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 信号機のある交差点から三百メートルほど行くと、寂れたガソリンスタンドがあり、私はそこでくるみちゃんと落ち合うことにした。村に一件しかない貴重なガソリンスタンドである。その店はガソリンを入れるだけでなく、待ち合わせ場所としても村人によく使われている。ガソリンスタンドに置かれている外のベンチに座り、私はくるみちゃんの話をよーく聞いてみた。彼女の話は、自分のお喋り性格を何とかしたいのだというものだった。

 くるみちゃんは高校の友達に、絶対内緒にしてね、と釘を刺された話しでも、絶対内緒だからね、と言って、その友達の内緒話を別の友達に喋ってしまうのだという。どうしても喋りたい欲求に負けてしまい、後悔だらけの毎日を送っているので、その喋りたい煩悩が湧き上がった時にすぐに消すことができる瞑想を教えてほしいのだと、彼女はそのようなことを私に言った。

 くるみちゃんは私の元に来る前に心を落ち着かせるための本を数冊買い求め、彼女なりに勉強したようだ。効果はどうであれ、その本から、煩悩、瞑想、などの言葉を覚えたようだが、友達の内緒話を別の友達に話したくて仕方がないという症状は、煩悩というものとは少し違うような気もした。が、余計な口出しはせず、私はその時にこのような話をくるみちゃんにしてあげた。

「雪が降っている寒い日でもな、お寺には参拝する人たちが多くやって来る。俺が滝を受けているあいだ、俺に手を合わせていく人もいてな、中には、お賽銭まで投げてくれる人もいるんだ。お賽銭は大半が硬貨だからそのまま水の中に沈んでしまうけど、それでもありがたいと思うぞ。だけどな、そう思いながらも、俺も貧乏人だから、時には、このお賽銭がお札(さつ)だったらいいなあ、お札だったらちゃんと俺の足元まで流れついてくれるかもしれねえな、お札を投げて貰えねえかなあ、なんてことを考えてしまうこともあるんだ。冷たい滝の水を受けていて、このまま死ぬかもしれないな、なんて状況の時でも、消えかけた煩悩が頭をもたげてくることもあるんだ。それでもな、本当にお札が俺の足元に流れついてそれを手に取ってしまった時には、周りの人達にえらく幻滅されることも想像できる。あの男は行者もどきだ、って簡単にそう思われてしまう。だから、ひと息ついて、これを行ったらその先はどうなるか、というものを考えられるようになることも、人生の大切な勉強だと思うぞ。それに、煩悩はそう簡単に消えるものでもないし、消えたからよいというものでもない。何度も言うが、言葉に出す前に、これを言ってしまったらその先はどうなるか、ということをひと呼吸置いて考えられるようになったら、くるみちゃんも一人前だ。自分の煩悩と上手く付き合っていけるようになってこそ、人としての深みが出てくるのではないか。俺はそう思うぞ」


 そのようなことを私は、喋りたい欲求に負けてしまうというくるみちゃんに、ぺらぺらと喋ってしまったのである。

 すると、その翌日のことだった、

「行ちゃんよ、行ちゃんは、行者でなくて、行者もどきだったんだな」

 と、何の前置きもなく地元の人にそう言われてしまったのだ。

 何のことだ? と私が理解に苦しんでいる頃にはすでに、私の、お賽銭の煩悩の話はたちまち小さな村の人達に伝わっていた。そのようなことで、それ以来、私は、行者もどき、という目で地元の人達から見られるようになってしまったのである。

 

 それでも、そんな行者もどきの私のところに、悩みを抱えた人達が多くやってくる。

 理由は、私は趣味で八卦占いを行っており、お金を取らないことをいいことに相談者が絶えないのである。相談者の多くは女性であり、四十歳を過ぎている人が大半だ。しかし、相談事を聞いて必ず八卦を立てるとは限らない。どちらかと言えば、立てないほうが多い。

 当然のことだが、相談内容も人それぞれである。「ひとり娘が嫁に行ってしまったら、我が家の墓守が自分たちの代で絶えてしまうのだけれど、どうすればよいだろうか」などのものもあれば、「現在、収入が少なくて国民年金を毎月、3,750円しか納めていないのだけど、将来のことを考えたら家族にお金を借りても、15,100円、ちゃんと納めたほうがよいだろうか」などのものもある。

 つい先日は、

「勤め先の部長を、ぶっとばしてしまってもいいだろうか」

 と、そんな物騒な相談ごとがやってきた。

 その相談者も女性であり、彼女の話はこうである。勤め先の上司は接客が下手であり、客人との会話に詰まると、突然、「そこに座っているうちの事務員さんは・・・」と言って彼女(相談者)の話をはじめるのだという。・・・彼女の住まいはどこそこで、地元の中学校を出て、うちの会社に来る前はどこのそこの会社に勤めていて、親父さんはシルバー人材で働いていて、いつもその辺で下草刈りなどをしている。彼女は結婚したけれどその旦那がパチンコに狂って別れた。そんなことで誰かいい人でもいたら彼女に紹介してあげてください、と、そのような調子で会社の上司は客人に彼女の素性話をはじめ、沈黙を回避するのだという。


 その度に、相談者の彼女はこの上ない腹立たしさを覚え、その度にじっと我慢して来たが、親父さんはシルバー人材で・・・とはじまると、この頃は堪え症がなくなり、本気でその上司をぶっとばしそうになってしまいそうだと言った。

