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18-2

 
叔父がリストラされた12月24日のクリスマスイヴ、初めて強姦されたこと。

それ以降一ヶ月以上に渡り、弟に逢わせることを盾に毎日のように息子とともに性的虐待を繰り返されてきたこと。

日がたつにつれ、その行為は傷やアザができるほどさらに過激になっていったこと。


茜は泣きながら、胸の内に溜まっていた思いをその場でぶちまけた。
それをすべて話し終えたときには、すでに30分の時間が流れていた。





「そ、そんな……。ウチの人が……」
叔母はガクリと膝から崩れ落ちた。
空いた口が塞がらず、焦点の定まらない視線は、不規則に宙を泳いでいた。

そして、それと同時に深い深い沈黙が訪れた。
壊れそうな心の内を振り絞って泣き崩れている茜の声を除いて-


そして、その空間を医師が破った。
「とにかく……一度ご主人にも事実を話されて確認していただかないといけませんね」
その言葉にビクついた叔母は、医師に突然しがみつきだす。

「わっ、何ですか!」
「そんな、そんなわけありませんよ……私の夫ですよ?この子の叔父ですよ?ましてや中学生の。何かの間違いだわ。きっとこの子が嘘ついてるんだわ、きっとそうよ!」
「嘘かどうかは、DNA鑑定などの検査をしてみればわかります。それに-」

医師は一旦一息つくと、再び口を開いた。


「こんなか弱い女の子が現にこんなに辛い事になっているのに、何てことを言うんですか!それでも保護者ですか!」
医師の怒声が鳴り響き、叔母はペタリと崩れていった。

そんな中、茜は何も言わず、ただじっと啜り泣きを続けていった。





後日-

婦女暴行及び・虐待などの容疑で、叔父と長男は逮捕・未成年に対する最低限の生活の保護を無視し、過重労働を半年間に渡って強制してきた叔母は書類送検された。



叔父と長男の部屋に閉まってあった茜の下着数点・そして彼女の衣服に付着していた二人の体液が検出され、それらが決定的な証拠となった。



そしてそれにより、茜の身体に宿った胎児の中絶手術が、彼女自身の辛すぎるまでの決心をもとに行われることとなった。


初めての体験を親族に理不尽に奪われ、それによってできた初めての子供を堕胎しなければならない-



手術当日、様々な痛い思いが巡る茜の心と身体には、さらなる痛烈な傷痕だけが刻まれた。










しかし……若すぎる茜には心身ともに負担が大きすぎたのか、










子宮や肉体……そして心への想像以上のダメージが重なり










茜ハ、一生子供ヲ産メナイ身体ニナッタ。

 

 

 


それから三日後-

ショックの連続のあまり茫然自失となった茜は、病室のベッドからピクリとも動かなかった。
その一方で、向かいのベッドの裕二を見舞いに菜津が訪れていた。

菜津は、ずっと寝たきりの茜に視線を向けると、彼女のもとに歩み寄った。


「こんにちは、茜ちゃん」
「……」
菜津が声をかけても、茜は一言も反応しなかった。

「無駄だよ菜津ばあちゃん。僕が何言っても、何も言わないんだ」
裕二がそう言うと、菜津は心配そうに茜を見つめる。

すると、菜津は裕二のためにと剥いていた林檎を、皿ごと茜の方へと持って行った。

「ちょっと、おばあちゃん!僕の林檎……!」
「また今から剥いてあげるから。茜ちゃん、林檎をここに置いておくから……少しでも食べなきゃダメよ」
菜津は林檎を茜のベッドの横に置くと、裕二のもとへとよたよた戻っていった。

「……」
その間、ベッドの中の茜は、何もせず、ただじっとしたまま動かなかった。

そして、その後のことだった。


「裕二くん、診察室に来て下さい」
「はーい。いやだな~」
裕二は言われるまま、看護士とともに診察室に移動していった。



………………………。



外は雨が降りつつも、どこか静まり返る病室-

「……」
茜はむくりと起き上がると、向かいにある裕二のベッドにキラリと光る物を目にした。
彼女は、それに吸い込まれるように引き寄せられ、そのまま、病室を出ていった。










ゆっくり……ゆっくりと、
どこへ向かうかもわからず、歩いていった。










「あれっ?茜ちゃん??」

看護士の一人が、病室にいるはずの茜の姿がないことに気がついた。

「茜ちゃん、どこ行ったのかしら」
看護士がそう呟いていると、そこに菜津が通り掛かった。

「あら、どうしたの?」
「菜津さん、茜ちゃんがどこかにいなくなっちゃって。すぐそこのトイレにはいませんし、急にいなくなる子じゃないから……」
「まぁ。裕ちゃんはまだ診察室だし、じゃあちょっと私も捜すわね」
菜津はそう言うと、いなくなった茜を捜しに病院の中を歩き回り始めた。


「しかしこの広い病院のどこに行ったのかしら」
そう言いながらキョロキョロする菜津。
すると、近くから話し声が彼女の耳に入る。

「さっき、患者さんらしき女の子がよろよろ上の方に向かって歩いてたわねぇ」
「あぁ~、すごく可愛い顔をしてたから気になってたけど、どうしたのかしら?何か思い詰めた顔してたわねぇ」
菜津はそれを聞いて、上の階の方へと向かった。



『茜ちゃん……』



一方の茜は-

薄暗い夕刻の激しい雨が降り注ぐ中、彼女は病院の屋上を歩いていた。
ゆっくり歩く足をピタリと止めると、立ちすくみペタリとしゃがみ込む。
暗黒の空から降り続ける雨は、容赦なく彼女の華奢な身体を打ちのめしていた。

