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はじめてのたたかい (1)

 カーテンのすき間から差し込む陽光。
 静かに寝息を立てる蒼依の顔を鮮烈に照らし出す。
 虹の世界から授かった力を封じたソースカードを手にして五日目。そして謎の透明少女シンシアとともに、「プリンシャント・アイリス」としての技の練習・訓練を始め、昨夜で合計三回。その疲れは決して小さな物ではなかった。
「…………」
 目を覚ます蒼依。目覚まし時計を見る。五時四分。
(……ああ、やっぱりそうなんだ。体が軽い)
 蒼依、いや正確に言うと、今朝は違う、プリンシャント・アイリス。蒼依の姿にリメイクしたまま一夜を過ごしたのだ。これまでは毎晩の訓練終了後、プリンシャントへの変身を解いて元の人間の状態に戻っていた。しかし一昨日、そして昨日と蒼依の疲労は徐々に激しさを増していた。そのため今回は、初めてリメイク……つまりプリンシャント自身の持つ変身能力で蒼依の姿に「再変身」していたのである。だから外見上は蒼依でも、中身はれっきとしたプリンシャント・アイリス。超人的な身体能力や超能力・魔法も思いのまま。

 昨夜の訓練終了時、アイリスは彼女のガイド役、レイとこんなやりとりを交わしていた。
「ねぇ、レイ。やっぱり変身って解いた方がいいよね?」
「ん?」
「だって、プリンシャントだって事バレるとまずいんでしょ?」
「まあ……知られるのはまずい事だよ」
「……けど、人間に戻ったら翌朝の疲れ具合がひどいんだよ」
「うん」
「だから、思ったの。ひょっとしたら、変身を解かずに寝た方が、翌朝楽なのかな? ……って」
「だったら、蒼依の姿にリメイクして休めばいいよ。そうすれば知られる事も無いし」
「だよね。……けどね、一つだけ心配な事があるんだ」
「何が?」
「ねぇ、プリンシャントが眠っている時、寝言を言ったり寝ぼけたりして、技を暴発させちゃう事って無いのかな?」
「はぁ?」
「人間の時の私って、結構夢も見てるし、寝言言う事もあるらしいの。だからもしアイリスに変身しててそれで技が暴発したら困るなぁって……」
「そういう事か……」
 ため息をつくレイ。
「まず結論から言うと、プリンシャントは眠っている時には夢を見ない。いや、正確に言うと『見る事ができない』と言った方が正しいね」
「そうなの?」
「ああ。眠っている時に夢を見るのは、人間界に住む動物が持つ特殊能力なんだ。その中でも人間の夢のエネルギーは特別に力が強い。その夢のエネルギーが、実は虹の世界を支える不可欠なエネルギー源になっているんだ。虹の世界は人間の夢によって支えられていると言って過言じゃない」
「へぇ~」
「プリンシャントは『虹の世界』に属する存在。虹の世界の者は、眠っている最中に夢を見る事ができない。『夢を見る力』が無いからね。だから夢は見ないし、技が暴発する事も無いって訳」
「『虹の世界』の人って、夢が見られないんだ……」
「それに代わるものを人間界から受け取って、それを自らの力にしているからね」
「……ひょっとして、虹の世界が人間界を『闇』の浸食から助けようとしている理由って」
「そう、人間界が『闇』に飲み込まれてしまったら、そこから力を得ていた虹の世界も一緒に滅んでしまうからさ」
「……助けようとしている理由は、ただの善意じゃないんだ」

