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20-1

 
何故か言葉を話さない人物が自分をたずねている-

翼は不思議とその人物が誰なのかを予感していた。


「ねぇ翼、私のことはいいからそこに行ってあげて」
愛菜も佐伯の言った言葉で事情を察したのか、翼をエントランスに行くように促す。

「あぁ、悪いな愛菜。ちょっと行ってくる。羽月、ちょっと頼む」
翼はそう言うと、すぐに席をはずし佐伯とともにエントランスへと向かっていった。

「言葉を話さん人って、まさか」
羽月は歩き去る翼の背中を見つめながら呟いていた。


小走りの翼がエントランスに着くと、そこには半ば困った顔の佐伯を横に椅子に座りながら顔を伏せる一人の黒髪の少女の姿があった。

「翼、お前の知り合いか?」
様子が気になっていたのか、天馬もその場へと姿を現す。
「はい」
翼は一言そう答えると、少女のもとへと近づいた。

「美空ちゃん、美空ちゃんだろ?」
翼が話し掛けると、"彼女"はゆっくりと顔を上げる
彼の顔を見上げる潤んだ瞳のかわいらしい少女が美空本人で間違いないと、翼の確信した表情が物語っていた。

「美空ちゃん、一体どうしたんだい?どうしてここに?」
翼がそう言うと、美空は潤んだ瞳から涙を零しながら手をスッとかざした。

『オ母サンガ、オ母サンガ……』
手話をする彼女の手ぶりと表情を見て、翼は何かただ事じゃないと確信した。

「楓さん?楓さんがどうかしたのか?」
翼がそう言うと、やり取りをしている彼らの後ろには、いつの間にか愛菜と羽月の姿もあった。

「美空さん?」
「美空ちゃん、どないしたんや!?」
顔を知っている二人の存在に気付いてか、美空は目をゴシゴシと拭う。
そんな彼女を察してか、天馬は翼に話しかけた。

「翼、ここにいても他の人間の目に入ってなんだろう。とにかく、一度彼女にも席に移ってもらえ」
「はい」
翼はすぐに頷いた。
しかしそこに佐伯がまったをかけるように口を開く。

「社長、彼女を席に移したいのはもっともなんですが、もう全席他のお客様で埋まっています」
「そうか。じゃあ彼女が差し支えなければそれまで事務所で-」
天馬がそう言いかけた時だった。

「天馬、彼女……美空さんを私達のいるテーブルに座らせてあげて」
「愛菜」
愛菜の突然の言葉に、翼と天馬は一瞬言葉を止める。

「いいのか、愛菜?」
「えぇ。彼女の様子からしてただ事じゃなさそうだし。それに、私や羽月くんも知り合いなの」
愛菜の言葉を察したのか、天馬はすぐに首を縦に振った。

「わかった、それでいいなら。翼、彼女をテーブルに案内してやれ」
「はい。美空ちゃん、一緒にこっちへ」
翼のエスコートで、立ち上がった美空はフロアの方へと歩いていった。
その様子を、エントランスの天馬たちは不思議そうに見つめる。


「彼女、翼に対して手話をやってたな」
「あの女の子、何かの事情で声を出して話すことができへんのです」
呟く天馬に対して、羽月がポソリと答える。

「そうだったのか。それにしても翼のやつ、まさか手話を理解できるなんてな。羽月、愛菜をテーブルまでエスコートしてやれ」
「あっ、はいっ!」
「愛菜、すまんな」
「いいのよあやまんなくて。こっちこそお願い聞いてくれてありがとう、天馬。さっ、羽月くん戻って飲みましょう」
愛菜はそう言うと、羽月とともにフロアのテーブルへと向かって歩いていった。



『声が出せない……か』



彼らが席へ戻るのをエントランスから見守る天馬は、心の中でふとそう呟いていた。



一方-

一足先に席へと戻った翼は、ソファへと腰掛けた美空の膝にトーションを敷き、温かいおしぼりを手渡した。

「あらためて、いらっしゃいませ!」
笑顔でそう話し掛ける翼を見て、美空は暗かった表情を僅かに和らげる。

『イツモノ翼サンジャナイミタイ』
「いつもの俺じゃないって?まぁ、そんなに気にしないで」
『ソレニ、私ホストクラブニ入ッタノッテ初メテダッタカラ……』
美空は不思議そうに店内をキョロキョロと見回した。

「そうなんだ。もしかしたら、ちょっとうるさいかもしれないけど大丈夫?」
『大丈夫デス』
白を基調にしたオシャレな店内も、流れるトランスのBGMも、店中にいる多数のホスト達の姿も、そして時折コールをしながらドリンクを口にする姿も……
美空にとっては、なにもかもが初めての異空間そのものだった。
そんな時、ちょうど愛菜と羽月の二人も戻ってくる。


「美空さん、ちょっと騒がしいけど、ここなら今翼と話せるわ。大切な話なんでしょ?」
愛菜が優しい口調でそう言うと、美空は手話をサッとしながらすまなそうに頭を下げる。

「翼、彼女何て?」
「あぁ、せっかくの楽しい時間に強引に割り込んだようですみません……って」
翼が美空の手話を通訳すると、愛菜はニコリとしながら首を横に振る。

「事情はわからないけど、美空さんの顔からしてとても普通じゃないことはわかるわ。手話は私たちにはわからないから、存分に翼に話してね」
美空はあらためて愛菜に対して頭をペコリと下げた。

「翼くん、愛菜さんのお話の相手は俺がするさかい、安心してな」
「あぁ、ありがとう」
羽月と愛菜の協力を得て、翼は美空の手話による話を聞くことにした。
美空も、周りの視線に触れないように小さく手話をすることに努めた。



………………………。



約10分後



翼は美空から一通りの話を聞き終えると同時に、彼女から一枚の手紙のようなものを受け取っていた。
手話による"会話"が終わった後、周囲がどれだけ騒がしくても、二人の間だけは重苦しいほど静まり返っていた。

「そんなことが……」
翼は思わずそう呟いた。
近くにいる羽月と愛菜もやはり気になるのか、翼がそう呟いた瞬間彼の表情の異変には敏感なほどに気付いていた。





『翼サン』
「えっ?」
『突然コンナコト話シテ、ホントゴメンナサイ』
「いや、いいんだよそんなの。むしろ、知らせてくれてよかった」
『私、帰リマス。コレ以上イタラ愛菜サン達ニマデモットゴ迷惑ヲカケテシマイマスカラ』
「美空ちゃん、そんな。大丈夫なのか?」
『ハイ、翼サント話セテヨカッタデス。ア、オ会計ハ』
「いいよ」
『ソンナ』
「いいから。今は、お母さんのところにいてあげて」
『ハイ、アリガトウゴザイマス』
美空は翼にペコリと頭を下げると、スッと席を立った。
それに気付いてか、羽月と愛菜も彼女の方に視線を集める。