「……」

言葉を発することなく、茜はただ雨に打ちひしがれていた。
すると、彼女の右手に持つ何かが漆黒の中ギラリと鋭い輝きを放つ。





「おかしいです、茜ちゃん帰ってきてません!」
「どうしたんだ……」
医師と看護士が話していると、そこに裕二がやってきた。

「ねぇ、おばあちゃんが林檎剥くのに使ってたナイフがないんだけど、どこ行ったのかなぁ?」
「えっ?」
一同に、一瞬の緊張と悪い予感がが走る。




「……うっ……えっ……」

雨でずぶ濡れになる茜は、一人右手に光る果物ナイフを逆手に構えていた。

「もう……いや……。星母様も……直人も……助けてくれない……」

そして、ナイフの刃の切っ先を自らの腹部に向けた。

「もう赤ちゃんを作れないお腹なんて……こんなお腹なんて……」

頬を流れる雨の粒は、まるで茜から溢れ出す全ての涙の量を表すかのように-



そして、光る刃は茜の腹部目掛けて振り下ろされていく。










「もういらない!」










ブシュッという鈍い音とともに、屋上のコンクリートに赤い血がポタポタと流れ落ちた。


振り下ろされたナイフは、不自然にも茜の腹部に突き刺さる直前で止まっていた。



いや、止めていた。



何者かの手が、茜を刺そうとしていたナイフの刃をギュッと強くにぎりしめていた。



それに気付くまで、茜は僅かな時間を要した。



「あっ……あ……」

茜が震えながら見つめる目の前には、悲しげな優しい顔で彼女を見つめる菜津の姿があった。
その老いた手は、自分を刺そうとしたナイフの刃を強く握りこんでいるために、どす黒い血が溢れだしている。

「あ……えっ……何で……」
茜がそう言いながらナイフから手を放すと、菜津はニッコリしながら握ったそれを下に置いた。

「茜ちゃん」
「えっ……」
茜はビクッとした。
しかし菜津がかけた言葉は、彼女が思いもしないものだった。

「大丈夫?風邪、ひいちゃうわ。中に戻りましょう」
菜津は痛い顔一つせず、雨に打たれながらも笑顔を崩さず茜を見つめた。


「なんで」
「?」
「何で死なせてくれなかったのよ!私なんか死んだ方がいいのに……何で私のためにそこまでになるのよ!何で……!何で……!」
言葉が詰まってか、茜はそれ以上は何も言えなかった。

すると何も言わず、菜津は泣きじゃくる茜の身体をそっと抱きしめた。
茜の服には、まだ止まらない血がじんわりと滲みだしていった。

「茜ちゃん!菜津さん!」
医師と看護士が駆け付け、茜は病室に、菜津は切った手を治療に診察室に行くこととなった。



数日後-

茜は身元を引き取ってくれる養護施設に入るために、退院となった。

「茜ちゃん」
身の回りを整理していると、そこに菜津が姿を現した。
その両手には、包帯が厚めに巻かれている。

「元気そうね」
「あの……」
「?」
「この間は……すいませんでした」
「茜ちゃん」
「私のせいで……こんなことになっちゃって……」

茜は何度も菜津に頭を下げた。
すると菜津はニコリとしながら、口を開く。

「茜ちゃん、行きますよ」
菜津に促されるまま、茜は彼女の後についていくことになった。

「お世話になりました」
茜は医師達にそう言って病院を後にした。



1時間後-

茜と菜津は、とある古びた一軒家に到着した。


「さっ、どうぞ茜ちゃん」
「お邪魔します。ここ、おばあちさんのおうち?」
「そうよ。あっ、コタツつけたから座ってて」
菜津はそう言うと、台所の方へとよたよた歩いていった。
茜は少しそわそわしつつも、コタツにゆっくりと足を入れていった。



『あったかい……』



久しく味わっていなかったコタツの暖かみが、茜の足から伝っていく。

「はい、茜ちゃん」
菜津は、トレイに乗せてお茶が注がれた湯呑みとクッキーを持ってきた。
包帯の巻かれているそんな彼女の手を見て、茜は顔をしかめた。

「あの……」
「?」
「ホントに、ごめんなさい……」
「いいのよ茜ちゃん」
「でも、私のせいでおばあさんの手が」
「大丈夫よこれくらい。さぁ、クッキーも食べて、形は悪いけど私が作ってみたのよ」
「これ、おばあさんが?」

茜は、そっとクッキーを一枚手に取り、口にゆっくり運んだ。

18-3

 
ポロリと崩れながらも、懐かしく優しい甘さが彼女の口の中に広がっていく。
一口一口クッキーを頬張る度に、茜の中では遠い昔の家庭の温もりと思い出が蘇っていた。

「うっ……えっ……」
茜はクッキーを食べながら泣いていた。
涙と鼻水が溢れて止まらなかった。
そんな彼女を、菜津はそっと抱きしめた。


「聞いたわよ。前のおうちじゃ酷い目に合わされてたんだって」
「うん……」
「お菓子も、食べさせてもらえなかったのよね」
「う……ん……」
「つらかったね……。こんなに可愛い子が……本当につらかったねぇ……茜ちゃん」
菜津は、包帯の巻かれたその手でさらに強く茜を抱きしめた。

「おばあちゃん、手が……」
「いいのよこれくらい。あなたの心の痛みやつらさに比べたら何でもないわ」
「おばあちゃん……」
「つらかったよね。でも、もう大丈夫だからね……おばあちゃんが、守ってあげるから」
優しく囁く菜津の瞳からも、一筋の涙が零れていた。

「おばあちゃん、いいの……?あたし、星羽会の人間の子だよ……それでもいいの……?おばあちゃんまで迫害されちゃうかもしれないんだよ……」
「いいに決まってるじゃない」
「あたし……生きていいの……?」
「何度も言わせないの。生きなさい……いつか、弟の直人くんに逢うんだから」


溢れる涙を抑えられず、茜は菜津の胸に抱き着き顔を埋めた。
「おばあちゃん、ごめんなさい!死ぬなんて言って、ごめんなさい…!本当は……誰かにずっと助けてほしくて。うっ……えぇっ……うっ」
まるで小さい子供のように泣き続ける茜を、菜津は優しく暖かく、その手で抱きしめ、撫でていった。


家族が離散してから、つらい日々を送ってきた茜に、やっと平穏の日々が戻ってきたのだった。





それから数日間菜津の元で生活していた茜は、あらゆる理由で家族と暮らしていない子供が入る養護施設"緑の家"に預けられることとなった。

それと同時に学校生活も復帰し、公立高校の残りの募集への応募を決意した。



「やっ、ここにきたんだね」
茜に一人の男の子が声をかけてきた。
「裕二くん。退院したの?」
「うん、まだ一時退院だけどね。まぁ、同じ事情を持つ者同士よろしく」
「えっ?」
「俺も同じ、星羽会の信者の子なんだ。ここは、宗教上や部落差別などを受けた人の子も集まるからね。……じゃっ」
「あっ」