 アイリスからリメイクした蒼依、さすがにその回復力は人間の時とは全然違う。
 一昨日も、そして昨日の朝も、あんなにグッタリして遅刻ギリギリで学校に行ったのに……。
 蒼依はベッドから体を起こすと、額に手をあてた。一瞬体がフッと揺らぎ、その手に紺色のソースカードが収まる。人間としての蒼依に戻ったのだ。体調は変身を解く前と変わらない。
「今日は体育の授業があるしね」
 いくら蒼依にリメイクしても、結局はプリンシャント。身体能力のコントロールをほぼマスターしたとは言え、うっかりして通常の二十倍近くという驚異的な身体能力を出してしまう可能性はゼロではない。まだ蒼依は、「リメイクしたまま日常を過ごしたい」という気にはとてもなれなかった。
 部屋のカーテンを開け放つ。外は晴天、日差しが心地いい。
 パジャマから室内着に着替えた後、部屋を出て階段を下りる。一階のキッチンをのぞくと、母親のさつきが朝食と弁当の支度をしていた。槇原家では、朝食と弁当の担当がさつき、そして夕食の担当は父親の誠二と決まっていた。
「おはよう、母さん」
「あら、おはよう。どうしたの? 遅刻ギリギリ続きだったから、反省して早起き?」
「……うん、まあね。ちょっと散歩してくる」
「あら? 手伝って……」
「行ってきまーす!」
 慌てて逃げ出す蒼依。大急ぎで靴を履き外に出る。そして道路に出て……。
 ゴンッ!
「あいたたた……」
 横から誰かが勢いよく蒼依にぶつかってきた。思わず倒れ込む蒼依。そしてその上にぶつかってきた本人が折り重なるように倒れ込む。
「……だ、大丈夫?」
 相手はすぐに立ち上がり、蒼依に手を差し延べた。
「ごめんなさい」
 その手を取り、相手の方に視線を向ける蒼依。西が丘市内にあるもう一つの高校、花ヶ崎学園の体操着を着た……男子? いや違う、胸が大きい。声からしても……女子に間違いない。 髪型もボーイッシュなショートヘアなので、胸が小さければ男子と見間違えてしまうかも。立ち上がる蒼依、彼女の背の高さに驚く。
「どこかケガしてない?」
「……大丈夫です」
「そっか、こっちこそごめんな」
「いえ。急に出てきたの、私ですから……」
「ま、お互い大した事無くて良かったよ。それじゃ……」
「すみませんでした」
 彼女は再び街の方へと走り去っていく。
(あの人……どこかで見た事あるような……?)
 首をかしげる蒼依。遠い記憶のどこか片隅に面影が……。
「……ま、いっか」
 尻や背中に付いた土ぼこりを払い、近所をブラブラと歩き回る。途中、同じ地区に住む顔見知りの老夫婦と挨拶を交わしたり、道路工事箇所で車や歩行者の誘導をしているのが若い女の子で内心びっくりしたり、いつもと違う朝のひとときを過ごし、二十分ほどで自宅に帰り着く。「早起きの朝の気持ち良さ」を思う存分満喫した。

はじめてのたたかい (2)

 せっかくなので、今日は朝食を早めに取り、いつもより三十分ほど早く家を出る事にする。それには一つ理由もあった。
「行ってきま~す」
 いつもの学校へ向かう道を進み、近所の公園の角から横に入る道をのぞき込む。と、角から三軒目の家、そこから見覚えのある中年の女性がゴミ袋を持って出てきた。
「あら、蒼依ちゃん。おはよう」
「おはようございます。いつもお世話になってます」
 蒼依の親友、米倉圭の母親だ。幼い頃から何度も家を訪れているので、すっかり顔なじみ。圭の母親はいつもの朗らかな笑顔で蒼依の方へと歩み寄る。
「あの、圭ちゃんは?」
「五分位前、学校に行ったよ。一足遅かったね」
 圭はここから先、広い道路沿いにあるバス停からバスに乗り、盲学校へと通っている。バス停までは二百メートル程歩く。
「分かりました、ありがとうございます」
 蒼依は会釈をして少し早足で先を進める。運が良ければバス停で声を掛けられるかも知れない……。
 大通りに差し掛かる五十メートルほど手前で携帯の時計を見る。七時十五分。大通りに出て右折しすぐの所がバス停。確か圭が乗るバスの発車時刻は七時二十分。何とか間に合いそう。
 その大通りに出る直前の左側角に、立派な生け垣と塀に囲まれた豪邸が見えてくる。ここは蒼依のクラスメイト、椿沢香澄の家だ。不動産と建築業を営み、昔から資産家としても知られている。こちら側小路の方には通用口があるが、大通りに面する方はいかにも豪邸らしい門がある。そして大通りを挟んだ反対側には広い駐車場、さらにその奥に五階建ての会社のビルが建っている。
 香澄は元々この豪邸に住んでいた訳ではなく、以前は別の街に住んでいたらしい。蒼依が中学校に入学した時にこの西が丘にやって来て、それ以来蒼依とはずっと同じ学校だ。クラスが一緒になったのは中学一年の時に一年間、そして今年と言う事になる。
 その豪邸の通用口近くに差し掛かった頃……。
「ふざけないでよ!」
 敷地の中から女の子の罵声が聞こえた。驚いた蒼依、思わず通用口の手前で立ち止まる。
(今の声、椿沢さんだよね……)
 少し待ってみる。しかし、通用口から香澄が出てくる気配は無い。
(……ま、いっか)
 再び歩みを進め、大通りへ。そして右の方にあるバス停……、残念、誰もいない。
 蒼依は改めて携帯を取り出す。
「あ、あれ?」
 七時三十五分、椿沢家の通用門の前では一、二分しか立ち止まっていなかったはず。それを含めても、たかだか五十メートル程度の距離に十五分も掛かるって……。思わず首をかしげる蒼依。
 七時五十分、学校着。まだ生徒の少ない教室の中に、既に香澄の姿があった。一瞬蒼依の方にちらっと視線を向けるが、すぐに目をそらす。
(……さすがに聞けないよね)
 蒼依は廊下に出て、窓から外の景色をぼんやりと眺めていた。

