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  俺はまずはビールやけど、君は何にする? ほうか、君もビールでええか。
 ほなら、おねえちゃん、取り合えず中ジョッキ2つして。
 俺も君が「北大阪なにわ川柳会」に入ってくれて、ホンマ、嬉しいわ。最近、この句会もおじんとおばんばっかりになってしもて、詠む句も歳のいったまぁるい句が多なってな、なんかフレッシュさに欠けてんねん。
 けど、やっぱ春は何言うても花見やなぁ。今日は天気はよかったし桜は満開やったし、いうことなしや。残念なんは、皆んな、あんまり酒を飲まんこっちゃ。折角の花見句会やったけど、そこんとこだけは俺には物足りん。まあ、酒に酔うて、ついでに川柳まで酔っ払うたらどうしようもないけどな。
 おっ、ビールがきたで、ほな、乾杯してからグッといこか。チアーズ!
 当てやな、俺はまず、やっこにおでんもらうけど、君は何にする? ここはおふくろの味が評判の立ち呑み屋でな、見てみ、あっちのカウンターの上に大皿が並んでるやろ。小芋の煮ころがし、筑前煮、ポテトサラダ、鯖の煮付け、豚の角煮、なすびの揚げ浸し、ほうれん草のお浸し、みんな旨いで。
 ほうか、君もまずはやっこでええか。
ほなら、おねえちゃん、やっこ2つに、おでん5、6個適当に見繕って皿に盛ってくれるか。卵とこんにゃくは忘れんと入れといてや。
 ところで、今日の句会はどうやった。ほうか、確かに君はちょっと緊張気味やったな。句会はお題を決めて5句づつ披露する句会と自由に5句づつ詠んできてお互いに批評する句会とを交互にやってて、今日は自由句会やったけど、花見を兼ねての句会やからお題は決まってるようなもんやったな。
 俺が1番ええ思たんは、横山はんの
   満開の桜の考え考える
言う句やな。皆にはあんまり受けてへんようやったけど、横山さんにああいう意味深な句を詠ましたらピカ一やで。俺は大好きなんや。
 トシさんの第3句
  花よりも団子の好きなヤツばかり
もなかなかおもろい。そう思てたらトシはんは一変して
  花を愛で明日は税務調査来る
なんて句も詠みはる。ちょっと得体の知れんとこがある不思議なおっちゃんや。
 山本さんはいつもながらきれいな句を詠みはるなぁ。今日の句で俺が好きなんは
  ひらひらひらほらひらほら花吹雪
  朝まだき重箱詰める音軽く
の2句やな。いかにも軽やかでええやないか。
 君の詠んだ
  桜道ピンクの色に目を染める
はどうやろ。「目を染める」言う表現はええ思うけど、中7の「ピンクの色に」がイマイチかな。もうちょっとええ表現がありそうやで。もっと推敲してみ。
 それにあんまり句の中に桜言う言葉を直接詠み込まんほうがええんとちゃうか。桜言う言葉は入ってへんけど、句の中に桜を感じさせるてな工夫が必要やで。まぁ、俺にもあんまり偉そうなことはいえんけど。
 桜に関しては俺にもいろんな思い出がある。1番強う記憶に残ってるんは弟のことや。ちょうど3年前の今頃、クモ膜下出血で死んだんや。東京で1人暮らしをしててな。あんときは大変やった。今日も皆で花見しながらしきりにそんときのことが思い出されてな。ちょうどええ機会や。弟の供養も兼ねて、ちょっとそんときのこと、聞いてくれるか。
 おねえちゃん、ビール、もう1杯お代わり。1つやないで2つやで。

                      

             
                             