ふと寂しげな表情を浮かべた裕二に、茜は不思議な感覚を覚えていた。


それからの茜は、残った僅かな時間を受験勉強に使った。
元々優れた学力を持っていた茜は、一本に絞った公立高校に見事合格し、晴れて高校生としての春を迎えた。



「おばあちゃん!」
入学式帰りの茜は、真っ先に菜津の元へと寄った。
「あらアッちゃん!」
「無事、高校生になりましたぁ!」
「よかったわ本当に。新しい制服似合ってて可愛いわよ」
「ありがとうっ!でもそのアッちゃんて呼び名、変じゃない?」
茜と菜津はほほ笑みながら見つめ合った。





それから時は流れ…

高校を難無く卒業した茜は、養護施設"緑の家"を出て働いて生活していこうと決めていた。


同時に弟を捜す時間とお金が欲しい……
子供はもう産めないけれど、女として輝きたい……
でも、星羽会の素性がばれたら-

それを思った彼女は、水商売の世界で働こうと決心した。


そして、日本トップの歓楽街・新宿歌舞伎町に堂々と名を馳せる【Club Mirror】で働くこととなった。


溢れる"愛情"の大切さを菜津から学んだ茜は、彼女の名前から一文字もらい、


自らに"愛菜(マナ)"という源氏名を名付け、


夜の世界へと、羽ばたいていった。


どこかで生きている弟・直人と、いつか逢える日を信じて-





「すごいよ愛菜ちゃん!ついにNo.1だね!」
「ありがとうございます!」
すっかり容姿がキャストらしくなった愛菜がそう盛り上がる中、飛びぬけて美しい一人の少女がやってきた。

「みんな、今日からうちに新しく入る女の子だ。さっ、挨拶して」



「明衣です、藤崎明衣。よろしくお願いします」
明衣と名乗ったその少女は、愛菜に負けず劣らずの恵まれた容姿の持ち主だった。
しかし、愛菜は彼女の薄暗い瞳を見て何かを感じていた。



『この子もまさか』



ドレス姿の愛菜はスッと明衣に歩み寄った。

「あたし愛菜よ。よろしくね、明衣ちゃん」
「よろしくお願いします」


ついに出会った愛菜と明衣-

この二人の出会いが、一つの物語を紡いでいくパズルのピースとなるなど、この時は誰も思ってもいなかった。










「こんなとこかな」
話し終えた愛菜は、涙を浮かべつつもどこかスッキリしていた。

「愛菜……」
「ありがとうね、翼」
「えっ?」
「最後まで聞いてくれて。なんか全部話したらスカッとしちゃった」

ケロッと開き直ったような彼女を見て、翼はそれ以上何も言わなかった。


「飲み、行こう。【Pegasus】に」
「あぁ」
「私、決めたよ」
「何を?」
「翼を、あの店のNo.1にする」
「愛菜」
「私がここまで選んだ男だもん。なってほしいの……女としての機能を一つもう失ってる私が好きな男にできるなんて、こんなことしかないから……」

愛菜は揺るがないその決心を、どこか寂しそうに翼に囁いた。

そして翼も、何も言わず…ただ黙ってその首を縦に振った。





                                                  第19章へ

19-1

 
翼と愛菜が、ミカエル霊園を後にしたその日の夕方-
【Club Pegasus】は、いつものように"一部"の時間での営業を開始しようとしていた。

「社長、さっき翼から連絡がありまして、今日は愛菜さんと同伴だそうです」
「そうか。わかった、ありがとう」
事務所のデスクに座っていた天馬は、佐伯からの報告を受けると、くわえた一本の煙草に火をつけた。



『翼のやつ、愛菜を立ち直らせたのか……』
心の中でそう囁きながら、天馬はフーッと煙を吹いた。

「佐伯っ」
「はい?」
「いよいよ、うちの店もまた一つ変わるかもな」
「愛菜さんと翼のことですか?」
「あぁ。あいつは俺を除いて唯一愛菜からの指名を取ったホストだ。昔から店に来るのもたまにで気まぐれ
だった愛菜が、突然の同伴ってことの意味がわかるか?」
「……社長、もしかすると」

佐伯は笑みを浮かべる天馬を見つめた。

「近々、【Pegasus】に何かが起こるかもな」

 

 


そして、【Club Pegasus】は開店前のミーティングとなった。

「お疲れッス!!」
「お疲れ様ッス!!」
天馬とホスト達の声がいつにも勝るとも劣らない元気さでぶつかる。
その際に、天馬はその場にいるホスト達全員を見渡していた。

「よしっ。佐伯、今日の同伴は?」
「えぇ、今日の同伴組は……翔悟と早紀さん・由宇とアユミさん・翼と愛菜さん・流輝(リュウキ)とルミさん……ですね」
「同伴は4組か」

すると天馬は、ミーティング席に座っている光星に視線を向けた。

「光星」
「はい、何スか?」
「最近のお前、精彩を欠いてるぞ。今日指名の予定は入ってるのか?」
「……いいえ」
光星が、視線を逸らしながらポソリと呟くと、天馬は再び口を開く。

「まぁ今日じゃなきゃダメとは言わないが、どうにかしないとならないのはお前自身がよくわかってるはずだよな?このままだと翼や羽月にまで抜かれるぞ」

天馬がそう告げると、光星は黙ったまま俯いた。
そんな光星に、天馬はそれ以上何も言おうとせずミーティングの先を続けていった。



『くっ……』



その間、光星は歯を食いしばりながら床を睨んでいた。
そんな彼を、羽月は少し離れた席から複雑な気持ちで見つめていた。



「今日も一日やるぞ!!」
天馬のその一言で、【Club Pegasus】は今日の営業を開始した。

「おい、羽月!」
「?」
光星が羽月に強い口調で話し掛ける。
「な、何です光星さん」
「翼の奴もそうだけどよ…」
「??」
「売れてきたからって調子こいてやがったら、お前も承知しねぇからな」
「光星さん」
「新人ときから俺がお前を可愛がってきたこと、忘れてねぇよな?」
「も、もちろんや」
「だったらよぉ、あんまり翼の野郎なんかとつるんでんじゃねぇよ。俺ぁ知ってんだぞ?お前と翼がよくメシ食いに行ったりしてんのをよ?」
「そんな……」
「何だ羽月、お前俺に逆らう気か?だってお前は-」
 