「美空ちゃん、帰るんか?」
「大丈夫なの?」
羽月と愛菜がそう話し掛けると、美空はその時の精一杯の笑顔で二人に対して頷いた。

「俺、ちょっと下まで送ってくるから、羽月もうちょっと頼むな」
翼は羽月に一言そう言うと、美空を連れてエントランスへと向かっていった。


「翼くん、何かすごい驚いてたな。どないしたんやろ」
「……」
羽月と愛菜は、美空とともに去る翼の後ろ姿を静かに見つめていた。

「そうだっ」
ビルを降りるエレベーターの中、翼はポケットから名刺ケースを取り出していた。
すると、そこから銀色にコーディングされた一枚の名刺を抜き取り、目の前にいる美空に差し出す。

「何かあったら、この携帯に連絡して」
『……』
両手で受け取ったその名刺を潤んだ瞳で見つめながら、美空は手話で『アリガトウ』と言った。

エレベーターを降りると、そこには店内とは違う現実的な街のネオンが続いていた。

「じゃあ、俺は仕事があるからここで。ホントに大丈夫かい?」
『ハイ、大丈夫デス。翼サン、アリガトウゴザイマシタ』
「美空ちゃん、答えずらいならいいけど何でそうまでして俺をたずねてきたんだい?」
『……』
美空はそれに答えることなく、二度三度と頭を深く下げると、翼にそれ以上顔を見せることないままネオンの奥の暗闇の中に姿を埋めていった。
その際、翼は彼女の靴がやたらボロボロに汚れていたことを思い出していた。

『あの子……喋れないリスクがあるのに、俺一人を捜すために靴があんなになるまで歌舞伎町中のホストクラブの"翼"をたずねて駆け回るなんて……』
翼はどこか感慨深くネオンの光を見つめていた。


「しかし……それよりもまさか、そんなことになっていたなんて」
翼は店に戻ろうとするさなか、茫然としながらそう呟いていた。












『"セント・アリス"』










美空から伝えられたその一つの言葉が、翼の脳裏から離れることはなかった。

4Fにある【Pegasus】のエントランスに戻ると、翼はキャッシャーから何やら言い争う声を耳にした。

「何だ?」
何かと思いキャッシャーをのぞいてみると、そこには目付きを恐ろしいほど鋭くした天馬が、電話の受話器を片手に怒りの感情を口にしていた。

「その件に関しては、俺は何度も断ると言ったはずだ!もうかけてくるな!」
力まかせに受話器のスイッチを切った天馬は、息をあらげながら目の前の壁を睨んでいた。



『あの普段いつも冷静な社長が……』
そう思いながら翼が見ていると、天馬はその視線にハッとしたように気付く。

「おう……翼、彼女は?」
「あ、無事帰りました。すみません社長、突然なことでご心配かけてしまいまして」
「いや、それに関してはいい。早く愛菜のところに戻ってやれ。他のお客も待ってるぞ」
「はいっ!」
翼は天馬に一礼をすると、フロアの方へと戻っていった。
彼がいなくなったのを確認すると、天馬はキャッシャーごしに怒りの表情を見せながら呟く。

「聖(ヒジリ)のやつ……一体どうゆうつもりだ!」
ホストたちはおろか内勤の佐伯さえ知ることのないまま、天馬は一人そのぶつけようのない怒りの感情で空を切っていた。

「愛菜、羽月、すまない」
テーブルに戻った翼は、待たせたことを愛菜と羽月に謝った。
「いいって☆翼、美空さんの方は大丈夫だったの?」
「あぁ、まぁ」
どこと無く表情の優れない翼を、愛菜は決して見逃さなかった。

「何か、あったのね?」
「……まぁ」
「詳しくは聞かないわ。翼をたずねてきた以上、彼女にもそれなりの事情があったんだろうしね」
「いや。全ては言えないけど、愛菜や羽月にもこれだけは聞いてほしい」
翼は、深い事実に関してはうまく伏せて、愛菜と羽月に事情を話し始めた…。



約2分後-

翼から事情の一部を耳にした愛菜と羽月は、半ば絶句していた。

「んなアホな、楓ママが重病で入院やて!?じゃあ、最近お店が開いてなかったのも」
「あぁ、その通りだ」
目を大きく開けて驚く羽月に対して、翼はただただ相槌を打った。

「あんなに元気やったママが……まさか病気やなんて……」
「美空ちゃん他に身寄りもいなくて、声が出せないのが理由で友達もできなかったらしい」
「それで……他に頼れる人がいなくて、手話を理解している翼をたずねてきたわけね。慣れないホストクラブにまで。それだけ、そんな時でも人と話せないって怖いことなのね」
「今、楓さんの容態はそんなに良くないらしい……」
「そうやったんか」
翼たちは、各々の言葉を交わした。
その際、隠してる事実や"手紙"のことがばれまいかと、翼はひとり肝を冷やしていた。


「翼、梨麻さんからボトルが入ったぞ。行ってくれ」
そこへさりげなく指示にやってきた佐伯の一言で、翼は再び席を離れることになった。

「ゴメン、ちょっとまた行ってくる」
翼は再三申し訳なさげにそう言った。
「いいって、ちゃんと仕事してきなさい」
愛菜は冷静にそう言った。

「愛菜さん、お邪魔していいですか?」
そこへ慌ただしく入れ代わるようにやってきたのは、由宇だった。

「由宇……いいわよ、どうぞ」
「どうも。羽月くん、君は外してくれていいぞ」
「あ、はい。愛菜さん、ほなまた」
由宇がヘルプ席についたと同時に、羽月は残念そうにその場から離れていった。

20-2

 
「愛菜さん、ホンマ翼くんを信用してんやな……」
羽月はフロアを歩きながらポソリと呟いていた。

「今日は何かと忙しい日ね。翔悟もだけど、あなたも来てくれるし」
「すみません、僕も久しぶりに愛菜さんとお話したくなって」
由宇はほのかな笑顔を見せつつも、愛菜に対してもいつも通り冷静な口調を保っていた。

「あなたも【Unicornis】の頃から相変わらずね」
「僕は昔からこうですよ。愛菜さんは、とても彼を買ってるんですね」
「まぁ……ね。あなたも翔悟みたいに気になるの?」
「別にそんなことないです。僕は翼くんを特に後押しするわけでもなければ敵視もしません。翔悟さんや光星さんに対しても同じです。誰がどうなっても、僕は自分なりにやっていければ、それでいいので」
「マイペースなのも相変わらずね」
愛菜と由宇は、そんな不思議な落ち着いた雰囲気の中でグラスを交わす。
そんな中、どこか哀愁を秘めた表情の由宇に見つめられていることに、愛菜は気付くはずもなかった。



