁ……」
刃の突き刺さる傷口からは、夥しい赤い絵の具が流れ出していく。


「翼よぉぉぉ……お前さえ現れなきゃよ……俺は唯一成り上がれたホストとしてもこんなに惨めな思いをすることはなかったんだ!!」
「ハァ……ハァ……何だって……」
「星羽会のせいで散々ガキの頃から惨めに生きてきて、唯一ホストが俺の温床だったのによ……それをてめぇがぶち壊したんだァァァ!!」
「へっ……」
「何がおかしいィィィ!?」
「その辛さに耐え切れなくなって……"St.Alice"に手を染めたってのかよあんた……」
「気付いてたのかよ……あぁそうだ。俺は"St.Alice"ってやつを使った!!おかげでそこらのシャブなんかよりいい気分だぜェェェ」

「ハァ……ハァ……あんた……アリスの子から……!?」
「そうさ……星羽会の奴の言うことなんざ聞く気になれなかったが、そいつに言われたんだ……。『言うことを聞いてくれれば、最高の快楽と百億の金はあなたのものだ』ってなァァァ」
「何だ……と……?」

翼は、痛みを忘れたかのように言葉を失った。

「なに……それ……」
愛菜もガクリと肩を落とす。


しかし、光星の暴走は止まってはくれるはずもなかった。
翼の肩から「グシャリ」とナイフを抜いた光星は、彼を蹴飛ばし床に仰向けにさせた。

「ぐァァァっ!!」
痛がる翼に、ゆっくり…ゆっくりと血まみれの凶刃を手にした悪魔の影が忍び寄る。



『くっ……くそっ!』



体力を消耗し激しい左肩の痛みに堪える翼には、もはや逃げる余力は残っていなかった。


「イヤ……やめて光星!」
愛菜の叫びも、もはや虚しく空を切るだけだった。。


「まずはお前が死ねや……翼ァァァァァァ!!!」










光星のナイフがついに翼の心臓にめがけて振り下ろされた。










その時だった。








『えっ……?』










不思議と翼にそれ以上の痛みはなかった。
何故ならその瞬間、何者かが彼をかばうように四つん這いになり覆っていたからだった。



「翼くん、大丈夫かいな?」
ひょろりと長い身長に金髪、そして訛り……
一瞬でダラリと翼の身体にもたれかけてきたその人物は、羽月だった。

「羽月……?」
ズルリともたれてきた彼の背中には、光星が振るいに振るっていた刃の切っ先が、刀身の見えないほど深々と突き刺さっていた。

「羽月……!」
翼はそう言いながら、彼を腕で抱えた。

愛菜は口を抑えながら言葉を失い固まっている。

光星は、突然の出来事で茫然としたのかナイフを手放し、床でペタリとすくんでいる。

「ハァ……ぁ……」
羽月は苦しそうに声を切らした。
「羽月、しっかりしろ!」
翼は抱えている羽月に語りかけた。



「ハァ……ハァ……翼くん」
「何だ?」
「ゴメンなホンマ……」
「えっ?」
「俺……翼くん裏切ってもうた……。光星さんが、悪いことしてんに……正体ばらす言われんの怖くて怖くて……愛菜さんがひどいめあっても……何もできんかったんや……」
「羽月……」
「最低やろ俺……そればかりか……」
「しゃべるな!」
「愛菜さんにまで……。俺、ホストとしても人としても最低や……」

羽月は涙を流しながら、悲痛な思いを翼にぶつけた。
それを翼はうなずきながら受け止める。

「翼くん……」
「何だ?」
「俺……翼くんに許してもらえるなんて思えへんけど……」
「……」
「こんな俺でも……大好きな友達守ること……できたんやから……お姉ちゃん……『強くなったね』って……いつか褒めてくれるやろか……」
「あぁ、もちろんだ……!」



『お前の姉さんは、すぐそこに……!!』



今にも喉の奥から飛び出そうなその言葉を、翼は必死で自らの胸に押さえ込んだ。


すると、涙顔の羽月はニッコリといつもの明るい笑顔を見せた。



「翼くん……」
「何だ、羽月?」








「おおきに、大好きやでぇ……」











その時、「ゲホッ」と多量の血液を口から吐きながら、羽月は翼の腕の中にゆっくりと自らの頭を沈めていった。


「羽月?おい、羽月!?」



翼は必死で彼の名前を呼んだ。



しかし、



彼は動くことなく、目を閉じたまま、そのつぶらな瞳を見せようとはしなかった。



「おい、羽月!目を覚ませ!」









「羽月ィィィィィィーー!!!」













翼の狂おしいまでの叫びが、虚しく……そして儚く、深夜の静寂な部屋の中を支配した。










羽月の背中では、



突き刺さる刃の根元から溢れ出る多量の鮮血が、



ぼんやりと浮かぶ"マザー・エレメント"を覆い隠すように



優しく……優しく、流れていった。





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