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「救急車?」

 私とけい子ちゃんはびっくりして真由美ちゃんの顔を見た。

「うん。でも、もう家に戻って来たけど・・・」

 真由美ちゃんは、救急車で運ばれた病院帰りの旦那様をひとり家に置いて、その旦那様に夕ご飯も作らずに出てきてしまったようである。

「だけど救急車とは穏やかでないな」

 夫婦喧嘩でもして、真由美ちゃんに突き飛ばされた旦那様は、今ではハンドルのところは真由美ちゃんのバック掛けになってしまっている、ダイエット用の室内自転車にでも頭を打ち付け、その打ちどころが悪くて救急車騒ぎにでもなったのだろうか、と私は思ったが、

「うちの旦那、伐採の仕事中にまたスズメ蜂に刺されたの。これで二回目。それで救急車騒ぎよ」

 私の予想は大きく外れた。が、その真由美ちゃんの話は予想以上に深刻なものだった。真由美ちゃんの旦那様は、現在、地元の森林組合に勤めている。地元では安定しているほうの仕事のようであるが・・・、

「だけど、スズメ蜂に二回刺されたのでは、今度また刺された時には危ねえぞ」

 どうやら、安定職のはずが、思わぬところに落とし穴があったようだ。私はスズメ蜂の恐ろしさを真由美ちゃんに教えてあげようとしたが、彼女はすでに知っていた。

「そうなの。今日、運ばれた病院の先生にも、行ちゃんと同じことを言われた。三回目は命の保証はないって。だから、もう今の森林組合で働くのは難しいでしょうって、私は旦那にそう言ったのよ。ここに来る前にそんな話をしていたの。そうしたらさ、うちのアホ旦那、何て言い返してきたと思う?」

「・・・・・・」

 他人の旦那様が女房に返した言葉など考えるのは面倒だから、私もけい子ちゃんも少し大袈裟に、おたくの旦那様は何て言ったんだ? という目を真由美ちゃんに向けた。その時のけい子ちゃんの目は、私以上に芝居がかっていた。

「うちのアホ旦那、私にこんなことを言ったの。今の森林組合の仕事を辞めたら俺のこの歳ではもう安定した仕事なんて見つからないぞ、またスズメ蜂に刺されると決まっているわけでもないのに、仕事を辞められるわけがないだろう、次に刺されたらその時はその時だ、その時に考えればいいべ、なーんてぶっこいたのよ」

 ※ぶっこいた、とは、言った、吹いた、という意味である。


 私は今の話を聞くまでは、仕事中に事故にあった自分の旦那様を、アホ呼ばわりはないだろうと思ったが、今の話を聞いて、確かに真由美ちゃんの旦那様は少しアホかもしれないな、と思い直した。そのようなことを考えていると、

「それなら今のうちに、旦那の生命保険をたんまりとかけておきな」

 すぐにけい子ちゃんがナイスフォローをした。と、今度は、

「うん。そうする。だけどいいなあ、けい子ちゃんは、これから旦那様を選べるんだもの」

 結婚に少し縁遠くなってしまっているけい子ちゃんに、真由美ちゃんは何とも呑気なことを言ってくれたのだ。それでもけい子ちゃんはあまり気にならなかったようで、

「生命保険と言えば、聞いた?」

「ああ、例の彼女のこと? 聞いたわよ」

「ということは、やはり、本当なんだ?」

「けい子ちゃんの耳にも入っているなら、そうなんじゃない」

 と、こんな調子で、私の目の前でまったく主語のない話がはじまった。

 いつの間にか真由美ちゃんの旦那様の話はどこかに消えてしまい、今度は、地元で生命保険の外交員をしている、自分達と年齢の近い、数回の離婚歴があっても男性に不自由しない女性のことで、けい子ちゃんと真由美ちゃんの話は盛り上がりはじめた。

 そして、最後はお決まりの、

「へえー。彼女が今年の秋にまた若い男と結婚する話は本当だったんだ。そうしたら今度で四回目よ。どうしてあの人は男にモテるのだろう。いいよねえ、別れてもすぐに別の相手が見つかる人は・・・」

「本当、いいなあ」

 と、隣の芝生は青く見えて羨ましい状態で、彼女達の話は終わりを告げたのである。

 結局、その日は肝心なけい子ちゃんの相談ごとは聞けずじまいとなり、私は、真由美ちゃんの旦那様のことは、生命保険も大事だが仕事を変えたほうがよいだろうというアドバイスをし、なぜに男と別れてもすぐに別の男が見つかるのか、という地元の生命保険外交員の女性のことは、ご本人達のご想像にお任せして帰って来た。その帰り際、