光星は、何かを羽月に耳打った。
 

「……」
「わかったな?俺だってお前にんなこと言いたくねぇしよ。とにかく、翼の奴とは切るんだ。わかったな?」
光星は一方的に羽月にそう言うと、その場からスタスタと足速に去っていった。
羽月は突然の言い付けに、何も言うことができず、ただ目を震えるように泳がせていた。



「いらっしゃいませぇ!!」
営業を開始して1時間ほどが経過し、翔悟や由宇たち同伴組が次々と入店してきた。


「いらっしゃいませ、早紀さん」
「佐伯さんこんばんは。ちょっと今日はお祝い事なの、すぐにシャンパン持ってきてちょうだいね」
「わかりました、では御席の方にてお待ち下さいませ。いつもありがとうございます」
佐伯が深々と頭を下げると、早紀は嬉しそうに翔悟と腕を組みテーブル席へと向かっていった。

「やっぱり今日はご機嫌だね、早紀ちゃん」
「まぁね、仕事が順調だからこうゆう日はちょっと遊びたいし」
翔悟と早紀は、ソファに着いて見合っては笑っていた。

「いらっしゃいませぇ!!」
店内のホスト達が再び元気に迎える先のエントランスには、もう一件の同伴組の姿があった。
完璧なまでのきらびやかさを放つまでに身なりを整えられた、翼と愛菜の二人だった。

「おはようございます」
「こんばんは☆」
翼と愛菜がほぼ同時にそう言うと、彼らの目の前にいる佐伯は目を円くしながらキョトンとしていた。

「あ、いらっしゃいませ、愛菜さん。今日はまた一段と磨きがかかった美しさで」
「ありがとう佐伯さん!」

そう話している彼らの所に、天馬がやってきた。
「よう、愛菜」
「天馬!」
「珍しいな。愛菜が同伴で来るなんて」
「フフッ」
愛菜と天馬はニコリと笑い合った。

「愛菜、ちょっとだけ翼を借りていいか?佐伯に席まで案内させるから」
「うん、わかったわ」
天馬は佐伯に愛菜を席まで案内させたのを見送ると、そこに残った翼に目を向けた。
そして、彼の肩を強めにポンと叩く。

「翼、やったな。愛菜に同伴させるなんて、お前ホントにやるじゃないか!」
「いえ」
「俺の目に狂いはなかったのが証明されて嬉しいぜ」
天馬は嬉しそうに笑いながら言った。
そして、今度はまじめな表情で翼の肩に軽くポンと手をおく。

「社長」
「翼、愛菜のこと、ご苦労だったな」
「社長は、知っていたんですか?彼女のことを」
天馬はすぐにその質問に答えた。

「あぁ。まぁ、詳しいところまで全てを聞いたわけじゃないけどな。先日のおばあさんのことや、弟を探してるってのは聞いたぐらいか。お前も聞いたんだろ?」
「……えぇ」
「……?まぁ、愛菜はかなり辛い生い立ちをくぐり抜けてきたんだ。ホストクラブにいるときくらい楽しんでもらわないとな」
「はい」
「それが今できるのは、お前だ翼。行ってこい!」

天馬の言葉に頷くと、翼は颯爽と愛菜の待つテーブルへと向かっていった。

「愛菜、待たしてゴメン」
「うぅん、天馬と話してたんでしょ?」
「あぁ。社長もとても心配してたよ」
「そう」
愛菜はふと寂しげな笑顔を見せる。

「愛菜?」
「うぅん、何でもない。さぁ、今日は飲もうね翼!早速ドンペリいっちゃおっかな!」
「よし、今夜は飲もう!」
どこかまだ無理をしているように見えたのは気のせいだったのか……翼はそう思いながらも、今は仕事として愛菜と接することに専念した。
しかし翼には、ある意味それ以上に気にしていることがあった。


「あ~い!もちろん今日も飲もな!」
斜め向かいのテーブルで、いつもと変わらず元気に女性客に接している羽月の姿が翼の視界から中々離れることはなかった。



『羽月が、愛菜の弟……』

翼は心の中でそう呟く。

十年もの長い間を離ればなれになっていた姉と弟が、互いの正体に気付かずこんな近くに居合わせている事実に、翼はどこかいたたまれない感情を覚えていた。


「どうしたの、何か変よ翼?」
愛菜が尋ねてくると、翼は思わずハッとする。
「あっ、いや……何でもないよ」
「そう、それならいいんだけど。私が色々と連れ回したから疲れさせちゃったかと思ったの」
「いや、何でもないだホントに。さっ、もうすぐお酒来るだろうから、とことん飲もう」
翼は、羽月への視線を愛菜に悟られぬよう冷静さを保つことに努めた。



数十分後-

「愛菜さん、本日3本目ありがとうございまーす!!!」
ドンペリが入るたびに、店内のホストたちからの盛大なコールが沸き起こった。
短時間で次々と行われるシャンパンコールに、店内にいるホストや女性客全てが、翼と愛菜のテーブルに視線を注いでいた。

「すげぇ……。さっきピンク2本開けたばっかしだろ?それでもうかよ」
「今日のペース、いつもと違くねぇ?」
「あぁ。いつもはコールは断る愛菜さんが、今日はコールさせてるしな」
店内のホスト達は、次々と盛り上がりを見せる翼と愛菜のいるテーブルを見ては驚きの声を漏らしていた。
もちろんその光景は、トップホストである翔悟や由宇・その客達の目にも見事なまでに留まっていた。


「ねぇ翔悟、あの席のホストってさぁ、何ヶ月か前に私がダメ出しした新人くんよね?」
「あぁ。早紀、どうしたんだ急に?」
「いいえ。ただ、ちょっとうるさくて生意気だと思ってね」
翔悟の横にいる早紀の鋭い横目は、数ヶ月前とは見違えるように変貌した翼を捉えていた。