数時間後-

「お疲れ様っしたぁっ!!!」
【Pegasus】は、その日の営業とその後のミーティングを終え、店内のホストたちは帰宅の雰囲気へと移っていた。
そんな中、翼はガラリと空いたフロアのソファに、ひとり腰をおろしていた。

「……」
まだ開いて中身を見ていない美空から手渡された"手紙"を、翼は手に持ってはそれをずっと見つめていた。










『詳シイコトハ、ココニ書カレテイマス』











美空が手話で伝えた"事実の詳しい内容"を見るのを、翼はどこか躊躇していた。
見れば、何かとんでもないことが起こる……彼にはそんな根拠のない予感すらしていた。



『セント……アリス……』



翼の頭の中から、その言葉がどうしても離れなかった。
その時、速足でツカツカとこちらに向かってくる足音を翼の耳は捉えた。

「くっ……」

苦渋の表情のまま現れた天馬は、翼の存在に気付くこともなく彼の向かいにあるソファにドサリと腰を埋めた。

「社長」
その言葉で、天馬はやっと翼のことに気付く。

「おぅ翼か。まだ帰ってなかったのか。愛菜は?」
「今日は、亡くなったおばあさんのところに一人で行くって言って帰りました」
「そうか」
天馬はおもむろに煙草の火をつけ、「フーッ……」とため息混じりに煙を吹き出す。
いつもと天馬の様子が違うことは、翼にはハッキリとわかっていた。

「あの、社長。何かあったんですか?」
「……」
翼がたずねても、天馬は無言で煙草を吸い続けていた。
しかし、手に持ったその煙草を灰皿にて揉み消した瞬間、彼は周囲に他の人間がいないことを確認すると口を開いた。


「翼、この後時間あるか?」
「??はい、大丈夫ですが」
「ちょっと飲みに出ないか?」



翼は、天馬の言う通りに彼についていくことにした。

店を閉めた後、二人は天馬の行きつけのショットバーに場所を移していった。



「こうして、お前と二人で飲むのは初めてだな」
「はい」
「それにしても、今日の売上はよかったぞ!まさか、お前がここまでやってくれるとは思ってもみなかった」
「ありがとうございます」

すると天馬は、グラスの中の蒼く輝くカクテルを飲み干し、横にいる翼を強く見据える。

「翼、今から俺が言うことは、絶対誰にも言うな」
「はい」
翼が頷いたのを確認すると、天馬はひと呼吸おいて話を切り出し始めた。



「【Unicornis】が……つい何日か前に摘発された」
「何ですって?」
天馬の発言に、翼は驚きながら聞き返す。

「【Unicornis】って、確か社長が独立前に在籍してたお店ですよね?」
「そうだ。そこが、薬物絡みで警察のガサが入ったんだ」
「薬物絡み?」
「今話した【Unicornis】のこともそうだが、覚醒剤や大麻などの違法ドラッグで摘発されたホストクラブや風俗店があるのは、別に今に始まったことじゃない。法律や都知事が決めた条例や政策で減ってきてはいるものの、実際まだそれが続いているのが現状だ」
「そうだったんですか」
翼はそこで天馬と同じ蒼いカクテルを一つ口にした。
それと同時に、バーテンダーによって空になった天馬のグラスが再び同じカクテルで充たされる。
天馬は続けた。


「翼は歌舞伎町で働いて時間も浅いから知らなかったろうが、しかしまぁ……あれだけ薬物を厳重に禁止していたあの店が、まさかこんなことになるとはな。ショックだったぜ」
「その【Unicornis】も覚醒剤で?」
「いや」
天馬は再びカクテルを口にすると、さらに続けた。

「俺もつい最近知ったことなんだが……表ざたには覚醒剤になってはいるが、その摘発の原因になったのは一般に聞くそれらの類じゃないらしい。どんなものかは詳しくは知らないが、聞く限りそれらよりも相当タチの悪いモノだって話だ。信じられない話だが、今その薬とやらが歌舞伎町にも蔓延し始めているんだ。俺はその話を、【Unicornis】のオーナーから聞いた」

現実離れしたような信じられない話に、翼はカクテルグラスを手にしたまま絶句していた。
しかし天馬の話はそれだけでは終わらなかった。

「現在【Unicornis】は営業停止状態だ。俺も世話になった店だから何とかしてやりたいとこだが……」
そこで一旦天馬の言葉は途切れた。

「社長?」
翼が小さく声をかけると、天馬はため息をついて再び話し始めた。

「……俺は今日あの店のあるホストに電話で言われたんだ。『Pegasusのあるホストがその薬を流している』ってな」
「なっ……うちの店に?!」
「俺はそいつに怒った。ウチにそんな奴はいない……そう信じたいからな。だが-」

天馬は一本の煙草に火を燈した。

「もしそんな危ない"薬"がウチの店から出てるとなると、俺もお前たちの前で決断をせざるを得ない」
煙草を片手に冷静に口調を保つ天馬の表情は、俄かに苦渋に染まっていた。
翼には、それが痛いほど伝わってきた。

しかし、彼には一つ気になることがあった。

「社長、一つ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「その"薬"の名前とかどんなものとかって、わかりますか?」
「名前?そうだ確か……」
天馬は一瞬考え込むと、すぐに口を開いた。


「"St.Alice(セント・アリス)"だったか」
「!??」
翼は思わず椅子を弾き飛ばしながら立ち上がった。

「おい…どうした、翼??」
「セント・アリス……!」

翼はその名前を呟くと、ジャケットの内ポケットから、美空から受け取った一枚の手紙を取り出す。
「翼、それは?」
「今日店に来た、あの女の子から手渡されたものです」
「それが、どうかしたのか?」
「手話で彼女から聞いた話では……」


翼は息を呑んで再び続けた。


「彼女の母親は、その"St.Alice"の影響で重体になっているそうなんです…」
「何だと……!?」
「この手紙には、それについての詳しい秘密が書かれているそうです」


翼と天馬は、絶対にないくらいの緊張した面持ちでそれを凝視した。

「翼、頼みがあるんだ」
「はい」
「勝手を言ってはなんだが、俺にもそれを見せてはもらえないか?」
「社長」
「俺は許せないんだ……!【Unicornis】を摘発に追いやった"St.Alice"のことを。だから、俺もできる限りのことは知りたいんだ」