はじめてのたたかい (3)

 今日の午前中は、三限目と四限目が通しで体育授業がある。実は蒼依、それが終わって昼食に入る前に変身リメイクをしてみようと画策していた。自宅以外でリメイクしたまま人前に出るのは今回が初めて。蒼依は少しドキドキしながらその時をじっと待つ。
 三限目。体操着に着替えると、男女ともグラウンドに出るように指示される。隣のクラス一年B組との合同授業なので、人数もそこそこいる。今日はここで、短距離走、砲丸投げを男女それぞれ前後半に分けて実施すると言う。最初は男子が短距離走、女子が砲丸投げだ。
「砲丸の球って、やっぱり結構重いね」
 蒼依のクラスメイト、和納清佳(わのう さやか)が砲丸を手にして蒼依に語りかけて来た。小柄のツインテールヘアで、とてもかわいらしい子。けど、どこかちょっと抜けていると言うか、ネジが外れている感じで、しばしばその言動がクラスを爆笑の渦に巻き込んでしまうという妙な存在。性格は悪くないみたいだけど……。
「……『4K』って書いてあるから、四キロぐらいあるのね」
「え? これってそういう意味なの?」
「……多分、そうだと思うよ」
「あたし、『これは重い、危険だ、壊すぞ、凶器だぞ』の略だとばっかり思ってた」
「は?」
 ぽかーん……。三秒後、思わず吹き出す。
「そ、その発想はすごいわ、ははっ」
「え? 違うの?」
「んんん? わのりんのメガトン爆弾の臭いがするにゃ~」
 二人の様子に気づいた真由美が興味津々そうに近寄ってくる。
「爆弾、ど~ん♪」
 清佳、手にした砲丸をゆっくり真由美に向けて放り投げるまねを……と思いきや、その砲丸が清佳の手をするっと離れた!
「ぁ」
「え?」
「ちょ……」
 真由美に向かって砲丸がゆっくり放物線を描く。慌てて飛びのく真由美。するとその砲丸の軌道が少し曲がって、さらに真由美の方へと。
「!」
 その時だ、突然砲丸が何かに押さえつけられたかのように、一気に真下の地面に落ちる。それはあまりにも不自然な落ち方のように、蒼依には見えた。
「……何をやってるの、おもちゃじゃないのよ!」
 香澄が三人の所へ駆け寄り、落ちた砲丸を拾い上げ、三人をきっとにらみつける。
「……ごめん」
 蒼依のその言葉を無視するかのように。香澄はくるっと振り返り、砲丸の投てきサークルの方へと向かった。
「いつもながらの『上から目線』だこと……」
 ため息をつき、ぽつりとつぶやく真由美。そして歩き出そうと……
「あ……い、痛っ……」
 急に身をよじらせ、左足のふくらはぎに手をやる真由美
「マユ?」
「どうしたの」
「足……つった。ふくらはぎ……痛たた」
 蒼依と清佳が真由美の体を支え、ゆっくりと、足を伸ばして地面に座らせる。蒼依が真由美のふくらはぎを慎重にマッサージ。
「大丈夫?」
「……うん、ありがと」
「わのりんは?」
「一応先生の所に言いに行った」
「余計な事言わなきゃいいんだけどな……」
「余計な事?」
「自分が砲丸放った事とか……。あの子、変に馬鹿正直な所があるから」
「でも、それがあの子の憎めない所だし」
「『裏』が無い人生なんて、理想だけど、逆に息苦しいよ……」
 真由美にしては珍しい物言い、そして心配そうに清佳の様子を見つめる。案の定、清佳は先生から一言二言言われたようだ。そして体育教諭とともにこちらに向かってきた。体育教諭には当たり障りの無い説明をし、事なきを得る。真由美は一応ふくらはぎの方に鎮痛スプレーをしてもらい、やっと立てるようになった。
「ごめんね。木場ちゃん」
「いいって。気にしない気にしない♪」
 申し訳なさそうな表情の清佳に朗らかな笑顔で応える真由美。
(……マユのこの笑顔の『裏』に、一体何が隠れているんだろ)
 二人の様子を見ながら、蒼依は自分の心が複雑に揺らぐのを感じていた。