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 その年、弟は48歳やった。東京都練馬区の古ぼけたアパートの1室で布団の上に突っ伏すようにして死んでるんが見つかったんや。
 その訃報を俺にもたらしたんは愛媛に住んでるおふくろやった。家の窓越しに見える裏庭の桜が満開に咲き誇った4月8日のことや。俺は夕日を浴びてピンク色に輝くその桜を見つめながら、「徹よ、びっくりしなや。東京にいる聡が死んだ言うて、今しがたアパートの大家さんから電話があってな。布団の中で死んでたと。徹よ、聡が死んでしもた……」そう嘆くおふくろの声を聞いた。
 おふくろも動転してたんやろ。あとは言葉にならんでな。俺はというと、突然の訃報に何かヒヤッとした一筋が体を突き抜けるような感覚がして、そんときから10数年前に兄弟としての間柄を断絶して、1度も会うてない弟の面影を脳裏に思い描こうとしたんやが、それは叶わなんだ。
 その代わりに、俺の心の中に乗るはずやったバスにすんでのとこで乗り遅れたときのあのあせりに似た感覚が押し寄せてきた。弟との長年の疎遠と、これからもその疎遠を容認しようとしている俺に、心の中のもうひとりの俺が、見てみ、これで永久に弟と和解ができのうなってしもたぞと非難を浴びせてきたんや。
 やや落ち着きを取り戻したおふくろから事の詳細を聞いて、俺は翌日の始発の新幹線で東京に向こうた。弟はアパートの布団の中で死んでいたんやが、2日間の欠勤を不審に思うて訪ねてきた大家さんに見つけられてな、遺体は練馬警察署に安置されてる言うことやった。ほんで、東京駅に着いたら早々に電車を乗り継いで練馬警察署に行ったんや。
 警察についたら、担当の刑事が別棟にある小さな冷暗所に俺を連れて行ってくれた。そこで俺は、線香の匂いの立ち込める中で、古びた台座に横たわった紛れもない弟の遺体に対面したんや。棺おけを覗き込むと、皮膚は浅黒う変色し始めてはいたけど、表情はおだやかで、俺に何かを話したげに見えた。
 俺と弟の対面を見届けて、刑事は、弟に間違いないか、死後2日ほど経っているようやが、アパートの室内で発見されているし、打撲の跡等変わったところは見当たらへんから事件性は薄い、解剖が必要かどうかは検死官の検死の結果次第になる言う意味のことを俺に告げた。
 手足にややむくみがみられるが異常というほどやない、髄液を調べたところ血液が混じってた、これはクモ膜下出血特有の現象である、その他には身体的に異常を示す所見はなかった、以上を総合すると脳内出血による死亡と判定される、変死を疑う要素は見当たらへん云々言う検死の結果がもたらされたんは、それから1時間後のことやった。
 担当の刑事は検死官の所見を俺に淡々と伝えてな、最後に書類へのサインを求めて、遺体を引き取るよう事務的に告げたんやった。
 遺体を引き取って、警察署で紹介してもろた葬祭場の遺体安置所に弟を運びこんだとき、その葬祭場に愛媛県からかけつけてきたおふくろと姉さんが到着した。
 憔悴した様子のおふくろは、しばらく弟の顔を凝視していたんやが、やがてその目に涙を1杯ためて、弟の両頬を両手で撫でさすりながら、「聡よ、こんなんなってしもうて、一体、どうしたんな。かわいそうになぁ。わたしより先に逝ってしもうて、なんぼか辛かったじゃろになぁ。もう安心じゃけんな、ゆっくり休んだらいいけん。ほんとにこんな姿になっちもて。みちゃれや、信子よ、確かに聡ぞ」そんな風に姉さんに声をかけてな。
 そしたらおふくろに促されるように姉さんも弟の顔を覗き込み「さとちゃんもとうとうこんなになってしもて、本当にかわいそうに」言うた後、続けて何かを言おうとしたんやったが、その声はおふくろの嗚咽に消されてしもた。
 翌日、俺たち親子3人は、練馬近くの葬祭場で、読経も何もないただ遺体を焼くだけの簡素な葬式をした。葬祭場は見事な桜の老木に囲まれてて、満開の桜が満天の青空を大きゅう白う焦がしてて、それはきれいやった。ときに春風が吹きわたって、桜はその風に煽られ、大群の小さな羽虫みたいに宙を舞い踊ってた。
 俺たち親子は、屋内にある遺体焼場で、弟に最後のお別れをした。棺桶の中に納められた遺体に菊の切花を添えて、台座に乗せられ焼却棚の中に消えていく弟を見送ったんや。
 焼場にも桜の木が覆いかぶさるように枝を伸ばして、満開の桜花が窓を白く染めてたんやが、そのときや、一陣のつむじ風が起こってその桜花を煽り躍らせ、花吹雪になって窓を流れてな、その花吹雪を見ながら、傍らにいた姉さんがアッと小そう声を上げた。
 俺がびっくりしてどしたんやて聞いたら、花吹雪の中に弟がいたと言うやないか。そんなことがあるはずない。単なる自然現象やとはわかっていたけど、俺も姉さんと同んなじに、弟はまさに今、乱舞する桜花びらと一緒に天に召されたのかもしれへんと思たんやった。 
                     