静かな怒りすら感じさせる天馬の真剣な眼差しに、翼は無言で頷いた。



そして、その"手紙"をゆっくり、ゆっくりと開封していった。



「これは!」

美空から渡された"St.Alice"の秘密が記された手紙-










そこに書かれていたのは










読ンダ翼タチノ目ヲ疑ウ












恐ルベキ事実ダッタ-





                                                  第21章へ

21-1


あれから天馬と別れ帰宅した翼は、ひとり煙草を片手に机の上のある一点を凝視していた。
その厳格な視線の先には、美空から渡された例の"手紙"が広げられた姿で置いてあった。



『……』



知ってしまった事実の重さに、翼はずっと口を開けないでいた。










約2時間前-

ショットバーにて、翼は隣にいる天馬の目の前で"手紙"を広げた。
ゆっくり、ゆっくりと、何か恐ろしいものが潜んでいるパンドラの箱でも開けるかのように、"手紙"の折り目を一つ一つ解いていった。


「ゴクッ……」


息を呑む音が聞こえるほど、翼と天馬の間はひどく静けさに覆われていた。
他に客もいないせいか、バーテンダーは不思議な様子で二人を見つつも、何か事情あると思い干渉してくることはなかった。
二人には、そんな気遣いがどこかありがたかった。


そして、3回にわたり折り込まれたそれは、ついにA4サイズほどの一枚の"手紙"となって姿を現した。
「何が書いてあるんだ」
翼と天馬は、それを手に取り、細かい文字でぎっしり記されたその内容を黙読し始めた。


『"霊薬"St.Aliceについての全貌』


◆199○年8月-


俺はついにつかんだ。
聖なる霊薬と言われ続けた"St.Alice(セント・アリス)"についての秘密。

世間の一部で蔓延していたこれは、何故"霊薬"と言われていたのか?
一体どこからきたのか?
一体誰が生み出したのか?一体誰が持ち込んだのか?
そして、一体どのようなものなのか?
俺はそれをついに突き止めた。

ふとどこからか涌いて出たかのように出現したこれが"霊薬"と言われてきた理由は-
これを作り出したのは、つい数ヶ月前に『消滅』と言われた、星母マザー・ミカエルをたたえる信教"星羽会"であることがわかった。

何故ここで星羽会なのか?
俺は疑問に思い、さらに星羽会をも調べ続けた。

わかったのは、St.Aliceの名前の由来が、元・星羽会代表【アリス・クレイアード】というどこかの国の女性の名前によること。

St.Aliceを作り出したのは、幹部信徒であり科学者・アリスの実弟【ルペス・クレイアード】博士。

この姉弟が何の目的でSt.Aliceを作り出したのか。
そして星羽会全体の狙いは何だったのか。
ここから書くことは、公にはなっていない恐るべき事実だ。










翼と天馬は、さらに先を読み進んだ。


◆星羽会は滅ぶ前に何をしようとしていたのか。
彼らは知っての通り、マザー・ミカエルの名のもとに暮らす平穏主義の教団だった。
しかしそれは表の顔に過ぎない。

一般信徒は、一般市民のそれと何も変わらないが、一部の一般信徒と幹部以上の者だけは違った。
その違いは、St.Aliceの製造から流通に携わっていた者達だ。

マザー・ミカエルという幻想の存在を盾に星羽会を創始したアリスとルペスの姉弟は、St.Aliceを使用したある恐ろしい計画をたてていた。



その名を、
"Mother-Project(マザー・プロジェクト)"。



"母の元に帰す"と定めたこの計画は、まずSt.Aliceのことを語らなければならない。

まずSt.Aliceとは、聖なる霊薬とは全く関係ないものということだけは確かだ。。
それどころか、その存在自体があまりにも恐ろしく危険であるのだ。
その効果は以下の通りだ。

・精神に大きな影響を及ぼす。
・身体の一部に障害をもたらす。
・体内の免疫を破壊し、疫病の悪化を著しく進行させる。

そして、ある意味もっとも恐ろしいのが

・体内の細胞分裂を異常に早める。


以上がSt.Aliceの効果だ。
これには、服用した量や年齢・性別・その他個人により症状や進行なども異なる。
しかし、遅かれ早かれ摂取した者に待っているのは、確実な「死」だけだ。

星羽会の連中は、こんな霊薬とは名ばかりの凶悪な殺人兵器を作り出し、世に蔓延させようとしていた。


このSt.Aliceで、日本を中心に行く行くは世界を死にいたらしめる-
アリス・クレイアードは、それを企んでいたのだろう。
その真っ先に標的にされたのが、金や薬物の蔓延がある新宿の歌舞伎町だった。
その中でうってつけのカモにされたのが、ホストクラブだった。
もちろん、経営していた俺の店も例外なくやられた。
店のホストの中に信徒の生き残りがいたんだ。
星羽会にとって、ホストクラブや風俗店というのは、自らのリスクを抑えて薬を広めるのにうってつけの媒体となっていたかもしれん。



俺は媒体にした奴を後日追い詰めた。
しかし、奴はさらなる別の手を打っていた。
俺の元常連客であることに目をつけたのか、恋人の楓の勤める店に行き、彼女にSt.Aliceをこっそり服用させたのだ。

何も知らないでそれを口にした楓は、今少しずつSt.Aliceによって蝕まれている。
俺は怒った。
そんな自分の怒りと止められなかった怒りに堪えられなかった。

俺はそいつをやっとの思いで探した。
しかし、そいつは何者かによって殺されていた。
恐らく、他の信徒の口封じか何かだろう。


俺は楓に付き添った。
今の所何もないが、明らかにSt.Aliceを服用した彼女に待つのは-


これ以上考えたくない。
しかし、俺がそれ以上に恐れているのは、St.Aliceが遺伝しないかということだ。
この時楓のお腹には、妊娠4ヶ月になる俺の子供が宿っていた。
楓でだけでなく、子供まで…そう考えただけで、俺は狂いそうだった。


このことを楓に言うべきか言わないべきか。
俺は散々迷った揚句、言わないことにした。
いや、言えなかった。
誰が好きこのんで、恋人や子供にあんな残酷な宣告ができるか。
しかし、いつかわかること-
それが俺には堪え難い苦痛だった。


