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はじめに

 今年、私は、祖父が亡くなった時の年齢になった。

 私の祖父は六十四歳で他界した、死因は癌である。

 私の部屋の壁には、今も、祖父から頂いた、『癌』という字の書(しょ)が掛けられている。その書を祖父から贈られた時、私はまだ小学校の低学年だった。

 

 それは私が小学二年生の時のことだった。

 祖父は私たち兄弟三人を自分の部屋に呼ぶと、毛筆で太く書かれた『癌』という書を私たちの目の前に、それぞれにひとつずつ置いた。書はきちんと額装までされていた。そして、その時に祖父は私たち兄弟にこのように言ったのである。

「お前たち三人は生涯をもってこの書を壁に掛け、この書の前に立ち、今から私の言う言葉を、毎日、唱えなさい」

 当時、私はまだその書の字を読むことも、意味もよくわかっていなかった。

 だが、兄弟の中で一番出来のよい、一番上の兄はすぐに『癌』という字の意味がわかったようで、「じいちゃん、こんな字、俺はいらね」と言い、祖父につき返した。要領のよい二番目の兄は、その書を受け取ったが、一度も部屋の壁に掛けることはなく、その後はどのように処分したのかはわからない。三人兄弟の末っ子の私は、気が小さく、頭も悪く、祖父に、なぜに部屋に飾らないのかと訊かれたら、おじけづいてしまい、何も言えずにいる自分の姿が子供ながらにはっきりと想像できたので、私は、『癌』という書を、渋々、部屋に掛けて、祖父に毎日唱えなさいと言われた言葉を忠実に唱えてきた。

 祖父はなぜか私には厳しかった。普段から正座をし、着物姿だったので余計に子供の私には厳しい人に見えていたのかも知れない。祖父はふたりの兄のことはよく褒めていたが、私のことはあまり褒めることはなかった。だが、そんな祖父が、ある日、私だけを寝室に呼んだ。それは私が中学二年生になったばかりの春のことだった。

 当時、祖父は癌の病に侵されており、そう長くはない余命を宣告されていた。

 

「みつゆき、これから先、お前は、お金も、家も、嫁も、欲しがることなく、これだけを持って生きていきなさい。どうやらお前にはその素質があるようだ」

 祖父は亡くなる日の三日前、当時まだ中学二年生だった私を枕元に呼んで、何とも信じがたい話をしたのである。その時に、私の目の前には祖父が生涯に渡って大切にしていた物が置かれていた。

 祖父は、書をたしなむ他にも、坐禅と八卦(はっけ)占いも生活の一部に取り入れていた。禅で培った力なのか、元々霊的な力が備わっていたのかはわからないが、祖父は、自分や家族が人生の所々で迷いなどが生じた時、瞑想と八卦占いで、迷う者達に進むべき道筋のアドバイスをしてきた。祖父の八卦占いは当たると評判だった。祖父は自分の死期が近づくと、八卦で自分の後継者を占ったようである。そして、三人兄弟の中で一番出来の悪い末っ子の私がなぜか、適任である、と出てしまったようだ。私が祖父から頂いた書を壁にかけて毎日眺めていたことが理由なのか、そのことを祖父はえらく褒めてくれた。が、私は少しも嬉しくなかった。

 当時の私は八卦占いというものが何なのかわかっておらず、関心もなく、それこそ祖父に欲しがるなと言われた中の、お金と彼女が欲しくて毎日悶々としていた。

 じいちゃん、気は確かなのけ? と私は訊き返したくなった。それは祖父が長年に渡って大切にしていた物を私に授けようとしたからではない。世の中の男達はお金と家と嫁が欲しくて働いているのではないのけ? 自分はちゃっかりばあちゃんを嫁にもらっておいて、俺にその話はないべ、と祖父に言い返したかったのだ。しかし、その時の祖父は布団の上であったが、正座姿で、その日から三日後には息を引き取ることなど、誰の目から見ても想像がつかないほどにその姿は凛としていた。当時の私は気が小さくて何も言い返せなかった。

 私は祖父に自分の八卦占いを頼んだ覚えはないが、祖父は勝手に私の将来を占ったようである。そして、

「お前の生きる道筋は、この八卦占いが導いてくれることだろう。将来、お前は、八卦占いには欠かすことのできないこの筮竹(ぜいちく)と、この書物だけを持って、北関東の山に行きなさい。そこに住まわせて頂き、ひとりで生きていきなさい。お前の八卦占いは、お前自身を救い、多くの人を救い、多くの人に希望を与えることが出来るだろう。いや、救う、という言葉は少し違うな、多くの人達を気づかせてあげることができるだろう。そう遠くない将来、人々は、真の気付きを求められる時が必ずやってくる。その時にこの筮竹はその人達に大きな力を与えてくれるはずだ。だがな、お前がこの筮竹を使いこなせるようになるには、『当たるも八卦。当たらぬも八卦』この言葉の意味を真に理解しなければならない。辞書などを引かず自分の頭で考え、答えを出しなさい。そのためにも今日から毎晩、瞑想をするとよいだろう」