 小1時間待つと、焼却棚から骨と灰だけになり果てた弟が取り出されてな。担当者からこの骨が喉仏でこれが頭蓋ですなどと丁寧な説明を聞いた後、まだ温みの残ってる骨の幾つかを俺たち親子が骨壷の中に納めて、ほんで最後に残された骨くずは、担当者の手によって骨壷の中にザラザラと流し入れられたんやった。
  外では、桜が花吹雪になって風に舞うて、それはきれいやったけど、葬式の方は、今思い出しても質素な、それは侘しさの募るもんやった。
                                     
         

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 弟は、西武池袋線江古田駅前商店街で、店の命名によう弟の性格が表れてんなぁとおふくろといつか笑い合ったことがあったんやが、「愚劣庵」言う画材店を営んでた。
 弟は画材店を本業としたかったようやが、その収入だけで生活していくことはでけへんかったから、画材店の営業に支障の少ない深夜や休日に、電気関係のアルバイトをしながら、やっと生計を立てていたんや。
 画材店はな、商店街の目抜き通りから路地道を少し入った小さな3階建てのビルの2階にあった。ビルの壁面に大きく独特な弟の自筆で「愚劣庵」と布地に墨抜きされた垂れ幕がかかってて、階段の上がり口に小さなスタンド式の店の案内板があり、それを小さな電飾が照らしていたなぁ。
 店ん中に入ると、入口から想像するよりも意外に奥行きが広うて、10畳程度の中に、額縁、絵具、絵筆なんかのいろんな画材が、所狭しとラックの上や足元に並べられてた。 
                  