きっと俺達の子供も、何かしらの"障害"を持ってしまうかもしれない。
しかし生まれてくる命に罪なんてない。
それを大切にしなければならない。

男の子なら『陸』、女の子なら『美空』
どちらが生まれてくるにしても、子供の未来は大切にしたい。
とにかく、無事に生まれてきてほしい……それだけだった。


俺はホストを、楓はホステスを引退し、いつか二人の夢だった小料理の店を開く。
それが、限られた命の中でも-




       -神代 麗王-












そこで手紙のメッセージは終わっていた。


「……」

「……」


翼と天馬は、しばらく何も言葉を発することはなかった。
ただ、手紙の主の意志をじっと考え続けていた。



「神代……麗王(レオ)」
天馬はポツリと呟いた。
「社長?この人」
「あぁ、
俺と苗字が同じってことな。神代麗王って人は、10年前に歌舞伎町にいたすごいカリスマホストの名前さ。俺はその人からあやかって、苗字に神代ってつけたんだ。まさか、その人がこんな手紙を残していたなんてな。しかも-」
「えぇ、あの美空ちゃんがその麗王さんの娘だったなんて……」
「きっと美空ちゃんは、母親から言われていたんだろうな。もしものときは、誰かにこれを渡せって」
「えぇ」
「しかし……この"St.Alice"ってのが、こんな恐ろしいものだったとはな」
天馬はそう言いながら手紙を手に取った。

「ん?」
天馬は何かに気がついた。

「社長、どうしたんですか?」
「翼、見ろ!まだ続きがあるぞ」

天馬が指さすところには、追伸と思われる文章が小さく書きなぐってあった。










追伸-

重大なことを二つ挙げておく。


今や星羽会の"使徒"とも言われる人間は、全てアリスとルペス姉弟はじめ、幹部以上の人間とその家族だ。
その目印となるものを書いておく。

これらの目印を持つ人間は、すべて"Mother-Element(マザー・エレメント)"と呼ばれる紋章のようなものを身体の一部に人工的に植え付けられている。
個人によりそれは異なるが、それらは鎖やロープのようなもので絡められた一本の羽根のような形をしている。

階級や性別によりその色や形は違うらしい。
これを身体に刻み込んでいる人間には注意せよ。



そしてもう一つ

下に挙げる大手企業が、St.Aliceの製造や流通に少なからず携わっている可能性がある。

①㈱アイル・コーポレーション
②㈱アサカワカンパニー
③㈱KK
④㈱ミュゼルバ
⑤㈱エレ・グローブ


これらの企業にも注意。
とにかく、St.Aliceは膨大な金が動くと同時に人一人を簡単に殺すことのできる恐ろしいものだ。

これを、早く伝えてくれ。









手紙の内容は一文字残すことにく、完全に終わった。


「とんでもない内容だったな。まるで映画か何かの世界みたいだ……」
天馬はため息をつきながら呟いた。
しかし、そのすぐ脇にいる翼は何かにとりつかれたかのように微動だにしなかった。

「あの美空って女の子がしゃべれないわけは、この"St.Alice"にあったんだな。麗王さんはこれを伝えたくて。なぁ、翼」
「……」
「おい、翼、どうした?」
「えっ?あっ……」
「どうした、顔が蒼いぞ?」
「いえっ、ちょっと現実離れした話だったのでつい……」
「そうか。そうだな、俺も驚いた。しかし、こんなもんが何故うちの店から。まさか、やっぱり店にいるのか?!"アリスの子"ってやつが…」
「アリスの子??」
「一部で噂になってる"St.Alice"を流してる人物の通称らしい。誰なんだ……そんなもんをうちで流してる奴は!」
「社長……」
翼には天馬の怒りに満ちた言葉は届いていたが、彼には答えることはできなかった。



『店に潜む星羽会の生き残り……"マザー・エレメント"……まさかあいつが……!』

翼は心の中で心あたりのあるその人物=羽月のことを、ハッとしながら思い浮かべていた。



『いや、羽月がそんなことをするはずが…でも…』

翼の心の中は、信じようとする気持ちと同時に羽月に対する疑心暗鬼に襲われていた。
それと同時に、明らかになった美空の秘密と、マザー・エレメントの謎。
そして、掲示されたアサカワカンパニーの名前。


謎とされてきたあらゆる事実が一つになろうとし始めている現実に、翼はただ茫然となるしかなかった。

 

 


2時間後-

翼は自宅のソファの上で悩むように考えていた。



『親父の会社、アサカワカンパニーがまさか"St.Alice"に関わっていたなんて…』

それが頭から離れなかった。
そして……


『㈱KK…』

翼の中でまた別の苦い思い出までが蘇り始めていた。
それを無理矢理揉み消すかのように、翼はおもむろに煙草を吸い始めた。


部屋に舞う煙のように、彼の頭の中はどんよりと曇っていった。










休日を挟んで二日後-

翼は出勤の少し前に"楓"の前にいた。
美空と楓のその後を知るためである。
しかし、何度かインターフォンを鳴らしたものの、誰かが中から出てくることはなかった。

「恐らく病院か」

ケータイの番号やメールアドレスは教えたのだから、何かあれば連絡をくれるはず-
翼はそう信じて、その時は【Pegasus】に向かうことに決めた。



数分後-

翼は【Pegasus】のビルに入ろうとしていた。
「ん?」

彼の斜め後ろから、近づいてくる人の気配に気付く。
すると、そこにはひょろっと長い身長・盛り込んだ金髪を目立たせている羽月の姿があった。
昨日のことがあって疑心暗鬼になっているものの、"St.Alice"の犯人がハッキリしないのもあり、翼は普段通り接することにした。

「羽月、おはよう」
「えっ?あ……おはようさん」
翼がそう声をかけると、羽月は元気なく答える。

21-2

 
「どうした?昨日ヘルプついてくれたときもだけど、何か元気なくないか?」
「そ、そんなことあらへんよ」
羽月はよそよそしい態度で翼に答える。
「そうか」
翼はそんないつもと雰囲気の違う彼に対し、違和感を感じていた。


それから一緒にエレベーターに乗り込むも、いつも自分からうるさいほど積極的に話し掛ける羽月は、無口を通していた。

「羽月」
「……なんや?」
「なんかおかしいぞ、お前。いつもの元気がないし、よそよそしいっていうか」
「何でもないで」
「何でもないって、お前なんか変だ-」
「何でもないってゆってるやん!」
翼の問い掛けに対し羽月がいらだちをぶつけるように返したのは、ちょうど【Club Pegasus】がある4Fへと到着した時だった。

「羽月……?」
「先行くで」

いつも明るく元気な羽月の突然の人の変わりように、翼は戸惑った。



『あいつ、一体どうしたんだ?』



翼は、ツカツカと店の中に一人歩いていく羽月の背中を、ただ見つめていた。

いつもと違う羽月……
それが彼の中では驚きと同時に、ある一つの疑心を一段と深めることとなった。

「今日も一日やるぞっ!!」
天馬は、いつもと変わらない凜とした態度で朝礼をしめた。
ホスト達が各自散らばっていく中、翼はひとり天馬のところへと近づいていった。

「社長」
「おぅ、この間はありがとうな」
「いえ。社長、あれから何か?」
「いや、特にはな」
「本当に、この店の中にいるんでしょうか?"St.Alice"を流してるやつが」
「信じたくないがな……。確信があるわけじゃあないが、俺はこの中にその星羽会の生き残りとやらがいるとは思えない。噂だけのデマだと思いたいぜ」
どこか切なそうな天馬の言葉に、翼はそれ以上何も言うことができなかった。