「……」
同じく翔悟も翼たちのテーブルを見つめていた。
今までと違う新鮮な形で盛り上がっているその光景に、彼は苛立ちを感じていた。

「翼!C3テーブルに梨麻さんがいらっしゃったぞ!」
「わかりました」
佐伯の指示により、翼はテーブルから立ち上がる。
「ゴメン愛菜、ちょっと行ってくる」
「いいわ、私はヘルプの子に相手してもらうから行ってきて」
「あぁ。じゃ頼むな」
翼はどこか申し訳なさげにヘルプに愛菜の相手を託してテーブルから離れていった。


「翼っ!」
「梨麻いらっしゃい!ゴメン、ちょっと待たせちゃって」
「いいよぉ別に。それにしても盛り上がってるねぇ!」
「うん、今日はナンバーの人けっこう同伴とかも多かったし」
「へ~!でも、この盛り上がりは翼のお客さんのおかげでしょ?たしか愛菜さんて。いいね、あたしなんかより太いお客さんもついてて」
「さぁ~どうなのかな」
意地悪な口調の梨麻に、翼は冷静にごまかしながら答えた。
すると、梨麻はクスッと笑う。

「ゴメンね意地悪言って。ちょっとだけヤキモチ妬いちゃったの。でも、今あたしといるときだけはあたしだけを見ててよね☆」
「わかってるって、そんなの当たり前だよ」
「それを聞いて安心したっ!でも気をつけてね。あたしはそうじゃないし、みんながみんなじゃないけど、女はヤキモチ妬く生き物だからさ。さっ、飲もう☆」
梨麻はそう言うと、笑顔で翼の腕にしがみつく。



『ヤキモチ……か。ホスト始めた頃は、そんなこと考えもしなかったな』



その際に、翼はそれが頭に残って離れなかった。
売れてきたと同時にホストが背負う宿命……彼はそれを実感し始めていた。



一方-

愛菜のいるテーブルには、二人のヘルプが必死で盛り上げようと相手をしていた。
「いや~、やっぱり愛菜さんのお相手できて光栄っすよ!」
「えぇ、なんか他のお客さんと違うっていうか!」
向かいに座る二人のホストの言葉を片耳に、愛菜は吸った煙草の煙を吹いた。

「フー……いいわよ、そんな無理に上げなくても」
愛菜は二人を窘めるように呟いた。

「いやっ、でもやっぱり盛り上がるのがホストクラブじゃないっすかぁ!それに-」
「?」
「愛菜さんは、どうして翼さんを指名してるんですかぁ?何で翔悟さんとかじゃないんですかぁ?」
ヘルプホストのその言葉を聞いたとき、愛菜はキッと目を鋭くさせた。
それを見てか、二人の顔にも緊張の色が走る。

「あのっ……愛菜さん?」
手に持った煙草を灰皿で揉み消すと、すぐに愛菜は口を開いた。

「私がこのお店でどう楽しもうと私の勝手でしょ!?他の人がどう盛り上がって楽しんでるかは知らないけど、何であなたにそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
愛菜はテーブルをドンと叩きながら、怒りを込めた口調で言い放った。
そのことで、ヘルプについていた二人はおろか、他のホストや女性客までもがその状況に目を向け始めていた。
愛菜は続けた。

「それにね、ここの店では"普通はこのホストを指名しなけりゃいけない"なんて決まりでもあるの!?ましてや、翼はあなたたちの先輩でしょ!?新人とはいえホストなんだから言葉を考えなさいよ!!」

愛菜の激昂に、そのテーブルを中心に周囲はシーンと沈黙が流れた。

19-2

 
「す、すみません愛菜さん……」
「すいませんっした……」
ヘルプのホストたちは、愛菜の態度に威圧されてか、すっかり萎縮してしまった。

「愛菜さん、どうされましたか?」
すかさずそこに内勤の佐伯が慌てて飛んでくる。

「佐伯さん、ちょっとこの人たちありえない!!」
愛菜は噴き出した怒りをおさめられないのか、佐伯に一部始終を話した。


「なるほど……わかりました。私どもの指導不足で不快な思いをさせてしまいまして、大変申し訳ありません。ほらっ、謝らないか!」
佐伯が頭を下げながらそう言うと、ヘルプの二人もそれにならう。
腰の低い佐伯の態度に、愛菜も少しずつ機嫌を取り戻していった。

「もうそんなかしこまらなくていいわよ佐伯さん。私も急にカッとなって悪かったし……あなたたちもこれから気をつけてね」
ヘルプの二人は無言のままで頭を下げると、その場から離れていった。
周囲の様子もそれに合わせて、先程までの楽しい雰囲気を取り戻していく。

「ありがとうございます愛菜さん。それでは、翼が戻るまで代わりのヘルプを付けさせますので」
佐伯がそう言うと、愛菜は何かを思い浮かんだように口を開いた。

「羽月くん、羽月くんはいるんでしょ?」
「えぇ。では、様子を見て羽月を連れて参り-」


「俺が今だけここのヘルプにつきますよ」

愛菜と佐伯は声のした方を見た。
そこには、威風堂々と立つ翔悟の姿があった。


「翔悟」
「佐伯さん、羽月は今の席を離れるまで僅かに時間があります」
「だが翔悟、お前早紀さんは?」
「大丈夫、ホントにそれまでのちょっとだけですから。それまで俺でよけりゃ一緒にいたいんですが、ダメですか?愛菜さん」

突然の翔悟の発言に、愛菜は一旦言葉を止めるものの、軽くニコリとしながら頷いた。

「どうぞ」
「ありがとうございます!翼や羽月来るまで俺がお相手させていただきますね」
そう言って、翔悟は愛菜の向かいのヘルプ席へとついた。


「失礼します!」
「久しぶりね、翔悟とこうやって向き合うなんて。【Unicornis(ユニコーン)】にいたとき以来かしら?」
「そうですね」
「あの時は現役の天馬のヘルプについてたのに、もう今や【Pegasus】の不動のNo.1だもんね」
「もうかなり前の話ですよね。いただきます!」
話しながら自分のドリンクを作っていた翔悟は、愛菜に乾杯を求めた。
愛菜もそれに応じる。