 そう言いながら祖父は、筮竹と漢文で書かれた難しそうな書物を私にくれたのだった。

 将来、お前の八卦占いは多くの人に希望を与えることが出来るだろう、と祖父は私に言ったが、その時点で私の希望のほうは失せてしまったものである。

 頼みもしないのに祖父はまだ中学二年生の私に、八卦占いの他にも、北関東の山と瞑想まで押しつけてきたのだった。

 

 あれから五十年以上もの歳月が流れ、私も四年前に還暦を迎えた。

 私は長いこと祖父に反発して生きてきたつもりだが、気が付けば、八卦占いと滝行を趣味とし、瞑想をしながら北関東の山にひとりで暮らしている。

 東北の故郷から今の北関東の小さな村に越してきた時も、祖父に贈られた書、『癌』も一緒に持ってきた。今でも壁に掛け、毎日眺めている。そして、

 

『ヤマイダレ、品物を山ほど集めて、癌(がん)となる』

 

 私が小学校二年生の時に祖父から頂いたこの言葉を、今でも毎朝唱えさせて頂いている。今ではだいぶ色褪せてしまった、癌、という字ではあるが、この書を眺めながら、

「ヤマイダレ、品物を山ほど集めて、癌となる」

 この言葉を子供の頃から毎日唱えていたせいか、私の中の物欲はなくなってしまったような気がする。また、

「品物を集めて、というのも間違いではないが、品、という字は、人の口を集めた字でもあることに気付きなさい」

 祖父は、大切にしていた筮竹を私に授ける時にそのような話もしてくれた。

 その時、ひとりで生きていきなさい、と言われた意味も私なりに理解したものである。だが、

『当たるも八卦。当たらぬも八卦』

 私なりにこの言葉の意味を真に理解したのは、私が五十歳を過ぎた時であった。

 一般的な意味は、占いは当たる場合もあれば当たらない場合もあるので気にすることはない、というもののようであるが、祖父に、辞書などを引かず自分の頭で考えて答えを出しなさい、と言われたのにもかかわらず、辞書などを引いてしまった私は、長いこと辞書に書かれていたその言葉に取り憑かれてしまっていた。とはいえ、意識して祖父に言われた八卦の、真の理解につとめてきたわけではないが、五十歳を過ぎ、自分の人生を振り返ってみた時、ふと気が付いたものがあった。

 その気付きは、亡き祖父と同じ解釈であるかどうかは、わからない。だが、その日以来、私は無性に八卦占いを学ばせて頂きたいと思うようになったのである。瞑想中、私はそのことを亡き祖父に報告し、長年、風呂敷に包んだままにしていた祖父の筮竹で八卦をたてさせて頂くことのことわりを入れた。

(じいちゃん、この筮竹に触れることを了承してくれるなら、じいちゃんの力も俺に貸してほしい)

 私は、亡き祖父にそのようなお願いをし、その日を境に八卦占いを学ばせて頂いている。


 北関東のこの小さな村で、私は、行(ぎょう)ちゃん、と呼ばれている。

 そして、この数年、私のところに悩み多き人達がやって来るようになった。

 

「行ちゃん、こんな調子で私はこれから先、生きていけるのだろうか」

 そんな悩みを抱えた女性達も少なくはない。

 ただ、私が多くの相談者を見てきて思うことは、相談者達の大半の人が、心の奥深くに、 『隣の芝生が青く見えて、落ち込んでしまう』といった、何とも厄介な感情の渦に巻きこまれ、身動きが取れなくなっているのではないか、というものである。

 これからのお話は、そのような彼女達のことを書かせて頂こうと思っている。だが、これは誰かれかまわずというものではなく、私の心に深く残った、自称、不幸のどん底女、と言っている、七人の女性達の物語を連載していこうと思う。

 彼女たちの特徴は、あの彼女はこれから一体どうなることやら、といった印象を周りの人達に持たれ、彼女達自身も、私はこれから一体どうなることやら、と落ち込んでいる。しかし、私の見立てでは、彼女たちの未来は大きなツキが巡ってくると出ているのだ。そのツキは、近い将来かもしれないし、十年、二十年、三十年先のことかもしれない。

 私は、そんな彼女たちの二十年後、三十年後の姿を見届けたいと思うようになった。そして、婆様になった彼女達に、「ほら、俺の言うとおりになったべ、生きていてよかったな」と、言ってあげたいのである。

 だから、私は百歳までは生きようと思っている。

 百歳まで生きられる術は、『癌』という字から学んだ。これから先も私は、滝行と瞑想を行いながら、北関東の山の片隅で生きていこうと思う。

 しかし、私が紹介したいと思っている七人の女性たちの中の四人は、まだ了承を得られておらず、この本のタイトルは、七色の芝生、ではなく、三色の芝生、のほうがよいだろうか、などと考えてもみたが、言葉の響きが、なないろ、のほうがよいので、『七色の芝生』にした、という次第である。

 