この溢れかえるような人数のホストの中に、"アリスの子"がいる-
【Club Pegasus】の名前を利用し、恐ろしい殺戮兵器のような薬を内部で隠れて売りさばくスパイのような人間がいる-
それは天馬はもちろん、翼にとっても信じがたいことだった。


「翼、とにかく何も確信できることがわからない今は事を荒立てない方がいい。犯人がいなければ一番それがいいが、中途半端に刺激したりしたら危ないかもしれない。至って俺達はいつも通りでいるんだ」
「はい、わかりました」

翼は天馬の言葉に頷くと、とにかく通常どおりの態度での仕事をするように努めた。

それからも、翼と天馬のさりげない店内での注意は続いた。


しかし、一日・三日・一週間と時間が刻々と過ぎても、店の中で何かが起きることはなく、


一部で起きていた【Pegasus】に対する悪い噂も、徐々に風化しようとしていた。



『俺の店を汚す奴は許さないが、何事もなければそれでいい』

厳しい眼で警戒する中でも、天馬の内心にはその気持ちが強くあった。










そして、一ヶ月近い時間が過ぎた。










6月-

【Club Pegasus】では、全体ミーティングでの新しいランキングの発表が行われようとしていた。

「それではランキングの発表を始める!」
ホスト達全員が緊張感溢れる面持ちで、佐伯からの発表に澄ました耳を傾けていた。


「No.5、羽月!」

「No.4、光星!」

「No.3、由宇!」



ベスト5の3位までが発表された。
発表のたび感嘆と拍手が飛び交ったが、No.3として発表されたのが由宇とわかると、その場はすぐに静寂へと包まれていった。


「では発表を続ける」
佐伯が手元のノートを一枚めくると、すぐにその次の一言は切り出された。



「それでは、No.2は……」



誰かの唾を飲み込む音がはっきりと聞こえる中、その結果は発表された。


「……翔悟……!」











「えっ……?」










誰かがそう呟いたのがはっきり聞こえた。










感嘆も拍手も起こることなく、ただ静かな驚きだけがその場を賑わせていた。


「な、何だと……?」
翔悟は目をまるくしながら、ポカンと口を開けていた。


「翔悟さんがNo.2??嘘だろ……??」

そんな驚きをよそに、ついに佐伯の口からその先の結果が発表されることになった。


「えー、今回のNo.1は……」

佐伯は、軽くほほ笑みながらあるホストの方を向いて、口を開いた。


「翼、おめでとう!」

「えっ?」

翼は戸惑った。



「翼がNo.1!?」
「まじで??」
「てか、あの翔悟さんが負けたのか……?」



ホスト達のざわめきが起こる中、天馬は翼のもとへと歩み寄った。
「翼、ついにやったな!」
「社長、僕は-」
「何お前寝ぼけた顔してんだ!?今日からお前が、この店のNo.1だ!!」
天馬は、そう言うと翼の背中をバシッと強く叩いた。

「俺が……No.1に……??」
「そうだ」
茫然自失の翼のもとに、佐伯が声をかける。

「佐伯さん………」
「最初見たときは、こいつホストできるのかって思ったけど……。翼、本当によくやったな!」
佐伯は今まで見せたことのないような笑顔で、翼に手を差し出した。

「あ、ありがとうございます、佐伯さん」
翼はそれに応えるように、彼と握手を交わした。

「翼さん、やりましたね!」
「やったな翼、おめでとう!!お前すげぇよ!」
周囲のホスト達も現実を徐々に理解し始めたのか、彼らは次々と翼に歩み寄り祝いの言葉を投げかけていった。

自分がNo.1になった-
実感はまだないものの、翼の中で何かが弾けたような気分が込み上げていった。


一方では-

「俺が……翼に負けた……?そんな、そんなバカな……!」
どこかのネジが緩んだかのように、翔悟は力無く細々とつぶやいていた。



また一方では-

「あの野郎が、俺より上だと……?しかも、翔悟さんまで抜いてNo.1に……!?嘘だ……あいつが、あんな野郎がそんなわけ!」
光星は、怒りと悔しさが雑じった感情をじわじわと声にしていた。



「ついにやっちゃったね、翼くん」
横にいる羽月の肩をポンと叩きながら、由宇がつぶやく。

「そう、ですね……」
「何だよ羽月くん、仲良い友達がNo.1になったってのに、嬉しくないのか?」
「いや、そんなんじゃないですぅ。翼くん、ホンマすごくなったわ……」
羽月は、穏やかな表情で祝われ喜んでいる翼を見つめた。
しかし、その瞳の奥にはどこか悲しげなものが潜んでいるなど、その時は誰も気付くことはなかった。



「とにかくNo.1はお前だ!翼、新No.1としてこれからの【Pegasus】頼むぞ!」
天馬に促され、翼はスタッフ全員が注目する中で一人立ち上がった。

そして、

「こんなまだまだ未熟な俺ですが、よろしくお願いします!」

今までにないようなハキハキした口調で、翼はスタッフ全員に言った。
すると間もなく、盛大な拍手が新No.1となった彼を、暖かく賑やかに包み込んでいった。



数日後-


新No.1となった翼は、その月初めて来店した愛菜への接客をしていた。

「あらためておめでとう翼☆」
「ありがとう。ホント愛菜のおかげだよ」
「うぅん、こっちこそ翼にはいろいろ助けてもらっちゃったしね!今日は飲もうね」
愛菜はとてもにこやかな笑顔を翼に見せる。
翼もNo.1になって精神的な余裕がでてきたのか、今まで見せなかったような笑顔を彼女に返した。

「やだぁ」
「なに?」
「翼ってそんなにいいスマイルするのね」
「どうしたんだよ急に?」
「……何でもない☆」
愛菜は顔を少し赤らめながら、翼から目をそらした。
そんな彼女を見て、翼はフッと笑う。

「なによ」
「いや、愛菜もそんな風になるんだな~と思って」
「うるさいわねぇ、愛菜"も"って何よ!」

翼と愛菜は、ドリンクを片手に楽しそうにその場を過ごしていた。



「翼っ!」
佐伯が駆け寄ってきた。
「新規のお客様からのご指名だ。ちょっと外せるか?」
「はい。愛菜、ちょっとゴメン」
「はーい。なるべく早く帰ってきてね」
翼は愛菜とウインクを交わすと、席を外し指定のテーブルへと向かっていった。

「C卓のあそこのOLっぽい3名様のとこな」
「はい」
翼は佐伯の指示通り、すぐにそこへと向かった。



「いらっしゃいませ、翼です!ご指名ありがとうございます」
3人の前で頭を下げながら挨拶をすると、真ん中の女性がはしゃぎながら喜びの声を上げる。
「うわぁ~!さっすがNo.1ホストさん、生の方がカッコイイ~!ねぇ、早くとなり来て」
「はい、では失礼します-」



その時、翼は向かって左側の女性からの異常なほどの強い視線に気がついた。



じっと自分を見つめ続ける彼女の視線が何なのかと気付いたとき



翼の心の中は一瞬で凍り付いた。










『紗……恵……?』













翼(=淺川一也)と紗恵










運命に引き裂かれた二人の









突然の再会だった。





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22-1


『紗恵……!