 店内を見回しながら、おふくろが「ああ、これが聡の店か。送ってきた写真よりずっと広い感じじゃな」しみじみ言うと、姉さんが「さとちゃんが生きているうちに、1回は見にきちゃれたらよかったのにねぇ」と受けたんやったが、そんときから数年前にこの店を弟が開店したとき、それを知りながら祝いを贈らなかったこの俺には言うべき言葉はなかった。思えば、俺はあのとき、弟との絶好の和解の機会を自ら放棄したんやった。
 弟の住んでるアパートは、画材店から歩いて10数分のところにあってな。耐用年数をはるかに超えてるやろう木造2階建ての連棟長屋で、部屋は2畳の台所と4畳半の奥の間の2間だけやったが、中に入るとなかなかきれいにお使いですと言うた大家の社交辞令があまりにも空々しく聞こえるほどに汚く雑然としてて、俺たちはその様子に言葉を失うたんやった。
 弟の生前の日常の足跡をかぎながら画材店とアパートを一通り見た後、俺たちは、これからの数日間、画材店とアパートを整理するための根城と決めた池袋のビジネスホテルにチェックインした。
 夕食を済ませ湯船で汗を流した後、俺たちは弟の訃報がおふくろの元にもたらされてからの、短うも長うも感じられたこの2日間の出来事のあれこれをとりとめものう話し合うたんやったが、そのうちおふくろはしみじみした様子で、「信子よ、徹よ。あんまり人前でこんなことは口にできんが、聡はああしてぽっくり逝ってよかったんじゃ。これが半身不随とか全身麻痺で生きとってみい。東京の空港から飛行機で愛媛まで運んで、今、私が住んじょるあの家で聡を看病せんといけんことになってみい。それは大変なことじゃ。そうなって、聡の意識がしっかりしちょったら、一番辛いんは本人じゃ。それを考えたらこれでよかった。そう思たら少しは気も楽になる」そんな風に姉さんと俺に同意を求めてきたんや。
 俺は言葉ものう頷くだけやったが、そのおふくろの言葉は、一面本音で反面そうではなかったやろ思う。おふくろはそう言うことで、無理やりに我が子の死という現実を受け入れようとしていたに違いあらへん。
 夜も更けて、明日から俺が画材店の処分と整理を、おふくろと姉さんがアパートの整理をそれぞれ分担することを決めてな、床につく前に、クリスチャンであるおふくろと姉さんは、神様に祈りを捧げた。
 こうや。
 天にまします我が神様。今日、私ども母子を、弟、聡に会わせていただき、その葬式を無事に行わせていただいたことに感謝いたします。アーメン。
 弟はあなた様の御心のままにあなた様の元に旅立ちました。弟は妻子をもたず只1人、この東京で生きてきて、その人生は決して平穏なものではありませんでしたが、あなた様の恩寵のおかげをもちまして、その生を真面目に生きたことに深く感謝いたします。アーメン。
 弟が不正をなさず、人から忌み嫌われることもなく、誠実に働いていたことを知り、どんなに私どもは安心しましたことか。それもこれもあなた様の御恵みだと深く感謝いたします。アーメン。
 弟の画材店の経営は決して順調ではないようでしたが、それでもこうしてここまで、なんとかつぶれることもなく営業してこれたのは、ひとえにあなた様のお陰と感謝いたします。アーメン。
 明日から画材店の整理をいたしますが、どうぞ、この店に大きな借金がなく、つつがなく店を閉めることができますよう、私どもをお助けいただいて、弟を何の憂いもなくあの世に旅だたせてくださるようお祈りいたします。アーメン。
老いた母の悲しみには例えようもなく深いものがありますが、温かい御心をもって一日も早く母を立ち直らせていただきまして、また母に平穏な日常が訪れますよう祈りいたします。アーメン。
あなた様はいつも私どもと共にあり、あなた様の恩寵を私どもに降り注いでいただき、私ども母子が幸せに暮らしていけますようお祈りいたします。アーメン。
 姉さんが神様への感謝を言葉にして、その言葉におふくろがアーメンと和してな。俺はただうなだれてその祈りを聞くだけやった。


