閉じる


1

餅つき

(ペッタン、ペッタン、ペッタン・・・)

 俺は餅をついていた。

(ペッタン、ペッタン、ペッタン・・・)

 餅つきは大変だ。単に腕力があればいいという訳ではない。身体の柔軟性も必要だ。
「これくらいでいいんじゃないですか?」
 と、助手が言う。
 俺は手を止め、助手の顔を蹴り上げた。
「馬鹿! 『これくらい』で満足するなら最初からやるな!」
「は、はい……」
「よし、再開だ!」

(ペッタン、ペッタン、ペッタン・・・)

 出来上がったか? いや、もう少し。
 どうせ出すなら、きちんとしたものを出したい。水準以下のものを出すのは、プライドが許さない。
「あの、もういいと思います」
 と、助手が言う。
 俺は手を止め、助手の顔を数十回にわたって蹴り上げた。
「馬鹿! お前が勝手に決めるんじゃない」
 助手は、折れた歯をペッペッと吐き出すと、
「は、はい……」
「よし、再開だ!」

(ペッタン、ペッタン、ペッタン・・・)

 そろそろだな。あと一息だ。
 その時、背後から声がした。

2

「な、何でこんなところに兎が?」
 俺は無性に腹が立った。
「勝手に声をかけるな、アホ!」
 と、俺は叫ぶと、見るからに動き難そうなスーツを着た二人を殴り飛ばした。
 スーツを着た二人は後方に数十メートルも吹っ飛んだ。

 ニール・アームストロングとバズ・アルドウィンは、月面着陸直後に「兎がいて、何かを打っている」と報告したが、NASAジョンソン宇宙センターの管制センターは、「アホな報告は止せ」と一蹴した。
 このやり取りが公開される事はなかった。

1

明るい話

 お先真っ暗である。
 新聞も暗いニュースしか記載しない。

『アフガニスタンで紛争勃発。周辺諸国にまで拡大する恐れ』
『東京株式市場で全銘柄大幅下落。世界同時株安に発展か』
『ソウル市明洞地区で大規模火災発生。死傷者五〇〇名か?』
『全国失業率史上最悪。一〇パーセント越え目前』
『大手建設業の〇〇組経営破綻。連鎖的破綻の可能性あり』
『中国でクーデター未遂。首相と副首相が死亡か?』
『米国東沿岸部が超大型台風により浸水。死者行方不明者数千名』
『犯罪発生率急上昇。凶悪犯罪が前年の倍』

 ……等々。
 私は溜息をついた。たとえ嘘でもいいから、明るいニュースを掲載出来ないのか。ニュースが明るくなったくらいで、どうにかなる訳ではないが。
 最近は、普通の人間が普通に暮らす事が難しくなっている。
 私は新聞を畳んだ。奥の壁掛け時計に目を向ける。昼休みもそろそろ終わり。これ以上落ち込む前に、仕事を再開するか……。
「ちょっと」
 と、背後から声がかかる。
 私は振り向いた。
 上司の芝原が手招きしていた。私より一〇〇倍も健康そうな男だ。一〇も年下だから、当然か。目つきも一〇〇倍悪い。ここまで目つきの悪い男が、何故営業部に所属しているのだろう?
「何でしょう?」
「こっちへ」
 芝原は会議室へ向かった。
 私は後に続いた。後に続くしかなかった。
 会議室は無人だった。丸テーブルと椅子が、狭苦しい空間を一層狭苦しくしている。

2

 こんな部屋でまともな会議が出来るものか、と毎回のように思う。
 芝原は会議室のドアを閉じ、私を無言で見つめた。
 私は、芝原が椅子に向かうのを待ったが、彼はその様子を見せなかった。壁に寄りかかるだけだ。腰を下ろすまでの事でもない、と考えたらしい。
「あの、何でしょう、課長?」
「クビだ」
「え?」
「あんたはクビだ」
 私は凍った。
「クビ、て……。解雇でしょうか?」
「そうだ」
 自分の成績がこのところ落ちっぱなしだったので、全く予期せぬ事ではなかったが、やはりショックだった。全身が汗でずぶ濡れになる。
「その……、いつまでにここを出なければならないんでしょう?」
「今日までに」
 私は卒倒しそうになるのを辛うじて堪えた。
「きょ、今日、ですか?」
「そうだ。今日。明日はもう来なくてもいい」
「ですが……」
 何の事前通告も与えずに解雇するのは、労働基準法で禁じられているのでは?
 芝原は、私の思考を読んだかのように、
「今日辞めれば、退職金を上乗せしてやる。それでいいだろ?」
 と、冷たく言い放つ。
「再就職の目処が全くないまま解雇されると、困ります」
「こっちはリストラが進まないと困るんだ。あんたさ、家族はいないだろ?」
「息子が一人……」
「既に独立してるんだろ? 福岡、いや、小倉にいるとか。奥さんはいない。つまり、あんたは一人だ。家族持ちだと本人以外にも困る奴が出てくるから、こっちとしてもクビを切り難い。しかし、あんたは独り者だから、困るのはあんただけ。だからいいだろ?」

3

 最近は、普通の人間が普通に暮らす事が困難になっているどころか、不可能になってきている。
 私は、汗を滝の様に流し続けていた。
「でも、困ります」
 借金がまだ残っているのだ。
 芝原は、私の右肩を掴んだ。
「だから、言ってるだろ、退職金を上乗せしてやる、て。あんたはこの会社で二五年も勤めている。退職金も半端じゃない。それを上乗せしてやるんだから、クビになっても暫くは食っていける。のんびりと次の職を探せばいい。それとも、今、ここで解雇の通告をして、月末に解雇宣告してもらいたいか? その際は、退職金の上乗せはないぜ。もしかしたら減額されてるかも。大幅にな。それでもいいのか?」
 減額されているかも、ではなく、確実に減額されるだろう。
「それも困ります」
「じゃ、今日辞めるんだ」
「しかし……」
 芝原は、私の両肩を掴んだ。
「会社の為なんだ。今、大変なのは知ってるだろ? 分かってくれよな」
 会社の業績が四期連続して前年を大幅に下回り、赤字経営が続いている事は、知らされていた。破産は時間の問題だと。
 そういう意味では、倒産する前に辞め、退職金をきっちり貰うのも、一つの手ではないか……。
「……は、はあ」
 芝原は、眩しい程の笑顔になった。ああ、こいつは偽善に満ちたこの笑顔のお陰で営業の仕事が出来るのか、と私は納得した。
「よかった、よかった。あんたなら理解してくれると思ってたんだ」
 全然理解してません、と私は反論しそうになったが、口を噤んだ。
「じゃ、今から机を片付けてくれ。仕事はもういいから」
 私は平手打ちを浴びせられた気分になった。
「で、でも……」
「片付けが終わったら、帰宅してもいい。じゃ」
 と、芝原は言い残すと、会議室を去った。

読者登録

湖南徹さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について