「ところで、けい子ちゃんは俺に相談ごとがあったのではないか?」

 そうけい子ちゃんに訊いてみた。


 けい子ちゃんはほろ酔い気分のまま、あはっ、と笑い、私の肩を軽く叩いた。

「大した用事でもなかったの。あとで行ちゃんに電話でも入れるわ」

 そう言って彼女は、ふらつきながらラーメン屋をあとにした。

 

 その夜、私は今日の彼女たちのことを考えてみた。

 彼女たちの目は、どこを見ているのだろうか。

 どの家の庭先を見ても、どれもこれも、それが雑草だったとしても、すべてが青い芝生に見えてしまっているようだ。しかし、私はここで彼女たちに、ふた言、み言、言いたいことがある。それは、「その芝生は本物だったか」と言いたいのだ。

「プラスチックで出来た芝生を見て、青くていいなぁ、なんて思っているのではないか。そんな目では駄目だぞ」

 と、言いたいのである。

 

 昔、私は、北関東の山に建つ大きな別荘の掃除をしたことがある。それは、友人が請け負った仕事の手伝いであったのだが、大変にしびれた仕事となった。その建物の中に入る前は、

「こんな広い芝生の庭のついた別荘を持てるくらいの、金持ちになってみたいなあ」

 などのことを言って、友人とその建物のオーナー様を羨ましく思ったものである。

 しかし、いざ玄関の扉を開けてみると、私も友人も咄嗟に首にかけていたタオルで口元を塞いだのを覚えている。家の中は酷い湿気とカビの匂い、そして室内はネズミの糞まみれ状態だった。数分前迄は、こんな別荘を持てるくらいの金持ちになりたいなあ、と言っていた私と友人だったが、気が付けば、

「どれほどの数のネズミがこの天井裏に住みついているんだべ、たまったもんじゃねえな」

 と、いう会話に変っていた。そう言っているあいだにも上から糞が落ちてきた。 

 その別荘は外周りだけは近所の人が管理してあげていたようで、庭の芝生は見事に青々としていたが、建物の中は、体の具合が悪くなるほど酷い状態だった。


 それでも、その別荘の仕事が終えたあとに、私と友人はこのような学びを得ることが出来たのである。

『庭の芝生だけでは、家の中の状態は判断できないものだ、まして、家庭の状態などわからないものである』

 

 そして、その二日後・・・。

 また私の元に仕事の依頼がやってきた。同じ友人からである。今度の仕事は、築五十年ほどの小さな家に暮らす、地元のじいちゃんばあちゃんちの雨漏り修理工事だった。その家を訪ねてみると、狭い庭に沢山の花が咲いていた。

 そこのじいちゃんはホームセンターで売られている見切り品の花を買ってきては、適当な場所に植えている。だから花の統一性はなかったが、それでもストレスのないような花の咲き方に、見ているほうも安堵感を覚えたものである。

 そこのじいちゃんが見切り品の花を買い求めることには、安い、ということだけが理由ではなく、誰もが萎れかけた苗を見て、いくら安くたってこんなの駄目だ、と見向きもしない苗を買ってきては、自宅の庭に植えて見事に花を咲かせることが、じいちゃんの喜びなのだ。家の中にも鉢植えの花が沢山飾られていて、手塩にかけて世話をしている愛情が肌で感じられた。二日前の別荘掃除に比べたらまさに天国だった。

 そのじいちゃんばあちゃんちの仕事が終えたあとに、私と友人はまたこのような学びを得ることが出来たのである。

『天国とは、まず、地獄を見ないと気付かないものだ』

 

 昔の別荘掃除の仕事を思い浮かべ、私は、

(だけどな、本当の天国とは・・・天国だ、地獄だ、と考えることなく、普段からその真ん中に身を置ける状態のことをいうのかもしれないな)

 と、他人の家の青い芝生を見て落ち込んでいく彼女たちを想い、そのようなことを考えていた。

 すると、その時だった、私の家の電話のベルが鳴った。相手は、数時間前にラーメン屋で別れたけい子ちゃんだった。

 私が受話器を取ると開口一番、彼女はこう言った。

「行ちゃん、今から、行ちゃんのマイ棒を立ててくれない」

「マイ棒?」


 マイ棒って、俺の股間のこと? と、私は思ったが、

「八卦占いをして、ということよ」

 今の私の心情は簡単に見透かされてしまったのか、けい子ちゃんの口調は何とも冷ややかだった。

 

 けい子ちゃんは私の大切にしている八卦占いに欠かせない筮竹を、マイ棒、と勝手に呼んで、時にトボケたようなことを言う。だが、この彼女、人並み外れた変な能力を持っているのである。

 そんな彼女の相談ごととは・・・。

「七色の芝生」②へ続く。

 



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