「しかし何よ、さっきの"俺でよけりゃ"って改まった台詞はさ?」
「いやね、以前偶然見かけた出張ホストのサイトでそうゆうのを見てまして、それにあったんですよ。"俺でよけりゃ一緒に楽しい時間を……"ってな感じで」
「相変わらず話のネタが多いのね。ちょっとは翼にも見習わせたいくらいだわ」
愛菜はため息をつきながら笑いを零した。
翔悟もそれにテンポ良く合わせるように笑う。


「先程はうちの新人たちのせいで、申し訳ないです」
「もういいってそのことは。No.1だからって翔悟が謝ることじゃないでしょ?それに-」
「?」
「あなたが私と話したいのはそんなことじゃないでしょ?」
「……。愛菜さんにごまかしはきかないからなぁ」
すると、翔悟は間髪入れることなく自らの本題を愛菜へと切り出した。

「最初に言っておきますけど、愛菜さんの気分を損なったらすみません」
「いいわよ。そこらへんのホストじゃないんだから、あなたなら怒らずに聞くわ。まぁ、何となくはわかってるけど」
「じゃあ単刀直入に聞きます。どうして愛菜さんは、翼を選んだんですか?別に翼がダメだと言うんじゃないですが、あいつはまだホストを始めて半年に満たないし……まして天馬さんとはタイプが似ても似つかないでしょう?」
翔悟がそう告げると、愛菜は一本の新しい煙草を手に取って口にくわえた。
翔悟はすかさずそれに火を燈す。

「ありがとう」
一旦フーッと煙りを吹き呼吸を落ち着けると、愛菜は再び口を開き始めた。

「だからよ」
「えっ?」
「天馬はあなたやみんなが知ってる通りすごいホストよ。容姿も人柄も知名度も。ホストの天性を極めたような男だと思うし、今でも親しみを持ってることには変わらないわ。でもね-」
「でも?」
「天馬とどこか似てるようで実は全く違うタイプを私は求めていた。それが翼だけだったってだけよ。簡単でしょう?」
「翼が……天馬さんとどこか似てる?」
「えぇ。まぁ、深いところは私と彼にしかわからないことだけどね」
「……」

愛菜は煙を吹きながら、翔悟への言葉を終えた。
翔悟もどこか気になるところはあったものの、それ以上は追求しまいとそこで話を終えることにした。

「すいません愛菜さん、大切なお時間いただいてしまって。翼はまだかもしれませんが、すぐ羽月が来ますので」
「えぇ、ありがとう」
翔悟は席をたち、ペコリと頭を下げる。


「翔悟っ」
愛菜が突然翔悟に声をかけた。
「何ですか?」
翔悟が背中越しに答えると、愛菜は言い放った。










「私が……翼をここのNo.1にするから」










そう静かに言い放った後の数秒間が、やたら長く重く二人の間を支配した。
翔悟が無言で、そこから去っていったのは、羽月の姿がちょうど見えた頃だった。

「お待たせですぅ」
羽月が入れ代わるようにやってきた。
「羽月くん!やっときたわね」
「いやぁ、翼くん他にもお客さん来とるからもうちょっとで戻ると思うさかい、それまでよろしゅう☆」
羽月はササッとグラスに酒を注ぎ、愛菜に乾杯を求めた。

「ほな、いただきますっ!」
「カンパイ!」
愛菜と羽月はグラスを合わせた。











『……??……』











その時、愛菜はある不思議な感覚を抱いた。


「カーッ、うまいわぁ!やっぱ愛菜さんと一緒だとうまいわぁ!何か今日はいつにも増して綺麗やしね!」
羽月が楽しげに笑っている一方で、愛菜はその表情を神妙にさせていた。
羽月も彼女の様子にすぐに気付く。

「愛菜さん?」
「へっ?」
「どないしたん?」
「あぁ……。そういえば、こうやって二人で話すの初めてよね、店だけど」
「そういえばそやなぁ。感激やぁ!翼くんがうらやましいわぁ☆」
しかし、そんな喜ぶ羽月を愛菜はさりげなく見つめた。












『何だろう、この不思議な気持ち。私、この子と昔どこかで会ったような……??』











その時だった。

「愛菜?愛菜??」
「愛菜さーん??」
自分を呼ぶ声にハッとしたのか、愛菜は我に返った。
すると、そこにはいつの間にか戻った翼の姿があった。

「翼ぁ……」
「ゴメン遅くなって。大丈夫か?ぼーっとしてたけど。ちょっと酔ったかな?」
「うぅん、羽月くんもいてくれたし大丈夫」
「そうか。羽月ありがとう」

翼がそう言うと、羽月はよそよそしく目を逸らした。
「あっ、いや気にせんといてや……」
「……?どうしたんだ?」
「いや、何でもあらへんよ。俺も酔ったんかなぁ」
「そうか」







"羽月にどこか懐かしいものを覚え始める愛菜"










"愛菜に恋し、親しい翼との接触を光星から禁じるよう脅された羽月"










"目の前にいる二人の正体と関係を唯一知る翼"










妙なよそよそしさや懐かしさが絡まり、










三種三様の複雑な思いが生まれていた。










「あっ、カンパイしなおそや!」
羽月がその雰囲気を破るように声を発した。
「そうだな、じゃあカンパイだ」
「そうねっ」

翼・愛菜・羽月はそれぞれグラスを持ち宙で構えた。
「それじゃあ!カンパ-」

しかし、その時だった。
「翼、ちょっといいか?」
佐伯が困った様子で翼に話し掛ける。
「佐伯さん、どうしたんですか?」
「お前にお客さんのようなんだが……ちょっとエントランスに来てくれないか?何か泣きそうになってる黒髪の女の子が一人いるんだ」
「えっ??」
「ただ、"翼"と書いた紙を見せるだけで、何故か何もしゃべらないんだ。変なジェスチャーみたいな手ぶりをするんだが……」