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 えらい湿っぽい話になってしもてすまんな。おっ、ビールが空やで。俺は尿酸値が高うて通風気味でな、もうこれ以上ビールはあかんから焼酎の湯割りもらうけど、君は何にする? えっ、もう1杯生ビールにするて。当てもなんか頼もか。ねえちゃん、ケースの中にあるあのマグロのカマはどうやって食べるねん? 塩焼きか。ほんなら俺、それをもらうわ。君は何にする? 豚シャブやて。あの大皿のやつか。なかなか旨そうやないか。ほなら、ねえさん、ビールお代わりと芋の湯割りな、それにそこの豚シャブして。
 さっきは俺たち親子が池袋のビジネスホテルに泊まった夜のとこまで話したんやったな。
 翌朝、俺たちはホテルからタクシーで江古田にある画材店、愚劣庵に向こうた。車がどっかの4つ辻で江古田の千川通りに入るとな、商店街に向こうて桜並木の1本道が続いてて、歩道は既に花絨毯と化しはじめていたんやが、それでもまだその桜は空の中に盛り上がるように白う咲き誇って、車の窓の両側を流れるその見事な花景色に、俺たちは感嘆の声を上げたんやった。
 おふくろは、その桜花を見ながら、「東京は桜が多いねや。それにこんなにきれいな桜並木もめずらしい。この桜を聡は毎年見ていたじゃろに、家に帰ってきたときにはそんなこと一言もいわなんだけんど、なんでじゃったろ」そう感慨深げに言うた。
 俺たちはこの日から、池袋、江古田間を往復しながら、競りあがるようだった桜が舞い落ちて花絨毯になり、青空の中に枝葉が顔を覗かせ始めるようになるまでの3日間、その目を桜色に染めたんや。
 俺がせんとあかんことは、弟の債務の整理と画材の処分やった。もし弟が、商売の上で、大きな借金を抱えて死んでしもてたなら、相続放棄なんかの法的な手続きをとることが必要になる。
 俺は、まず、取引先台帳や商品伝票、顧客名簿なんかを調べて、債務をはっきりさせることに取り組んだんやったが、調べてみると取引先は画材卸業者数社に集中してて、しかも未払代金は意外に少のうて、弟がいかにも堅実な商売をしていたことがわかった。弟は借金や債務に苦しめられていた訳ではなかったんや。
画材は俺たちが東京にいるうちに、近くのリサイクルショップか廃棄業者に引き取ってもらうことを考えていたんやったが、弟が懇意にしてた取引先の担当者の好意で、ある画材商を紹介してもろて、店内の商品すべてを買い上げてもらうことができた。
 アパートの方では、おふくろと姉さんが遺品を整理しながら、いらん物を捨てたり部屋ん中を掃除したりしたが、弟を懐かしみながらするその作業は遅々として進まんようやった。遺品の中には水彩画があり、シナリオがあった。殊にシナリオはダンボールに5箱ほどもあり、中には、日本映画製作者連盟主催の城戸賞の最終選考に残った作品もあった。おふくろと姉さんは、これまで断片的にしか知らなんだ弟のそれらの足跡をいとおしみながら、遺品を丹念に整理、処分したんや。
 俺はと言うと、債務を整理しながら店を開いて、来店する客に画材を格安で販売することにしたんやったが、その来客の中に常連客が何人かいてな、弟の死を告げたら、みんな驚いたり悲しんだり、その早かった死を悼んでくれはった。
 常連客の1人は、愚劣庵さんはすごく無口な店主さんやったけど、知り合うととても親切で情があって、手先がとても器用で、絵を展覧会に出すときは、いつも愚劣庵さんに額縁の制作をお願いしていた、その額縁がまた私の絵にマッチしていてて評判がようて、今度の展覧会でもまたつくってもらおうと思うてたのに。本当に死んでしもたんか。本当にもう会いことがでけへんのか、そんなことを涙ぐみながら話してくれたもんや。
 何人かの常連客から聞いた話から垣い間見える弟の人物像はこうや。表面上の所作はおよそ商売人らしからず、無口で無愛想やったが、その内実はとても客に懇切丁寧で信頼がおけた。商売っ気がなく頼まれれば額縁や美術小物を器用につくって、それが常連客のこの店への魅力になってた。
弟は、画材店を経営する傍ら、脚本家への夢を心に秘め、その夢の成就のために無口な働きバチとなって黙々と働いていたに違いなかった。そうや。弟は、画材店の経営と、休日や深夜にアルバイトをするという不規則労働に1人暮らしの無軌道を加えて、遂には死を得た言うことやったんや。
 画材店を整理してるとき、俺は机の中に弟の書いた1編の文章を見つけた。それはしばしば店を訪れていた谷本君という画家志望のことを書いたもんやったが、そこには谷本君のことを書きながら、その実、弟の内面にその昔たぎっていたやろう脚本家への情熱の残滓が表れているように俺には思われた。
 物狂いと題したその文章には、ひょろりとして痩せこけた画家志望の谷本君が、ある日、驚くほどの分量のデッサンを店に持ち込み、弟に意見を求めたんやが、そのデッサンに弟はまったく意味を感じることができへんかった。けど谷本君は、それから店に頻繁にやってきては弟に意見を求めるようになったというようなことが書き綴られてて、最後にこんな風に締めくくられてた。