はじめてのたたかい (4)

 四限目が少し早めに終わって着替えタイム。制服に着替えを終えた後、蒼依はトイレへと駆け込む。
(それにしても、あの砲丸の動きは何だったんだろう……)
 パスケースからソースカードを取り出しながら、ふと考え込む。今思い出しても、あれは明らかに不自然な動きだった。
(とりあえず変身ね。何か分かるかも知れない)
 蒼依はソースカードをそっと額にかざす。
(変身して《リメイク》)
 一瞬蒼依の姿がフッと揺らいだ。姿は蒼依のまま、しかし中身はプリンシャント・アイリスに変身している。
(《ミラースクリーン》)
 右人差し指で目の前の空間をちょんとつつく。すると音も無く等身大の鏡がそこに現れ、蒼依の全身の姿を映し出した。
(よし、完璧。《テレスクリーン》)
 再び右人差し指で鏡をつつくと、今度はグラウンド周辺の映像が映し出される。今度は右手をそのスクリーンにかざすと映像全体にもやが掛かったようになり、空気の流れを映し出した。
(……特におかしな所は無いみたい)
 スクリーンを手でなでて映像をスクロールしたりズームアウトしたりしながら、全体の異変を探す。しかし、妙な兆候は全く見つからない。
 再びスクリーンを右手でつつくと、スクリーンがシュッと消失。何かあれば、分身を幽体化して調べさせる事にする。
 教室に戻り、弁当タイム。プリンシャントでも普通におなかは空く。食べる量は人間の時より気持ち多め。それで超人的な身体能力が発揮できてしまうのだから、常識外れにも程がある。今日は家を出てくる前、弁当のご飯を少し多めに詰めている。変身対策といった所だ。ただ、人間の状態でこのご飯の量が続くと、体重の方が気になってくる。微妙な調整が必要そうだ。
 食事を終え、いつも通り図書室へと向かう。昼休みを図書室で過ごすのは蒼依の日課。特に何か読みたい本が無くても、穏やかに過ごすには都合が良い。わりと自由な雰囲気なので、図書館の隅で談笑する人もいたりする。でも耳障りなほどでもないし、意外と幅広いジャンルで興味深い話題を語っていたりするので、それに聞き耳を立てるのも結構楽しかったりする。
 最近の蒼依の興味は「夢」。「虹の世界」が人間界の「夢」から力の供給を受けているというのを知って、そういった本を読んでいる。今読んでいる本の中でも、「夢を見るのは人間だけじゃなく、犬や猫など様々な動物も夢を見る」など興味深い事を知って、かなり驚いたりしている。
〈ようやく変身したのね、プリンシャント・アイリス〉
 一瞬、心臓が止まりそうになる。
 悟られないように周囲を見回す蒼依。話しかけられる距離には誰もいない。
(シンシア? ……でも声が違うし、空気の流れも変化してない)
〈声を出さないでよく聞いて。私はプリンシャント・カメリア。そう、あなたと同じプリンシャントの仲間。私は『心と命の力』を操る事ができるの。今こうやってあなたに呼び掛けているのは、私のテレパシー能力によるもの。あなたのそばには、私はいないわ。でも私は、どんなに距離が離れていてもあなたにテレパシーで呼び掛ける事ができるの。もちろん、あなたが考えている事も、私には手に取るように分かるの〉