『しゃべれない…?手ぶり??まさか……』






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20-1

 
何故か言葉を話さない人物が自分をたずねている-

翼は不思議とその人物が誰なのかを予感していた。


「ねぇ翼、私のことはいいからそこに行ってあげて」
愛菜も佐伯の言った言葉で事情を察したのか、翼をエントランスに行くように促す。

「あぁ、悪いな愛菜。ちょっと行ってくる。羽月、ちょっと頼む」
翼はそう言うと、すぐに席をはずし佐伯とともにエントランスへと向かっていった。

「言葉を話さん人って、まさか」
羽月は歩き去る翼の背中を見つめながら呟いていた。


小走りの翼がエントランスに着くと、そこには半ば困った顔の佐伯を横に椅子に座りながら顔を伏せる一人の黒髪の少女の姿があった。

「翼、お前の知り合いか?」
様子が気になっていたのか、天馬もその場へと姿を現す。
「はい」
翼は一言そう答えると、少女のもとへと近づいた。

「美空ちゃん、美空ちゃんだろ?」
翼が話し掛けると、"彼女"はゆっくりと顔を上げる
彼の顔を見上げる潤んだ瞳のかわいらしい少女が美空本人で間違いないと、翼の確信した表情が物語っていた。

「美空ちゃん、一体どうしたんだい?どうしてここに?」
翼がそう言うと、美空は潤んだ瞳から涙を零しながら手をスッとかざした。

『オ母サンガ、オ母サンガ……』
手話をする彼女の手ぶりと表情を見て、翼は何かただ事じゃないと確信した。

「楓さん?楓さんがどうかしたのか?」
翼がそう言うと、やり取りをしている彼らの後ろには、いつの間にか愛菜と羽月の姿もあった。

「美空さん?」
「美空ちゃん、どないしたんや!?」
顔を知っている二人の存在に気付いてか、美空は目をゴシゴシと拭う。
そんな彼女を察してか、天馬は翼に話しかけた。

「翼、ここにいても他の人間の目に入ってなんだろう。とにかく、一度彼女にも席に移ってもらえ」
「はい」
翼はすぐに頷いた。
しかしそこに佐伯がまったをかけるように口を開く。

「社長、彼女を席に移したいのはもっともなんですが、もう全席他のお客様で埋まっています」
「そうか。じゃあ彼女が差し支えなければそれまで事務所で-」
天馬がそう言いかけた時だった。

「天馬、彼女……美空さんを私達のいるテーブルに座らせてあげて」
「愛菜」
愛菜の突然の言葉に、翼と天馬は一瞬言葉を止める。

「いいのか、愛菜?」
「えぇ。彼女の様子からしてただ事じゃなさそうだし。それに、私や羽月くんも知り合いなの」
愛菜の言葉を察したのか、天馬はすぐに首を縦に振った。

「わかった、それでいいなら。翼、彼女をテーブルに案内してやれ」
「はい。美空ちゃん、一緒にこっちへ」
翼のエスコートで、立ち上がった美空はフロアの方へと歩いていった。
その様子を、エントランスの天馬たちは不思議そうに見つめる。


「彼女、翼に対して手話をやってたな」
「あの女の子、何かの事情で声を出して話すことができへんのです」
呟く天馬に対して、羽月がポソリと答える。

「そうだったのか。それにしても翼のやつ、まさか手話を理解できるなんてな。羽月、愛菜をテーブルまでエスコートしてやれ」
「あっ、はいっ!」
「愛菜、すまんな」
「いいのよあやまんなくて。こっちこそお願い聞いてくれてありがとう、天馬。さっ、羽月くん戻って飲みましょう」
愛菜はそう言うと、羽月とともにフロアのテーブルへと向かって歩いていった。



『声が出せない……か』



彼らが席へ戻るのをエントランスから見守る天馬は、心の中でふとそう呟いていた。



一方-

一足先に席へと戻った翼は、ソファへと腰掛けた美空の膝にトーションを敷き、温かいおしぼりを手渡した。

「あらためて、いらっしゃいませ!」
笑顔でそう話し掛ける翼を見て、美空は暗かった表情を僅かに和らげる。

『イツモノ翼サンジャナイミタイ』
「いつもの俺じゃないって?まぁ、そんなに気にしないで」
『ソレニ、私ホストクラブニ入ッタノッテ初メテダッタカラ……』
美空は不思議そうに店内をキョロキョロと見回した。

「そうなんだ。もしかしたら、ちょっとうるさいかもしれないけど大丈夫?」
『大丈夫デス』
白を基調にしたオシャレな店内も、流れるトランスのBGMも、店中にいる多数のホスト達の姿も、そして時折コールをしながらドリンクを口にする姿も……
美空にとっては、なにもかもが初めての異空間そのものだった。
そんな時、ちょうど愛菜と羽月の二人も戻ってくる。


「美空さん、ちょっと騒がしいけど、ここなら今翼と話せるわ。大切な話なんでしょ?」
愛菜が優しい口調でそう言うと、美空は手話をサッとしながらすまなそうに頭を下げる。

「翼、彼女何て?」
「あぁ、せっかくの楽しい時間に強引に割り込んだようですみません……って」
翼が美空の手話を通訳すると、愛菜はニコリとしながら首を横に振る。

「事情はわからないけど、美空さんの顔からしてとても普通じゃないことはわかるわ。手話は私たちにはわからないから、存分に翼に話してね」
美空はあらためて愛菜に対して頭をペコリと下げた。

「翼くん、愛菜さんのお話の相手は俺がするさかい、安心してな」
「あぁ、ありがとう」
羽月と愛菜の協力を得て、翼は美空の手話による話を聞くことにした。
美空も、周りの視線に触れないように小さく手話をすることに努めた。



………………………。



約10分後



翼は美空から一通りの話を聞き終えると同時に、彼女から一枚の手紙のようなものを受け取っていた。
手話による"会話"が終わった後、周囲がどれだけ騒がしくても、二人の間だけは重苦しいほど静まり返っていた。