 私は物狂いに取り付かれてしまったかと背筋が寒くなった。彼は私の顔を覗き込み、狂騒的に自身の秘密を喋り、笑い、オロオロし、落ち込み、煙草のヤニの臭いを撒き散らし、そして帰っていくのだ。
 私は谷本君がアパートの1室で、あるいは喫茶店の隅で身悶えるようにしながら、デッサンを重ねる姿を思った。彼は物狂いそのものではないのか。しかしやはり私には彼の描く意味がまるで理解できなかった。
 ある日、彼は自画像のデッサンを始めるようになった。それは明らかに今までのものとは違っていた。自己を覗き込む彼の視線は他者へのものと比べるといかにも残酷であり、その自虐性を帯びたデッサンは枚数を追うたびに深化していくように思われた。
 谷本君は自画像の中に自分が描くべき何物かの原石を見出したのだ。その原石は鈍く光っていると私は思った。それは私の目に射光が入ったいたずらかも知れない。しかし彼の物狂いの様を見ていると、私にはそう映るのだ。その原石は、光り輝くものとなりうるのか、それとも物狂いの果てにボロボロと朽ちていくのか。私にはわからない。
 私は一瞬でも強烈な輝きを放ってくれと願わずにはいられなかった。過酷である。自画像のみを毎日、毎日、書き続けていけるのか。仮にそれは可能であるにしても、物狂いのテンションをそのまま保っていかなければ、ただのけれんの創作にしかならないのだ。物狂いの果てに精神の廃墟を見てしまうかも知れないのだ。
 敢えて谷本君に向けて私の残酷な希望を言おう。
 進むしかないんだよ。しかも時間は十分に残されてはいないのだ。ゆっくりやっていこうなどと考えないことだ。
 描け。物狂え。描け。物狂え! カケ! モノグルエ! 

 この部分は俺も弟のことを思い出しながら何度も何度も読み返したから、大体のところは覚えてるんや。
 弟にも、その人生の中で、谷本君に求めたように物狂った時期があったんやろか。それとも物狂おうとしても物狂えなかったんやろか。俺はこの文章を何度も読み返しながら、そんなことを考えた。
 弟と疎遠になる前、おふくろのもとに里帰りしたときに、俺は弟と何度か杯を交わす機会があった。その当時、既に弟はシナリオを書いていたんやったが、酔うとその才が認められないわが身の不幸を嘆いて、世を拗ねてみせることがようあったんや。
 俺はそういうとき、確かに弟には才能があるに違いない、けど、その才はちょっとした小才にすぎないんや。努力によって何かをなしえ、何者かになりえると人は言うけど、それが世にでる程のものでありえるためには、その道を進むに十分な才能がないとあかん。けどそのような才能は我が家の血筋にはないんや、そう思たもんやった。
 齢を重ねた今となっては、このような考え方は一面的にすぎることを俺は知ってる。けどあの頃、俺はそう信じ、弟はこのまま世を拗ね、世間を斜眼で見ながら暮らしていくしかないんやないかと、その前途に暗い想像を走らせたんやった。
 世の中には偶然ということが確かにある。俺が弟のこの文章を読み終えたとき、店の電話が鳴った。受話器をとるとなんと谷本君その人やないか。
 俺は驚き、弟の死を伝えて、ちょうど今、弟があなたのことを書いた文章を読んでいたところやと告げたら、彼は一瞬絶句し、しばらく黙り込んだ後、すみませんがその文章を送ってくれないかと俺に頼んできた。俺が、まだ1両日この店を開けてるから、是非に弟の遺品と思って何か好きなものを取りにきて欲しい、そのときにこの文章をお渡ししますと伝えたら、彼はどう言うたと思う? 電車賃がないんですと言うやなんか。
 彼にどんな人生が待っているか、俺には図りがたいことやったが、その返事を聞いて、彼の前途に一瞬でもいい、才能輝く瞬間のあることを俺は願わずにはおられんかった。