翼はその一瞬だけ凍り付いたように動かなかった。
懐かしさを含んだ妙なまでの高鳴りが、彼の胸の中で波打っていく。

去年の8月の"あの時"を境に自分の前から一切姿を見せなくなった紗恵が、今自分の目の前に突然現れたのが信じられなかった。


それは紗恵も同じだったのか-

彼女も着飾り様変わりした彼の姿を、信じられないようなものを見るように瞳を大きくしていた。





「キャッ、本物の翼クンよぉ☆ねぇ、早く隣りにきてぇ!」
真ん中の女性客が嬉しそうに促すと、翼はハッとしたように我にかえった。

「あっ、はい!じゃあ、お隣り失礼しますね」
翼は真ん中のリーダー風の女性と紗恵の間に誘われ、座ることになった。
腰をおろす瞬間、どこか懐かしい匂いが互いの感覚を交差していた。



「あらためてはじめまして、翼です。あの、お名前伺ってもよろしいですか?」
翼は頭を切り替えるように話を切り出した。
すると、リーダー風の女性がニコニコしながら答える。

「私はヒトミ、こっちの後ろの子はミチ。で……」
ヒトミと名乗った彼女は、翼をはさんで反対隣りに座る紗恵に目をやった。

「そっちの子は"明奈"。よろしくね」
「よろしくお願いします。みなさん」
翼は三人に笑顔で挨拶をした。
しかし、その内心に訪れた焦りをすべて一気に払拭することはできなかった。


 

 


『明奈…??』




翼はそう思いながら、さりげなく"明奈"の方を見た。
表情やしぐさ・何より自分への反応からして、彼女が紗恵なのは明らかだった。
しかし、何故ここでそのように名乗っているのか……
翼は少しずつではあるが、それに気付き始めていた。

「ねぇねぇ翼クン!」
ヒトミが口を開いた。
「はい?」
「翼クンて、ここの不動のNo.1を破って新しいNo.1なったんでしょう?すごいよねぇ」
「いえ、そんな」
「私、ホストでNo.1の人って、どんだけ高飛車なのかとか想像してたんだけど、翼クンはそんなとこ全然感じないもんね」
「いやぁ、応援してくれるお客さん方のおかげですよ。それには、とても恵まれてると思ってます」
翼がそう答えると、今度はミチが切り出した。

「そうゆう謙虚なところがいいんだよね!私、前に【Unicornis】ってとこでさ、前のNo.1だった翔悟って人指名したことあるんだけど、なんか俺は俺は~ってナルシスト雰囲気強くてダメだったもん」
「そうだったんですか。じゃあ、今日は楽しんでって下さいね!みなさんお飲みものは?」
「そりゃ新No.1と飲むんだから"ドン"イクでしょ~♪今日は飲もうね翼クン」
「わかりました!ありがとうございます」

翼は、その時偶然来たヘルプのホストにオーダーを告げた。



数分後-

ドンペリが一度に2本運び込まれ、その場には大勢のホスト達による盛大なコールが巻き起こった。

20人以上のホスト達から送られる圧巻のコールは、翼をはじめヒトミ達を類を見ないような激しい明るさが包んでいた。


「やっぱりホスクラは、これがたまんないわよねぇ!」
ヒトミとミチはホストクラブに慣れているのか、そんなに驚いた様子もなく笑って楽しんでいた。
しかし、一方の紗恵(明奈)は初めてなのか、驚いた様子でそれらを見上げていた。
それと同時に、隣りに座る変わり果てたかつての恋人の姿にも-
そんな彼女に気付いていたのか、どこと無く話し掛けるのをためらっていた翼は、コールが終わって静まり返ったタイミングを見て彼女に声をかけることにした。

「あの-」
そう言っただけで、紗恵はビクンと身体を反応させた。
「は……はい」
紗恵はぎこちなく小さな声で答える。

「明奈さん……は、こうゆうところは初めてなんですか?」
「え……えぇ……。まぁ、そうですけど……」
紗恵は、翼に目を合わさないように言った。
そんな他人行儀な彼女の姿が、彼にはまるで全くの別人を相手にしているかのような感覚を覚えさせる。
すると、そこにヒトミが口を挟む。

「あぁ翼クン、その子ねぇ、こーゆーとこ初めてってか遊び慣れてないみたいだから、今日半分無理矢理連れてきたのよ。いつも店で仕事したら、他の女の子と違ってすぐに家に帰っちゃうみたいだからさぁ」



『店?』



翼はそれを耳にすると同時に、彼女達の身なりやしぐさをそっと観察した。

OLにしては人より明るい色の髪の毛に、新しく外出用に濃いめに塗られたメイク・そしてブランドのバッグや、ミニスカートなどの露出の多い服装。
そして、いきなりのドンペリオーダー。
翼には、彼女らがOLや昼のサービス業の人間にはどうしても思えなかった。

そして、今自分の横で座っている紗恵も、以前の彼女とは違っていることは明白だった。
以前は一切着用しなかったミニスカート・パーマのかかった髪型・シャープな目元を演出するメイク。
どれをとっても、それは以前の紗恵の優しい面影と一致するものではなかった。



『紗恵、まさか……!?』



翼の中に一つの驚きが芽生え始めていた。


「しかしやっぱり【Pegasus】は新しいしいいわよねぇ。てか、【Unicornis】は今摘発になっちゃったしぃ」
ヒトミはポソリと呟いた。
「えっ?」
翼は思わず反応した。
「【Unicornis】って…ヒトミさんも、いったことあるんですか?」
「あるわよぉ。なんせ、けっこうな有名店だし、ここの社長の天馬さんも前はいたんだもんね。まぁ、私はそこの聖(ヒジリ)ってホストを指名してたんだけどさぁ。あんなことになっちゃってさ……ねぇ?」
翼の質問に、ヒトミはふすくれた顔で答える。