「そんなことが……」
翼は思わずそう呟いた。
近くにいる羽月と愛菜もやはり気になるのか、翼がそう呟いた瞬間彼の表情の異変には敏感なほどに気付いていた。





『翼サン』
「えっ?」
『突然コンナコト話シテ、ホントゴメンナサイ』
「いや、いいんだよそんなの。むしろ、知らせてくれてよかった」
『私、帰リマス。コレ以上イタラ愛菜サン達ニマデモットゴ迷惑ヲカケテシマイマスカラ』
「美空ちゃん、そんな。大丈夫なのか?」
『ハイ、翼サント話セテヨカッタデス。ア、オ会計ハ』
「いいよ」
『ソンナ』
「いいから。今は、お母さんのところにいてあげて」
『ハイ、アリガトウゴザイマス』
美空は翼にペコリと頭を下げると、スッと席を立った。
それに気付いてか、羽月と愛菜も彼女の方に視線を集める。

「美空ちゃん、帰るんか?」
「大丈夫なの?」
羽月と愛菜がそう話し掛けると、美空はその時の精一杯の笑顔で二人に対して頷いた。

「俺、ちょっと下まで送ってくるから、羽月もうちょっと頼むな」
翼は羽月に一言そう言うと、美空を連れてエントランスへと向かっていった。


「翼くん、何かすごい驚いてたな。どないしたんやろ」
「……」
羽月と愛菜は、美空とともに去る翼の後ろ姿を静かに見つめていた。

「そうだっ」
ビルを降りるエレベーターの中、翼はポケットから名刺ケースを取り出していた。
すると、そこから銀色にコーディングされた一枚の名刺を抜き取り、目の前にいる美空に差し出す。

「何かあったら、この携帯に連絡して」
『……』
両手で受け取ったその名刺を潤んだ瞳で見つめながら、美空は手話で『アリガトウ』と言った。

エレベーターを降りると、そこには店内とは違う現実的な街のネオンが続いていた。

「じゃあ、俺は仕事があるからここで。ホントに大丈夫かい?」
『ハイ、大丈夫デス。翼サン、アリガトウゴザイマシタ』
「美空ちゃん、答えずらいならいいけど何でそうまでして俺をたずねてきたんだい?」
『……』
美空はそれに答えることなく、二度三度と頭を深く下げると、翼にそれ以上顔を見せることないままネオンの奥の暗闇の中に姿を埋めていった。
その際、翼は彼女の靴がやたらボロボロに汚れていたことを思い出していた。

『あの子……喋れないリスクがあるのに、俺一人を捜すために靴があんなになるまで歌舞伎町中のホストクラブの"翼"をたずねて駆け回るなんて……』
翼はどこか感慨深くネオンの光を見つめていた。


「しかし……それよりもまさか、そんなことになっていたなんて」
翼は店に戻ろうとするさなか、茫然としながらそう呟いていた。












『"セント・アリス"』










美空から伝えられたその一つの言葉が、翼の脳裏から離れることはなかった。

4Fにある【Pegasus】のエントランスに戻ると、翼はキャッシャーから何やら言い争う声を耳にした。

「何だ?」
何かと思いキャッシャーをのぞいてみると、そこには目付きを恐ろしいほど鋭くした天馬が、電話の受話器を片手に怒りの感情を口にしていた。

「その件に関しては、俺は何度も断ると言ったはずだ!もうかけてくるな!」
力まかせに受話器のスイッチを切った天馬は、息をあらげながら目の前の壁を睨んでいた。



『あの普段いつも冷静な社長が……』
そう思いながら翼が見ていると、天馬はその視線にハッとしたように気付く。

「おう……翼、彼女は?」
「あ、無事帰りました。すみません社長、突然なことでご心配かけてしまいまして」
「いや、それに関してはいい。早く愛菜のところに戻ってやれ。他のお客も待ってるぞ」
「はいっ!」
翼は天馬に一礼をすると、フロアの方へと戻っていった。
彼がいなくなったのを確認すると、天馬はキャッシャーごしに怒りの表情を見せながら呟く。

「聖(ヒジリ)のやつ……一体どうゆうつもりだ!」
ホストたちはおろか内勤の佐伯さえ知ることのないまま、天馬は一人そのぶつけようのない怒りの感情で空を切っていた。

「愛菜、羽月、すまない」
テーブルに戻った翼は、待たせたことを愛菜と羽月に謝った。
「いいって☆翼、美空さんの方は大丈夫だったの?」
「あぁ、まぁ」
どこと無く表情の優れない翼を、愛菜は決して見逃さなかった。

「何か、あったのね?」
「……まぁ」
「詳しくは聞かないわ。翼をたずねてきた以上、彼女にもそれなりの事情があったんだろうしね」
「いや。全ては言えないけど、愛菜や羽月にもこれだけは聞いてほしい」
翼は、深い事実に関してはうまく伏せて、愛菜と羽月に事情を話し始めた…。



約2分後-

翼から事情の一部を耳にした愛菜と羽月は、半ば絶句していた。

「んなアホな、楓ママが重病で入院やて!?じゃあ、最近お店が開いてなかったのも」
「あぁ、その通りだ」
目を大きく開けて驚く羽月に対して、翼はただただ相槌を打った。

「あんなに元気やったママが……まさか病気やなんて……」
「美空ちゃん他に身寄りもいなくて、声が出せないのが理由で友達もできなかったらしい」
「それで……他に頼れる人がいなくて、手話を理解している翼をたずねてきたわけね。慣れないホストクラブにまで。それだけ、そんな時でも人と話せないって怖いことなのね」
「今、楓さんの容態はそんなに良くないらしい……」
「そうやったんか」
翼たちは、各々の言葉を交わした。
その際、隠してる事実や"手紙"のことがばれまいかと、翼はひとり肝を冷やしていた。


「翼、梨麻さんからボトルが入ったぞ。行ってくれ」
そこへさりげなく指示にやってきた佐伯の一言で、翼は再び席を離れることになった。

「ゴメン、ちょっとまた行ってくる」
翼は再三申し訳なさげにそう言った。
「いいって、ちゃんと仕事してきなさい」
愛菜は冷静にそう言った。

「愛菜さん、お邪魔していいですか?」
そこへ慌ただしく入れ代わるようにやってきたのは、由宇だった。

「由宇……いいわよ、どうぞ」
「どうも。羽月くん、君は外してくれていいぞ」
「あ、はい。愛菜さん、ほなまた」
由宇がヘルプ席についたと同時に、羽月は残念そうにその場から離れていった。


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