(心が……読めるの?)
〈ええ〉
(あなたは今、どこにいるの? 学校の中?)
〈……それは今は言えない。今はあなたと同じようにリメイクして人間の姿をしているわ〉
(……それって、何だかずるい)
〈そう……。じゃ、もうちょっとだけ。私は今、校内にいるわ。プリンシャントに変身して実際に『闇』と戦う時には当然みんなと協力するつもり。だけど、人間として振る舞っている時は、ベタベタ付き合うつもりは無いの〉
(……その気持ちは何となく分かるよ。でも私が人間として誰なのか、あなたは知っているのよね)
〈ええ、一年A組の槇原蒼依さんだって事は知ってるわ〉
(だったら。あなたも教えてくれたっていいじゃん)
〈そうやってまとわり付こうとするのが私は嫌なの。プリンシャントであっても、今まで通り人間としての私を続けたいの。私はあなたにできるだけ干渉しないようにしたい。もちろん、こんなテレパシーなんて能力持ってしまっている訳だから、あなたの心の内を探ろうと思えばいくらでもできるの。でもそれは本来やっちゃいけない事だと思うし、それがあなた自身を守る事につながると思うの。だから人間としてのプライベートの付き合いは控えたい〉
(……何か今一つ煮え切らないな。けど、とりあえず分かった。これからもよろしくね)
〈ええ、よろしく。それから、『闇』の事だけど、いよいよ本格的に動き出すかもよ〉
(え? ほんとに?)
〈『闇』の力はすごく強大みたいで、その分ガードも堅いらしいの。だから私でさえ『闇』の存在をテレパシーで感じるのは結構難しい。だけど今日、その兆候らしきものを捉える事ができたの。今日あなたが体育の授業中、おかしな事があったでしょ?〉
 蒼依はあの砲丸の出来事を思い出した。妙に軌道が変化したあの砲丸の球……。
〈そう、まさにそれ。きっと偶然じゃない。『闇』が何らかの力を使ってあの砲丸の動きを操作したように私には見えたわ〉
(……やっぱり気のせいじゃなかったんだ)
〈あれは、『闇』の能力テストの一つだったかも知れない。そんな気配を感じた〉
(『闇』は私たちプリンシャントの存在に気づいているのかな?)
〈『闇』がテレパシー能力を持っている可能性もあるから、私はあなたがアイリスだと知った時点で、あなたがプリンシャント以外からテレパシーで心を読まれて実態がバレる事が無いように、強力な偽装防御術を施しているの。詳しくは言えないけど、実はあなた以外にもその防御術を施した人がいるわ〉
(それって、他のプリンシャントの存在も知っているって事?)
〈まあ……そういう事になるわね〉
(何人いるかだけでも教えて欲しいな)
〈……あなた以外にあと三人のプリンシャント、もしくは候補を把握しているわ〉
(そうなんだ……)
〈そろそろ五限目が始まるわ〉
「え?」
 時計を見る。十二時五十九分。
(分かった、ありがとう。また何かあったら教えて)
〈ええ〉
(あ、あと最後に一つ)
〈何?〉
(『シンシア』って知ってる?)
〈ええ。私も彼女の特訓は受けているわよ〉
(そうなんだ……。ありがと!)
 それを知って、少しだけカメリアに対して親近感が沸いた蒼依。