「あの-」
そう聞き返そうとしたとき、ヘルプのホストが翼を呼んだ。
「翼さん、そろそろ引きです」
「あ、そうか。すみません、ちょっと呼ばれちゃって」
翼がそう言うと、ヒトミとミチは「えぇ~?」と揃って声を上げる。

「すみません、なるべくすぐに戻ってきます」
翼は笑ってそう言うと、ヒトミ達は口を尖らせながら頬を膨らませた。

「ま、No.1なんだからしょうがないっか。あ、すぐにまたドンペリ入れるから、そしたら戻ってきてね。翼クン何か癒される」
「ありがとう!」
翼は自分のグラスの上に自分の名刺をスッと置くと、その場から急いで出ていった。

「……」
紗恵は、その置かれた名刺とを見比べながら、去っていく翼の後ろ姿を見つめていた。



『一也……。ここでホストやってたなんて……』

紗恵は瞳を潤ませながら、心の中でそうつぶやいていた。



一方席を離れた翼は、自分の前に突然現れた紗恵のことが頭から離れずにいた。



『紗恵のやつ…まさかホントに…』

そんな心境を何とか裏に隠しながら、翼は次の席の接客に急いでいった。





「お疲れ様っしたぁ!!」

【Club Pegasus】は、今日の営業を無事に終えた。
"St.Alice"が【Pegasus】から流れたというまことしやかな一部の噂も風化しつつある中、盛況を戻していたことに、天馬も心を撫で下ろしていた。


「翼」
天馬が翼に話し掛ける。
「社長」
「お疲れ。今日もよくやったな」
「ありがとうございます……」
「どうした?せっかくのNo.1になったってのに浮かない顔をして」
「あ、いえ。ちょっと疲れただけです」
「そうか。まぁ話は変わるが、あの"St.Alice"の噂が一部で出た中これだけ盛り上がったが、恐らく【Unicornis】の摘発による営業停止が原因だろうな。今日、やたら新規の客が多かっただろう」
「えぇ、俺のところにも新規のお客さんいましたね」
翼は紗恵を含めた三人のことを思い出していた。


「まぁ、【Unicornis】には前に俺や翔悟達もいたから、その繋がりで来てくれたのかもな。とにかく、このまま何もないことを祈るぜ。なぁ翼、お前もこんな目まぐるしい状況でNo.1になっちまったが、よろしく頼むぞ」
「はい!」
「これから、愛菜とアフターか?」
「えぇ、まぁ」
「まぁ、うるさくは言わないがプロである以上、体調管理にだけは気を配れよ」

天馬はそう言うと、翼の肩をポンと叩き事務所の方へと去っていった。


「さてと」
翼はそのまま店を出るために、エントランスへと歩いていった。
そして、離れた陰から光星がその様子を見つめていた。
その横には、押し黙る羽月の姿もあった。

「ちっ……クソ生意気にNo.1風ふかしやがってよ。なぁ、羽月?」
「……えっ?」
「えっ、じゃねーよ。あの野郎、今日もあの女とアフターだってよ」
「そうみたいやな……」
羽月がそうつぶやくと、光星は高い彼の肩にガシッと腕を組んだ。
羽月の身体が軽くビクリと反応する。

「こ、光星さん?」
そんな羽月の表情を見て、光星は鋭い目付きでニヤリと笑う。
「お前、あの愛菜って女のこと好きなんだよなぁ?」
「えっ?そ、そんなことあらへん」
「ごまかすなよ羽月。お前のあの女を見る目、ありゃ一人の客を見る目じゃねぇよなぁ?」
「そ、そんな。それは間違いやで」
「なぁ羽月……ちょっと耳貸せや」
羽月の言葉もよそに、光星は彼に耳打ちをし始めた。


「……」



「……何やて……!?」
羽月は思わず声を上げる。

「バカ、声がでけぇんだよ。要するにだ、お前が一つそうすりゃ翼の野郎は終わりってことだ。わかるよな?」
光星は低い声色を効かせ羽月に言った。
しかし、それを聞いた彼の瞳は、泳ぎながらも険しい色を放っていた。

「そんな……そんなこと、できるわけないやん!」
「できるできないじゃねーんだよ、なぁ?」
光星は、羽月の肩に組んだ腕の力をグッと強めた。

「光星さん、俺にとっては翼くんも愛菜さんも大事な人や。だから、そうゆうことは……」
「ほぉ、まぁいいんだぜ。言うこと聞かないなら、"あのこと"をばらしてもよ?そうしたらお前はもう店には……いや、歌舞伎町にはいられないぜ?お前の正体があの-」
光星がそう言いかけた瞬間、羽月は目を大きく見開いて彼にしがみついた。

「光星さん、それは……!」
「俺の言うこと、聞くか?」
光星がニヤリとしながら詰め寄ると、羽月は苦渋の表情を浮かべながらその首を縦に振った。



『俺は……俺は……』



血の涙を呑むような、羽月は苦しすぎるまでの決断を自らに下そうとしていた。


一方-

ビルをおりた翼は、下で待っていた愛菜と落ち合っていた。

「愛菜、待たせてゴメン」
「うぅん、ちょうどそこのカフェでお茶してたから」
二人はデートで落ち合うカップルのように手を繋いだ。

「いこっか」
「うん、私お腹減っちゃった」
二人がその場から移動しようとしたその時だった。


「一也っ……!」
翼たちの背後から、一人のある女性が力無い声で叫んだ。
それと同時に翼と愛菜は立ち止まる。
 
「……」
翼の胸の中で、ドクンドクンと高鳴りが始まる。
後ろを振り返る愛菜の視線の先には、切なそうな表情で自分たちを向いている紗恵が立ちすくんでいた。

「?だれだろあの人?翼のこと見てるけど」
「……人違いだろう」
彼女を不思議に思う愛菜に対し、翼は小さな声でつぶやいた。

「行こう、愛菜」
翼がそう言って愛菜の手を引こうとすると、紗恵は再びその口を開き続けた。


「一也……一也なんでしょ?まさか新宿でホストやっていたなんて。あのね、あたし-」
「人違いではないですか?"明奈"さん。俺は"翼"です。残念ながら、俺は"その人"ではありません。失礼します」
翼は自分を呼び止める紗恵を振り切るかのように、愛菜の腕をとってその場から歩き去った。


「一也……あんなに変わってしまって……ごめんなさい……。あたし……」
紗恵はそこに崩れながら、力無く泣き崩れた。
彼がホストとなり自分の知らない女性と手を繋いでいる光景が、今の彼女には胸の内にえぐるような痛みを与えていた。


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