 俺たち親子3人で、画材店とアパートの整理を始めて3日目の午後、アパートの整理を終えて、鍵を大家さんに返したおふくろと姉さんが画材店にやってきた。
 画材を買い受けてくれた画商さんは、画材の搬出のときに廃棄する必要のあるもんは、責任を持って捨て、大家さんに店を返すことを約束してくれていたから、ことさら店内を片付ける必要はなかったんやが、そんでも店内にいくつか弟の遺品は残されていたから、おふくろと姉さんはそれを整理して、弟の店と最後の別れをするためにやってきたんや。
 姉さんが「さとちゃんも大層な借金もなく、ようここまで頑張ってきたねぇ」言うと「この前、聡が家に帰ってきたとき、愛媛で画材店を開くことができたらなぁと冗談っぽくいうけん、ここらでそげなもんは商売にならんぞと私は言ったことじゃったが、あれは存外、聡の本心じゃったんかもしれんな」とおふくろが返し、その後、3人で店内をしみじみ見回して、俺たちは愚劣庵に別れを告げたんやった。
アパートの遺品に店の中の遺品を追加して梱包し、宅配便に託し終えて、さあ、いよいよこの愚劣庵ともお別れ言うときのことや。階段を下りて外に出た俺たちが、もう二度とここに来ることはないやろと名残惜しげに二階を見やってると、上背があって体格のいい三○歳前ぐらいのサラリーマン風の男が息せき切って駆け寄ってきた。
思わず新たな債権者の出現かと身構えた俺に、「間に合ってよかった。一言、お悔やみを言いたいと思って。私はヤマトリースの山本と言います」そう男が言うやないか。
 それで、俺は、前日、取引台帳にあったヤマトリース言う会社に電話をして、今、目の前にいるこの男を非難したことを思い出したんや。
 弟はヤマトリースとプロモーションリース契約を結んでいたんで、俺が弟の死んだんを伝え、契約解除の手続きをしたいと申し入れたら、契約を解除すると契約金額全額を払ってもらわないといけないと言うやないか。
 俺はその言葉にカーっときてしもて、物を買うなんかの割賦販売やったらその理屈はわかるけど、本人が死んでリース契約を途中解約すんのに、契約金額全額を支払え言うんはいかにも理不尽やないか。あんた方には温情というもんがないんか言うて食ってかかったんやった。結局、契約金額の半額を支払うことで話はついたんやが、その電話の相手方当人が目の前にきたんやからな、俺は何事かと身構えた。

                    
 すると男は、社長にはとてもお世話になりまして、そう言うて深々と頭を下げた後、両手で膝頭を鷲づかみにして、頭を垂れて肩を震わせてる。泣いているのや。しばらくして上げた男の顔は涙でぐしゃぐしゃやった。
 「社長には本当にかわいがっていただきました。これからインターネットで愚劣庵の新しい企画をつくろうと張りきっておられたのに、亡くなられたなんてことは未だもって信じられません。大分お叱りも受けましたが、社長とは妙に気があって、社長、社長と私が言ったら、そんな呼び方はやめてくれとよく恥ずかしそうにしておられました」そんな風に言うて、またもや滂沱の涙や。
 その様子に俺たち3人も貰い泣きしてな。おふくろが「そんなに聡を慕ってくれてありがとね。もういいけんね。もう泣かんでも。弟は死んだけど、あんたには将来があるんじゃけん、元気に頑張りなさいや」そう言うと、男は大きく頷き、またもや滂沱の涙や。
 男と別れた後、姉さんは、「さとちゃんも風変わりなとこがあったけど、今の営業マンもちょっと風変わりやったねぇ。徹に聞いた画家志望の谷本さんもそうやけど、風変わりな人間の回りには風変わりな人間が集まるんかねぇ」そう感慨深げに言うたもんや。
 ほんでも俺たちは、取引先にこんなに弟を慕ってくれていた人がいたことに心を温めたんやった。