 その話を私にしているあいだ、彼女は今までの我慢を吐き出すかのように、私の前で泣き出した。そして、最後にこう言った。

「行ちゃん、私は、周りの人達と同じように普通に結婚して、普通に子供を産んで、普通に父と母を喜ばせることができて、普通に年をとって、普通に生きていけるのだと思っていた。だけど、普通に生きるって、それはとても難しいことで、普通に結婚生活を送ることができている人は、実は凄い人達なんだ、って、今頃になって気がついたわ」

 

 離婚を経験したり、適齢期を過ぎても独り者でいる女性は、隣の、家庭を持って生きている同世代の奥様を羨みはじめ、その隣の奥様は、家庭を持たずに生きている隣の自由人を羨みはじめる。出世の道から外れた旦那様と暮らす奥様は、隣の、部長の肩書をもった快活な旦那様と暮らす奥様を羨み、その出世コースをいく旦那様と暮らす奥様は、家庭を第一に考えている温厚な旦那様と暮らす隣の奥様を羨んでいる。いつしか自分の歩んできた過去を悔みはじめ、この先の目的がまったく見えなくなる、わからなくなる、というような状況に陥っていく女性達も少なくないのである。

 地元の、四十歳を過ぎても結婚せず、三万円代の安いアパートに暮らしながら従業員八人ほどの小さな製作所の経理を担当している女性、けい子(仮名)ちゃんは、『都内の出版会社勤務、独身、キャリアウーマン、マンションも購入したが、いつまでも会社の上司と不倫をしているわけにもいかず、私はこの先どうしたらよいのやら・・・』などの、適齢期を過ぎた独身女のドラマを見て、深刻に落ち込んでいる。

「出版会社勤務の独身女は、カッコいい上司とホテルのバーで待ち合わせだけど、私は地元に一件しかないラーメン屋で、還暦を過ぎたずーずー弁の行ちゃんとモツ煮込みを突きながら、瓶ビールだもんなあ」

 と、こんな調子である。相談したいことがあると言われ、彼女から呼び出されたのは私のほうなのだが、小心者の私は何も言い返しはしない。


 すると、今度はけい子ちゃんより一つ年上の、真由美(仮名)ちゃんがラーメン屋にひとりでやってきた。旦那といるとむしゃくしゃするのでひとりでラーメン屋に来たのだという。

 一般的には旦那のほうがラーメン屋に来るのではないか、と私は思ったが、これも言葉に出して言ったりはしない。

 真由美ちゃんは子供はおらず、旦那様とふたり暮らし。彼女は私の顔を見るなりすぐに私の隣の席に座った。独身男の私と独身女のけい子ちゃんがラーメン屋で密会しているというのに、誰も気をつかってはくれないのだ。そして、「ちょっと聞いてよ」と、真由美ちゃんは私とけい子ちゃんの顔を交互に見ながらそう言うと、唐突にこのような話をはじめたのである。

 

「今日、うちの旦那、救急車で運ばれたの」


「救急車?」

 私とけい子ちゃんはびっくりして真由美ちゃんの顔を見た。

「うん。でも、もう家に戻って来たけど・・・」

 真由美ちゃんは、救急車で運ばれた病院帰りの旦那様をひとり家に置いて、その旦那様に夕ご飯も作らずに出てきてしまったようである。

「だけど救急車とは穏やかでないな」

 夫婦喧嘩でもして、真由美ちゃんに突き飛ばされた旦那様は、今ではハンドルのところは真由美ちゃんのバック掛けになってしまっている、ダイエット用の室内自転車にでも頭を打ち付け、その打ちどころが悪くて救急車騒ぎにでもなったのだろうか、と私は思ったが、

「うちの旦那、伐採の仕事中にまたスズメ蜂に刺されたの。これで二回目。それで救急車騒ぎよ」

 私の予想は大きく外れた。が、その真由美ちゃんの話は予想以上に深刻なものだった。真由美ちゃんの旦那様は、現在、地元の森林組合に勤めている。地元では安定しているほうの仕事のようであるが・・・、

「だけど、スズメ蜂に二回刺されたのでは、今度また刺された時には危ねえぞ」

 どうやら、安定職のはずが、思わぬところに落とし穴があったようだ。私はスズメ蜂の恐ろしさを真由美ちゃんに教えてあげようとしたが、彼女はすでに知っていた。

「そうなの。今日、運ばれた病院の先生にも、行ちゃんと同じことを言われた。三回目は命の保証はないって。だから、もう今の森林組合で働くのは難しいでしょうって、私は旦那にそう言ったのよ。ここに来る前にそんな話をしていたの。そうしたらさ、うちのアホ旦那、何て言い返してきたと思う?」

「・・・・・・」

 他人の旦那様が女房に返した言葉など考えるのは面倒だから、私もけい子ちゃんも少し大袈裟に、おたくの旦那様は何て言ったんだ? という目を真由美ちゃんに向けた。その時のけい子ちゃんの目は、私以上に芝居がかっていた。

「うちのアホ旦那、私にこんなことを言ったの。今の森林組合の仕事を辞めたら俺のこの歳ではもう安定した仕事なんて見つからないぞ、またスズメ蜂に刺されると決まっているわけでもないのに、仕事を辞められるわけがないだろう、次に刺されたらその時はその時だ、その時に考えればいいべ、なーんてぶっこいたのよ」

 ※ぶっこいた、とは、言った、吹いた、という意味である。



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