はじめてのたたかい (5)

 五限目と六限目の授業では、カメリアからのテレパシーによる呼び掛けは無かった。
 蒼依は授業を受けながら、頭の中で色々な事を思い巡らせる。
 もう一人のプリンシャント、カメリアが接触してくれた事はうれしくもあった。でもその態度には少しだけ煮え切らない部分もあって、蒼依の心に引っかかった。
 彼女が五限目の始まりを知っていた事から考えると、この学校の生徒か教職員である可能性は高い。その点はある意味驚きでもあった。蒼依は自分で描いたソースカードが実体化して、プリンシャントに変身する事ができた。彼女もソースカードを自分で描いたのだろうか? それから、シンシアの事も知っていて、彼女から特訓を受けているとも聞いた。蒼依はここ毎日シンシアとともに練習・特訓を重ねている。シンシアも分身能力があるんだろうか? それからカメリアは、他のプリンシャントやその候補も知っているらしい。その人って誰なんだろう? そしてカメリアがひた隠しにする自身の正体……ものすごく気になる。
(ねぇ、カメリア。アイリスだけど、私の心の声、聞こえる?)
 カメリアに呼び掛けてみた。しかし反応は返ってこない。
(一方通行じゃ、不公平じゃん!)
 それでも反応は返ってこない。
 アイリスは「宙の力」を操る。一方カメリアは「心と命の力」を操ると言っていた。だから、能力に多少の違いがあるのは何となく分かる。心と命……そのうちの「心」の力の部分で、恐らくテレパシーを操っているんだろう。人の心をのぞくって、結構うらやましい能力のようにも思える。でもカメリアの口ぶりではものすごく神経を使っていそうな雰囲気。きっと他人の嫌な面もたくさん見えてしまうのかも知れない。
 「闇」が動き始めたとも言っていたが、闇は一体どんな攻撃を人間界に仕掛けてくるのだろう? 砲丸の軌道を変える程度の悪さでは、プリンシャントの強大な力も持て余してしまうかも……。
 六限目が終了し、今日は蒼依の班が掃除担当の日。クラス全員で机を後ろに下げた後、蒼依たちの班が床のモップ掛け、机の上の雑巾掛けを行う。
(あ~、こんなの、能力を使えばあっという間に終わらせちゃうんだけどなぁ)
 水あめ状の空気を使って汚れだけを絡め取ってしまえば、あっという間に奇麗になるはず。空気なので、役目を終えて元の状態に戻れば跡も全く残らない。
 ……色々とあれこれ考えつつ、結局いつも通りに床をモップで拭き、いつも通りダラダラと机を一つ一つ元の位置に戻し、いつも通りに教室清掃は終わった。どうせこんなものである。
(私の場合、リメイクしてもあんまりメリット無いみたい)
 かばんを手にし、部活の場所である美術教室書庫に向かう。隣の教室をのぞくと、真由美はいない。既に向かったのだろうか? 
 階段を下りた所で、美術教室に向かう反対側の方、廊下の奥の部屋に何人もの生徒が並んで立っている。距離にして五十メートルほど。
(何だろ?)
 まるで望遠レンズでズームインするように、遠くの光景が次第にはっきり見えてくる。これもプリンシャントの向上した身体能力のおかげだ。どうやら皆三年生らしい。長身でスレンダーな女子の生徒会副会長 須原真希(すはら まき)や、典型的肥満体の生徒会書記長 岩沢昇平(いわさわ しょうへい)の姿も見える。ざっと十人ほど。
 今度は聴覚の感度を上げてみる。アイリスの聴覚は、プリンシャントの中でも特に高感度らしく、極めて微細な音や遠く離れた音まで聞き取る事ができる。これは、そもそもアイリスが「宙の力」を自在に扱う能力を持っているため、音の伝達に欠かせない空気の振動をコントロールし、極限まで音を増幅して聞き取る事ができるのだ。
「……で、やっぱり大学に進学するの」
「そうだね。この不景気な時期、就職するにも求人は少ないしさ」
「国立、それとも私立?」
「うちは親が国立しか認めてくれないよ。私立なんて金が掛かるから無理だって」
「奨学金を受ければ何とかなるんじゃ?」
「受けた所で、大学を出ても就職できなくて、結局返せなくなったって話、聞いた事がある」
「そっかぁ……。俺は大学行く頭無いからなぁ……。専門学校に何とか潜り込みたいけど」
「就職組はもう戦々恐々だもんな……」
 生徒たちが集まっていたのは、進路指導室の前だったのだ。
(……あたしも二年後は……。ああ、考えたくない!)
 振り払うように首を振りながら、そちらに背を向け、部活へと足を向ける。それでも、蒼依の聴覚は、さらに彼らの言葉を捉え続けた。
(やめて、もういいから!)
 思わず蒼依、耳を塞ぐ。ようやく声がやんだ。
 実を言うと、蒼依自身この能力を実際に体感したのは今回始めてだったりする。その意味でも、蒼依にとっては新鮮でもあると同時に、複雑な気持ちにもなる。
(私の聴覚、一体どこまでの音が聞こえるんだろう?)
 今蒼依がいるのは一階の生徒玄関付近。この先にある特別教室棟の三階、その一番奥にある美術教室書庫の部屋に意識を向けてみる。
(あそこの音まで、聞こえる訳無いよね)
 再び蒼依の聴覚の感度がどんどん上がっていく。余計な雑音は排除され、意識を向けた方の音だけが確実に絞り込まれ鮮明に聞き取りやすくなっていく。
「……ところで部長って、やっぱり進学なんですか?」
「一応そのつもり。美大に行けたらいいなぁ……とは思ってる」
「すごぉ」
「でも、結構難関らしいからね。ダメならデザイン関係の専門学校になるのかなぁ」
「ところでマユはどうするつもりなの?」
「まだな~んにも決めてませ~ん♪」
 蒼依の背筋に寒いものが走った。
(……うそでしょ)
 周囲の雑踏が耳に入ってくる。聴覚は元に戻ったらしい。
(……これなら内緒話や陰口だって聞こえちゃう。すごいけど……何か怖い)
 ようやくカメリアの言葉の真意が分かったような気がした。カメリアはテレパシーで人の心が読める。それは確かにすごく便利な能力ではある。しかしその裏返しとして、見たくもないドロドロした嫌な気持ちや敵意も見えてしまう事になる。触れたくない物に触れてしまう恐怖……、蒼依の驚異的な聴力もそんな一面を持っているのだ。

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