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 まあ、東京での後じまいはこんな風に終わって、弟の骨はお袋の家にしばらく置いてあったんやが、その年の夏、その骨を信州の松本にある万国福音教会の墓地に埋葬することになった。墓地は、松本市内から車で10数分うねうね上がった高台にあって、その高台からは松本市街が一望でき、はるか遠くにアルプス連山を望むことがでけた。この墓地に3年前に死んだ親父が眠っていて、弟はクリスチャンやないけど、その骨を親父と同じ墓地に埋葬することにしたんや。
 弟の納骨のために市内にある万国福音教会に集まったんは、おふくろ、姉さん、俺と俺の家族、それに親族代表として親父の田舎からきてくれた叔父さん夫妻の8人やった。
 「そう言えば、お父さんの納骨のときは途中から雨になって大変でした。今日もどうも雲行きが怪しい。皆さんお揃いなら、ちょっと早いけれどそろそろいきましょうか」言う牧師さんの言葉に促されて、俺たちはそれぞれの車に分乗し墓地に向かった。
 くねくね坂道を上がって墓地に立ったら、まだ雨模様というほどやなかったが、みはるかすアルプスの山々にはどんよりした雨雲が垂れ込めてて、やや怪しい気配やった。
 天気がよかったら、アルプスが一望できんのに残念やなぁ。そう思いながら、「ええ、昨日、私が掘ったんです」言う牧師さんの言葉に振り向いたら、十字架の親父の墓石が横倒しにされて、その横に40センチ四方の縦穴が掘られてた。俺は促されて箱から骨壷を取り出し、慎重に穴の中にそれを入れたら、骨壷は測ったように穴の中に納まった。
 おふくろがまず始めに、スコップでわずかばかりの土を骨壷にかけてな、ついで姉さんが、そして俺が、俺の家族が、最後に叔父夫妻が順々に骨壷に土をかけた。墓地のあがり口あたりのクヌギの茂り木から蝉の鳴き声がかしましゅう聞こえてきてたなぁ。
 最後に穴の中に土をざあっと流し入れて、「ちゃんと固めないと土が沈みますから」言う牧師さんの言葉に、俺がスコップで何回か土を叩き、牧師さんと叔父さんと俺の3人して横倒しの墓石を起こして骨壷の上あたりに乗せた。
 賛美歌第518番。弟との別れの歌や。牧師さんの声に合わせてみんなで歌うた。こうや。

  いのちのきずなの 絶たるる日はあらん
  そのとききたらば みくににのぼりて
  したしくわが主に 告げまつらまほし
  すくいをうけしは みめぐみなりきと

  地にある幕屋の くちゆく日はあらん
  そのとききたらば わが家にかえりて
  したしくわが主に 告げまつらまほし
  すくいをうけしは みめぐみなりきと

  ともしびともして つつしみ待たばや
  主かどにきまさば よろこびむかえて
  したしくわが主に 告げまつらまほし
  すくいをうけしは みめぐみなりきと

 見ると姉さんは祈るように歌い、おふくろは俯いたまま涙ぐんでる。俺は、歌を歌いながら、妻子も持たず、夢も果たせず、少々早死にはしたけど、弟は弟なりに好きな道を生きて、そんなに悪い人生やなかったんかもしれん。
 そうや、きっと、来年の今ごろ、親父と聡の好きやった焼酎でももって、アルプスの山々でも見ながらここで一緒に飲もうやないか。そんなことを思たんやった。

                      



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