※このお話は、なるべく事実に基づいて書いておりますが、本人のプライバシー保護ため、彼女たちの名前、家族構成、勤務先等については事実と異なるものもあります。


 

 

 

七色の芝生


 冬になると、私は地元のお寺の境内にある滝行場を使わせて頂き、百日間ほど、滝行を行っている。行者のようだということから、私は、行ちゃん、と呼ばれるようになった。しかし、現在は周りの人達の、私を見る目が少し違ってきていることは否めない。

 

 それは二年ほど前のことだった。

 村に一つしかない信号機が赤になったので、私は運転していた車を止めて信号待ちしていた。すると、「ぎょう!」という声がどこからともなく聞こえて来たのである。女性の叫び声のようだったが、前方左右、人も車も来る気配はまったくなく、ということは後ろか、と思った私はバックミラーを覗いた。その私の感は的中した。ミラーには、隣町の高校に通う地元の女子高校生のくるみちゃん(仮名)の姿が映っており、彼女は本気モードで自転車をこいで私の元にやって来ようとしていた。

 くるみちゃんは私の車の横に、きゅっ、と自転車を付けると、「行ちゃん」と言ったきり、しばらくゼイゼイハアハアしていた。信号待ちしていた信号は、とうに青に変っていたが、前方左右後方、どこからも車の来る気配はなかったので、私は車を止めたまま運転席の窓を開け、「何だい?」と、自転車を跨いで呼吸を整えているくるみちゃんに訊いてみた。すると、

「行ちゃんに、教えてもらいたいことがあるの」

 彼女はゼイゼイハアハアしながら、そう答えた。

 そんなに息せき切って、どこから私の車を追いかけてきたのだろうかと思ったが、余計な無駄話はせず、私はすぐに本題にさしかかった。

「俺に何を教えてもらいたいんだ?」

 当時、くるみちゃんは高校一年生だった。好きになった男の子との相性でもみてほしいとでも言われるのかと思ったが、

「私のこの頭の中から、煩悩を消すことができる瞑想を教えてほしいの」

「?」

 彼女の口から、煩悩、瞑想、などの言葉が出たので私は少し驚いた。 


 信号機のある交差点から三百メートルほど行くと、寂れたガソリンスタンドがあり、私はそこでくるみちゃんと落ち合うことにした。村に一件しかない貴重なガソリンスタンドである。その店はガソリンを入れるだけでなく、待ち合わせ場所としても村人によく使われている。ガソリンスタンドに置かれている外のベンチに座り、私はくるみちゃんの話をよーく聞いてみた。彼女の話は、自分のお喋り性格を何とかしたいのだというものだった。

 くるみちゃんは高校の友達に、絶対内緒にしてね、と釘を刺された話しでも、絶対内緒だからね、と言って、その友達の内緒話を別の友達に喋ってしまうのだという。どうしても喋りたい欲求に負けてしまい、後悔だらけの毎日を送っているので、その喋りたい煩悩が湧き上がった時にすぐに消すことができる瞑想を教えてほしいのだと、彼女はそのようなことを私に言った。

 くるみちゃんは私の元に来る前に心を落ち着かせるための本を数冊買い求め、彼女なりに勉強したようだ。効果はどうであれ、その本から、煩悩、瞑想、などの言葉を覚えたようだが、友達の内緒話を別の友達に話したくて仕方がないという症状は、煩悩というものとは少し違うような気もした。が、余計な口出しはせず、私はその時にこのような話をくるみちゃんにしてあげた。

「雪が降っている寒い日でもな、お寺には参拝する人たちが多くやって来る。俺が滝を受けているあいだ、俺に手を合わせていく人もいてな、中には、お賽銭まで投げてくれる人もいるんだ。お賽銭は大半が硬貨だからそのまま水の中に沈んでしまうけど、それでもありがたいと思うぞ。だけどな、そう思いながらも、俺も貧乏人だから、時には、このお賽銭がお札(さつ)だったらいいなあ、お札だったらちゃんと俺の足元まで流れついてくれるかもしれねえな、お札を投げて貰えねえかなあ、なんてことを考えてしまうこともあるんだ。冷たい滝の水を受けていて、このまま死ぬかもしれないな、なんて状況の時でも、消えかけた煩悩が頭をもたげてくることもあるんだ。それでもな、本当にお札が俺の足元に流れついてそれを手に取ってしまった時には、周りの人達にえらく幻滅されることも想像できる。あの男は行者もどきだ、って簡単にそう思われてしまう。だから、ひと息ついて、これを行ったらその先はどうなるか、というものを考えられるようになることも、人生の大切な勉強だと思うぞ。それに、煩悩はそう簡単に消えるものでもないし、消えたからよいというものでもない。何度も言うが、言葉に出す前に、これを言ってしまったらその先はどうなるか、ということをひと呼吸置いて考えられるようになったら、くるみちゃんも一人前だ。自分の煩悩と上手く付き合っていけるようになってこそ、人としての深みが出てくるのではないか。俺はそう思うぞ」



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